〔フクシマ・For the Reord〕 武蔵野市 給食牛乳 7ベクレル/キログラム検出 小学生に飲ませないと決断 給食牛乳の安全基準に先鞭 ★ 宮城県 25ベクレルでも飲ませる!
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OECDの「ピザ(PISA)」(「ピザ」と発音する)で、日本は今回、〈「読解力」が前回15位から8位になり、初回00年の水準に回復〉(読売)した。
⇒ http://news.google.co.jp/news/more?pz=1&cf=all&ned=jp&cf=all&ncl=d50BKzIxpvzKeVMbKHkV2BnyYIhkM
なぜ、日本の15歳の「読解力」は、少し高まったか?
日本の文科省の学習指導要領による「統制教育」が威力を発揮したとみる者は、おそらく1人もおるまい。
では、なぜ?
これはもちろん、僕の勝手な「読解」に過ぎないが、メールののやりとりが、15歳の読解力を上げている、からだろう。
しかし、メールのやりとりは前年も同じ程度、行われていたはず。
にもかかわらず、どうして「読解力」は「上がった」のか?
思うに……15歳同士の間の人間関係の断絶の深化が、この1年で、さらに進んだためではないか?
個の分断が、否応なしに、相手の言わんとする意味、狙いをさぐりあてる「読解力」を育てている…………?
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さて、今回の(2009年の)調査には、上海が初参加し、いきなり「全分野トップ」を達成した。
ニューヨーク・タイムズ (⇒ http://www.nytimes.com/2010/12/07/education/07education.html )によれば、上海でのテストは、オーストラリアのテストNPOの監督下で行われたそうだ。(米国の専門家は、上海のテスト結果の正確さは疑い得ない、と同紙に語っている)
上海を知る米国の専門家によれば、今回の結果で最も重要なことは、「中国は暗記学習の国」という、広く信じられていた仮説が一蹴されたことだそう。
では、「暗記」でなくて何が?
その答えに直接結びつくものかどうかは知らないが、タイムズ紙の記事には、こうある。
In Shanghai, the authorities have undertaken important curricular reforms, and educators have been given more freedom to experiment.
上海では当局がカリキュラム改革を進め、教師にはより大きな(教育)実験の自由が与えられている。
ここに、上海と日本の、決定的な違いが?!
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日本の子どもたちは「いい会社」に入りたがるが、中国では「起業して社長になる」と言う子どもが多いそうだ。
師走の街を、寒風に吹かれながら、喪服のような黒服で、成算なき就活を続ける、日本の若者たち。
僕の住む仙台の街角で飛び交う元気のいい言葉は、ほとんどが中国語である!
Posted by 大沼安史 at 05:01 午後 いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
「図書新聞」最新号(12月18日付)に、書評が掲載された。
「見出し」だけ、紹介する。「近代の限界を超える教育の書――「モードル」の自由と自治の学校」。
グリーンバーグさんに聞かせてあげたいような、深く、的確な書評だった。
訳者としても、たいへん、嬉しい。
⇒ http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_article.php
☆ ダニエル・グリーンバーグ氏の主著、日本語全訳 遂に完成 教室を広場に! 学びのアトリエに! 世界創造の場に! 新たな世界を創る場に!
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog2/2010/09/news-3208.html
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Posted by 大沼安史 at 03:52 午後 NEWS | Permalink | トラックバック (0)
「フラクタルの父」、ブノア・マンデルブロートさんがお亡くなりになった。
フランス系アメリカ人のユダヤ人数学者、85歳だった。
時事通信 ⇒ http://www.jiji.com/jc/zc?k=201010/2010101700011
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マンデルブロートさんが提唱した「フラクタル」とは何か?――
それは、ひとことで言って、「自己相似性(Self-similarity)」の原理である。
同じパターン、同じ式の単純な「繰り返し」の中から、複雑なパターンがさまざまに生成されるが、元に戻せば、そこにあるのは、同じパターン、同じ式……!
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僕にはもちろん、あいまいな理解(無理解)があるだけで、「フラクタルとは何か」、正直言って、正しく定義する自信はないが、そこに何か、深い真理が潜んでいることは、直感できるような気がする。
マンデルブロートさんの訃報(死亡記事 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/science/father-of-fractals-dies-at-85-2109421.html )を読み、マンデルブロートさんが遺した――
(ことし2月、カリフォルニア・ロングビーチでの収録 ⇒ http://www.ted.com/talks/benoit_mandelbrot_fractals_the_art_of_roughness.html)
――最後の講義ビデオを視聴して心に留まり続けるものは、ある人間の学びとは(その人の人生とは)、その人間の個人としての「フラクタクル」としての発展、それ以外の何物でもないのだな……という事実に由来する感動である。
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そう僕が思うのは無論、マンデルブロートさんの数学理論をトレースしたからではない。
知識の理解ではなく、僕の体験として了解でしかない。
61歳になった今、自分の人生を振り返って、その原初にあるものを見ようとする時、今現在に通じる、あるパターンなり、考え方、傾向、ズレのようなものが、その後の人生の基本にあったことに気付き、その事実を(苦笑をもって)認めざるを得ない。
それ、すなわち、「自己相似性」の再確認!
三つ子の魂は、少年、青年、中年、老年を通じて、それがどんなに激しく転変しようとも、自己相似性についてはまったく不変である……これは、誰しも自分自身の経験から頷くことができることではないか。
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自分というシンプルなパターンの繰り返し――その中から、複雑な自分というものが生れるのだ。
ピカソを見るがよい! あの劇的な変わりようは、ピカソという「自己相似性」があったればこそ、現象し得たものではなかったか!
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マンデルブロートさんのことし2月の最後の講演のタイトルは、「フラクタル――ラフであることの芸術(Fractals and the art of roughness)」だった。
講義の冒頭、マンデルブロートさんは、こう言った。
Roughness is part of human life forever and forever.
「ラフなもの(パターン)こそ、人生である。永遠に、永遠に」
自分の中のラフなもの――いまだ規則化されていないもの――を、自分というアンデンティティーの原基として、それを永遠に繰り返して行く。
そこに、その人間の、学びを通じた自己実現があるはずだし、あるべきではないか?!
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この世に生れた、〈私〉というフラクタル――自己相似形をどう維持し、発展させるか?
そこにたぶん、今日の教育の課題が(希望が)あるのではないか、と僕は思うのだ。
「子どもというフラクタル」を――それ自体においてナチュラルでシンプルなものを――早々と抑圧し、解体してはならない。
その子の「かたち」を破砕してはならない――と僕は思うのだ。
子どもたちに、学びの反復による、自己創造を赦す教育が――学校が、生れなければならない。
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マンデルブロート氏は、ビデオ講義の最後を、まるで遺言のように、以下のような言葉で締めくくっていた。
Bottomless wonders spring from simple rules, which are repeated without end.
底知れない驚きはシンプルなルールから生れるものです。終わりのない繰り返しの中から。
自分というものを生涯にわたって繰り返して行く。
それを子ども期において早くも破壊している現状は、許されるべきことではない。
Posted by 大沼安史 at 10:29 午後 コラム・夢の一枝 | Permalink | トラックバック (1)
フランスで、高校(リセ)の若者たちが、サルコジ政権との闘いに決起している。
ネオリベ・サルコジ政権が進めようとしている「年金改悪」案に、フランスの高校生たちが、真っ向から立ち向っている。
「年金」とは無縁な(?)10代の若者たちが、「年金」問題で闘う、自分たちの親の世代を支援している……。
これはすごいことだ。
パリからの報道によると、校門封鎖などが実施された高校(リセ)は、全国4300校余りの高校(リセ)のうち約700校に達したそうだ。⇒ http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101501000168.html
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仏文科省のまとめでも、全仏260の高校(リセ)で抗議行動は起きたという。
パリ郊外、モントルイユでは、高校生が、警官隊の「フラッシュ・ボール」ゴム弾の直撃を受けた。
目に、直撃を受けた。失明しないか、心配だ。
デモに立ち上がった高校生に対して、「フラッシュ・ボール」の「狙い撃ち」を命じたサルコジ政権!
もうこうなると、あとはない。
(フラッシュ・ボール ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Flash-ball)
モントレイユの女性市長は、警察の武力行使を非難したそうだ。
⇒ http://www.liberation.fr/societe/01012296426-greve-du-mieux-a-la-sncf-10-raffineries-sur-12-affectees
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フランスの労組は19日にゼネストを行う。そう、投票で決めたそうだ。
なぜ、19日かと言うと、その日、フランス国民議会の上院が、年金支給を60歳かた62歳へ「引き上げる」サルコジの改悪案に対し、投票を行うからだ。
⇒ http://www.bloomberg.com/news/2010-10-14/french-unions-to-strike-on-eve-of-senate-vote-on-sarkozy-pension-overhaul.html
製油所の労組のストで、ガソリン不足が生じ、サルコジの足場が揺らいでいる。
ロマ族(ジプシー)国外追放で排外主義をあおり、年金問題では「君たちの負担増につながるよ」と若者を脅かしてみせるなど、フランス民衆を欺き続けて来たサルコジ政権だが、ここにきて、思いがけない「高校生の反乱」が噴出し、いよいよ、追い詰められたかたちだ!
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そこで、日本の高校の教師のみなさんに、本ブログとして、緊急アピール!
フランスの高校生たちの闘いを授業、及び、ホームルームの討論の中で、ぜひとも紹介していただけませんか!
「援助交際」でカラダを売ったり、パンツを売ったり、同級生の「イジメ」に励んだり、「難関大学」突破を目指して、「偏差値上げ」に汲々とすることだけが、高校生のすることではないと、今、この時点で続いている、フランスの高校生たちの「決起」の姿を紹介しながら、日本の高校生諸君に、伝えてあげてはいただけませんか?
Posted by 大沼安史 at 08:23 午後 コラム・夢の一枝 | Permalink | トラックバック (0)
「自由とデモクラシーの学校」、サドベリー・バレー校の指導者、ダニエル・グリーンバーグ氏の主著、Worlds in Creation が、東京の緑風出版から刊行されました。
⇒ http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1001-7n.html
邦訳のタイトルは 『自由な学びとは―サドベリーの教育哲学』(四六版、476頁)定価3400円プラス税。
間もなく書店の店頭に並ぶ予定です。
拙訳です。邦訳476頁の大著。私(大沼)としては、この仕事をし終えたことで、自分の人生の基底を、ぎりぎりのところで、今、ようやく治癒・肯定・確定できたような気がしています……。
今朝、刷りたてホヤホヤが届き、夕方からひとり祝杯です!
雨が上がり、夕空が晴れて……
う~ん、すばらしい装丁! (いつものように斎藤あかねさんの作品です。そう、世界は夜明けを待っている!……)
Posted by 大沼安史 at 11:36 午前 サドベリー・バレー | Permalink | トラックバック (0)
「この裁判で学校が変わってほしい!」――自死した新任の女教師の遺族が、そう訴える裁判が静岡で続いている。
死んだ娘の死を無駄にしてほしくはない。「学校」のあり方を真正面から考える契機にしてほしい。
そんな裁判が静岡で続いている。
Posted by 大沼安史 at 07:12 午後 いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
2010QS世界大学ランキングが発表された。
⇒ http://www.topuniversities.com/university-rankings/world-university-rankings/2010/results
アジア勢では香港大学(2009年24位⇒2010年23位)が、日本の東大(22位⇒24位)を抜いてトップに立った。
九州(155位⇒153位)、筑波(174位⇒172位)が上昇、京都(25位⇒25位)は横ばい、大阪(43位⇒49位)、東工大(55位⇒60位)、名古屋(92位⇒91位)、東北(97位⇒102位)、北海道(171位⇒175位)が順位を下げている。
Posted by 大沼安史 at 09:45 午前 NEWS | Permalink | トラックバック (0)
2007年の日本の公的教育支出(対GDP比)は、世界の主要国28ヵ国中、28位だったことが、OECDの調査で確認された。
「世界最低の国」日本! チョー・サイテー!
毎日新聞(電子版) ⇒ http://mainichi.jp/life/edu/news/20100908ddm002100105000c.html
05年が最下位、06年ワースト2、そしてまたも、最下位。
ところで、サイテーの「2007年」とはどんな年だか振り返ると、
★ 防衛庁が防衛省に昇格!
★ 憲法改正へ向け国民投票法 可決!
★ 前年の9月発足の安倍晋三政権がこの年の9月26日に失速・退陣!
★ 全国学力テスト、43年ぶりに全員調査で実施!
★ 高校教科書 沖縄・集団自決問題の検定意見問題が社会問題化!
ウィキ 年表 ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/2007%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2
http://ja.wikipedia.org/wiki/2007%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB
かわいそうな日本の子どもたち!
かわいそうな、子どもを持った、ビンボーな日本の家族!
そういえば、この年、「教育再生」がしきりに叫ばれていたっけ!…………
OECD 発表データ
⇒ http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/education/20100907eag.pdf
● 主要国における公財政教育支出の対 GDP 比
(%) 全教育段階 初中等 高等
日本 3.4 2.5 0.6
OECD 平均5.2 3.5 1.2
米国 5.3 3.7 1.2
英国 5.4 4.1 0.9
フランス 5.6 3.7 1.2
ドイツ 4.5 2.9 1.1
カナダ 4.9 3.1 1.8
イタリア 4.3 3.1 0.8
ロシア 6.1 3.4 1.0
韓国 4.2 3.1 0.6
Posted by 大沼安史 at 07:08 午前 NEWS | Permalink | トラックバック (0)
「中学3年生」といえば、日本の基礎教育の「完成年度」である。この最終学年で、小・中「9年」間の「義務教育」が完了。年明け3月の卒業式では「日の丸」を仰ぎ、「君が代」を歌って、輝かしい未来に向けて巣立って行く(…………ことになっている)
日本の文科省による「統制・管理教育」の「学年」は――4月にはじまり、3月に終わる「学年」は、こうして毎年、過ぎて行く。
全国一斉、一糸乱れぬ、画一的な、整然たる姿で……。
川崎市の「学年」も、こうして過ぎて行く(…………はずだった)。
何事もなく(いや、何事も表面化せず)平穏無事に…………過ぎて行く(はずだった)。
ひとりの男子生徒が死ぬまでは…………。
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一学期の後半の6月7日、市立中学の中3男子が自宅で自殺した。
「友人のいじめを救えなった」と、手書きの遺書を残していた。
神奈川新聞(電子版)⇒ http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1006100005/
友人も、自分も、いじめに遭っていた。
遺書には、自身の生い立ちを振り返る内容や、両親への感謝の気持ちなども書かれていた。
それから3ヵ月が過ぎた、今月(9月)4日、その学校の調査委員会が、「いじめ自殺」の調査報告書をまとめた。
報告書は――同級生や保護者からの指摘を受けてもいじめを見抜けず、報告体制にも問題があった教員側の対応などを含めて「学校全体がいじめ状態にあった」――と結論づけた。
神奈川新聞 ⇒ http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1009040035/
「学校全体がいじめ状態にあった」……そういう「学校全体のいじめ状態」の中で、中3の男子が自殺した。
友人を救えなかったことを悔いながら…………。
これを受け、川崎市の教育委員会は翌々日の6日、「市立の小中学校、高校、特別支援学校の合計172校の校長らを集めた臨時合同校長会議を開いた」。
神奈川新聞 ⇒ http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1009060045/
今後、1ヵ月を「児童生徒指導点検強化月間」と「位置づけ」、「教育相談」や「教職員研修」などを「実施」し、「いじめ問題の適切な対応方法などを示したリーフレットを全教職員に配布」して、「再発防止」に向けた取り組みを進める――そうだ。
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川崎市の教育委員会は恥を知るがよい。
「学校全体をいじめ状態」にし、一人の男子を死に追いやった、君たち、教育委員会の指導監督責任は、どうなったのだ?
「リーフレット」を配る?……
そこに君たちは、またも「人命の尊さを思い……」などといった、空疎な文字を――それも「活字」で並べ立てるつもりなのか?
そうして「再発防止」に向けた取り組みの中で、「学年」をやり過ごしてしまうつもりなのか?
「友人を救えなかった」男子が命を絶ったのは、学校の運営者である君たち教育委員会の責任である。
君たちがこれからも「教育者」を名乗り続けるのであれば、「友人を救えなかった」男子を「救えなかった」――いや、「救わなかった」責任を、真正面から引き受けるところから始めるべきだろう。
今後1ヵ月間にわたって「点検強化」すべきは、君たちのモラルであり、君たちの教育者としての姿勢である。
問題は「再発防止」ではない。問題は、それを起こしてしまった、ことだ。取り返しのつかないことを起こしてしまったことだ。
中3の手書きの「遺書」は、君たち教育者=教育官僚に対する、若い命の最期に綴った、抗議のメッセージをあることも、忘れてはいけない。
その子が苦しみながら生き続け、ついに離脱して行った「学年」の「生き地獄」を管理・運営して来たのは、君たちなのだから。
Posted by 大沼安史 at 03:57 午後 いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)