〔コラム 夢の一枝〕 「北のミカド・東武天皇」はなぜ“消された”か?――もうひとつの「歴史教科書」問題
幕末、「御一新」のあの時代に、天皇が「2人」いたということを――明治天皇とは別に「東武天皇」というお方がおられたことを――そして、そのことが当時のニューヨーク・タイムズで報道されていたことを、どれだけの方がご存知だろう?
少なくとも、戦後に生まれ、「新しい戦後歴史教育」を受けて育った僕(現在60歳)は、45歳になるまで知らなかった。聞いたこともなかった。
「東武天皇」が、奥羽列藩同盟(幕末の北日本政府)によって「擁立」されていたことを、その中心である仙台で生まれ育っていながら、僕は何ひとつ知らずに、「昭和」を生きていたわけだ。
新聞社の論説委員を辞め、仙台に帰郷し、一人の郷土史家に会うまでは。
仙台郷土史研究会の副会長をされていた、逸見英夫氏とお会いしたのは、たしか1997年の夏だった。
逸見氏のまるで図書館のような事務所で、私は「東武天皇」のことを初めて知り、驚いたのだった。
僕は長いこと新聞記者をしていたから、特に面白い話は疑ってかかる癖がついており、ここでも逸見氏に、証拠はあるんですか、と迫った。
その時、逸見氏が僕に示したもの――それがマイクロフィルムから起した、1968年(明治元年)10月18日付のニューヨーク・タイムズ。
JAPAN:Northern Choice of a New Mikado(北部日本、新しいミカドを選ぶ)という記事だった。。
僕はせっかく仙台に帰郷したのに(逸見氏とも知り合ったのに)、その後、誘いがあって上京、教員生活を続けた後、今春、再び仙台に舞い戻ったのだが、つい先日、奥羽列藩同盟の立役者である玉虫左太夫の事績を調べているうち、仙台市教育委員会が制作し郷土史の視聴覚資料をチェックしていて驚いた――というより、ある事実に気づかされた。
戊辰戦争を扱ったその視聴覚教材は、これが「錦の御旗」だと言って、大きな菊の御紋が入った、いかにも堂々とした薄緑色の旗(らしきもの)を画面で紹介し、「官軍」の正統性を強調していたのである。とりあえず、間に合わせでつかった「西陣織」ではなく、いかにも、それらしい四角い緑の布に、天皇家の御紋を付けて、これがそうだと画面に登場させていたのだ。
もちろん、「東武天皇」のことも「延寿」という元号のことも、一切合財、何も触れていない郷土の歴史学習の教材だった。幕末・北日本政権の拠点だった仙台市の――仙台の子どもたちが学ぶ、これが歴史の真実を伝える教材だった!
僕はこの教材を見て、遅まきながら、自分の「無知」の原因に気づかされたのだ。「賊軍」としての仙台藩、奥羽列藩同盟――。明治以降、昭和になってからも、「聖戦」が終わってからも、この「朝敵史観」は、学校教育を通じ、仙台においても、子どもたちの中に「史実」として一貫して吹き込まれていたことに。
だから僕もまた、「東武天皇」のトの字も知らずにいたのだ。「明治天皇」の「官軍」に盾突いた「逆賊」の末裔だという「思い込み」に囚われていたのである。
僕は、この「東武天皇」が日本の近現代史から“消された”問題は、しっかり検証されねばならない大問題だと思う。
この国の「歴史教育」の問題とは、「神国・日本」によるアジア侵略、「沖縄」だけではないのである。
「靖国神社」は、戊辰戦争の「賊軍」戦死者を「排除」している。つまり、「靖国」とは「官軍」(そしてその後継である皇軍)の神社であるのだ。
米国は「南北戦争」の後、南北和解を果たしたが、日本では幕末Civil War=戊辰戦争後、「勝てば官軍」の独裁・強権政治を続行、その勢いで遂にはアジアを侵略し、「敗戦」に至ったのではないか?
そのいわば原点にあった、「錦の御旗」の「官軍」の神話づくりのための、史実の抹消……。
「国史」の都合上、完全に抹消されてしまった「東武天皇」!
前述のニューヨーク・タイムズの記事の書き出しはこうである。(逸見英夫氏訳)
「日本の政治でもっとも重要なニュースは、新しいミカドの擁立である。これは日本の北部における内乱、あるいは将軍家の内紛によってもたらされた。新しいミカドは大兄宮(おおえのみや)といい、高僧のひとりである。この動きによって、いまや日本にはふたりのミカドが存在する事態になった。従来のミカドは依然として南部で権力を保持している」
長州(山口)の教育委員会はともかく、仙台市(及び宮城県)の教育委員会はこの問題を本格的に検証し、史実として確定できたら歴史教育の教材として使い、文科省に対しは歴史教科書の書き換え(あるいはせめて「説」としての付記)を要求すべきである。
Posted by 大沼安史 at 03:35 午後 コラム・夢の一枝 | Permalink | トラックバック (1)