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2014年12月

2014年12月 9日 (火)

 Don't It Make My Brown Eyes Blue

 クリスタル・ゲイルさんのこの歌は、なんど聴いても飽きない。ぼくがいちばん好きな歌のひとつ。

  ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=eCgP-6mzz00

 わたしたちも、目の黒いうちは、悲しい目の色にならないようにしよう。

 ウソノミクスに騙され、泣き寝入りしないようにしよう。

         #

 ところで、きょうも、引っ越し先の古民家の天井板を吹き掃除した。

 なにしろ、築186年の家。

 天保年間の建築だから、棲まわせていただくのも、たいへんだ。

 で、またも、ダウン!

         #

 それでも、クリスタル・ゲイルさんの、とくに、そのハミングに、ウットリ(ニンマリ)しているのだから、まだまだ、ガンバレそうな気がする!

 

 

 

2014年12月 7日 (日)

生きるものの歌

 「デューク・エイセス」の4人組がいま歌うこの歌(永六輔作詞、中村八大作曲)は、フクシマの歌だと、つくづく思う。

  ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=gQBr7LKZ4GA

  ♪ わたしがこの世を去る

    そのとき、未来が来る……

 とにかく、わたしたちが――わたしたちとして、いのちを、なんとしても、つないでいく。

 ガブリエル・マルセルが言うように、その向こうの希望に向かって、絶望があるからこそ、その先に定立可能な希望に向かって、世代をつなぐ「旅する人間」として、存在の神秘の証として、生きてゆかなければならない。

 フクシマから続く、奥の細道を生きていかねばならない。生きるものとして生き続けていかねばならない。

 それはマルセルのいう、アガペー(友愛)の道である。

 わたしたちは、いのちとしてのわたしたちである。

 決して「機能の集合」ではない。

 使い果たした乾電池にように、死んでなくなる機能ではない。

 わたしたちが死んだあとにこそ、わたしたちの存在の影はのこり、わたしたちの知らない――だからほんとうの、そうでしかない、「未来」が来る。

 そのためにこそ、わたしたちは、この被曝・日本の地に、わたしたちの祈りをのこし、新しい世代へ、希望を託さなければならない。

 わたしたちの死んだあとにこそ、ほんとうの未来はあるのだから。

           #

 おととい、がんばりすぎて、きょうは半日、臥せっていた。

 この歌を聴き直し、元気をとりもどし、勇気をもらった。

 あしたはなんとして立ち直りたい!

◎ 生きるものの歌/友よさらば 【CD MAXI】 デューク・エイセス

   ⇒ http://www.universal-music.co.jp/duke-aces/products/upch-80460/

2014年12月 5日 (金)

 Any Way the Wind Blows

 

 ようやく風邪が抜け、疲れもとれて元気になって、天井板の拭き掃除をして、さっぱりした気分になった。

 そして…………近くの農道を、30分間(片道15分)、足の向くまま、ジョギング!

 誰もいない谷間の道かと思ったら、道端のバス停で、農家のおかあさんが、スクールバスの到着を待っていた。迎えに来たのだ。

 走りの行きも帰りも、待っていた。

 スクールバスが狭い道を走ってきた。

 運転手さんにあいさつすると、あいさつがかえってきた。

 なぜか、とってもうれしくなった。

 うれしくて体の調子も、よくなった。

 そして…………夕方、BBCスコットランドの歌番組をネットで聴いていたら、この歌!

 アーネイス・ミッチェルさんの Any Way the Wind Blows

 歌詞は ⇒ こちら

  ♪ 風は吹くのよ! どんな方にも!   

 古民家のかやぶき屋根の下、いのちの残りを生きて行く。

 風の吹くまま、また、新しい生活が始まった。

 山霧がたなびく山村。

 「日の丸」という名のついた小山のそばで。

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