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2006-10-15

【学びのナチュラル 〈その1〉】  ジョン・ホルトとニイル  雨の日の出来事

その日は、荒れ模様の天気だった。

子どもたちは寄宿舎の部屋に閉じこもり、老いたA・S・ニイルは、おかげで坐骨神経痛が痛んで来た、とこぼした。

ジョン・ホルトが訪ねた、英国スコットランドのサマーヒル校。

ニイルの開いたフリースクールはその日、嵐のような悪天候のもと、ひっそり息づいていた。

ニイルの部屋でのふたりの対話は、誰に邪魔されることもなく、しばらく続いた。

そこでどんな会話が交わされたか、ジョン・ホルトは何も残していない。たぶん、自由教育をめぐる質疑と応答があったであろうことは想像できるが、対話の記録はどこにもない。ジョン・ホルト自身、「長い時間、興味の持てる話し合いをした」と記しているだけだ。[]

話し合いも終わり、そろそろ退去しようと立ち上がりかけたジョン・ホルトを、ニイルは「もうちょっといてくれ」と手で制した。

椅子に座り直してあれこれ話をしているうち、午後の三時ごろになって、ニイルの義理の兄弟のひとりが部屋に入って来た。テレビで、スコットランドとイングランドのラグビーの試合がある。観たいけど、構わないか、ということだった。

結局、三人でラグビーをテレビ観戦することになった。

ニイルとの対話について何も書き残していないのに、そのラグビー観戦のことを、なぜかジョン・ホルトはかなり詳しく書いている。

「ニイルはわたしに、ラグビーのこと、知っているか、と聞いた。何も、と答えると、わたしもそうだ、とニイルは言った。わたしたちはテレビに向かった。観戦して二分も経たないうちに、わたしはパニックのような混乱に陥っている自分に気づいた。それはわたしがあの機織の道具を目の前にしたときと同じ感覚だった」

ここでいう機織の道具とは、ジョン・ホルトが以前、友人に誘われ、米国メーン州のある学校を訪ねたとき、初めて目にしたものだ。[]

使い方のわからない機織器、操作法を知らない手動の織機。

動かし方の説明を受けたとき、なぜか感じ始めた不安。防衛本能のような不安……。

途方に暮れたそのときの感覚が、テレビのラグビーの試合を観ながら甦って来たのだ。

ルールを知らない自分に対する苛立ち、焦り、不安。わたしは教師であるのに……。

ジョン・ホルトはこう続ける。

「ラグビーは初心者には理解しにくい難しいゲームだ。サッカーとアメフトが変に一緒になっていて、片方のルールを知っていても、誤解するのがおちだ。そんな試合を観るわたしの頭のなかで、例の〈教師の声〉が響き始めた。『あの選手はなぜそうしたの?』『なぜ、あそこにボールを置いたのか?』『なんであんな風に走っているのか?』等など。が、わたしには何も答えられない」

「それから数分後、わたしは気づいた。これは機織器を前にしたあの状況の再現であると。わたしにはゲームを推理するだけの知識がなかった。だから、質問することも無駄だった。ニイルも答えられない。ニイルの義理の兄弟も無口だし、何より、わたし自身がどう質問していいかわからない。唯一、わたしにできること、それは質問を打ち切り、自分の目でそのものを見ることだった。そう、子どもたちがそうしているように。とにかく、すべてを摂り込んでいく。すべてものに目を向ける。そして気に病まない。これが、わたしがその時、したことだった。わたしの内なる(教師の)声が文句を言い出すたびに、わたしはそれを黙らせた」

ジョン・ホルトはここで、一方で、頭のなかで質問を発しようとする〈内なる教師の声〉を抑え込み、他方、「すべてを摂り込み、すべてに目を向け、くよくよしない」子どもの目で、一見、不可解なゲームを見守ろうとしたのだった。

見守り続けてどうなったか?

「(前半が終了し)ハーフタイムになっても、わたしは試合開始時と同じくらい、わけがわからなかった。フィールドで起きたすべてがわたしを驚かせていた。ハーフタイムにアナンサーたちが、前半のプレーを解説していた。何を言っているのか、まったくわからなかった。わたしは、こどもたちが大人の会話に耳を澄ますように、わけもわからないのに、それがどんな意味なのか気にもしないで、あらゆる言葉を摂り込んでいた。間もなく後半がスタートした。前半開始時と同じく、わけのわからないままに……。後半十分が建ったときのことだった。ラグビーというゲームのさまざまなパターン(型)が、落ち着くべきところへ、すーっと嵌り込んだのである。あの機織器と同様、ラグビーはわたしの心になかでかたちをとりはじめたのだ。わたしは突然、選手たちがしていることを理解している自分に気づいた。選手たちが次に何をしようとしているのか、わたしはすでにわかっていた。アナンサーたちの言う『いいプレー』がなぜ、いいプレーなのか、ミスはなぜ事実としてミスなのか、もうわたしにはわかっていたのである。もちろん、わたしがまだ知らないことも多かった。ゲームやルール、ペナルティーの詳細を理解してはいなかった。しかし、わたしはいまや、自分から質問できるだけのことを知っていたのである。答えを聞いても、それがどういうことなのか理解できるだけ、すでにわかっていたのである」

ニイルのかたわらで、ラグビーというものを、子どものような目で、自から学びとっていったジョン・ホルト。

このサマーヒルでの体験は、ジョン・ホルトにとって忘れられない記憶となって生涯、消えずにあったものだろう。

〈教師の声〉が掻き立てる不安をやり過ごし、対象に正面から迫って、まるごと摂取していく、子どもたちの本来的な学び。それをジョン・ホルトは、ほかならぬサマーヒルの一室において、それもニイルのそばで体験し、体得したのである。

PS ジョン・ホルトをめぐる断章を、こんご随意、掲載します。


[] HCL(How Cildren Learn) p282~283

[] HCL p273

Posted by 大沼安史 at 07:31 午後 |

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