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2010-09-28

  ダニエル・グリーンバーグ氏の主著、日本語全訳 遂に完成  教室を広場に! 学びのアトリエに 世界創造の場に! 新たな世界を創る場に!

 「自由とデモクラシーの学校」、サドベリー・バレー校の指導者、ダニエル・グリーンバーグ氏の主著、Worlds in Creation が、東京の緑風出版から刊行されました。
 ⇒ http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1001-7n.html

 邦訳のタイトルは 『自由な学びとは―サドベリーの教育哲学』(四六版、476頁)定価3400円プラス税。

 間もなく書店の店頭に並ぶ予定です。

 拙訳です。邦訳476頁の大著。私(大沼)としては、この仕事をし終えたことで、自分の人生の基底を、ぎりぎりのところで、今、ようやく治癒・肯定・確定できたような気がしています……。

 今朝、刷りたてホヤホヤが届き、夕方からひとり祝杯です!

 雨が上がり、夕空が晴れて……

 う~ん、すばらしい装丁! (いつものように斎藤あかねさんの作品です。そう、世界は夜明けを待っている!……)

 私は訳者として、読者として、この本を、それこそ何度となく(たぶん20回以上は……)読み返しました。

 読み返すたびに発見がありました。

 私はこの本を、とくに学校の教師のみなさん、および教師を志す学生のみなさんに、ぜひとも読んでもらいたい。

 この本でたとえば、グリーンバーグさんのいう「モードル(モデル+モードの造語)」というものの意味をつかむだけで、子どもたちと関わりあう、新たな地平とも言うべき、たしかな足場を得ることができることでしょう。(教室が広場に変わるかも知れません! 教室がコモンにも、子どもたち、そして教師個人の・による、交響し合うアトリエにも、なるかも知れません! そう、世界は教室から創造される!!!……)

 以下、私が書いた「訳者あとがき」を「再掲」します。

 なぜ、私という「一九六八年世代」の人間が、この本の全訳に取り組んだか、分かっていただきたいので…………。

   「一九六八年」から―― 訳者あとがき

 列柱のような巨木の影の中をしばらく走ると、空間が一気に開けた。芝生の緑の向こうに、前時代の邸宅のようなサドベリーの古い建物が見える。手前には、サドベリーのもうひとつのシンボルである、あの形のよいブナの木が枝をのばしている。

 十年前、二〇〇〇年の春に訪ねたサドベリー。 カリキュラムもテストも、教科も時間割も、何もないサドベリー。代わりに、自由と自治が、関心と好奇心が、ありとあらゆるナチュラルな遊びと学びが、いつもそこにあるサドベリー。
  校地の裏を流れるサドベリー川の支流の、静かな水面を、芝生の寝そべって見上げたサドベリーの空の雲の行方を、私は本書を訳しながら、その長い時間の流れの中で、何度も思い出した。

 本書の著者である、「自由とデモクラシーの学校」「サドベリー・バレー・スクール」の創始者、ダニエル・グリーンバーグ氏が、子どもたちとともに長い時間を過ごしながら、あの場所で考えに浸り、思索を重ねて来たその姿を――窓辺に佇み、子どもたちを見守るその姿を、心に思い浮かべていた。

 そして思い出すたびに、思い浮かべるたびに、私はどうして、ボストン郊外フラミンガムにある、あの「サドベリー」に引き寄せられたのだろうと、不思議な思いにとらわれた。

 私はなぜ「サドベリー」を、私の人生の「本籍」と定めるに至ったのだろう? このダニエル・グリーンバーグ氏の主著である大著(原題は、Worlds in Creation。一九九四年、サドベリー・バレー校出版会の刊行)を、大学での職を投げ打ってつくった自由時間の中で、どうして日本語に訳出しようとしたのだろう?

 本書の内容のまとめ(あるいは事前の誘い)を兼ね、順序は逆になるが、私がどうして本書を訳出しようと決めたか、かんたんに説明することにしよう。

 ダニエル・グリーンバーグ氏が「サドベリー」について書いた本は、ドイツ語、中国語にも翻訳された Free at Last (邦訳は拙訳、『世界一 素敵な学校』、緑風出版)をはじめ数多いが、そのほとんどがエピソードを連ねた、いわば入門の書。新鮮な驚きと愉快さのあまり、一見、何気ない表現に込められた意味の深さを読み飛ばしてしまうきらいがあった。

 これに対して本書は、フランスの本によくあるように、エッセイ風に書かれていながら、深く哲学した本である。だからこの本にはサドベリーのエピソードは、ほとんど出て来ない。そこにあるのは、物理学者でもあり科学史家でもあるダニエル・グリーンバーグ氏が、サドベリーでの経験の中で生み出し、実証した思索の結晶である。「サドベリーの教育哲学というべきものが、氏のエッセイの集成として、そこにある。

 そう、私はそれに触れてしまったものだから、身のほども知らず、全訳せんと欲するに至ったのだ。

 それにつけても思うのは、ダニエル・グリーンバーグ氏の思索の自由さ、思考の密度とスケールの大きさである。

 古代ギリシャの自然哲学、科学、技術、歴史、言語、コミュニケーション、経済などさまざまな領域の壁――すなわち、精神の「エンクロージャー(囲い込み)」のヘッジ(垣根)を切り崩しながら、人間精神の「コモン」ともいうべき、共通の基盤を探索してゆく、その精神の躍動には驚かされる。

 この本はだから、サドベリーで子どもたちとともに経験を重ねて来たダニエル・グリーンバーグ氏による、一から考え抜かれた、実にオリジナルな思索の書である。大げさに聞こえるかも知れないが、新しい教育哲学が、人間学の新しい基礎理論が、進化した独自の姿をとって、ここに出現した――と言っても許されるような気がする。

 自由とデモクラシーの学校、「サドベリー」の「新しさ」を説明する新しい「教育の基礎理論」が、本書によって与えられた、といっても構わない。

 そのオリジナリティー、独自さは、たとえば本書のⅡの「子どもたちと大人たち-人間行動をめぐるエッセイ」で緻密に展開された、ダニエル・グリーンバーグ氏が「モードル(Modor)」と名付けたコンセプトを知ればよくわかる。

 「モードル」とは、私たちが「世界(現実)」を理解する「モデル」と、その「モデル」づくりのために、私たちが環境及び他者と相互作用する「モード」の合成語だが、グリーンバーグ氏自身の「定義」によれば、「一人の人間が生きることの中から意味を取り出すメカニズムの全体性を示す言葉」である。

 より厳密な定義をすれば、それは「環境との相互作用を可能とする全ての媒介を(たとえば、諸感覚が伝達するものを)、個人の『システム』へのインプットを処理するあらゆる方法を、個人が周囲の世界を、意識的にも無意識にも、認知的にも感情的にも(・・・・・・・・・・)表すあらゆる表象を含むもの」となるが、私たち誰もが(つまり、子どもたちの誰もが)持つ――いや、私たち誰もがそれ自体であるこの「モードル」を起点に、ダニエル・グリーンバーグ氏は教育理論を(あるいは人間学を)土台から再構築しているのだ。

 「モードル」コンセプトを基本に据える氏の議論は、「経済のあり方」すなわち「エコノミクス」(経済学)にも及ぶ、視野の広がりを持つ。(たとえば、本書のⅢに収められた「マネー・取引、経済秩序の進化」を参照。「経済単位」は「順序数」であり、「マネー」はそれに恣意的な「基数」を割り振っただけのものだという氏の指摘を読んだ時、私は鳥肌が立つのを覚えた!)

 「モードル」を起点に、個人・集団・社会に広がる、既製の「教育学」の狭窄を超えた、人間の全体理論――これが、ダニエル・グリーンバーグ氏が本書で展開した「サドベリーの教育哲学」である。

 ある個人が自己の「モードル」づくりの中で、他者の「モードル」へ分け入り、その相互作用のなかで、(私なりの表現で言えば、「モードルのコモン」としての)「世界」が創造されてゆく。

 その個人(子どもの)「モードル」づくりの「自由」を妨害せず、励ますもの――それが「サドベリー」であり、本書に示された「サドベリーの教育哲学」であるのだ。

 そしてその当然の帰結(あるいは前提)として、サドベリーの「デモクラシー」が導き出される。(「サドベリー」は自らを「デモクラティック・スクール」と定義している!)

 グリーンバーグ氏は、こうも指摘する。

 「人間はどんな時でも、『モードル』の指示に従い、そうしなければならないと思う行動に従事している――このことを認識することは、とても大事なことだ。人間の行動というものは、少なくともそれ自体において、ランダムなものではないし、『意味のない』ものでもない。こうした考え方は、重要な社会的・政治的な帰結をもたらすものだ。

 すなわちそこに、あらゆる個人一人ひとりの『モードル』としての『姿(リアリティー)』に対する無条件の尊敬と、あらゆる個人の『モードル』に関する平等と等価に基づく、リベラルなデモクラシーの出発点がある」と。

 サドベリーの教育哲学とは、「モードル」論を土台に構築された「自由とデモクラシーの教育哲学(人間論)」でもあるのだ。

 これだけの体系性、洞察力でもって書かれた教育の書を、私は現代において(同時代の人ではないが、あのシュタイナーを除き)見出すことはできない。

 私を本書の訳出に向かわせたものの説明はこの程度にして、「サドベリー」を私が、大げさにも(しかし、本心から)自分の人生の「本籍」と考える理由を書いておこう。それは、これが私個人の問題ではなく、私と同世代・同時代の人間(日本人)問題でもある、と考えるからだ。

 大学を出たあと新聞記者になり、教育記者になり、一九八〇年前後の日本の管理教育の惨憺たるありさまを取材したあと、デンマークの「フリスコーレ70」など欧米のフリースクールの存在を知って衝撃を受け、『教育に強制はいらない』(一九八二年、一光社刊)というルポルタージュを書き、その二年後、在米中に「サドベリー」を知って、ついには新聞社の中途退社、フリージャーナリストの人生に踏み切った私個人の問題ではなく、私が生きる同時代の日本の危機的な教育状況の問題でもある、と考えるからだ。

 「一九六八年」――世界的に若者の反乱が起きた年である。私は当時、一九歳。仙台の大学の二年生だった。つまり、私もまた、「七〇年世代」。私は遂に「党派(組織)」に加盟することのできなかった人間だが、法学部の学生グループに加わり、「全共闘」運動の隅っこには居続けた一人である。

 その当時の「時代」を描いた、『1968』という小熊英二氏による大著(上下二巻、新曜社)が二〇〇九年に出た。

 私もまた早速、一読し、「あの時代」とは何だったか、私なりに考えたものだが、この小熊氏の本のタイトルの四桁の数字、「1968」を見て私は、反射的に「サドベリー」を思い浮かべ、あの当時の若者たちの運動が「サドベリー」が提起した問題とつながるものではないか、との思いを深めたのだった。

 「一九六八」――それは、既存の教育システムに根底的な疑問を持ち、ニューヨークの名門、コロンビア大学の教職を捨て、野に下ったダニエル・グリーンバーグ氏が、有志とともに「サドベリー」を開校した年でもあるのだ。

  それにしても「あの時代」とは何だったか? それはたしかに小熊氏の言うように、「一言でいうなら(中略)高度経済成長にたいする集団的摩擦反応」(下巻、七七七頁)であるかも知れないが(誤解のないように付け加えておくと、小熊氏の分析は、この一言で言い切れるような単純なものではない)、「サドベリー」を知ってしまった私としては、「戦後民主主義の欺瞞に抗して」とか「サラリーマンになる未来への閉塞感」とか「ベトナム戦争・沖縄問題への怒り」といった問題以上に、当時、東大全共闘の議長だった山本義隆氏らが語っていた「近代合理主義に対する批判」が「叛乱」の基本衝動ではなかったか、と言わざるを得ない。

 無知な学生の私は、山本氏らの言う「近代合理主義」なるものの深い意味を理解すべくもなかったが、ダニエル・グリーンバーグの著作に親しみ、とくに本書を読んだ今となっては、近代・産業社会のニュートン的合理主義、機械論モデルの“異常性”を、私たちなりに感じていたからこそ、私を含む同世代の若者はあの時、「体制」に対して反逆していたのだと思う。

 その異常性を体現した組織である大学(あるいは高校、中学)という統制的な教育システムを否定しようとしたからこそ、その抑圧的な機械論的な時間・空間を消し去るべく、全国各地の大学で、「無期限バリケード封鎖」は行われたのではないか。

  そう、あの「無期限バリスト」の時間と空間に、生れるべきものとしてあったもの、それが「サドベリー」的な、自由とデモクラシーの時間と空間だった!

 その時間と空間は、量子論的な飛躍(?)でもって、その時すでに、地球の裏側において、サドベリーの時間と空間として現出していたのである。それを私たちは知らずにいた……。
 
  だから私としては、当時、東大助手の若き物理学徒であった山本義隆氏が在野(大学の外)にあって、近代合理主義とはなにものか――それでもって構成される現代社会とはいったいなにものかを徹底追究し、『磁力と重力の歴史』や『一六世紀文化革命』(いずれも、みすず書房刊)という記念碑的な労作を書き上げた姿と、人も羨むコロンビア大学の物理学のポスト(准教授)を投げ打ち、「サドベリー」を立ち上げ、近代合理思想にもとづく機械論的な教育論批判を続けて来たダニエル・グリーンバーグ氏の姿を重ね合わせざるを得ない。

 山本義隆氏は、「現在では全世界を制覇するまでになった近代の科学技術が、なぜ西洋近代にのみ誕生したのかは、科学史・技術史のつきせぬ謎である」(たとえば、『一六世紀文化革命』の「あとがき」)と書いているが、ダニエル・グリーンバーグ氏も本書で同じ問題に迫っているのも、単なる偶然ではなかろう。山本氏の著作の読者で、本書をすでにお読みになった方はお分かりのはずだが、両氏の意見に共通する部分が多いことも、偶然の一致ではないように思われる。

 さて「サドベリー」に戻ろう。

  すでに述べたように、ダニエル・グリーンバーグ氏(博士=Ph.D)は、ニューヨークにある名門、コロンビア大学の物理学の教職ポストを投げ打って、「サドベリー」の創設へと向かった人だが、世界の研究者の誰もが羨む職を自ら放棄する決断をするにあたって、こんな「夢」を見たそうだ。
 
  「夢」といっても「ビジョン」ではなく、それは睡眠中に見た夢だ。書棚を埋め尽くした本が、なぜか全部、同じ、何も書かれていない本である夢を見たそうだ。そんな夢を見て、これじゃダメだと、大学を飛び出したのだそうだ。

 「あの時代」の近代合理主義の「体制」は、当時、すでに危機にあったにもかかわらず、「教育システム」を軸に延命し、さまざまな弊害・悲劇を撒き散らしながら、なおも君臨している。教育書の世界でも「同じ本」が未だに支配の座に居座り続けている。

 ダニエル・グリーンバーグ氏が書いた本書は、「同じ本」ではない。「一九六八年」以降、「サドベリー」の子どもたちにおいて創造された世界に関する新しい本であり、新しい「この時代」の現実的なモデルを提起した本である。

  「同じ本」は今や無用。新しいものが、新しい言葉とともに生まれなければならない。

 グリーンバーグ氏はこうも指摘している。

  「子どもたちが育つ場所について、『学校(スクール)』『教育機関(エデュケーショナル・インスティチューション)』『学習(ラーニング)センター』など、これまでさまざまな呼称が使われて来た。それらはみな、『産業社会』においては重要な呼称だった。『ポスト産業社会』に移行した今、そこで最も役立つ、子どもたちの成長のためになる、これまでとは根本的に違う、全く新しい呼称が創造されなければならない。これは単なる『意味論』の問題ではない。これは『情報の時代』において、『モードル』が共有する、全く新たな意味を、どれだけ十分に表すかにかかわる問題である。既成の呼称はどれも『産業社会』に関係するものだから、一人で二役をこなせるものではない。古い呼称を新しい意味に見せかけることはできない」 
 
  「あの時代」一九六八年に、「サドベリー」で始まった流れは、もはや逆行を許されない「この時代」の流れである。

  〈ここで念のため、誤解のないよう注記しておきたいことがある。ダニエル・グリーンバーグ氏は、「サドベリー」を「ポスト産業期」(あるいは「ポスト産業社会」、「ポスト・モダン」)の学校であると位置づけているが、この「ポスト産業期」は、全世界の「コモン」を囲い込んで収奪し、再植民地化を進めようとする、現在進行中の、ネオ・リベラリズムによる激烈な「グローバル産業化」の意味するものではない。水や空気さえ商品化する、「産業化」の暴走・暴虐を肯定しているものではない。あらゆる個人に「価値あるアイテム(これには、たとえばアイデアも含まれる)」を創造し、自分で「マネー」を発行する可能性が芽生えた「供給主導」型の時代(社会)――それがグリーンバーグ氏の言う(すでに訪れてはいるが、まだ顕在化し切っていない)「ポスト・モダン」である。
 そこは、グリーンバーグ氏が厳しく指摘しているように、「政府」をはじめ、「計画的な盗賊行為を企む」者や、「まるで自分たちの法則に従って動いているような『財政・金融世界』が存在しない」場所だ。それは、ネオリベが僭称・簒奪する「グローバリズム」とは次元の異なった新世界を指すコンセプトである〉

 さて最後に私が二〇〇〇年に「サドベリー」を訪ねた時のエピソードをひとつ、紹介して、「訳者あとがき」を終えることにしよう。

 グリーンバーグ氏が実に愉快そうに、つい最近交わしたという、あるブラジル人企業経営者とのメールでのやりとりを、私に教えてくれたのだ。

 サンパウロの船舶用ポンプなどの世界的なメーカー、Semcoのリカルド・センプラー(Ricardo Sempler)氏からのメールが「サドベリー」に届いたのだそうだ。「あの有名なセンプラー氏のことだな」と直観したグリーンバーグ氏は、返事にこう書いたそうだ。

 「あなたは、あのマーベリック(異端児、一匹狼の意)ですよね。白状しなさい」と。

 なぜ、そう書き送ったかというと、センプラー氏が父親から引き継いだ会社組織を徹底したデモクラテッックな組織に改革し、経営的にも大成功したいきさつを英語で書いた本を、グリーンバーグ氏がたまたま読んで知っていたからだ。その本のタイトルが『マーベリック(Maverick)』(一九九三年、ワーナー・ブックス)だったからだ。

 上意下達のピラミッド型組織から、対等の人間関係に基づく同心円組織へ切り替え、組織を活性化させた「異端(?)の経営者」からのメールの返事はこうだった。

  「いえ、私はもうマーベリック(異端児)ではありません!」

  センプラー氏は、自分が改革した会社組織も、サドベリー同様、最早、異端の組織体ではなく、ごく当たり前のものになっているから、自分はもう異端児でもなんでもありませんよ、と言って来たのだ。

  一九六八年に始まった「サドベリー」は、近代産業社会の行き詰まりの中で、すでに異端ではなくなり、正統の主流を形成しつつある。

 子どもたちが生きて育つ時間と空間から、新しい世界が創造されて行く、教育による創世! 

 本書の出版に踏み切って下さった緑風出版社長の高須次郎氏に、ここであらためて敬意を表し、「訳者あとがき」とします。

 

                  二〇一〇年八月  仙台で
                           訳者 大沼 安史

Posted by 大沼安史 at 11:36 午前 サドベリー・バレー | | トラックバック (0)

2010-09-11

〔いんさいど 日本〕 学校・教師・アウシュヴィッツ

 「この裁判で学校が変わってほしい!」――自死した新任の女教師の遺族が、そう訴える裁判が静岡で続いている。

 死んだ娘の死を無駄にしてほしくはない。「学校」のあり方を真正面から考える契機にしてほしい。

 そんな裁判が静岡で続いている。

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 2004年の4月の新学期。静岡県磐田市立の小学校に、ピカピカの新人で着任した木村百合子さんは、(おそらくは、すぐさま)「困難な状況」に直面した。
 そこは (おそらく、ごくありふれた)荒れた学級だった。

 百合子さんは当時の管理職から、「おまえの授業が悪いから荒れる」「アルバイトじゃないんだぞ」「問題ばかりおこしやがって」などと責め立てられた。

 百合子さんは、「本当に必死な毎日」「必死にならなければ毎日を過ごせない状態」(百合子さんの日記より)と奮闘したが、半年後の9月、追い詰められ、欝で自ら命を絶った。24歳だった。

 遺族が公務認定を求めて裁判をしている。その第11回公判が、この9日、静岡地裁であった。⇒ http://www.labornetjp.org/news/2010/0909hokoku/

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 この裁判の経過を追って、私なりにたどり着いた先は…………またしても、日本の「学校」の、「アウシュヴィッツ」化した、惨憺たる状況に対する憤りだった。

 またしても日本の「学校」は、果たしてほんとうに「学校」なのか、という根底的な疑問が湧いたのだ。

 なぜ、(そんなにも)「極端な見方」(こう思われる方は、このブログの読者の方にも多いはずだ)を、私はするのか?

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 私は鬱病にかかり自死なされた百合子先生は、「アウシュヴィッツ」的な言い方をすれば、あの「Kapo(カポ)」になれなかった――なり切れなかった、理想を持った教師だった、と思う。

 「カポ」とは何か?

 収容所、つまり「学校」の管理の第一線に就く、抑圧者集団を指す。

 アウシュヴィッツであれば、ユダヤ人収容者に対する、管理・弾圧の最前線に立った、同じ被抑圧者の、あのユダヤ人管理者のことである。

 百合子さんはきっと、子どもたちを「管理」仕切れなかったのだ(いや、子どもたちを管理したくなかったのだ)。子どもたちを「調教」できなかったのだ(いや、きっと調教したくなかったのだ)。

 だから、きっと、子どもたちに対して、プロ教師的な威圧的な態度をとり切れなったかった!
 
 「学校アウシュヴィッツのカポ」になれなかった!

 子どもはある意味で大人以上に現実的だから、そんな百合子先生の人間味を「弱さ」と思い込み、百合子先生の指示に従わなかったのではないか?(もちろん、これは単なる憶測である。真相は分からない……)

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 アウシュヴィッツを生き抜いた、エリ・ヴィーゼルは、体験記の『夜』に、あの悪名高き、メンゲル医師による「選別」の場面を書いている。

 メンゲルの前を、ユダヤ人たちは走らさせられるのだ。走りっぷりを見たメンゲルが、その人間の「番号」を記したら、一巻の終わり、ガス室に送られる。

 最初にメンゲルの前を走るのは、現場の管理者である「カポ」たちだ。ナチスの手先のカポたちは、それなりに待遇されているから、栄養状態がいい。だから、走れる(管理できる)! メンゲルにガス室送りされるものはいない。

 しかし、エリ・ヴィーゼルら、アウシュヴィッツのふつうの「生徒」とも言うべき、収容者は違うのだ。

 頬っぺたを叩いて、血色のいいように見せ掛け、メンゲルの前を、必死になって駆け抜ける…………

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 私が危惧しているのは、ヒトラーの「国民学校(フォルクス・シューレ)」をサル真似し、敗戦後もそのまま「民主主義」の「皮」をかぶって生き延びた、いまの文科省による統制教育が、現場の教師に「カポ」の役割を強制し、子どもたちのナチュラルな学びを窒息させている(「ガス室」送りしている)のではないか、ということである。

 百合子先生はたぶん「カポ」になれなかった…………いや、なりたくなかった。教師でありたかったのだ。

 だから、「自死」に行き着かざるを得なかったのではないか。

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 「労災認定」のかたちととったこの裁判は、日本の国家教育のファッショ性を問う裁判でもある。

 この裁判に、負けてはならない。

 私が思うに、この裁判の行方を、ほかの誰よりも、心を痛めながら、ひそかに見守っているのは、百合子先生が担任した子どもたちに違いない。

 子どもたちはたぶん、百合子先生が亡くなったあと、分かったはずだ。

 百合子先生こそ、自分たちに、きちんと向き合おうとした教師であることを分かったはずだ。 

 責任を感じているはずだ。感謝しているはずだ。

 その意味では、子どもたちもまた被害者である……。

 +++++

 百合子先生が担任した子どもたちは何人だっか、は知らない。しかし、その子どもたち全員のふたつの「瞳」を輝かすことができなかったのは、百合子先生の責任ではないだろう。

 新任教員が着任半年で自死するような制度を運営する者こそ、責任を取らねばならない者たちだ。

 「静岡」が、管理統制の「大分」であるのは、ひとえに文科省の責任である。

Posted by 大沼安史 at 07:12 午後 いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-09-08

〔NEWS〕 世界大学ランキング トップはケンブリッジ アジアNO1は香港大学 東大を抜く 

 
 2010QS世界大学ランキングが発表された。
⇒ http://www.topuniversities.com/university-rankings/world-university-rankings/2010/results

 アジア勢では香港大学(2009年24位⇒2010年23位)が、日本の東大(22位⇒24位)を抜いてトップに立った。

 九州(155位⇒153位)、筑波(174位⇒172位)が上昇、京都(25位⇒25位)は横ばい、大阪(43位⇒49位)、東工大(55位⇒60位)、名古屋(92位⇒91位)、東北(97位⇒102位)、北海道(171位⇒175位)が順位を下げている。

 

Posted by 大沼安史 at 09:45 午前 NEWS | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 「全国学力テスト」を再開し、「沖縄戦・集団自決・教科書検閲問題」が発覚した、あの安倍晋三政権下の「2007年」……日本の公的教育支出は「世界」最低だった! サイテー! サイアク そう、韓国以下!

 2007年の日本の公的教育支出(対GDP比)は、世界の主要国28ヵ国中、28位だったことが、OECDの調査で確認された。

 「世界最低の国」日本! チョー・サイテー!

 毎日新聞(電子版) ⇒ http://mainichi.jp/life/edu/news/20100908ddm002100105000c.html

 05年が最下位、06年ワースト2、そしてまたも、最下位。

 ところで、サイテーの「2007年」とはどんな年だか振り返ると、
 ★ 防衛庁が防衛省に昇格!

 ★ 憲法改正へ向け国民投票法 可決!

 ★ 前年の9月発足の安倍晋三政権がこの年の9月26日に失速・退陣!

 ★ 全国学力テスト、43年ぶりに全員調査で実施!

 ★ 高校教科書 沖縄・集団自決問題の検定意見問題が社会問題化!

 ウィキ 年表 ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/2007%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2

  http://ja.wikipedia.org/wiki/2007%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB

 かわいそうな日本の子どもたち!

 かわいそうな、子どもを持った、ビンボーな日本の家族!

 そういえば、この年、「教育再生」がしきりに叫ばれていたっけ!…………

 
 OECD 発表データ 
  ⇒ http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/education/20100907eag.pdf

 ● 主要国における公財政教育支出の対 GDP 比
(%) 全教育段階 初中等  高等
日本     3.4        2.5   0.6
OECD 平均5.2        3.5   1.2
米国     5.3        3.7   1.2
英国     5.4        4.1   0.9
フランス 5.6        3.7   1.2
ドイツ   4.5        2.9   1.1
カナダ   4.9        3.1   1.8
イタリア 4.3        3.1   0.8
ロシア   6.1        3.4   1.0
韓国     4.2        3.1   0.6

 

Posted by 大沼安史 at 07:08 午前 NEWS | | トラックバック (0)

2010-09-07

〔いんさいど世界〕 中3いじめ自死……「遺書」と「リーフレット」

  「中学3年生」といえば、日本の基礎教育の「完成年度」である。この最終学年で、小・中「9年」間の「義務教育」が完了。年明け3月の卒業式では「日の丸」を仰ぎ、「君が代」を歌って、輝かしい未来に向けて巣立って行く(…………ことになっている)

 日本の文科省による「統制・管理教育」の「学年」は――4月にはじまり、3月に終わる「学年」は、こうして毎年、過ぎて行く。
 全国一斉、一糸乱れぬ、画一的な、整然たる姿で……。

 川崎市の「学年」も、こうして過ぎて行く(…………はずだった)。
 何事もなく(いや、何事も表面化せず)平穏無事に…………過ぎて行く(はずだった)。

 ひとりの男子生徒が死ぬまでは…………。

 ++++

 一学期の後半の6月7日、市立中学の中3男子が自宅で自殺した。

 「友人のいじめを救えなった」と、手書きの遺書を残していた。

 神奈川新聞(電子版)⇒ http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1006100005/

 友人も、自分も、いじめに遭っていた。
 遺書には、自身の生い立ちを振り返る内容や、両親への感謝の気持ちなども書かれていた。

 それから3ヵ月が過ぎた、今月(9月)4日、その学校の調査委員会が、「いじめ自殺」の調査報告書をまとめた。

 報告書は――同級生や保護者からの指摘を受けてもいじめを見抜けず、報告体制にも問題があった教員側の対応などを含めて「学校全体がいじめ状態にあった」――と結論づけた。
 神奈川新聞 ⇒ http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1009040035/

 「学校全体がいじめ状態にあった」……そういう「学校全体のいじめ状態」の中で、中3の男子が自殺した。

 友人を救えなかったことを悔いながら…………。

 これを受け、川崎市の教育委員会は翌々日の6日、「市立の小中学校、高校、特別支援学校の合計172校の校長らを集めた臨時合同校長会議を開いた」。

 神奈川新聞 ⇒ http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1009060045/

 今後、1ヵ月を「児童生徒指導点検強化月間」と「位置づけ」、「教育相談」や「教職員研修」などを「実施」し、「いじめ問題の適切な対応方法などを示したリーフレットを全教職員に配布」して、「再発防止」に向けた取り組みを進める――そうだ。

 ++++

 川崎市の教育委員会は恥を知るがよい。

 「学校全体をいじめ状態」にし、一人の男子を死に追いやった、君たち、教育委員会の指導監督責任は、どうなったのだ?

 「リーフレット」を配る?……
 そこに君たちは、またも「人命の尊さを思い……」などといった、空疎な文字を――それも「活字」で並べ立てるつもりなのか?

 そうして「再発防止」に向けた取り組みの中で、「学年」をやり過ごしてしまうつもりなのか?

 「友人を救えなかった」男子が命を絶ったのは、学校の運営者である君たち教育委員会の責任である。

 君たちがこれからも「教育者」を名乗り続けるのであれば、「友人を救えなかった」男子を「救えなかった」――いや、「救わなかった」責任を、真正面から引き受けるところから始めるべきだろう。

 今後1ヵ月間にわたって「点検強化」すべきは、君たちのモラルであり、君たちの教育者としての姿勢である。

 問題は「再発防止」ではない。問題は、それを起こしてしまった、ことだ。取り返しのつかないことを起こしてしまったことだ。

 中3の手書きの「遺書」は、君たち教育者=教育官僚に対する、若い命の最期に綴った、抗議のメッセージをあることも、忘れてはいけない。

 その子が苦しみながら生き続け、ついに離脱して行った「学年」の「生き地獄」を管理・運営して来たのは、君たちなのだから。
  

Posted by 大沼安史 at 03:57 午後 いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-09-05

〔いんさいど世界〕 学校・いじめ・アウシュヴィッツ 

 英紙インディペンデント(電子版)に、同紙の教育記者、ポール・ヴァレリー(Paul Vallely )氏による、アウシュヴィッツ訪問記が掲載されていた。
 英国の教師グループに同行し、アウシュヴィッツとは何なのか、その恐ろしさを、子どもたちにどうしたら伝えることができるか――をともに考えたルポルタージュだった。
 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/europe/tough-lessons-how-teachers-are-seeking-answers-at-auschwitz-2067788.html

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 ヴァレリー記者のルポを読んで、3つのことが心に浮かんだ。その3つがひとつになって…………これはもう何としても、一刻も早く解決策を見つけ出すべき、重い課題となって、心に迫って来た。

 ひとつは、「アウシュヴィッツ」と日本の学校での「いじめ」の関連。

 もうひとつは「アウシュヴィッツ」と日本の「学校」の相似。

 そして最後に、「アウシュヴィッツ」的な日本の教育状況を、どう超えて行くかという最重要な問題――。

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 順を追って見ることにしよう。まずは「いじめ」との関連から。

 アウシュヴィッツの現場で、一緒に旅した英国人女性教師(倫理科担当)が、ポール・ヴァレリー記者に、自分は学校でどんなふうにホロコースト問題を教えているか、こう説明してくれたそうだ。

 女教師は「どうしてそんなひどいことを?」「止める人はいなかったの?」と疑問をぶつけてくる生徒たちに、逆にこんな質問を返すのだそうだ。「あななたち、いじめがあるって知ってるでしょ。あなたたち、その時、どうした?」と。

 ヴァレリー記者のルポ記事のこの箇所が、私の心にひっ掛かったのは、最近の日本の学校での、無残というほかない、「いじめ自殺」の多発が頭にあったからだ。

 「いじめられた友人を守れなかった」と遺書を残して死んだ川崎市の中3男子。「いじめられていたらしい」大阪・高槻の小3の女の子の自死。始業式の日にマンションから飛び降りて死んだ、東京・昭島市の中1女子…………

 ユダヤ人を駆り立て、アウシュヴィッツに追い込んだ、ふつうのドイツ人たちと、級友を自殺に追いやった、日本のふつうの児童生徒たちと――。
 そこに、何らかの類似性があるような気がして、胸が痛んだ。

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 第二の問題――「アウシュヴィッツ」と日本の「学校」の相似を思い浮かべたのは、ヴァレリー記者の、ナチス権力による「ホロコースト」遂行の徹底した中央管理、効率性の追求の指摘に触発されてのことだ。

 その指摘のせいで、「死の工場」(アウシュヴィッツ)と「教育工場」(日本の「学校」)との間に、どれだけの本質的な「違い」が、決定的な「断絶」があるのか、わけがわからなくなってしまった。

 ベルトコンベアー式の徹底した集団管理。そして個の分断。
 「生き残り」への駆り立て。自然な、生の(成長)欲求の破壊。ストレス、そして憎悪。

 アリス・ミラーによれば、ナチス・ドイツが生れた背景には、産業社会の期待に応えるべく出現・定式化された、子どもを徹底して調教・管理・抑圧する(暴力も行使しながら……。ヒトラーも父親に死ぬ目に遭わされた……)、あのシュレーバー流の「暗黒教育(あるいは闇の教育) Schwarze Pädagogik 」があったとされるが、現代の日本の「学校」も、子どもを徹底管理し、自由な学びを(そして遊びを)まったくもって認めないという点で、アウシュヴィッツを産み出したものと、相似しているのではないか?…………

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 (こう考えることは、もちろん、とても辛いことだけだど)私たちが、この「相似」と向き合う勇気を持ちさえすれば、「いじめ地獄」が蔓延する、日本の学校にも、それを乗り越えて行く方向性が生れる――これが、ヴァレリー記者のルポを読んで、私が覚えた、3つ目の感想である。
 
 「学校」から、「アウシュヴィッツ的なもの」に、もしかしたらなりかねないものを一掃する。管理と統制で子どもたちの生を窒息させているものを除去して行く…………

 子どもを選別の対象とするのではなく、子どもの生に敬意を表し、その生の実現を支援して行く…………

 これに今、踏み切らないでどうする?

 誰が?――――

 日本の「学校教育」を縛り上げて来たのは、文科省の中央統制だから、ヴァレリー記者が紹介していた、あの、倫理科の女教師の問いかけ――「あなたたち、助けたこと、あるの?」は、この国ではまずもって、政府の教育行政当局に投げかけられるべきものであるだろう。 

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 ポール・ヴァレリー記者のルポ記事には、「アウシュビィッツ」へ続く鉄路の写真が添えられていた。

 その線路の上を、英文学を専攻していたパリ・ソルボンヌ大学のユダヤ人女子学生、エレーヌ・ベールさんも、貨車で通過したのだ。

 『エレーヌ・ベールの日記』(飛幡祐規訳、岩波書店)によれば、それは「1944年3月8日」のこと。

 エレーヌさんはこのアウシュヴィッツから、さらにベルゲン・ベルゲン収容所に移送され、そこで非業の死を遂げることになる(ベルゲン・ベルゲンには、当時、あのアンネ・フランクもいた!)が、いったいどんな思いで、あの「労働は自由をつくる」の「欺瞞の門」をくぐり抜けたことだろう?

 エレーヌさんも、もっともっと、学びたかったのだ!

 自死した日本の子どもたちも、「学校」が言うのとは違った自分の学びを、ほんとうは、きっと、もっともっと学びたかったことだろう。

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  エレーヌ・ベールさんの「日記」は、「1942年4月7日」に始まる。

 あの大家のポール・ヴァレリー(Paul Valéry)のパリの居宅に押しかけ、その著書に「献辞」を書いてもらったのだ。

 それからわずか2年後、ナチスに殺される女子大生のために、老詩人は本の見返しに、こう書いた。

  目覚めに なんと優しい光、そしてこの生き生きとしたブルーの なんという美しさ

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 日本の子どもたちからも、朝の平和な目覚めを奪ってはならない。
 

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