2009-06-12

〔NEWS〕 アメリカの公立高校トップ100 うち17校がチャータースクール

 米誌「ニューズ・ウイーク」(電子版)は6月4日、米国の公立高校・トップ1500を発表したが、中でも成果を収めているトップ100校中、17校がチャータースクールであることが分かった。

 チャータースクール組織、全米公立チャータースクール連盟が報じた。

 米国の公立ハイスクールにおけるチャータースクールの構成比は5・5%。

 トップ100校に占める割合は、それを多く上回った。

  

⇒  http://www.publiccharters.org/node/960

  http://www.newsweek.com/id/201160

Posted by 大沼安史 at 11:11 午後 チャータースクール | | トラックバック (0)

2009-02-25

〔NEWS〕 オバマ大統領 一般教書演説 「チャータースクールを拡大する」

 オバマ米大統領は一般教書演説で、公教育の改革問題に触れ、「われわれはチャータースクールへの関与を拡大する(And we will expand our commitment to charter schools.)」と言明した。

 オバマ新政権の教育政策の全容は、近々、ダンカン教育長官によって明らかにされるとみられるが、シカゴの教育長を務めた同長官は、教員組合にも理解を示しながら、公教育の官僚主義に批判的なスタンスをとった人物だ。

 オバマ大統領の今回の教書演説は、ダンカン長官との「合意」の下で行われたはず。
 ということは即ち、オバマ政権の教育政策は、ブッシュ政権の下で進んだ、「テスト至上主義の新自由主義教育政策」とは一線を画した、反統制主義の「公教育リニューアル」路線を辿ることになりそうだ。

 〔大沼・注〕 日本では「チャータースクール」の一側面をとらえて「新自由主義だ」と囃し立て、戦前教育を踏襲する、「統制教育」の擁護者としての役割を十二分に発揮している「お方」が多い。

 日本の「統制教育」の実態がどのようなものか、「大分」の例をみれば分かるはずだ。

 「学力少国民」の大量生産!……

 「チャータースクール」は、アメリカの北欧、ミネソタの市民運動の中から生まれたものであることを忘れてはならない。

⇒  http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-of-President-Barack-Obama-Address-to-Joint-Session-of-Congress/

Posted by 大沼安史 at 09:34 午後 チャータースクール | | トラックバック (0)

2008-10-28

〔NEWS〕 環境チャータースクールが初の全米会議 「川の学校」もあるそうだ!

 環境教育を進めるチャータースクールによる初の全米会議が11月7日から3日間の日程で、ウィスコンシン州マディソンで開かれる。

 ウィスコンシン大学の環境教育研究所が「グリーンCSネットワーク」と共催する。

 この「グリーンCSネット」のサイトを覗いたら、ウィスコンシン州内の環境CS3校による小さな組織とわかった。

 そのうちの1校、「ウィスコンシン・リバー・アカデミー」のHPを見て、こういう学校っていいな、としみじみ思った。

 ウィスコンシン川を舞台に、アウトドア学習を繰り広げているのである。
 川で漁をしたり、ボートを漕いだり。

 宮城県にだって、「阿武隈川アカデミー」をつくれるはず、とついつい思った。

 

⇒  http://www.greencharterschools.org/partnersites.htm

 http://www.wisconsinriveracademy.org/

Posted by 大沼安史 at 10:42 午後 チャータースクール | | トラックバック (0)

2008-05-01

〔コラム 夢の一枝〕 「コペンハーゲン合意」

 1984年5月、わたしはニューヨーク・マンハッタンの安宿を根城に、1ヵ月、この街を歩いた。週決め料金の安宿のロビーには、いつも登山靴をはいた白人の娼婦がいて、そのうち挨拶を交わすようになった。

 運動靴を履いたわたしは1ヵ月

 1984年5月、わたしはニューヨーク・マンハッタンの安宿を根城に、1ヵ月、この街を歩いた。週決め料金の安宿のロビーには、いつも登山靴をはいた白人の娼婦がいて、そのうち挨拶を交わすようになった。

 運動靴を履いたわたしは1ヵ月間、ニューヨークの下町を歩き回った。ウェストサイドの公立オルタナティブ校、「ドーム・プロジェクト」、イースト・ハーレムの第4学区(SD4)の新しい公立学校の群れ……。

 そんなある日、コロンビア大学の近くに行ったので、キャンパスを覗いてみようと思って立ち寄ったところ、セキュリテー・ガードに構内立ち入りを阻まれた。
 コロンビア大学の卒業式の日だった。

                 ◇

 アメリカの改革者、バラク・オバマの自伝を読んで、次の大統領になろうとする彼が、その年、コロンビア大学を卒業したことを知り、少し変な気がした。
 あの日、オバマは、コロンビア大学の卒業式に出ていた(はず)! それもイースト・ハレームの外れの、自宅アパートから出て!

 オバマとわたしはもちろん、会ったこともないが、イースト・ハーレムに通い込んだわたしとしては、勝手な親近感を感じざるを得ない。

 「2項対立」の不毛を「コモン」(共通項)を足場に乗り越えようとするオバマは、あの、「イースト・ハレームの奇跡」を身近に感じて(知って)、学生時代を過ごした男なのだ。

                 ◇

 ニューヨーク第4学区(SD4)、イースト・ハーレム。この学区で1970年代の終わりから、どんな学校改革が行われたか、は今さら言うまでもなかろう。

 ニューヨークの公立学校の教師の誰もが転勤したがらないこのスラムで、そこに踏ん張る教師たちが、さまざまなタイプの新しい公立学校群を産み出したことは、アメリカの教育史に燦然として残る、歴史的な偉業である。

 中でも有名なのは、デボラ・マイヤー女史が創設したCPE(セントラル・パーク・イースト)。

 そのほか、演劇学校、海洋学校、理数学校など、さまざまな公立校が、新校舎のいらない「学校内学校」形式でどんどん開校し、文字通り、百花繚乱の季節を迎えていた。

                 ◇

 このイースト・ハーレム、SD4のように、公教育システムそのものが、官僚制の統制・画一主義を打破し、教師たちのイニシアチブで、多様な、新しい公立学校群が生まれるのは、たしかにひとつの理想ではある。

 が、公教育の官僚制が、それを認めようとしないのは、アメリカにおいても、アメリカでなくても、フツーのことである。統制&支配……新たな学校の創出を、公教育に巣食うエデュクラシー(教育官僚制)は、阻もうとする。

 教育官僚制と化した公教育が、新規参入を認めない惰性態と成り果てているのだ。

                 ◇

 そういう硬直化した教育官僚制の統制に対し、公教育の枠組みの中で、どのようにして、フレッシュな新しい、公的な学びの場を生み出していくか?……そんな問題意識の中で生まれたのが、アメリカの「チャータースクール」である。

 生徒1人あたり、公校教育費の7割ほどを交付する「チャータースクール」とは、公立学校の教師集団により、ニューヨークのスラム学区、SD4で生まれた、子どもたちのための新しい公立学校群を、SD4のような奇跡の学区ではない、フツーの学区で創設する仕組みを指す。

                 ◇

 その「チャータースクール」に対して、日本の「進歩主義者」たちから悪罵が浴びせかけられているのは、残念かつ淋しい限りのことである。

 公教育の破壊、市場原理の導入、公教育を圧殺する「ネオリベラリズム」による総攻撃……

 ならば、彼らに、こう問うてみたい。

 過疎化して統廃合され、廃校が決まった地域の公立校を、チャータースクールとして守り抜こうとしている、ミネソタのド田舎の元公立学校教師集団は、「ネオリベ」なのか?

 自分たちで「学校共同組合」を創り、チャータースクールという、もう一つの公立学校群を生み出し、自ら運営している教師たちは、「市場原理主義者」なのか?

                 ◇

 あきれ果て、開いた口がふさがらなかったことがある。

 「チャータースクール」を、「階層化ですよ(笑い)」と嘲笑った(としか、わたしには思えなかった……)、ある日本の高名な教育学者が、その一方で、CPEのデボラ・マイヤーがマサチューセッツで始めた学校のことを、これこそ「学びの共同体」と称賛していたことだ。

 マイヤー女史が、マサチューセッツで開いた学校がチャータースクールであることを、知ってから知らずか……。

                 ◇

 同じことは、「教育バウチャー」についても言える。

 「教育バウチャー」は、あの市場原理主義者、ミルトン・フリードマンが提唱したことだから、絶対に認めめらいない、という議論である。

 たしかに、フリードマンの議論は、バウチャーの全面導入による公教育の全面解体を促す(市場原理に曝す)もので、それに対しは強烈な反駁を加えなければならないが、だからと言って、フリードマンのクソ親父と一緒に、バウチャーの理念まで廃棄処分にしていいものではない。

 アメリカの大都市、ミルウォーキー、クリーブランドで導入されたバウチャーの推進者は、民主党の黒人女性・州議会議員であることを忘れてはならならないし、スウェーデンでの幼児教育バウチャーの実施例まで、「ネオリベ」の一言で、その意義を否定し去ってはならない。

                 ◇

 先日、米国の雑誌、「フォリーン・アフェアーズ」(2008年3・4月号)を読んでいて、日本の「ネオリベ」批判者たちに聞かせてやりたい一文に出くわした。

 ロバート・カトナー氏の「コペンハーゲン合意」なる論文である。

 この論文は、デンマークの雇用の「安全」と「柔軟性」を、二項対立として考えるのではなく、両立可能にしているデンマークの経済的な秘密((「フレセキュリティ」ー」=「フレキシビリティー」+「セキュリティー」)を検証したものだが、そこにこんな一節がある。

   (デンマークでは)私立校、宗教学校がその運営費の85%を政府からの補助金で得ることができる。アメリカでは、右翼によって推進されている「学校バウチャー」だが、デンマークでは  政府によって財政支援されている私立学校が、社会的な安全弁として左翼よって受け容れられている。(P82参照)

 カトナー氏はバウチャー的公的援助を、デンマークでは左翼が容認している、と驚いているのだ。これは経済を専門とする氏の「初めて知った」驚きだが、ついでに一言付け加えれば、アメリカでもバウチャー導入論は右派のみならず、左派からも出ているのである。

                 ◇

 横道に逸れかかった話を元に戻すと、もちろんわたしもまた、「ネオリベ」批判者の「善意」を疑うものではない。公教育を破壊してはならない、という彼らの主張に、わたしもまた大賛成である。

 が、問題は、守るべき・創るべき「公教育」のあり方なのだ。

 日本の文科省による「公教育」は、戦前から続く「国家教育」であり、「ファシズムの教育」である。

 それに対して、どんなレジスタンスで立ち向かい、どんな新しい教育の場を築いていくか……それがわたしたちに求められていることである。

                 ◇

 最後にもう一度言おう。

 日本の「ネオリベ」批判派は、たとえば世界がいま注目する「基礎所得(ベーシック・インカム)」について、どんな見解をお持ちなのか?

 「基礎所得」の分配は、フリードマン一派とは一線を画する、アメリカのエガリテアリアン(格差是正主義者)たちが求める「バウチャー」と、その本質においてどこが違うのか、と。

                 ◇

 昔、新聞記者をしていたころ、コペンハーゲンを訪ねたとき、デンマークの文部省からもらった英語のパンフレットに、「デンマークには、子どもしか資源がない」と書かれてあった。デンマークはだからこそ、教育を、子どもを大事にすると。

 そのデンマークについてキリスト者、内村鑑三は明治の末、ドイツとの戦いに敗れ、国の南部を失ったこの小国が、植林を通じて「己の国を改造」「さらに新たによき国を得た」ことを、日本は学ぶべきである、と講演で語った。(岩波文庫、『デンマルク国の話』)。

 そして、21世紀初めの今、そのデンマークを、経済破綻と社会崩壊の最中にある、アメリカの経済学者(カトナー氏)が、再生のモデルにしようと呼びかけている。 

                 ◇

 内村鑑三は上記講演の中で 日本の「軽重浮薄な経世家」を批判し、そんな「愚かなる智者」ばかりでは国を滅ぼしかねないと、述べているが、「ネオリベ」批判の「一つ覚え」で創造の芽を摘み取ることは、まさに亡国の大罪であろう。

 デボラ・マイヤー女史に見習い、日本の教育に、子どもたちが硫化水素で「集団自決」せず、自由に安心して学べる、多様な、希望のフレセキュリティーを! 

 不毛な嘲笑と悪罵の2項対立の平行線を超える、オバマ的「第三の道」の柔軟さを!

 日本の教育にも、柔軟(脱官僚主義)と安全(脱市場原理主義)が共存する「コペンハーゲン合意」が、この国の死活の問題として求められている。

  

                 ■ 

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Posted by 大沼安史 at 10:45 午後 | | トラックバック (0)

2008-04-29

〔コラム 夢の一枝〕 「わたげ」10年の歩み

 北海道の最東端は、根室の納沙布(ノサップ)岬だ。日本の最東端ではないが(銚子の犬吠崎が最東端に位置する)、日本の「最果て」の、少なくとも一つであることは確かである。

 最果て、納沙布の岬……そこが地の果てであることは、地理的であるよりも感覚的である。突堤のように突き出た半島が突然、そこで終わり、濃霧の海が断念を迫るように視界を閉ざす。

 1971年、新聞記者になり立てのわたしは、その根室で取材活動を始めた。
 その頃のことで今も忘れられないことがある。納沙布に続く一本道の沿道を、タンポポの黄色い前線が毎年、着実に、最果てを目指し、進んでいたことだ。

 タンポポ(西洋タンポポ)の綿毛が、車輪の巻き上げる風に乗って、一路、岬を目指していた。

                 ◇

 そんな納沙布のタンポポを思い出したのはほかでもない。仙台の「NPO法人わたげの会」が、10周年を迎え、会の理事長の秋田敦子さんが、小さな本を記念出版したからだ。
 秋田さんがこの10年の続けて来た、ふんわり、やわらかで、無理なく、しかも決然とした歩みに思いを馳せているうち、あの根室の道路沿いのタンポポの花が目に浮かんだからだ。

 本のタイトルは『わたげ・希望の種』、版元は、わたしたち(故・小池平和氏ら有志)が1997年2月に仙台に創設した出版社、「本の森」である。

                 ◇

 わたしが秋田敦子さんと初めてお会いしたのは、「本の森」を立ち上げた、その年の夏のことだ。

 秋田さんは当時、お寺の部屋を借り、お年寄りや障がい(秋田さんは、「障害」ではなく「障がい」と書く)を持った人たちの居場所を開いていて、わたしは一方通行の通りに面したその居場所を、車で訪ねたのだ。
 なかなか探し当てられないわたしのために、秋田さんは通りに出て来て、手を振ってくれた。白いブラウスが、昔の女学校の女学生のようで眩しかった。

                 ◇

 そんな秋田さんの居場所、「わたげ」に、「肩幅の広い、がっちりとした、体格の良い青年が、小柄な母親とともに」訪ねて来たのは、翌98年6月のことだ。

 「その外見とは裏腹に……表情が不安げだったことが今でも印象深い、その青年の出会いが、それから十年の私の人生を動かしていくとは、その時には想像もできなかった」と、秋田さんは書いている。

 お年寄りや障がいを持った人たちが、ふらっと遊びにゆける「わたげ」に、ひきこもりの若者や子どもたちも来るようになった。

                 ◇

 その2ヵ月後の同年8月、「わたげ」は広瀬川沿いの古い家を借りて、「フリースペースわたげ」として再出発する。その後、組織をNPO法人化して態勢を整え、これとは別に社会福祉法人「わたげ福祉会」をも発足させて、今では自前の施設を中心に、10歳から39歳まで200人が生活しながら進学や自立を目指す場となっている。

 就労訓練で蕎麦屋も直営している。「わたげ茶屋」……夜は居酒屋になる。全国から見学に来る人たちのための、宿泊施設もある。

 「わたげ」はいつの間にか、そこまで育っていた。

                 ◇

 「わたしたちの活動にはマニュアルも期限もありません」と、秋田さんは本の最初のところに書いている。

 時間の管理も、マニュアルによる管理も、「わたげ」にはないのである。

 じっくり時間をかけ、他者への信頼と、自分に対する自信が根付くのを、ふんわり、やわらかく、無理せずに自然体で待つ。

 そうして今年は3人が……登校拒否で勉強に背を向けていた3人の若者が、自分の意志で大学に進学したそうだ。

                 ◇

 秋田さんの本の巻頭に、あの有名な、エリュアールの詩、「自由」の一節が掲げられている。

 
             …………………………

            ひとつの言葉の力によって
             僕の人生は再び始まる
          僕は生まれたのは 君と知り合うため
             君を名ざすためだった

                自由、と

        (安藤元男訳、岩波文庫『フランス名詩選』より)

                 ◇

 大学を出て、新聞記者になったばかりのわたしは、根室という見知らぬ土地で、不安な社会人生活を始めていた。
 仙台に生まれ、仙台に育ったわたしは、根室にもタンポポが咲き、それが納沙布目指して歩みを止めないでいることに慰められ、勇気付けられたものだ。

 ふんわり、やわらかく、無理せず、決然と……

 わたしもまた、いま人生の岬へ向かう最後の旅の途上に立ち、「わたげ」で暮らす子どもたちや秋田敦子さんに見習って、自然体の、自由な「わたげ」として生きたいと切に思うものである。     

 ☆ 秋田敦子さんの本は、間もなく書店の店頭に並びます。本体1200円。四六版129頁。

   問い合わせは ⇒ 「本の森」 電話 022(712)4888
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Posted by 大沼安史 at 12:14 午前 コラム・夢の一枝 | | トラックバック (0)

2008-03-11

〔コラム 夢の一枝〕 子どもたちの「不幸」「不安」に向き合うこと

  南ア出身のアメリカの教育学者、バレリー・ポラコウさんに、「子ども期の崩壊」(The Erosion of Childhood)という本(邦訳名、「失われ行く子供期」(家政教育社、後半部分は拙訳)がある。子どもの人間的な成長にとって(あるいは社会の未来にとって)、かけがえのない「子ども期」が、いかに幼児教育の現場で侵食されているか実態を観察、考察を加えたものだ。

 ポラコウさんはブラジルの教育学者、故パウロ・フレイレが「学問上の娘」と呼んだ人だ。わたしはその彼女について学んだから、フレイレの「孫」になる。もちろん、「不肖の孫」であることは百も承知のことではあるが……。

 「学校教育」による「子ども期」の崩壊現象は、とくに1970年代になってから、子ども総体に及ぶ社会的な危機として、さまざま論者が指摘し、警鐘を鳴らして来た(ジョン・ホルト、ニイル・ポストマン等)。「好奇心」の破壊、教授への「恐怖・威嚇」の動員……などが、その内実である。

 アメリカにおける、いわゆる「脱学校」の運動、学校のラジカルな改革の動きは、こうした危機感を背景に湧き上がった。

 もちろん「学校」はおしなべて、自分たちは「教育者」であるとの「認識」「存在理由」に立ち、こうした批判に耳を傾けて来なかった。「子ども期の崩壊」を叫ぶ者に対しては、異端者として声高に非難して来たのである。

 つまり、60年代、70年代においてフリースクール運動が高揚したアメリカにおいてさえも、そうした批判意識の持ち主は極少数にとどまっていた。「子ども期の崩壊」などという問題意識は、学校関係者の間で、皆無に等しかったわけだ。

                       ◇

 その風向きが変わって来たようである。

 英紙インディペンデント(電子版)を見ていたら、3月11日付の紙面に、英国の教員組合(ATL)が政府に対し、「なぜイギリスの子どもたちは不幸せななのか、をさぐる」独立調査委員会の設置を求める決議を挙げる――との記事が、フロントのトップ記事として載っていたのだ。

 英国の小中学生は700万人。この子たちがこの国の未来を構成することになるわけだが、その中の「多くの子どもたちが不幸せで不安を抱えているように見える」、その原因は一体、どこになるか、独立委員会を設け、客観的な視点から究明しようと、脱学校の運動家・思想家ではなく、教員組合が言い出したのである。

 本ブログで既報の通り、英国では「ケンブリッジ・プレイマリー・レビュー」調査によって、テスト漬けの英国初等教育の問題点が明らかになったばかり。
 この点から見ても、子どもたちの「不幸」「不安」の少なくとも一因は、「学校教育」にあるはずである。
 AFTが採択する予定の決議文に、「子どもたちは圧力を感じることなしに、自分自身の学びを探求し探索し、楽しまねばならない」とあるのは、その裏返しの教育環境に子どもたちが追い込まれている、との反省があるからだ。

 「社会が悪い」「親が悪い」と逃げずに、自分たちの教える現場の問題点を追究しようとするAFTの姿勢は、評価に値しよう。

 だが、もちろん「学校教育」だけはない。
 英国では、サウス・ウェールズの田舎町で10代の子どもたちが相次いで自殺を遂げるなど、「子どもたちの心が壊れやすい状態にある」。これは、「学校」を取り囲む(「学校」に浸透する)、家庭・社会環境とも関係することだろう。

 が、だからといって「責任配分ゲーム」にうつつを抜かすことは許されない。
 問題は「学校」として(「学校」を運営する政府として、「学校」で教える教師として)、責任をどう引き受け、問題をどう乗り越えていくか、ということである。

                      ◇

 子どもたちの「不幸」「不安」に対し、正面から向き合い始めた英国の教師たち。

 われわれ日本人もまた、彼・女らの姿勢、問題の設定の仕方、解決への意欲に学ぶべきである。

 「教育問題」を「学力」や「授業時間数」の問題に矮小化してはいけない。
 子どもたちの苦しみを受け止め、そこからともに歩み出すのが教師の務めであり、政府(教委、文科省)の責任ではないか。

 日本の教育改革も、たぶんそこから出発しないと意味はない。 

⇒ http://www.independent.co.uk/news/education/education-news/why-are-children-so-unhappy-794033.html

Posted by 大沼安史 at 01:22 午後 コラム・夢の一枝 | | トラックバック (0)

2008-02-29

〔NEWS〕 日本の文科省のお手本 「英国教育」の無残 「統制教育」が「破壊的打撃」及ぼす

 英紙インディペンデント(電子版、2月29日付)が、ケンブリッジ大学の主導で行われていた、「英国初等教育」に対する評価結果、「ケンブリッジ・プライマリー・レヴュー」の報告書が発表された、と報じた。

 同レビュー報告書の内容は、ガーディアン紙ですでに報じられており、本ブログでも紹介したが、今回のインディペンデント紙の報道は、核心に迫る、力のこもったもので、一読の価値はある。〔文科省、教委、教育学者の方々には是非とも読んでいただきたい〕

 同紙によれば、この「レヴュー」は過去40年における最大規模の調査研究で、前ブレア政権がサッチャー政権が進めた「タイトに中央集権化した英国の初等学校」は「子どもたちの教育に破壊的な打撃を及ぼしている」と結論付けた。

 「破壊的な打撃(a devastating impact)」……「レヴュー」はそこまで言い切っているのである。

 それでは何が、英国の小学生たちに破壊的な打撃を及ぼしているかというと、報告書は「学習における国家理論(state theory of leaning)」に元凶だと指摘している。

 そういう「国家教育」体制の下、学習分野を狭める「全国カリキュラム」が導入され、「進路のかかった学テ」が繰り返されてきた。

 子どもたちを追い立てるばかりか、やたらと教師を使いまくり、その結果、「あまりにも多くの子どもたちが言葉も数字を正しく扱えないまま初等学校を出ていっている」というのだ。

 これについて、バッキンガム大学のアラン・スミザース教授は、数値目標で管理した、旧ソ連の計画経済の崩壊を教訓とすべきだったと指摘している。

 英国初等教育の惨状を乗り越える道をして同紙は、「学校は革新する自由を持たねばならない(Schools must be free to innovate.)」と提言している。

 日本の前・安部政権が「モデル」とし、「学テ」再導入など、文科省が自ら躍起となって進める「公教育の国家統制」の「お手本」とした英国で、こうした全面的な見直しが行われ、「統制教育」は教育破壊の道であると結論付けられている事実を、日本の教育関係者はしかと見据えるべきである。

 これ以上、「統制教育」の締め付けを強化すると、日本民族(日本人)の明日はないかも知れない……。 

⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/leading-articles/leading-article-a-shattering-failure-for-our-masters-789310.html?service=Print

http://www.independent.co.uk/news/education/education-news/failed-political-interference-is-damaging-childrens-education-report-claims-789333.html

 http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/professor-alan-smithers-lessons-of-the-soviet-union-should-have-been-learnt-789334.html

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Posted by 大沼安史 at 08:40 午後 NEWS | | トラックバック (0)

2008-02-25

〔NEWS〕 ヒトラーの「学校強制出席法」を忌避 ドイツ家族 数百世帯が国外脱出

 ホームスクーリング(在宅教育)を続けていたドイツの家族が相次いで国外に脱出しているという。
 1938年にヒトラーがつくった「学校強制出席法」が亡霊のようにいまも生き残り、ホームスクーラーらの脅威となって立ち現れているからだ。
 昨年あたりから出始めた脱出者は、その数、実に数百人に達しているという。

 英紙ガーディアン(電子版)が2月24日に報じた。

 それによると、そんな「亡命家族」のひとつ、クラウス・ランダールさん(41歳)一家はこの1月、ドイツ国内から英国に逃げて来た。

 落ち着き先は、ドーバー海峡のワイト島。
 この島を選んだのは、ホームスクーラー(ホームスクーリングをする家族、子ども本人を言う)のネットワークがあるためだ。

 ランダール一家は奥さんと5人の子ども(2歳から11歳まで)の6人家族。
 一家がホームスクーリングに踏み切ったのは、子どもが学校でイジメにあったのがキッカケ。子どもたちひとりひとりに自分の関心にもとづく学習をしてもたいたいという気持ちもあったという。

 一家が、家も友だちも持ち物を放り出して逃げて来たのは、ヒトラーがつくった70年も前の法律がまだ生きているからだ。

 ヒトラーのナチス・ドイツは、子どもたち(若者たち)全員の精神を完全コントロールしようとして、学校への登校を強制する法律を作った。

 これが廃止されずにいることから、ドイツではホームスクーリングが非合法活動とされ、見つかると、子どもは家庭から引き出され、親に対しても罰則が与えられる。

 これは昨年、実際にあったケースだが、メリッサさんという15歳の少女が家族から引き離され、15人の警察官によって精神科に連れて行かれ、心理テストを受けさせられた。メリッサさんがテストを拒むと、養護施設に入れられた。それでも彼女は16歳の誕生日に施設を脱出。それ以来、官憲は今のところ、手出しをしていない……

 こういうことがヒトラーの遺産のおかげで実際、ドイツでは起きており、ホームスクーラーたちは周囲を目を盗んで在宅学習を続けるか、国外に脱出するか二者選択を迫られる状況下にある。

 ヨナタン・スキット一家(奥さんと子ども5人)もドイツからワイト島に逃れた一組。
 官憲によって脅迫を受けた挙句、銀行口座から預金を勝手に引き出され、車まで没収されたことから、英国に渡ることを決意したそうだ。

 まだ、ドイツ国内に残り、ホームスクーリングを続けている家族は、支援組織によると800家族に上る。
 ここ20年で世界的な潮流となったホームスクーリングがドイツにもそれだけ広がっているわけだが、オランダ、アメリカ(一部の州)など世界の先進国で合法化が進む中、戦前のファシズム教育の遺産が壁となって立ち塞がっているのはきわめて異例のこと。

 1昨年(2006年)には国連の特別報告者がドイツの公教育の調査に入り、在宅教育に取り組む親の権利が保障されるべきだとする報告を行っている。

 いまのところ、国外脱出先は英国が主だが、中にはイランに逃げて行った家族も。

 ドイツは日本同様、管理教育がまだはびこっており、その分。PISA調査などで「学力低下」が指摘されている。

 日本でも実はホースクリング運動が広がっているが、まだ当局とのトラブルは表面化していない。

 ただし、日本の戦後教育は戦前のヒトラー流、「フォルクス・シューレ」(国民学校)の基盤の上に築かれたもので、縛り・強制力はいまなお、相当なものだ。

 現在、西側先進国における教育の自由度は、ドイツ、日本が最低クラス。
 ドイツが今回の「教育亡命続出」の事態を受け、どう制度改革に取り組むか、注目されるところだ。

⇒ http://education.guardian.co.uk/print/0,,332667033-110908,00.html 

Posted by 大沼安史 at 01:23 午後 NEWS | | トラックバック (0)

2008-02-17

〔コラム 夢の一枝〕  「春」が来ない国   「文科省」の諸君に贈る歌

 大好きな歌がある。音痴だけど、いつかカラオケで歌ってみたい歌がある。「奥入瀬」という歌だ。山本譲二の歌である。

 「奥入瀬(おいらせ)」は言うまでもなく十和田湖に発する清流だ。湖に向かう道は、流れに沿って続く。助手席の亡妻とともに、出張ついでに一度、ドライブしたことがある。新聞社を辞めて一緒に仙台に帰郷した翌年のことだ。いまから十年ほど前の初夏。

 横浜の部屋でときどきCDを流し、亡妻を乗せ、あの道をたどる。

 歌手も曲(桜庭伸幸・作曲)も素晴らしいが、歌詞もいい(北川文化・作詞)。

 出だしは、こうだ。

  ♪ 奥入瀬 雪解け 阿修羅の流れ 君をさがして啼く鳥 水面に浮かぶさだめ
    時はめぐり また春がきて……

                  ◇

 奥入瀬の雪解けを見たことはないが、歌詞通りの「阿修羅の流れ」だろう。詞を書いた北川文化という詩人(いや、歌人というべきか)は、たぶん、この「阿修羅」の一言に思いのすべてを注ぎ込んだのだ。

 なぜか、そうとしか思えない。

 詩人のいうように、めぐる春は阿修羅の流れで始まるのだ。冬の湖に別れを告げ、自責と憤怒を背に、さだめのごとく駆けおりるのだ。

 阿修羅のほとばしりは、冬に耐えた雪解けの水だからこそ、奥入瀬の清い流れとなりうる。
 
 CDを何度も流すのは、ことしもまた春が来ようとしているからだ、阿修羅の流れの潔さに見習いたいためでもある。

 敗戦4年後、1949年(昭和24年)の2月生まれ。わたしに59の春が始まる。

                  ◇

 この国に春は来ても、子どもたちには春は来ないのだな……土曜日(2月16日)の新聞を見て、つくづく思った。

 「学習指導要領 改訂案」の「発表」。
 
 「憲法」では「改正」と言うくせに、「要領」は「改正」ではなく「改訂」である。

 そう、いまの「要領」は、それ以前の「要領」と同様、正しく、間違っていない。だから「改正」とは言えないのだ。だから「改訂」とかわす。

 ここに「国家教育の絶対主義」がのぞく。本来、「試案」であり、ガイドラインに過ぎなかったものを、官報に載せることで一躍「法律」の座に祭り上げた、戦時以来、連綿と続く、「統制教育」の本質が素顔を見せるのだ。

 「コマ」を増やす(あるいは減らす)、「科目」を増やす(あるいは減らす)、「ゆとり」をつくる(あるいは、ゆとりを与えない)……それ自体は実は枝葉のことである。さじ加減である。

 文科省にとって死活的に重要なことは何か?――それは、自分たちが決めたことを全国の子どもたち全員に画一的に学ばせる、その権力の維持である。

 これを子どもの側から見ればどういうことになるか?
 知らない誰かが決めたものを決められた通りに、決められた内容・時間通りに強制的に学ばされる、ということである。

 これはそのまま、教師にもあてはまる。
 誰かが決めたものを決められた通りに、決まられた内容・時間通りに、強制的に教えさせられる(子どもたちに強制して教える)……

 何事かを学ばされる、ということは、その時間、別のことを学べないということである。
 何事かを教えさせられる、ということは、その時間、別のことを教えられないことである。

 学ばされることと学びたいこと、教えさせられることと教えたいことが一致することは、唯一対無数の関係にあるから、ほとんどあり得ない。

 つまり、文科省による「教育統制」の権力行使は、学びと教えの機会とそこから生まれる可能性を封殺しているのだ。

 「教育」の名の下に、「教育」を圧殺する「大罪」を、「要領」の看板を塗り替えながら犯し続ける、教育(官僚)権力=文科省。

 自分たちの犯している犯罪の重さ、罪深さを(戦時中は、「大義」のために命をささげる「小国民」を大量生産し、戦後、にわか民主主義者となってゾンビのように居座り続けた文部官僚らを、わたしたちは忘れない)を当事者として知り抜いているものだから、「学習指導要領」の変更を、「改善」あるいは「改正」とは(始原へと遡り、原罪を暴き出すことでもあるから)、口が裂けても言えないのである。

                  ◇

 戦時から続くこの国の教育統制のダムは、子どもたちの自然の流れを封じ込め、無気力なたまり水を、定期的に濁流として放水するだけだ。

 春の水を「学習指導要領」というコンクリート護岸の画一水路に流し込み、ほとばしりを抑えこんでは同じペットボトルに詰め込み、河口に行き着く前に分類して出荷してしまう。

 日本の子どもは自然の流れを知らず、海を知らずに育つのだ。その点では、養殖の鮭以下の存在である。

 学びと教えの機会(流れ)とそこから生まれる可能性(海)を封殺する、この国の統制教育――その腐った土台である「学習指導要領」を(「改訂」ではなく)「撤廃」もしくは「ガイドライン化」しなければ、この国自体が滅びかねないことは、あの「PISA(ピザ)調査」でも確認済みのことではないか。

 文科省の役人たちがそんなに「学習指導要領」にこだわるなら、「PISA」で「学力世界1」を維持するフィンランドに乗り込んで行って、強制して見給え。

 検定教科書を強制し、画一時間割を強制し、相対評価を強制し、テストを強制して見給え。

 かの「森と湖の国」の子どもたちも、日の本の少国民同様、学力低下に苦しむことを請け合いである。

                  ◇

 今回の「学習指導要領」の「改訂」案は、安部前政権下において枠組がつくられたものだが、その安部政権が教育改革の「お手本」としていた英国で、先日(2月8日)、ケンブリッジ大学が主導し、イングランドの初等教育を2年ががりで見直した「ケンブリッジ・プライマリー・レヴュー」という調査結果が発表された。

 それによると、イングランドの初等教育は、世界で最悪の「テスト漬け」教育となっていて、子どもたちに悪影響(damaging effect)を及ぼしている、というのだ。

 そんなものを、われらが安部政権は模範と仰ぎ、新指導要領づくりを続けていたのである。
 あきれてものが言えない。

 この調査は、ノルウェーのオスロ大学やアイルランド大学といった外国の教育学者らの協力で行われた。つまり、外側からの評価を――セカンド、サード、あるいはもっと多くのオピニオンをもとに、多彩な視点に立って行われたものである。

 翻って、文科省の「学習指導要領」の「改訂」作業はどう進められたか?

 内向・密室・単線・国粋的な作業だったことは間違いない。

 日本同様、「人間しか資源のない」デンマークという国は、PISAで学力が低下しているとわかると、制度の見直しのため、国外の教育学者たちに問題点を探ってもらっている。

 「他者」の目を通して、自分の問題点のありかをさぐり、病巣を除去する……そのぐらいの勇気を、どうして日本の文科省は持てないのだろう?

 「自虐」「自虐」と騒ぎ立て、「自慰」に耽っているだけではないか。

 君たちの「閉じこもり」こそ、若者(子どもたち)の命のほとばしりを妨げ、無気力な「閉じこもり」に追い込んでいる元凶ではないのか。

                  ◇
 
 最近、気になるのは、「学力」と「国力」の相関である。この国の「学力低下」は、「国(民)力低下」に重なる。(フィンランドはこの真逆、(PISAで見た)「学力」が高くて(国民ひとりあたりのGNPで見た)「国(民)力」も高い。

 この単純な等式の上で、日本が「統制教育」をこのまま続けてゆくとどうなるか?
 結果は「自虐的な自滅」である。自分の国の未来である子どもたちをイジメにイジメ抜くことは、この国の未来を危うくすることである。

 こうした結果が目に見えている以上、今回の「改訂」案発表で朝日新聞が載せた社説、「教師力の育成が先決だ」には賛成できない。

 それよりもまず、「統制教育」の解体が先決ではないのか。「学習指導要領の縛り」の撤廃が必要でではないのか。

 たしかに朝日の社説は「指導要領は学校現場に示した目安ぐらいに考える……そうした姿勢こそが文科省に求められている」と書いているが、求められるのは「姿勢」ではなく、指導要領の明確な「目安」化である。

 どうしてそうハッキリ、物申すことができないのか?

                  ◇

 日本の教育にも「春」は来なければならない。「国旗」「国歌」の強制で「君が代」「日の丸」が泣く、「沈黙の春」に代わる、「ほとばしりの春」が来なければならない。「雪解けの春」が来なければならない。

 文科省にも言い分もあるだろうし、さまざまな事情、制約があったことも理解できる。しかし、このままでいくとマズイ(ヤバイ)とは、君たちもわかっているはずだ。

 「ナショナリスト」を自称するわたしとしては、このまま行くと日本民族の自滅、日本の亡国に行き着いてしまうと本気で思っている。

 「教育亡国」(これは亡き、林竹ニ先生の言葉である。林先生とは、奥入瀬に近い蔦温泉で一度、お会いしたことがある)……これを防ぐには、「教師力を」といった個人的レベルへのすり替えではなく、制度的な改革に取り組む必要がある。

 その場合、まず大事なことは、ネオリベ的に「教育制度」を「解体」するのではなく、「教育制度」への多様かつ主体的な「参加」を促す、フレキシブルな受け皿としての「制度」を設計することである。

 そして、そうした新たな「制度」の中心に、子どもたち個人の、自分に対する教育の権利(学習権・学問自由)を保障する「エンパワーメント」の制度的な保障を据える。

 そうして、「自己」と「他者」が「みんな同じ」に囲い込まれない、自由な活動、時間と空間を、学校(教室の内外)に立ち上げる。

 そうしたところにこそ、文科省で働く、君たち「公務」員の使命があり、仕事のしがい・生きがいがあるのではないか。

                  ◇

 米国の権力の中心が実は「ホワイトハウス」ではなく「ペンタゴン」(国防総省)にあるように、日本の権力の中心は「官邸」にあるのでなく、同じペンタゴン(五角形の建物)の「文科省」にある……わたしもまた実は、こういう見方をする一人である。

 それほどまでに文科省の影響力は、人間しか資源のないこの国にとって、深くて大きいのだ。

 文科省の諸君よ、制度を知る君たちこそ、「春」がないこの国の雪を解かし、自責と憤怒を背に制度改革の「阿修羅」にならなければならない。

 制度を変える、「改訂」ではなく「改革」する……それが君らの「さだめ」ではないか。

 事務次官の銭谷氏よ、そのことは、大学の同期である君も、よく知ってのことだろう。

 時間はあまり残されていないが、志ある政治家はまだいる。

 文科省の官僚を引き連れ、一緒に阿修羅の群れとなって、ほとばしれ!

 子どもたちをして、海へ向かわしめよ! 

 傾き出したこの国の春の希望は、たぶん、そこにある(いや、そこにしかない……)。 
 

Posted by 大沼安史 at 01:44 午後 コラム・夢の一枝 | | トラックバック (0)

2008-01-07

〔NEWS〕 デモクラティック・スクール 「サドベリー・バレー校」の代表、ダニエル・グリーンバーグ博士(PhD)の開校30年記念講話集、『自由な学びが見えてきた ~ サドベリー・レクチャーズ』、日本語版(本邦初訳)を出版 

 ダニエル・グリーンバーグ氏のレクチャー集、『自由な学びが見えてきた』を、拙訳(大沼訳)で緑風出版から出版しました。

 かねがね翻訳作業を続けていたもので、またも出版社(緑風出版)のご理解と励ましにより、出版にこぎつけました。

 訳者として……「日本にサドベリー校を」と願うひとりとして、是非、読んでいただきたいと思います。

 とくに「会話」の重要性を「語りおろした」部分は圧巻です。
 目からウロコがおちました。こどもたちの「私語」の意味、それを抑圧する無理解……小生もまた、いわゆる「自由教育」について20年近く、学んできたものですが、教えられることばかりでした。

 「ポスト産業社会」に入った斜陽・日の丸=日本における「教育再生」の道は、戦前・戦中型の「統制教育」の復活ではなく、サドベリー流の「デモクラティックな教育」にある……そのことをいっそうクリアに見せてくれる一冊です。

 広げていただければ、幸いです。

 ⇒ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4846108015/tukunouenosor-22

 以下は、『自由な学びが見えてきた』の「訳者あとがき」です。

 
 ★ 訳者あとがき 解説・解題に代えて

 本書は「サドベリー・バレー校」の創始者で、その中心的指導者であるダニエル・グリーバーグ氏による、同校の創立三十周年を記念した連続講話をまとめた原著、A Clearer View : New Insights into the Sudbury School Model (二〇〇〇年、サドベリー・バレー校出版会)の全訳である。

 原著のタイトルが示すように、この本は、サドベリーの一九六八年以来の歩みを、三十年後の時点で振り返り、「デモクラシーの学校」であるサドベリーの基本理念を再検討し、経験の広がりと奥行きの中でその本質に焦点をあて、「サドベリー教育」の本質をより鮮明な視野(クリアラー・ビュー)の中でとらえ返したものだ。

 三十年という時間は長く、その経験は重い。それは「歴史の単位」といってよいほどの時間の流れである。その三十年に及ぶ実践の積み重ねの中で、「サドベリーの教育」の基本理念は、当事者(子ども、スタッフ、親)によってどのように「生きられ」、どう深まって行ったか?
 その再検証の結果を、包み隠さず、あますところなく語ったものが、本書に収録されたグリーンバーグ氏による、この全六回の三十周年記念連続講話(レクチャー)である。

 第一講の「遊びの意味」が語られたのは、一九九七年十月二十八日。最終の第六講、「サドベリーが全員のためのものではない理由」が行われたのは、翌九八年三月二十五日。

 つまり、グリーンバーグ氏による連続講話は、半年間近い時間の流れの中で、月一、二回のゆったりしたペースで、じっくり語られたものなのだ。

 それは二十世紀の教育改革運動のひとつの頂点を自ら築き、新たな学校モデルとして全世界に広がり出した「サドベリー」の、最初の熟成と言っても構わない、完成度の高いものである。

 自画自賛ではない、徹底した自問自答。
 教育的な「言説」にありがちな、現実を隠蔽する美辞麗句を見事に排した、平易で透明な言葉づかい。
 それは元々、コロンビア大学で教えていた物理学者で科学史家でもある、グリーンバーグ氏の真骨頂を示すものである。

 第一講は「遊び」の意味を縦横に論じたものだが、訳者が感心させられたのは、「遊び」と「革新(イノベーション)」の相似を指摘した部分である。

 「遊び」と「革新(イノベーション)」をともに「広い枠組」と「狭い枠組」の二つに分け、それぞれが対応し合っていることを、科学史を振り返ることで明確に指摘したところなど、「サドベリー」で子どもたちの「遊び」を目の当たりにして来た科学史家、グリーンバーグ氏ならでは見事なものだ。
 各自の創意工夫による「革新」が経済の主エンジンになるべき「後(ポスト)・産業期」を迎えた今、日本にも「自由な遊び」を基調とする「サドベリー教育」が必要な理由はここにあると言える。
 
 第二講は「会話」の死活的な重要性を指摘したものだが、ここでも目のうろこが落ちる思いがした。
 子どもたちの「会話」(おしゃべり、話し合い)の「起源」を、古代ギリシャのアリステレスの学園に求め、二〇世紀理論物理学の砦であったコペンハーゲンの「ニールス・ボーア研究所」の逸話で補強しながら、その教育的な意味を開示してみせたあたり、古代ギリシャ哲学に関する著作を持つ、グリーンバーグ氏ならでは力技である。
 
 これを読めば、わが国の教育現場における「私語」に対する見方も一新されることだろう。

 第三講は「親」の役割について述べたものだ。
 グリーンバーグ氏はサドベリーのスタッフ(教師)であると同時に、子どもをサドベリーに通わせる親であった経験を元に、家族の転居といった「大きな決断」は親が、それ以外の「小さな決断」は、サドベリーにおける日々の決断を含め、すべて子どもに任せ、その子どもの「決断」を親として守り抜く必要性を指摘している。
 それこそが、子どもに「干渉」しながら、子どもの「独立」を促す、「親」の矛盾した立場を解決する現実的な道だ、と。
 
 このくだりを読んで、なるほど、子どもに「干渉しない保護」というのもあるのか、と気づかされるのは、訳者であるわたし一人ではないだろう。

 第四講は、サドベリーの中心的な指導者(創設者、当事者)であるグリーンバーグ氏が、「デモクラシーの学校」理論を全面的に語り下ろしたもので、連続講話の山場とも言うべき部分だ。
 
 グリーンバーグ氏は「サドベリー教育」の素地を「アメリカのデモクラシー」に求め、その核心的コンセプトである、「個人に対する権利の付与(インディヴィジュアル・エンパワーメント)」を現実化するものこそ、サドベリー的な「デモクラシーの学校」であると主張する。
 
 つまり、サドベリーにはアメリカのデモクラシーが息づき、子どもたちにパワーが与えられているということだ。言い換えれば、サドベリーのデモクラシーとは、アメリカのデモクラシーの理想の「小宇宙」であるのだ。
 その点で言うと、「日本の学校」には子どもに対するエンパワーメントを軸とした「デモクラシー」の「デ」の字もない。
 ということは、学校の現実を拡大した「日本社会」にも実は「デモクラシーがない(あるいは不足している)」ということか?……

 さて、第五講は「子どもの自立」と「役割モデル」の関係に焦点を合わせたものだ。

 「サドベリー教育」のひとつの特長は、四歳から十八歳までの子どもが入り混じり、群れのようになって育つ「年齢ミックス」教育だが、この「年齢ミックス」が子どもたちの「役割モデル」としてどのような役割を果たしているか、具体的な事例をもとに詳しく分析されている。

 子どもの群れを「学年」「学級」に分割・隔離し、「教室」の枠内に閉じ込めておくことが、果たして「正気の沙汰」なのか、日本人のわれわれにも鋭く反省を迫るくだりだ。

 最終講の第六講は、全体を締め括るクライマックスの部分である。

 ここでは「サドベリー教育」の根幹にある「自由な学び」を阻害しているものの正体が明らかにされる。「時代」はいまや「後(ポスト)・産業期」入りしているにもかかわらず、子どもの主体性を奪い、子どもを無力化する「産業期」の学校教育の弊害が「学習障害」としてなお居座り、子どもが「自由な学び」という「自然状態」に帰るのを阻んでいると、グリーンバーグ氏は指摘するのだ。

 これを日本にあてはめれば、わが国の「後(ポスト)・産業社会」化を阻んでいるのは、文部科学省の「統制教育」である、ということになる。

 文科省とはすなわち、子どもの主体的な学びを破壊する「学習障害」の総元締めであり、速やかな「後(ポスト)・産業期」への移行を図らなければならないわが国の「国益」さえも損う「元凶」、というわけだ。
 
 グリーンバーグ氏の「連続講話」が行われたのは、サドベリーの「納屋(バーン)」校舎(といっても昔、納屋として使われていた棟を改築しただけのことだが)である。

 ここは卒業式など「全校集会」が行われる場所だが、訳者であるわたしは、本書を翻訳中、アリストテレスやプラトンの時代の古代ギリシャの「学園」(アカデミヤ)とは、もしかしたらこの「納屋」のような雰囲気のものだったのではなかったか、との空想に何度もとらわれた。

 話者が自ら問いかけて真理に迫り、聞き手が質問して「対話」が生まれる、あの「アカデミア」の雰囲気を勝手に想像したのである。

 そう、「サドベリー」とはまさに、現代の「学園(アカデミア)」であると。

 こんな「サドベリー」を日本にも欲しい。「管理と統制のゾンビ」が「再生」するのではなく、「子どもの学びが再生する」学校が欲しい。
 そう願うのは、訳者一人に限ったことではないだろう。これは、本書を読み終えた読者諸氏に共通する切実な思いではないか。

 本書は、緑風出版から二〇〇六年四月に出た、ダニエル・グリーンバーグ著、『世界一素敵な学校』の続編である。併せて読んでいただければ幸いである。

 なお、本書(日本語版)では、一九九九年に来日し、全国各地で講演を行ったダニエル・グリーンバーグ氏による「日本訪問記」と、サドベリーの卒業者の証言をいくつかまとめた、訳者による「サドベリー素描」なる一文を付録として添えた。

 とくにグリーンバーグ氏による「日本訪問記」は、日本における教育改革の方向を指し示すもので、ぜひ読んでいただきたいものである。
 
 最後に訳者の特権(?)として、私的なことに触れることをお許しいただきたい。

 本書の第六講に、「太陽」を「緑」色に描いた女の子の話が出て来る。
 このくだりを読んで触発されたわたしは、「自由が丘サドベリースクール」という架空の「学校」を舞台にした、『緑の日の丸』という小説を書き、二〇〇七年一月、仙台市の出版社、「本の森」から刊行した。

 このときも実は、書きながら何度も思った。
 日本にもサドベリーを!

 これが間もなく還暦を迎えようとする「七〇年世代」の訳者の、見果てぬ最後の夢である。

                                 二〇〇七年十一月 横浜で
                                       訳者 大沼 安史

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