2009-12-13

〔コラム 夢の一枝〕 「北のミカド・東武天皇」はなぜ“消された”か?――もうひとつの「歴史教科書」問題

 幕末、「御一新」のあの時代に、天皇が「2人」いたということを――明治天皇とは別に「東武天皇」というお方がおられたことを――そして、そのことが当時のニューヨーク・タイムズで報道されていたことを、どれだけの方がご存知だろう?

 少なくとも、戦後に生まれ、「新しい戦後歴史教育」を受けて育った僕(現在60歳)は、45歳になるまで知らなかった。聞いたこともなかった。

 「東武天皇」が、奥羽列藩同盟(幕末の北日本政府)によって「擁立」されていたことを、その中心である仙台で生まれ育っていながら、僕は何ひとつ知らずに、「昭和」を生きていたわけだ。

 新聞社の論説委員を辞め、仙台に帰郷し、一人の郷土史家に会うまでは。

 仙台郷土史研究会の副会長をされていた、逸見英夫氏とお会いしたのは、たしか1997年の夏だった。
 逸見氏のまるで図書館のような事務所で、私は「東武天皇」のことを初めて知り、驚いたのだった。

 僕は長いこと新聞記者をしていたから、特に面白い話は疑ってかかる癖がついており、ここでも逸見氏に、証拠はあるんですか、と迫った。

 その時、逸見氏が僕に示したもの――それがマイクロフィルムから起した、1968年(明治元年)10月18日付のニューヨーク・タイムズ。
 JAPAN:Northern Choice of a New Mikado(北部日本、新しいミカドを選ぶ)という記事だった。。

 僕はせっかく仙台に帰郷したのに(逸見氏とも知り合ったのに)、その後、誘いがあって上京、教員生活を続けた後、今春、再び仙台に舞い戻ったのだが、つい先日、奥羽列藩同盟の立役者である玉虫左太夫の事績を調べているうち、仙台市教育委員会が制作し郷土史の視聴覚資料をチェックしていて驚いた――というより、ある事実に気づかされた。

 戊辰戦争を扱ったその視聴覚教材は、これが「錦の御旗」だと言って、大きな菊の御紋が入った、いかにも堂々とした薄緑色の旗(らしきもの)を画面で紹介し、「官軍」の正統性を強調していたのである。とりあえず、間に合わせでつかった「西陣織」ではなく、いかにも、それらしい四角い緑の布に、天皇家の御紋を付けて、これがそうだと画面に登場させていたのだ。

 もちろん、「東武天皇」のことも「延寿」という元号のことも、一切合財、何も触れていない郷土の歴史学習の教材だった。幕末・北日本政権の拠点だった仙台市の――仙台の子どもたちが学ぶ、これが歴史の真実を伝える教材だった!

 僕はこの教材を見て、遅まきながら、自分の「無知」の原因に気づかされたのだ。「賊軍」としての仙台藩、奥羽列藩同盟――。明治以降、昭和になってからも、「聖戦」が終わってからも、この「朝敵史観」は、学校教育を通じ、仙台においても、子どもたちの中に「史実」として一貫して吹き込まれていたことに。

 だから僕もまた、「東武天皇」のトの字も知らずにいたのだ。「明治天皇」の「官軍」に盾突いた「逆賊」の末裔だという「思い込み」に囚われていたのである。

 僕は、この「東武天皇」が日本の近現代史から“消された”問題は、しっかり検証されねばならない大問題だと思う。
 この国の「歴史教育」の問題とは、「神国・日本」によるアジア侵略、「沖縄」だけではないのである。

 「靖国神社」は、戊辰戦争の「賊軍」戦死者を「排除」している。つまり、「靖国」とは「官軍」(そしてその後継である皇軍)の神社であるのだ。

 米国は「南北戦争」の後、南北和解を果たしたが、日本では幕末Civil War=戊辰戦争後、「勝てば官軍」の独裁・強権政治を続行、その勢いで遂にはアジアを侵略し、「敗戦」に至ったのではないか?

 そのいわば原点にあった、「錦の御旗」の「官軍」の神話づくりのための、史実の抹消……。
 「国史」の都合上、完全に抹消されてしまった「東武天皇」!

 前述のニューヨーク・タイムズの記事の書き出しはこうである。(逸見英夫氏訳)

 「日本の政治でもっとも重要なニュースは、新しいミカドの擁立である。これは日本の北部における内乱、あるいは将軍家の内紛によってもたらされた。新しいミカドは大兄宮(おおえのみや)といい、高僧のひとりである。この動きによって、いまや日本にはふたりのミカドが存在する事態になった。従来のミカドは依然として南部で権力を保持している」

 長州(山口)の教育委員会はともかく、仙台市(及び宮城県)の教育委員会はこの問題を本格的に検証し、史実として確定できたら歴史教育の教材として使い、文科省に対しは歴史教科書の書き換え(あるいはせめて「説」としての付記)を要求すべきである。 

         ☆
  
 「東武天皇」即位説 Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%99%BD%E5%B7%9D%E5%AE%AE%E8%83%BD%E4%B9%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B#.E3.80.8C.E6.9D.B1.E6.AD.A6.E5.A4.A9.E7.9A.87.E3.80.8D.E5.8D.B3.E4.BD.8D.E8.AA.AC

Posted by 大沼安史 at 03:35 午後 コラム・夢の一枝 | | トラックバック (0)

2009-12-07

〔NEWS〕 ハーバード教育大学院 「教育指導博士課程」を新設 3年・学費無料

 ニューヨーク・タイムズの黒人コラムニスト、ボブ・ハーバート氏のコラム(4日付)で、ハーバード大学の教育大学院(スクール・オブ・エデュケーション)が、米国の次世代の教育を担う人材を育てる、「教育指導」の博士課程(doctorate in education leadership (Ed.L.D.)を開設することを知った。
 ⇒ http://www.nytimes.com/2009/12/05/opinion/05herbert.html?_r=1&em

 定員25人。3年課程。学費無料だという。
 おまけに、ハーバードのビジネス・スクール、行政大学院とも連携して、MBAタイプの実践型教育を施すそうだ。

 アメリカも大不況下にあり、大学院への進学は難しい。そんな厳しい状況の中で、学費免除を打ち出したハーバードの教育大学院。

 同大学院74年ぶりの、新たな博士コースの新設だという。

 日本では教員養成で「6年制」が取り沙汰されているが、富裕層の子弟(あるいは、失業の心配のないお役人の子弟)でもなければ、学費が続かず、無理なことは目に見えている。〔つまり、金持ちと役人の子だけが教員になれる!〕

 鳩山政権がもし、6年かけて教育崩壊を「逆転」させる人材を養成するなら、せめて最後の2年間だけでも「学費免除」にするべきだろう。

Posted by 大沼安史 at 05:44 午後 NEWS | | トラックバック (0)

2009-12-06

〔For the Record〕  沖縄師範の校長 米軍上陸前に本土へ「敵前逃亡」

 こういう事実は文科省の検閲教科書には書かれていないはず。
 でも、この国の戦後なお続く、統制・お役所教育の無責任ぶりを象徴する史実だから、、忘れないうちにその概略を記しておく。

 月刊誌『世界』のことし(2009年)9月号での、佐藤優氏との対談、「沖縄は未来をどう生きるか」(第7回)で、大田昌秀氏が、概略、以下のように証言されていた。

 大田氏が当時、生徒だった沖縄師範学校の校長は、生徒が私語しようものなら、全校生徒の目の前で木銃で殴りつけ、ことあるごとに「国のため命を惜しむな」と叱咤するような人(文部省の教育者――大沼注))だったが、米軍上陸が必死の状況になると、「文部省に所用があると言って、あたふたと上京し、二度と帰校」しなかった。

 当時、沖縄では知事ら内務官僚が、所用だといって本土に「脱出」する「敵前逃亡」をする事態が起きていたことは比較的知られているが、文部省の「教育者」までもが「生徒を見殺し」にして、逃げ出していたとは知らなかった。

 なるほど文科省が歴史教科書を改ざんしたがるのも無理はない。「国にために命を惜しむな」と「死の教育」をしていたことを誤魔化すために、沖縄のみなさんはすすんで自主的に集団自決したのです――と言いたがるのも無理はない。

  

Posted by 大沼安史 at 04:37 午後 NEWS | | トラックバック (0)

2009-12-05

〔NEWS〕 チャータースクール 「5000校」を突破

 ワシントン・ポスト紙によると、米国のチャータースクールは、この秋の新学期で「5000校」を突破、5043校に達した。
 前年度は4624校だったから、400校以上、増えたことになる。

 州別ではカリフォルニア860校、アリゾナ566校、フロリダ413校、テキサス387校、オハイオ338校――の順。

 〔大沼 注〕 日本の教育改革は、中学校で「塾」を開設するのが、画期的なことだともてはやされている、お寒い現状だ。
 
 公立学校のスペースを「塾」に使わせることができるなら、「空き教室」を、有志の教師たちが立ち上げる「チャータースクール」として、活用を認めるべきではないか?

 教師たちが、自分の教育理念に誇りを持ち、自分たちの教育を――教育界のボスどもの目を気にせず、文科省・亡国官僚どもの顔色をうかがわず――自分たちの手づくりの公立学校、すなわちチャータースクール方式で実践する……そんな動きの、どこが公教育の破壊なのか? そんな教師を取り組みを、どうして、教育改革派まで、「市場原理主義」だといって潰すのか?

 ニューヨークのあのイーストハーレム(SD4)の奇跡を実現したのは、自分たちで自分の学校をつくる、公立学校の教師の熱意ではなかったのか?

 教育の自由を守る教師たちの取り組みに、「市場原理主義」の悪罵を投げつけるなかれ!

⇒ http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/11/29/AR2009112902359.html

Posted by 大沼安史 at 06:53 午後 チャータースクール | | トラックバック (0)

2009-12-04

〔コラム 教育崩壊〕 「学校暴力」 過去最悪

 これはもう書かずにはおれないので、一言、申し述べる。

 全国の小中高校が2008年度に確認した児童生徒の暴力行為が5万9618件と、対前年度比で7000件近く増え、過去最多を更新した――との記事が、1日付けの各紙に掲載された。

 過去最多――つまり過去最悪。
 日本「親方日の丸」公教育・学校崩壊ギネス、ワースト新記録! 一気に7000件弱もの急増ぶり。

 「公教育」が、内部爆発(インプロージョン)を起している。学校が壊れることで、社会の「再生産」も危うい事態だ。

 文科省の「発表」に基づく記事に違いないが、「件数」だけなく、たとえば児童生徒100人あたりの発生件数も報じてほしかった。

 少子化が進んでいるのだから、「発生の比率」はさらに劇的に高まっているのではないか?
 
 ま、それはともかく、問題はこの過去最悪に対する、日本の日の丸統制教育の元凶、文科省の「見方」だ。

 朝日新聞は、こう書いている。文科省や教育委員会は「コミュニケーション能力の不足」「感情がうまく制御できなくなっている」といった子どもの気質の変化が背景にあるとみる――。

 ここにあるのは、 日本の公教育を全てコントロールしている文科省の無責任、責任逃れである。

 文科省よ!、君たちが全国一律におしつけて来た、戦前・戦中並みの統制・お役所教育が、こんなとんでもない事態を引き起しているのではないか?

 現場との――教師や子どもたちとのコミュニケーション能力に欠け、教育行政をうまく制御できなくなっているのは、君たちではないか?
 
 「学校」をこんな地獄のような状況にしておいて、「申し訳ない」の一言もない文科省!
  
 それでも君たちは、平然として、冬の「ボーナス」を手にするつもりか! 
 

Posted by 大沼安史 at 07:12 午後 コラム 教育崩壊 | | トラックバック (0)

2009-12-03

〔For the Record〕 産学協同研究費 「学長、学部長が(9割を)ピンハネ」 ノーベル賞受賞の小柴昌俊さんが言明 

 朝日新聞の船橋洋一氏の12月3日付けコラム、「日本@世界」を読んで、驚いた。
 ノーベル賞受賞者、小柴昌俊さんが、他の同賞受賞者とともに、首相官邸に鳩山首相を訪ねた、要望書を手渡した際、「国立大学の法人化により、事務員、教官が、研究費確保のために産学協同に走っている。教官に配られる研究費を学長、学部長がピンハネし、(研究者のところには)10分の1くらいしかこない」と“告発”した、というのだ。

 「9割」もの中抜き・ピンハネ!

 船橋氏は「科学技術予算も他と同様、官僚と業界と天下り法人による『縦割り・ハコモノ・中抜き・ピンハネ』構造が現場をむしばんでいる」と指摘している。

 国の科研費について、付言すれば、何年か前、日経新聞の記者が、文科省に情報開示したところ、誰に、どんな研究に出ているか、という大事な部分が黒塗りされたものが返って来たそうだ。

 戦後、教科書の都合の悪い部分を全国の児童生徒を動員して「墨塗り」“証拠隠滅”を図ったと同じ手口?

 墨、いや泥を塗られた「科学技術立国」の理想!…………
 

Posted by 大沼安史 at 11:28 午前 NEWS | | トラックバック (0)

2009-07-29

〔いんさいど世界〕 「神の国」はいつでもどこでも「死の教育」

 「戦争」を考える――考えねばならない「夏」が来た。日本の権力者どもは文部省の統制教育を通じ、さらっとなぞるだけの“神隠し・教科書無記述”の情報戦に勝利を収め、おかげで私たちの「戦時中」は、歴史的な記憶のいわば「真空地帯」と化している。

 「神の国」の「死の教育」を強制した文部省は、自ら手を汚さず、子どもたちに墨を塗らせて証拠隠滅を図り、涼しい顔を続けて来た。
 おかげで、われわれもまた、「あれっ、日本って、アメリカと本当に、戦争したっけ?」などと、間抜けな面(つら)を曝け出している。

 戦争は終わっても、戦争責任、教育責任に終わりはない。同様に戦後世代のわれわれだからと言って、戦争を知らないからと言って、知らないで済まされない、だろう。

                 *
 
 英紙インディペンデント(電子版)に、タリバンがパキスタンのスワット渓谷で、自爆を教える死の学校を開いていた、との記事が掲載されていた。
 ⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/asia/taliban-running-school-for-suicide-bombers-1764028.html
 
 最年少の子は、なんと9歳!
 「神の国」は、いつでもどこでも「死の教育」をしたがるものだな、と暗然たる思いに囚われた。

 聖戦の自爆戦士たち!――日本の戦時中と、同じではないか!

 爆薬をからだに巻きつけて特攻攻撃に向かうタリバンの子。
 人間魚雷や練習機で特攻攻撃に向かう皇国の少年戦士たち。

 タリバンのカミカゼ学校は、日本の「戦時中」を映し出す鏡である。

                 *

 私が尊敬申し上げる教育学者の長浜功氏は、戦時中のファシズム教育を研究する専門家である。
 その著書、『国民学校の研究』(明石書店)で、尋常小学校改め「国民学校」の「修了生の答辞」を紹介していた。

 昭和十八年三月二十三日 横浜市大岡国民学校修了生代表の「答辞」である。

  「私達は今日修了証書を頂いてこの新たなる決心と輝かしい希望とを忘れず、必ず今後に実行いたします。今日本が大東亜戦争を完遂しなければならない形に、私達一人一人めいめい決心を完遂し、中途で止める様な事は断じていたしません。では校長先生と諸先生並になつかしき在校生の皆様、いつまでもご健康で御奮励下さることを神かけてお祈り申し上げます」

 敗戦まで2年半――長浜氏によれば、この時期の「答辞」は、これでもまだ「牧歌的」だそうだ。

 それでもまだ「希望」を語る修了生代表。12歳、ぼくも「少国民」。

                 *

 日本の「国民学校」では「練成教育」というのがあって、子どもたちは「皇国のために身命を捧げて励みます」など「誓詞」を言わされていた。

 タリバンの学校でも、子どもたちが同じようなことを言わされているのだろうか。

 日本の国民学校のように、ひょっとしたら修了式のようなものがあって、「答辞」を言わせられている(言っている)卒業生代表がいるかも知れない。

 日本の子どものように「聖戦の完遂」を語り。「神かけて」在校生に別れの言葉を告げる、神の国の子が……。

                 *

 「九条の会」の呼びかけ人で作家の澤地久枝さんは、戦時中、トルストイに共鳴して兵役を拒否し、その後、熊本の山村で農業を営みながら、トルストイの翻訳を続けて来た北御門二郎氏との、中学生たちを前にした対談(1992年、エミール社刊、澤地・北御門共著、『トルストイの涙』収録)で、ミッドウェーの海戦での「日本側の一番若い幼い戦死者は15歳です……日本は満14歳で志願して15歳で死んでいった。それこそ人を愛することも、あるいは失恋することも知らない、人生のほんの入口で死んでいった子供たちが含まれて帰ってこないんです」と、痛切な思いを込めて語っていた。

 そして、「そういう意味で私は……戦争に対して『ノー』と命がけで言わなきゃならないだろうという人間にとうとうなってしまったと思います。それが今から四十七年前の八月十五日に、ああ神風は吹かなかったと思い、それまでは何とかして戦争に行って死のう、死ななければ申しわけないと思っていた人間の人生が行き着いた場所です」とも。

                 *

 長浜功氏はこの『国民学校』でも少し触れているが、他のところで、戦時中、皇民教育の旗を振ったファシスト教育者どもが戦後、民主主義教育者になりすまし、時代の寵児となって、しまいには進歩的な教育者として大学の学長までなりおおせた――など、とんでもない実例を実名を挙げて、紹介している。

 「戦後民主教育」など、一皮剥けば、その程度のこと。
 一枚、めくり返せば、そこには、戦時中の皇民教育、死の教育の、なおギラついた目が、こちらを睨んでいる。

 だから、検定歴史教科書なのだ、だから君が代・日の丸なのだ。

                 *

 北御門二郎さんは東大英文科を中退し、農村で晴耕雨読(訳)の毎日を送り、生涯を絶対平和主義のトルストイとともに歩み続けた方だ。
 
 民主主義の仮面をかぶり、子どもに墨を塗らせて、過去の犯罪を隠滅して来た者どもとは、人間の格が違う。

 日本の教育改革は、戦時中、「戦争にノー」と言った北御門二郎さんの、絶体絶命の極限まで遡り、「死の教育」を否定するところから始めなければならない。

                 *

 「生き残り」を賭けた、トーナメント戦及びバトルロイヤル戦に子どもたちを追い込み、「死の教育」をなおも続ける、日本の権力者たち。

 子どもに号令をかけ続け、子どもの自由を許さない、統制教育のネオファシストどもに、「死の学校」を運営するタリバンを笑う資格はない。

Posted by 大沼安史 at 09:21 午後 いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2009-07-25

〔渇っ! BOO仙人の連坊語録〕 誰が、日本語を殺したか?

 【注】 この「BOO仙人」(またの名をBOO寛、あるいは連坊小路の良寛さま???)の、ありがたい御言葉は、小生(大沼)の盟友、小笠原信之(フリージャーナリスト)のブログ、「閑居愚考」の「コメント」欄に、ななんと仙人さま直々に、お寄せになられたもの(あるいは、それに加筆したもの)であります。
 BOO仙人は、いずれ、『ヘイヘイ語録』として上梓したいものじゃの、などとおっしゃられております。(ヘイヘイ? 永平なら、聞いたこと、あるけど……???)

  ⇒ http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nbsn001/comment/20090724/1248415752#comment

     誰が、日本語を殺したか?
 
 むむ、われらの世代の(コトバの)ベースは……たぶん何もない?!――お主の言う通りじゃな。

 それはなぜか?――わしはの、「国語」教育を含む、文部省の「国(=愚)民化・統制教育」が元凶と信じておる。子どもの生きる時間・空間を囲い込む「ネオ国民学校」の「国語教育」が元凶なんじゃ。

 そうじゃ「国語」。「国」語。「日本(人)語」じゃなく。

 「検閲教科書」で「正しい読解」を強制し、コトバをつくり・コトバで遊び・コトバで自己=他者=世界へ向かう道筋を全部閉ざしておる。

 サンズイを跳ねないから×、間違った解釈だから×、起承転結じゃないから×、字がキタナイから×、60点しかとれないから×、95点だから○、正しい答えだから花○

 なんじゃ、ウカンムリじゃなく、ナベブタに見えるとぉ~??
 なら、文部省国語統制局長(?)に聞くが、お前さん、あの良寛さまの、あの素晴らしい、崩しの漢字と仮名、どお、お考えかな?

 な、何…………キタナイ、跳ねてない、×だ、零点だ、「1」だ、落第だ、とぉ~~
 
 ま、それはともかく、ではなぜ、この国では、コトバの世界を「校門」で封鎖しておるか?

 コトバは未来を、可能性を拓くものだから、子どものコトバを封じておるのじゃ!
 コトバは人間の、新しい可能性を生み出すものだから、コトバを殺しておるのじゃ!

 コトバ(自分&他者&世界=希望)を持った新世代による「世直し」を怖がっておるのじゃ。

 「国語」とはの、日本人の「コトバ」をたわめる、「日本語」をつぶす、「日本人」を飼い殺す、仕掛けなんじゃよ。

 言論の自由・表現の自由・思想の自由……すべては「コトバの自由」、じゃがなもし。

 わしはの、この国のコトバは今、あの戦時中並みの低レベルへ落とし込まれているとみる。

 コトバを考えず、コトバを疑わず、自分のコトバを持たず、愛のコトバも忘れ、黙って、お国のために生きて死んで行け!

 誰がコトバを、本を殺したか?

 そう、きまっとる。「お国」の「国語教育」じゃがなモチ。

 

Posted by 大沼安史 at 09:14 午前 BOO仙人の連坊語録 | | トラックバック (0)

2009-07-21

〔教育コラム 夢の一枝〕 公立「中高」で「入試」をする頽廃 

 私が暮らす仙台市の連坊で、旧・県立宮城ニ女高の立替工事が進んでいる。公立の中高一貫校に生まれ変わるのだそうだ。

 受験産業が早速、騒ぎ出し、受験生(小学生)を相手に「模試」を実施する、と宣伝している。

             *

 この仙台の新設「中高一貫校」に限らず、「中高」の「中」は、もちろん、義務教育の段階だ。

 そこにどうして点数による「競争原理」を持ち込むのか?

 「高」ならまだしも、「中」で。しかもその「中」の狭き門に挑むのは、「小」(学生たち)である。

             *

 アメリカにチャータースクールという公設民営校がある。そのシステムについては省くが、地域住民全員の税金(の一部)が投入された準公立校である。

 けっこう、人気が高い。

 だから「選抜」することになるが、方法は――「籤引き」か「(空き)順番待ち」だ。

 公平の原則が徹底している。

             *

 当然だ。公立学校は――とりわけ義務教育段階の公立学校は、税金で(つまり、自治体を構成するみんなの負担で)運営される学校だから、中高一貫校といえども(教委の直接統制をまぬかれたチャータースクールといえども)、一部の「お受験組」のための学校ではないし、そんなふうに運営してはならない。

             *

 公立学校――いや、「学校」とはそもそも、「学力を引き上げる」場所であるはずだ。学力の低い子どもに、より注意を向け、援助する場所であるはずだ。

 入試をして、小学校から塾通いした(教育投資を一身に浴びた、教えやすい)「点数の高い子」を集める……

 教育界のモラルは、どこに行った? 

 どうしても「入試」するというなら、点の低い子から取りなさい……などといったら、あなた方はきっと、せせら笑うのでしょうね。
 
 
 

Posted by 大沼安史 at 02:07 午後 コラム・夢の一枝 | | トラックバック (0)

2009-07-19

〔教育コラム 夢の一枝〕 日本の夏休み……りんごの木の育たない夏  ブレイクの詩に寄せて  

 統制教育の国の、遅く、短い「夏休み」が始まった。

 小学生から夏期講習……。
 新聞に、新設高校の「模擬試験」の大広告。合格力の判定。

 日本の夏は学力の夏。点数、学力、キンチョーの夏。
 「夏休むな」の「夏休み」……

         *

 「学力世界1」のフィンランドでは、6月には「夏休み」に入る。休み返上で、学習塾に通う子はたぶん、いない。

 「学力日本1」の秋田では、教育界のスキャンダルが噴き出ている。長老ボスが、やたら金を借りまくって、使い込み、お亡くなりになった由。

 「教育界・統制ピラミッド」があるから、こういう不祥事が。
 大分も秋田も同じだ。人事に利権……子ども、そっちのけ。

         *

 「学力崩壊」の責任を、子どもや教師に押し付け、涼しい顔の文科省。
 統制の元凶、教育行政の当事者、責任者は、君たちではないか!

 ズル、ごまかし……それを英語では、Cunning と言う。

         *

 ブレイクの詩、「夏に(To Summer)」の一節。

   絹を脱ぎ捨て 流れに飛び越め!
   われらが谷は 誇りの夏を愛してる! 
  
         *
 
 何それ、試験に出る?
 出ないから、大丈夫。余計なこと、考えるんじゃない!

         *

 ブレイクの詩を、もうひとつ。こんどはもろ「学童(The School Boy)」!

   夏の朝 学校へ?
   ああ、うれしさ、全部、飛んじゃうよ
   疲れ果てた教師の残酷な目
   一日が台無しだ
   ため息と絶望だけだ

   But to go to shool in a summer morn,
      O! it drives all joy away;
      Under a cruel eye outworn,
      The little ones spend the day,
      In sighing and dismay

         *

 遊ばせちゃだめなんだよ、教えこまなくちゃだめなんだ!……予習、復習、ドリル、テスト。
 覚え込ませるんだ、詰め込むんだ、正解だ、マルだ、点数だ!

         * 

 ブレイクは言った。

 「リンゴの木はね、ブナの木に、育ち方、聞いたりしないよ」

   
 

Posted by 大沼安史 at 08:32 午後 コラム・夢の一枝 | | トラックバック (0)