2009-07-15

〔For the Record〕 「ヒロシマ・記憶の閃光」 三宅一生さんがニューヨーク・タイムズに寄稿(7月14日付) 全訳〔非公式・拙訳〕

 拙訳(非公式・全訳)

  ヒロシマ・記憶の閃光(A Flash of Memory )
   三宅一生(ISSEY MIYAKE)

 ことし4月、オバマ大統領は、核兵器なき世界の平和と安全を追求すると誓った。彼は核兵器の単なる削減ではなく、廃絶を呼びかけたのだった。彼の言葉は、私の中に深く埋もれていたものを呼び覚ました。私がこれまで、話したくないと思っていたものを甦らせた。

 私はその時、分かったのだ。私には、オバマ氏が「閃光」と呼んだものを生き延びた一人の人間として、声に出して訴える、個人的で道徳的な責任がある、と。

 1945年8月6日、最初の原爆が私の町、ヒロシマに投下された。私はそこに、いた。わずか7歳だった。目を閉じると、誰も経験してならないものが、まだ見える。まばゆい赤い光。直後に立ち上がった黒い雲。逃げようとして、あらゆる方向に走る人たち――私はいま、その全てを想い出す。私の母は放射能を浴びて、3年経たないうちに死んだ。

 私はあの日の記憶を、あの日の思いを、誰かに伝えようとしたことは一度もなかった。うまくは行かなかったが、私はそれを背後に置き去りにして、忘れようと努めて来た。破壊ではなく、創造することが可能な、美と喜びを運ぶものを考えようとしながら。私は被服デザインのフィールドに魅かれて行った。その理由はひとつに、それがモダンで楽観できる創造的なものだったからだ。

 私は、過去に自分のことを決めさせまいと努めた。ラベルを貼られるのがいやだった。「原爆を生き延びたデザイナー」――。だから、私はヒロシマに関する質問を、いつも避けて来たのだ。それは、私を落ち着かない気分にさせた。

 しかし、私は今、分かっている。世界から核兵器を一掃しなければならないとしたら、私はそれを議論しなければならないことを。8月6日の世界平和の日に、あの運命の日を記念する日に、オバマ氏をヒロシマに招く運動が生まれている。私は彼が招待を受けることを希望する。私は過去に拘ろうというのではない。アメリカの大統領のゴールは、未来の核戦争をなくそうとするものだと、世界に対して告げたいからだ。

 先週、ロシアと米国は核兵器の削減合意に調印した。これは重要な出来事だった。しかし、私たちは、ナイーブであってはならない。一人の人間だけで、ひとつの国だけで、核戦争を押し止めることはできない。日本の私たちは核武装した隣人、北朝鮮からの脅威とともに生きている。他の国々が核のテクノロジーを取得した、とのレポートもある。平和の希望を生み出すには、世界の人々はオバマ大統領の声に、自分たちの声を合わせなければならない。

 もしもオバマ氏がヒロシマの平和橋を渡ることができれば――その橋の欄干は、日系アメリカ人の彫刻家、イサム・ノグチが、彼自身の東と西の絆と、憎しみを乗り越えた人間同士の協力を記念して、デザインしたものだ――、核の脅威を恐れることのない世界を創造する、現実的で象徴的な一歩となるだろう。ひとつの歩みは、世界平和に、一歩、近付くことである。

⇒   http://www.nytimes.com/2009/07/14/opinion/14miyake.html?partner=rss&emc=rss

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2009-01-21

〔NEWS〕 「この日のために たくさんの人が死んだ……」「危機に瀕し、瀬戸際に臨み、尖端に立って……この光の中を、歩き続ける、歌を讃えよ」 オバマ就任式 エリザベス・アレキサンダーさんの祝い詩(うた)

 黒人女性詩人、エリザベス・アレキサンダーさんの「オバマ大統領」への祝いの詩は散文詩だった。

 例によって、教養のなさを顧みず、拙訳を。

            △ △ △

 大統領就任を祝う詩(うた) 

 今日この日を讃え、歌え。

 私たちは毎日、仕事に出かける。互いにすれ違い、相手の目を見たり、見なかったり。話かけようとしたり、話していたり。私たちとはつまり、ざわめき。私たちとはつまり、騒音、そして荊。棘、そして喧騒。でも、その一つひとつが、私たちの言葉の祖先。誰かが服のへりを縫い上げている。制服の穴をかがっている。パンクを直している。直さなければならないものを直している。

 誰かが何処かで音楽をつくる。ドラム缶の上を不器用に木の匙で叩いて。ドラム缶は太鼓になり、チェロやアンプやハーモニカや声を、響かせる。

 女と息子は、あのバスを待つ。

 農民は空の変化に考えを巡らす。教師は言う。「鉛筆を出して。さあ、始めなさい」と。

 私たちは言葉の中で出会う。棘ある言葉だったり、優しい言葉だったり。ささやかれた言葉、声に出した言葉。考え、考え直す言葉。

 誰かの意志が刻まれた泥道を、道路を、私たちは渡る。「向こうに何があるか、知らなくちゃならない。この道の果てには、きっといいことがある」と言った、大勢の人たちの歩いた道を。

 安心していられる場所を、私たちは見つけなくちゃならない。まだ見ることのできない場所へ、私たちは歩いてゆく。

 一言申し上げるなら、今日この日のために、たくさんの人が死んだ。死んだ者たちの名前を歌い上げようではないか。私たちをこの場所へと届けてくれた人を。鉄道の線路を敷いてくれた人を。橋を架けてくれた人を。綿花やレタスを摘んでくれた人を。煉瓦をひとつずつ積み上げ、壮麗な建物を築き、清潔に保ち、中で働いてくれた人を。

 闘いを讃え、歌え。今日この日を讃え、歌え。手書きの文字のひとつひとつを讃え、歌え。台所のテーブルで書かれた文字を讃え、歌え。

 「汝のごとく汝の隣人を愛せよ」を、いま生きている人がいる。

 「病める人に害を与えることなかれ」を、「無用に貪ることなかれ」を生きている人がいる。

 「愛」という言葉がもし、戦争や宗教や国家を超えた、何ものにも負けないものであるなら。「愛」がもし、溢れる光を広げるものなら。「愛」が悲嘆に目を背けないものなら。

 今日この日の直射する陽の閃きと、冬の清冽な大気の中にあっては、すべては可能であり、すべては語り出すことができる。

 危機に瀕し、瀬戸際に臨み、尖端に立って……この光の中を、歩き続ける、歌を讃えよ。

 

 Inaugural Poem

 Praise song for the day.

 Each day we go about our business, walking past each other, catching each others' eyes or  not, about to speak or speaking. All about us is noise. All about us is noise and bramble,  thorn and din, each one of our ancestors on our tongues. Someone is stitching up a hem,  darning a hole in a uniform, patching a tire, repairing the things in need of repair.

 Someone is trying to make music somewhere with a pair of wooden spoons on an oil drum with  cello, boom box, harmonica, voice.

 A woman and her son wait for the bus.

 A farmer considers the changing sky; A teacher says, "Take out your pencils. Begin."

 We encounter each other in words, words spiny or smooth, whispered or declaimed; words to consider, reconsider.

 We cross dirt roads and highways that mark the will of someone and then others who said, "I need to see what's on the other side; I know there's something better down the road."

  We need to find a place where we are safe; We walk into that which we cannot yet see.

  Say it plain, that many have died for this day. Sing the names of the dead who brought us here, who laid the train tracks, raised the bridges, picked the cotton and the lettuce, built brick by brick the glittering edifices they would then keep clean and work inside of.

  Praise song for struggle; praise song for the day. Praise song for every hand-lettered sign;   The figuring it out at kitchen tables.

  Some live by "Love thy neighbor as thy self."

  Others by first do no harm, or take no more than you need.

  What if the mightiest word is love, love beyond marital, filial, national. Love that casts a widening pool of light. Love with no need to preempt grievance.

  In today's sharp sparkle, this winter air, anything can be made, any sentence begun.

  On the brink, on the brim, on the cusp -- praise song for walking forward in that light.

⇒  http://www.nytimes.com/2009/01/20/us/politics/20text-poem.html?_r=1&scp=1&sq=Elisabeth%20Alexsander&st=cse

Posted by 大沼安史 at 11:16 午前 8.For the Record | | トラックバック (0)

2008-09-27

〔For the Record〕 「 ペロシさま お願い!」 ひざまずくポールソン財務長官 ホワイトハウス 「クズ債券・庶民押し売り・大失敗」劇のお粗末!

 ウォールストリートの金権ドラゴンどもが、クズ債券を米政府(=納税者)に買い取らせて生き残るを謀る工作が、ホワイトハウスでの緊急トップ協議であえなく挫折した。

 9月27日(木曜日)夜、白亜の館の閣議室でのお粗末。

 片膝をフロアにつけて、民主党のペロシ下院議長に、クズ債券買取案、流さないで必死に嘆願するポールソン財務長官。(スキンヘッドの大男が女性議長にすがりつく、あまりにも劇的な光景!!)

 ペロシ議長(イタリアからの移民の家系。ローマ・カトリックの敬虔な信者)がキツイ、一発を決めた。

 「あら、あんたがカトリックだなんて知らなかったわ」
 「あたしが抜こう(ブロー・アップ)としているんじゃない。共和党でしょう?」

 ポールソン長官 「(わたしも共和党の野郎どもが反対していること)知ってますとも、知ってますとも……」 

 ……the Treasury secretary, Henry M. Paulson Jr., literally bent down on one knee as he pleaded with Nancy Pelosi, the House Speaker, not to “blow it up” by withdrawing her party’s support for the package over what Ms. Pelosi derided as a Republican betrayal.

“I didn’t know you were Catholic,” Ms. Pelosi said, a wry reference to Mr. Paulson’s kneeling, according to someone who observed the exchange. She went on: “It’s not me blowing this up, it’s the Republicans.”

Mr. Paulson sighed. “I know. I know.”

 ニューヨーク・タイムズの「報道」です。

⇒  http://www.nytimes.com/2008/09/26/business/26bailout.html?_r=1&scp=1&sq=Paulson%20was%20down%20on%20one%20knee,%20begging%20&st=cse&oref=slogin

Posted by 大沼安史 at 05:45 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2008-07-24

〔For the Record〕 金融バブル崩壊 ブッシュ大統領 「ウォールストリートは酔っ払っちまった。二日酔い、してるぜ」だと

 英紙インディペンデントによると、ブッシュ大統領は先週、テキサス州ヒューストンでの共和党資金集めパーティーでスピーチし、「景気後退の瀬戸際にある」(同紙)米経済の元凶をウォールストリートだと名指しして、次のようにコメントした。

 「ウォールストリートは酔っ払っちまった。こういうこと、言うつもりだったから、テレビカメラは入れるなと頼んだわけさ。あそこは酔っ払って、いま、二日酔い、してるぜ。問題はいつ素面になるかだ。それから、ヘンテコリンな金融商品、やめないとヤバイぜ」
 
  "Wall Street got drunk, that's one of the reasons I asked you to turn off the TV cameras. It got drunk and now it's got a hangover. The question is how long will it sober up and not try to do all these fancy financial instruments."

 同紙によれば、ブッシュ大統領はダラス市の高級住宅街で、新しいマイホーム探しをしているそうだ。米国民が「住宅ローン地獄」にあえいでいるのに……

 ブッシュ氏よ、君もバブル酒、飲んで、相当、酔っ払ったんじゃないの?…… 

⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/americas/bush-wall-street-got-drunk-and-now-its-got-a-hangover-875780.html

Posted by 大沼安史 at 12:57 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2008-04-05

〔For the Record〕 オバマ氏 「A More Perfect Union」スピーチ

 遅ればせながら、オバマ氏が3月18日、フィラデルフィアで行った、「より完全な団結を目指して」演説を、歴史の記録として再録することにする。

 ビデオと演説草稿の全文。草稿と実際の演説はほとんど変わりない。

〔大沼・注〕 オバマ氏には2冊の著作がある。「自伝」と「政治論集」。
 「自伝」を読み終え、いま政治論集を読み進めているところだ。いずれも邦訳があることを知らずに、英語の原書で読み始めてしまった(だから、どうしても時間がかかってしまう)。

 いずれ、ぼくなりの「オバマ小論」を書くつもりだが、その圧倒的な描写力、記述力、表現力には驚かされる。(たとえば、ケニアの村を訪れ、祖父と父親の墓参りをしたくだり等々)

 オバマの政治姿勢についてニューヨーク・タイムズは「シビル・リバタリアン」と書いていたが、この2冊(まだ1冊半)を読んで、その意味が分かった。

 自伝によれば、オバマ氏は、コロンビア大学に転学して、ニューヨークのイースト・ハーレムの外れに住んでいたそうだ。
 ちょうどその頃、ぼくはそのイースト・ハーレムに1週間ほど通い、歩き回っていた……。
 ただそれだけのことだが、なんとなく嬉しいし、懐かしく感じられる。

 1984年当時のイースト・ハーレムは、公立学校改革が進み、貧困との戦いの真っ最中にあった……。NPO活動をしている若い黒人女性(ブラウン大学を出たばかりだった)に、スラムを案内されたことを今でも覚えている。〔ぼくは、どんなきっかけで、彼女と知り合ったのだろう? 思い出せない。すべてがまるで、夢だったように……〕

 そんなイースト・ハーレムから、オバマ氏はコロンビア大学卒業後(いったん就職後)、シカゴのサウス・サイドのスラムに向かう。

 そして、そこでのコミュニティー組織者としての活動が、彼の政治活動の原点になってゆく。

 ぼくの英語力は貧しいかぎりだが、オバマ氏の「言葉」には「真」を感じる。感動してしまう。〔恥ずかしいことだが、涙を流してしまう……。これは、ぼくが落ち込みからの回復過程にあるせいかも知れない〕

 危機のアメリカに改革者がついに登場した……これが率直な、ぼくの感想である。   

⇒  http://www.truthout.org/docs_2006/031808A.shtml

Posted by 大沼安史 at 11:06 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2008-02-29

〔For the Record〕 わたしは「馬鹿げた、軽率な戦争」(イラク戦争)に反対だ! オバマ 2002年10月の演説

 オバマ候補の2002年10月の「イラク反戦演説」が、米国の「共通の夢」サイトに「再掲」されたので、本ブログにも載せることにする。

 オバマの祖父は「真珠湾」の翌日、志願、ヨーロッパ戦線で戦ったそうだ。

 オバマは「対日戦争」を「反ファッショ」の「「正義の戦争」を見ているのかも知れない……

⇒ http://www.commondreams.org/archive/2008/02/28/7343/

Posted by 大沼安史 at 10:56 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2008-02-20

〔NEWS〕 オバマ、ウィスコンシンでも勝利し、「9連勝」

 ワシントン・ポストの速報(アラート)によると、オバマ候補はウィスコンシン州予備選で「快勝」した。

 ヒラリー候補は、3月4日のオハイオ、テキサスで「2勝」しなければレースを続けられない状況に追い込まれた。

⇒ http://blog.washingtonpost.com/livecoverage/2008/02/politics_wisc_feb_19_ledeall.html

Posted by 大沼安史 at 12:59 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2007-11-17

〔For the Record〕 「一緒に昼飯、食おうぜ。それが楽しみだ」 日米レームダック首脳会談 開口一番 ブッシュ大統領が軽口

 レーム・ダック同士が初顔を合わせし、その場を取り繕った日米首脳会談だった。
 ホワイトハイスの発表で、ブッシュ大統領の「歓迎演説」を読んだが、ブッシュの態度はひどすぎた。
 開口一番、「昼飯食おう。それが楽しみだ」と軽口をたたいたのである。

   原文テキスト: PRESIDENT BUSH: Mr. Prime Minister, welcome to the White House. I really appreciate the opportunity to get to know you better. I'm looking forward to our lunch.

 福田首相もなめられたもんだ。

 ブッシュの野郎、いまにみておれ。

 福田首相よ、「日米安保」など破棄したらいかが……。


http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/11/print/20071116-8.html

Posted by 大沼安史 at 08:23 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2007-06-14

〔For the Record〕 イラク占領     「日本もモデル」 ゲイツ米国防長官が言明 

 ゲイツ米国防長官は5月31日、ハワイ・ホノルルで記者会見し、イラク戦争をめぐる基本的な考え方を示した。

 このなかでゲイツ長官は「イラク占領」のあり方について、「韓国モデルもひとつだ。われわれが日本と結んでいる安全保障モデルも、もうひとつのモデルである」と言明した。

 And the idea is more a model of a mutually agreed arrangement whereby we have a long and enduring presence, but one that is by consent of both parties and under certain conditions. And the Korea model is one. The security relationship that we have with Japan is another.  

 ゲイツ国防長官のこの「ホノルル発言」は、米軍による「イラク占領」の恒久化を意図したものとして注目を集め、「韓国」をモデルにしているとの報道が広がっていたが、実は「日本」もまた、米国が望む「占領」形態のひとつとされていることが明らかになった。

〔大沼・注〕

 占領の「韓国モデル」とは、米軍の恒久基地を国内に展開、休戦ラインで敵(イラン)と対峙するもので、「日本モデル」とは、全土を制圧の上、親米政権との間で安保関係を構築、国内に恒久基地網を広げる構想とみられる。

 今回のゲイツ長官の「ホノルル発言」は、すくなくとも米側の認識おいて(もちろん、事実においても)「日本」が米国(米軍)によって事実上「占領」されている現実をはしなくも示したものだ。

 そう、その通り、日本は米軍の軍事「占領」下にあるのだ。
 だから、首都圏の空を米軍機がわがもの顔に低空飛行し、沖縄を「基地の島」に使いまくっている……。

 安部首相が「戦後レジーム」からの脱却を言うなら、この「美しい国」から、米軍をまず、たたき出すべきである。


http://www.defenselink.mil/transcripts/transcript.aspx?transcriptid=3974

Posted by 大沼安史 at 03:16 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2007-04-28

〔For the Record〕 「慰安婦」問題 「世界の歴史における痛ましい(regrettable)一章である。わたしは安部首相の謝罪を受け入れる」「率直、心底、謝罪した この男(this man=安部首相)とともに日米両国を前進させたい」 共同会見でブッシュ大統領が発言 安部首相「そうした環境に、彼女たちが置かれたという事実について、わたしは謝罪を表明した」と釈明

 安部首相とブッシュ大統領の会談が4月27日、ワシントン郊外のキャンプ・デービッド山荘で開かれた。

 会談後の記者会見で安部首相は、「慰安婦とされ、奉仕しなければならなかった方々(ホワイトハウスのテキストでは、「わたしの人びと(my people)」となっているが、安部首相の単なるいい間違いか、英語への翻訳ミスだろう)、極度の苦難に置かれ、犠牲となって苦しまなければならなかった方々に対し、わたしは実に心底、同情している。そうした環境に、彼女たちが置かれたという事実について、わたしは謝罪を表明した」と語り、「客観的な事実はない」「狭義の強制性はなかった」としたこれまでの「国会答弁」を撤回した。

 安部首相は「20世紀は世界の多くの場所で人権が侵害された世紀だった。だから、わたしたちは21世紀を、人権侵害のない世紀にしていかなければなりません」と述べ、「慰安婦」問題も「多くの場所での」出来事のひとつであると希釈=一般化を図り、今世紀を人権侵害のない世紀に、と、「美しい世界」の夢(理想)を語ることで「逃げ」を打ちながら、今世紀の人権侵害である「拉致」問題に「振ろう」としたが、ブッシュ大統領は「慰安婦問題は、この世界の歴史における痛ましい(regrettable)一章である。わたしは安部首相の謝罪を受け入れる」と述べ、「慰安婦」問題もまた今に続く現在の問題(is)だとして、現代(在)史=同時代史のなかにおいて史実化=事実化する一方、安部首相の「謝罪」もまた史実化=事実化した。

 そのうえでブッシュ大統領は「安部首相の声明の謝罪は率直かつ心の底からのものだった。わたしは、この男(this man=安部首相のこと)とともに、日米両国を前進させることを望む」と述べ、「慰安婦」で謝罪したので日米関係のパートナーとして認める、とのブッシュ政権としての考えを明確化した。

(大沼・注)

 安部首相は訪問先の大統領山荘での共同会見で「謝罪」を明確化し、ブッシュ大統領はこれを「受け入れた」。

 安部首相にとっての次の課題は、「慰安婦」の自宅を訪ね、「謝罪」し、「受け入れ」てもらうことである。

 飼い犬が噛んだ相手ではなく、飼い主のところをまっすぐ走っていって、ごめなさいと尻尾を垂れ、「よし、許してやる」と言われて、喜びのあまり尻尾を振っているだけでは済まされない。

 「慰安婦」問題が世界史の一章として事実認定された以上、文科省は速やかに「検閲教科書」の「書き換え」を行い、「美しい国」のこどもたちに真実を告げるべきである。

 これでもまだ「事実ではない」と主張される自民党の「有志」諸君は、安部(自民党)総裁に辞表を出し、党籍を捨て去るべきである。
 

                   ● ★ ☆ ○

 ホワイトハウス発表の共同会見の内容は以下の通り。

 Q A question on the wartime comfort women issue. Mr. Prime Minister, on this issue, did you explain your thoughts to President Bush, and on this matter, did you talk about further factual investigations on the matter, and any intent to apologize on the issue?

 Also, a question for Mr. President on the comfort women issue. From the perspective of human rights and Asian history perceptions, I wonder if you could express your thoughts or views.

 PRIME MINISTER ABE: Well, in my meeting with the congressional representatives yesterday, I explained my thoughts, and that is I do have deep-hearted sympathies that my people had to serve as comfort women, were placed in extreme hardships, and had to suffer that sacrifice; and that I, as Prime Minister of Japan, expressed my apologizes, and also expressed my apologizes for the fact that they were placed in that sort of circumstance.

 The 20th century was a century that human rights were violated in many parts of the world. So we have to make the 21st century a century -- a wonderful century in which no human rights are violated. And I, myself, and Japan wish to make significant contributions to that end. And so I explained these thoughts to the President.

 PRESIDENT BUSH: The comfort women issue is a regrettable chapter in the history of the world, and I accept the Prime Minister's apology. I thought it was very -- I thought his statements -- Kono's statement, as well as statements here in the United States were very straightforward and from his heart. And I'm looking forward to working with this man to lead our nations forward. And that's what we spent time discussing today.

 We had a personal visit on the issue. He gave his -- he told me what was on his heart about the issue, and I appreciated his candor. And our jobs are to, obviously, learn lessons from the past. All of us need to learn lessons from the past and lead our nations forward. That's what the Prime Minister is doing in a very capable way.


http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/04/20070427-6.html

Posted by 大沼安史 at 11:32 午前 8.For the Record | | トラックバック (0)

2007-04-27

〔For the Record〕 「歴史問題でアジアに対立が生まれることになれば、誰も日本の側につかない」「一方的な憲法改訂だと、日本の立場は悪化しかねない」 フランシス・フクヤマ氏がNYT紙で警告

 ニューヨーク・タイムズ紙のノリミツ・オオニシ東京支局長による、「日本の首相、政治的に様変わりしたワシントン訪問へ」とのタイトルの記事が、同紙電子版(4月26日付け)に掲載された。

 このなかでオオニシ支局長は、安部首相がワシントンに一晩しか滞在しないことについて、「第二次世界大戦における日本の行いに対する、潜在的に不都合な質問への露出を、限定するため」との見方を示した。

 さらにオオニシ支局長は、記事のなかで、アメリカの政治哲学者、フランシス・フクヤマ氏へのインタビューを紹介した。

 日系アメリカ人のフクヤマ氏は、「歴史問題でアジアに対立が生まれることになれば、誰も日本の側につかないだろう」と言明、安部政権に警告を発した。

 フクヤマ氏の発言は以下の通り。

The U.S. is going blindly into an alliance with these people without appreciating the fact that their friends in Japan aren’t on the right side of history, as with the ‘comfort women’ issue. If you end up polarizing Asia on these history issues, nobody will be on the side of Japan.

(アメリカは日本の友人たちが、「慰安婦」問題で明らかになったように、歴史の正しい側にないことを理解しないまま、〔安部首相ら〕これらの人びとと闇雲に同盟しようとしている。歴史問題でアジアに対立が生まれることになれば、誰も日本の側につかないだろう)

Everybody, including the Japanese themselves, says that nobody should be worried about Japan revising its Constitution. I think that is basically right. But the Japanese have to make their case. It’s not about letting China or Korea have a say in this matter. The Japanese need to take time in their public diplomacy to explain why they want to do this. If they do this unilaterally, the situation in Asia could get a lot worse.

 (日本人自身を含め誰もが、日本が憲法を改訂することを、懸念すべきではない、と言っている。わたしは、これは基本的に正しいことだと考える。しかし、日本人はこれを自分たち自身で(改訂の理由を)明らかにすべきである。それはこの問題で、中国や韓国に発言させるということではない。日本人は、なぜそれを欲しているか、理由を説明するために、公衆を相手とした外交に時間をかけなければならない。もし、彼らが一方的なことをすれば、アジアでのその立場はひどく悪化しかねない)

 (大沼・注)

 フクヤマ氏はつまり、日本の憲法改訂はアジアの公衆を納得させるものでなければならない、それに失敗してゴリ押しすると、日本の立場は非常に悪くなる、と警告しているわけだ。

 まさに然り、「歴史」問題と「憲法」改訂は不可分の関係にある。

 「慰安婦」「靖国」などの「歴史」問題に頬被りし、居直りを決め込んで、「憲法」改訂に進むわけにはいかない。

 アジアの孤児になりかねからだ。

 「いつか来た道」に踏み込んではいけない。

 「憲法」を改訂するというなら、まず「歴史」問題の解決、決着が先だ。


http://www.nytimes.com/2007/04/26/world/asia/26abe.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=all

Posted by 大沼安史 at 10:11 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2007-04-23

〔For the Record〕 「民衆の声は、どんな政府も抑えられない」 歴史家ハワード・ジン氏 アメリカ革命の原点、ファニエル会館で語る

  アメリカ史の古典、『民衆のアメリカ史』で知られる反骨の歴史家、ハワード・ジン氏(84歳)が4月16日の米国「愛国者の日」に、「アメリカ革命」の原点のひとつ、ボストンの「ファニエル会館」で講演した。

 講演のタイトルは、「政府が抑えられない権力」。反戦放送局、「デモクラシー・ナウ」のキャスター&ジャーナリストのエイミー・グッドマンさんが、ジン氏の講演について、「真実を掘り返す」サイトに書いていたので、ここに記録としてとどめることにする。

 ジン氏はチョムスキーと並ぶ、アメリカ反戦派の代表的知識人のひとりで、ボストン大学名誉教授。
 アトランタの黒人女性カレッジ、スペルマン・カレッジでの教員時代に黒人解放運動に参加して以来、アンガージュする知識人として活動を始め、1980年、記念碑的な労作、A People's History of the United States を発表、アメリカの歴史観を一新した。

 グッドマンさんによると、英国からの独立を願う人々が集まった場所として知られる「ファニエル・ホール」での講演でジン氏は、ガンジーやキング牧師に大きな与えた、地元、コンコードの聖人、ヘンリー・ソローから語り出し、ソローが当時の米墨(メキシコ)戦争の抗議し、納税を拒否して逮捕された史実を紹介、イラク戦争に反対して闘う、現代の納税拒否者に通じるものだと指摘した。

 ジン氏はさらに、盲聾唖の三重苦を克服したヘレン・ケラーについても、ソロー以来のアメリカの市民的不服従の流れのなかに位置づけ、「ヘレン・ケラーは愛国者だった。彼女はラジカルであり、教育者であり、アジテーターであり、社会主義者だった。彼女はカーネギーホールで反戦を語り、当時の労働組合を支持した。彼女自身、自分に関する劇が上演される劇場の前のピケットラインを、くぐろうとしなかった」と語った。

 ジン氏はまた、バージニア工科大学の悲劇をイラクの悲惨をつなぎ、平和を望む民衆の抵抗について次のように述べた。

 To omit or to minimize these voices of resistance is to create the idea that power only rests with those who have the guns. … I want to point out that people who seem to have no power, whether working people, people of color or women—once they organize and protest and create movements—have a voice no government can suppress.

 こうした抵抗の声を無視したり、最少のものにすることは、権力が銃を持つ者のみにあるという考えを産み出すものだ……わたしは指摘したい。労働者であれ、有色人種であれ、女性たちであれ、権力を持たないを思われた人々が、いったん組織をつくり抵抗し運動を作り出したとき、どんな政府も抑えきれない「声」を持つものだということを。

 Have a voice no government can suppress!
 
  胸に響く、ジン氏の言葉ではある。
 高齢にもかかわらず旺盛な執筆・講演活動を続ける氏の健康と健闘を祈ろう。


http://www.truthdig.com/report/item/patriots_day_stop_the_violence/

Posted by 大沼安史 at 10:37 午後 8.For the Record | | トラックバック (1)

2007-04-21

〔For the Record〕 「慰安婦」問題 安部首相 「われわれは責任を痛感している」NW誌に明言 外務省 首相インタビューのWSJ紙女性エディターを「SUSHI」接待攻勢 

 安部首相は訪米を前に、アメリカの2つの報道機関のインタビューに応じた。、「慰安婦」問題で首相の「言明」を厳しく批判していたニューヨーク・タイムズ紙とワシントン・ポスト紙ではなく、ニューズウイーク誌とウォールストリート紙と会見した。

 会見の内容は両誌(紙)とも4月21日付けの電子版で報道した。

 ニューズウイークのラリー・ウェイマウス記者との会見で安部首相は、従軍「慰安婦」問題でのやりとりで以下のように述べた。(訳は拙訳) 

  As you know, your comments on "comfort women" caused an outcry in the United States. Do you really believe the Imperial Army had no program to force Korean, Chinese and other women to provide sexual services to Japanese soldiers?

 (ご存知のように、「慰安婦」に関するあなたのコメントは、アメリカで轟々の非難を引き起こしました。あなたはほんとうに、皇軍が朝鮮や中国、その他の女性たちを日本兵に性的サービスを提供するよう強制しなかったと信じているのですか?)

  I have to express sympathy from the bottom of my heart to those people who were taken as wartime comfort women. As a human being I would like to express my sympathies, and also as prime minister of Japan I need to apologize to them. The 20th century was a century in which human rights were infringed upon in numerous parts of the world, and Japan also bears responsibility in that regard. I believe that we have to look at our own history with humility, and we always have to think about our responsibility.

 (わたしはわたしの心の底から、戦争時に慰安婦として連れ去られた人びとに同情を表明しなければならない。ひとりの人間として、わたしはわたしの同情を表明したい。そしてまた、日本の首相としてわたしは彼女たちに謝罪するべきである。20世紀は、世界の数多い地域で人権が侵害された世紀だった。日本もまたこの点で責任を負っている。われわれは自分自身の歴史を謙虚に見つめなければならないと信じている。そしてわれわれは常にわれわれ自身の責任を考えなければならない)

  Do you now believe that the Imperial Army forced these women into this situation?

 (皇軍がこうした女性たちをそうした状況へと強制したと、いまやあなたは信じていますか?)

 A With regards to the wartime comfort-women issue, my administration has been saying all along that we continue to stand by the Kono Statement [a 1993 acknowledgment of Japan's partial responsibility for the brothels]. We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.

 (戦時中の慰安婦問題に関して、わたしの政権はこれまでずっと、われわれは河野談話〔日本の慰安所に対する部分的な責任を認めた、1993年の承認〕を支持し続けていると言い続けて来た。当時の状況下において、これらの女性たちを強制し、慰安婦として苦難と苦痛の目に遭わせたことに、われわれは責任を痛感している)

 (大沼・注)

 「われわれは河野談話を支持し続けていると言い続けて来た」というくだりには、首を傾げざるを得ないが、全体として明確な「われわれに責任あり」の言明である。

 遅まきながら、「責任と謝罪」を明言したことは、評価に価するが、「責任」をどう今後、具体的に「謝罪」するのか、世界は見ている。

 「実行」が伴わないと、また「ダブルトーク」と批判されますよ。

 さて、WSJ紙の会見は、香港の「ウォールストリート・アジア」の論説エディター、メアリー・キッセル記者が行った。

 キッセル記者によれば、会見が決まってからというもの、1週間にわたって、日本の外務省から連日、電話が入り、事前に質問事項を出せ、質問は6つにしてくれ、など、注文が続いたという。
 おまけに「外務省のさまざまな役人たちが、わたしをSUSHIと、静かな会話に誘った」とか。

 キッセル記者はまた、こうも書いている。
「(日本政府の)PR軍団は明らかに、会見のことを心配しているのだ。安部首相は先月、第二次大戦下の占領地において、中国人、朝鮮人、その他の国の女性たちの強制売春――いわゆる「慰安婦」問題で何の役割を果たしていなかったと言明して、重大な失態を演じた(彼はその後。誤ったが、メディアの激怒をとめるのには遅すぎた)」と。

 「スシ接待」でご機嫌をとろうとし、挙句の果てにその「接待攻勢」まで、キッセル記者に書かれてしまった外務省の役人たち……。

 これまた歴史的な事実として、記録にとどめなければならない。


http://www.msnbc.msn.com/id/18233740/site/newsweek/page/3/

http://online.wsj.com/article/SB117712351794177733-search.html?KEYWORDS=Abe&COLLECTION=wsjie/6month

Posted by 大沼安史 at 09:56 午後 8.For the Record | | トラックバック (5)

2007-04-12

〔For the Record〕 温家宝首相 国会演説全文 「侵略戦争の責任は指導者にあり、日本の民衆の責任でない」

 温家宝・中国首相が12日行った国会演説の全文は次の通り。

 ⇒ http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2007/04/12/20070412010003421.html

(大沼・注)

 温首相の国会演説の全文を、共同通信が配信(上記、山陽新聞サイト)で、

  仏紙ルモンドのポンス東京特派員の記事を、同紙サイト

(⇒ http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3216,36-894820@51-894526,0.html

で読んだ。

 ポンス記者は今回の温首相来日を「外交的な晴れ間における新段階」を生み出したものと指摘、両国間の懸案である歴史問題については、温首相が「中国占領下、日本軍が行った犯罪は、一握りの日本の指導者の責任であり、日本の民衆全体が非難されるべきではない」と語った、と述べた。

 この部分について、共同通信は、温首相が以下のように語ったと伝えている。 

「あの侵略戦争の責任は、ごく少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も戦争の被害者であり、中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければなりまぜん」

 この温首相の発言を、「戦争指導者」の末裔、縁戚につながる(戦後、CIAのスパイになったとされる某参謀関係者ら)日本の国会議員は、どんな気持ちで聞いていたのだろう?

 

Posted by 大沼安史 at 09:14 午後 8.For the Record | | トラックバック (1)

2007-04-06

〔For the Record〕 「民主主義国家指導者の恥」 ワシントン・ポスト紙 従軍慰安婦問題 社説(全文・非公式訳)

 ワシントン・ポスト紙はさる3月24日付け紙面で、「安部晋三の二枚舌(ダブル・トーク)」と題する社説を掲げた。
 安部政権(あるいは、この「美しい国」)が、米国の主流ジャーナリズムによってどのような見られているか端的に示す、重要な社説である。
 同時代(現代)史の史料として、遅ればせながら全文、訳出しておく。

               安部晋三の二枚舌
    彼は北朝鮮による日本人犠牲者には熱心だが、日本自身の戦争犯罪には盲いている

 北朝鮮に関する6者協議で今週、最も強硬だったのは、ブッシュ政権ではなかった――。ブッシュ政権は見苦しくも、金正日の要求に応え、銀行口座の資金2500万ドルをあたふたと引き渡そうとしていた――それは日本である。東京は北朝鮮に対し、北が数十年前、拉致したとされる17人の日本人につて情報を提供するよう主張している。答えがなければ関係改善に関する議論はできないと拒否している。この一本調子の政策は安部晋三首相の、高潔な道徳原則上の問題として描き出されている。安部首相は日本人の犠牲者たち――13歳で拉致されたという少女も含まれているといわれている――を、国内で弱まりつつある自分への支持を動員するために利用して来たのだ。

 安部氏にはピョンヤンの石壁に苦情を述べる権利がある。奇妙なのは――そしてまた不快なのは――、第2次世界大戦中、数万人の女性を拉致、強姦、性の奴隷化したことに関する日本の責任受諾を巻き返そうとする、平行した同氏のキャンペーンである。米連邦議会下院で審議中の公式謝罪を求める決議に対し、安部氏は今月、2度にわたり、日本軍が女性拉致に関与したことを証明する記録文書はないとする言明を繰り返した。先週、彼の内閣によって承認された文書声明は、いわゆる慰安婦に対する残酷な処置を認めた1993年の政府声明を弱めている。

 実際問題として、この問題に関する歴史的な記録は、北朝鮮が日本市民を誘拐し、教師や通訳として使っていた証拠以上に、不確かなものではない。歴史家たちによれば、朝鮮、中国、フィリピンをはじめその他アジアの諸国から最大20万人もの女性たちが奴隷化され、日本軍兵士が拉致に加わったとされている。そうした制度を生き延びた女性たちは、下院で先ごろ証言した3人を含め、恐るべき体験を語っている。日本政府はこれまで決して、彼女たちの苦しみに対する責任を完全に引き受けようとして来なかった。あるいは金銭補償も十全には行ってこなかった。これだけでも十分、ひどいことである。つまり、安部氏の従来の政府声明から後退しようとしていることは、主要な民主主義国家の指導者としては恥である。

 安部氏は、拉致における日本政府の直接関与を否定すれば、北朝鮮に回答を要求する道徳的権威を強化できると考えているのかも知れない。それは逆の効果しかもたらさない。もし安部氏が誘拐された日本人の運命を知るため、国際的な支持を取り付けたいなら、日本自身の犯罪の責任を直截に引き受けるべきである――。そして、自分が中傷した犠牲者らに対し、謝罪すべきである。

 (大沼:注)「主要デモクラシー」の指導者として「恥(ディスグレース)」である!……厳しい指摘ではある。
 これをアメリカの言いがかりというなら、米議会でのアルメニア人虐殺決議に反発するトルコ政府のように、沖縄などからの米軍基地撤去要求、思いやり予算全廃を通告してみてはいかが? 


http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html

Posted by 大沼安史 at 06:36 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2007-03-10

〔For the Record〕「わたしを犯さず、やさしくしてくれた特攻隊員が一人いた。彼はわたしに何度もいった。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きなければならない』」 元「従軍慰安婦」、イ・ヨンスさんが証言 ルモンド東京支局長、フィリップ・ポンス氏が取材し報道 

 フランスのルモンド紙の東京支局長で、日本の歴史文化に明るいフィリップ・ポンス記者が3月5日、先にワシントンの連邦議会下院小委で証言したイ・ヨンス(李容洙)さん(78歳)と都内の韓国レストランで会い、彼女の話を聞いて記事にした。

 その記事を読んで驚いた。彼女はなんと14歳で、軍用性奴隷の地獄へ連れ込まれていたのだ!
 しかも、自宅から、日本軍の兵の手で!

 ポンス記者はこう書いている。
 
 「現在の韓国南東部、大邸で生まれたイさん(マダム・イ)が14歳のときだった。『1944年の秋のある朝のことです。寝ていると、わたしを呼ぶ女の声がします。出て行きました。日本兵がひとりいて、わたしを捕まえ、力ずくでわたしを連行したのです』。汽車は彼女をピョンヤンから中国の大連へと運んだ。大連で彼女は台湾行きの船に乗せられ、自殺パイロット(カミカゼ)の基地の軍用売春宿に配備された」

 台湾の特攻機地の慰安所での体験を、イさんはポンス記者にこう語っている。

 「(慰安所になった)船上で、わたしたち5人は300人の兵にあてがわれました。年上のお姉さんがわたしを隠してくれました。その基地で、わたしは殴られ、犯され、死ぬまで放置されました。わたしの手は針金で縛れていました」

 そんな地獄の日々のなかで、イさんはひとりの特攻隊員(パイロット)に会った。
 「ひとりのパイロットがわたしにやさしくしてくれました。彼はわたしに何度も言いました。『ぼくは死ななくちゃならない。しかし、あなたは生きねばならない』と。その人だけが、わたしを犯しませんでした」

 哀切きわまる証言ではないか!
 台湾の特攻機地の慰安所で、こういうことがあったのだ!
 ぼくは死ねけど、君は生きろ、と励ます特攻隊員がいたとは!

 上記、「やさしくしてくれた」という拙訳は、字義通りに訳せば、「世話をしてくれた」となる。
 その特攻隊員はもしかしたら、イさんを妹のようにも思い、気遣ったのではなかったか?!

 イさんの証言は続く。
 「何ヶ月かが過ぎていきました。わたしがあてがわれた小さな船室には毎日、10人の兵士がやって来ました。船室には寝床と布団と消毒液がありました。最後の任務(自殺攻撃)に出て行った彼らは、(わたしの部屋に)長居していました。(特攻隊員の)彼らもまた犠牲者だったのです」

 イさんは自分を奪った特攻隊員たちを、同じ犠牲者だと言っているのだ。彼女自身と特攻隊員を、台湾の慰安船の一室に押し込め、一方で「生き地獄」を強い、他方で「散華」を迫ったものを憎み、告発しているのだ。

 そして、ついに光復の日が……。
 「ある朝、日本兵が突然、いなくなりました。街の方から中国語の叫び声が湧き上がりました。『戦争は終わった』と」

 ポンス記者は、1992年、日本の歴史学者(吉見教授)の手で日本軍の「参謀本部の関与」を示す旧軍の資料が発見され、それが翌年、宮沢政権下、河野官房長官による「談話」につながった経緯について紹介するとともに、旧軍が配下の「人買い」を「下請け」にして、騙したり、まったくの奴隷として女性を慰安所に供給していたことも多かったとも指摘。そのことを口実に、軍の全面直営ではなかったとして「河野談話」を否定する、日本の「右寄りへの回帰」の動きを批判している。

 そう、その通り、すべてを「下請け」の「業者」のせいにすることはできないのだ。「業者」に下請けに出した「軍部」こそ、責任を取らねばならない。

 安部首相よ、あなたの祖父、岸信介氏が手を結んだ日本の軍部こそ、14歳の少女、イさんらを性の地獄へ突き落とし、若い特攻隊員を「散華」に追い込んだ輩であることを、あなたは認めるべきである。

  
 

http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3216,36-879493@51-875240,0.html

Posted by 大沼安史 at 01:44 午後 8.For the Record | | トラックバック (2)

2007-03-09

〔For the Record〕 「15歳でわたしの心は死んだ」「世界に向かって叫びたかった……」 元「従軍慰安婦」3人が豪シドニーで「生き証人」として「客観的事実」を証言  ニューヨーク・タイムズ紙のオオニシ東京支局長が現地取材で報道

 日系カナダ人のニューヨーク・タイムズ紙東京支局長、ノリミツ・オオニシ記者が、豪シドニーに飛び、3月7日、国際会議に出席していた3人の元「従軍慰安婦」から直接、話を聞いた。

 以下に紹介するのは、8日付け、同紙(電子版)に掲載されたオオニシ記者のレポートの抄録である。

 オオニシ記者は、米議会下院小委に「従軍慰安婦」問題に関する決議を提案した、同じ日系のマイク・ホンダ議員(民主党、カリフォルニア選出。イラク出征を拒否したワタダ中尉を支援)にも取材、こんなコメントを引き出している。

 「安部首相は事実上、(元従軍慰安婦の)この女性たちは嘘つきだと言っているに等しい」

 オオニシ氏もホンダ氏も「美しい国」の首相の愚かで醜い「客観的事実ではありません」発言を残念に思っているのだろう。

 安部首相よ、中山議員よ、以下の「生き証人=客観的事実」たちの胸のうちに思いを馳せよ。
 
 そして「従軍慰安婦アウトソーシング論」をこねまわす自らの醜悪さを反省し、この3人の元へ行って懺悔したまえ!

                   *
 

● 台湾人女性、ウ・シュウメイさん(当時23歳 現在90歳)の証言

 メードとしてホテルで働くウ・シュウメイさん(当時23歳)が、台湾人のボスの手で日本官憲引き渡されたのは1940年のことだった。
 彼女とほかの約15人の女性は、中国南部に、性奴隷となるため送られた。
 「慰安所」と呼ばれる現地の「ホテル」は台湾人によって経営されていたが、日本軍専用だった。1日20人以上の兵士と、連日、1年近く、セックスを強いられた。堕胎も数回、繰り返し、子どもを産めない体になった。
 慰安婦だった過去を隠して2回、結婚した。2回とも夫に気付かれ、不幸は結末になった。女の子を養子に迎えた。
 その娘がいま、彼女に腹を立てているという。公の場で過去を話す母に怒っているのだ。

 ● 朝鮮人女性、ジル・ウォンオクさん(当時15歳、現在78歳 韓国在住)

 ジルさんはピヨンヤンの日本軍基地前で、求職の列のなかにいた。朝鮮人男性が近づいてきて、工場で仕事があるといった。連れて行かれた先が中国北部の慰安所だった。梅毒にかかり、腫れ物ができた。
 「わたしの心は15歳のときから死んでいるのです」と、彼女は言った。
 子どもを産めないからだになった。結婚もできなかった。男の子を養子として育てた。

 ● オランダ人女性、ジャン・ラフ・オヘルンさん(現在 84歳。オーストラリア在住。オオニシ記者は彼女の娘のキャロルさん宅でインタビューした。なお、彼女の米連邦議会下院小委での証言は当ブログに収録)

 「慰安所」から解放され、日本軍の「駐屯地刑務所」からジャワ島に戻った彼女に、両親は「沈黙」を誓わせた。尼僧になろうと考えた彼女に、神父が言った。「尼僧にならない方が賢いことだ」と。
 戦後、彼女が将来の夫の英軍兵士、トム・ラフさんに会ったのは、駐屯地でのことだった。結婚するまで一度だけ、トムさんに身の上話をしたことがあった。

 「わたしはそのことについて(本当のことを詳しく)言わなければなりませでした・でも、わたしは言えませんでした。わたしはトムを愛し、結婚をしたかったし、家に住みたかった。わたしは家族がほしかった。子どもたちもほしかった。でも、セックスをしたくありませんでした。彼はとても辛抱強くならなければなりませんでした。彼は良き夫でした。そのことを話し合うことができなかったので、すべてがとても大変でした」

 「言えません……これがわたしが夫に言い続けたことでした。わたしは彼に(結婚前)一度だけ話したことがあっただけで、そのあと二度と話したことはありません。当時の世代にとって、大きすぎる話だったのです。母も向き合うことができませんでした。父も、わたしも、トムも。みんなそれを終わりにした。いまの時代なら、すぐにカウンセリングを受けることができるけれど」

 「こんな途方もない重荷を自分のなかで引きずることがどれだけ苦しいことか、みなさんにはわかりますまい。世界に向かって叫びたいけれど、それが出来ない……。わたしは以前、娘のキャロルにこう言ったことを覚えています。『いつか、わたしの物語を話してあげるわね。そのときはみんな聞いてくれると思う』と」


http://www.nytimes.com/2007/03/08/world/asia/08japan.html?hp

Posted by 大沼安史 at 10:32 午前 8.For the Record | | トラックバック (0)

2007-03-08

〔For the Record〕 「慰めにもならない」 ニューヨーク・タイムズ 「従軍慰安婦」問題で社説

 ニューヨーク・タイムズ紙は3月6日、「No Comfort(慰めにもならない)」との見出しで、安部首相の「従軍慰安婦」問題発言に対する社説を掲げた。

 本日(8日)付け朝日新聞(朝刊)によれば、外務省はニューヨーク・タイムズ紙に「ニューヨーク総領事による反論文の掲載を求める」という。

 ニューヨーク・タイムズ紙は「安部首相」に対してコメントしているのだから、外務省の出先の小役人の出る幕ではあるまい。

 ほんとうにその気なら、首相自ら、堂々と「反論文」を突きつけるべきだ。
 首相名の反論文であれば、ニューヨーク・タイムズ紙としても掲載を検討するだろう。

 1993年の「河野談話」を白紙に戻したい自民党の議員連盟は、ニューヨーク・タイムズ紙に全面意見広告でも出したらどうか!
 

 ともあれ、以下に、タイムズ紙の「社説」全文を非公式訳(拙訳)で紹介する。
              
                  *

                     慰めにもならない

 「日本軍性奴隷」という言葉のそのどこが、日本の首相、安部晋三をして、理解と謝罪をそれほどまでに困難なものにしているのだろう?

 そこに横たわる諸事実はかねがね、真剣な議論を超えた(疑う余地のない)ものになっている。第二次世界大戦中、日本の軍隊は、朝鮮のような植民地から駆り出した女性たちが、日本兵に性的なサービスをすることを期待する場所を開設していた。

 それらは商業的な売春宿ではなかった。女性たちのリクルートには、むき出しのものであれ、暗黙のものであれ、力(フォース)が行使された。その場所で続いたことは、売春ではなく連綿たるレイプだった。それに対する日本軍の関与は、ほかならぬ政府自身の防衛史料ファイルのなかに記録されている。東京のある高官(訳注:河野官房長官)は1993年に、この恐るべき犯罪に対し、多少なりとも謝罪している。犠牲者たちを補償金を出す(そのとき設立された)非公式の基金(訳注:アジア女性基金)は、今月末をもって終了することになっている。

 そして安部氏は、もうこれで、この問題を終わらせてしまいたい、と思っている。先週、彼は犠牲者たちが強制された証拠はないと主張した。昨日、彼は渋々、1993年の、謝罪もどきを追認したが、それはあくまで、現在、連邦政府下院にかかっている公式謝罪を求める呼びかけを日本政府が拒絶する、先制攻撃の一部として、である。アメリカだけが、日本が遅ればせながら全責任を引き受ける姿を見たいと思っている国ではない。韓国も中国も長年にわたって、この問題に関する日本のあいまいな言い方(エキヴォケーション)に怒りを覚えて来た。

 安部氏は日本の傷ついた国際的な評判を修復することよりも、この恥ずべきエピソードのすべては、健康的な(ヘルシーな)民間事業の一事例であるとする自民党内右翼大派閥にアピールすることに気を遣っているようだ。政権党のひとりの議員は日本軍の罪を晴らそうとするお門違いの熱情に駆られ、大学が学生食堂(カフェテリア)を民間企業にアウトソーシングしているとの、とんでもないアナロジー(類同)を示唆さえしている。

 日本は、真実を歪めようとすれば、不名誉をこうむるだけである。

 1993年の声明は削ぎ落とすのではなく、拡大すべきである。日本の議会は率直な謝罪を表明し、生存する犠牲者に対し寛大な公式補償を行うべきだ。日本の政治家たちは、安部首相自ら率先して、恥ずべきを過去を克服する最初の一歩は、まず事実を承けいれることであると、認めるときである。

                    *

 米下院の「従軍慰安婦問題」決議(案)にしても、1993年の河野談話を否定する動きが出ていることに対する怒りと反発がその背景にある。そしてそれは決議案のなかに明示されている。

 「拉致」問題を「解決済み」と言い張る北朝鮮と、「慰安婦」問題は「もう謝らない」と言い張る安部政権。
 
 まるで鏡に映し出したような似たもの同士ではないか!                


http://www.nytimes.com/2007/03/06/opinion/06tues3.html?_r=1&oref=slogin
 

Posted by 大沼安史 at 09:10 午前 8.For the Record | | トラックバック (1)

2007-02-21

〔For the Record〕 「日本人を許す、しかし決して忘れない」「安部首相は公式謝罪を」 オランダ人「従軍慰安婦」、米下院公聴会で証言 

 戦時中、旧オランダ領・インドネシアのジャワ島で、日本軍によって「従軍慰安婦」とされたオランダ人女性(現在オーストラリア在住)、ジャン・ラフ・オヘルンさん(84歳)が2月15日、米国・ワシントンの米連邦議会下院外交委員会アジア・太平洋・地球環境小委員会の公聴会で、他の韓国人「慰安婦」2人とともに証言した。
 
 下院には日系議員のマイケル・ホンダ氏(カリフォルニア選出、民主)らが、「従軍慰安婦」問題について日本政府に「ごまかしのない公式の謝罪」と「歴史的な責任」の引き受けを求める決議案を出している。

 この決議案について日本の麻生外相は19日の衆院予算委員会の質疑で、「決議案は、客観的な事実に全く基づいていない」と答弁、「事実無根」を公式に表明している。

 以下、オヘルンさんの「証言」を、拙訳で紹介する。

 麻生外相は、彼女の証言を知ったうえで国会答弁をしたのだろうか?

 外務省の役人の「メモ」を読み上げただけのことではなかったのか?

 恥ずかしくもあり、悲しくもある。

 ああ「美しい国」、日本!!

 ■ オランダ人元「従軍慰安婦」 ジャン・ラフ・オヘルンさん(84歳)の証言

 
 ファレオマベエンガ議長、そして小委員会の委員の皆さん:
 
 「従軍慰安婦」の悲惨さに関する、こうした公聴会を開いていただき感謝申し上げます。わたしは、他の2人の生存者である、「日本軍用性奴隷として徴用された女性たちのための韓国評議会」の李容珠(イ・ヨンス)さんと、「韓米交流教育委員会」の金君子(キム・クンジャ)さんとともに、今日皆さんの前で、わたしたちの体験談を分け合うことを喜びとするものであります。

 わたしはまた、「下院決議案121号」を提案したマイケル・ホンダ下院議員に対しても感謝申し上げたい。その決議案は、日本政府に対し「公式かつ明確な」謝罪と「歴史的な責任を取る」ことを要求しているものであります。そしてわたしは、わたしたちに正義が訪れる希望のなかで、世界に対して体験を物語ることができるよう、生き証人として招いてくださったファレオマベエンガ議長に感謝致します。

 ひとりの女性としての戦時中のわたしの体験は、人間としての尊厳を完璧に踏みにじるものであり、恥辱であり、耐えがたい苦痛であります。第2次大戦中、わたしは日本軍の、いわゆる「従軍慰安婦」になることを強制させられました。「従軍慰安婦」とは、性の奴隷をごまかした呼び名であります。

 わたしは1923年に、オランダ領東インド(現在のインドネシア)のジャワで、オランダ人入植一家の第4世代として生まれました。わたしはサトウキビの農園で育ち、最も素晴らしい少女時代を過ごしました。わたしはカトリックの学校で教育を受け、ジャワのセマランにあったフランシスコ派の教員大学を卒業しました。

 わたしが19歳だった1942年に、日本軍がジャワに侵攻して来ました。わたしはそれから3年半、数千人の(オランダ人)婦女子とともに、日本の駐屯地刑務所(prison camp)に閉じ込められたのです。日本の駐屯地刑務所でオランダ人女性たちの受けた恐怖、残虐行為、苦痛、飢餓に関しては多くの証言が語られています。しかし、ひとつの物語だけは決して語られることはありませんでした。第2次大戦中、日本人によって行われた最も恥ずべき人権侵害の物語:すなわち「従軍慰安婦(Comfort Women)」、ジュウグン・イアンフ(jugun ianfu)の物語がそれです。これらの女性たちがどのようにして、自分の意志に反し強制的に身柄を拘束され、日本帝国の軍隊のために性的サービスを強制されたかの物語です。

 わたしが駐屯地刑務所で拘束されて2年が経った1944年のことです。日本軍の高官たちが駐屯地にやって来ました。そしてこう命令しました。17歳以上のすべての独身女性は、駐屯地内に整列しろ、というのです。将校たちはわたしたちに向かって歩いて来ました。選別作業が始まったのです。彼らはわたしたちの列を行ったり来たりしながら、上から下までじろじろ見ました。わたしたちのからだや脚を見たり、指でわたしたちのあごを引き上げたりしました。そして10人を選び出したのです。そのなかにわたしも含まれていました。わたしたちは連行されたときと同様、小さなバッグひとつで、来るよう命令されました。駐屯地で拘束されていた全員が抗議しました。わたしたちの母親たちはわたしたちを取り戻そうと懸命でした。わたしは再会がかなうものかも知らず、母親と抱き合いました。わたしたちは軍用トラックに放り込まれました。わたしたちは恐ろしくて、バッグにしがみつき、互いに身を寄せ合いました。

 日本軍のトラックは、サマランの町の、オランダの植民者の大きな住宅の前でとまりました。車から降りろ、と命令されました。その家に入って、そこがどんな家なのかすぐに気づきました。日本の軍人のひとりがわたしたちに言いました。わたしたちは日本人に対して性的な楽しみを与えるためにここにいるのだと。その家は売春宿でした。

 わたしたちは声をあげて抗議しました。わたしたちは、自分たちの意志に反して無理矢理、ここに連れて来られたと言いました。彼らには、それをわたしたちにする権利はないことを言いました。それはジュネーブ条約に違反することであるとも言いました。しかし、彼らはわたしたちをあざ笑い、わたしたちを自分の思い通りにできるんだと言いました。わたしたちは日本人の名前をつけられ、ベッドルームのドアのところへ張り出されました。

 わたしたちはとても純潔な世代でした。わたしはセックスのことは何も知りませんでした。その売春宿の「オープニング・ナイト」の恐ろしい思い出は、わたしの人生のすべてを通し、わたしの心を拷問にかけて来たのです。わたしたちは食堂(ダイニング・ルーム)に行くよう命じられました。家中、日本軍の軍人だらけなのを見て、わたしたちは恐怖で身を寄せ合いました。わたしは祈祷書を取り出し、わたしたちを助けてくださいと、少女たちと一緒に祈りを捧げました。彼らはわたしたちを引きずり出し始めました。ひとり、またひとりと。ベッドルームから悲鳴が聞こえて来ました。わたしは食卓の下に隠れましたが、すぐ見つかってしまいました。わたしはその男と闘いました。力を振り絞ってキックしました。その日本軍将校は、わたしがすすんで自分を差し出さないことに、ものすごく腹を立てました。鞘から刀を抜いて、わたしに突きつけました。わたしを刀で脅し、わたしが言うことを聞かないなら殺すと言いました。わたしは部屋の隅で、もう逃げることのできない狩りで追い詰められた動物のように、からだを縮こませました。わたしは死ぬことを恐れていないことを彼に理解させました。わたしはすこしお祈りさせてくれるよう哀願しました。わたしが祈っている間、彼はわたしの服を脱がせ始めました。彼はわたしを殺す気はなかったのです。わたしに死なれてはよくなかったのです。

 それから彼はわたしをベッドに放り投げ、わたしの服を引き裂きました。かれは、ネズミをつかまえた猫のように、はだかのわたしの体の上に刀を走らせました。わたしはなお戦おうとしました。しかし、彼はわたしの上に乗って来て、わたしを重いからだで釘付けにしました。かれはわたしを最も残酷なしかたでレイプしました。わたしの顔を涙が伝いました。わたしは彼はいつまでもわたしを犯し続けると思いました。

 彼がようやく部屋を出ていくと、わたしのからだは震え上がりました。服をかき集め、バスルームに逃げ込みました。そこでわたしは、数人の少女と会いました。わたしたちはみんなで泣きました。わたしたちは完全にショック状態でした。バスルームでわたしは、わたしのからだから汚れと恥辱を洗い去ろうと懸命になりました。とにかく、洗い去ってしまおう。しかし、夜は終わっていませでした。ほかの日本人たちが待っていたのです。夜通し続きました。しかし、それは始まりに過ぎませんでした。来る週も来る週も、来る月の来る月も。

 その家は完璧に警備され、逃げることは出来ませんでした。わたしはときどき身を隠しましたが、いつも見つかり、自分の部屋に引き立てられました。わたしは(身を守るため)何でもしました。髪を全部切り落としました。丸坊主になりました。醜くなれば、だれもわたしを欲しがらなくなると思ったからです。しかし、逆にそれがわたしを関心の的にしてしまいました。彼らはみな、髪を切ったわたしを求めるようになったのです。逆効果でした。

 日本人は誰ひとりとして、わたしの抵抗を受けずにわたしをレイプできませんでした。わたしは全員と闘いました。そのため、わたしは繰り返し殴打されました。いわゆる「慰安所(Comfort Station)」でわたしは日夜、組織的な殴打とレイプを受けていたのです。わたしたちの性病を検査に来る日本人の軍医たちも、毎回かならずわたしをレイプしました。それどころかわたしたちをさらに辱めるため、検査の最中、ドアを開け放しにして、検査されているわたしたちの姿を日本人たちに見せたのです。

 「慰安所」にいる間、日本人たちはわたしを弄び、辱めました。わたしは引き裂かれ、バラバラにされたからだで、放置されていました。日本の兵士たちは、わたしの若い命を台無しにしたのです。わたしの全てを奪い去りました。わたしの若さを、わたしの尊厳を、わたしの自由を、わたしの所有物を、わたしの家族を奪い去ったのです。しかし、ひとつだけ、かれらが奪う去ることのできないものがありました。それはわたしの信仰と神への愛でした。これだけはわたしのものであって、だれもわたしから奪い去ることはできない。わたしが、日本人がわたしにした全てのことを生き延びることができたのは、深い信仰があったからです。

 わたしは日本人たちがわたしにしたことについて、彼らを許しています。しかし、わたしは決して忘れることができないのです(I have forgiven the Japanese for what they did to me, but I can never forget.)。50年間、「慰安婦」たちは沈黙を守り続けて来ました。彼女たちは汚辱にまみれた、恐ろしい恥辱を生きたのです。こうした女性たちの台無しにされた人生が人道問題となるのに、50年という歳月がかかったのです。

 「従軍慰安婦」にとって、戦争は決して終わらなかった。わたしたちはなお悪夢を見続けているのです。わたし自身、戦争が終わったあと、からだを元通りにするのに大手術を受けなければなりませんでした。

 1992年に韓国の「従軍慰安婦」たちが沈黙を破ってくれました。キム・ハクスンさんは最初に声を上げた方であります。わたしは韓国人の彼女たちが日本政府から、正義と謝罪と償いを求める姿をテレビで観たのです。わたしは彼女たちを支えようと決心しました。わたしは1992年12月、東京で開かれた、日本の戦争犯罪に関する国際公聴会で、わたし自身の沈黙を破り、第2次大戦における最悪の人権侵害のひとつである、忘れられたホロコーストを明らかにしたのです。

 わたしは過去15年にわたって、オーストラリアや諸外国で生きる「従軍慰安婦」たちの悲惨や、戦火のなかにある女性たちのため、倦むことなく活動して参りました。いまや、時間は限られています。60年後のいまこそ、「従軍慰安婦」に正義は与えられるべきであります。「従軍慰安婦」たちは、日本政府から、安部晋三首相自身から公式の謝罪を受けるに価いするものであります。日本政府はその戦争犯罪に対して全責任を引き受けなければなりません。

 1995年、犠牲者に補償するため「アジア女性基金」がつくられました。この基金は、「従軍慰安婦」に対する侮辱であります。わたしを含む彼女たちは受け取りを拒否しました。基金は民間で基金であり、資金は日本政府からではなく民間の団体からのものであります。日本は自身の歴史と向き合い、戦時中の残虐行為を認める必要があります。日本人は過去の過ちにかんする正しい歴史を教えなえければなりません。

 「従軍慰安婦」が体験を証言することは重要なことであります。議長、そして小委員会の委員のみなさん、わたしの物語を分け合う機会をくださって感謝申し上げます。わたしは、公の場でお話することで、世界の平和と和解に貢献することができるとともに、女性に対する人権侵害が二度と起こらないことを望むものであります。

 ありがとうございました。


(米下院での証言)

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200702160339.html

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84702&servcode=400&sectcode=400

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/17/20070217000018.html

http://foreignaffairs.house.gov/110/faleo021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/hon021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/lee021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/hearing_notice.asp?id=763

http://foreignaffairs.house.gov/110/kot021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/soh021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/ohe021507.htm

http://foreignaffairs.house.gov/110/kim021507.htm

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84712&servcode=400&sectcode=400

(麻生外相答弁)

http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070219/skk070219001.htm

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/19/20070219000023.html

http://news.yahoo.com/s/afp/20070219/wl_asia_afp/japanuspoliticswwiiwomen_070219063607

(河野官房長官談話)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

(日本政府公式見解)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html

Posted by 大沼安史 at 02:19 午後 8.For the Record | | トラックバック (6)

2007-01-02

〔For the Record〕 小鳥に餌をやっていたサダム・フセイン

 処刑されたサダム・フセインの獄中の様子が、看護にあたった米兵の証言で明らかになった。
 バグダッド近郊の米軍刑務所、「キャンプ・クロッパー」でサダムの世話をした米陸軍曹長、ロバート・エリス氏が、セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙(電子版、12月31日付け)のインタビューで証言した。
 
 それによると、サダムの独房は6×8フィートの大きさで、ベッドと小さなテーブルが置いてあった。テーブルの上には本が何冊か。もちろん、コーランも。

 プラスチックの椅子がふたつ。お祈り用の織物が1枚。洗面器が2個……それがすべてだった。

 刑務所の人びとはサダムを「ビクター」と呼んでいた。そう、「勝利者」の意味を持つ、英語のファーストネームである「ビクター」と。

 その「ビクター」の房をエリス氏は2日にいちど、見回った。房から自作の詩を読み上げるサダムの声が聞こえて来た。サダムと言葉を交わすようになった。

 農民の子だったと言った。その出自を一度も忘れたことはないと。

 自分の子どものことも語った。
 読み聞かせしてして寝かしつけたことや、娘がおなかが痛いと言ったときのことなどを。

 葉巻とコーヒーは血圧にいいといった。エリス氏に葉巻をすすめたこともあった。

 米軍はなぜ、イラクに侵攻したのだとも聞いて来た。米兵がマシンガンを撃ちながら突進する姿をジェスチャーで示しながら。
 「(大量破壊)兵器の査察官は何も見つけなかったろう」とも言った。

 不平を言わない模範囚だった。

 いちど、ハンストをしたことがあった。
 食事をドアの下の隙間から差し入れたときのことだった。
 ドアを開けて食事を届けるようになると、すぐハンストをやめた。
 「ライオンのように扱われたのを拒否したんだ」と、エリス氏は言った。

 サダムは食事のパンをとっておき、小鳥たちの食べさせていた。草に水をやったりもしていた。

 エリス氏が一度、きょうだいが死んで米国に戻らなくてはならなかったとき、サダムは「お前はもう、おれのきょうだいだ」と言ってエリス氏を抱きしめた。

                ◇

 エリス氏のインタビュー記事を読んで、サダムの一面を垣間見た気がした。
 罪を憎んで人を憎まず。

 サダムの「犯罪」は糾弾されてしかるべきことだが、彼を「悪魔」だといってすべてを片付けるのは間違っている。

 彼もまた、「イラク」の歴史と風土から生まれた、ひとりの人間だった。そのサダムという人間がおかした「人道に対する罪」は徹底追及されてしかるべきだが、その彼に人間性のカケラもなかったかというと、そうは言い切れない。
 エリス氏の証言は、そのことを語ってあまりあると思う。

                ◇

 このエリス氏のインタビューを読み終わって、サダムが「イラク国民」あてに書いた「手紙」(11月5日付け)の中身は「本心」から出たものだったかも知れない、と思った。

 サダムの「遺書」は一方で、「イラク万歳、イラク万歳、パレスチナ万歳、聖戦(ジハード)と戦士(ムジャヒディン)万歳」とも書いていたが、他方、「わたしはまた、われわれを攻撃した他国を憎まず、為政者と民衆を区別するよう呼びかける」とも言っていた。

 もしかしたらサダムはエリス氏との交流のなかで、そうした心境に達していたのかも知れない。

                ◇

 わたし(大沼)はサダムと会ったことはないが、カイロ特派員だった一九九〇年の秋、エジプトのナセルの庇護の下、カイロで亡命生活を送っていたサダムが通っていたカフェを取材で訪ねたことがある。
 カイロ大学に近いそのカフェは、なぜか「インディアナ」という英語名のついたカフェで、その老主人(エジプト人)はわたしに、サダムの思い出を語ってくれた。

 青年サダムの女性を見る目は激しかったと語った主人は、サダムがイラクに帰国して権力の中枢に入り「出世」を遂げたあと、イラク政府代表として再びエジプトを訪れた際、「インディアナ」に立ち寄って、亡命時代の「つけ」をすべて支払っていった、とも教えてくれた。
 
 どんな気持ちでつけ払いをしたかはわからない。しかし、借金を踏み倒さなかったことだけは事実だ。

                ◇

 苛烈をきわめた反対派の弾圧。クルド人に対する毒ガス攻撃。
 サダムの犯した罪は大きい。

 それは否定できない事実でもあるが、その極悪非道の犯罪者が看護兵のエリス氏に垣間見せた「人間性」もまた、無視できない事実であるだろう。

 人道に対する罪をおかしたものが、独房で示していた、独裁者に似合わない、ささやかなヒューマニティーのカケラは、彼がおかした「戦争犯罪」の数々とともに、記憶に残すべきことである。

 世界の希望はたぶん、そこにある。
 「サダム処刑」のあのシーンにわれわれが心乱したわけは、きっとそこにある。

              
 

http://www.stltoday.com/stltoday/news/stories.nsf/stlouiscitycounty/story/1EA24471C8BC29EE86257255000CA548?OpenDocument&highlight=2%2C%22Saddam%22

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1981148,00.html

http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2112573.ece

http://news.independent.co.uk/world/fisk/article2112555.ece

http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1980293,00.html

http://www.commondreams.org/cgi-bin/print.cgi?file=/headlines06/1229-04.htm

http://www.msnbc.msn.com/id/16389128/

http://news.yahoo.com/s/ap/20061228/ap_on_re_mi_ea/iraq_061228005143

Posted by 大沼安史 at 07:05 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-12-20

〔For the Record〕 ブッシュ大統領、初めて「イラク戦争」「勝ってはいない」認める

 ブッシュ大統領は12月19日、ワシントン・ポスト紙とのインタビューで、初めて「イラク戦争」で「勝ってはいない」ことを認めた。

 大統領はしかし、「負けてもいない」と強弁し(We're not winning, we're not losing.)、さらに「われわれの軍とリセットする必要がある」と、イラク投入兵力の規模を拡大する考えを示した。

 一方、ニューヨーク・タイムズ(電子版、12月20日付け)によれば、米軍の中東現地司令官のひとり、アビザイード将軍が、米軍の「イラク増派」に抵抗している。

 短期間にはたしかに効果はあるかもしれないが、結局はイラクの人びとに拒絶される「毒」にすぎない、との主張だ。

(大沼・注)
 ブッシュ大統領がワシントン・ポスト紙との会見で、「イラクでは、勝ってはいない」と表明したのは、あくまで米軍の増派のための理由づくりである。
 米軍トップの「抵抗」を、ポスト紙との「会見」だけで突破できるのか?
 情勢の推移をなお見守る必要があるだろう。


http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/12/19/AR2006121900880.html

http://www.nytimes.com/2006/12/20/world/middleeast/20abizaid.html

Posted by 大沼安史 at 07:03 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-12-17

〔For the Record〕 「社会的ビジネス(social business)」が世界を救う モハマド・ユヌス氏、かく語りき ノーベル平和賞 受賞演説 

 「グラミン銀行」の創始者、バングラデシュのモハマド・ユヌス氏が12月10日、同銀行の9人の代表(借り手)とともに、ノーベル平和賞を受賞した。

 ユヌス氏は、ノルウェーのオスロで開かれた授賞式での記念演説のなかで、利潤の最大化ではなく、公正な社会の実現を目指す「社会的ビジネス(social business)」こそが、貧困にあえぐ世界の人々を救い、この世に平和をもたらすものだと強調、貧困を「博物館」の中だけの過去の遺物とするよう、全世界の人々の決起を促した。

 演説(ノーベル・レクチャー)の冒頭、ユヌス氏は、700万人に及ぶ「グラミン銀行」の借り手を代表して9人の仲間が同氏とともに授賞式の場に臨んでいることを紹介。

 この日の「受賞」が世界中で苦闘する数億人の貧しい女性に対し「最高の栄誉と尊厳」をもたらしたと述べ、この日が彼女たちにとって「歴史的な瞬間」であると指摘した。

 そのうえでユヌス氏は、「貧困は平和に対する脅威」であるにもかかわらず、世界の所得分配の極端な偏りを見せ、「世界の所得の94%が全人口の60%に行き渡り、残る6%だけが40%の人々に配分されている」現状を批判。
 
さらに、国連が2000年に採択した「2015年までに世界の貧困を半減させる」目標はどこに消えたかと述べ、世界の指導者の関心が「貧困」から「テロとの闘い」にシフトしている現実を厳しく指弾した。

 ユヌス氏は「不満・敵意・怒り」を呼び覚ます「貧困」は、「あらゆる人権の不在」を意味すると主張、大多数派である貧しい人々に対して「機会を創造すること」が、過去30年間のグラミン銀行の活動だったと語り、同銀行の歴史を振り返った。

 1974年にバングラデシュを襲った飢饉を尻目に、大学の教室で「エレガントな経済理論」を講義することができなくなった同氏が、最初に行った個人的な融資の総計は、米ドルでたった27ドル。それで、「金貸し」にすがり、「奴隷労働」を続けざるを得ない周囲の貧困者、47人を助けることができたという。

 そうして始まったユヌス氏の活動は1983年、「グラミン銀行(村の銀行)」のかたちに結実。いまや700万人の借り手(その97%が女性)を擁する大銀行へと成長した。預金残高は貸付残高の1.43倍。返済率は99%。借り手の58%が「貧困線」を突破、自立の道へと進んだという。

 物乞いの女性85000人にも、無利子、あるとき払いで融資し、すでに5000人が行商などで実を立てているそうだ。

 ユヌス氏の「グラミン銀行」は、ICT(インターネット通信テクノロジー)に活かした貧困撲滅にも取り組み、携帯電話の「グラミン・テレフォン」を設立、現在、30万人の女性が融資をもとに携帯電話のオーナーとなり、地元の村でレンタル事業を営んでいる。

 ユヌス氏は「グラミン銀行」の歴史と現状をスケッチしたあと、「市場経済」について「市場の自由の強化」に賛意を示しながら、「市場のプレーヤー」に対して、「利潤の最大化」を求める「一次元的な人間」でしかないとの「概念的な制約」が加えられていると批判。

 「利潤」最大化のビジネスではない、「世界」そして「民衆」に目を向けた「社会的なビジネス」もあり得べきであり、そうした「新しいビジネス」によって、世界の社会・経済問題のほとんどに対処できると語った。

 ユヌス氏は「グラミン銀行」もまた、そうした「社会的ビジネス」であるとしたうえで、その傘下の「社会的ビジネス」として新たに「ヨーグルト工場」と「眼科チェーン」を展開していると報告。

 こんごの「社会的ビジネス」が取り組むべき課題として①「社会的株式市場」の創設②「社会的なウオール・ストリート・ジャーナル」の創刊③「社会的ビジネス」の多国籍的展開――などの夢を語った。

 こうしたうえでユヌス氏は、貧困は貧しい人々によってつくられたものではなく、「貧しい人は盆栽のようなものだ」との喩えを引きながら、「人間のキャパシティーを過小評価する」「理論的な枠組み」や「経済・社会システム」によって産み出されたものだと批判。

 「グラミン」は同氏に対して、「人間の創造性に対する揺るぎのない信念」をもたらしたとして、貧しい人々の「エネルギーと創造性の解放」で世界の貧困を撲滅し、貧困を博物館送りしようと呼びかけた。


http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/2006/yunus-lecture.html

Posted by 大沼安史 at 06:24 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-11-28

〔For the Record〕 シカゴのジャズ・ミュージシャン イラク戦争に抗議の焼身自殺 中間選挙の直前 ラッシュ・アワーの路上で 

 米国のシカゴのジャズ・プレーヤーで、CDプロデューサーとしても活動を続けていたミュージシャンが、中間選挙の直前の11月3日(金曜日)早朝、ラッシュ・アワーの市街中心部の路上で、イラク戦争に抗議して焼身自殺していたことがわかった。

 マラキ・リッシャー氏(52歳)。
 インターネットのサイトに、「遺書」(使命宣言)と自分への「追悼文」を残していた。

 AP通信、「シカゴ・リーダー」紙などの報道によると、リッシャーさんは同日午前6時半ごろ、シカゴのダウンタウン、オハイオ通りの路上で、ビデオ・カメラをセットしたうえ、ガソリンをかぶって焼身自殺した。
 
 黒こげになった遺体は身元確認に手間取り、歯型から同氏だと確認されたのは、5日後のことだった。

 リッシャー氏は自宅の合鍵を友人に送り、自殺後の処理を依頼していた。
 
 サイトに残された「遺書」には、以下のような言葉が残されていた。

 ・ わたしは素晴らしい人生を過ごした(中略)愛と喜びと子育ての頭痛を経験した(中略)わたしは若者たちが神と祖国の名において派兵されたと聞いたとき、わたしの心は押しつぶされた。

 ・ 世界の人びとに対して、わたしたちは卑怯である。われわれ民衆もまた(イラク侵攻に続く)すべての責任を完璧に負わねばならない。

 ・ わたしの立場はこうだ。わたしはわたしというひとつの死を得るだけだ。そしてわたしはその死がよいものであってほしいと思っている。

 ・ わたしの声明とはこうである。野蛮な戦争のためへの支払いをわたしに求めるというなら、わたしはそういう世界で生きていかないことを選ぶ。わたしは、われわれの国を何ら脅かすことなき、罪もない人びとの大量殺戮をファイナンスすることを拒否する。 

 ・ 中間選挙によっても解決は生まれないだろう。わたしたちの2大政党制はデモクラシーの失敗作である。

 ・ わたしたちアメリカ人はいま、わたしたち自身の制度の奈落に直面している。

 「遺書」は悲しいほど冷静に書かれていた。
 自殺と確認されたあと、氏の精神病を疑う人もいたが、遺族は否定した。

 リッシャー氏はシカゴのジャズ・シーンにあって、自らサキソフォンのプレーヤーとして演奏を続ける一方、最近はライブ録音のCDプロデューサーとしても活動していた。ライブの現場で才能を発掘し、紹介していた。

 自分から目立とうとしない人柄で、地元のオルタナティブ週刊誌「シカゴ・リーダー」が、同氏について記事を書きたいと申し出たら、断られた。

 「遺書」の最後にはこうあった。

 Without fear I go now to God - your future is what you will choose today.

(恐れることなく、いまわたしは神のもとへ行く。あなたの未来とはあなたが今日、行う選択である)

 
 リッシャー氏の焼身自殺の現場は、「巨大な炎の像」のそばだったそうだ。
 

 氏の死を悼みつつ、氏の最後の言葉を、重く静かに受け止めたい。 
 

http://www.editorandpublisher.com/eandp/news/article_display.jsp?vnu_content_id=1003438519

https://securesite.chireader.com/cgi-bin/Archive/abridged2.bat?path=2006/061110/METER&search=Malachi%20Ritscher

http://www.savagesound.com/gallery99.htm

Posted by 大沼安史 at 07:20 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-10-13

〔For the Record〕 アンナ・ポリトコフスカヤ  最後の記事

 暗殺されたロシア人ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんが、死の直前まで書いていたみられる未完の記事が、10月12日付けの「ノバーヤ・ガゼータ」紙に掲載された。

 チェチェンにおいて、ロシアに支援された保安当局が、あらゆる世代のチェチェン人を「テロリスト」として拷問にかけ、“平和”を維持していることを告発する記事だった。

 その記事の英訳を、英紙インディペンデントが13日に掲載した。

 不撓不屈のジャーナリズムの金字塔として、本ブログもこれを「記録」しておきたい。

 詳しい内容は、下記を参照のこと。 


http://news.independent.co.uk/europe/article1868072.ece

Posted by 大沼安史 at 01:18 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-10-09

〔For the Record〕 ロシア女性ジャーナリスト  アンナ・ポリトコフスカヤは何を書いて殺されたか?

 モスクワのアパートのエレベーターのなかで10月7日、ロシア人女性ジャーナリスト、「ノバーヤ・ガゼータ」の記者、アンナ・ポリトコフスカヤさんが射殺体で見つかった。

 遺体のそばに、ロシアのヒットマンが殺しに使う「マカロフ」という拳銃と薬莢4発が落ちていた。
 現場では20歳代の、黒い野球帽をかぶった細身の男が目撃されていた。この男がアンナさんを射殺したのに間違いなさそうだ。

 アンナさん、48歳。2人の子どものシングルマザー。
 ロシアで最も勇敢で、有名な女性ジャーナリストだった。

 彼女が暗殺されたニュースは衝撃派となって、モスクワを震源に世界に広がった。

 フランスのルモンド紙の電子版の記事には彼女のポートレートが添えてあった。やや度の強いメガネをかけた、聡明な感じの女性が、やわらかく微笑んでいた。

 この女性のどこに男まさりの勇気があったのか、わからなかった。でも、写真をじっと見ているうちに、だんだんわかって来た。
 胸のうちに秘めた決意が、透明な優しさになって、メガネの奥の、その両の目に漂っていた。

 チェチェン紛争、(いや彼女にならって)「チェチェン戦争」におけるロシア軍の暴虐を告発してやまない記者だった。

 2年前には、北オセチアの紛争地に向かう機内で、何者かに紅茶に毒を盛られた。
 繰り返し「死の脅迫」を受けながら、それでも取材をやめなかった。

 エリート外交官の家庭に生まれた。出生地はニューヨーク。父親が国連の代表部にいた。
 モスクワ大学のジャーナリズム学科を卒業。イズベスチアなどで働いたあと、「ノバーヤ・ガゼータ」に移った。 プーチン大統領が始めた「第2次チェチェン戦争」の取材を始めた。

 1999年、ロシア軍がグロズニイの市場や産院に長距離ロケット弾を撃ち込んだ事件を取材し、モスクワに戻ったアンナさんに対し、夫は離婚を通告した。
 女手ひとつで2人の子を育てながら、取材を続ける毎日が始まった。

 彼女はいったい、どんな記事を書いて殺されたのだろうか?
 暗殺を報じる英紙ガーディアン(電子版)に、ことし(2006年)3月1日付けの彼女の記事(の英訳)が添えられていた。

 読んでみて驚いた。
 チェチェン戦争で、現地の住民をターゲットに毒ガスが使用されていることを告発するルポルタージュだった。

 チェチェンのシェルコフスクの病院。
 その一室のベッドの上で、20歳になるシーナさんが痙攣に苦しんでいた。蒼白の顔面は黄色に変わり、赤変している。口をこじあけるようにしてスプーンがひとつ。いざとなったら、舌を引き出すためだ。母親が娘の痙攣を抑えようと、必死になって体を覆いかぶせている。不可能なほど弓なりになったシーナの身体。
 発作が始まって47分後に医師が駆けつけ、鎮静剤を打った。
 視覚も聴覚も失ってしまったシーナさんが涙を流した。痙攣はようやく終わろうとしていた。

 シーナさんはシェルコフスク地区のスタロガドフスク村の学校で教生をしていた。
 その学校で昨年(2005年)12月16日、異変が起きた。
 子どもたちが異様な笑いを浮かべながら興奮状態に陥り、挙句に意識を失って次々に倒れだした。

 原因はいまもって特定されていないが、現地の医師はアンナさんの取材に対し、「神経系を高度に過敏にする、なんらかの毒物が使われた」と語った。
 スタロガドフスク村の住民たちによれば、学校の女子トイレが発生源で、ガス化する物質が仕掛けられていた可能性が強いという。

 こうした毒ガス被害は、アンナさんの取材によれば、これが初めてのことではなかった。いまから6年前、2000年の7月26日にはスタリエ・アタジという集団農場で、爆発が2回あり、銀紫色のチューリップ状の雲が上空150メートルまで立ち上がった。興奮状態になって痙攣し気絶する住民が出た。
 昨年(2005年)9月23日にも、スタロシュシェンドリンスカヤ村の学校でも同じようなことが起き、子どもたち19人と教師1人が病院に運び込まれた。

 そして、昨年12月。
 それまでは単発的な発生だったのが、波状的に連続発生するようになった。

 最初は12月7日、スタロガドフスク村の13歳の少女が仮死状態になって痙攣がとまらなくなった。
 2日後の9日、村の学校の高校生2人が病院に運び込まれ、16日には子ども19人と大人3人が、19日にはさらにコビ村の子どもたち17人が入院。23日にはシェルコフスク地域だけでさらに81人の事例が報告された。

 これに対し、チェチェンの親ロシア政権はメディアが増幅させた集団ヒステリアであるとして、毒ガス説を否定。真相はなお闇の中にある。

 こんな状況のなかで、アンナさんは「軍専門家の覚書」のコピーを入手し、ルポルタージュのなかで暴露した。
 覚書は「毒性のある蒸気を発生する液体もしくは固体」によるものとの断定、政府の「集団ヒステリー説」を真っ向から否定する内容だった。

 こういうことを書いて、アンナさんは殺されたのだ。
 

 アンナさんは1昨年(2004年)10月、自著『プーチンのロシア』の英語版出版のためロンドンを訪れた際、ガーディアン紙のインタビューを受け、英語でこう語っている。

 「わたしはわたしが生きているうちに、誰もがひとりの人間として尊敬される、そんな人間の生を生きることができる日が来ることを欲しています」

 I want to be able to live the life of a human being, where every individual ie respected, in my lifetime.
 

 勇敢なるジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんの早すぎる死を悼みつつ、彼女に銃弾を放った権力を憎む。    
 
 

http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1890857,00.html

http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1890838,00.html

http://www.guardian.co.uk/chechnya/Story/0,,1720522,00.html

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2006-09-03

〔For the Record〕 「わたしたちは沈黙しない」 米国ソルトレークシティー アンダーソン市長 ブッシュ氏らを迎え、痛烈な反戦演説

 ブッシュ大統領が在郷軍人会での演説のため、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官とともにソルトシティー入りした8月30日、2002年冬季五輪が行われたユタ州のこの街のロッキー・アンダーソン市長がブッシュ政権の戦争遂行政策を痛烈に批判する演説を、同市のワシントン広場で行った。

 「われらに真実を!」を3唱するアンダーソン市長の「わたしたちは沈黙しない」演説は、歴史に残るべき名演説である、といえる。

 アンダーソン氏は2000年1月、弁護士から同市長に当選し、全米で最も先進的な都市環境政策を進めるなど、進歩的な市長として知られる。

                           ◇

 アンダーソン市長の演説はまず、「愛国主義とは悪しき指導者に対する盲目的な信頼ではない」としたうえで、「愛国者とは、国のことを真剣に憂慮する民衆に対し、ひたすら座視し沈黙せよと告げるものではない。それは礼儀や良きホストであるために意見を控えよ、と告げるものでもない。愛国者とは、不正直で好戦的な人権違反の大統領に対して、奴隷的で盲目的な服従と敬意を示せ、と告げるものでもない(Blind faith in bad leaders is not patriotism.A patriot does not tell people who are intensely concerned about their country to just sit down and be quiet; to refrain from speaking out in the name of politeness or for the sake of being a good host; to show slavish, blind obedience and deference to a dishonest, war-mongering, human-rights-violating President. )」と述べ、愛国者であればこそ批判の声を大にして叫ばなければならないと宣言。

 続いて、セオドア・ルーズベルト大統領(共和党)の「大統領はただ単に数多い公僕のなかの最も重要なひとりに過ぎない。大統領はまさにその良き行いや悪しき行い、アメリカ国民全般に対し、忠誠心があり、有能で不偏不等な奉仕(サービス)を成す上で効率的であるか不効率であるか、でもって、その程度に応じ支持されもすれば反対されるべきものである(The President is merely the most important among a large number of public servants. He should be supported or opposed exactly to the degree which is warranted by his good conduct or bad conduct, his efficiency or inefficiency in rendering loyal, able, and disinterested service to the Nation as a whole. )」の言葉を引用、

 「であるからこそ、(このアメリカには)大統領がその行為に関して真実を告げる政治的自由がなければならない(Therefore it is absolutely necessary that there should be full liberty to tell the truth about his acts,)」と指摘し、「わたしたちは今日、ここに真実を告げるものとして集まっている。わたしたちはここに、こう要求すべく集まった。真実をわれらに! 真実をわれらに! 真実をわれらに!(We are here today as truth-tellers. And we are here to demand: "Give us the truth! Give us the truth! Give us the truth!" )」と、繰り返し求めた。

 そのうえでアンダーソン市長は、「わたしたちの長年にわたる同盟国は、わたしたちに同情的でありわたしたちを支えてくれた。しかし、われわれの大統領(ブッシュ大統領)はその支持を、アメリカに対する国際的な軽蔑に変えてしまった(Our long-time allies were sympathetic and supportive. But our President transformed that support into international disdain for the United States, )」と批判して、「なぜイラクを侵略し占領しているのか?(Why invade and occupy Iraq?)」と根底的な疑問を提起。

 アンダーソン市長はさらに、「わたしはショックを受けた。ここにイラク戦争に反対するわたしたちを批判し続けて来た男がいる。その男はイラク戦争を正当化するのに使った、その根拠となる諸事実において完璧に間違っている(I was shocked. Here is a man who has criticized us for opposing the war in Iraq--and he is completely wrong about the underlying facts used to justify this war. )」と、ブッシュ大統領を糾弾した。

 続けて市長は、「わたしたちは愛国者である。わたしたちは深く憂慮している。そしてわたしたちはいますぐ、変革を要求する(We are patriots. We're deeply concerned. And we demand change, now. )」としたうえで、「ライス国務長官に、彼女とブッシュ大統領が9・11の前に、テロリストたちが航空機で建物に突入する可能性を警告されていたかどうかについて、これ以上、嘘をつかせるな(No more lies from Condoleezza Rice about whether she and President Bush were advised before 9/11 of the possibility of planes being flown into buildings by terrorists.)」と述べ、「もう嘘はたくさん」とブッシュ政権の世論誘導を批判。

 そのうえで、「人間を拷問するなかれ(No more torture of human beings. )」「憲法違反の盗聴とするなかれ(No more unconstitutional wiretapping of Americans. )」など、30に及ぶ「もうたくさん、もう御免だ(ノーモア)を列記。

 アンダーソン市長は最後に、マーチン・ルサー・キング牧師の「わたしたちの生は、大事な事柄について沈黙を始めたその日に終わる(Our lives begin to end the day we become silent about things that matter.)」との言葉を引用し、演説を終えた。
 


http://www.commondreams.org/views06/0901-28.htm

Posted by 大沼安史 at 04:37 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-08-11

〔For the Record〕 米軍中将 「われわれはバグダッドを奪還しなければならない」

 米軍によるサドル師率いるシーア派グループに対する攻撃開始を伝える米紙ワシントン・タイムズ(電子版、8月10日付け)記事を読んでいて、ちょっと驚いた。
 米軍のチアレリ中将が8日のABC放送の番組で、こう言ったというのだ。
 
 「これは今回の攻撃における決定的な戦闘である。われわれはバグダッドを奪還しなければならない」

   Lt. Gen. Peter Chiarelli told ABC News on Tuesday: "This is the defining battle of this particular campaign. We've got to take back Baghdad."

 率直な発言である。
 バグダッドは、その時点ですでに、米軍の支配下にはなかった!

 中心部の「グリーンゾーン」と米軍基地を除いたバグダッドは、武装抵抗勢力の支配下にある!

 これは、その事実をみとめた米軍当局者による貴重な証言である。


http://www.washingtontimes.com/functions/print.php?StoryID=20060809-111550-7756r

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2006-07-28

〔For the Record〕 「戦争はいやだ」 ヒズボラに拉致されたイスラエル兵士の母、パリで会見

 イスラエルがレバノン侵攻の口実としたのは、ヒズボラによる2人のイスラエル兵の拉致事件だったが、兵士のうちのひとりの母、マルカ・ゴルドヴァサーさんは7月26日、息子のエフードさん(32歳)らの救出を訴えてパリで開いた記者会見のなかで、以下のような発言をした。

 「わたしはひとりの母親。母親として、わたしは戦争はいやだ。3人の息子がいる。3人とも家にいてほしい。育てていきたい。孫もほしい。ただ、ふつうの生活がしたいだけ。わたしは戦争にノーという。同じ考えのレバノン人もいっぱいいる。わたしに答えるべきことがあるとするなら、わたしとは母親である、それがすべてであり、わたしは戦争を望まないということだ」

"I am a mother, and as a mother, I don't want war. I have three sons, I want to have my three sons at home, I want to be able to raise them, I want to have grandchildren - I simply want to have a normal life. I say no to war, and I am certain that there are many Lebanese who think the same thing. The question needs to be asked of someone else - all I am, is a mother and I don't want war."


http://www.democracynow.org/article.pl?sid=06/07/27/1423230

Posted by 大沼安史 at 04:47 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-06-14

〔For the Record〕 「ザルカウィも人間。人の死をどうして喜んでいられよう」 息子のニコラスを斬首された父、マイケル・バーガー氏が哀悼の意 

 2004年5月8日、イラクのバグダッド市内の路上で、首のない死体が発見された。ユダヤ系アメリカ人である青年実業家、ニコラス・バーグ氏(当時、26歳)の遺体だった。その3日後、マレーシアのイスラム系サイトにロンドンから何者かがビデオ・クリップをアップした。ビデオには、ニコラス氏の「斬首」(死後に切断の疑いが濃厚)の場面が写っていた。
 そして、ニコラス氏を殺害したものは、ザルカウィである、とのキャンペーンが張られた。
 
 それから2年後、米軍による、そのザルカウィの殺害。

 ニコラスの父親であるマイケル・バーグ氏が6月7日、CNNに登場し、インタビューに答えた。
 そのインタビューの内容が、ミネソタの有力紙、スタートリビューンに収録されていたので、一部を記録としてとどめておきたい。

 マイケル氏は、ザルカウィの死について意見を求められ、以下のように述べた。

 ■ 「そうですね。私の反応は、人が死んだときはいつでも残念な気持ちになります。ザルカウィも一人の人間。彼にも家族があり、私たちがニック(ニコラスさん)を殺されたときと同じように反応しているはずです。それが辛い。」

 (Well,my reaction is I'm sorry whenever any human being dies. Zarqawi is a human being. He has a family who are reacting just as my family reacted when Nick was killed, and I feel bad for that.)

 そんなマイケル氏に対して、CNNのアンカーは、こんな質問を浴びせた。
 「でも、みんな考えることだけど、『あいつが死んで嬉しい、息子を殺した男が死んで』って思う瞬間ってないんですか?」

 これに対するマイケル氏の答え――。

 ■ 「いえ、ありません。ほかの人が死んで、人は喜ぶことができるのでしょうか?」

 ( No. How can a human being be glad that another humann being is dead? )

  マイケル氏はイラク戦争に批判的であることを理由に、米国内のタカ派サイトで非難されたこともある人だ。
 そうしたマイケル氏の反戦的な言辞が、息子のニコラスさん謀殺の背景にある、との見方もある。(この点については、大沼著、『戦争の闇 情報の幻』(本の泉社)参照)

 CNNのアンカーの挑発にのらず、冷静に、ヒューマニステックな態度を貫き通したマイケル・バーグ氏に敬意を表する。

 

☆ 大沼訳・新刊案内: 『世界一 素敵な学校 ~ サドベリー・バレー物語』(ダニエル・グリーンバーグ著、緑風出版)


http://www.startribune.com/562/story/482031.html

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2006-05-06

〔For the Record〕徴兵センターの扉を杖で叩きながら、『天使のハンマー』を歌った91歳の「反戦おばあちゃん」のこと

 アメリカの18人の反戦おばあちゃんがニューヨークの裁判所で無罪放免の判決を勝ち取ったことは本ブログで既報の通りだが、彼女たちが昨年秋、ニューヨーク・タイムズスクエアでどんな「狼藉」を働いたかが分かったので、歴史にとどめるために、ここに紹介する。

 教えてくれたのは、アメリカのジャーナリスト、エレン・グッドマンさん。
 エレンさんは反戦放送局のキャスターもつとめている人で、ぼく(大沼)はファンのひとり。
 その彼女が、米紙、ボストン・グローブに18人の最年長、リリアン・ランヨン(Lillan Runyon)さんの「素敵な狼藉」ぶりを書いていた。

 タイムズスクエアにある米陸軍の徴兵センターでのこと。
 18人のおばあちゃんたちは、イラク戦争に抗議するため同センターに入ろうとして、兵士らに追い出された。
 入口のドアを内側からロックした兵士たち。

 中に閉じこもった兵士らに聴こえるように、最年長、91歳のリリアンおばあちゃんは、扉を杖で叩きながら、あの名曲、『天使のハンマー(If I had a hammer)』を歌ったそうだ。

 なんてすてきな狼藉ぶるまい。
 これは「記録」に残すべき出来事である。

 ここでいう天使のハンマーとは、アメリカの裁判官が手に持つ、小さな木槌のことである。
 「正義」、正しきことを司る、あのシンボルのことである。

 歌詞は以下の通り。
 ぼくが中学生のころ、日本でも大ヒットした歌だ。

  ♪ この国に響き渡るよう、わたしは木槌を鳴らして、危険を叩き出すんだ

 リリアンおばあちゃんは、徴兵センターの扉を叩きながら、こう歌った。

 偉いな、凄いな、と思った。

 ☆ ☆ ☆ ☆

 If I had a Hammer

 (Words and music by L. Hays and P. Seeger)

 If I had a hammer
 I'd hammer in the morning
 I'd hammer in the evening ... all over this land,
 I'd hammer out danger
 I'd hammer out a warning
 I'd hammer out love between all of my brothers and my sisters
 All over this land.

 If I had a bell
 I'd ring it in the morning
 I'd ring it in the evening ... all over this land,
 I'd ring out danger
 I'd ring out a warning
 I'd ring out love between all of my brothers and my sisters
 All over this land.

 If I had a song
 I'd sing it in the morning
 I'd sing it in the evening ... all over this world,
 I'd sing out danger
 I'd sing out a warning
 I'd sing out love between all of my brothers and my sisters
 All over this land.

 If I've got a hammer
 And I've got a bell
 And I've got a song to sing ... all over this land,
 It's a hammer of justice
 It's a bell of freedom
 It's a song about love between all of my brothers and my sisters
 All over this land.


http://www.niehs.nih.gov/kids/lyrics/hammer.htm

Posted by 大沼安史 at 12:30 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-03-16

〔For the Record〕世界の作家、文化人らが、米国による「違法拘束」即時中止を求める公開状を発表

 米国の作家、アリス・ウォーカー、歌手のハリー・ベラフォンテ、英国の劇作家、ハロルド・ピンター、イタリアの劇作家、ダリオ・フォら、世界の作家、文化人、俳優ら501人が3月15日、英紙ガーディアンの紙上で、連名の声明を公開状のかたちで発表した。
 「米国はすべての違法拘束を止めなければならない」と題した公開状で、米政府に対し、グアンタナモ収容所などの即時閉鎖を求めている。

   「米国はすべての違法拘束を止めなければならない」

 わたしたち、下欄に署名した作家、アーチストは、米国に対し、グアンタナモ基地を違法な収容センターとして使用することを即座に停止するとともに、そこにおいて、人権と人間の尊厳に対するシステマチックな侵害が依然として続いている、米国が運営する、すべての無法な拘束センターの閉鎖を要求する。
 わたしたちがこの手紙を書いているいま、ジュネーブにおいては、国連人権委員会の第62回総会が始まろうとし、イラクで米軍が拷問を行っている新しい証拠写真が発表されようとしている。
 しかしながら、米国と欧州連合の同盟国は、これまでのところ、いわゆる「テロとの戦争」の名の下に行われている、この大規模かつシステマチックな人権侵害について、国連人権委が非難することを妨げている。

 欧州連合の各国は、グアンタナモで拷問の犠牲になっている自国民の証言させも無視して来た。そのうちの数ヵ国は、囚われた人々を収容センターなどに輸送するCIA機の上空通過を認めて来た。
 国連人権委員会(または、それに代わる評議会)は、こうした偽善に終止符を打つとともに、グアンタナモ収容所ならびに米国が設置したすべての収容センターの閉鎖、および、拷問と人間の尊厳を踏むにじる意図的な侵犯の停止を要求しなければならない。

 (英語による原文は以下の通り) 

     US should end all illegal detention

We, the undersigned writers and artists, demand that the US immediately cease using the Guantanamo Bay base as an illegal detention centre and to close all of its arbitrary detention centres where the systematic abuse of human rights and dignity are still taking place. As we write, the 62nd session of the UN commission of human rights in Geneva is about to begin and new images of the US military torturing prisoners in Iraq are being published. Yet the US and its allies in the EU have thus far prevented the UN commission from condemning the massive and systematic violations of human rights that have taken place in the name of the so-called war on terror.

EU countries have ignored the testimonies of even their own citizens who have been victims of torture in Guantanamo. Several have allowed the overflights of CIA aircraft carrying prisoners to detention centres and elsewhere. The UN commission on human rights (or the council proposed to replace it) must end this hypocrisy and demand the closure of Guantanamo Bay and all the detention centres created by the US, as well as the cessation of torture and the deliberate violations of human dignity.

⇒ 

http://www.guardian.co.uk/guantanamo/story/0,,1731062,00.html

Posted by 大沼安史 at 10:36 午前 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-01-17

〔For the Record〕 ウォルター・クロンカイトが「イラク撤退」を呼びかけ 甦る1968年の「ベトナム撤退」発言の衝撃

 ウォルター・クロンカイトをご存知でしょうか?
 わたし(大沼)のような、70年世代の人間にはおなじみの人です。アメリカの3大ネットワークのひとつ、CBS放送でニュース番組の「アンカー」を務めた、有名なテレビ・ジャーナリストです。

 その「アメリカで最も信頼された男」と呼ばれたウォルター・クロンカイト氏が、1月16日に米カリフォルニア州で開かれた、テレビ批評家の集会で、「イラクからの撤退」を呼びかけ、全米に衝撃波を広げています。

 現在、89歳になる老キャスターの発言が、なぜ、それほどの重みを持っているのか?
 それは、この人がいまから40年近く前、1968年に「ベトナムからの撤退」を呼びかけ、それが米世論への決定的なインパクトになって、ベトナム戦争の終結へと動いていったからです。
 ウォルター・クロンカイトのベトナム撤退呼びかけは、米国ジャーナリズム史における伝説のコメントと言えます。

 英紙インディペンデント(電子版、1月17日付け)が、この発言を大きく取り上げたのは、こういう歴史の事実があるからです。

 同紙によると、クロンカイト氏の発言は、集会での質疑応答の場面であったそうです。
 歴史の記録として、拙訳で再録させていただきます。
 

 ☆(イラクについても、ベトナム戦争のときと同じことを言うつもりがあるかどうか、記者に聞かれて)

「いますぐ撤退すべきだ。わたしはそう信じている」

"It's my belief that we should get out now."

(そして、こうも言います)
「わたしは名誉とともに撤退できたのに、と思っている。でも、とにかく、われわれは名誉を持って撤退できる。わたしはそう考えている」

"I think we could have been able to retire with honour. In fact, I think we can retire with honour anyway."

 クロンカイト氏は、イラクからの撤兵について、ハリケーンの「カトリーナ」が米国南部を襲ったあと、行うべきだったと述べています。
 そして、イラクの人々に「われわれ(アメリカ人に)心は、あなたたちとともにある」と告げねばならないとも。

 最後に同紙が引く、クロンカイト氏の1968年のコメントを紹介しましょう。

☆ ベトナム戦争時のコメント

「われわれは現状の泥沼にはまっているということ、それしか現実的かつ、なお不十分な結論はない……合理的な唯一の脱出の道は交渉することだ。勝利者としてではなく、デモクラシーを守るとの誓いに生き、最善を尽くした、名誉ある人間として」

(原文)
"To say that we are mired in stalemate seems the only realistic, yet unsatisfactory, conclusion ... the only rational way out then will be to negotiate, not as victors, but as an honourable people who lived up to their pledge to defend democracy and did the best they could."


http://news.independent.co.uk/world/americas/article339113.ece

Posted by 大沼安史 at 10:56 午前 8.For the Record | | トラックバック (0)

2006-01-11

〔For the Record〕 イラク戦争 戦費2兆ドル スティーグリッツ氏らが推計

 ノーベル経済学賞を受賞したエコノミスト、ジョセフ・スティーグリッツ氏(コロンビア大学教授)と、ハーバード大学のリンダ・ビルメス講師は、イラク戦争の戦費が2兆ドルを超す恐れがあるとの研究結果を発表した。

 2兆ドル、240兆円。
  世界第2の経済パワー、日本のGDPの半年分が、イラク戦争という名の殺戮に消える。

http://www2.gsb.columbia.edu/faculty/jstiglitz/Cost_of_War_in_Iraq.htm

http://www2.gsb.columbia.edu/faculty/jstiglitz/Cost_of_War_in_Iraq.htm

Posted by 大沼安史 at 11:42 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2005-12-26

〔For the Record〕 「戦争での殺人は犯罪」 マハティール氏らがクアラルンプール宣言(全文)

 マレーシアの首都、クアラルンプールで12月14日から17日まで、世界各国から平和運動家らが参加して、「クアラルンプール・グローバル平和フォーラム」が開かれた。

 マハティール前首相が中心になり、「ペルダナ・リーダーシップ財団」が開催したもので、米国のダニエル・エルズバーグ博士や、カナダのミッチェル・チョスドフスキー教授(オタワ大学)らが、イラク戦争が続く世界の現状を討議し、合意した内容を「宣言」にまとめ、最終日に採択して閉幕した。
 
 14ヵ条に及ぶ「クアラルンプール宣言」で注目すべきは、「戦争のなかでの殺人行為」を「平和時における殺人」同様、明確に「犯罪」と見なす一方、「侵略を開始するすべて国家指導者は、国際刑事裁判所の司法判断を受けなければならない」と、戦争責任の徹底追求を求めている。

 宣言は、戦争放棄と平和主義を掲げた日本国憲法の第9条の、いわば国際版で、世界最強の軍事大国、アメリカが武力によるグローバル規模で覇権確立を進めるなか採択されたことは、大きな歴史的な重みを持つものと言える。

 以下に拙訳で、「宣言」全文(マハティール氏ら署名人の氏名は除く)を訳出する。

                ★    ☆   ★

   「戦争を刑事犯罪化するためのクアラルンプール・イニシアチブ」
                 2005年12月17日

 世界の5大陸すべてから集まった、関心ある人々による「クアラルンプール・グローバル平和フォーラム」は、

 平和こそ人類の生存と幸福の本質的条件であるとの信念の下、団結し、

 平和を推進して、次世代を戦争の災禍から救うことを決意し、

 国家間の紛争解決における、頻繁な戦争の手段化に憤り、

 好戦的な人々がさらなる戦争を企てていることに不安を覚え、

 武力の行使がすべての人々の安全をますます脅かしていることに困惑し、

 核兵器の保有及び核戦争の差し迫った危険が地球上における生命の絶滅を導くものであることに恐れを抱いた。
 

 平和を達成するためにわれわれは、いま、以下のように宣言する。

  ● 戦争は、罪もない人々の殺戮をますます巻き込んだものになっており、それゆえ嫌悪すべきものであって、刑事犯罪的である。

  ● 戦争における殺人行為は、平和時における社会内部の殺人と同様、刑事的犯罪である。

  ● 平和時の殺人行為は国内の刑事法の対象となるのだから、戦争における殺人行為は同様に、国際的な刑事法の対象にならなければならない。これは、戦争における殺人行為が、国内法によって認められたり許されたりしているかどうかに無関係でなければならない。

  ● 戦争を援助し扇動するすべての商業的・金融的・工業的・科学的な活動は、刑事犯罪とされねばならない。

  ● 侵略を開始するすべての国家指導者は国際刑事裁判所の司法判断を受けなければならない。

  ● すべての国家は国連憲章の目的と原則を受け入れる決意を強めるとともに、国際的な紛争を平和的手段で解決し、戦争を放棄しなければならない。

  ● 武力は、国連総会の全加盟国の3分の2以上の多数で採択された決議で認められない限り行使されてはならない。

  ● すべての立法府の議員及ぶ政府の構成員は平和への信念を確認し平和を希求することを誓わなければならない。

  ● 世界中の政党は主要な政策目標のひとつとして平和を含まなければならない。

  ● 平和を推進する非政府機関はすべての国で設立されなければならない。

  ● とくに医療、法律、教育、科学の分野における公務員及び専門職の人々は平和を推進し、戦争に反対するキャンペーンを活発に行わなければならない。

  ● メディアは活発に戦争と戦争の煽動に反対し、国際紛争の平和的解決を意識的に推進しなければならない。

  ● 娯楽的メディアは戦争及び暴力の美化を止め、代わって平和の倫理を涵養しなければならない。

  ● すべての宗教的指導者は戦争を非難し平和を推進しなければならない。

 これらの目標を達成するため、本フォーラムは、クアラルンプールに永久的事務総長を置くことを決定する。

 その任務は、

 本イニシアチブを遂行し、

 戦争を煽動する政策とプログラムに反対し、

 本イニシアチブの目標を達成するため全世界の非政府機関との協力を追求する、

 ことである。

英語による「宣言」の原文は ⇒

http://www.perdana4peace.org/declaration.html
 
  

 

Posted by 大沼安史 at 04:39 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2005-12-20

〔For the Record〕 「恥ずべき行為」と、ブッシュは言った!

 米国のブッシュ大統領は12月19日、ホワイトハウスで、2005年を締めくくる記者会見を行った。

 記者団の最初の質問に対する最初の回答のなかでブッシュ大統領は、ニューヨーク・タイムズ紙が暴露した、米国情報機関、NSA(国家安全保障局)が米国市民に対して盗視・盗聴活動を行っていることについて、以下のように語った。

(大沼 試訳)

「最初の質問に答えよう。機密の漏洩に関し、司法省内部であるプロセスが進んでいる。そのプロセスは前進するだろうと、私は思っている。私の個人的な意見では、この戦時において、この非常に重要なプログラムを明らかにすることは、誰にとっても恥ずべき行為である。われわれがそのプログラムを議論していること自体、敵を利することである」

(ホワイトハウス発表による原文)

Let me start with the first question. There is a process that goes on inside the Justice Department about leaks, and I presume that process is moving forward. My personal opinion is it was a shameful act for someone to disclose this very important program in a time of war. The fact that we're discussing this program is helping the enemy.

 ブッシュ大統領はさらに、最初の回答の最後の部分でこうも言った。

「われわれは戦争している。だから、アメリカの秘密は守らなくてはならない」

We're at war, and we must protect America's secrets.

 これが、アメリカの大統領の2005年・年末会見での発言である。

 ニューヨーク・タイムズに漏らした「ディープスロート」を、あぶりだして血祭りにあげる。
 いま、捜査が進んでいるんだ。

 マスコミに漏らしたお前、捕まえてやるからな。
 戦争なんだ、米国民の市民的自由より、「国家機密」の方が重要だ。

 ブッシュ大統領は、要するに、こう吠えたのだ。

 記者の質問に対する、最初の答えがこれ。

 恐喝によって、漏洩の再発を抑え込もうというのである。

 こんどは、漏洩をする側(政府関係者)と漏洩を受ける側(メディア)に対し、盗視・盗聴をしかけようとでもいうのだろうか?(いや、すでに実施に移しているのだろうか?)

 このブッシュの威嚇に対し、ニューヨーク・タイムズの情報源になった人物は、どんな態度をとるのだろう?

 そのディープスロートが、新たな暴露を決断すれば、ウォーターゲート並みのスキャンダルに発展しかねない、そんなブッシュ政権の危機感が、大統領本人の口から「漏洩」した記者会見だった。

 FBIを統括する司法省が目下、「捜査中」という「国家機密」を漏らしてまで、「恫喝」を口にしたジョージ・ブッシュ。

 令状なしで自国民を盗視・盗聴することもさることながら、これまた大統領として、なんとも「恥ずべき行為」である。

 

ブッシュ会見の詳報(原文)は ⇒

http://www.whitehouse.gov/news/releases/2005/12/20051219-2.html

Posted by 大沼安史 at 06:15 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2005-12-14

〔For the Record〕 ウィリアムズ死刑囚 最後のインタビュー

 強盗殺人事件で市民4人を殺害したとして、死刑判決を受けていた黒人死刑囚、スタンリー・トゥーキー・ウィリアムズ氏が12月13日午前0時(現地時間、日本時間では同日午後5時)過ぎ、米カリフォルニア州サンフランシスコ郊外、サンクェンティン刑務所で、毒液注射により処刑された。51歳だった。

 ウィリアムズ氏は最後まで、自分は「無実」であると語っていた。

 同刑務所周辺には、死刑執行に抗議する2000人の市民らが集まり、祈り続けた。

 ウィリアムズ氏の遺骨・灰は、アパルトヘイト(人種隔離政策)を克服した南アフリカ共和国に撒かれる。

 ウィリアムズ氏は1953年12月29日、南部ニューオルリーンズの慈善病院に生まれ、5歳のとき、母親に連れられ、グレイハウンド・バスに乗って、ロサンゼルスに来た。

 18歳のとき、他のギャング団から地域を守るため、ギャング連盟を組織し、それが、のちに悪名を高める「クリスプ」ストリート・ギャング団に発展した。

 1979年に起きた強盗殺人事件の容疑者として逮捕され、81年に死刑囚として同刑務所に収監された。

 93年にはビデオによるメッセージで、黒人の青少年にギャングになってはならないと訴え、96年からは「トゥーキー(氏のニックネーム)、ギャングの暴力に反対して語る」という、子ども向けの本を執筆し、8巻、刊行するなど、模範囚として知られていた。

 2001年には、スイス政府によって、ノーベル平和賞候補にノミネートされた。

 ウィリアムズ氏の死刑執行を回避する努力は、米連邦最高裁の執行延期却下と、シュワツッェネッガー・カリフォルニア州知事の助命嘆願拒否でもって無に帰した。

 死刑執行は報道陣や遺族ら50人が見守るなか、行われた。

 執行直前に行われる、死刑囚の書いた声明文の読み上げは、なかった。

 ウィリアムズ氏はなぜか、声明を書き残さなかった。

 執行を目の当たりにした、ロサンゼルス・タイムズ紙のスティーブ・ロペス記者は、こう書いている。

 「わたしは彼が死んでいくのを、12フィート(3.6メートル)、離れたところから見ました。処刑チームは静脈に針を刺すのに、てこずっていました〔ロサンゼル・タイムズ紙の続報では、12分もの間、静脈を探っていたという〕。ウィリアムズは、彼らがちゃんとしてるか、問いただすようなそぶりで(ベッドから)顔をあげました。そして彼は支持者たちを見て、薬物が注入されて死ぬ直前に、最後の言葉を交わしました」

 そのロペス記者は、記事の最後にこう書いた。
 「わたしは、ひとりの人間が死ぬのを、今日、目撃しました。組織の決断により、カリフォルニア州政府の手で殺されたのです。わたしはそれによってわたしたちは何を得たのか、考え込みました」

                 For the Record

  ウィリアムズ氏は死刑執行数時間前、地元のラジオ局、パシフィカ・ラジオ・WBAIのキャット・アーロンさんによる、最後のインタビューに応じていた。

 以下は、その短いやりとりの全文(拙訳)である。

 スタンリー・トゥーキー・ウィリアムズ まぁ、いい気分だよ。わたしへの神の救い(救済 redemption)の兆しだね。今朝、起きて、顔を洗って、祈りを捧げた。運動もした。そして、いま、あなたに語りかけている。いえ、あなたの前に、母親と話した。もちろん彼女はとても励ましてくれて、スピリチャルだった。今、わたしも、そう。そして、あの野蛮な処刑法に恐怖を感じていない。わたしは信仰に依拠しているから。マッチョでもなければ、男らしさとも、昔のギャッグのストリートの掟もどきものとも関係ない。純粋な信仰だよ。わたしの救済にもとづくものだ。それだから、わたしは強く立っていられる。そして、あなたに、あなたのリスナーに、世界に対して、わたしは無実だと、言い続けている。たしかに、わたしは惨(みじ)めな男だった。しかし、わたしは自分を救済して来た。わたしは、あなたに、すべて聴取者に、わたしの話を聴いてくれるだろう人たちに、救済は、惨めな人々のために、あつらわれているものだ、と言いたい。わたしはかつて、惨めだった。さて、行く前に、もうひとつ、質問に答えるよ。

 キャット・アーロン 米国中の数百万の人々が、というより世界が、あなたの支援に立ち上がっています。あなたの助命をたしかなものにするために、できることは何でもしています。世界があなたが遺そうとしているもの(レガシー)を、どうイマジン(想像)してほしい、と思いますか? わたしたちがみな、今日、始まってほしくはないけれど、いろんなかたちで、今日から始まっていくものを。

 ウィリアムズ そう言ってくれて感謝します。同じことを、少し前、聞かれたことがあります。そのとき、わたしは、たったひとつの言葉でこたえた。たったひとつの言葉が、確固とした〔聞き取り不能〕かたちに、すべてを要約するのです。それは、そう、救済(redemtion)。それ以上、言いようがない。それが、世界がわたしを記憶してほしいと思うことです。それが、わたしが遺すものをみなさんに覚えていてもらいたい方法です。つまり、救済への移行(a redemptive transition)。わたしが信じるものは、聖職者やエリートだけが独占するものではありません。そうではなくて……それは、皮膚の色や人種、社会階層、あるいは宗教的なバックグランドに拠らないものです。そこに救済の美しさがある。他の人たちがわたしが自分を救ったのかどうか、どう思おうとも、わたしは気にしません。なぜなら、わたしがそれを知っていて、神がそれを知っているから。わたしが助け続けている若者たちも、それを知っている。そう思ってもらっていい。それがあるので、わたしは感謝しているのです。だから、わたしはこの(発言の)機会を与えてくれたあなたに感謝しています。そしてわたしは、あなたとすべてのみなさんに、神の祝福あれ、と言いたい。からだに気をつけて。

(原文テキストは以下の通りです)

STANLEY TOOKIE WILLIAMS: Well, I feel good, and my redemption signs, I got up this morning, I cleansed myself, I prayed, I exercised, and now I'm talking to you -- or prior to talking to you, I was talking to my mother. Of course, she is quite encouraging, spiritual, and so am I. And my lack of fear of this barbaric methodology of death, I rely upon my faith. It has nothing to do with machismo, with manhood, or with some pseudo former gang street code. This is pure faith, and predicated on my redemption. So, therefore, I just stand strong and continue to tell you, your audience and the world that I am innocent and, yes, I have been a wretched person, but I have redeemed myself. And I say to you and all those who can listen and will listen that redemption is tailor-made for the wretched, and that's what I used to be. So, I can answer one more before I go.

KAT AARON: There are millions of people all around the country and, indeed, the world who are standing in support of you and doing everything that they can to ensure that your life is spared. How would you like the world to imagine your legacy, one that we all hope does not begin tomorrow, but begins in many years from today?

STANLEY TOOKIE WILLIAMS: I appreciate you making that statement. But I have been asked the same query not too long ago, and I said just one word, just one word can sum it up [inaudible] in a nutshell, and that is: redemption. I can say it no better than that. That's what I would like the world to remember me. That's how I would like my legacy to be remembered as: a redemptive transition, something that I believe is not exclusive just for the so-called sanctimonious, the elitists. And it doesn't -- is not predicated on color or race or social stratum or one's religious background. It's accessible for everybody. That's the beauty about it. And whether others choose to believe that I have redeemed myself or not, I worry not, because I know and God knows, and you can believe that all of the youths that I continue to help, they know, too. So with that, I am grateful. So I thank you for the opportunity, and I say to you and everyone else, god bless. So take care.

Posted by 大沼安史 at 12:37 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2005-12-13

〔For the Record〕 イラク戦争 1000日の決算

 英紙インディペンデント紙(電子版)は12月13日、イラク戦争1000日の特集を掲載した。
 特集記事のひとつに、数字による決算があったので、一部を紹介したい。

 ・2044億ドル(米軍のこれまでの戦費。邦貨換算24兆5300億円)

 ・2339人(同盟軍戦死者)

 ・15955人(米軍の戦傷者)

 ・30000人(イラクの民間人死者)

 ・0(発見されたサダム・フセインの大量破壊兵器の数)

 ・8%(栄養失調に苦しむイラクの子どもの比率)

 ・53470人(殺されたイラク武装抵抗勢力)

 ・66人(殺されたジャーナリストの数)

 ・47%(電気の供給のまったくないイラク人の比率)

 ・20%(インフレ率。ただし、2005年のみ)

 ・20~40%(推定失業率。同上)

詳しくは ⇒

http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article332814.ece

Posted by 大沼安史 at 01:59 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)

2005-12-10

〔For the Record〕 ハロルド・ピンター氏、ノーベル文学賞 受賞演説(全文)

 2005年のノーベル文学賞を受賞した英国の劇作家・詩人、ハロルド・ピンター氏が12月3日、ストックホルムで行われた代理出席による授賞式で、ビデオを通じて記念演説を行った。

 ピンター氏は癌と戦っており、医者に出席を止められていた。

 演説は一時退院した際、自宅でビデオに収録し、ストックホルムに届けられた。

 以下はその記念演説、ノーベル・レクチャーの全文の拙訳である。演劇にうとく、そもそも教養に乏しい私ではあるが、老作家による気迫のこもった演説に圧倒されたので、試訳に取り組んだ。 

 ピンター氏の言葉が、日本語の世界に広がってもらいたいとの、願いを込めて。

 テキストは英紙ガーディアン(電子版)に7日に掲載された英語によるスピーチ全文である。

 同紙はそのテキストに「芸術・真実・政治」との見出しをつけていたので、それにならいたい。

                      芸術・真実・政治

 1958年に、わたしはこう書きました。

 「現実と非現実をはっきり区別する違いはない。真実と嘘の間にも。物事は必ずしも真実か嘘か、どちらかでなければならない、ということではない。真実であり同時に嘘でもありうる」

 わたしはこの考えがいまなお、意味を失っておらず、芸術を通した現実の探求になお適用しうるものだと信じています。ですから、芸術作家としてのわたしは、いまもこの考えに立っている。しかし、ひとりの市民としては、それに従うことはできません。ひとりの市民として、わたしもまた、こう問いかけなければならないのです。「真実って何なんだ? 嘘って何なんだ?」

 演劇においては、真実は永遠にとらえられません。真実をほんとうに見ることはできない。しかし、真実を探求する衝動を抑えることもまたできないことです。そしてその探求こそ、努力を駆動するものであることは明らかです。その探求は、みなさん自身のお仕事。暗闇のなかの手探りで、真実に躓(つまず)くことの方が多いはずです。真実にぶつかったり、真実と何か関係ありそうなその姿かたちを一瞬、見たつもりになったり。自分で気づかないうちに、そうしていることが多いはずです。しかし、現実における真実というものは、演劇という芸術のなかで見つけ出そうとする真実とは、縁もゆかりもないものです。現実において真実はいくつもある。これらの真実は互いに挑戦し合い、和解し合い、反映し合い、無視し合い、嘲笑し合い、そして互いに盲(めし)いています。真実を手中に収めたと思う瞬間もおありのことでしょう。しかし真実はあなたの指の間をすり抜け、失われてしまうことでしょう。

 わたしはよく、どうやって演劇が生まれるの、と聞かれることがあります。わたしには答えようのないことです。わたしは、わたし自身の演劇を要約することさえできない。それはただ、そうなっているだけ、と言えるだけです。登場人物たちが、そう語り、そうした、だけのことだと。

 わたしの演劇は、科白(せりふ)の一行、ひとつの言葉、ひとつの動作から生まれて来るものなのです。発せられた言葉のすぐ後を、イメージが追いかける……。実例をふたつ、お目にかけることにしましょう。わたしの頭のなかに突然、降って湧き、イメージによって後追いされ、わたしによって追跡された、科白の二行です。

 わたしの『ホームカミング(The Homecoming、帰郷)』と『オールド・タイムズ( Old Times、懐旧(かいきゅう))』に出てくる、ふたつの科白です。『ホームカミング』の最初の一行は、「お前、あの鋏、どうしたんだ?(What have you done with the scissors?)」で、『オールド・タイムズ』のそれは、「黒だ(Dark)」です。

 ふたつの場合とも、わたしはそれ以上の何の情報も、(脚本を書き出すとき)持っていませんでした。
 
 最初のケースでは、明らかに、誰かが鋏を探している。そして別の誰かに、こいつ、もしかしたら盗んだかも知れないなと疑いながら、鋏が何処にあるか、説明を求めている。しかし(そう書き出した)作者であるわたしは、そのとき、なぜかもう、こういうことを知ってしまっている。問い詰められた方が鋏のことなど何も気にしちゃいないし、そもそもそう聞いている方の人物のことも眼中にないことを。

 もうひとつの「黒だ」は、髪の毛の表現として書き出したものです。女性の髪の毛に関するもので、ある質問に対する答えとして書いた。
 ふたつのケースとも、そう書いたことで、わたしは問題の追及に迫られたわけです。
 それは視覚的なかたちで起きました。とてもゆっくり薄らいでゆき、影を通って光に向かって行った。

 わたしはいつも、登場人物をAとかBとかCと呼ぶかたちで、脚本を書き始めます。

 『ホームカミング』として出来上がった芝居でわたしは、寒々とした部屋にひとりの男が入って来て、きたないソファーで競馬新聞を読んでいる若い方の男に問いただすシーンをまず思い浮かべました。登場人物のAはたぶん父親で、若い男のBは息子でしょう。でも、いまのところ、確証はありません。しかし、それはすこし後になって、B(あとでレニーになります)がA(あとでマックスになります)に、「父さん、そんなこと、どうだっていいだろう? それよりも、こっちの方が聞きたいよ。あの晩飯、なんなんだよ。どう呼べばいいんだ? 犬、飼って食わせろよ。犬メシのコックさん。ほんとにそうだよ。犬に食わせる料理じゃないか」というくだりで、はっきりします。
 BがAを「父さん」と呼んだことで、わたしにも、ふたりが父と息子であることが理に叶ったことになりました。Aが料理人であるけれど、評判がどうやらよろしくないことも。となると、母親はここにはいない?……それはわたしにもまだわからない。この芝居を書きながら、自分自身に言ったように、
〝わたしたち〟の始まりが、〝わたしたち〟の行き先を知ることは、決してないのです。

 「黒だ」。大きな窓。夕暮れの空。ひとりの男、A(あとでディーレイになります)。そして、ひとりの女、B(あとでケイトになります)。座って飲んでいる。「太ったの、それとも痩せた方?」と男が聞く。何のことを話しているのか? しかし、そのあと、わたしの目に、窓際に立つ、女性C(あとでアンナになる)が浮かぶ。別の光の中で。ふたりに背中を向けて。黒い髪……。

 不思議な瞬間です。それまで存在しなかった人物が創造される瞬間。それに続くものは、衝動にあふれ、不確定で、眩惑(げんわく)的ですらあります。ときにそれは、止めようのない雪崩(なだれ)になりうることもありますが……。わたしという作家は、奇妙な位置にあります。彼はある意味で、登場人物たちに歓迎されません。登場人物らは彼に抵抗します。ともに生きることは楽なことではありません。意味づけることは不可能です。彼(女)らに、科白を押し付けることもできません。はっきりしたことです。かなりの程度、登場人物たちと、終わりなきゲームを続けることになる。鬼ごっこ、目隠し、かくれんぼ。けれど最終的にみなさんは、その手中に、意志と固有の自己感覚を持ち、変えたり操ったり捻じ曲げたりできない部分から成る、血肉をもった人物たちを見つけ出すことでしょう。

 つまり、芸術における言葉は、高度に曖昧なやりとりであり続けるわけです。それは流砂(りゅうさ)であり、トランポリンであり、いつなんどき、作者であるあなたを落とし込みかねない、凍ったプールであるわけです。
 
 しかし、すでにお話しましたように、そうした真実の探求は止むことのないものです。それは休会も延期もできません。まさにその場で、向かい合わあわなければならないものなのです。

 これに対して、政治の劇場は、まったく異なる問題群を提示します。お説教は、どんなことがあっても、してはなりません。客観性こそ命です。そこに登場する人びとは、自分自身で呼吸することを許されねばなりません。作者が自分のテースト(感覚)や好み、あるいは偏見にあわせ、人びとを閉じ込めたり、締め付けたりすることはできません。さまざな角度から、禁じされることない、全開の視野のなかで彼(女)らにアプローチし、ときには驚かせ、にもかかわらず、わが道をゆく自由を彼(女)に与える用意ができていなければならない。そしてそれが、いつもうまくゆくとは限らない。もちろん、政治的な風刺は、こうした教えに従わず、実際はそれとは正反対のことをしてしまいます。それこそが、政治風刺の正しい機能なのではありますが……。

 わたしの『誕生会(The Birthday Party)』という劇では、最後に服従することへ焦点化される前に、可能性の森深く、あらゆる行動の選択肢がありうる状況を設定しました。

 『山の言葉(Mountain Language)』では、そうした選択肢があるふりさえしません。野卑(やひ)で短く、醜くあり続る。しかし、劇に登場する兵士たちは、それを面白がります。拷問するのも、すぐ飽きが来るものなのに、そのことをときどき、忘れようとする。意気を軒昂(けんこう)に保つために、少しは笑いを必要とする。このことはもちろん、バグダッドのアブグレイブでの出来事で確証されたことであります。
 この『山の言葉』は20分の短い劇です。しかし、それが何時間にもわたって繰り返し上演しうるものです。ずっと、ずっと、ずっと。何時間にもわたって、同じパターンが反復される。

 『灰から灰へ(Ashes to Ashes)』は反対に、水中の劇として、わたしに現れたような気がします。溺れかけた女がいます。波の上に伸びた彼女の手。視界から消える。誰かの助けを求めるが、そこには誰もいない。水面上にも水面下にも。ただ影と反映と浮遊あるのみ。溺れゆく風景のなかで失われゆく人影としての、その女。他の誰かに所属するだけらしい運命を逃れることのできない女。

 他の誰かがそうだったように、彼女もまた死なねばならない……。
 

 政治の言葉は、政治家によって使われると、こうした芸術の言葉の領域に入っては行かないものです。わたしたちが手にしている証拠によれば、大多数の政治家は真実ではなく、権力とその維持に関心を向けているからです。権力を維持するには、民衆を無知のなかにとどめることが不可欠です。民衆が真実を知らずに、自分自身の生の真実さえ知らずに生きていることが不可欠です。ですから、わたしたち民衆を取り囲んでいるものは、嘘の膨大な織物なのです。それをえさとして、わたしたちは食べ続けている。
 
 ここにいらっしゃる皆さん方全員がご存知のように、イラク侵略を正当化したことといえば、サダム・フセインが大量破壊兵器のきわめて危険な一群を保有し、そのうちの一部は45分以内の発射が可能で、悲惨な荒廃を招くものだということでした。それが真実だと、わたしたちは確信させられました。けれどそれは真実ではありませんでした。イラクはアルカイダと関係があり、ニューヨークにおける「9・11」の残虐行為にも相応の責任を持つと、わたしたちは吹き込まれました。真実ではありませんでした。イラクは世界にとって脅威であると教えられました。それが真実だと確信させられました。真実ではありませんでした。
 
 真実は、まったく異なったものです。真実は、米国が世界における役割をどう理解し、それをどう体言しているかという点にかかわるものです。

 ふたたび現在に戻る前に、わたしは最近の過去を――それは第2次大戦後の米国外交政策のことでありますが――見てみたいと思います。この時期のことを検証することは、わたしたちにとって義務であると、わたしは信じています。それは、(授賞式場という)こうした場所において、つねに許されるべきことではありますが……。

 戦後、ソ連や東欧全域で何があったか、誰もが知っています。組織的な暴行、広汎な残虐、独立した思想に対する容赦のない弾圧。すべては完全に記録され、確証されました。
 
 しかし、わたしが言いたいのは、同じ時期、米国が行った数々の犯罪は、表面的に記録されているだけだということです。文書化もされなければ、認められもせず、そもそも犯罪を犯したことさえ気づかれずにいる。これはきちんと決着をつけるべきことであり、そこで明かされるべき真実は、わたしたちの世界がよって立つものに相当な影響を及ぼすものと、わたしは信じています。ソ連という存在によって、一定程度、抑制されていましたが、世界各地での米国の行いは、好き勝手なことができる白紙委任状を自分たちは得ているのだと自ら結論づけていることを、はっきり示しています。

 主権国家を直接的に侵略することは、たしかにこれまで、アメリカ好みのやり方ではありませんでした。アメリカはこれまで、主として「低強度紛争」といわれるやり方を好んで来た。低強度紛争とは、爆撃で一撃のもと死ぬのではなく、より緩慢(かんまん)に数千人の人びとが死んでいくことです。それはある国の中心を侵し、悪を増殖させ、壊疽(えそ)が広がるのを見ていることです。人びとが制圧され――殴り殺され――それは同じことですが――たあと、権力の座に快適に座る、あなた方の友人たち、軍や大企業のみなさんが、カメラの前に出て来て、デモクラシーが勝利したと言う……。これはわたしが言及した戦後期の米外交に共通するものです。

 ニカラグアの悲劇は、高度に重要な事例です。わたしはこれを、世界における自分の役割をアメリカが当時も今もどう見ているかを示す、有効な例として提示したいと思います。
 
 1980年代の終わりごろのことでした。わたしはロンドンの米国大使館での会議に参加していました。
 
 米国の連邦議会・上院は、ニカラグア政府に対するコントラの攻撃への資金援助を増額すべきかどうか、まさに決定しようとしていたときでした。わたしはニカラグア政府のために発言する代表団の一員でした。そのなかで、もっとも重要なメンバーは、ジョン・メトカルフ神父でした。対する米国代表団のリーダーは、レイモンド・ゼイツ(当時は大使に次ぐポストにあり、その後、大使に昇格しました)でした。メトカルフ神父は言いました。「議長。わたしは、ニカラグアの北部の教区を預かっている者です。わたしの教区の信者たちは、学校を建て、健康センターを開き、文化センターを開設しました。わたしたちはこれまで平和のうちに暮らして来たのです。数ヵ月前、わたしたちの教区を、コントラの部隊が攻撃しました。彼らは全てを破壊しました。学校を、健康センターを、文化センターを。看護婦や女教師を凌辱し、最も残酷な方法で医者を殺した。野蛮人のようなふるまいでした。こうした恐るべきテロリストの行為への支援をやめるよう、米国政府に要求していただきたい」

 レイモンド・ゼイツは分別があり、責任感があり、高い教養を備えた人物として、評判がとてもよかった人です。外交サークルでは非常に尊敬されていました。彼はじっと聞き入り、息をついだあと、重々しく、こう言ったのです。「神父さま。わたしにも言わせてください。戦争では、罪もない人びとが常に苦しむものです」。凍りついた沈黙があとに続きました。わたしたちは、まじまじと彼の顔を見ました。しかし、彼はたじろぎませんでした。

 その通り。罪もない者が常に苦しんでる……。

 誰かが最後、こう言いました。「しかし、この場合、その『罪もない人びと』とは、あなたがたの政府によって支援された、恐るべき残虐行為の犠牲の一部です。上院がもし、コントラにもっと資金援助することを許せば、同じような残虐行為がもっと起きる。これは重大なことではないのですか? あなたがたの政府が、主権国家の市民の殺害と破壊行為の支援に、責任がないとでもいうのですか?」

 ゼイツは動じませんでした。「提示された事実があなたの主張を支持していることに、わたしは同意しません」と言いのけました。

 米国大使館を退去するとき、ひとりの大使館員がわたしに近寄って来て、わたしの劇を楽しんでいる、と言いました。わたしは返事をしませんでした。

 わたしはみなさんに、当時のレーガン大統領の以下の言明を思い起こしていただきたいと思います。「コントラは、われわれの建国の父たちと道徳的に等価である」

 米国は40年にもわたって、凶暴なソモザ独裁政権を支え続けました。サンディニスタに率いられたニカラグアの民衆は1979年に体制を転覆させました。息をのむほどの民衆革命でした。

 サンディニスタも完全ではありませんでした。傲慢さを世間並みに持ち、その政治哲学には矛盾点が数多く含まれていました。しかし、彼(女)らは知識を持ち、理にかなっていて文明化されていました。彼(女)らは、安定的で上質な多元的な社会の建設に乗り出していたのです。死刑も廃止されました。数十万の貧困にうちひしがれた農民が、死者の国から呼び戻されました。10万を超える家族に、土地の所有権が与えられました。2000の学校が建設されました。まさに特記にあたいする識字キャンペーンが展開され、この国の文盲を7人に1人まで減らしたのです。無償の教育も確立しました。無料の医療サービスも受けられるようになった。幼児死亡率は3分の1、下がりました。小児麻痺は根絶されました。

 米国はこうした成果を、マルクス・レーニン主義による体制転覆だと非難しました。米国政府にとって、危険な前例が生まれてしまったわけです。もし、ニカラグアに社会的・経済的な正義の基本的な規範の樹立を許したならば、医療ケアと教育水準の向上と社会的な団結と国民的な自尊の確立を許したならば、近隣諸国も同じ問いを問い始め、同じことを始めかねない……。実際のところ、当時、隣国のエルサルバドルでは、支配の現状に激しく抗議する抵抗運動が起きていたのです。

 わたしは先ほど、わたしたちを包み込む「嘘の織物」についてお話しました。レーガン大統領はニカラグアのことを、「全体主義の穴倉」だと言い続けました。これをメディア一般は――英国政府は、正しく、公正なコメントとして――取り上げていたのです。しかし、事実は、サンディニスタ政権の下、暗殺団というものは存在しませんでした。拷問の記録もありません。組織的、あるいは軍隊による公的な残虐行為の記録もありません。ニカラグアでは(サンディニスタ政権下)ひとりの神父も殺されませんでした。それどころか、政府部内にジェスィットが2人、マリークロールの宣教師1人の計3人の神父が参加していたほどです。全体主義の穴倉は、隣のエルサルバドルやグァテマラにあった。米国は1954年、グァテマラで、デモクラティックに選出された政府を崩壊させ、その後の軍事政権の支配下、20万人を超える人びとが独裁の犠牲になったと推定されています。

 サンサルバドルのセントラル・アメリカン大学では、最も著名な6人のジェスィットが、米国のジョージア州フォート・ベニングで訓練されたアラカルト連隊の大隊によって、1989年に無残に殺害されています。とても勇敢なロメロ大司教は、ミサで説教していたところを暗殺されました。7万5千人が殺されたと推定されています。彼(女)らはなぜ、殺されなければならなかったか? よりよい生活は可能であり、達成されるべきだと信じたから、殺されたのです。そう信じた者は、すぐさま、共産主義者とみなされました。彼(女)らはなぜ、死んだのか? それは現状に対し――際限のない、貧困と病気、腐敗と弾圧の高みに対し、問いを投げかけたからです。それが彼(女)らの生まれつきのものだと言われていたものに。

 米国はそのサンディニスタの政権を最終的に崩壊させました。何年もかかりました。かなりの抵抗もありました。しかし、容赦のない経済的な迫害と3万人もの死が、遂にニカラグアの民衆の意気を殺(そ)いだのです。彼(女)らはふたたび、疲れきり、貧しさにあえぎ出したのです。カジノが舞い戻って来ました。無償の医療と教育は終わりを告げました。巨大企業が復讐心をみなぎらせて帰って来た。「デモクラシー」はかくして広がったのです。

 しかし、この「政策」は中央アメリカに限ったことでは決してありません。全世界で実施されて来たものです。終わりのないものですが、まるで、なかったかのようなものでもあります。

 米国は第2次大戦後、多くの場合、世界の右翼軍事独裁政権をつくって来ました。わたしが言っているのは、インドネシア、ギリシャ、ウルグァイ、ブラジル、パラグァイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グァテマラ、エルサルバドルのことです。そして、もちろん、チリのことも。1973年、米国がチリにもたらした恐怖は、忘れることができないものであり、決して許されないことです。

 こうした国々では数十万の人びとが死亡しました。ほんとうに起きたの? 全部が全部、米国の外交政策のせいなの? 答えはイエス。それは実際に起き、アメリカの外交のせいなのです。しかし、みなさんは知らずにいた。

 だからそれは起きなかった。なにひとつ、起きなかった。それが起きつつある時でさえ、それは起きなかった。どうでもよかった。なんの関心もなかった。
 これらの米国の犯罪は、組織的であり持続的であり、悪意に満ちて情け容赦のないものでした。にもかかわらず、それについて発言する人はほとんどいなかった。すべてをアメリカの手に委ねてしまわなければならなかった。アメリカは一方で普遍的な善のための力を偽装しつつ、世界中で権力の臨床操作を行って来たのです。それは、頭のいい、機知にさえ富んだ、すばらしい成功を積み上げて来た催眠術でした。

 わたしは米国こそ、疑いなく、巡業中の最も偉大なるショーであると言いたい。残虐で冷淡で、嘲りに満ち、容赦のないところがあるにせよ、非常に賢い。セールスマンとして旅に出ており、その最も売れ筋の商品が自己愛なのです。米国は勝利者です。アメリカの大統領がテレビでいう言葉を聞いてごらんなさい。「アメリカのみなさん(The American people)」という言葉が、次のような文章のなかで出て来ます。「アメリカのみなさんに向かって、わたしはいまこそ祈りのときであり、アメリカのみなさんの権利を守るときであると言いたい。そしてわたしはアメリカのみなさんに、いまアメリカのみなさんのために行動を起こそうとする、あなたがたの大統領を信じてほしいとお願いしたい」

 眩いばかりの戦術です。実際問題として、思考を窮地に追い込むべく、言葉が使われています。「アメリカのみなさん」という言葉は、なんども安心させる、ほんとうに官能的なクッションです。考える必要などありません。クッションに身をゆだねるようしていればいい。そのクッションは知性と批判精神を窒息させるかも知れませんが、とても気持ちのいいものなのです。もちろん、この言葉は、貧困線下にあえぐ4000万人のアメリカ人や、米国各地に広がる牢獄につながれた200万人の男女に当てはまるものではありませんが……。

 米国は最早、低強度紛争のことで頭を使うこともありません。口を噤んだり、遠まわしの言い方で逃げることに意味を見出さなくなりました。恐れることなく、あるいは親切心もなく、テーブルの上にカードを曝(さら)け出すようになっている。米国が無力で無関係とみなす、国連や国際法、批判的異見など、どうでもいいものと、ただただ思っているのです。そしてそれは、弱々しい子羊を背後に引き連れている。病人のように無気力な英国という羊を。

 わたしたちの道徳感覚に、いったい何が起きたのでしょうか? そもそも道徳感覚を持ったためしがあったでしょうか? いまやこの言葉にどんな意味が残されているのでしょう。最近はきわめて稀(まれ)にしか使われなくなった良心という言葉を指しているのでしょうか? 自分の行動だけでなく、他者の行動の責任を分かち合う、良心? すべては最早、死に絶えた? グアンタナモ・ベイを見なさい。数百人にも人びとが3年以上も、自分の罪状さえわからず、弁護士もつかず、正当な法の手続きをなく、機械的に永遠の囚われ人になっています。この完全に不法な機構は、ジュネーブ条約を無視して維持されている。それは容認してはならないものであるばかりか、いわゆる「国際社会」にとって、考えられないことです。この犯罪的な非道は、自分自身を「自由世界のリーダー」と称する国によって行われていることです。グアンタナモ・ベイの住人を、わたしたちは考えてみることがあるでしょうか? 彼らについて、メディアは何と言っているか? 新聞の6ページあたりに、小さな記事がたまに顔をのぞかすくらいです。彼らはそこからの生還がかなわないかもしれない無人の地に放り込まれているのです。彼らの多くが、いまこの瞬間もハンガーストライキを行っています。強制的に栄養を投与されています。英国人も含まれています。この強制投与にはなんの気配りもありません。鎮静剤ももらえなければ、部分麻酔もかけてんもらえません。チューブを鼻から喉へ通すだけです。血を吐いてしまいます。これは拷問です。これについて、英国の外務大臣は何と言っているか? 何も言っていません。英国の首相は何と言っているか? 何も言っていません。米国がこう言っているからです。グアンタナモ・ベイのわれわれの行為を批判することは、非友好的な行為に他ならない。お前たちは味方なのか、敵なのか? そう迫られてブレアは口を閉ざすのです。
 
 イラク侵略は、無法者の行為です。国際法の概念を絶対的に侮蔑する、あからさまな国家テロリズムです。イラク侵略は、嘘の上に嘘を重ね、メディアを――ということは公衆を――操作したことで喚起(かんき)された、恣意(しい)的な軍事行動です。ほかの口実がみな失敗したので、最後の手段として引っ張り出して来た、解放という仮装を纏(まと)いながら、中東におけるアメリカの軍事・経済支配の強化を狙った行動なのです。
 数千人もの罪もない人びとの死と人体損傷に責任を負う、軍事力の圧倒的な行使。

 わたしたちは拷問を、集束爆弾を、劣化ウラン弾を、手当たりしだいの無数の殺戮(さつりく)を、悲惨を、生活破壊を、死を、イラクの人びとにもたらしました。そしてそれを「自由と民主主義を中東にもたらす」ものだと言った。

 大量殺戮者、そして戦争犯罪人と彼らが呼ばれるようになるまで、いったいどれくらいの人間を殺さなければならないのか? 10万人? わたしが思いつく限度を超えた数です。だからこそ、ブッシュとブレアを国際刑事裁判所の法廷に立たせることは、正義にかなっていることです。しかし、ブッシュは賢かった。国際刑事裁判所条約を批准しなかったから。それゆえ、もしアメリカの兵士や政治家が法廷に立たされようものなら、海兵隊を送り込むと、ブッシュは警告することができたわけです。しかし、トニー・ブレアは条約を批准しています。だから、訴追(そつい)もあり得ます。わたしたちは、もし国際刑事裁判所が関心を持つなら、ブレアの所在を知らせることができます。ロンドンのダウニング街10番地にいますと。

 こうした文脈のなかで、死は無意味化されます。ブッシュもブレアも、誰が死のうとお構いなし。イラク人の武装抵抗が始まる前に、少なくとも10万人ものイラク人がアメリカの爆弾やミサイルで殺されました。死んだ人びとは、見向きもされなかった。彼(女)らの死は、存在していません。空白のままです。死んでいる、と記録もされない。「われわれは死者のボデー・カウントをしない」と、アメリカの将軍、トミー・フランクは言いました。

 イラク侵略が始まって間もないころ、イギリスの新聞の第1面に、トニー・ブレアがイラクの小さな男の子の頬にキスしている写真が載りました。写真説明はこうでした。「感謝する少年」。それから数日後、新聞の奥のページに、両腕を失った、別の4歳の男の子の話と記事に掲載されました。少年の家族は、一発のミサイルで吹き飛ばされていたのです。そして、この子だけが助かった。少年はこう言いました。「ぼくの腕をいつ返してくれるの?」。その記事はその後、削除されました。そうです、ブレアはその子を抱かなかった。腕や足をなくしたどんな子も、血まみれのどんな死体も、ブレアは抱きませんでした。血は汚れているのです。血は、テレビで誠実そうに演説する、シャツやネクタイを汚すのです。

 2000人のアメリカ人が死んで、慌てています。闇に紛れて、墓地へ運ばれて行きました。葬式は地味に、危険のない場所で。手足を失った者はベッドに朽ち、ある者は一生をかけて果ててゆく。つまり死者も非不具者も、ともに朽ちてゆく。墓の種類が違うだけです。

 〔チリの詩人〕パブロ・ネルーダの詩、『そのわけを話そう』の一節を引くことにしましょう。

   そしてある朝、すべてが燃え出した
   ある朝、大きな炎が
   大地から噴き出し
   人間をむさぼりつくした
   そしてそのときから 火が
   弾薬が
   血が

   飛行機に乗りムーア人を連れた悪党どもが
   指輪をはめて公爵夫人を連れた悪党どもが
   祝福する黒衣の修道士を連れた悪党どもが
   子どもを殺しに空から舞い降り
   子どもの血が通りを流れる
   静かに 子どもの血のように

   ジャッカルにさえ蔑まれるジャッカルどもよ
   乾いたアザミの花さえ棘を刺し、唾棄(だき)する石どもよ
   マムシにさえ毛嫌いされるマムシどもよ

   お前たちの面前に わたしは見たのだ 血が
   スペインの血が 波の塔になって逆巻き
   お前たちをひと呑みにする
   誇りと刃のうねりになって

   裏切り者ども
   将軍どもよ
   殺されたわが家を見よ
   破壊されたスペインを見よ
   燃え盛る家々から金属が溶け出る
   花たちに代わって
   抉(えぐ)り取られた、ひとつひとつのスペインから
   スペインが現れる
   そして死んだ子どものひとりひとりから、両目を持ったライフルが
   そしてひとつひとつの犯罪のあとから、弾丸が生まれ出て
   いつの日か必ず
   お前たちの心臓の的を狙うのだ

   諸君らは尋ねる スペインの詩はなぜに
   夢を葉を歌わないかと
   ふるさとの大地の偉大なる火山の歌を歌わないかと

   来て、見てくれ 通りに流れた血を
   来て、見てくれ
   通りに流れた血を
   来て、見てくれ 血を
   通りを!

 わたしがパブロ・ネルーダの詩を引用したのは、〔フランコのファシストに滅ぼされた〕スペイン人民共和国をサダム・フセインのイラクになぞらるためではないことを、はっきり言わせてください。わたしがネルーダを引いたのは、現代詩のなかに、これほどパワフルに、民衆への爆撃の悲惨を描き切ったものがほかにないからです。

 わたしは先ほど、米国がいまやまったくあからさまに、手持ちのカードをテーブルの上に曝し出したと言いました。問題はここにあります。米国の公式に宣言された政策は、「フル・スペクトル(全領域)支配(full spectrum dominance)」と定義されています。わたしの科白ではありません。彼らの用語です。「フル・スペクトル支配」とは、陸地や海、空、宇宙、その他、あらゆる利用可能な資源を意味する言葉です。

 米国は世界の132ヵ国に、合わせて702の軍事基地を設け、占拠しています。もちろん、みなさんのスウェーデンは、その名誉ある例外ではありますが……。米国がどうやって、そういうことをやってのけてたか、よくわかりませんが、彼らはたしかにそこにいるのです。

 米国は8000発もの、実戦配備または配備可能な核弾頭を保有しています。うち2000発は、一触即発の警戒態勢下にあり、警報発令後、15分以内に発射することができます。米国はまた、「バンカー・バスター」として知られる、新しい核戦力のシステムを開発中です。英国は協調姿勢を強め、国産の核ミサイル「トライデント」を更新しようとしています。いったい、誰を狙おうというのでしょう? オサマ・ビンラディン? それとも、あなた? わたし? ジョー・ドークスさん? 中国? パリ? 知る者はいません。しかし、わたしたちがたしかに知っていることがあります。この幼児的な狂気――それはつまり、核兵器の保有と使用の脅迫のことですが――が、現在のアメリカの政治哲学の中心にあるということです。わたしたちは思い起こす必要があります。米国は軍事に永久的に立脚しており、その態勢を緩める兆しはない、ということを。

 数百万といえなくとも、少なくとも数千人の米国人は、彼(女)らの政府の行動に不快感と恥と怒りを表明しています。しかし、実際のところ、それはまだ、ひとかたまりの政治的な力にはなっていません。しかし、わたしたちが目の当たりにしている、米国で日々、増大する不安、不確実、恐れは、消えるものではないようです。

 わたしはブッシュ大統領がきわめて優秀なスピーチライターを数多く、抱えていることを知っています。しかし、わたしとしても、ボンランティアでその仕事をしてみたい気がします。そこでわたしは、全米テレビ演説で使える、以下の短い演説文を提案したいと思います。

 わたしはいま、彼の姿を目に浮かべています。威厳があって、丁寧に髪の毛をとかしていて、真剣で、勝利の確信に満ちている。しばしば人を魅了し、ときどき苦笑を浮かる、変に魅力的な、男の中の男を。

 「神は善であります。神は偉大であります。わたしの神は善であります。ビンラディンの神は悪であります。彼の神は悪の神です。サダムの神は悪です。その神もサダムの神にはなれなかった。サダムは野蛮人です。われわれは野蛮人ではありません。われわれは首をはねたりしません。われわれはデモクラシーを信じています。われわれは、情け深い社会です。われわれは、情け深い電気椅子と情け深い毒液注射で処刑しています。われわれは偉大な国民です。わたしは独裁者ではありません。わたしは野蛮人でもありません。彼が、そうです。そして、別の彼も。全員がそうです。わたしには道徳的な権威があります。この拳を、ご覧なさい。これがわたしの道徳的権威です。忘れちゃ困るぜ!」

 作家の人生は、か弱いものです。裸同然の活動であります。しかし、だからといって、泣くことはありません。作家は自分自身で選択し、選んだものに固執します。しかし、あらゆる風にさらされ、ときとして凍(い)てついた風に吹き付けられるのだというのも、真実です。でも、自分自身の足だけで立っていなければなりません。避難所もなければ、保護するものもない。それも、嘘をつくなら、話は別です。その場合、あなたはもちろん、自分で自分の守りを固めていく。そうして――議論の余地はありますが――、政治家になっていく……。

 今宵、わたしは何度も死者について語って来ました。ここでわたしの詩、『死(Death)』を引くことにしましょう。

   死体が出たのはどこだ?
   死体を見つけたのはだれだ?
   死体は出てきたとき死んでいたか?
   死体はどうやって出て来たか?  

   死体はだれだ?

   死体は父か、娘か、弟か?
   叔父か、妹か、母か、息子か?
   死んで捨てられたものの

   死体は裸か旅装をしてたか?

   死体が死んだというのは、どうして?
   死体が死んだとあなたが言ったの?
   死体が死体だとどうして知ったの?
   死体が死んでいるとどうしてわかるの?

   死体をあなたは洗いましたか?
   死体の両の目を閉じたのですか?
   死体をあなたは埋めましたか?
   死体をあなたは捨てましたか?
   死体にあなたはキスしましたか?

 わたしたちが鏡を見るとき、目の前に現れた映像を寸分の狂いもない正しいものと考えます。でも、わたしたちが1ミリ、動いても、映像は変化します。わたしたちは実は、無限の反射の射程(しゃてい)に向き合っているのです。作家はしかし、ときにその鏡を破壊しなければなりません。鏡の向こう側から、真実がわたしたちを見ているからです。

 途方もない困難が現に存在します。しかし、ひるまず、ゆるがず、市民として、わたしたちの生の現実における真実を言葉にする、強固な知的決意をすることは、わたしたちがみな、譲り受けるべき、きわめて重大な責務であります。それは、わたしたちに与えられた使命です。

 もしかりにそうした決意がわたしたちの政治のヴィジョンに体現されなければ、わたしたちはすでにほとんど失いかけているものを復興する希望をなくしてしまうことでしょう。失いかけているもの――それは、人間の尊厳です。  
       
   
   

http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,,1661516,00.html

Posted by 大沼安史 at 12:49 午後 8.For the Record | | トラックバック (0)