2009-10-31

〔コラム 机の上の空〕  「怒力」を!

 人はなぜ悲しむか?――不当に、不法に、不条理に、自分の思い・願いに反して、何事か・何者かを失った時、私たちは悲しむのだ。

 その不当さ、不法さ、不条理さの認識の中から、私たちの「怒り」が生まれる。

 悲しんでだけ、いてはいけない。怒らなければ。

 戦時中、自分の夫が、父が、白木の箱に入って無言の帰還を果たした時、遺族たちは、名誉の戦死を遂げた夫と、父を「誇らしく」思う、不条理な心理操作を強いられた。名誉の戦死――ありがたいことだと。

 悲しむことを許されなかった。少なくとも公式の席では。
 「神国=日本」は、兵士の遺族の悲しみを封印した。
 なぜか? それは「怒り」を封印するためだった。

               *

 どうして、こんな、「神の国・軍国ニッポン」の「過去」を思い出したかというと、「軍事世界帝国=アメリカ」の悲しい現実の一面を、ネット反戦放送局、「デモクラシーNOW(DN)」の番組で知ったからだ。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2009/10/27/exclusive_parents_of_soldier_who_killed

 最愛の息子を、イラクでの「自死」という形で亡くしたご両親が、DNに登場し、その無念さを語っていたからだ。

 大統領から、未だに、お悔やみの手紙ひとつ、届いていないと。
 自殺した兵士の遺族には、大統領は、お悔やみの手紙は出さないとの決まりがあるからだ。

 白人の父と黒人の母。
 自死した兵士に、どうしてお悔やみの手紙のひとつも出せないのか?……両親の「悲しみ」は、底深い「怒り」に変わっていた。

               *

 「××力」――「ナントカ力」がブームになって久しいが、「怒る力」――すなわち「怒力(ド・りょく)」を推奨する本を、僕はまだ知らない。

 どうして「怒る力」が、称揚されないのか……新たな「力」として、“デビュー”しないのか?

 たぶん、それは、「怒り」が―プリプリ、プンプン、怒るイメージが、マイナスのものと思われている(思い込まされている)せいだろう。

 たしかに、「当り散らし」はよくないが、その怒りがもし、深い悲しみに起動されたものだのだとしたら、どうか?!

 そう、その通り! 悲しみから生まれる「怒り」こそ、大事にしなければならないものだと、僕は思う。

               *
 
 「怒り」――たとえば、わが畏友、小笠原信之は、間もなく上梓する『ペンの自由を貫いて――伝説の記者・須田禎一』(緑風出版、2500円+税)』の「袖文」に、須田氏が「東大生・樺美智子が権力に虐殺された「60年安保」では、<ともあれ事態の収拾を>と呼びかけた在京「七社共同宣言」の事なかれ主義を徹底批判した」と書いているが(予定稿)、ここにあるのは、ジャーナリストである彼の、悲しみであり、怒りである。

 女子大生が殺された悲しみ、警官隊に弾圧させた、安部信三の祖父、岸信介(ニューヨーク・タイムズ紙のティム・ワイナー氏によれば、岸はCIAの犬だった、卑劣な男だ…そういえば、岸に家を貸していた有名な女優さんは、岸が出ていったあと、家に塩を撒いたそうだ……)への怒りもさることながら、ここに――その根底に、あるのは、朝日の笠信太郎によって主導された、あの一九六〇年の日本のマスコミの裏切り、「7社共同宣言」への悲しみであり、怒りである。

 仮に、「7社共同宣言」が、「岸よ、退陣せよ、安保条約を見直せ」の共同宣言であったなら、戦後日本はどう変わっていただろう。

 「ベトナム戦争」も「沖縄」も、別のかたちになっていたかも知れない。

                *

 僕がDNのこの報道を視聴し、今、どうしようもなく、悲しい怒りを覚えるのは、(そう、それをひとつ挙げるとすれば)イラクのサマワに派遣された自衛隊員の中に、帰国後、自死された方が複数いらした、という事実に対してである。

 日本のマスコミは、派遣隊員が、なぜ、自死まで及んだのか、一行、いや一字たりとも報道しなかった。

 時の小泉首相から、お悔やみの手紙が出たかどうかも(出なかったと思うが)報じられなかった。

                *

 マスコミは「悲しみ」と「怒り」を、忘れてはならないのだ。

 そう、仮に樺美智子さんの死に悲しみを感じていれば――彼女の死と、彼女に手をかけた(憎しみの警棒をふるった)弾圧者の悲しみを、感じていれば、あんな「7社共同宣言」にはならなかったはずだ。あんなふうには、書けなかったはずだ。

 そして今――日本の民衆がくぐり抜けている数々の「悲しみ」を思えば、「怒り」の報道が出ないわけがない。

 日本の若きジャーナリストよ、悲しんでほしい、怒ってほしい。そして、なぜ、そうした事態が起きているか、そもそもの原因を突き止めてほしい。

                *

 君たちに最後にひとつ、お願いしたいことがある。

 アメリカでは、軍事費の「削減」問題が、財政再生の鍵を握るものとして議論されているが、日本では、どうして触れられないんだ?

 雫石上空で全日空機を体当たり撃墜し、釣り船を潜水艦がこれまた体当たり轟沈し、さらには「父子船」をイージス艦が撃沈し、挙げ句の果ては、北朝鮮のミサイル発射を「ただ今、発射しました」と「誤報」した、自衛隊=防衛省(だと……、笑わせる)の無駄な「税金食い潰し」を、君たちはどうして問題にしないのだ?

 悲しむ、のだ、怒る、のだ。

 「怒る力」を、僕ら老いぼれた引退世代以上に、現役世代である君たちこそ、持たねばならない。  

Posted by 大沼安史 at 07:53 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-30

〔コラム 机の上の空〕 「戦争の家」の囚人 オバマよ、「平和」の「言葉」を語れ!

  * ジェームズ・キャロル氏がシンポジウムで発言 ・ 「戦争の家」に囚われたオバマ ・ しかし、彼の「言葉」になお希望が……)

 ボストン大学で10月22日、ハワード・ジン氏(歴史学者、反戦運動家、ボストン大学名誉教授)を囲むシンポジウムが開かれた。

   ⇒ http://www.commondreams.org/headline/2009/10/29-4

 僕が訳出して、間もなく下巻を刊行する『戦争の家』の著者、ジェームズ・キャロル氏(作家、ボストン・グローブ紙コラムニスト)も同席して、発言していた。

 ハワード・ジン氏の発言を受け、キャロル氏は、こう語った。

 「オバマ政権がスタートしたのは、『1月だった』……」

 たしかに、オバマが大統領に就任して、ホワイトハウスに入ったのは、ことし、2009年の1月だった。

 しかし、キャロル氏は、より歴史的な視点で、「1月」と言ったのだ。

 すこし間を置いてから、キャロル氏は言った。「1943年の1月から」。

 1943年1月――それは、「戦争の家」というべき、あの五角(ペンタゴン)が生まれ、ロスアラモスでは原爆の開発が始まり、戦争(第二次世界大戦)では、「全面破壊」への衝動が「無条件降伏要求」として解き放たれた、現代史の起点だった。
 そこから、アメリカの絶対的な軍事権力が生まれ、「戦争の家」によるアメリカ政治の「支配」が始まった。

 キャロル氏はつまり、オバマ政権もまた、1943年1月以来の、アメリカの軍事権力の捕囚だと言おうとしたのだ。

 大統領を退任する時、アイゼンハワーが警告した「軍産複合体」は、さらにパワーを増して、「軍縮」を「平和」を押しつぶしている。

 こうした、アメリカの現代史における圧倒的な流れ――「潮流」の存在を指摘したあと、キャロル氏は、この「アメリカ・戦争の家」の「軍事外交」が、「冷戦」終結という平和の機会を蹂躙し、そして今、もうひとつの平和への機会――オバマの登場を脅かしている、と語った。

 それでは、オバマは、そうした「潮流」に最早、逆らいようがないのか?

 キャロル氏はしかし、オバマの「言葉」になお、希望を見ようとしてして、こう続けた。 「言葉こそがすべてだ」と。
 そして、ノーベル平和賞の選考委員会は、それにふさわしい人(オバマ)を受賞者と決めた、それは、オバマに対する、「偉大さへの招待状」である――と語り、オバマに「戦争の家」の囚われ人から脱却するよう求めたのだ。

 僕も、キャロル氏の意見に賛成である。
 そう、「言葉」なのだ。
 アメリカの軍事絶対主義を、圧倒的な軍事力を、超えることができるのは、対抗する武力ではなく、「言葉」なのだ。

 オバマにはその「言葉」を語る力が――意志がまだある……。

 僕もまた、キャロル氏とともに、オバマの「言葉」に、「言葉」による状況の打破に期待をつなぐ一人である。

 オバマは、大統領の「タブー」を破り、アフガン戦死者の遺体を、空軍基地で出迎え、未明から夜明け近くまで、遺族たちと時間を過ごした男だ。

 その場を取材した記者によれば、オバマは遺族の怒り・悲しみに圧倒されていたという。

 オバマよ、語れ! その時の思いを――その時、沈黙の中で、君の心にわきあがったものを、「言葉」にして語るのだ。

 戦死者の無念に応えるためにも、アメリカはアフガンから撤退すると。

 そう「言葉」をして、語らしめよ!
 

Posted by 大沼安史 at 07:03 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-24

〔コラム 机の上の空〕 アフガンを、平和な、緑の大地に!   オバマよ、「火星人」を止めよ!

 アフガニスタンで昨年11月、「タリバン」に拘束され、ことし7月、脱出に成功して帰還した、ニューヨーク・タイムズ紙、デイビッド・ローズ記者の体験記の連載が終わった。
 ⇒ デイビッド・ローズ 「タリバン捕囚記」 http://www.nytimes.com/2009/10/18/world/asia/18hostage.html
 
 「7ヵ月と10日間」に及ぶ、捕囚生活の記録は、「タリバン」なるものの実態を、内側から伝える、貴重なレポートとなった。

 米軍のミサイル攻撃を至近距離で体験もした。

 アメリカと戦う「タリバン」の「内側」に、拉致されたことで入り込み、彼らの現実に触れ、アメリカから「攻撃される側」にも立たされたローズ記者。

 すでに本ブログで紹介済みのことなので、重複はなるべく避けるが、ローズ記者はその「捕囚記」の中で、私たちの参考になりそうな、大事なことをいくつか書いているので、ここであらためて取り上げ、その意味を考えてみることにしよう。

 僕の印象に残るのは、ことし3月25日、監禁場所の近くで、米軍の無人攻撃機がミサイルを撃ち込んだことを振り返り、ローズ記者が書いた一言。

 ローズ記者はそれを、「空の中の点」――からの攻撃と表現をしていた。「空の中の点」、いつの間にか、遠くの空に「点」が現れ、そこから、ミサイルが飛んで来る……。

 その標的となったのは、2台の車。アラブ人やタリバンの戦士が乗っていた。「命中」!

 米軍(NATO軍)は今、地上戦での劣勢を、こうした「空から攻撃」で巻き返そうとしている。
 アメリカのジャーナリスト、トム・エンゲルハート氏の表現をかりれば、米軍は地上で「タリバン」たちの奇襲ゲリラ攻撃に悩まされながら、その一方で、ハイテクの限りを尽くした、「アフガン、2009年 宇宙戦争」を仕掛けているのだ。

 ここで言う『宇宙戦争』とは、1898年、英国のH・G・ウェルズが書いた、火星人がイギリスを襲う、あの空想小説のことである。

 悲しいほどに、適切なアナロジー。
 アフガンの、あるいは隣接したパキスタンの地上に生きる人々にとって、「空の中の点」から攻撃して来るアメリカ人は、19世紀末のロンドン市民にとっての「火星人」に等しき存在であろう。

 エンゲルハート氏によれば、米軍は「プレデター(肉食動物)」という無人攻撃機に加え、さらに性能を向上した新型機を投入しているそうだ。その新型機の名前が、なんと「リーパー(Reaper)」。「大鎌をふるう死神」のことである。

 そして、「プレデター」も「リーパー」も、米本土、アリゾナやネバダの米軍基地からの遠隔操縦だ。“パイロット”は画面のモニターを見ながら、ミサイルの発射ボタンを押している。

 まるで、竹槍をもった地上の人間に原爆を落とすに等しき所業。そう、「空の中の点」……ヒロシマもナガサキもそうだった。許してはならない。

 ローズ記者は、この無人攻撃機による攻撃の故に、タリバンは(そして、アフガンのふつうの人々も)、ブッシュ以上にオバマを憎んでいる、と書いていたが、現地の地上の実感として、当然である。

 オバマは……そう、戦乱で荒廃した、実りなきアフガンの大地で大鎌を振るう、死神の火星人である。むろん冗談ではない。

 もうひとつ、ローズ記者の「捕囚記」で印象付けられた――というか、教えられたのは、タリバンの「戦士」たちもまた、「教育を受けた」アフガン人であるという事実である。

 つまり彼らは、しっかり教え込まれた(学んだ)連中であるのだ。回し読みする1冊の本で。DVDプレーヤーで見る、自爆テロ実行者の最後の日々を記録したビデオで。
 「殉教するんだ。天国で、甘いジュースも、乙女たちも待っている」
 「死の教育」――まるで、あの「神の国=日本」。

 しかし、僕はここに、「逆転」の可能性を見る。「敵の侵略」「空の中の点」さえなくなれば――つまり、平和が到来すれば、「死の教育」の基盤も消える。もはや、「殉教」も(散華)もクソもないのだから……。

 ローズ記者は、自爆テロを決行するタリバンの男を、ほかの仲間が、気味悪がっていた、というような意味のことを書いていたが、それは“ふつう”のタリバンたちの、本音ではないか?
 とするなら、そこに希望を見ることもできるはずである。戦争が終われば(アメリカが攻撃を止めれば)、平和な日々が戻るなら、タリバンの心にも「正気」が、「平常心」が戻るはず……だと。

 ローズ記者は見張りのタリバンたちと一緒に、ビートルズの She Loves You ……、そう、あの Yeah, yeah, yeah!のあの歌を歌って盛り上がったことを書いているが、「敵性歌」を「敵性語(英語)」で歌えるタリバンなのだ、相互理解、できないはずがない。
 (戦時中、英語の歌を禁止された、われわれ日本人を見よ! 戦後、占領軍が来たとたん、笑顔でブギブギしたではないか!)

 最後にひとつ、これは「捕囚記」の概要ブログでは紹介しなかったことだが、「タリバン」のアジトを脱出、パキスタン軍の基地に逃げ込んだ時、ローズ記者が「見た」あるものに触れておきたい。
 ローズ記者は「それ」を見て、よほど印象に残ったのだろう。だから、一見、何でもないようなことを、敢えて書いていたのだ。

 彼が見たもの――それは、基地の奥の司令部前の芝生の緑だった。「緑の草(グリーン・グラス)」だった。久しぶりに見る「緑」だった!

 僕はこのくだりを読んで、感動した。そして、あの中村哲医師ら、日本のボランティア、「ペシャワールの会」による、アフガンでの井戸掘りの意味を、ようやく理解できたような気がした。

 そう、そうなのだ。
 あの岩山だらけのようなアフガンも、かつては緑豊かな大地だったはず。
 しかしそのアフガンにも、「水」が流れれば「緑」が甦り、「平和な人々の暮らし」も甦る……。

 そう、その通り。
 H・G・ウェルズの『宇宙戦争』は、結局は「火星人」の敗北で幕を閉じるが、この筋書きはアフガンにもあてはまる。いくら「空の中の点」で攻撃しても、地上の憎悪と戦意は高まるばかりで、いずれ、ベトナムの「三の舞」を強いられることは確実だ。

 ならば、オバマよ、君が「ノーベル平和賞」の受賞の前になすべきはひとつ――それはアフガンからの撤退をまず宣言することではないか。地球人の一人として、君は「火星人」をやめ、アフガンに平和をもらたすべきではないのか。

 戦争が終われば、国際社会も、アフガン復興に手を差し伸べることができる。
 井戸を掘り、水を汲み出し、砂漠の大地を、緑の大地に代えることができる。

 オバマよ、君は新聞をちゃんと読む、数少ない米国大統領だそうじゃないか。
 だったら、ローズ記者の「タリバン捕囚記」の、「緑の草」の、あのくだりも読んだはずだね。

 ならば、米兵を戻せ。アフガンをアフガン人に返せ。

 ♪ It's good touch green, green grass of home!

  帰還する米兵だけの歌じゃないぞ。アフガン人も歌う歌だ。

 そう、その通り。
 オバマよ、「ノーベル平和賞」を汚すな! 
 アフガン撤退!

 そうだ、そうなのだ。
 僕らに、We Love You! と歌わさせてくれ!

 ⇒ トム・エンゲルハート http://www.tomdispatch.com/post/175124/are_we_the_martians_of_the_twenty_first_century_

 新刊NEWS NONO頑爺レモン革命 
     大沼 安史著  定価1680円(本体1600円+税)
  ⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/4196.html

 「60年安保」から半世紀を迎える今、平和を、憲法9条をどのように守っていくか。
 「歴史の封印を解き、歴史の真実を見詰め、平和を、9条を守り抜く」異色の政治ファンタジー小説!
 戦後政治最大の謎とされる「M資金」に日本・オランダ混血の美少女NONO(のの)が挑み、 頑爺(がんじぃ)が「9条」を守る「改憲」阻止の闘いに、命の炎を燃やす。 6月15日、夜の国会前・・・イマジン! 「レモン革命」の奇跡が起きる! 卒業式の日の丸・蒸発事件をテーマにした『緑の日の丸』の続編。小田実氏へのオマージュ!

Posted by 大沼安史 at 10:22 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-10-15

〔コラム 机の上の空〕 「イワン爺さん」の本が届いた!

 郵便受けに今朝、熊本県八代市の版元(八代人文社)から、小さな、トルストイの本が一冊、届いた。
 5年前、熊本の山奥の、もう宮崎県境に近い水上村で、「晴耕雨訳」の、91歳の生涯を終えられた、トルストイの従者、北御門二郎さんが遺された『イワンの馬鹿 三つの寓話 子供のためのお話』。

 この本を――北御門さん訳の「イワンの馬鹿」を、読んでみたいと思い、取り寄せたのだった。〔 ⇒http://www.kitamikado.com/book.html 八代人文社にはファクスで申込むとよい〕

 本の「帯」に、こう書いてあった。

  もしも「イワンの馬鹿」を全世界の学校で、教科書に採用したら、人類は忽ちあの馬鹿げた戦争の呪いから解放されるでしょう。多くの方にこの作品に触れて頂けたら幸いです。

                  *

 私は、北御門二郎さんと澤地久枝さんの対談をまとめた、『トルストイの涙』を読んで以来の、北御門さんのファンだ。

 この小さな本の「解題」に、こうあった。

  でも残念ながら、日本の文部省が『イワンの馬鹿』を教科書として認める日は決して来ないと思う。真に善き書と文部省とは、常に不倶戴天の敵だから。

 同感……とどのつまりはそういうことなんだな、と納得した。

                  * 

 トルストイに従うか、トルストイを笑うか……僕はここに、決定的な、歴史の分岐点があると考える一人だ。そして、その別れ道は、私たちの心の中で――そして、国のたどる運命の中で、常に目の前に、重大な選択を迫るものとして現れ続ける、と考える一人だ。

 北御門二郎さんは、戦前の軍国日本で、トルストイに従った。それこそ命がけで兵役拒否を貫かれた。そして戦後、山村で農作業のかたわら、トルストイの翻訳を続けた。

 文部省は、トルストイを笑い、憎んだ。軍国教育に狂奔し、子どもたちの心の中から、トルストイの平和主義のような思想を根絶する作業に専念した。そして、あれだけ、日本の子どもたちを死なせた(人を殺させた)。そして戦後も教科書検閲などを通して、「平和」を、「歴史」を小馬鹿にする態度をとり続けて来た。
 
 幸徳秋水もトルストイに従って「謀殺」された。トルストイがヤースナヤ・ポリャーナで開いたような学校を日本でも育てようとした大正自由教育も、子どもを大切にしたから、その後の、ナチスばりの、文部省の統制教育によって息の根を止められた。

 こと教育の面に限って日本の近・現代史を振り返ると、文部省はさまざま分岐点で勝ち抜き(国家教育の存続、逆コース……)、戦後もゾンビのごとく生きのびて、今日に至っているのである。

 「9条」を無視し、トルストイの平和の教育を殺し続けて来た文部省……あの、お優しい北御門二郎さんが、「不倶戴天の敵」というキツイ言葉でお怒りになったのは、当然のことだ。

                  *

 トルストイを起点とした、自由と平和の教育(学校)の物語を書きたいと、かねがね思い続けて来た。僕の力にあまる仕事だが、残された人生の時間を使って、なんとか書き上げたいと願っている。

 トルストイの自由学校に始まる流れを、ヨーロッパに追いかける一方(ヤースナヤ・ポリャーナと、バロセロナのフェレルの学校を中心に)、日本の大正自由教育を追い、最後はアメリカに飛んで、サドベリー・バレー校のデモクラティックな教育に、その結晶化された姿を見る――これが今の構想だ。

 そんな仕事の準備を最近始めたのだが、昨日たまたま、僕にとっては「運命」としか言えないことが起きて(知って)驚いた。

 アメリカのボストン近郊にある、サドベリー・バレー校は、トルストイの学校を意識して1960年代に開校した学校だが、19世紀にトルストイと交流があった、アメリカの平和主義者、エイディン・バルウが開いた「ホープデール」というコミュニティーが、なんと、サドベリー校のすぐ側に――それも、ほとんど隣合わせに、今も存続することが分かったのだ。

 暮れかかる別れ道を、トルストイに向かって歩き始めた僕にとっては、勇気付けられる、宝物のような、新たな知識!

                  *

 考えて見れば、八代から届いた、北御門二郎さんのトルストイの本は、あのロシアの、「緑の杖」の大地から、はるばる届いた本なのだ。

 その本に、愛犬と戯れる北御門さんのお写真があって、そこに自分を「イワン爺さん」と紹介する、すこしお道化た説明が添えられていた。

 僕ごときが人間の格という点で北御門さんにかなうはずもないが、僕もまた、何を隠そう、小ズルサ、小利口さを(なるべく、としかいえないけど……)拒否し、笑われながら、馬鹿な選択をし続けて来た一人である。

 アホで間抜けで、物笑いの種になって来た僕ではあるが、トルストイの平和思想と、サドベリー校の創始者、ダニエル・グリーンバーグ博士の教育思想を繋げる物語を書き上げることで、いつか自分を、北御門さんにならって「イワン爺さん」と呼べる日が来ることを願っている。  
  

Posted by 大沼安史 at 07:19 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-10-14

〔コラム 机の上の空〕  究極の反戦歌 “Universal Soldier”…… 北米先住民族の女性シンガー、バフィー・セント・マリーさんが歌って教えてくれたこと

 北米先住民族の女性シンガー、バフィー・セント・マリーさんが、10月12日の米国の祝日、「コロンブスの日」に、反戦平和放送局、「デモクラシーNOW(DN)」の特番に登場し、キャスターのエイミー・グッドマンさんのインタビューに答え、自作の歌を歌った。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2009/10/12/democracy_now_special_an_hour_of

 クレー族インディアン。カナダ生まれ、アメリカ育ち。
 激動の1960年代にマサチューセッツのアマーストで学生生活を送り、歌をつくり、歌うようになった。

 番組の冒頭、彼女がピート・シーガーのTVショーに出演して歌った、1965年の映像が流れた。

 そこで、彼女が歌ったのは、“My Country ’Tis of Thy People You're Dying”という歌。
  DN(上記リンク)のページには、歌詞も掲載されていた。(’Tis は It is のこと)

  ♪ 民族の言葉を禁じ
  コロンブスがヨーロッパから船出して
  歴史が始まった、とさえ言う……

 「新大陸“発見”」の愚劣な不条理を――「ジェノサイド」を、「人権」のウソを――質した、プロテストソング。痛烈な歌だった。

 特番では彼女の歌を何曲か、流していたが、DNの「消防署スタジオ」内で彼女がライブで歌った、“Universal Soldier”も、痛切な歌だった。

 まさに普遍的な、ユニバーサルな、全世界に、全人類に共通する――それどころか、人間の歴史さえも貫く、真実を在りかを示した歌だった。

 この歌の歌詞もDNのページに載っているので、聞くだけでなく、是非読んでいただきたいのだが、「戦争」というものの覆いを一気に裁断し、そこに潜む単純な真理を取り出した、彼女のセンスの鋭さ、激しさ、力強さには驚かされた。

  ♪ 彼は戦う、カナダのために
    彼は戦う フランスのために
    彼は戦う USAのために
    彼は戦う ロシアのために
    彼は戦う 日本のために
    これで戦争がおわると彼は思う

 「彼」とはもちろん、ユニバーサル・ソルジャー。全世界の無名の兵士。
 「民主主義」のために、「共産主義のために」、「平和」のために戦う、ユニバーサル・ソルジャー。

 「彼」なしに、ヒトラーも、ロシアのツァーリも、ありえなかった。「彼」が敵を殺すことなしに。

 だから、咎められるべきは「彼」。「殺せ」の命令は「彼」が自分に下したもの。戦争が終わらないのは、そのため。

 全世界の兵士、一人ひとりが、「殺さない」決断をすることで、そこに生まれる全世界の平和!

 「反戦」とは、われわれ一人ひとりが「殺す兵士」にならないことだと、彼女は歌い、教えているのだ。

 ユーチューブでのインタビューで、こんな風にも語っていた。
 ⇒ ユーチューブ 冒頭にインタビュー http://www.youtube.com/watch?v=VGWsGyNsw00

 シスコの空港での夜、朝一番のトロント行きの便を待っていた時、負傷した米兵の一団が現れた。その時、彼女はこう思ったそうだ。この兵士たちに責任はあるのか、と。そして次にこう思った。命令した軍の将軍たちに責任はあるのか、と。
 しかし、軍の将軍たちに戦争を命じたのは、政治家だ。
 政治家?……搭乗した旅客機が空港に着陸した時、彼女は「答え」を見つけたそうだ。
 「政治家……ということは……そう、それを選んだ私たちに責任が……」

 「平和」を生み出す責任は、私たち一人ひとりにある、「殺さない」と決めた私たち一人ひとりにあると、全世界の一人ひとりに、ユニバーサルに迫る、究極の反戦歌――それが、ユニバーサル・ソルジャーである!

 バフィー・セント・マリーという名前(本名はビバリー・セント・マリー)の、バフィー(Buffy)の意味を辞書で調べたら、「明るい黄色」のことだった。

 白人たちがインディアンの人種色として一方的に決めた「レッド」ではなく、モンゴロイドの一人である自分自身を意識しての「自称」なのだろうか?

 それとも太陽の色である「黄」(「赤」ではなく! 血の色を太陽の色とする日本!)をイメージしての「自称」だろうか?

 平和のユニバーサル・シンガー、バフィー・セント・マリー!

 日本の「9条」をどう思うか、一度、彼女に聞いてみたいものだ。  

 
 ⇒ 彼女のプロフィルについては、 Wiki  http://en.wikipedia.org/wiki/Buffy_Sainte-Marie

Posted by 大沼安史 at 07:13 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-12

〔コラム 机の上の空〕 オバマよ、「ノーベル平和賞」を手に、世界の未来を切り拓け!

 僕の前の、机の上には今、陽光が降り注いでいる。南の空の水色の晴れ間から届く、秋の陽射しがまばゆい。
 本当は、いまごろとっくに、砂浜を歩いていたのに……。

 尊敬するロバート・フィスク記者が、オバマに対するノーベル平和賞の授与を手厳しく批判しており(「ノーベル間違いで賞」!――もちろん、意訳だが……)、その記事を読んだら、海岸まで自転車で行く気力が萎えてしまった。

 オバマに授賞が発表された時、わが畏友こと「閑居愚考」氏は、真っ先に「大々的に反対」する論陣を張っていた ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/obama-pledges-action-on-military-as-gay-activists-rally-1801344.html 
 が(多分、あの発表時点で、あれだけのことを言ってのけたのは、「閑居愚考」ブログだけじゃないかしら……)、フィスク氏の筆先は同じように鋭く、その指摘がまた、全てあたっているだけに、なんだか、オバマがかわいそうで――痛々しくて見ていられない気になった。

 フィスク氏の英紙インディペンデントの記事は ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-obama-man-of-peace-no-just-a-nobel-prize-of-a-mistake-1800928.html

 中東和平の仲介努力に対する、イスラエルのにべもない拒否。アルメニア人大虐殺問題のすっぽかし。アフガンでの躊躇のしまくり。イラクでの武装抵抗勢力の巻き返し……。

 そんな「現実」なのに、「平和賞」を授賞とは……。
 フィスク氏は「オバマは侮辱されたと思ったに違いない」と書いているが、その通りである。オバマは「謙遜」ではなく、「屈辱」の思いで、授賞を受け容れたのだ。

 ブッシュのツケとはいえ、困難と失敗のダイナマイトの山の上で、まあ、これで満足しなさい、とでもいうように、来る12月10日、オスロでの式典で平和賞を首にかけられ、3年後の「大統領選・落選」の日を待つ(?)オバマ。

 フィスク氏は「ミステーク賞」だと書いていたが、僕に言わせれば、「ノーベル罠にはめたで賞」である。いまごろワシントンでは、「戦争の家」に巣食う、共和党のタカ派やネオコンどもが、忍び笑いを漏らしているはずだ。

 「平和の大統領」……?? イランの核開発も阻止できないで……ノーベル賞が笑わせる。アメリカは「強いアメリカ」じゃなければならないのだよ。軍事力にものを言わせなくてはならないのだよ……

 もうひとつ、オバマのことで気になるのは、米軍における「同性愛」の解禁問題(クリントンが、中途半端な「聞くな・言うな」ポリシーを布告して以来、くすぶり続けている)を、なぜか自ら(ほんとうだろうか?)取り上げ、「全面解禁」方針を示したことだ。
 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/obama-pledges-action-on-military-as-gay-activists-rally-1801344.html

 この米軍の「同性愛」問題には、クリントン政権が誕生した際、その目が「軍縮」に目が向かないよう、実はペンタゴン及び米国の保守派が仕掛けた「罠」だったという歴史的な経過がある。

 「同性愛解禁」を持ち出せば、必ずや、保守派の反発が生まれ、特に「核」軍縮に反発する、猛烈な、マッチョ的「政治リビドー」が生まれる。
 (ヒロシマの原爆に「おちんちん」、ナガサキには「巨根」というニックネームがついたことを忘れてはならない!)      

 それを承知で、オバマは「解禁」表明に踏み切ったのか?

 しかし、たとえ、知らずに表明したとしても、結果は同じである。「ノーベル墓穴を掘ったで賞」……。

 では、八方塞がりのこの局面を打開する道は、ないのか?
 オバマにはもう、「罠」から脱出する道は、ないのか?

 僕に言わせれば、脱出口は、ある。
 最低ひとつは、ある。

 そう、「平和賞」で追い込まれたオバマが使える武器は、その「平和賞」を使うことだ!!!

 たとえば、12月10日のオスロでの授賞式で、「アフガン和平国際会議」の開催を表明、帰途にカブールに立ち寄り、初のノーベル平和賞受賞現職大統領として、和平の実現を約束し、その足で、ヒロシマを訪れ、「原爆ドーム」の前で、「核のない世界」への夢を語ればよいのだ。

 その時、湧き上がる、世界の人々の拍手、共感の声、流れる涙、平和への祈りは……そうさ、オマバよ、それは君を守り抜くものになるだろう。

 そして、ワシントンに帰り着いたら、アメリカの民衆の名において、賞金を全額、基金として寄付し、「オバマ平和基金」を立ち上げればよいのだ。

 世界の民衆から寄付を募り、それをアフガンやイラク、パレスチナなどの復興にあてる。

 いいか、オバマ。ここは君の――そして世界の――正念場だぞ。
 めげるんじゃない、負けるんじゃない。

 「平和賞」を突破口に、世界の未来を切り拓け!

 世界の人々の前に、平和の陽光を届けよ!

Posted by 大沼安史 at 01:28 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-10

〔コラム 机の上の空〕 「悲しみを見た男」ゴア・ヴィダル的「オバマ大統領に捧ぐ」

 オバマ大統領がノーベル平和賞に輝いた! そう、輝いた!
 ノーベル平和賞を受賞!

 ノルウェーの選考委員会の人々は、どんな思いで授賞を決めたのだろう。
 「核のない世界を」と言い、旧東欧へのミサイル防衛システム配備計画を撤回したからか?

 それとも、アフ・パク戦争(アフガニスタン・パキスタン戦争)で、米軍部・保守派に「米軍増派」を迫られ、「ノー」と言えなくて追い詰められているオバマに対し、「救いの手」を――決断の「口実」を差し出したつもりだろうか? 平和賞を差し上げます。アフガンから撤退しなさい……。
 
               * * *

 「オバマにノーベル平和賞」と聞いて、アメリカの作家、ゴア・ヴィダルの、ロンドンでの痛烈なオバマ批判を思い出した。(7日付、インディペンデント紙)

 ゴア・ヴィダル、84歳。現代アメリカを代表する最長老の作家。ハリウッド映画の脚本も書き、ケネディとも親交のあった、華麗なる経歴の持ち主。「反戦」の立場を貫いて来た、「左派の作家」。

 ロンドンのホテルのバーで、スコッチを飲みながらの、インディペンデント紙記者との会見だった。車椅子に座って。

               * * *

 ゴア・ヴィダルもまた、オバマが当選した時、人並みに楽観的気分に浸ったのだそうだ。が、それも、今や昔――。

 「無能な男だ。大統領に再選されないだろう。久しぶりに知的な大統領が出たと思ったのに、あの男はダメだ、戦おうとしない。押しつぶされている。誰だってそうかも……。アメリカは狂人の家だから」

 「みんなに好かれたがっている。自分がしなくきゃならないことは、理屈を述べること――それが全てだと思っている。しかし、〔敵の〕共和党は政党じゃない。ヒトラー・ユーゲントのような考え方の連中だ。憎しみでいっぱいなんだ。話し合いなど、できるわけ、ないじゃないか。やるだけ無駄だ。ああいうやつらを扱うには、ビビらせるしかない。オバマはしかし、デリケートすぎる……」

 「オバマはケネディより、倍も知的だ。でもケネディは世の中の現実を知っていた。海軍にいて、魚雷艇を沈められた。しかし、あのガキ(キッド=オバマのこと)は、一発の怒りの銃声も聞いたことがない。軍の将軍どもにハラワタ抜かれている。ウソをつかれて信じている……」

 そんなふうにオバマ批判を続けたあと、一呼吸おいて、「でも朗報がある」と、老作家は言った。
 「アフガニスタンはアメリカ帝国の終着駅になるだろう。それを見ることだけが楽しみだ」
 そういうなり、グラスのスコッチの残りを、ゆっくり飲み干したそうだ。
 
               * * *
 
 ゴア・ヴィダルは、ジョージ・ブッシュがイラク戦争を始めた時、アメリカの世論がイケイケドンドンになっている中で、「あいつは史上最悪の不人気の中でホワイトハウスを去るだろう」と予言し、見事、的中させた。
 「オバマは大統領に再選されることはない」という今回の予言、果たして当たるだろうか?

 オスロの選考委員がどういう理由で、現役の大統領に対し、授賞を決めたか知れないが、今回の任期途中の「平和賞」はオバマにとって「劇薬」すぎると、僕は思う。 

 「平和賞」にふさわしい業績を現状の中で上げるには、よほどの豪腕をふるわなければならないが、アメリカという国は、ゴア・ヴィダルの言うように、軍産複合体が権力をにぎるマッドハウス(Madhouse)なのだ。一筋縄ではいかない軍事国家なのだ。(だから、彼の友人であるケネディも殺された……)

 ああ、「平和賞」を受賞しながら、何もできずに3年後、ワシントンの政治の舞台から追われることになる(?)オバマ!

               * * *

 ゴア・ヴィダルはロンドンのホテルのバーでの会見で、なぜか唐突に、作家仲間のノーマン・メイラーに触れ、こんなエピソードを語っていた。

 あいつは(メイラー)はよく分かりもしないで、「実存的(existential)」という言葉を口癖のように使っていたが、アイリス・マードック(英国の女流作家。元々は哲学者)からその意味を聞かされ、口をアングリさせ、驚いていたぜ、と。

  オバマ批判に続いて、なぜ、「実存的」を持ち出したか、ゴア・ヴィダルの会見記事を最初に読んだ時は分からなかったが、オバマに「平和賞」が出た今、のみこみの遅い僕にも分かるような気がする。

 ゴア・ヴィダルはオバマをクソみそに批判しながら、心のどこかで、こんな風に言いたかったのだ。

 オバマよ、君が「平和の大統領」として名を遺すには、「実存的」に闘うしかないのだ。一個の実存として、状況にアンガージュし、果敢に状況を切り拓くしかないのだ――と。

 そう、ゴア・ヴィダルの君に対する辛辣な批評は、君に対する、最後の呼びかけだった!……

               * * *

 「ゴア・ヴィダル」とは、ロシア語で「悲しみを見てしまった男」の意味だそうだ。

 アメリカの悲劇を見続けて来た作家は、今回の君の受賞の知らせを聞いて、きっとスコッチのグラスを掲げ、君にこう語りかけていることだろう。

 オバマよ、ノーベル平和賞、それでも、おめでとう!
 こうなったからには、平和賞をぶらさげて、ひとりの人間として実存的に闘うんだ!
 いいか、オバマ、状況を切り拓くんだ!
 あのジャック(ケネディのこと)の、やれなかったことを、やるんだ!

 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/gore-vidals-united-states-of-fury-1798601.html

Posted by 大沼安史 at 12:07 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-12

〔コラム 机の上の空〕 オバマが開いた「帰らざる扉」 「奴隷の城」で語られた根源の「悪」、そして「希望」

 CNNのビデオで、オバマ大統領の、ガーナ、「ケープ・コースト・カースル」での短い演説を視聴した。
  ⇒  http://www.youtube.com/watch?v=jJWiU01y7KY

 「ケープ・コースト・カースル」……「海岸岬の城」。大英帝国が一六六五年から一八〇七年まで、150年間にもわたって、黒人奴隷を閉じ込め、船で積み出したところだ。

 アフリカに父方のルーツを持つ、アメリカの「黒人」大統領、オバマが11日、家族とともに、その場所に立った!
 アフリカの民が奴隷として生きたアメリカから、アフリカの血の流れるオバマが「帰り」、その場所で言葉を述べた!

               ☆

 いつもはクールなオバマが、あのブッヘンバルト同様、違って見えた。 厳しい表情は、悲しそうであり、それ以上に、強かった。

 オバマは強かった。過去と現在の「歴史」の極点で、噴き出した感情を整理し、未来への責務の在り処を指し示した。

 「心揺さぶられる経験です。心揺さぶられる時です。苦痛に満ちたものではありますが、私はこう思います。それは、私たち全員に教えています。こうした悪と闘うために何をなすべきか、を。こうした悪は、悲しいことに今なお、存在しています」

 “Obviously, it’s a moving experience, a moving moment. As painful as it is, I think that it helps to teach all of us that we have to do what we can to fight against the kinds of evils that, sadly, still exist in our world.”

               ☆

 オバマは演説は演説の中で、「城」の「穴倉」(ダンジェオン)の上に「教会」があったことにも触れた。

 ナチスの絶滅収容所のブッヘンバルトと変わらない「純粋の悪(Pure Evil)」と、「教会」という、「善きもの」が、この「城」の中で、共存していたという歴史的な事実!

 これは、重大な問題である。根源的な問題である。

 「悪」を可能ならしめた「善」……オバマは口を噤まずに、ハッキリ、言葉にして語った!

               ☆

 「穴倉」(男女別)には男が1000人、女が300人拘禁され、アメリカやカリブ海へ積み出される日を待った。

 黒人たちは、この「城」の門をくぐると、二度と故郷に戻れなかった。
 この門は、今、「帰らざる扉(The Door of No Return)」と呼ばれている。
  
                              ☆

 オバマが訥々と言葉を語り継ぐビデオ映像の背景(遠景)は、海だった。大西洋の波が繰り返し、昔、ゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれた海岸に押し寄せている。

 「海岸岬」の周辺は、美しい場所なのだ。美し過ぎるほど美しい。それは黒人作家のリチャード・ライトをも、かつて感嘆させたほどである。

                              ☆

 空前の「悪」は、「善」の認可の下、この美し過ぎる海岸で、起きた。
 

 ⇒  http://www.youtube.com/watch?v=jJWiU01y7KY

    ケープ・コースト・カースル 説明文&写真 →
     http://www.historycooperative.org/journals/cp/vol-01/no-04/finley/finley-5.shtml
 
    ケープ・コースト・カースルの歴史については →
     http://www.post-gazette.com/pg/09192/983229-82.stm

    ニューヨーク・タイムズの記事 →
     http://www.nytimes.com/2009/07/12/world/africa/12prexy.html?ref=global-home

Posted by 大沼安史 at 07:56 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-11

〔コラム 机の上の空〕 美智子さま トロントこども病院での「子守唄」

 “I don't have a good voice.”
 
 美智子さまは、そうおっしゃられたそうだ。
 カナダの新聞(ナショナル・ポスト紙)に(当然のことながら)、そう英語で出ていた。

 天皇陛下とともに、トロントのこども病院「シック・キッズ」を訪問された時のこと。
 読書室のソファーにお掛けになり、子どもたちに、日本の子守唄を歌いかける前の一言だった。

 美智子さまは英語で、こうも言ったそうだ。「会えてとてもうれしい。私が子育てをしていた時の子守歌を披露します」と(中日新聞の記事)。

             ☆

 美智子さまが歌い出したのは、「ゆりかごの歌」だった。
 大正デモクラシーの頃、「赤い鳥・童話・童謡」運動の中から生まれた、あの「ゆりかごの歌」。
 北原白秋作詞、草川信作曲のあの歌を歌い始めた。

  ⇒ FNNのビデオ http://fnn.fujitv.co.jp/en/news/headlines/articles/CONN00158826.html

 一番と二番と四番――

  ♪ゆりかごの歌を
   カナリヤが うたうよ 
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

  ♪ゆりかごの上に
   びわの実が ゆれるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

  ♪ゆりかごの 夢に
   黄いろい月が かかるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

   …………

 「とてもよかった。もっと聴きたかった」と、ブランドン君というシック・キッズの一人が言った。
 美智子さまの心と声で歌われ、トロントのシック・キッズたちの心に届いた、「日本のララバイ」だった。

             ☆

 美智子さまは、ご自分でお書きになった(そして、訳されもした)童話を4冊寄贈されたという。

 美智子さまは学生時代、「ねむの木の子守唄」という詩をお書きになり、それに曲がついて、佐藤しのぶさんが歌っているが、もしかしたら、そのCDもお贈りになったのかも知れない。

             ☆

 トロントには、移民の子孫である日系人が12000人も暮らしている。両陛下の今回のご訪問を、どんなに喜んだか知れない。

 その一人、トケ・スヤマさんという83歳になる日系人男性の言葉が、現地の新聞(グローブ&メール)に出ていた。

 スヤマさんは西海岸、ブリティッシュ・コロンビア州の日系人抑留所を出て、1946年以来、トロントに住んでいるそうだ。

 スヤマさんが今回のご訪問に心躍らせたわけは二つあった。

 ひとつは、トロントというカナダの都市が、人種的に多様であることへの誇り(これを、私なりに解釈すれば、人種的な偏見を乗り越えた文化的な多様性に対する、プライドと安心――それを日系カナダ人として誇りたい気持ち……ということになろう)。

 もうひとつは(これは、私の勝手な言葉遣いだが)、この先、「トロントに両陛下が来たんだ。ザマミロ、うらやましいだろう」と、何度も自慢できる喜び。

 つまり、「日系カナダ人である」ことの「誇り」と「喜び」が、この老人の心を弾ませたのだ。

             ☆

 そんなスヤマさんが、美智子さまの「ゆりかごの歌」のことを地元のテレビニュースで知ったとき、どんな気持ちになったか、(もちろん、勝手な想像だが)分かるような気がする。

 スヤマさんは今年、83歳だから、戦争終結時、19歳。生まれは、日本の元号で言えば、昭和2年ではないか、と思われる。

 カナダでお生まれになったか、それとも日本で生まれ、両親に連れられ、カナダに移民したか定かではないが、幼い頃、母親から、日本の子守歌を聞かされていたことは、たぶん間違いない――。

 こう考えると、トロントのこども病院で、美智子さまがお歌いになった子守歌が、さらに深い響きを持ったものに聴こえて来る。

 美智子さまは、今、カナダで暮らす移民日系人の最高齢世代が、スヤマさんのように、日本の子守唄で育ったことをお考えになり、「ゆりかごの歌」を歌われたのではないか?

 カナダの子ども、シック・キッズのために歌うことで、カナダ人として生きる(生きて来た)日系人のお年寄りのために――その幼い頃の思い出と、その人生の肯定のために(――あるいはまた、苦難の中で子育てした移民の親たちの人生を偲び)、美智子さまはお歌いになったのではなかったか?

              ☆

 日本とカナダの間にも「戦争」という歴史問題があり、今だ、長い影を落としている。
 カナダ側には、戦時中、日系人を強制収容所に隔離した問題があり、これは一九八八年、当時のマルニーニ政権が抑留者1人あたり、2万1千(カナダ)ドルの賠償を行ったことで、一応、解決している。
 日本側には、香港をめぐる戦闘の「カナダ兵捕虜虐待」事件というのがあって、これは未解決のままだ。(下記のカナダ紙の記事を参照)

 だから、今回の両陛下のご訪問に際しても、カナダの団体から日本政府の「謝罪」を求める公開質問状が出ている。 

 そんな「二つの祖国」間の軋轢に、最も敏感なのは、カナダの日系人の方々だろう。
 そして、彼・女ら、日系カナダ人の――とりわけ、高齢世代の胸の内を、天皇・皇后両陛下が、お知りになっていないはずがない。(私は両陛下がサイパンに行かれたとき、朝鮮人の方々の慰霊碑にも花を供えられたことを思い出す……)

 今回の両陛下のカナダご訪問には福田元首相が同行したが、日本政府は政治の責任で、歴史問題の清算と謝罪を、一日も早く、なすべきである。

 それが多分、「私は美声ではない」と言いつつ、トロントこども病院の読書ルームで、カナダ人関係者や報道陣(そして、病院でこどもたちを励ましている、パッチ・アダムスのような道化たち)の前で、敢えて日本の子守歌を歌った、美智子さまに応える道だ。

    
 ☆ 天皇のオタワでの「悲しみの言葉」

  http://www.allheadlinenews.com/articles/7015717992?Japanese%20Emperor%20Expresses%20Sadness%20Over%20World%20War%20II%20Deaths,%20Sufferings

 The Japanese royalty said at a state dinner in Ottawa on Monday night, quoted by the CanWest News Service, "It is all the more regrettable that the relationship that had thus developed between our two countries was disrupted by the Second World War.... It saddens me that so many people experienced suffering and difficulties during the war. Ever since our diplomatic relations resumed after the end of the war, our exchanges once again have been enjoying steady development."

 ☆ トロントこども病院

  中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009071002000153.html 

  毎日新聞 http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20090710k0000m040165000c.html

  http://www.thestar.com/news/gta/article/663401

   http://www.nationalpost.com/news/story.html?id=1775302

 ☆ トロントの日系人 スヤマさん

  http://www.theglobeandmail.com/news/national/a-flag-a-smile-and-a-bow-greet-japans-emperor-and-empress/article1211666/

 ☆ カナダ 謝罪要求 http://www.cbc.ca/canada/british-columbia/story/2009/07/09/bc-vancouver-groups-japanese-emperor-apology.html

 ☆ カナダ人の太平洋戦争 ttp://www.winnipegfreepress.com/opinion/editorials/editorial---japans-apology-overdue-50347297.html

 ☆ カナダ日系人抑留 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E4%BA%BA#.E6.8A.91.E7.95.99

             http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9#.E3.82.AB.E3.83.8A.E3.83.80
 
 ☆「ねむの木の子守唄」 ユーチューブ http://www.youtube.com/watch?v=ShollVTOsVM

 ☆「揺篭のうた」真理ヨシコさん ユーチューブ 

 http://www.youtube.com/watch?v=59RdmMfSKfQ&feature=related

Posted by 大沼安史 at 11:19 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-08

〔コラム 机の上の空〕 モラル・インテリジェンス

 米国の歴史家、ハワード・ジン氏が「デモクラシーNOW」の番組に電話出演し、マクナマラについて語っていた。
 ⇒  http://www.democracynow.org/2009/7/7/vietnam_war_architect_robert_mcnamara_dies

 ハワード・ジン氏は第2次世界大戦中、B17爆撃機の爆撃手として、ドイツなどへの空爆作戦に従事した経験の持ち主。

 戦時中、爆撃隊のコンサルトとして空爆を効率化する任務に就いていたロバート・マクナマラについて、どんなことを言うのか、興味があったので聞いて見た。

 ジン氏は、マクナマラには「表層的な知性」しかなかった、と指摘していた。
 より正確には、「頭のよさ、知性、教育における表層的な質」しか持たない人間の代表だった、と。

 ジンン氏はさらに、こう続けた。

 *「表層的な知性」はいまなお、世間一般で、ひどく尊敬を集めている

 * 結局、それは、テストでどれだけ得点したか、どれだけスマートにやれたか、どれだけ情報を消化したか、どれだけ覚えた答えを返せたかで子どもを判断している……あのやり方と同じことだ、
 ――と。

 ジン氏は、マクナマラに欠けていたものも指摘していた。

 それは、モラル・インテリジェンス(道徳的知性)!

  It seems to me one things which we should be thinking about, is that McNamara represented all of those superficial qualities of brightness and intelligence and education that are so revered in our culture. This whole idea that you judge young kids today on the basis of what their test scores are, how smart they are, how much information they can digest, how much they can give back to you and remember. That’s what MacNamara was good at. He was bright and he was smart, but he had no moral intelligence.

 そしてジン氏は、こう続ける。
 「勝つか、負けるか」ではなく、「正しいか、正しくないか」を問う、新しい世代を育てなければ、と。

  What strikes me as one of the many things we can learn from this McNamara experience is that we’ve got to stop revering these superficial qualities of brightness and smartness, and bring up a generation which thinks in moral terms, which has moral intelligence, and which asks questions not, “Do we win or do we lose?” Asks questions, “Is this right? Is it wrong?” And McNamara never asked that question.

 ジン氏は大学で教えていたこともある人。
 たぶん、あの有名なロバート・コールズ氏の著作を念頭に、「道徳的知性」の再生を説いたのだ。

 なるほど、と思った。
 そして、思った。この、「表層的知性における道徳的知性の欠如」こそ、われわれの日本でも、諸悪の根源にあるものではないか?――と。

 卑近な例を挙げれば、「政治」を「オレサマの人気」の角度でしか見ることのできない、あのまんま氏がそうだ。

 最近、ヒステリックに語られる「学力主義」がそうだ。「社会保険庁」がそうだ。「永田町・霞ヶ関」がそうだ。
 何もかもがそうだ。

 モラルがすっぽり抜け落ちている。

 目先の「勝つか、負けるか」ではなく、「正しいか、正しくないか」、根底でものを考えなさい……「アメリカの良心」、ハワード・ジン氏の言葉は、いつもシンプルで、凛としている。 
  

Posted by 大沼安史 at 09:57 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-07

〔コラム 机の上の空〕 「防衛」は安全を保障しない……マクナマラは「戦争の家」で「九条」の真理を学んでいた! 

 7月10日は、仙台大空襲の記念日だ。
 ⇒  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E7%A9%BA%E8%A5%B2  
 
 私の母も、昭和20年(1945年)のその日未明、焼夷弾によるファイアー・ストームの中を逃げまどい、死にかけた。
 死ななかったのは、倒れていた母の手を、兵隊さんが無理矢理、引っ張り上げ、助けてくれたからだ。
 「戦争はヤンダ(嫌だ)」と、母は子どもの私に何度も言った。
  
             *
              
 米陸軍航空隊の爆撃隊による、無差別空爆だった。
 その爆撃機の大群の背後に、ハーバード大学ビジネススクールの助教授が「頭脳」として控えていた。
 統計分析の専門家、ロバート・マクナマラだった。統計の手法を駆使し、空爆による破壊を最大化する任務に就いていた。

             *

 そのマクナマラが、仙台大空襲を含む日本に対する空爆を、生涯、後悔し続けていたことを、私は、ジェームズ・キャロル氏(米国の作家、コラムニスト)の『戦争の家』という大河ドキュメントを翻訳する中で、知った。〔緑風出版刊。上巻はすでに刊行。目下、後半=下巻部分を翻訳中〕

 私は、マクナマラを「ベトナム戦争=マクナマラの戦争」を戦ったタカ派の元国防長官とばかり思い込んでいたから、意外だった。

             *

 なかでも、驚いたのは、マクナマラが、泣いたことだ。嗚咽したことだ。

 晩年、キャロル氏の電話インタビューを受けた時のこと、マクナマラは日本空爆のことを思い出し、受話器を握ったまま、泣いたという。

             *

 1967年10月21日、マクナマラが国防長官執務室に座る「戦争の家=ペンタゴン(国防総省)」に、大規模な反戦デモが行われた。そのデモ隊の中に、若き日のキャロル氏もいた。

 その日、「戦争の家」の(文字通り)「悪魔祓い」をした(最後には『聖し、この夜』を歌った)デモ隊の、誰もが気づかなかったことが、ひとつあった。
 「戦争の家」において、マクナマラ対軍制服組首脳との間で、実は「戦争」が起きていたことだ。

 ベトナム戦争のエスカレーションに反対していたマクナマラは、デモ警備の米兵の実弾装着を許さなかった。

             *

 ジョンソンに首を切られたマクナマラは、最後の閣議で、切れたそうだ。「こんなクソな戦争が」と叫んだのだそうだ。

             *

 「戦争の家」と闘い、敗れたマクナマラは、世銀総裁を務め、そのまま平穏な引退生活に入ればよいものを、『振り返って思う』という回想録を書いて、ベトナム戦争は誤りだったといい、核の廃絶運動にも乗り出した。怒りを、侮蔑を、一身に浴びた。

             *

 私は彼の自己批判を評価する者である。

 よくぞ、自己批判したものだと思う。

 この日本の戦時中の指導者で、戦後、自ら、自己批判した人を、私は知らない。 

 ロバート・「ストレンジ」・マクナマラと揶揄された男は、嗚咽する男だったが、私は偉いと思う。

             *

 マクナマラ氏が6日、亡くなった。93歳。

 ⇒ http://www.nytimes.com/2009/07/07/us/07mcnamara.html?_r=1&hpw
 
 「核のない世界」を誓ったオバマが、モスクワへ核削減の合意をしに飛び立ったあとのことだった。
 安心して――いや、少なくとも、未来に希望を抱いて、亡くなったのではないか。

             *

 翻訳中に出合った、マクナマラの言葉で、忘れがたい言葉がある。

 それは「防衛(軍事力)の強化は、相手の攻撃(力)の強化を招く」だけだ、という指摘だ。

 すなわち、「防衛」は絶対的な「安全保障」にはなり得ない……「防衛」という名の「戦力」は、かえって「安全」を脅かす……

 マクナマラは、日本の「九条」に含まれた真理を、「戦争の家」の長官として、実体験を通して学び取っていたのである。 

Posted by 大沼安史 at 09:33 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-01

〔コラム 机の上の空〕 国会前 6月15日 

  朝日新聞の「声」欄(6月30日付)に、和歌山県にお住まいの本多立太郎さん、95歳の投書が載っていた。

 「樺さんの思い、受け継ぐ若者」と見出しのついた、本多さんの和歌山からの「便り」は、身をもってこの国の希望の在り処を示す、祈りの矢のような投書だった。

 本多さんは49年前の「6月15日」、国会デモの隊列の末尾にいた。東大生の樺美智子さんが「命を散らした」同じ時間、同じ場所にいた。

 当時、46歳。
 「平和への危機感は増大し」、「ここ30年余、6月15日は紀州の山中から出て行く」のだそうだ。樺さんを悼んで、国会南通用門前で花をささげる。

 本多さんが毎年、その日、その場所に向かうのは、そこに、忘れてはならないものがあるからだろう。失ってはならないものがあるからだろう。

 デモの隊列にあった本多さんは赤ん坊を背負った母親を見かけ、ねぎらいをかけたことを憶えている。「いいえ、だってこの子のためですもの」――母親の声が今でも耳に甦る。

 6月15日の国会前では、若者たちが花をささげている。その姿を見るたび、本多さんは思う。
 「思いはいっそう深く重く受け継がれているのだ」と。

 失われた若い命が新しい世代の若者に希望を託し、花を手向ける若者の姿に、95歳の老人がこの国の希望を垣間見る。
 
 来年は「60年安保」の50周年。
 50回目の「6・15」がめぐって来る。  
 

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2009-06-07

〔コラム 机の上の空〕 ブーヘンヴァルト         摂氏37度の和解

 絶滅収容所、ブーヘンヴァルトの地表の記念碑に 6月5日の午後、白バラが4本、置かれた。

 オバマ大統領とドイツのメルケル首相、そして、この収容所で死と隣り合わせの日々を過ごした2人の生存者、エリ・ヴィーゼル氏とバートランド・ヘルツ氏の4人が捧げたものだ。

 なぜ、「白いバラ」だったか?
 ブーヘンヴァルトの現地からの報道(たとえば、シュピーゲル誌、ニューヨーク・タイムズ紙)に特に説明はなかったが、言うまでもない。

 「白いバラ」(Die Weiße Rose)……ナチスに対する、ドイツ国内抵抗運動のシンボル。
 ヒトラーの狂気と非暴力で闘い、死刑に処せられた、ショル兄妹ら、ミュンヘン大学の学生グループの組織の名である。

 収容所のレンガ壁の切片のような、鋼鉄製の四角い記念プレートに白バラを捧げた4人は、一人ずつ、碑の面に手の平を置いた。
 
 冷たくなかった。気温よりも温かかったが、焼却炉の熱さではなかった。
 碑は摂氏37度に保たれていた。
              
              *

 式典ではまず、メルケル首相が発言した。

 「この場所に、強制収容所が建ったのは、1937年のことでした。この場所から遠くはないところに、ワイマールがあります。そのワイマールでドイツ人は、ヨーロッパ文化に対して貢献をする、素晴らしい創造を行ったのです。芸術家が、詩人が、思想家が出合ったそのワイマールから遠く離れていないこの場所で、恐怖が、暴力が、専横が、この収容所を支配していたのです」

 ワイマールとはもちろん、第一次世界大戦後、あの燦たる「ワイマール文化」を開花させた、ワイマール共和国のワイマール。
 その北西、わずか7キロの近郊のこの場所、ブーヘンヴァルトに立つ、ナチスの強制収容所で、ユダヤ人を中心に、6万人近くが殺された……

 メルケル首相は、栄光のワイマールに日々に続いて起きた、同じドイツ人による国家犯罪を直視し、ドイツの首相として、痛恨の言葉を吐いた。

 はっきりと、こう言った。

  Ich verneige mich vor allen Opfern.

 「私は全ての犠牲者の前で頭を下げます」と。

 これは、歴史に記憶されなればならない言葉である。

 メルケル首相はまた、ことし1月、ナチス絶滅収容所の生存者でつくる団体の長たちが、「ドイツ人、そして国際社会に対して出したアピール」を読み上げもした。

 アピール文には、こうあった。

  eine Welt, in der Antisemitismus, Rassismus, Fremdenfeindlichkeit und Rechtsextremismus keinen Platz haben sollen.

  「反ユダヤ主義、人種差別、外国人差別、極右主義なき世界を」

 これは、かつてナチスと同盟していた、われわれ日本人としても重く受け止めるべき言葉だろう。

             *           

 式典で、次に発言したのは、オバマ大統領だった。

 オバマ大統領は演説の冒頭、現存する一枚の写真に触れた。

 同席した生存者の一人、ノーベル平和賞の受賞者でもある、作家のエリ・ヴェーゼル氏が写った写真だった。

 アメリカ軍によってブーヘンヴァルトが解放されたあと、撮られた一枚の写真。
 蚕棚のような部屋の2段目で、顔をのぞかせている(左から7人目)、当時、16歳のエリ・ヴィーゼル。 

 アウシュヴィッツからブーヘンヴァルトに移送され、生き延びて、戦後、『夜(La Nuit)』という体験記を発表、生き証人として、戦後、証言を続けて来た人の写真だった。

 ブーヘンヴァルトの地を再びその足で踏んだエリ・ヴィーゼル氏の立つそばで、その写真に触れたオバマ氏は、つい今しがた、ヴィーゼル氏と収容所跡を一緒に歩いた時のことを語った。

 収容所跡には樹木が育ち、緑の葉を広げていた。
 歩きながら、ヴィーゼル氏はオバマ大統領に、一言、こう語ったという。

 ……"if these trees could talk."

 「もしも、この樹木たちが語れるのなら」

 胸を打つ言葉だ。これまた、記憶にとどめなければならない言葉だ。

 演説でオバマ大統領は、彼の個人的な思い出も語った。
 祖父(母方)は第二次大戦中、第89歩兵師団の兵士としてヨーロッパ戦線で従軍し、このブーヘンヴァルトを解放した米兵の一人だった。

 祖父はオバマ少年に、あまりのショックで、復員してシカゴに帰ってから数ヵ月もの間、独り閉じこもっていた、と語ったそうだ。

 オバマ大統領はこうも言い切った。

 We are here today because we know this work is not yet finished. To this day, there are those who insist that the Holocaust never happened -- a denial of fact and truth that is baseless and ignorant and hateful. This place is the ultimate rebuke to such thoughts; a reminder of our duty to confront those who would tell lies about our history.

 「私たちがいまここにいるのは、この仕事(全体主義との闘い)がまだ終わっていないからだ。今日、この日に至るまで、ホロコーストはなかったと言い張る者たちがいる。根拠のない、無知な、憎悪に満ちた、事実と真実の否定である。そうした考えを、究極において反駁し去るもの、それがこの場所である。この場所は、私たちの歴史に対して嘘を言う者どもと対決する義務を、私たちに思い出させる場所である」

 このくだりを読んで(観て)、「ブーヘンヴァルト」が仮に「南京」であったなら、どういうことになるのだろう?――と思った。

 「日本の首相」は、いずれ中国を訪問するであろうオバマ大統領、および南京事件の中国人犠牲者の遺族代表とともに、「その場」に立つことが、できるだろうか?

 メルケル首相のように、頭を垂れることはできるだろうか?

              *

 式典の最後に立ったのは、エリ・ヴィーゼル氏だった。

 エリ・ヴィーゼルはこう語りだした。

 「今日、私がここに来たのは、父の墓まいりである――しかし、ここに彼の墓はない。彼の墓は、この空の上のどこかにある。この空は、あの時代に、ユダヤ人最大の墓地となって、今に続いている」

 ブーヘンヴァルトは、息子のエリ・ヴィーゼルが生き延び、ともに強制労働に従事していた、父親が死んだ場所であるのだ。

 父親は死ぬとき、水が飲みたいと言ったという。下の棚にいた息子は、父親の声は聞いたものの、動かなかった。他の人も動かなかった。
 動けなかったのだ。動いてとがめられるのが怖かったのだ。

 And then he died. I was there, but I was not there.

 「そして、彼(父)は死んだ。私はそこにいたのだ。しかし、私はそこにいなかった」

 エリ・ヴィーゼルの悔いの言葉は、しかし、私たちに深い反省を迫る、言葉でもある。「そこにいながら、何もしないでいる、君たち(私たち)とは、いったい何者であるのか」と。

 短いスピーチでエリ・ヴィーゼル氏は、「世界は、学ぶことがあるのだろうか?」と、端的な「問い」を投げかけたあと、「ブーヘンヴァルト」が現代の私たちに提起する、ある深い問題の在り処を示唆する言葉を残した。

 それは「ブーヘンヴァルト」が、主に東欧のユダヤ人だけを集めたアウシュヴィッツと違って、「あらゆる方角の地平線から」、政治・経済・文化を超えて、あらゆる人々を集めた「国際社会」だったことである。

 その「国際社会」をナチスはホロコーストで絶滅を図った!――それは、世界最初の「グローバリゼーション」の所業ではなかったか、いや、そうだったと、エリ・ヴィーゼルは言明したのである。

 The first globalization essay, experiment, were made in Buchenwald. And all that was meant to diminish the humanity of human beings.

 「最初のグローバリゼーションの試み、実験は、ブーヘンヴァルトでなされた。それはすべて、人類の人間性の抹殺のためのものだった」

 この言葉は、「グローバル化」だ、「世界標準」だ、「小学校から英語教育だ」と騒ぎまくる私たち日本人にとっても、重い言葉である。

 言われてみれば、たしかにそうだ。バナキュラー(土着)な価値を踏みにじる「グローバリゼーション」の「ブルドーザー」は、ナチスの「ガス室」と、そうそう変わらないものかも知れない……。

              *

 「摂氏37度」――この文章の冒頭で触れた、ブーヘンヴァルトのスティールの碑の温度とはもちろん、私たち人間の体温のことである。
 
 その体温を保って、私たちもまた、この世界に生きている……。

 「ブーヘンヴァルト」の私たちに対するメッセージは明快である。

 せっかくのその「存在」を、私たちは「不在」にしてはならない。私たちは生ける「不在」でなく、温かみのある「存在」でなけれなならい。

 スピーチの最後で、エリ・ヴィーゼルは、カミュの『ペスト』の、こんな言葉――

 After all, after the tragedy, never the rest...there is more in the human being to celebrate than to denigrate.

  「結局のところ、他の何ものではなく、この悲劇があったればこそ……人間たちの中に、否定すべきもの以上に、祝福が生まれるのだ」

 ――を引き、最後を、こう締め括った。

  Even that can be found as truth -- painful as it is -- in Buchenwald.
 
 「これは真実と思える言葉だ――辛いことではあるが――ここ、ブーヘンヴァルトにおいてさえも」 
  

⇒  http://www.bundeskanzlerin.de/Content/DE/Mitschrift/Pressekonferenzen/2009/06/2009-06-06-statement-merkel-obama-buchenwald.html

  http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-by-President-Obama-German-Chancellor-Merkel-and-Elie-Wiesel-at-Buchenwald-Concentration-Camp-6-5-09/

  http://www.nytimes.com/2009/06/06/world/europe/06prexy.html?hpw

Posted by 大沼安史 at 01:00 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-06-05

〔コラム 机の上の空〕 天安門事件20周年 日本政府の悲しき沈黙

 天安門事件20周年……
 
 英紙ガーディアン(電子版)のサイトで、特集ビデオを観た。
 (⇒ サイト内のマルチメディア参照 http://www.guardian.co.uk/ )

 パンパンパンと乾いた音が耳に残った。
 病院のフロアが一面、血で染まっていた、という証言が耳に残った。

 犠牲者の母の「頬が冷たかった」という言葉の字幕が目に残った。
 広場に残ることを決意し、座り込んだ学生たちの姿が目に残った。

 英紙フィナンシャル・タイムズのサイトに入ると、米政府が「最も強い調子で、中国人権問題に関する声明を発表」という記事が出ていた。

 (⇒ http://www.ft.com/cms/s/0/96c78f34-504e-11de-9530-00144feabdc0.html )

 ヒラリー国務長官が、「殺され、拘禁され、行方不明になった人について」公開説明を要求していた。

 米国務省のサイトに入ると、ヒラリーの声明が出ていた。

 (⇒ http://www.state.gov/secretary/rm/2009a/06/124292.htm )

 経済危機もあり、このところ中国指導部に擦り寄る姿勢を見せていた米政府だが、「天安門」では違っていた。
 ことが「人権」というデモクラシーの原則にかかわることだから、厳しい姿勢をとるのだろう。

 日本の外務省のサイトに入った。
 
 見当たらないので、検索(⇒ http://search.mofa.go.jp/mofaj/index.php?sort=date%3Az&q=%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6&site= )をかけた。

 なかった。

 日本政府に、人権外交はない。

 日本政府の「沈黙」は、「戦時中」と「戦後」の「忌わしき過去」を、それぞれ起源とする「双子の沈黙」のように思える。

 ひとつは南京事件など、中国侵略の歴史的事実を否定していることから来る沈黙。

 もうひとつは、「60安保」の際、日本の天安門広場というべき国会前で、樺美智子さんという、一人の女子大生の命を奪っていることから来る沈黙である。

 「6月4日」の「天安門」は、「6月15日」の「国会前」に、時空を超えて結びつくものだ。

 日中両国民衆の「連帯の橋」は、ここに架かる。

 来年は「60年安保」50周年。
 「人権」を尊重しない権力者たちに、退場を迫るべき時が来た。 
 

Posted by 大沼安史 at 06:38 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-24

〔コラム 机の上の空〕 深夜に片倉真由子さんのジャズピアノを聴く

 土曜の午後、CDでピアノのジャズを流しながら、一人掛のソファーで、久しぶりに寛いだ。横浜から仙台の連坊に引越し、その連坊の狭いアパートに、仙台の旭丘に置いていた書籍類など荷物を運び込んだせいで、DKは今、バリケード状態。でも、書斎にしている部屋はだいぶ片付き、仕事(読み書き)はできるようになった。

 ソファーに座って読み始めたのは、フィナンシャル・タイムズのジリアン・テット記者が最近出して評判の「阿呆金(フールズ・ゴールド)」。
 手ごわい本なので、ピアノジャズBGMで景気をつけて読み進めようと、大好きな「ティーチ・ミー・ツナイト」を、リピートで延々と流し続けた。

 夜、ダンボールを2個開けて、ちょっとだけ荷物を整理して、NHKのFMを聴き出したら、いきなりジャズ・ピアノだった。

 カタクラマユコさんの演奏。
 「仙台」出身の期待の新星だと聞いて、慌てて耳を澄ませた。
 初のCD(発売は秋。タイトルは「インスピレーション」になりそうだ、という)に収録される「シークレット・ラヴ」。
 
 とてもよかったので、ネットで調べたら、片倉真由子、29歳、バークレイ、ジュリアードで学び、昨年、日本に戻って活躍し始めたばかりの新進ピアニスト――だとわかった。

 2006年、ワシントンのケネディ・センターで開かれた、メアリー・ロウ・ウイリアムズ女性ジャスピアノ・コンペで優勝したことも。

 1980年の生まれ、ご両親もジャズ・ミュージシャンという彼女だが、ラジオで語る彼女の声にはエリート臭いさがどこにもなく(おまけに、仙台なまりが、うっすら残っていて)、好感を持った。

 好きになったらナントヤラ、シツコサだけが取りえ(?)の私は、早速、ネットで「おっかけ」を開始し、ユーチューブで、What a Wonderful World の演奏ビデオを見つけた。

 3度、聴いて、彼女の完璧なファンになった。
 凄い、繊細なところが、音の響きが――、音の結晶を粒粒に際立たせ、しかも水の幕のように、限界まで流れるように透明に歌い切るところが、凄くいい。

 私は昔、ニューヨークのビレッジ・ヴァンガードで、秋吉敏子さんの演奏を聴いたことがあるが、「片倉真由子」も負けちゃいないぜ。
 いまにきっと、世界を股にかけ、演奏活動をする逸材だ、と見た。

 仙台の出版屋としては、秋吉敏子さんが岩波新書で自伝を出したように、片倉真由子さんには、いずれ1冊、書き下してもらいたいところだか、そんなことより、今はピアノに専念し、世界デビューを果たしてもらうのが先決。

 とりあえずは、一人のファンとして――同郷、仙台のピアノ・ジャズ好きの一人として、片倉真由子さんの今後の活躍を祈ることにしよう。  

⇒  http://www.mayukokatakura.com/frame_basic/frameset.html

  http://www.youtube.com/watch?v=_Pn-J_yBSRg

〔注〕 本ブログは、大沼がボランティア編集長を務める仙台の市民出版社、「本の森」の編集部ブログ、「一番町日記」のコラムを転載・加筆したものです。

Posted by 大沼安史 at 01:57 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-20

〔コラム 机の上の空〕 「再戦、御無用!」 「英霊」たちが教える「九条流」免許皆伝の極意  井上ひさしさんの『ムサシ』(台本)を読む

 文芸誌「すばる」5月号に、井上ひさしさんの新作戯曲、「ムサシ」の脚本が掲載されていた。
 埼玉の初演にも大阪での続演にも行けなかった私は、活字で芝居の流れを追い、机上のステージで評判の舞台を堪能した。

 素晴らしい劇だった。「武蔵」も「小次郎」もよかったけれど、何と言っても「亡霊九人」が――なかでも「舞阿弥」に扮した(?)「八幡宮の白拍子」が、「歴史的」とも言える……いや、日本の歴史を総括するような、最高のパフォーマンスを見せてくれた。

 「芝居」を観(読み)終わった余韻の中で、いつの間にか確信していた。鎌倉での、武蔵と小次郎の「再戦」を思いとどまらせた「亡霊九人」は、この国の歴史の中で無念の死を遂げた、無数の死者たちの代表選手たちに違いない、と。

 声なき声、姿なき姿の「亡霊」たちが、歴史の舞台に登場し、「武蔵VS小次郎」のリターンマッチに事寄せて、戦いの愚を、戦争の虚しさを、笑いの渦の中で、現代日本の私たちに教え諭してくれたのだ。

 死ではなく、生。戦ではなく、平和――すなわち日常のかけがえなさを、「亡霊九人」は、2009年の春舞台で、まるであの「第九」の合唱のように、口々に叫んだ。

 どんなに辛く、悲しく、淋しい一日でも、まばゆく、まぶしく輝いて見える、と。

 死んだ人間だからこそ、生きる素晴らしさがわかるというのは、ロジックでもなんでもなく、究極の真理である。そんな絶対的な定言が、極意の如く、舞台の上で示されたのだ。 

 ありがたいことである。なんまいだぶ、なんまいだぶ、なんまいだぶ……

 「生の歓喜」の肯定、「殺生」の否定の中で、「再戦」を踏みとどまらせた「ムサシ」の舞台の含意は、最早、明らかだろう。

 平和憲法を変えようとする動きがなおも執拗に続いている、2009年の「観客」である私たちにとって、「亡霊九人」とは、先の大戦の「英霊」たちの代表でもある。

 そして「亡霊九人」が「武蔵」と「小次郎」に伝えた、無用な殺生はやめる極意を、戦後日本において形になしたもの――それが、私たちの「九条」である。「英霊」たちが、その無念の死と引きかえに、私たちに贈ってくれた「九条」である。

 「亡霊九人」が消え、武蔵と小次郎が舞台から去って芝居は終わるが、幕が下りると同時に、私たちは最早、「観客」ではなくなる。
 私たちは、その瞬間、歴史の当事者になる。いや、「再戦」をやめさせる、歴史の主役にならねばならない。

 「ムサシ」の芝居のいよいよ決定的な場面で、「まい」こと「舞阿弥」の霊は、私たちの運命にもかかわる、大事な、大事な科白を吐く。

 「お二人が戦わないでくだされば、わたしたちの願いもかないます」――と。

 「まい」役は、白石加代子さん。
 この科白の一行に、彼女が込めた気合のようなものが、舞台を観てもいないのに、耳に響いてくるから、不思議である。

 空耳ついでに、余計なことをひとつ、付け加えさせていただこう。

 これは井上さんの脚本のどこにも書いていないことだが、ともに戦わずして勝ち、それぞれの人生を全うした武蔵と小次郎に、将軍家兵法指南、「柳生宗矩」に扮した「亡霊」の一人から、後日、二人に対し、新陰流あらため「九条流」、「無手勝の極意」の皆伝が授与されたそうである。

 また、これも脚本にないことだが、「まい」こと「舞阿弥」の名科白「お二人が戦わないでくだされば、私たちの願いもかないます」の「お二人」とは、もちろん、「私たち」のことだそうだ。

 さらには、「まい」ら「亡霊九人」組は、元和四年(1618年)の舞台から391年経った、ことし平成21年を生きる日本人全員分の「九条流」皆伝免許状を、すでに用意しており、いつでも手渡せる態勢にあるという。 

 さて、いま一度、「ムサシ」の脚本に戻れば、「舞阿弥」が「笹阿弥」(笹は笹かまぼこの笹)と名乗って猿楽を舞い、大好評を博した巡演の地は、井上ひさしさんが高校時代を過ごした、(今、私=大沼の住む)仙台である。
 
 井上さんの「青春の地」である仙台での「ムサシ」上演の早期実現を望む。

Posted by 大沼安史 at 08:43 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-17

〔コラム 机の上の空〕  《不幸》から《愛》へ         『シモーヌ・ヴェイユの生涯』

 雨の日曜日、1冊の本を読んだ。
 仙台駅の東口、市立榴岡図書館から、土曜日に借り出した本だ。

 図書館の書架を眺めていて、目に飛び込んで来た。
 『シモーヌ・ヴェイユの生涯』(大木健著、新装版、勁草書房)。

 奥付で確かめると、やはりそうだった。
 初版は1964年、改訂版は1968年に出た、とある。
 学生の頃、本屋で買って、前の方を少し読みかじったような……記憶は、どうやら、ほんとうだった。 

 リセの哲学教師を1年間、休職、頭の割れるような慢性頭痛に苦しみながら、虚弱なからだに鞭打って、ルノーなどの工場で、労働者として働いたあと、スペイン市民戦争が始まるや否や、義勇兵として赴き、フランスに帰国後、アメリカに逃れ、最後は英国で亡くなった女性思想家の評伝。

 著者、大木健(たけし 東北大学教授、仏文、1990年に死去)氏の文章には、透徹した気品とでもいうべき趣があって、付箋を貼り付けるのも忘れ、いつの間にか、読み通してしまった。

 大木氏が描いた「シモーヌ・ヴェイユ」は、わたしが学生時代、単純に考えていた、エリートなのに、工場に身を投じ、工場労働の経験をもとに思索を続けた、「自己否定」のフランス人・インテリ女性……ではなかった。

 パリの高等師範学校を卒業して、リセの教師となったのは、1930年代の初め。経済恐慌、スペイン市民戦争、第二次世界大戦と続く、経済的・社会的な激動を生き抜き、苦闘の果てに、1943年、34歳の若さで短い生涯を閉じた人だった。行動し、思索し、師・アランの教えを守り、毎日、ノートに書き続けた人だった。

 いま、大木氏の評伝を読み終えて、救われたような気がしてならないのは、己の《不幸》の直視が《隣人愛》まで行く着き得る可能性を、ヴェイユの人生の軌跡が示していると、氏に教えていただいたからだ。

 大木氏はこう書いている。(〔 〕内は、大沼による注記)

  シモーヌ・ヴェイユが〔工場において〕その心身でとらえた《不幸》という現実、それと永遠に交わり続けるための《奴隷》という資格を身につけて把握した現実、しかもこの地上では全くかえりみられることなく、これを目標とすべき革命運動〔スペイン市民戦争〕までが無視し、忘れつくしている現実、これを認められなければ彼女が生きられなくなる現実、――この現実の有無を彼女は暗い夜々の中で問い続け、この現実を否定するものと妥協しなかったために、この苦悩を通して真実につながることができ、隣人を愛することが可能となった。《夢想》ではない真の《愛》を彼女は獲得した……(同書、195頁)

 大木氏が引用する彼女の自身の言葉で、つづめて言えば、こうなる。

   「私は、不幸というものを通して聖なる愛を愛することが可能であるとの理解を一層深めることができたのです」

 《不幸》をごまかしようのない絶対性として、身をもって苦しみ抜いた、その先に現れた《愛》、または《神》の絶対性……。

 大木氏によれば、生き急ぐように短い人生を終えた彼女は《死にそこなう》ことを恐れた人だったそうだが、34歳以降の人生を「生きそこない」はしたものの、死にそこなってはいない、と思う。

 「死にそこなわない」……40年前、学生時代に読みかじることしか出来なかった大木氏の本を、今、深い感動をもって読み終えることができたのは、わたしもまたこの言葉を、人生ホームストレッチの自戒の言葉として受けとめることができる年齢に達したからであろう。

 それもこれも大木健氏のおかげである。

 「シモーヌ・ヴェイユ」は―ーわたしが真剣に向き合いさえすれば、「リルケ」とともに、この先のわたしの、机上のガイドになってくれるかも知れない。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

 ⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 05:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-15

〔コラム 机の上の空〕 「独裁」を脱ぎ捨てる時      1984 in 2009 in ミャンマー

 英紙ガーディアンに、作家、ジョージ・オーウェルが、最後の力を振り絞って『1984年』を書き上げ、力尽き果てて46歳で死亡するまでの経過を再現する記事が載っていた。

 それによると、前年、1945年3月、愛妻のエイリーンを失ったオーウェルが、「オブザーバー」紙の編集人、デイヴィッド・アスターの勧めで、アスターがスコットランドの孤島、ジュラ島に所有する別荘、「バーンヒル」へ、列車でロンドンから向かったのは、翌46年5月のことだった。

 「バーンヒル」は寝室4つに広々とした台所のある建物で、海を眺めることができた。電気もない、孤島のこの家で、オーウェルは最後の執筆活動に全力を挙げる。

 一時、『ヨーロッパ、最後の人間』というタイトルになりかけた世紀の傑作、『1984年』は、その一室で書き上げられた。

 結核を患う病身で、タイプを打ち続けるオーウェル。書き上げた原稿の3分の2を完全に書き直す(タイプし直す)、それはそれは苦しい執筆作業だったという。

 養子の息子らと海にボートで出て、溺れかかったことも。アメリカから届いた結核の新薬、ストレプトマイシンは最終的に効果を上げたが、健康を回復するには至らず、歩くこともできなくなったオーウェルは、自室にこもってタイプを打ち続けた。

 最終稿の完成は、死の1年2ヵ月前、1948年11月30日のことだったそうだ。

 ガーディアン紙の記事を読んで、ジョージ・オーウェルの作家としての凄みをあらためて感じた。
 1948年に書かれた「1984年」は、ソルジェニーツィンら生き証人の出現を予告し、現代における「フレンドリーなファシズム」の核心にあるものさえも、予言したのである。

 ジョージ・オーウェルが作家活動を始める前に、イギリス帝国主義の手先(警察官)を務めたのは、現在のミャンマー、1920年代の植民地、ビルマだった。

 そのミャンマーが今、2009年における「1984年」となっている。

 軍事独裁政権による全体主義が、南アジアのこの国を、戦時中の日本同様の苛烈さで、窒息させているのである。

 ラングーンの湖の畔に建つ自宅で軟禁生活を強いられる、ビルマ民主主義のシンボル、スーチー女史のもとに先日、若いアメリカ人が湖を泳いで辿り着き、数日、滞在したあと、再び湖を泳いで渡ったことがあったらしく、スーチーさんは「外国人」をかくまった疑いで身柄を拘束されたという。

 湖を泳いで会いに来た、遠来の客を泊めただけで、それが罪になり、逮捕されてしまう、ミャンマーという国!

 そこは独裁者の軍人らが「ビッグブラザー」として君臨する、「自由が奴隷化された」国なのだ。

 つまり、オーウェルは1948年においてすでに、2009年における「ビルマの1984年」を予見していたことになる。

 新首都、ネピトーに群れる肥満した将軍たちは、さしずめ、ミャンマー版『動物農場』の支配者であろう。

 オーウェルの『1984年』の最初の方に、主人公、ウィンストン・スミスが繰り返し見る「夢」の描写が出て来る。

 
   黒髪のその少女は原っぱを彼の方に歩いて来た。まるで一振りで着衣を破くと、汚ら しげに、横へ放り投げた。彼女の裸身は白く、滑らかだった。しかし、彼に何の欲望も起きず、ただただ彼女を眺めるだけ。その時、彼を圧倒したもの、それは少女が着衣を放り投げるその動作だった……

 このくだりを読んだ時、この少女とはスーチー女史のことではないか、と一瞬、錯覚を覚えたほどだ。

 抑圧の着衣を脱ぎ捨てるのは、ウィンストン・スミスの夢であり、オーウェルの夢であり、スーチー女史の夢であり、ビルマ民衆の夢であるだろう。

 スーチー女史の即時釈放を要求し、「夢」が、この2009年に実現することを切に願う。

⇒ http://www.guardian.co.uk/books/2009/may/10/1984-george-orwell

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2009-05-11

〔コラム 机の上の空〕 忌野清志郎さんの歌がきこえる

 昼前、自転車に本を積んで納品に行った。
 いい天気、気温もほどほど。

 自転車を漕いでいるうち、気分がなぜか高揚し、青信号に向かって「まくり」を決めた。

  と、忌野清志郎さんの、あの歌が鳴り出し、心の中で一緒に歌い始めた。

   ♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる
    Oh この世界が 平和だったころの

 忌野さんの歌で一番何が好きか挙げろと言われたら、ぼくは「激しい雨」だと答える。
 「トランジスタラジオ」や「雨あがりの夜空」ももちろん大好きだが、なんといっても「激しい雨」。

 曲もいい。詩も素晴らしい。

 とくに、
 
   ♪ お前は覚えているかい
    世界がここにあるのを

 世界はここにある……凄い! こんな凄いことを、忌野清志郎さんは全身で歌って、教えてくれたのだ。歌い遺してくれたのだ。

   ♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる ……と。

 後期の代表作と言われる「激しい雨」を出した時、忌野清志郎さんは、忍び寄る死を覚悟していたような気がする。
 だから、こう続けたのだ。

   ♪ RCサクセッションがきこえる
    RCサクセッションが流れてる

 な、お前ら、聞こえるだろ。流れてるだろ。
 そこに世界がある。平和だったころの。
 これから何度でも夢を見せてやるぜ。

 
 忌野清志郎さんとは2つ違いの同世代。

 80年代から90年代にかけ、ぼくは「会社員・新聞記者」として「個人と組織」、「社会と会社」の相克に苦しみ、まさに忌野さんの歌う、あの「サラリーマンのドラマ」を演じて、のたうち回っていた。
 
 この4月、「アラカン」として仙台に帰郷、忌野さんの愛車の、おそらくは100分の1以下の値段の「宮田」のママチャリ(それでも25000円くらい、した。新車です)を買い込み、仕事場(ボランティア先)の「本の森」に通い出した。

 そして、あの、突然の訃報!
 
 悲しいというより、悔しくて仕方なかった。
 悔しさは怒りとなって、いまも胸の中でくすぶっている。

 あの、ロックでぶちかました、発売中止の「君が代」、ヘルメットに黒メガネ姿で、「何いってんだ、ざけんじゃねえ……放射能なんかいらねえ」と、ヒロシマで歌った「ラブ・ミー・テンダー」……

 くそっ、チクショウ、こんな骨のある、天才ミュージシャンが、何で58で死ななくちゃならないんだ、と叫びたいくらいだ。

 
 「忌野清志郎」は芸名。「今わの際、しよう」のもじりではないか、と勝手に思っている。
  日々、これ、今わ。今生の別れを常に覚悟し、懸命に何事かをなせ、とのメッセージではないかと。

 ママチャリの前のカゴには、本が15冊ほど。書店から注文が来た本だ。ハンドルがけっこう重い。

 納品書に判子をもらい、軽くなったペダルを踏んで帰路に就く。

 元気を出して、心の中で歌う。

   ♪ RCサクセッションがきこえる
    RCサクセッションが流れてる

 くそっ、チクショウ、ざけんじゃねえぞ!
 

(注) このコラムは、小生がボランティア編集長をつとめる、仙台の市民出版社「本の森」の編集部ブログ「一番町日記」に加筆、転載したものです。

⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

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2009-05-08

〔コラム 机の上の空〕 アジアに響け、平和の鐘 円仁の中国旅行記を読む

 慈覚大師・円仁(794~864年)は、山寺(山形市)の立石(りっしゃく)寺、松島の瑞巌寺の開祖である。仙台の東西、山と海に名刹を開いた天台の高僧である。

 4月14日、山寺の立石寺で、大師の誕生祭が開かれ、「世界平和の鐘」が撞かれた。地元の新聞報道(山形新聞 ⇒ http://yamagata-np.jp/news/200904/14/kj_2009041400227.php )によれば、今回初めて、中国と韓国から参加者があった。僧侶や研究者だったという。

 なぜ、遠くわざわざ、中国や韓国から参列者があったか?

 それは円仁という日本人僧と中国人、朝鮮人の交流という史実による。円仁が遣唐使の船で中国に渡り、仏教の奥義を学ぶことができたのも、当時の唐の人々(僧ら)、新羅の人々(通訳ら)の手助けがあってのことだ。

 そんな円仁という人に興味を持ち、東洋文庫(平凡社)に収められた、円仁著『入唐(にっとう)求法巡礼行記』(ⅠとⅡ、全2巻)を読み出した。

 円仁が博多を出発、遂には10年に及ぶ旅を始めたのは、838年(承和5年)。円仁、46歳の初夏のことだった。

 1300年近い、時間の経過の後に読む、9世紀前半の中国旅行記は、驚きの連続で、読み飽きることを知らないが、上巻(Ⅰ)の「12月8日」の記述で、目が釘付けになった。

   新羅人王請来たって相看る。是本国弘仁十年〔八一九〕に出州国〔出羽(でわ)国〕に漂着する唐人張覚済等  と同船の人なり(後略)……

 円仁は渡海・入唐したその年、揚州(上海の近く)で足止めを食っていたその時、出羽、つまりいまの山形・秋田に船で流れ着いたことのある新羅人(朝鮮人)と会っているのだ。その新羅人王請は、「諸物を交易する」商人。「頗(すこぶ)る本国語(日本語)を解す」人だったそうだ。

 「本国」を、出羽の国を知る朝鮮人貿易者と、中国・揚州の寺で、日本語で語り合う円仁……その姿を想像すると、これが機縁となって、羽前(出羽国の南部)に、立石寺を開いたのかも、と思いたくもなる。

 が、『行記』のこのくだりを読んで――いや、遣唐使の通訳は新羅人だったといった『行記』のほかの部分も併せ読んで思うのは、当時の極東アジアの国際性――というより、各国人間の「交流」の気安さと「風通し」のよさである。

 当時の中国・朝鮮・日本を囲む海には、「国境」の壁はなかった。だからこそ、円仁は中国僧や新羅人と交流でき、それが歳月を超えて語り継がれて、21世紀、2009年のこの春の、立石寺での「顔合わせ」につながったのである。

 これはほんとうに凄いこと。
 こうしたつながりこそ、私たちは大切にしなければならない。

 円仁の『入唐求法巡礼行記』は、日本による朝鮮支配、中国侵略という20世紀の悲劇を、極東アジアの歴史的な原郷からとらえ返し、それを乗り越えてゆく視点を与えてくれる、なおも新鮮な旅行記である。

 円仁の日記を読み進むその先にあるのは、円仁の求法の足跡の先になければならないのは、各国の寺の鐘が鳴り響く「平和と友好のアジア」である。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

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Posted by 大沼安史 at 02:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-07

〔コラム 机の上の空〕  ピート・シーガーさん 90歳記念コンサート

 米国の反戦放送局「デモクラシーNOW」のキャスター、エイミー・グッドマンさんが書いたコラムで、アメリカ草の根フォークの最長老、ピート・シーガーさんの「祝90歳」記念コンサートが3日の日曜日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開かれたことを知った。

 5月3日はピート・シーガーさん(1919年生まれ)の誕生日。フォークじいさん(?)の「卒寿」を祝う誕生記念コンサイートは、気楽なガーデン・パーティーのような雰囲気で、なんと1万8000人ものファンが詰めかけたそうだ。

 コラムの中で、ピート・シーガーさんのこれまでの人生を、エイミー・グッドマンさんは、こんなふうに要約してみせた。

 「この伝説のフォーク歌手は、20世紀における、労働者の権利、公民権、環境と平和を求めて続いた、草の根の闘争を標す生きた歴史である」

 コンサートでは、「ボス」こと、ブルース・スプリングスティーンさんが、一緒にワシントンのステージに立ったオバマ就任式の日のことを、こう語った。

 「その日(就任式の日)、みんなで“This Land is Your Land”を歌った時、俺、ピートの方を見たんだ。そしたら、最初の黒人大統領(オバマのこと)が、ピートの右に座っているじゃないか。俺はね、その時、思ったんだ。ピートは信じられないような旅をして来たんだな、ってね……あの日、ピートは、ほんとうに幸せだったと思う。ピートよ、あんた、あのクズ野郎(バスタード)どもがくたばったあとも、長生きしているよな。な、そうだろ、ザマミロだよな」

 エイミー・グッドマンさんはコラムの中で、“This Land is Your Land”に元々、含まれていた、あまり知られていない「幻の一節」を、「記録に残すために」紹介してもいた。

  "In the squares of the city, under shadow of the steeple,       
   at the relief office, I saw my people.         
     As they stood there hungry, I stood there whistling,         
     this land was made for you and me.

      街の広場の教会の尖塔の影
    その救民事務所で ぼくは同胞を見た
    飢えながら立ち続ける姿を ぼくはそこで口笛を吹き続けたのさ
    この国は君とぼくのためにつくられものだよね  

     A great high wall there tried to stop me.         
     A great big sign there said private property,         
     but on the other side it didn't say nothing.         
     That side was made for you and me."

    大きな壁が高く聳えてさ ぼくを押しとどめようとするんだ
       大きな看板がそこにあって 私有財産だと言っていた
       でも看板の裏側には 何にも書いてない
       この裏側は君とぼくのためにつくられたものだよね

 歌詞のこの部分が、よく「放送禁止」になったのは、貧困と富の簒奪を告発するものだったからだそうだ。

 もう、ひとつ、エイミー・グッドマンさんのコラムで教えられたのは、ピート・シーガーさんの“Waist deep in the Big Muddy”という歌が、いったんテレビ局の検閲で「削除」されながら、ショーのホストたちの粘りで「放映」された、というエピソードである。

 1967年~68年の出来事。「泥沼に腰までつかる」とはもちろん、ベトナム戦争のメタファーである。

 エイミー・グッドマンさんは、コラムをこんなふうに結んでいた。

 「真実に権力を、と歌い続けて70年、その声は今や弱くなっていたが……(その声に応えて)18000人の(歌)声が湧き上がった。これこそ、ピート伝説である、私たちはそれを引き継いでいかなければならない」

 そう、それがどの国であれ、「この国はわれらの国」、クズ野郎=権力者どもの国ではない。

 「この国はわれらの国」……これはアメリカだけでなく、この日本でも歌われるべき、真実の歌である。  
 

⇒ http://www.truthdig.com/report/item/20090505_pete_seeger_carries_us_on/

  http://www.youtube.com/watch?v=3YlLtmMV8zs

    http://www.woodyguthrie.org/Lyrics/This_Land.htm

  http://www.youtube.com/watch?v=uXnJVkEX8O4

    http://history.sandiego.edu/gen/snd/waistdeep.html
  

Posted by 大沼安史 at 07:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-04

〔コラム 机の上の空〕 辻邦生さんに教えてもらったリルケ

 坂を一人で下りて来たのは、作家の辻邦生さんだった。明るい色(ベージュ色だったろうか?)のブレザー姿で、陽射しを連れ歩いているような、まばゆいお姿だった。
 こちらは二人連れ。細い坂道なもので、視線を交わし、軽く会釈をして、おそばを通り過ぎた。

 妻と一緒に、横浜の「港の見える丘公園」の大仏次郎文学館を訪ねたときのこと。20年以上、前、東京で新聞記者をしていた時のことだ。

 私は駆け出し記者だった20代に、辻邦生さんの小説を熱読した。長編の『春の戴冠』『背教者ユリアヌス』。片端から読んだ。

 辻邦生さんの文体に、既定のものを、決まりきったものを粉砕しながら透過する、明るい光のようなものを感じ、魅了されたからだ。

 中でも『嵯峨野明月記』を読んだ時は、スリリングな戦慄さえ覚えたほどだ。

 新聞社を中途退社、仙台で「本の森」の創立に関わった頃、今はなき同志の小池平和さんと、「辻邦生さんに仙台に来てもらい、創立記念の講演をしてもらえたらいいな」などと夢を語り合ったことがある。

 辻邦生さんはそのころ、『西行花伝』を書き終えたばかり。西行の足跡を追って、仙台、平泉を旅してもらい、温泉で執筆の疲れを癒してもらいながら、ついでに話をしていただこう――などと、勝手な算段で盛り上がったものだ……。

 さて私が辻邦生さんを文体の革新者としてではなく、世界と格闘を続け、生死を超えた境地に生きる希望と覚悟を語った一人の作家として見るようになったのは、つい最近のことだ。

 片山敏彦訳の『リルケ詩集』(みずず書房刊)で、リルケのトルストイとの出会いを知り、その延長線上で、辻さんの『薔薇の沈黙 リルケ論の試み』(筑摩書房刊)を読み進めているうち、見方が変わった。

 実は、今朝、寝床の中で、その『薔薇の沈黙』の「終章」(13章)、「〈開かれた空間〉の声」と、佐保子夫人の「夢のなかのもう一つの部屋――あとがきにかえて――」を読み終えた。

 ほんとうは昨日、最後まで全部読み通すことができたのだが、「終章」を読む前に、私なりの、読者としての「結論」を確かめたくて、最近、自転車で通い出した、陸奥国分寺跡を訪ねた。いつもの樹下で自分なりの「結論」が出てから、読了することにしたのだ。

 国分寺跡の公園に薔薇はなかったが、木々の青葉が緑の光を散らしていた。梢の方から、小鳥たちの声が聞こえて来た。

 慌てるな、待てばいいだけだ、と自分に言い聞かせはしたが、私なりの「結論」はすぐさま、衒いもためらいもなく、頭上に落ちて来た。

 辻邦生さんは、ひとつ前の「12章」で、こう書いていた。リルケはもはや「戦争という苛酷な現実に対していささかもたじろぐことなく、天使たちの舞う世界空間を、フィクションの世界ではなく、人間にとっての深い実存の開示として描くことができるようになる」と。(164頁)

 これを読んでしまった以上、私の「結論」が、リルケの、そしてまた辻邦生さんの「結論」から逸脱するはずもなかったのだ。

 「終章」(13章)で、辻さんはこう書いている。リルケは「それについて語る人ではなく、それから語る人に」なったと。

 やや性急な結びの言葉はこうである。

 「〈薔薇空間〉となったリルケは甘美な陶酔の持続となって、時間を超え、生と死を超える。おそらくいまわれわれにとってなすべきこととは、〈見る〉ことの果てに出現した〈対象としての世界〉を、いかにして〈薔薇空間〉に変容するか、ということだろう。不毛と無感動と貨幣万能の現代世界のなかで、はたして至福に向かってのそんな転向が可能かどうか、われわれがある決意の時にたたされていることは事実だろう」

 辻邦生さんの最後の本、『薔薇の沈黙』は、実は「最終章」が、辻さんの中で構想はされながら、書かれずに終わったものだ。が、それだけに、「終章」(13章)の結びの言葉の余韻はなお一層、深い。

 それにしても、辻さんが急逝されずにおられたなら、「最終章」はどのような風に書かれたのだろう?

 国分寺跡の大木の下に立てば、坂道を下りてくる辻さんが現れ、教えてくれるかも知れない……そんな気がしてならない。 

【注】 このブログは、出版社「本の森」編集部ブログに掲載したものを転載したものです。

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Posted by 大沼安史 at 12:31 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-04-29

〔コラム 机の上の空〕 オレンジは希望の色  日向康さんの最後の小説を読む

 雨の週末、これまで読もう読もうと思いつつ、読まずにいた日向康さんの小説、『オレンジ色の斜光』を読み通した。400字詰め原稿用紙換算で、ざっと1200枚もの大長編だが、一気に引きずり込まれた。

 冤罪事件に端を発した誘拐事件を軸に、戦後日本の歴史的な現実を、小説的現実に交差させて見事に描き切った、推理小説仕立ての、素晴らしい物語だった。

 この小説(毎日新聞社刊)が出たのは、2000年。20世紀の最後の年。

 日向康(ひなた・やすし:一九二五~二〇〇六年)さんは、栃木県の生まれ、終戦の年の8月に陸軍士官学校を卒業、戦後、仙台で林竹二氏(元宮城教育大学学長)に師事し、宮城学院大学の教授を務めた作家。足尾鉱毒事件の田中正造を追った『果てなき旅』で大仏次郎賞を受賞した人でもある。

 私は日向さんがお亡くなりになる10年ほど前、仙台市内の自宅を訪ね、お会いしたことがある。その時、『オレンジ色の斜光』という小説を書いているとはおっしゃられたが、それがどのような物語なのかは、お話しにならなかった。

 その『オレンジ色の斜光』を読み上げた今、それが私たちの生きる「戦後日本」の「希望の物語」であることが、ようやく分かった。

 今の日本にどれだけ「戦前・戦中」的なものが居座り、「過去」がこの国の「現在」をどれだけ支配していようとも、歴史は動いている。街は今日もオレンジ色の光に包まれながら暮れ、またも夜明けに向かおうとする……そんな日向さんのメッセージが、圧倒的な読後感となって伝わった来た。

 この長編の中でその「街」は、二度、オレンジ色の斜光に包まれる。一度は、事件解決に執念を燃やす下積みの刑事、「竹仲義次郎」の前で(306頁)輝き、二度目は、物語の終わりに、もう一人の主人公、似顔絵画きの「庫谷志郎」と竹仲刑事の二人が語り合う、夕べの窓辺に溢れ返る(637頁)。

 希望の瞬間、街はオレンジ色に輝く。

 オレンジ色の斜光――それはフランス人の言う「グラン・スワール」の光でもある。人々が、圧制が遂に倒れたその日に、晴れて迎える「大いなる夕べ」の光である。

 歴史の欺瞞を鋭く切り裂く光は、どんな場所でも、キリリとあたたかく、オレンジ色に輝くものである。

 そのことを日向さんは私たちに告げるために……私たちを励ますために、この大長編を書き、完成させたのだ。 
 
 没後3年。日向康さんに、そしてそのお仕事に、ここであらためて敬意を表する。 

〔注〕 このコラムは、小生がボランティア編集長を務める仙台の市民出版社、「本の森」の編集部ブログ、「一番町日記」を転載したものです。

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Posted by 大沼安史 at 08:28 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-01-22

〔コラム 机の上の空〕 「オバマ」の前に「フリーダム・ライダー」あり 公民権運動の先駆者ら、50年後に喜びを語る

 黒人男性、デイブ・デニスさんはいま68歳。ニューオルリーンズの貧民街で、1960年代以来の同志、ボブ・モーゼさん(この人も黒人、ハーバード大卒)が続けている算数・数学教育プログラム、「アルジェブラ・プロジェクト」を手伝っている。
 なお現役、バリバリのコミュニティー活動家だ。

 そのデイブさんは、オバマ氏が大統領選に勝利した夜、ジャズ・クラブにいた。「当選」を、すぐには信じられなかった。

 自分の車に戻ってシートに座ると、涙があふれた。ジャズ・クラブに戻ると、みんなが叫んでいた。「イエス・ウィー・ディド(おれたち、やったぜ)」

 それを聞いてデイブさんは昔のことを思い出し、怖気を感じた。公民権運動の盛り上がりで、1965年に「選挙権法」という連邦法が出来たところまではよかったが、地元ミシシッピー州では黒人差別の現実に阻まれ、幻滅に終わった苦い思い出を思い出したからだ。

 それでも、「オバマ当選」に、デイブさんは「穏やかな喜び」と「幸せ」を感じているという。
 
 本当の勝利を手にするまで、まだ時間がかかる。けれど「私はオバマを信じるよ」と、デイブさんは言った……。

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 仏紙、ルモンド(電子版)に、60年代の初め、アメリカ南部で、公民権運動の先頭を切った、元「フリーダム・ライダー」6人が登場し、オバマ新大統領の就任式に寄せる思いを語っていた。

 長距離バスに乗り込み、ターミナルのカフェなどで人種隔離に非暴力で抗議し、殴打され(あるいは仲間を殺され)、投獄されながら闘い抜いた若者たちも、すでに老境。

 電子版の記事には、当時と今の写真が添えられ、50年の歳月の流れを感じさせる。

 SNCC(学生非暴力調整委員会)やCORE(人種平等会議)などに参加した学生ら若者たちの非暴力・直接行動があったればこそ、キング牧師のワシントン大行進など公民権運動の高揚もあったのだ。

 オバマ氏がまだ生まれる前の話である。

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 「ライダー」の一人、フランク・ホロウェーさんは1961年当時、22歳の学生。バスの最前列、白人専用席に仲間と座って、ジョージア州アトランタのターミナルに着いた。シェリフが姿を見せると、他の乗客はみんな降りてゆく。仲間とフランクさんの2人だけが残された。
 その時、フランクさんは突然気付いたという。
 俺たちがいることで、白人の乗車収入が消える……おれたちには、そうした力があるんだ、と。

 逮捕され、悪名高きパーチマン刑務所に入れられ、殴打されたフランクさんだが、自身を含む、当時の「フリーダム・ライダー」たちの行動を、公民権運動における主要な第一歩だったと振り返る。

 「闘いはまだまだ続くが、私はオバマの当選に非常に満足している。経済や刑務所を見ればわかるように、われわれ黒人は、まだまだひどいありさまだ。アメリカの社会には、人種のバリアーがいまなおある。しかし、いま、ここに希望がある」

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 ルモンドに登場した6人のうち、ただひとりの白人女性、マーガレット・レオナードさんは、その後、新聞記者として働き、女手ひとつで子どもを育てた人だ。

 だから、オバマ氏のお母さんに共感を覚えるという。

 マーガレットさんの記憶に残る光景がひとつある。
 パーチマン刑務所から出所した時のことだ。

 刑務所の長い廊下を歩いている、格子の間から、次々に手が差し伸べられたという。白い手が、黒い手が……。

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 ベトナムで戦ったあと、実業家として成功を収めたハンク・トーマスさんは、当時、20歳の大学生だった。

 3年前の2005年、アラバマ州のアニストンに戻り、昔、黒人を弾圧する側にあった白人女性と話しをする機会があった。

 その白人女性が言った。
 「ベトナムでは共産主義者たちがあなたを殺そうとしたでしょ。それは、あなたが敵だからよ。ここで、彼らが(白人たち)があなたを殺そうとしたのは、あなたが敵だからよ」
 
 長い沈黙のあと、ハンクさんは言い返した。「でも、われわれは同じアメリカ人だ!」
 白人女性は言った。「それは分かるわ。でも、あなたがた(黒人)は敵。だから、彼らはあなたを殺そうとしたのよ」

 大統領選投票日の夜、10時ごろのこと、気になってテレビをつけると、オバマ「当選」のニュースが流れていた。

 「誇らしく思った。白人たちがして来たことの全てを赦した」

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 ヘゼキアー・ワトキンスさんは1961年に、なんと13歳で逮捕された。刑務所から出所後、公民権運動を続け、キング師や黒人作家のジェームズ・ボールドウィンらと交流した。

 ヘゼキアーさんは言った。
 「私は全てのことを、誇りに思っている。殴られたことを。投獄されたことを。侮辱されたことを。警察犬のことを……オバマの勝利は、私を含むみんなの活動の結果だ。死んだ人、負傷した人、かたわにされた人、ボケた人、元気でいる人……われわれみんながオバマのために道を切り拓いたんだ」

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 「オバマ」の前に、「フリーダム・ライダー」、あり。

 彼・女らの払った献身・犠牲を思えば、ただ乗りは許されることではない……そのことを、学生時代、懸命になって黒人作家・活動家の著書を読みまくったオバマもまた、十分、承知のはずだ。

 大統領就任演説でオバマは、「われわれは旅をして、ここまで来た」と言った。

 そう、バスに乗って「非暴力の旅」を貫き、血路を切り開いたのは、フリーダム・ライダーの若者たちである。 

⇒  http://www.lemonde.fr/archives/article_interactif/2009/01/16/les-freedom-riders-parlent-pres-de-50-ans-apres_1142604_0.html

Posted by 大沼安史 at 10:36 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-01-19

〔コラム 机の上の空〕 オバマ読書家大統領

 ニューヨーク・タイムズの書評記者、ミチコ・カクタニさんが、「オバマ新大統領と読書」をテーマに解説記事を書いていた。

 電子版の見出しは「新大統領 本に声を見出す」。

 読んで改めて感心した。これほどの読書家だったとは……。

 ラルフ・エリソン、ラングストン・ヒューズ、トニ・モリソンら黒人作家はもちろん、シェイクスピア、ハーマン・メルヴィル(『白鯨』)、エマーソン、ドリス・レッシングにも目を通し、その一方で聖アウグスティヌス(『告白』)やラインホルト・ニーバーらの宗教書(キリスト教)も読み、他方、アフガン戦争とCIAの関係に迫ったスティーブ・コルのノンフィクション、『ゴースト・ウォー』などを読破する幅の広さだ。

 ブッシュの場合、ネオコンの著作など偏った読書だったそうだが(それでも2006年の1年間に96冊、読んだそうだ)、オバマの関心領域は広く、深く、教養の厚みのようなものを感じる。

 電子版の記事に添えられた写真は、オバマの遊説中のスナップで、ザッカリーヤの『ポスト・アメリカ世界』を手にしている。

 漫画しか読まない(その前々任者はDVDしか観ない)、どこかの国の教養のない宰相たちとは大違いだ。

 こうした読書の中から、オバマはアイデアを汲み取り、自身の著作や演説に生かしているわけだが、『白鯨』を読んでいるところが気になった。

 米国の作家、コラムニスト、ジェームズ・キャロル氏によれば、『白鯨』こそ、大統領を上回る実質権力を持つに至った、米国の軍産複合体(その中核としてのペンタゴンおよび軍事化した国務省)のメタファーであるからだ。

 オバマ新大統領は就任式の翌日、米軍のトップをホワイトハウスに呼んで、イラク撤退計画をまとめるよう指示するそうだが、果たして現代の「白鯨」を御することが出来るか、この点、やはり気がかりである。  
 
 就任式の前日、19日(1月の第3月曜日)は「マーチン・ルサー・キング師の日」。そしてその翌日、20日に就任するオバマ新大統領は「第44代」の合衆国大統領だ。
 「44」はキング師が暗殺された日付―「4月4日」と響きあう数字。

 この点も気がかりでならない。

 「小説と詩が大好き」で、学生時代、「とてもひどい詩」を書いていたという、「オバマ読書家大統領」の前途の無事を祈らずにはいられない。

 オバマ新大統領が、ホワイトハウスの一室で、夜、本を広げ、静かに思索に耽る時間こそ、世界が正気を取り戻すチャンスを生み出すものだろう。

 麻生首相よ、あなたもバーでとぐろを巻かずに、1日に1時間でもいいから、本を開いてみてはいかが……。
 せめてブッシュ並みに、1年に100冊程度は……。

 

⇒  http://www.nytimes.com/2009/01/19/books/19read.html?hp

Posted by 大沼安史 at 11:59 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-01-18

〔コラム 机の上の空〕 世界は「コトバ」を待っている! 真実の声? 虚飾の語? 「言葉」が問われる、オバマ大統領就任式 

 オバマ新大統領の就任式が20日、ワシントンで行われる。

 「イラク」「アフガン」「ガザ」……そして、忍び寄る「世界大恐慌」の危機。
 「戦争」、そして「金融危機」……。
 「双子の暴力」が荒れ狂い、それを育てた「ネオリベ&ネオコン」という双子の「政治暴力」に対して、世界の人びとが怒りの叫びを上げる最中、「オバマ新政権」が船出する。

 世界中に響き渡る「政治不信」と「変革」を求める大合唱に、オバマ氏は就任演説でどう応えるというのだろう。
 現代の荒地に、「言葉」はなお、有効であるか?!

             ###

 オバマ氏は「言葉」で大統領に選び出された。米国民と世界市民は、その「言葉」に希望をつないだ。
 史上初めて、「言葉」によって選ばれた、「言葉の大統領」、バラク・オバマ。

 就任式の「かげの主役」は「言葉」である。アメリカの大統領就任式としては、史上3度目、ケネディ、クリントンに続き、就任式で「詩」が読み上げられる。
 
 自作の詩を朗読するのは、黒人女性詩人、エリザベス・アレキサンダー。
 ロバート・フロスト(1961年、ケネディ)、マヤ・アンジェロウ(2007年、クリントン)に次いで、新しい政治の夜明けに、新作を捧げる。

 オバマ氏がシカゴ大学ロースクールで憲法を教えていたことから親交があるという彼女は、どんな詩でもって、オバマ新大統領を祝福するのだろう?

 ニューヨーク・タイムズ紙のD・ガーナー記者は彼女の詩を、「人種、歴史、愛、家族」にこだわる詩だと解説している。楕円のように広がる、角張った、感電する音楽的な詩だと。

 ガーナー記者はそれ例として、代表作、「解放」と「微笑み」を記事の中で紹介しているが、それはそれとして、筆者(大沼)が彼女のHPで読んで良かったのは、以下に掲げる「詩学 100番、「私は信じる」である。

   詩学 100番、「私は信じる」

   詩はね、と私は学生たちに言う
   固有のものよ。だから、詩 

   そこに、私たちはいるの
   (スターリング・ブラウン〔注 黒人詩人〕は
   「私」はだれでもドラマチックな「私」って言ったけど)
   浅瀬で貝を見つけるようなもの

   貝が蓋を開けるとね
   世間知の手帳は真っ白になる

   詩はね、あなたが見つけるもの
   隅っこの埃の中に

   バスに乗ってると聞こえてくる 神
   細部に宿り給ふ それでしかあり得ない

   ここからそこへ行くための
   詩(そう、私の声がいちばん高鳴る時)
     
   愛、愛、愛だけじゃなく 
   犬が死んで、私は悲しいの

   詩はね、(私の声が最も響いてくるのは)
   人間の声そのものよ

   ね、周りの仲間の声に、耳澄ましたくならない?

 拙い訳で申し訳ないが、素朴な真実と、他者とつながる言葉(詩)に対する信頼のようなものを感じる。
 「ここからそこへ」へ行くための「人間の声」としての言葉(詩)……。

 これこそ、エリザベス・アレキサンダーが就任式で読み上げる詩のモチーフになるものではないか?

             ###

 「言葉の大統領」であるオバマはその「演説」で名高いが、彼はゴーストライターなしで本を2冊書き上げた文章家でもある。
 自分で本を書いたことが、彼の演説に生きている。彼自身が本に綴った言葉、句、センテンスが、演説の中に息づいている。

 オバマの本を読んで、私が感心させられたのは、その詩的な表現力だ(たとえば、父親の故郷、ケニアを訪ねたときの風景描写。さらには、空に名月がかかっていると言って、母親に起され、一緒に見上げた子どもの頃の思い出、など)。

 詩人・オバマ……。

 そう、オバマは詩的な散文の書き手であり、詩的な演説の名手でもあるが、しかし、同時に、詩人でもある……少なくとも、「詩人であった」ことは確かだ。

 19歳、ロサンゼルスのオキシデンタル・カレッジ(その後、ニューヨークのコロンビア大学に転学)の学生時代に、大学の文芸雑誌に、詩を2篇、寄稿しているのだ。

 そのうちの「ポップ(POP=「父ちゃん」の意味)」という詩を読むことにしよう。

   ポップ
   
   長い、破れたソファに座って
   タバコの灰だらけの中で
   ポップはテレビのチャンネルを変える、もう一杯
   ウヰスキーを飲み干す 生で それで?
   そこのお若いの 俺に何しろというんだね
   世の中 なんとかなる そう
   俺にはフツーのこと
   僕はそんなポップの顔を見詰める その視線は
   ポップの目から逸れ
   僕にははっきりわかる 知らないんだこの人は自分の
   暗い、潤んだ瞳が
   別の方向を見ていることを
   あいにくなことに目が緩く引き攣り
   過ぎ去ろうとしない 
   それでも僕は耳を澄ます そして頷く
   聞くんだ 目を開けろ しがみつけるまで 色褪せた           
   ポップのベージュ色のTシャツに 叫びながら
   ポップの耳に 重い耳たぶに向って がポップは言い続ける
   答えの冗談を どうしてそんなに不幸せか、僕は聞いたんだ
   でも僕はもう気にしない なぜって
   ポップはずうっとそうして来たのだから 手探りし
   ソファの下から取り出した
   古い鏡 僕は笑い出す
   声を出して笑う 鏡の中のポップの顔の血が噴き出す
   僕に向って 小さくなってゆく鏡の中のポップ
   僕の脳の中の一画にある何かが
   搾り取られているような あの
   スイカの種のような
   二本の指の間の
   ポップはもう一杯、ウヰスキーを飲み干す 生で
   そして指差す 同じ琥珀色の
   半ズボンの上の染みを 僕のと同じ染み
   同じ臭いの息 吐き出したのは
   僕の口 ポップはチャンネルを変え、古い詩を語り出した
   母親が死ぬ前につくったという詩を
   立ち上がり 叫び 求める
   抱きしめてくれと 僕も子どものように小さくなって
   僕はようやくポップの首にしがみつく
   太い 油のような首 広い背中へ そう
   今僕は鏡の中に僕を見ているから メガネの枠に
   ポップの黒縁のメガネの枠の
   その僕が今、笑っている

 
 自分と母親を捨てた「父」を抱きしめようとしながら、己のアイデンティティーの所在に苦しむ、若き日のオバマを偲ばせる詩。

 黒人の父親と白人の母親の間に、「現代アメリカ」に生まれ落ちたバラク・オバマの、人間としての成長の起点を思わせる詩ではある。
 

             ###

 バラク・オバマという人は、「不在の父」を抱き取り、こうして自ら「アメリカ人」になった男だ。破れた古いソファに座り、「自分とは何者なのか」という問いを、血を吐く思いで問い続け、遂にひとりの「アメリカ人」になった男だ。

 アメリカの「国のかたち」を」決めた「憲法」を学び、シカゴの貧民街の草の根で「アメリカ」の実相を知った彼が今、大統領の椅子に就こうとしている。

 その彼が、「ここからそこへ行く」ための「人間の声」を歌った女性詩人に、就任式での詩の朗読を依頼したのは、当然の成り行きだろう。

 20日の就任式でバラク・オバマは、エリザベス・アレキサンダーの詩人の魂に共鳴し、どんな演説をすることか?

 「現代世界」の「荒地の首都」というべきワシントンで、バラク・オバマは何を語るのか?

 「言葉の大統領」、バラク・オバマの詩的演説は、「戦争」と「金融危機」という「双子の暴力」が切り裂いた世界に、どのような希望を与えようというのか?

 20日の日に彼が語る言葉は、うわべだけの虚飾の語であってはならない。その場しのぎの癒しの言葉であってはならない。

 真相と響き合う真実の声でなければならない。  
 
 バラク・オバマはしかし、就任演説で真相を語り、真実を述べるはずだ。そして、希望を語ることだろう。

 惨憺たる悲惨の底から語られるであろう、バラク・オバマの演説は、彼が「言葉の大統領」である以上、歴史的な演説にならざるを得ない。   

 アメリカの人びととともに「言葉」によって勝ち抜いた彼が、新大統領として、政治屋の世間知の手帳にはない「言葉」でもって、どう「政治」を作り変えてゆくか?……その見取り図を指し示す「言葉」が、間もなく語られる……。

      
   Ars Poetica #100: I Believe

   Poetry, I tell my students,
   is idiosyncratic. Poetry

   is where we are ourselves,
   (though Sterling Brown said

   “Every ‘I’ is a dramatic ‘I’”)
   digging in the clam flats

   for the shell that snaps,
   emptying the proverbial pocketbook.

   Poetry is what you find
   in the dirt in the corner,

   overhear on the bus, God
   in the details, the only way

   to get from here to there.
   Poetry (and now my voice is rising)

   is not all love, love, love,
   and I’m sorry the dog died.

   Poetry (here I hear myself loudest)
   is the human voice,

   and are we not of interest to each other?

      POP

      Sitting in his seat, a seat broad and broken

      In, sprinkled with ashes,

      Pop switches channels, takes another

      Shot of Seagrams, neat, and asks

      What to do with me, a green young man

      Who fails to consider the

      Flim and flam of the world, since

      Things have been easy for me;

      I stare hard at his face, a stare

      That deflects off his brow;

      I'm sure he's unaware of his

      Dark, watery eyes, that

      Glance in different directions,

      And his slow, unwelcome twitches,

      Fail to pass.

      I listen, nod,

      Listen, open, till I cling to his pale,

      Beige T-shirt, yelling,

      Yelling in his ears, that hang

      With heavy lobes, but he's still telling

      His joke, so I ask why

      He's so unhappy, to which he replies...

      But I don't care anymore, cause

      He took too damn long, and from

      Under my seat, I pull out the

      Mirror I've been saving; I'm laughing,

      Laughing loud, the blood rushing from his face

      To mine, as he grows small,

      A spot in my brain, something

      That may be squeezed out, like a

      Watermelon seed between

      Two fingers.

      Pop takes another shot, neat,

   Points out the same amber

   Stain on his shorts that I've got on mine, and

   Makes me smell his smell, coming

   From me; he switches channels, recites an old poem

   He wrote before his mother died,

   Stands, shouts, and asks

   For a hug, as I shink*, my

   Arms barely reaching around

   His thick, oily neck, and his broad back; 'cause   

   I see my face, framed within

   Pop's black-framed glasses

   And know he's laughing too.

  (注)shink*は、原文のまま。 shrinkの誤りか?(大沼)

⇒   http://www.nytimes.com/2008/12/25/books/25poet.html?_r=1

   http://www.elizabethalexander.net/home.html

      http://www.huffingtonpost.com/steven-barrieanthony/obamas-poetry_b_44271.html

Posted by 大沼安史 at 02:14 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-12-26

〔コラム 机の上の空〕 許すまじ、ブッシュと一派の犯罪

 英紙ガーディアンのコラムニスト、ジョナサン・フリーランド氏が24日のイブの紙面(電子版)に、手厳しい論説を掲げていた。

 「クリスマスの赦しにも限りがある。ブッシュとその一派には責任をとってもらわなければならない」――こんな見出しのついた論説だった。

 当たり前である。フリーランド氏の言う通りだ。

 この8年間というもの、ブッシュのおかげで世界は地獄に突き落とされた。

 イラク戦争を見よ。

 イラクに対する奇襲攻撃は、日本軍の真珠湾攻撃の比ではなかった。軍事施設以外も破壊したのだから。 
 日本海軍の奇襲部隊は真珠湾の米艦と基地は襲ったが、ホノルルを爆撃しなかった。

 「リメンバー・バグダッド」
 靴を投げられて当然である。

 英紙インデペンデントのパトリック・コバーン記者(バクダッド特派員)によれば、ブッシュのバグダッドでの「お別れ会見」は、いつもの「やらせ」で、召集された記者たちは渋々、お付き合いで出ていたという。

 テレビ・カメラの向こう側にいる、アメリカその他の視聴者にアピールするためだけの「余裕の会見」。

 ブッシュのポチ、マケインが選挙キャペーンでバクダッド入りしたときなど、付き添いの米大使館員に防弾チョッキを外させたという。「安全なイラク」を演出するためだった。

 この8年、ブッシュとその一派のいいように使われて来た欧米のマスコミ。

 ブッシュは、「サダム・フセインの大量破壊兵器」が見つからなかったことを最大の反省点だと抜け抜けと言い、逃げ切りを図ろうとしているが、一緒になって提灯記事を書きまくって来たマスコミの責任も大きい。
 
 そのマスコミとして、ブッシュの8年間のしたい放題を赦して来た責任をどうとるか?

 そう、それがフリーランド氏の呼びかける、ブッシュとその一派に対する徹底した責任追及である。

 英紙ガーディアンはインディペンデント紙と並び、英語のメディアとしては、この8年間、ブッシュ批判を続けて来た、数少ない言論機関である。
 ニューヨーク・タイムズなど米国の主流メディアが腰砕けになる中で、孤軍奮闘の闘いを続けてきた新聞だ。

 フリーランド氏は「新年」で「線引き」して「過去」を水に流してはならないと訴えている。
 賛成である。

 「国際貢献」にうつつを抜かした日本のマスコミも、この「8年間」を総点検し、アメリカの戦争犯罪の追及を始めるべきである。 
 
 ブッシュ一派の責任を追及する……それがブッシュの8年間を赦して来た日本のマスコミの責任でもある。

⇒  http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/dec/24/george-bush-guantanamo-bay-us-government

△△△ 本の森 出版NEWS  △△△ 

☆ わかる「裁判員制度」 ~その概要と実際~
  氏家 和男著
  定価1890円(本体1800円+税)
  http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/4097.html

  前・日弁連副連会長の著者が、さまざまな疑問や質問を想定して、150問以上にわたって丁寧に解説。裁判員裁判の事例や最新の法令・政令も収録。一般市民ばかりでなく、企業の担当者や自営業者も使える内容。

☆ 緑の日の丸
  大沼 安史著
  定価1680円(本体1600円+税)
  http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/891.html

  「大分教育汚職事件」を「予言」! 君が代、日の丸問題、不登校、いじめなど、教育界が抱える様々な問題をテーマに、制度疲労で壊れかかった日本に再び「緑」をよみがえらせるには何が必要か。明日を担う若い命を育てるには何をすれば良いかを、小説形式で提言。

杜の都・仙台の「本の森」は、郷土史家、教師、元新聞記者が地域の文化運動として立ち上げた市民出版社です。本にしたい原稿募集!
⇒  http://homepage2.nifty.com/forest-g/index.html

Posted by 大沼安史 at 11:44 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-12-24

〔コラム 机の上の空〕 帰りなん、星空の下へ 

 高校生の時だったと思う。梶井基次郎の『闇の絵巻』という短編を読んだのは。
 何が書かれていたかは、忘れてしまった。
 が、その絢爛たる読後感だけは今も残っている。

 おかげですっかり梶井基次郎の虜になってしまったわたしは、受験勉強そっちのけで、一巻ものの「梶井基次郎集」を読み耽ったものだ。

 そう、『Kの昇天』という短編も、凄かったなあ。たしかあれも、「夜空」へと続く海岸の闇が舞台だった……

             ☆

 横浜に住んで東京に通う毎日を続けて10年近く。

 首都圏の生活は「闇」も「夜空」も「1日」の中から消し去り、照明の輝きにまかせて「真昼」を翌朝まで引き伸ばしてゆく。

 そういえば、この10年というもの、星など見上げたこともなかった。ときたま、大きな満月に驚くくらい。

            ☆

 若い頃、北海道の根釧原野の真っ只中で「夜空」を見上げたことがある。梶井基次郎の小説と同じくらいスリリングで、圧倒的な星空だった。
 「宇宙」が、そこにあった。怖いくらいの星たちのきらめき……。

 夜の原野は見渡す限り、暗い沈黙に包まれ、牧場の灯りも、車のライトの探照灯のような光の放射も見えない。

 道端に車を止めて、夜空として広がる宇宙の絵巻を陶然と見上げたものだ。
 40年近く前、20代の初め、新聞記者になりたてのころである。

             ☆

 「梶井基次郎」の小説を思い出し、真っ暗な根釧原野の夜を思い起したのはほかでもない。

 新年、2009年は、国連が決めた「世界天文年」。

 新春の2月に満60歳の年男になるものだから、人並みに越し方を振り返る中、自然と湧き上がって来た「夜」や「闇」の記憶に心を委ねただけだ。

             ☆

 
 「世界天文年(インターナショナル・イヤー・オブ・アストロノミー)」の西暦2009年は、ガリレオが望遠鏡で宇宙の深部をのぞいてから、「400周年」なのだそうだ。

 国連総会での決議を受け、パリに本部を置く国連の文化機関、「ユネスコ」はインターネット・サイト(下記リンク参照)を立ち上げた。「ガリレオの望遠鏡」の写真など「世界天文年」にふさわしい史(資)料を掲載する一方、年明けを前に世界各地のさまざま取り組みを紹介している。

 当面のスケジュールとしては、新年、1月10日、「天文学のメッカ」といわれるカナダのトロントで、「世界天文年」のキックオフ行事が行われ、それを合図に世界各地で記念のイベント等が行われる。

 スペインでは「世界天文年」を同国として公式のものとするため、特別法を定めて取り組むそうだ。
 
 ウクライナでは、天文学者たちが「インターネット望遠鏡」なるサイトを立ち上げ、世界の人びとにウェブを通じて宇宙の神秘を目の当たりにしてもらう。

 英国では学校に望遠鏡を貸し出し、子どもたちに宇宙への夢を広げてもらう計画だ。

 オーストラリアでは「記念硬貨」を発行するという。

 米国のNASAや日本のJAXAをはじめ、世界各国の宇宙機関の科学者らによる記念のブログ、「宇宙礎石ダイアリー」は元日から始まるそうだ。

             ☆

 英国の新聞、「ガーディアン」に、「世界天文年」にちなんだ、面白い記事が載っていた。

 スコットランド南部のギャロウェー森林公園に、ヨーロッパ初の「暗い夜空パーク(dark sky park)」が開設される、という。

 「暗い夜空(ダーク・スカイ)」とは、人工の光で汚染されない、純然たる夜空、裸の天空のことである。

 英国北部、スコットランドに、わたしが根釧原野の農道上で、ただ一度、偶然見上げた、梶井基次郎にでも言葉でスケッチしてもらいたくなるような、「宇宙の劇場」が「常設」される!

 なんと贅沢なことか。

 宮沢賢治が現代に生きていたなら、早速、「銀河鉄道」に乗って、スコットランドまで見物に出かけることだろう。

             ☆

 この「暗い夜空(ダーク・スカイ)パーク」、実はスコットランドに限らず、全世界的で開設運動が静かに広がっているという。

 音頭をとっているのは、米国のユタ州に本拠を置く「国際ダーク・スカイ協会(IDA)」。

 全世界の都市部に住み、本当の夜空を失った33億人の人びとに、偽りの光に穢されない、宇宙光りの夜を見上げてもらう運動を続けている。

 都市部の照明を一斉に消したり、街路灯の光を下向き照明に変えるなどの啓蒙活動に従事する国際組織である。

 夜空の「光汚染」は、渡り鳥たちにとっても良くないことだと、IDAのサイトに出ていた。
 「暗い夜空(ダーク・スカイ)」の回復は、環境破壊を食い止めることにもつながるわけだ。

             ☆ 

 「世界天文年」の来年、日本でどんな行事、プログラムが行われるか、東京の「国連広報センター」サイトの「お知らせ」には何も書かれていなかった。

 ガリレオの「ガ」の字もない、そっけないアナウンスが載っているだけである。

 日本の塾帰りの子どもたちは夜、ケータイの画面を見ながら、家路につき、日本の大人たちはホームレスになることを恐れながら、生活防衛に必死だから、星空を眺めるどころではないのだろう。

 わたしもまた、そういう一人だから、その気持ちは当然、理解できる。
 理解はできるが、その一方で、いや、だからこそ、星空を見上げたい、という気持ちも離れない。

             ☆

 そういえば思い出した。

 子どもの頃、大失敗したり、大失恋したら、星空を見上げろと、担任の先生か誰かに諭されたことを。

 今風に言えば、宇宙の彼方から届く星の光は、人間の苦しさを極小化してくれる「癒しの光」である、と。

 また、もうひとつ、思い出した。

 中学校で習った『冬の星座』って、あれっていい歌だったなあ~ 

             ☆

 還暦を機に、来春、わたしは郷里の仙台に帰る。

 帰りなん、いざ。七夕のふるさとへ。

 人生は風、人生は夢――

 できれば、なるべく人工の光のない、郊外の一軒家にでも住み、星への旅に備えたいものである。

⇒ http://www.astronomy2009.org/

   http://www.darksky.org/mc/page.do?sitePageId=55060&orgId=idsa

  http://www.guardian.co.uk/science/2008/dec/23/astronomy-galloway-dark-sky-park

Posted by 大沼安史 at 07:32 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-12-16

〔コラム 机の上の空〕 「靴」とともに「ブッシュ」に投げつけられたもの

 バグダッドの会見場で、イラク人記者がジョージ・ブッシュ目がけ、「靴」を投げた。
 「靴」を投げつける……イラクの人びとにとってそれは、相手を最も辱める行為だという。

 「別れのキスだ、さあ、受け取れ」と言って、履いていた靴を投げたのは、Muntadar al-Zaidi氏。カイロのベースを置くal-Baghdadiaテレビネットワークの記者だそうだ(ワシントン・ポスト紙)。

 このザイディ記者、同僚の話では昨年、シーア派武装組織に誘拐されたこともあるジャーナリスト。命がけの報道に従事して来た人らしい、肝の据わったプロテストだった。

 ザイディ記者は二つ目の靴を投げたところで拘束されたが、最後まで「この犬めが、この犬めが」と叫び続けたそうだ。

 「靴投げ」に込められた怒りの意味を、ブッシュは「10サイズの靴」に矮小化して片付けようとした。

 「10サイズ」のザイディ氏の「靴」に、イラク人の呪いが――100万人近い死者たちの恨みがこもっていることを無視した、「余裕のジョーク」だった。

 「冗談」で済むことではない。その「10サイズ」には、4000人を超す、戦死した米兵の無念も、込められているのだから。

 イラクの人びとにとって、「靴」を投げつける行為は「最大の侮蔑」を浴びせかけるものだが、アメリカ人にとってもそれは、戦死者の思いをぶつけるシンボリズムである。

 「靴」――「軍靴」。地上に遺された一足の靴は、戦死した米兵がこの世に遺した、戦争の無残を告発する刻印である。

 その靴を履いて、命の最後の瞬間まで、その戦死者は生きていたのだ。イラクにさえ送り込まれなければ、その先の未来を歩き続けるはずのものだった。

 もう、主とともに大地を踏みしめることのない「靴」は、だからこそ、アメリカでの反戦プロテストのシンボルになって来た。死体になって帰って来た者の「靴」を並べるのは、戦争に動員され、死んだ者たちの怒りや悲しみを、それが何より、代弁するものであるからだ。

 ザイディ氏は多分、そのことを知っていて、ブッシュに向って「靴」を投げたのではないか。

 ザイディ氏の記者会見の場でのプロテストを知って、11月の下旬、イラクで戦死した、ある米兵のことを思い出した。「靴」という言葉が、その米兵の死を伝える記事を読んだことを、思い出させてくれた。

 バージニア州出身の陸軍一等曹長、アンソニー・デイヴィス氏(43歳)が、イラクのビアジに撃たれて死んだのは、11月25日のこと。食糧や救援物資を届ける任務の途中、イラク治安部隊の服装をした男に射殺された。

 デイヴィス氏は、お嬢さんのダイアナさん(高校生。女子サッカーの選手)とともに父子で、イラクの子どもたちにサッカーのボールを贈るプロジェクトを続けていた人だそうだ。

 そういう人が銃弾を浴び、死ななければならない不条理。

 「靴」を投げつけられたブッシュが、「10サイズ」だったと軽口を叩き、そそくさとバグダッドを後にし、アフガンでの戦争見物を済ませたあと、数日後にはアメリカに戻って、ジョギングに爽快な汗を流すであろう不条理。

 ザイディ氏の投げた一足の靴には、イラクの人びとの恨みと、デイヴィス氏をはじめとする戦死した米兵らの無念がこもっていたように思う。

 それは、ビデオに記録された、あの「靴投げ」の真っ直ぐな軌跡を見れば分かることだ。一の矢、そして二の矢。

 三の矢、四の矢は、きっとアメリカ人たちが始めることだろう。
 ブッシュのホワイトハイスに向って、テキサスにあるブッシュの牧場に向って、今度は「生卵」ではなく「靴」が投げこまれるに違いない、 
 

⇒ http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/12/14/AR2008121401170.html?nav=rss_email%2Fcomponents

   http://www.insidenova.com/isn/news/local/article/soldier_killed_in_iraq_during_humanitarian_mission/25394/

Posted by 大沼安史 at 01:21 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (2)

2008-10-18

〔コラム 机の上の空〕 「ジョー」をめぐる闘い 米大統領選は「ふつうのアメリカ人」の勝利のタップダンス

 アメリカの大統領選に、もう一人の「主役」が躍り出た。
 その名も「ジョー」。
 もう一人の「主役」?……陰の「主役」?――いや、大統領選のほんとうの「主役」と言った方がたぶん、より正確だ。
 次の大統領を決めるのは、結局、「ジョー」のような、無数の無名の、ふつうのアメリカ人たち、なのだから。

 それは「ユーチューブ」のビデオ映像で始まった。
 大統領選最後のディベートを前にした先週の末、オバマ候補がオハイオ州のトレドに入った。遊説先の公園(のようなところ)で、オバマ候補の前に、体格のいい、白人の男が現れた。

 ジョー・ウルツバッカー氏。
 配管(プラマー)の仕事をしているという彼は、オバマにこう尋ねた。「会社を買おうと思っているんだ。年収、25万ドルから28万ドル、稼げる。(25万ドル以上に増税する)あんたの課税プランだと、もっと税金、払わなくちゃならないってことだな?!」

 そんなジョーのストレートな突っ込みに、オバマ候補は丁寧に答えた。

 「配管の仕事して何年になるの?」

 「15年だ」

 「だったら、こう考えられないか? あなたが仕事を始めたころ、年収はそれほどじゃ、なかったろう。私の課税プランは、そういう人たちの税負担を減らすことだ。もし、その時、私のプランが実現したなら、あなたはもっと早く、会社を買えるようになったろう?」
 「私のプランではアメリカ人のほとんどが助かる。そうなれば、あなたのビジネスにとってもいことじゃないか」
 「いい質問をありがとう」

 このビデオ映像が「ユーチューブ」で流れると、早速、マケイン陣営が飛びついた。
 汗水垂らして夢を実現しようとするアメリカ人に、増税で冷や水を浴びせるオバマ……そんな揚げ足取りのキャンペーンを始めたのだ。

 15日、ニューヨーク・ロングアイランドの大学で行われた、大統領選3回目、最後のオバマ・マケイン・ディベート。
 負け戦を挽回しようと、マケイン候補が「ジョー、リッチになれておめでとう!」と、テレビ・カメラを通じて、会ったこともないオハイオの配管工に呼びかけ、「アメリカン・ドリーム」に水を差す(?)オバマの選挙公約に対する攻撃を始めた。

 ディベートは「ジョー」をめぐる論戦になり、両候補の口から、会わせて「20回以上も」、「ジョー」の名前が飛び出た。

 両候補に代わり、「ジョー」が主役になったのだ。

 マケイン陣営としては、「ユーチューブ」のビデオを観て、「これは行ける」と思ったのだろう。「ジョー」をヒーローの座に祭り上げ、「夢の足を引っ張るオバマ」、「ヒーローの夢を助けるマケイン」の構図を有権者の頭に叩き込もうとした。

 FOXテレビのような右派メディアもささり込み、「リッチになったジョー」から「オバマの政策は社会主義」「アメリカン・ドリームじゅない」といった「言質」を引き出して、最後の巻き返しプロパガンダ戦に臨もうとした。

 が、そんな右派の思惑に、逆風の吹き戻しが……。
 一躍、時の人になった「ジョー」に取材が殺到、「リッチなジョー」の「素顔」が明らかになったのだ。

 34歳。シングルファザー。宿題をみてあげる息子(13歳)が一人。
 
 配管の仕事をしているらしいが、ライセンスを持っておらず、勤めている配管会社(たぶん、ジョーはこの会社を買いたいらしい)も、社長とジョーだけの超零細企業。とても年に25万ドル以上も稼ぎ出す会社ではない、ということが明るみ出た。
 おまけに、いろんな借金もあるということも……。

 「ジョー」はつまり、「リッチになった自分を夢見る」、ふつうのサブプライム(貧乏)な、平均的なアメリカ人だった。オバマ候補の減税プランの恩恵を被るアメリカ人「98%」の一人だった。

 マケインから「リッチになって、おめでとう」とテレビを通じて呼びかけられ、ジョーは何と思ったか……。

 「ユーチューブ」でオバマと意見を交わす「ジョー」には、初の黒人大統領に対し、対等に議論する、白人としてのプライドのようなものがにじみ出ていた。

 「ジョー」にはたぶん、ああいった聞き方(言い方)しか(おれはリッチになるんだ。苦労してリッチになるのに、増税とは何だ?)できなかったのだろう。

 その強がりを、夢に生きる苦しさを、恐らく(シカゴの貧民区、サウスサイドでコミュニティー活動をしていた)オバマは直感的に理解していたのだ。だから、オバマは「ジョー」に対して、「尊敬している」を連発し、「ジョー」の右肩に二度も手を置いた……。

 金権マケインには、そうした理解力も、思いやりも、なかったのである。

 ただただ、利用しようとしただけ。
 「ジョー、リッチになれておめでとう!」と、二度も繰り返した、超リッチなマケイン。

 さて、その「主役」の「ジョー」氏だが、投票で、オバマ、マケインのどちらに投票するか、まだ決めてはいないようだ。(共和党の予備選には参加している……)

 最後に「ジョー」氏のオバマ候補の「印象」を紹介しよう。
 「ジョー」氏はテレビの女性キャスターのインタビューにこう答えている。
 「(オバマに質問して)今もタップダンスしてるような気分だ」と。
 
 タップダンス??
 何それ??

 そんな疑問に答え、「ジョー」はこう付け加えた。
 「あいつ(オバマ)は(タップダンスも得意な黒人俳優の)サミー・ディビス・ジュニアぐらい、いい奴だったぜ」

 「ジョー」はほんとはオバマが好きなのだ。
 
 間もなく、大統領選の投票日。
 無数のジョーがオバマに一票を投じ、勝利のタップダンスを踊ることだろう。

 大統領選最後のディベートで「ジョー」が「主役」になったのには、選挙プロパガンダの思惑を超えた、重く確かな、必然的な意味がある。   
   

⇒ http://jp.youtube.com/watch?v=BRPbCSSXyp0

  http://www.nytimes.com/2008/10/16/us/politics/16plumber.html?scp=7&sq=Joe%20Plumber%20&st=cse

  http://www.nytimes.com/2008/10/16/us/politics/16plumber.html?_r=1&scp=7&sq=Joe%20Plumber%20&st=cse&oref=slogin

  http://www.nytimes.com/2008/10/17/us/politics/17joe.html?scp=2&sq=Joe%20Plumber%20&st=cse

Posted by 大沼安史 at 01:31 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-09-30

〔コラム 机の上の空〕 くたばれ、金融ドラゴン 

 ウォールストリートを救済する「7000億ドル国民負担」法案が米下院で否決されたが、その背景には共和党議員の「市場原理主義」的な批判とは別に、アメリカの民衆の特権層に対する怒りのマグマがある。

 ウォールストリート・ジャーナル紙によれば、孤高の最左派上院議員、バーニー・サンダース氏(バーモント州選出)の、「最富裕層に今後5年間、10%の付加税を課す」提案に対し、2日間だけで2万3千人から賛成署名が集まったそうだ。

 ブッシュ家も、カーライル・グループも、石油資本も、これまでたっぷり儲けたネオリベ=ネオコン・軍産金複合ドラゴンどもには、貯め込んだものを吐き出し、きっちり落とし前をつけてもらいたい。

 エコノミストのスティーグリッツ・米コロンビア大学教授が英ガーディアン紙に書いていたが、クズ債券の山を買い上げて、いくらウォールストリートに「輸血」しても、大量の「内出血」が今後も続く限り、米経済全体の抜本的な治癒は不可能である。

 住宅価格の下落に見合った、返済額の下方修正、50%の利子補給など、庶民レベルでの対策をとらなければ体力回復は覚束ない。

 その意味でゴールドマン・サックス出身のポールソンのような金融ドラゴンどもの、火事場ドロ、焼け太りを狙った救済法案が葬りさられたのは、よいことである。

 ブッシュ政権はスティーグリッツ教授の言うように、救済法案を部分修正して議会に再提案するはずだが、アメリカは大統領選に向けた政治の季節、世論の行方を無視した強硬突破をしにくい状況にある。

 今後とも、「金融システムが破綻する」とか「恐慌になる」という「恫喝」が繰り返されるはずだが、ギリギリのところまでひっぱり、庶民救済策を出させるべきだ。

 イラクからの米軍即時撤退要求を突きつけることも、当然あってしかるべきだ。「イラク戦争」など、やっている時ではない。

 英紙オブザーバー(ガーディアン日曜版)に、ウォールストリートのウォール(壁)が崩壊し、ついに「アメリカの時代」は終わったとの論説が出ていたが、たぶん、その通りである。

 金融ドラゴンどもの断末魔の悲鳴とともに、「アメリカ帝国」の限界が遂に露呈した。
 
   

⇒  http://online.wsj.com/article/SB122273395169288417.html

  http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/sep/30/marketturmoil.wallstreet

  http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/sep/28/usforeignpolicy.useconomicgrowth

Posted by 大沼安史 at 09:27 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-06-15

〔コラム 机の上の空〕 凶器か、それとも磁石か

 日曜日、休日。
 自分を解き放つ日。

 朝、短パンで家を出て、ゆっくり駆け出した。川沿いの遊歩道に出て、ジョギングする。

 50分ほどで、鶴見川の合流点に到達。こんどは鶴見川の上流へ向け、歩き始める。

 いつも辿る左岸の遊歩道ではなく、今日は右岸の道。

 左岸はサンクリングロードで整備されているが、右岸の道は未舗装の部分が多い。

 右岸を歩いてよかった。水溜りがあったし、途中、子連れの若いお母さんと話もできたから。

 午後、家に戻って、ラジオ用の原稿(モーガン・フリーマンのこと)を書き、昼寝をして、7時前、町田に出かけた。

 馴染みの店で、泡盛をロックでいただく。甘みと香りがあって旨い。

 ほろ酔いで家に戻り、映画「ショーシャンクの空に」のビデオをまた観る。
 モーガン・フリーマンに、会いたくて、また観た。

 「発見」がひとつ。
 何度も見ているのに、これまで気付かなかったことがひとつ。

 刑務所を仮釈放されたRED(モーガン・フリーマン)が、罪を再び犯して刑務所に戻ろうか、と迷い、質屋のショーウインドーを覗くシーン。

 そこで、決定的に大事なことが、さりげなく提示されていた。

 ショーウインドーには、「拳銃」と並んで、「コンパス(磁石)」があったのだ。

 拳銃を持てば、「ムショ」の中に戻れる。が、REDは磁石を買って、脱獄した友、アンディーとの約束の地に向かう。

 REDは「樫の木の下、黒曜石の下でお前を待っているものがある」というアンディーの言葉を思い出したのだ。

 そして、REDが、黒曜石の下を堀リ返すシーン。 

 石の下から出て来たのは、メキシコで待つというアンディーのメッセージと、50ドル札の束。

 REDは、「懸命に生きる」か、「懸命に死ぬか」の2者選択のうち、生きる側を選び、アンディーが待つメキシコ行きのバスに乗る。

 この「質屋」から「樫の木」のシーンを繰り返し見たのは他でもない。AKIBAで惨劇を演じた加藤智大容疑者のことが哀れでならないからだ。

 福井のミリタリーショップには、ナイフのそばに磁石もあったはず。

 どうして君は、磁石ではなくナイフを選んだんだ、どうして磁石を手に出来なかったか、と思ったからだ。

 磁石があれば、君も歩いていけただろう。
 磁石を手に、磁石を見る余裕が君にあれば、君はAKIBAに向かわないで済んだのではないか?

 鶴見川右岸の道は、市ヶ尾で「東名」の高架下をくぐり抜ける。

 トンネルのような通路を通り抜けたとき、轟々たる通過音に包まれた。が、遮蔽に遮られ、車の姿は見えない。

 加藤容疑者は、前の日曜日の朝、この高架の上を、トラックで通過して行った……。

 「ナビ」でAKIBAに。
 お前はどうして、ナイフを買ってしまったんだ? どうして磁石を買わなかったんだ?

 磁石さえ買えば、どこからでも、「自分の一歩」を歩み出せたろうに……。   

 加藤智大容疑者よ、こうなった以上、今、君がしなくてはならないことは、なぜ惨劇を起してしまったか、身を切る思いで原因を探り出すことだ。

 あの永山則夫氏も、必死になって書いたではないか。

 加藤智大氏よ、こんどは君が君の「無知の涙」を、君の「木橋」を、書く番である。

 なぜ、犯行に至ったか、君はコトの真実を書き残さなければならない。

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Posted by 大沼安史 at 11:42 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕 人種の壁超え卒業パーティー 米ミシシッピー州 黒人俳優 モーガン・フリーマンが一役

 黒人俳優、モーガン・フリーマン(71歳)。ご存知だろうか?
 映画「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー賞(助演男優賞)を受賞した俳優(というより「役者」といった方がいような……)である。

 わたしも彼の大ファンで、映画「ショーシャンクの空」のRED役を見て、それ以来、注目している。

 生まれはテネシーだそうだが、育ちはミシシッピー。少年時代を人種差別がことのほか激しい、アメリカの深南部(ディープ・サウス)で過ごした。(その後、インディアナのゲイリーを経てシカゴに行く)

 映画俳優で成功を収めた今、住んでいるのは、少年時代の思い出がいっぱい詰まったミシシッピーのチャールストン。人口2000人の小さな田舎町だ。

 役者の枠を超えた人で、事業家でもある。映画の制作会社をつくったりもしているが、面白いのは、レストランを地元のミシシッピーで開いていることだ。「マディディ」という店で、クラークスデールという町にある。

 南部の豊かな食文化を伝えたい……老俳優はアメリカの新聞のインタビューに応え、こう語っていた。もう、3年か4年も前のことだが……。

 そんな記事(たしか、ニューヨーク・タイムズだったか……)に目を通したのも、この黒人俳優のことが気になっていたからである。

 そして一昨日(金曜日)――英紙インディペンデント(電子版)を閲覧していて、ファンとしてはたまらない、嬉しい記事が出ていた。

 モーガン・フリーマンが一役買って出て、地元チャールストンの公立高校で、初の人種統合プロム(卒業ダンスパーティー)が開かれたというのだ。

 去年まで、白人と黒人、それぞれ別個にプロムを開いていたというのだから、アメリカ南部の人種差別の根深さは相当なものだが、そんな悪しき伝統を止めさせたモーガン・フリーマンの心意気や、よし、である。

 家族とともに、チャールストンの親戚を頼ってテネシーから移って来たモーガン・フリーマンは近くのグリーンウッドというところで育った。その町には映画館が一軒、あったが、黒人(の子)は2階の桟敷席、白人(の子)はフロアの椅子席という具合に見る場所が区別されていた。

 モーガン少年が12歳のとき……ということは、1955年の年に、グリーンウッドに近いマネーという町で、シカゴから帰省した14歳の黒人少年が、白人の店主に生意気な口を利いた、といったささいな理由でリンチに遭い、川に投棄される事件が起きている。

 そういう土地柄だからこそ、1970年以来、人種統合後もなお、チャールストン高校では、人種別プロムという悪しき伝統が続いていたのである。「うちの娘を、ニガーに触れさせるものか」といった風な。

 今回、モーガン・フリーマンが「人種統合プロム」の開催を働きかけたのは、友人のカナダ人映画プロデユーサーとの会話がきっかけだったそうだ。

 モーガン・フリーマンの地元の高校で、いまだに人種別プロムが続いていることを知ったカナダ人プロデューサーが、老友に電話をかけて聞いたのだ。

 「オレ、若い頃、そう、今は昔の1960年代に、カナダからミシシッピーに入って公民権運動の応援したことあるけど、あんたのところの高校のプロムがまだ人種隔離されてるってホントか?」
 「ああ、ホントだ」
 「いいのか、それで」
 「いや。だから、今から10年前、地元の教育委員会に、オレ、プロムの金、出してもいいから、人種統合でやってくれって頼んだんだ。でも、聞いてもらえなかった」
 「でも、その提案、まだ生きているんだろう? 金、出す気、あるよな」
 「ああ」
 「だったら、もう一度、働きかけてみないか。実現したらオレ、ドキュメンタリーの映画を撮りたいしさ」
 「わかった。じゃあ、一緒に働きかけてみよう」

 ――というわけで、地元教育委員会との再交渉の結果、ついに人種統合プロム実現という事態に相成ったわけである。 

 で、プロムの日、実際、どんな風、だったかというと、主役の卒業生たちは肌の色など気にせず、音楽に合わせ、一緒にダンスを楽しんでいたが、親の方はついて行けず、世代のギャップが目立ったそうだ。

 この人種統合プロムとは別に、小規模ながら「白人オンリー・プロム」を強行する親たちもいて、差別意識の根深さを見せつけもしたが、深南部のミシシッピーで「人種統合プロム」が開催されたことは、大きな一歩。
 ディープ・サウスにも、新しい時代の風が吹き出したらしい。

 変わるアメリカの草の根。
 老優モーガン・フリーマンもまた、あの「オバマ」支持者であることは、言うまでもない。
 
 
⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/americas/charlestons-first-integrated-prom-846261.html

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Posted by 大沼安史 at 03:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-05-11

〔コラム 机の上の空〕  ツバメが飛ぶ「母の日」

 昼過ぎ、雨が上がったので、散歩に出た。川沿いの道を歩き出すと、糸のように繊細な雨が降り出した。

 川面をツバメが飛んでいる。
  到着間もないツバメたち。夏場を過ごす「別荘」を確保して、よほど嬉しいのだろう。斜めに降り続ける春雨の中、曲芸飛行を演じている。

               ◇

 ツバメを見て、思い出した。
 新聞記者をしていたころ、中学校の軒下に巣作りしたツバメの一家を取材したときのことを。
 カメラマンのNさんを肩車したときのずっしりした重みを、肩と腰の感覚で覚えている。
 Nさんの撮った写真は、巣の中の子ツバメたちを守ろうと、翼を広げて威嚇するお母さんツバメの姿だった。

               ◇

 Nさんは優しい人だった。苦しみの中で記者活動をしていた当時のわたしを気遣い、励ましてくれたNさんだった。

 取材ヘリの事故で死んだNさんの葬儀に出て、優しさのわけ(少なくともそのひとつ)を知った。Nさんもまた別の意味で、苦しい日々を過ごしていた。

 遺された母子の姿が痛々しかった。

               ◇

 橋にかかったところで、雨脚が強くなった。まるで北斎の構図で、中学生くらいの男子3人組が自転車を連ね、勢いよく橋を渡って、坂を登って行った。

 そのまま上流へ少し行くと、右手の水田に一羽の白鷺がいた。雨の中、身じろぎもしないで、白磁のように佇んでいる。

 白鷺は舎利子。わたしの守り神。
 白鷺はむろん、あくまで白鷺であり、守り神そのものではないが、守り神になり得る何か、ではある。

 わたしはこの川沿いの道で、白鷺に何度、救われたか知れない。

               ◇

 川沿いの道は住宅街に入り、買い物帰りの女性とすれ違った。

 ふと、死んだ母を思い出した。

 わたしの、宝物のような、幼い子どもの頃の記憶がひとつ。
 100メートルほど離れた農家からもらい水した母親が、肩に天秤を通し、水桶を二つ下げて、白い道をこちらに歩いて来る……。
 川のそばの借家には水道はもちろん、井戸もなかった。風呂桶の水を張るのに、母は何度、その道を往復したことだろう。

               ◇

 隣駅まで歩き、蕎麦屋に入り、スーパーで買い物をして電車で帰って来た。そして、ライティングデスクの上のラップトップPCに向かった。

 ワープロ代わりに使って来た古いパソコンで、修理に出していたのがようやく戻って来た。
 独り暮らしのわたしの、大切な「話し相手」だ。

 こんどの木曜日の朝、「遅ればせながら」と前置きし、ラジオできっと話すであろう「母の日」にちなんだ話題を書き始める。

               ◇

 いま、パソコンの左にあるのは、一冊の詩集。
 フランシス・リッチイさん(57歳)という、ニューヨークに住む一人の母親が書いた、「戦士(ザ・ワリアー)」である。 

 フランシスさんの一人息子、ベンさんは陸軍士官学校を出て、特殊部隊に加わり、秘密の任務を帯びてイラクに送り込まれた。

 出征した息子を思い、シングルマザーの母親は詩を書き続けた。

               ◇

  そこには何かが……
  あのヘルメット、塊の中に
  暖炉のそばの装備の山。前に
  見知らぬ兵士がかぶり、いま息子のものに
  死に行く人びとのように私に語り掛けるヘルメット
  最早、語ることもできないのに
  抵抗できないほどの引く力、重力のように
  あるいは愛のように
     私はふれてみたかった
   (「出征の一週間前に」より)

               ◇

          幽霊の
  ような月が、息子の雨具に半分、かかっている
  もう何人、死んだの
  まだ足りないから?
  他の世界に飛んで行けないから?
  私はあなたをつかんでいたい
  でも、あなたは私のものじゃない あなただけの
  国 手の感触
  生まれたばかりのあなたの頭に触れた
  眠っていたのよ
  頭の骨のできあがる前のあなたは
  (同)

               ◇

  ……髭の、クリシュナ神のように
  ローブの下に隠れて 
  どこにでも
  誰にでもなれる
  そうなるわ 
  あなたが死んだら
  どこにでもいるの
  幽霊……いや神さまに
  (「交信不能」より)

               ◇

 詩集の最初の方に、「ツバメ」という詩がある。

 息子のベンさんが士官学校を卒業した日、卒業式が行われたグラウンドをツバメが飛んでいたという。

 どこからともなく、突然、会場に現れたツバメたちに誰も気づいていないようだ。
 卒業とともに、突然、兵士に変わる息子のベンさんのように、唐突に出現したツバメたち。

 そのツバメにベンさんを重ね合わせて、フランシスさんはこう綴った。

  いま、私は信じている 翼のまなざしを
  ツバメの一羽一羽に 色彩のきらめき
  届かない祈りの伝言を乗せて
  貸してもらった双眼鏡をのぞくと
  そこにあるのは整列 
  私は彼の顔を探す

               ◇

 フランシスさんのベンさんは、イラクから無事生還し、カリフォルニアの大学に進学したという。

 母親のもとへツバメは帰り、こんどは大学へと飛び立った。

               ◇

 今日、「母の日」。横浜は夕方から晴れ間がのぞき、いま、西の窓のすりガラスは光り輝いている。壊れそうだけれど、静かで平和な、日本の夕暮れ。

 5月の第2土曜日を「母の日」とする決まりは、息子を戦場に出すまいと決心した、あるアメリカの母の訴えから始まったものだという。  

Posted by 大沼安史 at 05:49 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-05-05

〔コラム 机の上の空〕 戦争と娯楽による子殺し

 5月1日、バグダッドの貧民区、サドル・シティーで、米軍が破壊した家の瓦礫の下から、2歳になる男の子が遺体で見つかった。

 アリ・フセインちゃん。

 そのいたいけな、何枚かの写真は、通信社の手で全世界に流れた。死んでなお、あどけない顔。小さなスニーカーを履いた、歩き出したばかりの細い足。

 このイラクの男の子の命を奪ったのは、米軍が放った「200ポンド誘導ロケット弾」だった。

               ◇

 アリちゃんの父親は、米国ABCテレビの取材に対して、こう言った。

 「アリはわたしの足にすがって、父ちゃん、父ちゃんと言って、いつも外に出たがっていた。戦闘が続いていたから、表へ出せなかった」

 アリちゃんはこの1ヵ月半、家の玄関で、外に出て遊びたいと言い続けて来た。スニーカーを履いていたのは、すぐにでも外に飛び出したかったからに違いない。

               ◇

 そんな矢先、こんどはさらに気持ちの悪い「ニュース」が届き、吐き気を催しそうになった。アリちゃんの悲劇とはまた別の意味で、胸に重苦しい衝撃を受けた。

 「ディズニーランド」を設計したデザイン会社、「ライド&ショー・エンジニアリング」の手で、米軍、傀儡政府機関の立て篭もる、バグダッドの「グリーンゾーン」隣接地に、アメリカ式の「アミューズメント・パーク」をつくる計画が進んでいるのだそうだ。

 英紙「タイムズ」などが報じた。

               ◇

 事業主体は、ロサンゼルスの「C3」という企業。
「イラク政府」から50年リースで、「バグダッド動物園」(イラク戦争開戦時に壊滅した!)を中心としたアル・ザウア公園の一帯、20ヘクタールを借り受け、そこに「バグダッド動物園とエンターテイメント・エクスピリアンス(娯楽の体験)」というアミューズメント・パークを建設するのだそうだ。

 その第一弾として、ことし7月にお目見えするのは、スケボー場。
 アメリカから20万台分の部品を輸入、現地で組み立てて、ヘルメット、ヒザあてと一緒に無料で配るという。

               ◇

 このプロジェクトについて、カナダの「グローバル・リサーチ」研究所代表のマイケル・チョスドフスキーさんが、「戦争のプロパガンダ:ディズニーランドが戦火のイラクへ」という論文で、手厳しく批判している。

 イラクの文化を破壊しておいて、何がアミューズメント。
 子ども心につけこむ、米軍お得意の「心理戦」、「イメージニアリング(イメージ+エンジニアリング)」のプロパガンダであり、悪質だ……と批判している。

 まさに、然り。チョスドフスキー教授(オタワ大学)の言う通り。

               ◇

 お外で遊ぶことも出来ないイラクにしておいて、何がアミューズメント(娯楽)だと、ぼくもまた声を大にして叫びたい。

 「グリーンゾーン」も、その周辺も、武装抵抗勢力の砲撃が続き、とっくに「安全地帯」でなくなっているのに、そこでスケボーをさせる?……

 プラスチックのヘルメットで、ロケット弾を防げるとでも?

 それとも、スケボーで釣って呼び込んだイラクの子どもたちを、「人間の盾」代わりに使おうとでもいうつもり?……

               ◇

 東京湾の最深部、浦安に「東京ディズニーランド」が出来たのは、四半世紀前、1983年。アメリカが「帝都」を「東京大空襲」のファイアーストームで焼き払ってから、38年後のことだった。

 「5月5日」の「子どもの日」のある日本にも、「死ぬまで遊ばせる(Amused to Death)」(アメリカの教育・メディア学者、ニール・ポストマンの表現)時代が来た!

               ◇
 

 が、バグダッドではなお「戦争」が続き、戦闘が、街の破壊と人間の死が日常化している。
 
 バグダッドのみならず、イラクの全土で、日常が破壊され、生活が死んだ!

 それはイラクの子どもたちにとって、未来がすでに奪われてしまったことを意味する。

 米軍が破壊しきったファルージャを記録したビデオ(「クロスファイア」)に、忘れられないシーンがある。

 自転車のわきで呆然とたたずむ、生き残った男の子の虚ろな顔……。

               ◇

 アメリカよ、ふざけるな、と言いたい。  

 アミューズメント・パークよりも先に、歩き出した子どもが元気いっぱい、スニーカーをはいて外に飛び出せる「通り」の復興が先決だ。

 バグダッドに平和を、イラクに平安な日々を! 

 「戦死」したわが子の柩に、「ミッキーマウス」を入れる親は、イラクにはいない。  
 
⇒ 
 http://www.abcnews.go.com/International/story?id=4775808&page=1

 http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article3802051.ece

 http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8837

  http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article882037.ece

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Posted by 大沼安史 at 03:45 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-04-23

〔コラム 机の上の空〕 岩国・松陰・河上肇

 東京・世田谷を走る路面電車、世田谷線の「松陰神社前」駅から歩いて数分のところに、幕末の志士、吉田松陰をまつる松陰神社がある。

 小塚原で死罪に処せられた松陰の遺骸を、維新後、世田谷に移し、改葬して建立した神社である。

 平日の午後、お参りに出かけた帰りの境内で、30前後とおぼしき若い男性とすれ違った。思いつめたような表情が、強い印象として残った。まるで村塾門下のような……。松陰の墓前で、しばらく時間を過ごしたせいで、そんな感じがしたのかも知れない。

                  □

 松陰と同じ山口の人、河上肇も東京帝大の学生時代、祭日になると、松陰神社に出かけた。「貧乏物語」のマルクス主義者は、吉田松陰を尊崇したナショナリストでもあった。

 戦前、共産党員として検挙された河上が収監されていたのは、松陰、処刑の地に近い小菅の刑務所。獄窓から夕空を見ながら、西の方、故郷、山口に思いを馳せ、幼少の頃に思い出に耽った。

                  □

 河上肇は山口の岩国の出身。岩国吉川藩、下級武士の子。維新後に生まれた、近代日本の第一世代に属する。
 東京帝大を出て読売新聞の記者になり、京都帝大の講師になって教授に昇格、前後して欧州に留学し、パリの客舎に島崎藤村を訪ねている。

 終戦は京都で迎えた。翌年、京都で死去。
 郷里に戻ることはなかったが、終戦前日の8月14日、岩国に対して米軍が空襲をかけ、500人の市民が死んだことは、その耳にも入っていたはずだ。

                  □

 去年、亡くなった小田実さんが指摘していたが、「8月14日」には大阪も大空襲に遭っている。それは日本政府が「降伏の正式回答をしぶ」ったからだ(「西雷東騒」より、以下の引用も同じ)。その3日前、「8月11日のアメリカ合州国の新聞はこぞって『日本降伏』とともに『大統領が「天皇制存続」を決めた』と報じていた」。
 
                  □

 岩国は昭和20年の5月にも空襲を受けている。瀕死の日本に対し、情け容赦ない無差別爆撃を加えたアメリカもアメリカだが、「国体の護持」にかまけ、天皇の「ご聖断」を遅らせ、ぐずぐずしていた日本政府も酷い。
 終戦の前日、岩国の500人の市民の命は、日米両国の権力者たちの思惑の中で奪われたのである。

                  □

 その岩国で、米海兵隊の基地の拡大強化が進められようとしている。かつての鬼畜、焼夷弾の雨を降らせた米軍の「岩国占領」を進めるのは、われらが日本政府の権力者たちである。

 建設される米軍住宅には、上ものの建築費だけで一戸あたり4500万円もの、日本国民の「血税」が投入されるという。多くの日本国民が「サブプライム」以下に成り下がり、マイホームをあきらめざるを得ないこのご時世に、対米追従政権のこの振る舞い……。
 
                  □

 この世にいま、河上肇が生きていたら……吉田松陰が生きていたら、この岩国のありさまをどう思うことだろう。

 27日は地元山口2区の衆院補選。

 肇、松陰の「日本のナショナリズム」が、日本の「愛国心」が、いま問われている。

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Posted by 大沼安史 at 11:43 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-03-08

〔コラム 机の上の空〕 「大統領を弾劾せよ!」 アメリカの草の根に広がる バーモントの田舎町が「ブッシュ逮捕」を決議 「コード・ピンク」の女性たちは「味噌汁パワー」でハンスト抵抗運動

 オバマ候補との「3・4決戦」を制したヒラリー・クリントンが、首の皮一枚、残った辛勝であったにもかかわらず、こう言い放った。「オハイオがこういう結果だから、全米もこうなるはずだ」と。次の大統領になるのは、この私よ、と強がって見せたのだ。

 これに対して、反戦放送局「デモクラシーNOW」の女性キャスター、エイミー・グッドマンさんが、こんな反論コメントを突きつけた。
 「彼女(ヒラリー)はバーモントで起きていることを考えるべきだ」と。
 ヒラリーよ、驕るなかれ、バーモントこそ、明日のアメリカの風向きを示す天気予報だ、と指摘したのだ。 

                      ◇

 なぜ、アメリカ北東部の、「リンゴとハチミツ」の小さな州が、アメリカの未来を写す出す鏡であるのか?
 
 グッドマンさんは、予備選が行われた3月4日、バーモント州のブラットルボローとマルボローのふたつの町で同時実施された「町民投票」の結果に言及し、それが全米及ぼす、意味の重さを語った。

 町民投票で何が決議されたか?
 
 驚くなかれ、ブッシュとチェイニーがこの町に現れたら、さっそく逮捕・拘留し、弾劾のため送致せよ、という「正副両大統領を捕まえろ」決議が可決されたのだ。
 開票結果は、ブラットルボローでは賛成2012に対して反対が1795、マールボローでは43対25だった。

 逮捕の罪状は、嘘で固めてイラク戦争を始めたあげく、いまなお違法な拷問、盗聴を続けていること。

 こういうことを、このバーモントの田舎町のわれわれは許さないと宣言したわけだ。住民のひとりは言った。

 A little means a lot! (小は大を意味する!)

 グッドマンさんは、こうした町民投票の結果を紹介しながら、大統領選の最大の争点のひとつは、やはり「イラク戦争」であり、このバーモントでオバマが圧勝した事実こそ、アメリカの明日を占うものだ、指摘したのだ。同感である。

                      ◇

 同じ予備選当日この日、ワシントンの連邦議会の議事堂で、下院司法委員会のメンバーの事務所を訪ねて歩く、女性の一団があった。女性平和団体「コード・ピンク」のメンバーたち。

 「コード・ピンク」は、カリフォルニアに女性たちが2002年11月に結成したもので、運動の輪は、米国内ばかりか世界各地に合わせて250の支部を持つまでに広がっている。〔コード・ピンクのコードとは、作戦の暗号名の意味や正義の法典の意味を持つ言葉だ。ピンクが何を指すのかは、言うまでもなかろう。古代ギリシャのあの有名な喜劇を思い出す名前だ……〕

 その「コード・ピンカー」(そのメンバーをこう言う)たちが下院司法委メンバーの事務所に押しかけたのは他でもない。ブッシュとチェイニーの弾劾手続きを始めよ、と迫ったのだ。

                      ◇

 ワシントンの政界紙、「ポリチコ」が、そんな「ピンカー」の一人を紹介している。

 テキサスからやって来たエレン・テイラーさん(54歳)。
 彼女の顔色が青白いのは、すでに15日間、抗議のハンストを続けているからだ。でも、意気は軒高、上着の背中に、こんな「スローガン」を書いて、議員事務所を回ったそうだ。

 Hungry for justice? Impeach him fast!

 パンチの効いたユーモアではある。〔 念のため説明すると、「ハングリー・フォー」には「腹ペコ」のほかに「強く求める」、「ファースト」には「早く」のほかに「絶食」の意味がある。なお、「ジャスティス」は「正義」、「インピーチ」は「弾劾」である〕

 「ポリチコ」紙のコメントも傑作だ。
 「彼女の動機は大きくも小さくもある。彼女の望みは、早くチェイニーを弾劾して、早くランチを食べることだ」

                      ◇

 このテイラーさんのハンスト、実は彼女だけなく、数百人に上る仲間の「コード・ピンカー」も一緒に続けているという。

 ホワイトハウス前で何度もプロテストを行い、二度、逮捕されたツワモノ「ピンカー」のレスリー・アンジェリーヌさん(51歳)などは、10日間、ハンストして司法委のコンヤース委員長との面会を勝ち取り、その後、弾劾が始まらないことに抗議してハンストを再開、25日目でドクターストップがかかるまで、やめなかったというから凄い。

 「ハンスト」と言っても「ピンカー」たちの場合は、完全な「飲まず食わず」ではなく、水やお澄ましのジュース、「味噌汁(ミソ・スープ)」などは摂取する、ヘルシー(?……でも、おなか、減るだろうなぁ~……)絶食だそうだ。美容と健康のため、体内の毒素を摂り、平和と希望のために、政治の浄化も図る、一石二鳥(でも、すぐにはヤキトリを楽しめない??)の狙いが込められている。

 うれしくなってついつい冗談が滑ってしまったが、言いたいことはひとつ、アメリカの草の根から、反戦の動きがさまざまなかたちをとって噴き出していることだ。

 ヒラリーとオバマの「空中戦」にばかり目を奪われてはならない。

                       ◇

 民主党の大統領予備選では、1970年代の初め、ベトナム戦争を支えた徴兵制度延長に抵抗し、連邦議会で、「フィリバスター」というマラソン、いや「トライアスロン演説」を繰り返した、マイク・グラヴェル元下院議員(77歳)も名乗りを上げ、一石を投じている。

 アメリカが戦争を繰り返すのは、軍産複合体があるせい。おかげで、国防予算は今や、世界の軍事費の46%に及んでいる。これを一気に60%カットする――これがグラヴェル氏の公約である。

 このグラヴェル氏に対する「支持」をメーン州の地方紙で表明した、米国の女性コラムニスト、パット・ラマルシェさん(『アメリカに放り出されて―米国におけるホームレスの現実』の著者)は、ベトナムで戦った復員兵のうち実に「9万4千人」もが、「昨日の夜」も真冬のストリートで眠っていたことを忘れてはならない、とコラムの中で書いた。

 アメリカのストリートでは、イラク帰りの復員兵ホームレスだけでなく、これほど多くのベトナム戦経験者が「今日の夜」も、野宿を強いられている……

                       ◇

 もはや、問題は所在は明らかだ。問題はヒラリーのいうように「経験の有無」にあるのではない。争点は、「平和への意志の有り無し」にある。

 「ワシントンの権力(軍産複合体)」VS「平和を求める草の根のアメリカ」……米大統領選の対立軸のひとつは、まさにここにあるのだ。
 
 そう、「戦争」に対し「平和」がいま、戦っている。

 その「平和」への戦いに、「味噌汁」ほどの力もないかも知れないが、この「机の上の空」も加わることにしよう。

 「戦争」か「平和」か……わたしたちは――いや、わたしは、このブログを通じ「戦争」ではなく「平和」を訴え、「平和」を求める。
 
 
⇒ http://www.politico.com/news/stories/0308/8836.html

  http://www.codepink4peace.org/

  http://www.reformer.com/ci_8456857?source=most_viewed

 http://bangornews.com/news/t/viewpoints.aspx?articleid=161139&zoneid=117

Posted by 大沼安史 at 04:49 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-03-05

〔コラム 机の上の空〕  保守の牙城、シカゴ大学ロースクールの元同僚・友人が語る「朝から大統領 バラク・オバマ」

 「次期大統領」の期待高まるオバマ候補は、法律を学び、教え、実践して来た人である。

 ハーバード大学のロースクールでは「レヴュー」の初代黒人編集長となり、シカゴ大学のロースクールでは米国憲法を講じ、その後、人権派の弁護士として活動、政界に入ったキャリアの持ち主だ。

 シカゴ大学ロースクール時代の同僚、カス・サンステイン教授が、英紙インディペンデントに「わが友、バラク・オバマ」というエッセイを寄稿していた。読んで教えられることが多かった。

 オバマ氏が教えていたシカゴ大学ロースクールは、実は米国で最も保守的な「ロースクール」なのだそうだ。あのレーガンの共和党政権を支えたのは、このシカゴのロースクールだったという。

 オバマはそういう保守の巣窟にいたわけだが、共和党員の同僚からも好かれ、尊敬されていた(る)という。かつてのレーガン支持者がいま、オバマを支持している、ともいう。

                      ◇

 なぜ、そうなのか?

 人間性、心の温かさもあるが、独立心の持ち主であり、「すばらしい聞き手」であることが大きい、とサンステイン教授は指摘している。

 オバマ氏の「聞く耳」は、どんなところへも赴く。偏見の中で凝り固まることがない。さまざま意見に注意深く、公平に耳を傾け、さまざな議論を自分の中に取り込み、判断してゆく。そういう「法の分析家」という部分が、オバマ氏にはあるのだそうだ。

                      ◇

 そのオバマ氏が先日、サンスティン教授に電話をかけてきたそうだ。久しぶりの電話でオバマ氏は、サンステイン教授に、ブッシュ大統領が許可した、米国内から国外のテロリストに対する電話の盗聴について、法律的な見解を求めた。

 サンステイン教授は、(保守の牙城のロースクールの教授らしく?)その「盗聴」に合法的な部分も含まれている、との論文を発表したばかりだった。

 サンステイン教授が自説のポイントを説明してゆくと、オバマ候補はじっと聞く耳を傾け、反論を述べた。20分に及ぶ、そんな繰り返しのあと、オバマ氏は最後にこう言った。「あれはやはり非合法だ。でも、おかげで賛否両論について理解を深めることができた。時間を割いてくれてありがとう」と。

                      ◇

 オバマ氏についてはヒラリー陣営から、「スタイルばかりで中身がない」などといった批判宣伝が行われているが、サンステイン教授に言わせれば、シカゴの仲間にとってオバマ氏は「口舌の徒(レトリシャン)ではなく、問題解決能力や創造性、細部への注目という点で光り輝いている」男だそうだ。

 オバマ氏自身、最も居心地がいいのは、「政策や細部の領域」において、だという。

                      ◇

 もう、ひとつ、サンステイン教授の指摘で興味が引かれるのは、オバマ氏が「旧左翼」ではない、ということである。「選択の自由」に対しても、鋭い関心を示す。

 だから考え方は、ブレア及びクリントン的な「第三の道」のアプローチと重なり合う。

 国内問題でも国際問題でも妥協ではなく、「大きく考え、大胆に行動する」のが彼の身上だ。イラク反戦が不人気な頃、「イラク戦争反対」と公然と述べたのは、そういうオバマ氏の政治家の態度の現れである。

                      ◇

 注目点を最後にもうひとつだけ……。

 オバマ氏は、政敵を葬ることを拒否する人であり、意見が合わない人たちに対しても良き信頼を置く人であるそうだ。

 わたし(大沼)はかねがね、日本の政治に必要なのは、朝まで罵り合うのではなく、理解し合い、共通の道を探り、夜はぐっすり寝て、朝から歩み出すことだと思っていたが、一足早く、アメリカに、そんな「オバマ・〈朝から〉大統領」が出現しそうなので、たいへん嬉しい。

 アメリカはいま、建国以来、最大の危機にあるといっていい。そこにオバマが現れたのは、当然のめぐり合わせである。

 戦後最大の危機を迎え、ずるずる破局に向かって進むだけの日本。

 小浜市民が「オバマ」を支持するのは、単に語呂合わせだけではないはずだ。
 

⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/an-american-president-my-friend-barack-obama-790330.html

Posted by 大沼安史 at 02:27 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-03-01

〔コラム 机の上の空〕 オバマ頌 

 1968年の春、マーチン・ルサー・キング牧師とロバート・ケネディー上院議員が相次いで暗殺されたとき、バラク・オバマは6歳だった。

 「アメリカの権力」に潜む、凶暴なものの存在を、幼いオバマは何年か後、何かを読んで知る。

 ロバートの兄、ジョン・F・大統領の悲劇に続く2人の暗殺はすでに、アメリカの「国民的なトラウマ」となっていた。

                      ◇

 その「トラウマ」の傷口が、今回の大統領選でまた開いた。人びとの心に、当時の「恐怖」が、甦っている。オバマもまた暗殺されるのではないか、という恐怖である。

 ニューヨーク・タイムズが、そう書いていた(2月25日付)。

 「思わず口をつぐんでしまう不安」……オバマが勝ったら(勝ちそうになったら)殺られるのじゃないかという不安と恐怖が広がっているのだ。

 コロラドの姉妹は、オバマの身の安全を願って、毎日、祈りをささげているという。ある集会では、ひとりの女性が、オバマが「希望と変化」を語るそれ自体が、危険なことだと言ったそうだ。

                      ◇

 こんなことがあった。キング牧師がホワイトハウスにケネディー大統領を訪ねたときのことだ。ケネディーは、外に出て話そうとキング師を誘った。

 「ローズガーデン」へ出て、ケネディーはキング師に何を話したか?

 大統領はキング師に「あなたは、FBIに盗聴されている。気をつけなさい」と警告したというのだ。
 ホワイトハウスの内部は盗聴されている。話は筒抜けだ。だから、外に連れ出して警告したのだ。

 アメリカには大統領さえも監視する「権力」がある。

                      ◇

 ケネディー大統領の弟のロバートには、こんな話がある。

 司法長官だったころ、若いインターンに対し、こう訓示したという。

 「わたしの基本的な信念は、すべての人はひとしく創られている、ということだ。ここから当然、次のことが導き出される。人種統合は(司法省を含む)あらゆる場所で実現しなければならない」と。

 こういうロバート・ケネディーだったからこそ――新しい大統領に選ばれることが確実だったからこそ、彼はロサンゼルスのホテルで暗殺されねばならなかったのだ。

                      ◇

 今回の民主党の予備選で、2人の犠牲者を出したケネディー家は、「オバマ支持」を表明した。

 「オバマ暗殺」の恐怖は、そこに端を発する。

                      ◇

 それにしてもオバマはなぜもこう、アメリカ国民の熱狂的な支持を得ているのか?

 それは彼が「現代のケネディー(兄弟)」であり、「新時代のキング師」であるからだ。

 白人と有色人種の双方に強固な支持基盤を広げているのは、そのせいである。

                      ◇

 キング師については言うまでもなかろ。暗殺される5年前、1968年の夏、ワシントンの大集会で、あの有名な「わたしには夢がある」演説を行った、公民権運動の指導者だ。

 オバマもまた雄弁な政治家だから、その心を揺さぶるスピーチに、キング師の記憶を重ねる人も多い。

 「安っぽい言葉だ」「言葉では食卓に食べものを乗せられない」――ヒラリー陣営がオバマを「口舌の徒」と批判するのは、彼の演説の迫力・説得力の反証である。

 簡潔で力強く、たたみ込むようなリズムを持ったオバマのスピーチ……。ところどころに「聖書」のエピソードが挿入されるから、メシアのような宗教性が漂う。

 オバマは牧師ではないが、キング師の再来、後継者であるのだ。

                      ◇

 このようにオバマの最大の強みは、アメリカの「国民的記憶」を背景にしていることだが、陣営に強力なサポーターがついていることも大きい。ケンディー家はもちろん、ジョージ・ソロス、ポール・ヴォルカー(カーター大統領を支援)、ロバート・デニーロ、その他大勢の有力者、セレブが支援に立ち上がっている……この点は見逃してはならないところだ。

 ブッシュ政権下、それだけ体制的な危機が深化し、「希望と変化」が絶対なければならない状況が生まれているのだ。

 言うまでもなく、地殻変動の震源は「イラク戦争」。それが「希望と変化」を国民的なコンセンサスとしているのだ。オバマが理想を語れば語るほど、支持率が上がるのは、そうした背景があるからだ。

                      ◇

 オバマのサポーターのなかで注目すべきは、外交問題アドバイザーを務めるサマンサ・パワー教授である。
 37歳。ジャーナリトの出身、「人権」の問題として国際問題を考える、気鋭の女性政治学者。
 こういう新しい「頭脳」が、オバマ支援に動いている点は見逃せない。

 オバマ大統領が誕生すれば国務長官になるとも言われる彼女もまた、理想に燃えた熱弁家だ。

 彼女はたとえば、こう語る。「オバマはドライバーを代えようとしているだけじゃない。われわれが乗って走る、車も道路も代えようとしている」と。

 いま、オバマが起こそうとしているのは、単なる政権の交代ではなく、全面的な社会変革である、というのである。

                      ◇

 キング師は、「わたしには夢がある」の演説を、こう締めくくった。

 「……その日、神の子どもたちは皆、白人も黒人も……手を取り合って、古いネグロの霊歌を歌うだろう。Free at last! Free at last! と」

 オバマの大統領就任演説にはきっと、キング師の「夢がある」演説が引用されるのは間違いない。

 その日が訪れ、米国が変わり、世界が変わり、日本にも変化の芽が生まれることを、わたしもまた、毎日、祈ることにしよう。   

 その日が来るまで……いやアメリカに新しい自由の時代が来るまで、オバマは決して、死んではならない。

Posted by 大沼安史 at 03:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-02-14

〔コラム 机の上の空〕 北京五輪開会式演出 スピルバーグが「辞退」だとぉ~? 監督は「就任を拒否」したのです!! 「ダルフール問題」で世界のノーベル賞受賞者らが中国政府に対し「抗議の公開状」 ペキン指導部の人権感覚・平和意識の欠如に対する国際批判、強まる

 今朝、(日本の)新聞を開いて(ネットの電子版でも確認し)唖然としてしまった。スピルバーグ監督が中国政府の「ダルフール問題」に対する姿勢に抗議、その北京五輪開会式イベント演出要請を拒否したことを、日頃、中国に手厳しい(??)一部報道期間を含め、一斉に「辞退」と書いていたのだ。(CNNの日本語版サイトは、さすがに「辞任」と訳していたが……)

 「辞退」とは、せっかくのお申し出ではありますが、今回はちょっと都合がつかず、ご遠慮させていただきます、といったヤンワリしたもので、「抗議の(内定)辞任」「就任要請に対する拒絶」とはまったく質をことにする。
 
 スピルバーグ監督は、一身上の都合でご遠慮させていただこうとしたのではなく、人権上の原則で中国政府に辞表をたたきつけたのだ。

 どうして日本のマスコミは、こうもだらしいないのだろう。どうしてこうも、中国政府の人権・平和感覚のなさにおもねるのだろう。

 中国ではいま、「北京五輪」を前に、民主化運動の活動家を逮捕しているが、欧米のマスコミによる報道はあっても、日本のマスコミは口をつぐみ続けるばかり。日頃、対中「弱腰外交」批判を続けている報道機関まで腰砕けなのだから、あきれるばかりだ。

 英紙インディペンデントに、デズモンド・ツツ氏(平和賞、南ア)、エリ・ヴィーゼル氏(同、米国)らノーベル賞受賞者や、マルコス・アナスタシオ氏(サーファー、ポルトガル)、マリリン・チュア氏(水泳選手、2000五輪出場、マレーシア)らアスリートたち、そしてミア・ファローさん(女優、米国)、トム・ストッパード(劇作家、英国)ら有名人75人が署名した、中国政府への「公開状」が掲載されていた。

 スーダン・ダルフール問題での中国政府を姿勢(石油を得る見返りにスーダンの政府軍に武器援助し、ダルフールでの住民虐殺を後押ししている)を批判し、北京五輪の芸術アドバオザーの職を蹴ったスピルバーグ監督の決断を支持し、中国政府に反省と武器援助撤回を迫る、国際世論による追及キャンペーン第一弾である。

 「公開状」はダルフールの惨状をこう指摘する。「残虐行為は激化の一途をたどっている。ダルフールの700万住民のうち、数十万人もが紛争の中で死亡し、250万人が難民と化した。強姦、性暴力は少女たちや婦人に対し、武器として使われ続けている……」と。

 そして中国政府にこう迫る。中国はダルフール問題を動かす力を持っている。だからわれわれは、北京五輪に向け、中国政府の動きを見守り続けます、と。

 「公開状」は中国政府がこの申し出を拒絶・無視した場合、どんな対応策をとるか触れていないが、最終的には「五輪ボイコット」の呼びかけに行き着くものとみられる。欧米では早くも「北京五輪」のスポンサー企業に圧力をかける動きも広がり出しており、事態は切迫している。

 中国の人権・平和感覚の欠如は、ダルフールに限らず、ミャンマー問題でも露呈し、国際的な非難の的になっている。もし中国が北京五輪を機に、国際社会のステージに、「経済」の枠を超えて「政治的な力」としてデビューを果たしたいのであれば、この際、ダルフールなど懸案する課題の一挙解決を図るべきだ。

 国際社会に「参加」するには、人権感覚の回復が先決である。そこにこそ中国が「北京五輪」を主催する、歴史的な「意義」があろうというものだ。

⇒ 
http://www.independent.co.uk/news/world/politics/a-letter-from-the-worlds-nobel-laureates-to-china-you-umustu-act-on-darfur-782008.html

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/in-olympic-year-china-urged-to-use-its-influence-in-darfur-782011.html

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/silence-speaks-volumes-as-beijing-ignores-criticism-782009.html

http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/johann-hari/johann-hari-spielberg-has-taken-a-stand-we-must-too-781973.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/feb/13/china.sudan

http://www.guardian.co.uk/uk/2008/feb/14/olympics2012.humanrights

http://www.guardian.co.uk/world/2008/feb/14/usa.china

http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200802140043a.nwc

http://www.asahi.com/culture/update/0213/TKY200802130341.html

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080213-OYT1T00227.htm?from=navr

http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200802130011.html

Posted by 大沼安史 at 03:03 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-01-06

〔コラム 机の上の空〕 米国から「ラコタ共和国」が分離・独立

 「もう、こんな国になんか、いられない」――そんな気持ちになるのは当然のことだ。

 イラクで戦争をするわ、住宅バブルは弾けるわ、医者にもかかれないわ……ブッシュのアメリカにいたら、よほどの金持ちでもないかぎり、どこかへ出て行きたくもなるだろう。(国家崩壊、全般的な貧困の進む、東洋の斜陽の属国=日本に行きたがる者はいないだろうが……)

 そんな「アメリカ合州国」で昨年(2007年)の暮れ、「ラコタ共和国」が分離・独立し、新国家として新年を迎え、世界に承認を求めている……。
 初夢の続きを見ているのではない。夢物語ではなく、現実の話。

 ただ、知られていないだけのこと。フランスの高級紙、ルモンドなどは大々的に報じたが、肝心のアメリカではマスコミからソッポを向かれ、知る人ぞ知る状態だ。
 アメリカだって元々は、独立宣言をして、英国から分離・独立した国。ラコタだって同じことをしただけなのに……。

                    ◇

 「ラコタ共和国」は、北米先住民族(インディアン)の「ラコタ」の人びとによる新しい国だ。「合州国」ができる前からあったから、「古くて新しい国」と言うべきかも知れない。
 「国土」は、アメリカの中北部、サウスダコタ、ネブラスカ、ノースダコタ、モンタナ、ワイオミングの各州にまたがる広大な地域。
 ただし、現在、占有している土地は、いわゆる「保護区」(6ヵ所)に限られており、今後、ワシントンの連邦政府を相手に、「先取特権」の確認を求める裁判を起こし、領土の回復を図る考えだ。

 「ラコタ」の人びとは、スー族7部族の連合体で、「ラコタ語」を話す。18世紀の半ばの人口は推定で2万人。21世紀初頭の現在は7万人(その半数が「保護区」で生活している)だから、人口は増えている。

 そんな「ラコタ」の人びとが、ワシントンの国務省に出向き、合州国からの「一方的脱退」を通告したのは、暮れの12月17日のこと。
 ヴェネズエラや南アフリカなど、先住民族に対して理解のある各国にも新国家としての承認を求める公文書を送付し、「ラコタ」のウェブ・サイトで「(昔から継続していた)独立」を宣言した。

 ではなぜ、ラコタの人びとは「再独立」に立ち上がったのか?
 理由は大きく分けて二つ。ひとつは、これまでさんざん、だまされ、裏切られて来たことで、もうひとつは、合州国の国民として、悲惨な生活(生存)を強いられているからだ。

 ラコタの人びとの悲しい歴史のなかでも最も悲しい出来事は、1890年12月に起きた「ウンデド・ニー」(サウスダコタ州の地名)の悲劇だ。騎兵隊が150人を超えるラコタの人びと(婦女子を含む)を虐殺した事件である。

 度重なる「条約(ララミー砦条約)違反」に怒ったラコタの人びとは土地の返還を求めて、合州国を相手に訴訟を起こして来たが、連邦最高裁が1980年に「補償金」の支払いを命じる判決を下しただけで、先祖代々の土地はついに還らぬまま。(ラコタの人びとは、なお補償金の受け取りを拒否している)

 「貧困率97%」「平均寿命44歳」が物語るように、条約締結から155年過ぎた今になっても、悲惨な生活は変わらず、これ以上、連邦に留まる意味がないと、独立を通告した。

 アメリカで、ID(身分証明書)代わりに使われている「運転免許証」を破り捨て、連邦政府に対する納税拒否を宣言している。

 「ラコタ共和国」は、ラコタの人びとでなくても国民になることができる。合州国の国籍を放棄するだけでいいのだそうだ。
 「国内」での税金はゼロ。「中央」による「統制」の縛りもなく、各コミュニティーがそれぞれ一個の自治体として、生きてゆく……。
 つまりは、「旧大陸」の白人たちが侵入する以前の「新大陸」に戻るわけだ。

                    ◇

 「ラコタ」の人びとの「独立宣言」を読んで、思い出したことがふたつある。

 ひとつは、インディアンの学校のことだ。

 これは前に一度、書いたことだが、1980年代の半ば、ミネソタ州のAIM(アメリカ・インディアン運動)の学校、「サバイバル・スクール」を訪ねたことがある。

 そのインディアンの自治学校に、これから取材に行く、と知り合いの白人に言ったら、嫌な顔をされた。その白人は「進歩的」な、知的な人だったが、それでもそんな反応だった。
 インディアンの人びとの土地と生活を奪ったことは、白人入植者の末裔にとって、原罪のようなもの。それを認めたくないらしい。

 サバイバル・スクールは刑務所内にも分校を設置していた。自分たちの言葉を教え(学び)、民族の誇りを取り戻してもらう(取り戻す)のだ。
 その学校のディレクターは、日系3世の男性だった。ナカジマというその若者に会えて、嬉しかった。

 もうひとつは、わたしにとってたった一人の、インディアンの旧友のことである。

 わたしがミシガンの大学町にいた頃、下宿の屋根裏部屋に、インディアンの男が住んでいて仲良くなった。いくつかの大学、コミュニティー・カレッジで、英文学を教えている詩人だった。数歳年上の、もの静かで、孤独な男だった。
 
 有色人種がほとんどいないその町で、わたしも孤独で、わたしも白人でなかったから、ウマが合った。

 スティーブ・クロウというその詩人は、自分はスー族だと言った。

 その彼が、「ラコタ」独立をどう思うか、聞いてみたい気がする。 
                      
 
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Posted by 大沼安史 at 12:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-01-01

〔コラム 机の上の空〕 「氷の国」から届いた「平和の光」……新年、明けましておめでとうございます。

 時々、小田原の先へ、小田急で通っている。箱根ではなく手前の風祭へ。ボランティアで出かけている。
 暮れの車窓から丹沢の山を見て、少し怖くなった。雪がまったく、ない……。
 しばらくして、ようやく、真白き富士の嶺が見えて来て、少し、ほっとした。

 ことしの冬ほど、「雪」や「氷」の貴さを思ったことはない。「地球暑熱化」(「温暖化」という言葉は、やめにしよう)は、「雪や氷」がまさに純粋な生の宝物であることを、かけがえのないものとして、わたしたちに教えてくれた。
 雪が積もり、氷が張らなければ、ほんとうの春は来ないのだ。

               *    ◇    *

 北大西洋に小さな島国がある。文字通り、「氷の国」、アイスランド。賛美歌を国家にしている「雪と氷の共和国」だ。北海道と四国を合わせた大きさの国土。人口は30万人だから、宮城県の7分の1程度。

 雪と氷に閉ざされ、守られたこの国は、火力発電所もなければ原発もない、自然エネルギーの国でもある。「水力」と「地熱」による発電。

 水の力と地の熱で30万の人びとが生き、経済活動を続けている。最新の調査(2006年)では、国民1人あたりのGDP(国内総生産)は、ルクセンブルク、ノルウェーに続き、世界3位。

 前年、05年の15位から「18位」に転落した、真っ赤に燃える斜陽・日の丸の日本とは、同じ島国でも大違い、対極に位置する。

               *    ◇    *

 その「雪と氷、水と地と人」の国の首都、レイキャビィーク(レイキャビック)からフェリーで5分のヴィーズエイの小島に、昨年(07年)10月9日、不思議な灯台が生まれた。

 その日、「10月9日」は、あのジョン・レノンの(生きていれば67回目の)誕生日。

 不思議な灯台は、ジョン・レノンの妻、オノ・ヨーコさんが、「二人」の願いを込めて建てたもの。
 
 「イマジン・ピース・タワー」……。「イマジン」とはもちろん、レノンが作って歌った、あの歌である。

 地熱を利用したもので、地面に開いた直径10メートルの照明装置から、光の円柱が空に向かって伸びてゆく、平和の灯台。

 台座には、「イマジン」の歌詞が各国語で刻まれている。

 この「ピース・タワー」のアイデア、「二人」が出会った40年前に生まれたものだそうだ。そのイメージを、彼女がアイスランドでカタチにしたのは、この「氷の国」こそ、地球のエコと世界の平和を再生してゆく足場になる場所だと考えたからだ。

               *    ◇    *

 「イマジン・ピース・タワー」は、ジョン・レノン誕生日の10月9日から、彼がニューヨークで射殺された命日の12月8日まで2ヵ月間、光を放ち続け、大晦日の07年12月31日にも再び、点灯された。

 「生」と「死」の間と、「世界の新年の夜明け前」に。

 アイスランドと日本の時差は(マイナス)9時間。つまり、現地の24時は、日本の朝の9時。

 「氷の国」で立ち上がった「平和の光」は、日本の元日の朝の「光」でもあったわけである。
 
               *    ◇    *

 「イマジン・ピース・タワー」は、「平和の光」をネットを通じ、言葉とイメージ(像)でも放っている。イマジンピース・ドットコム(www.imaginepeace.com) 

 その「想像・平和」サイトに、オノ・ヨーコさんの新年(2008年)のメッセージが載っている。一部を紹介しよう。

                   
        すべての人に、喜びに満ちた2008年があるように。
           わたしたちは、こう言ったことがあります。
        「恐れることなく、それをいいものにしようと願おう」と。
         愉快にゆこう。体中で笑って。そして踊ろう!

             イマジン・ピース(平和を想い)
          平和を考え、平和を行い、平和を広げよう

               *    ◇    *

 オノ・ヨーコさんのメッセージのそばの、ビデオの画面をクリックすると、ブッシュ大統領の言葉と、イラク戦争の現場を重ね合わせた作品が流れた。

 ブッシュの言葉を、さまざまな演説、発言から採取したのをつなぎ合わせたもので、ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を「朗読」するように編集されている。

 別のビデオを見ると、少女たちが替え歌を合唱する作品もあった。

  WAR IS OVER, if you want it!  BUSH IS OVER, if you want it!
(わたしたちが願えば戦争は終わる! わたしたちが願えばブッシュは終わる!)

 そしてオノ・ヨーコさんがこう言う(2007年のクリスマス・ビデオ・メッセージ)。

  WAR IS OVER, if you want it! これってほんとに「クール」(cool)じゃない!

  ここで言う「クール」とは、シャキッと冷涼な、正しく素敵な凄さの意味である。

               *    ◇    *

 戦争のない平和な世界をイマジン(イメージ)することは、アイスランドのような、白く、ピュアな、正気の世界に帰る、第一歩のような気がする。

 そして、平和な世界をイマジンするには、心の中で「イマジン」を歌ってみるのが一番だ。

                    ♪ above up only sky
                               imagine all the people
                               living for today

                             *     ◇    *

 誰にだって空がある。机の上にも空がある……。

 いや、なければならない。

 わたしの前には机がある。だからその上でものを書く……。

              ♪ above up only sky!
                imagine all the people
                  writing for today

 新年、明けまして、おめでとう!
 

 http://www.imaginepeace.com/news.html

  http://www.imaginepeace.com/NewYear2008.html

 http://www.remus.dti.ne.jp/~todo/imaginekashi.html

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Posted by 大沼安史 at 12:59 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-30

〔コラム 机の上の空〕 ロバでも分かるパキスタンの真実

 昔、カイロに駐在していた頃、かの国の尊き権力者をホマール(ロバ)と書いて、かの地の役人にとっちめられたことがある。署名入りの記事を東京の大使館員が読んで、国の上司にご注進に及んだのだ。

 日本でロバは「可愛らしい働き者」ってプラス・イメージ、ぼくとしては褒めたつもりなんですけど……と弁解にもならない弁解をして、ようやく勘弁(国外追放??)してもらった。

 ロバってバカのことを言う……。
        
                 ☆

 英紙インディペンデント(電子版)に、ロバート・フィスク記者のコラムが出ていた。題は、「誰もアルカイダを非難していない。ムシャラフ(大統領)を非難している」。ベナジール・ブット女史の暗殺をめぐる解説コラムである。

 そこに、こんなくだりが……。

 「善・悪をハッキリさせるロバが、あのラワルピンディでの惨劇の現場から、真相を告げに現れたとしても驚くべきことではない」……ということは、つまり、「ロバでもわかる暗殺の黒幕」ってわけ。

 すなわち、「アルカイダ」がどうの、といった煙幕が早速、張られているが、「真犯人」はロバでなくとも(いやロバであるなら??)お見通し、とフィスク記者は指摘しているのである。

 ロバが前脚を上げて犯人だと「指?差す」のは、「ムシャラフ」、および、その黒子を務める「ISS」(軍情報部)。

 そして、そのロバ……いや、フィスク記者は、騙されやすいわれわれ読者に対して、「ムシャラフ大統領」と答えれば「正解」になる、「今月、ベナジールの支持者数千人を逮捕するよう命じたのは誰ですか?」など、4つの質問を並べたあと、最後にこう問いかける。「それでは、ベナジール・ブットを殺したのは誰でしょう?」と。

                 ☆

 ブット女史暗殺の後、ブッシュ政権は例によって「テロリスト」の犯行と決めつけ、「非難」の言葉を投げつけているが、それはブッシュが米国民を――、さらにはブッシュ政権に追従するわれわれ日本国民を、ロバにも劣る、判断力のない者と見下しているからだ。

 日本のマスコミに、フィスク記者並みの眼力と筆力を期待することは土台、無理なことかも知れないが、せめてロバ並みの愚直さ、一徹さぐらいは期待したい。

 ロバでさえすでに、前脚の蹄を上げ、こう言い切っているのである。「黒幕はムシャラフだ」と。

 人間(主流ジャーナリスト)である君たちに、書けないわけはないだろう。

⇒  http://news.independent.co.uk/world/asia/article3291600.ece

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Posted by 大沼安史 at 10:27 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-28

〔コラム 机の上の空〕 「東の娘」 ベナジール・ブット、暗殺さる 

 ブッシュ政権が「テロとの戦争」の舞台回しに使って来たパキスタンで、危機が一段と強まっている。

 ベナジール・ブット女史の暗殺は、この国のイスラム原理主義への傾斜と「アフガン化」を、ますます加速してゆく恐れを秘めている。

 米国は「冷戦」の最終局面における「アフガン戦線」で、パキスタンを後方支援基地に、「イスラム原理主義」のエネルギーを利用して、対ソ連との戦いに勝利を収めた。(映画の「ランボー」を見よ)

 その際、手駒化したパキスタン軍部、軍情報機関を再利用し、イスラム過激派を泳がせながら、見事に「9・11」を演出、「テロとの戦争」をフレームアップし、イラクを軍事占領し、石油の確保に動いた。(パール記者謀殺、アタ容疑者への送金、などなど)

 親米派のブット女史の暗殺は、そうした米国による操作と制御が、ここに来て遂に行き詰ったことを意味する。

 今回の女史の暗殺について、イスラム過激派による犯行説と、ムシャラフ政権内の一部分子によるもの、との二つの見方が出ているが、元々はともに米国が直接、間接に育てたもの。ブッシュ政権としては、手痛いしっぺ返しを食らったかたちだ。

 今後の焦点は、ムシャラフ氏がどこまで国内を掌握し続けることができるか、にあるだろう。収拾不可能な事態になりかけたら、米軍は特殊部隊を派遣、「イスラムの核」の「破壊」に乗り出すに違いない。

 パキスタンは新年、2008年において、ブッシュ政権の「テロとの戦争」の「東部作戦基地」から、「正面」の座に昇りかねない様相だ。

 自らをデモクラシーの「東の娘」(自伝のタイトル)と呼んだベナジール・ブット氏の死は、より深い混迷と混乱の始まりを意味する。

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Posted by 大沼安史 at 04:31 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (2)

2007-12-26

〔コラム 机の上の空〕 ありがとう、オスカー・ピーターソン

 ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンが亡くなったと聞いて、悲しいというより、ありがとう、という思いが先に湧いた。

                   ♪

 この10数年というもの、苦しくなると、いつもCDを引っ張り出し、「自由への賛歌」をリピートで聴き続けて来た。

 鼓舞してくれる演奏ではなかった。優しく慰める演奏でもなかった。

 でも、黙って聴いていると、どこか隅の方から心の入り込んで来て、まるで白血球のように苦しさの塊を着実に分解してくれる。晴れ間が生まれる。

 それはたぶん、あのトレモノの効果のせいだろう。

 聴いているうちに、トレモノの波に洗われているうちに、苦痛は和らぎ、どこか下の方から、白い砂浜のような安心感が湧いて来る。

                  ♪

 安心は動機を生み、離脱する力を与えてくれた。だからわたしは、翻訳の仕事を続けて来れたのだ。

 自分の過去を離脱し、アルファベットの連なりを、その瞬間において一つずつ辿りながら、先へ、先へと併走する。

 それは過去からの逃避であったかも知れないが、現在(現実)になんとか踏みとどまろうとする努力だったような気もする。

 「自由への賛歌」を飽かず聴き続ける安心感の中で、わたしは「現在」を過ごすことを繰り返し、いま、ここに至っている。
 

                   ♪
                   

 リベラシオン紙の死亡記事(電子版)で、昨年4月の生演奏のビデオを見て(聴いて)、素直に脱帽した。

 1年半前というと、80歳か81歳のときの熱演。
 脳溢血でマヒした左手を少しかばっているようにも見えたが、迫力ある演奏だった。

 オスカー・ピーターソンはその年齢にして、ジャズという今を、未来へ向けて生きられる時間を、見事に、精力的に生き抜いて見せた。

 曲目は「ケーク・ウォーク」。スローな「自由への賛歌」と反対に、速いテンポの演奏。

 慰めてくれはしないが、あの巨体で胸倉をつかみ、ぐいと引きずり上げ、鼓舞してくれる演奏ではあった。

 生前の安心プラス死後の励まし。

 ありがとう、オスカー・ピーターソン。 

  

http://www.liberation.fr/culture/300214.FR.php

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Posted by 大沼安史 at 12:08 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-12-24

〔コラム 机の上の空〕 駱駝(ラクダ)は死んでも、ドラゴン(竜)は生きる……?

 英紙オブザーバー(電子版、12月23日付け)に、怖い記事が出ていた。
 駱駝(ラクダ)が中東、北アフリカで謎の大量死を遂げているのだそうだ。
 何気に読んでいるうち、怖さが増した。

                ◇

 突然の大量死は、昨年から始まったそうだ。
 このうち、サウジアラビアの首都、リヤドの南では、2000頭のヒトコブラクダが死んだ。
 非公式な推定では5000頭近くに達する――。『サイエンス』誌が17日(月)の週に報じて、明らかになった。

 サウジ政府が西側機関にラクダの血液を送って検査を依頼した結果、犯人らしきものがふたつ、分かった。ひとつは養鶏に使う抗生物質。もうひとつはマイコトクシン(真菌毒)。ラクダの飼料に含まれていたようだ。

 が、専門家はそんなものでラクダが死ぬわけない、と首をかしげている。

 地球温暖化=真犯人説も出ている。砂漠の暑熱化がさらに進み、病気を運ぶ昆虫が発生してラクダに取り付いた、との見方である。

 その記事に、強烈な写真が付いていた。
 一頭のラクダが地面に倒れ、死体から体液のようなものが流れ出ている。そばには、野犬かハイエナが一匹……リヤド近郊の砂漠の道路脇で撮られた写真だそうだ。

                ◇                

 ラクダは、われわれ日本人にとって、「忍耐」のシンボルでもある。
 一週間、飲まず食わずで、それでもゆっくり砂丘を越え、静かに歩いてゆく「砂漠の舟」。
 その驚異的な持久力は、コブの中に脂肪を蓄えることができるのと、血液を冷却する赤血球機能を持っているからだ。

 そして、あの「月の砂漠」の美しいイメージ。

 素っ頓狂なカワイイ顔をしていることもあって、日本でもラクダ・ファンが多い。〔サイト検索をしてみて分かった〕。
 そんなラクダ愛好者たちが「突然死」の報に触れたら、きっと嘆き悲しむことだろう。

                ◇

 我慢強いラクダまで死んでゆく、わたしたちのエコ・ロジー(地球環境)。そうした「自然環境」の極度の劣化に加え、われわれのエコ・ノミー(経済環境)も、いまや死に体である。

 まるで温暖化ガスのように、生産・生活の営みとは無縁の圏外に「超格安マネー」が「大量放出」され、その挙げ句、世界の各地で発生した「バブル」は弾けて、「世界恐慌」一歩手前のような危機的事態が広がっている。

 蟻のような日本の一般国民は、これまで何十年もの間、懸命に働き続け、コツコツ貯めて経済成長を下支えして来た。そんな下々の世界を見下しながら、日本の政府と中央銀行は、「別世界」へ向けて「円」の大出血を続けた挙げ句、遂に行き詰った。「財政破綻」と「国家崩壊」に、とうとう行き着いてしまった。

 特権層が浮かれまくったあとに、寒々とした貧困の荒地が広がる。権力者が吸い尽くしたあとに、生活の砂漠が広がる。

 オブザーバー紙の写真の、地上に横たわるラクダとは、われわれ日本の庶民のことかも知れない……。

                ◇

 それにしても、もしわれわれが「ラクダ」なら、生活苦になど無縁の権力者どもは一体、何者なのか?

 その「答え」に代えて、本ブログで先に引いた、英国人ジャーナリスト、エマ・ラーキン女史のミャンマー・ルポ、『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』に出ていた、ビルマの昔話風の小噺を紹介することにしよう。

                *

 昔むかし、あるところに竜が住んでいました。
 

 竜は毎年、山から下りて村に現れ、食べ物や酒とともに、村一番の美しい娘をさらってゆくのです。

 竜が村を襲うたびに、毎年、若者が一人、竜を退治しに山に向かうのですが、誰一人、戻って来ません。

 ある年のこと、村の長老が山に向かう若者をこっそり追いかけました。若者の身に何が起きるか、その目で確かめてみようというのです。

 若者は竜に近づくや否や、剣を引き抜き、なんと一刀の下に竜を斬り殺してしまったではありませんか……。

 若者は竜退治を終えると、その場で竜の残したものを食らい、酒を飲み始めました。

 すると、若者の体は次第に竜に変身して……遂に、恐ろしい山の竜へと姿を変えてしまったのです……

                ◇

 アメリカの「波止場の哲学者」、エリック・ホッファーは数多くの箴言(アフォリズム)を遺した、わたしの大好きな人だが、その箴言の中に、「竜(ドラゴン)とは、獣に化けた人間である」という「定義」がある。

 ラーキン女史も書いているように、軍政権力がはびこるビルマでの言い伝えでもそうなのだから、ホッファー氏の言う通り、「竜」とはたしかに、獣に化けた人間、人間が化けてしまったものに間違いないだろう。〔獣が人間に化けたものを、ホッファー氏は「悪魔」だと言っている……〕

 それでは、いまの日本社会において、「竜」となった人間とは具体的に誰を指すのか?

 答えは至って簡単――。それはたとえば、あの守屋前防衛省事務次官である。

 彼もまた国家権力の牙城に入って、「竜」に変わった男なのだ。

 わたしは30年以上も前、仙台の東北大学法学部のキャンパスで、その守屋クン(1年先輩らしい)と言葉を交わしたことを、なぜだか覚えている。

 黄色っぽいジャンパーを着た守屋クンは、いま以上に、優しく、善良そうな顔をしていた。

 そう、あのかわいいラクダのような、丸い笑顔で……。

                 ◇

 石破防衛大臣は「モスラ」や「ゴジラ」が出てきたら自衛隊を出動させると言ったそうだが、至急、退治しなければならないのは、国民をないがしろにし、骨の髄までしゃぶり続けて来た、主に国家公務員上級試験合格の、霞ヶ関・永田町・市ヶ谷界隈に生息する「高級ドラゴン」どもである。
 
 それにしても「ドラゴン桜」とは、よく言ったもの。

 「守屋ドラゴン」の「尻尾切り」で、コトを収めてはならない。


http://www.guardian.co.uk/science/2007/dec/23/animalbehaviour.scienceofclimatechange/print

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Posted by 大沼安史 at 05:39 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-16

〔コラム 机の上の空〕 「不都合な真実」と「都合のいい嘘」 ノーベル平和賞受賞、アル・ゴア氏と佐藤栄作氏の「公約」スピーチ

 「偽」が「2007年の漢字」に選ばれた。「偽」ブランドそろい踏みによる、晴れの受賞だ。めでたくも、情けない限りのことではある。

 先日、ラジオのキャスターからコメントを求められ、ぼくが選ぶなら、詐欺の「欺」ですね、と答えた。

 国民を欺く「欺」、国民の虎の子、「年金」を掠め取る「欺」、「最後の一人まで」と選挙「公約」で欺いた「欺」。

 「偽」より「欺」の方が、よほど悪質である。
 
 ことしのワーストワンは「欺」ですよ、と答えたあと、「嘘」と言った方がわかりやすかったかな、と思い返した。

 「3月まで……」の「嘘」、「最後の一人まで」の「嘘」、「同席しなかった」「嘘」……「嘘」「嘘」「嘘」、「欺」「欺」「欺」続きの「2007年」ではあった。

                  ◇

 地球環境保護運動の先頭に立つ、前の米国副大統領、アル・ゴア氏の「ノーベル平和賞」受賞スピーチ(テキスト)を、ノーベル財団のサイトで読んだ。

 その中でゴア氏が、「漢字」2文字を紹介していた。

 「危機」――。

 ……中国と日本で使われている漢字では、“クライシス(crisis)”は、ふたつの文字で書かれます。最初の文字の意味は「危(デインジャー)」、ふたつ目は「機(オポチュニティー)」。気候の「危機」に立ち向かい、その「危」を除去していくことでわれわれは、あまりにも長い間、無視してきた他の危機をも解決する、われわれ自身の能力を途方もなく増大させる道徳的な権威とヴィジョンを獲得する「機」を得ることになるのです……
  
 In the Kanji characters used in both Chinese and Japanese, "crisis" is written with two symbols, the first meaning "danger," the second "opportunity." By facing and removing the danger of the climate crisis, we have the opportunity to gain the moral authority and vision to vastly increase our own capacity to solve other crises that have been too long ignored.

 ゴア氏に指摘されて気がついた。「危・機」とは、「危険」と向き合い、対決し、解決して行く「機」であることに。

 それはごまかすことでも、やり過ごすことでも、欺くことでも、嘘で言いくるめることでもない……。

 なるほど、そうか、と思った。

                   ◇

 12月10日、ノルウェーのオスロで開かれた授賞式に臨んだゴア氏は、その足でインドネシアのバリ島に飛び、13日の「国連気候変動枠組条約締結国会議(COP13)」で演説した。

 ブッシュ政権を痛烈に批判する演説だった。

 ……わたしはこれから、ある「不都合な真実」を話したい。わたしの国、米国が、このバリにおける(会議の)進捗を妨害する、主たる責任を負っていることだ……

 I am going to speak an inconvenient truth. My own country, the United States, is principally responsible for obstructing progress here, in Bali.

 ここで言う「不都合な真実」とは、ブッシュ政権が地球温暖化阻止の闘いの足を引っ張る元凶のひとつだ、ということである。

  (ちなみに「不都合な真実」とは、ゴア氏が制作・出版したドキュメンタリー映画&本のタイトルでもある)

 ゴア氏は演説の中で、「ブッシュの米政府」を、この会議の「部屋」を混乱させている「象」だと指摘さえした。

 よく言った、それでよし、と思った。

 
                    ◇

 ゴア氏の「ノーベル平和賞」受賞講演(ノーベル・レクチャー)は、「都合のいい嘘」を暴き、「不都合な真実」に迫り、今後とも地球環境保護の闘いに断固として突き進むという「国際公約」だった。

 ゴア氏は言った。われわれの目の前には「ふたつの未来」が待っている、と。

 ひとつの「未来」の若者は、われわれに「どうして行動を起してくれなかったの?」と聞き、もうひとつの「未来」の若者は、「どうやって、解決不能の危機を解決する勇気を持つことができたの?」と聞く……そのどちらの「未来」を、われわれは選び取るのか、と。

 ゴア氏は演説を、「この目的に向かって、わたしたちは立ち上がり、行動するだろう」という「決意表明」で締めくくったが、3日後のバリでの氏の演説は、オスロでの「公約」を、最初に実地で示すものだったと言える。

 ゴア氏はノーベル平和賞受賞「公約」を、早速「COP13」の場で果たしてみせたのである。

 よし、それでいい、さすがゴア氏だ、と思った。

                    ◇

 ゴア氏の演説を読むため、ノーベル財団のサイトを覗いたついでに、われらが(?)宰相、佐藤栄作氏の「ノーベル平和賞」受賞演説(1974年)の英文(正文)テキストにも目を通した。

 驚いた。そこに、「9条」への言及があったのだ。それも、条文の引用つきで。

 日本の首相、佐藤栄作氏は、そこでちゃんと「国際公約」していたのである。

 「日本のような主要国は、この(9条が指し示す)態度を、将来において、保持することを決意する」と。(英文テキスト引用箇所の最終センテンス)

 Fully conscious of the bitter lessons of defeat in 1945 and unswervingly determined to seek an enduring peace, our people revised the old Constitution. The new Constitution is founded on the principles of the protection of human rights on the one hand, and the renunciation of war on the other. Article 9 of the Japanese Constitution stipulates as follows:

 "Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or the use of force as means of settling international disputes".

 Such a declaration renouncing the use of force in the settlement of international disputes, incorporating the philosophy of the Kellogg-Briand pact3, has been made by peoples other than the Japanese. It is noteworthy, however, that a major power like Japan should have persevered in this direction by national consensus and be determined to retain this attitude in the future.

 日本は9条を守る……佐藤栄作氏は世界に向かって、こう「約束」したのである。

 首相の座を退いて2年後のこと。

 よく言ってくれた、と思いたいところだが、そう素直に喜べないな、と思った。「晴れ舞台」でついた(つかざるを得なかった)「都合のいい嘘」だったかも……と思った。

                    ◇

 佐藤栄作氏は「沖縄返還密約」「核持ち込み疑惑」など、「裏」がありすぎる政治家だった。彼の「表」の部分(「非核3原則」)に欺かれ、「平和賞」を贈ったノーベル財団も素朴過ぎるが、嘘で固めた保守政権を戦後、ほとんど一貫して選出し続けて来た、わたしたち日本国民は、それに輪をかけて「素直すぎた」ということだろう。

 そんな「保守本流」を受け継ぐ「偽ブランド政治家」(ことし、CIAの手先であったことが、ニューヨーク・タイムズの記者に暴露された「昭和の妖怪」の孫)らに偽られ、欺かれ、嘘をつき通され、挙句の果てに「国家・社会崩壊」の瀬戸際に追い込まれた、「2007年、日本」の年の暮れ。

 ゴア氏の言うように、「危・機」とは、危険を克服するチャンス。

 新年、2008年を世直し……日本直し、地球直しの「元年」とする。

 それしかないのだな、と素直に思った。 
  

〔ゴア氏、受賞スピーチ〕

 http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/2007/gore-lecture.html

〔佐藤栄作氏 受賞スピーチ〕
 http://nobelprize.org/cgi-bin/print?from=%2Fnobel_prizes%2Fpeace%2Flaureates%2F1974%2Fsato-lecture.html

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Posted by 大沼安史 at 05:09 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-10

〔コラム 机の上の空〕 バングラデシュ・サイクロン被害 「グラミン銀行」が救援活動

 先日、東海道新幹線の小田原駅のホームで「こだま」を待っていたら、「ひかり」が物凄い勢いで、目の前を通過して行った。

 空気を切り裂く、一本の楔(くさび)となって轟々と走り抜けて行く。

 11月にバングラデシュを襲ったサイクロン(熱帯の台風)「シドル」は、この速度、この風圧で、「ひかり」のような「点」ではなく、空いっぱいの「面」――それも連続する「面」として、つまり「大気の大津波」となって、襲い掛かって来たのだな、と、そのとき思った。

 バングラデシュの「グラミン銀行」のサイトに、「シドル」の風速が時速240キロ(秒速67メートル)に達した、と出ていたのを思い出していた。

                ◇

 11月15日、バングラデシュを直撃した「シドル」は、ベンガル湾に面した南アジアのこの国を、文字通り引き裂いた。

 死者10000人以上。数百万人が飢餓に直面している。

 国際赤十字社や「国境なき医師団」が現地入りしているが、復興は遅々として進んでいない。

                ◇

 「シドル」被災の報を聞いて、「グラミン銀行」のサイトにアクセスしたのには理由がある。

 昨年、ノーベル平和賞を受賞したエコノミスト、ユヌス博士の「グラミン銀行」なら、きっと救援に動き出しているのないか、と思ったからだ。

 貧しい人に、貧しい人から、それも無担保で融資し、社会的な自立を支援する「グラミン銀行」(グラミンとはベンガル語で「村」の意味だそうだ)なら、必ず支援に動き出しているに違いない。そう思ってアイコンをクリックした。

 思った通りだった。

 「グラミン」は――ユヌス博士たちは動いていた。
 「シドル」来襲が分かったときから。そして今も。

 すごい「銀行」だと思った。「銀行」の枠を超えている……いや、本来、「銀行」とはこうあるべきではないか、と思った。

                ◇

 「グラミン銀行」は「シドル」上陸に備え、対策本部を設け、被災情報の収集と支援対策づくりに乗り出した。

 被災した「支店」は366ヵ所、「融資センター」は13125ヵ所。

 「グラミン」から融資を受けている人(その家族を含む)で亡くなったのは931人。同じく行方不明者は1071人。

 また、「グラミン」の「メンバー」で家屋を失った人は321510人。家畜をなくした人は46000人。

 「グラミン銀行」は早速、スタッフを被災地に派遣し、救援活動に入った。

                ◇

 被災したメンバーの返済をとりあえず来年6月まで停止することにした。被災の状態によっては、返済猶予を、それ以上の期間、認めることにした。被災者からは元本の返済は受けるが、利子は受け取らないことにした。

 無利子の住宅再建ローンを(もちろん無担保で)貸し出すことにした。被災の程度が最もひどい世帯には10000タカを貸し出す。

 「グラミン」のメンバーになっていない被災者に対しても、新規の融資をすることした(もちろん無担保で)。

 学生には奨学金を融資することにした。高卒資格試験の受験料は、「グラミン」が肩代わりすることにした。

 「融資」だけではなく、被災者に対し、食糧や生活必需品を買うための「現金」供与も始めた。

                ◇

 金銭的なバックアップに加え、「グラミン銀行」は医師、看護師らによる医療チームを派遣し、被災地に「医療センター」を開設した。

 井戸を掘り、浄水装置も設置し、被災地の家畜の世話をする係りも配置した。

 毛布を配り、煮炊き用のポットなどを供給した。

 被災者に野菜の種子を配って歩いた。

                ◇

 「グラミン」の救援活動のあれこれを列記したのは他でもない。「銀行」が「地元」のために、「人びと」のために、ここまで、これほどまで支援に動いている……このことに心を動かされたからである。

 「シドル」の残した「死の谷」(グラミン銀行のサイトに、こう書かれていた!)に向かい、「マネー」を手渡し、生きる希望の種まきを続ける「グラミン」の「銀行員」たち。

 その姿を思うと、何か温かな、勇気付けられるものが、千の風、いや万の春風になって、はるかバングラデシュの地から優しく吹いてくるような……そんな錯覚にとらわれ、日本の「銀行」もそうあってほしい、そう変わってくれ、と痛切に願った。 

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Posted by 大沼安史 at 12:43 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-04

〔コラム 机の上の空〕 笑いの圧殺、または、ビルマ的「オーウェル世界」

 英国の女性ジャーナリスト、エマ・ラーキンさんが書いた『ビルマでジョージ・オーウェルを探す』(ペンギン、2004年刊行)に、いつも「高笑い」で答える、ビルマ人観光ガイドのことが出ている。

 「政治」にちょっとでも触れた質問をすると、ガイドの彼は決まって「高笑いをし、そのあと黙りこんでしまう」のだそうだ。まるで、質問を耳にしなかった、かのように……。

 何年か前、彼女がビルマ入りして取材していたときのことである。だから、「今」のことではない。

 質問に対する「高笑い」、そして「沈黙」は、ガイドの彼の暗黙の同意であり、事実の確認だったろう。

 僧たちの平和デモに血の弾圧が行われた今はもう、「高笑い」「沈黙」で「答える」こともできなくなっているのではないか。

              ◇

 ラーキンさんの本に、「歯医者のジョーク」というのが紹介されている。ビルマ人の「知人」の何人かとテーブルを囲んだ雑談していたときのこと、その一人が「ことさら眉をひそめ、ニヤリ笑いの兆し」を見せた……。

 とっておきの「冗談」を披露しようというのである。

 「あるとき、ひとりのビルマ人が近隣の国まで旅し、歯医者を訪ねました。歯医者は遠くから、わざわざ訪ねて来たのに驚き、こう言いました。『お国には歯医者はいないのですか?』。ビルマ人は答えました。『いますよ、いますとも。歯医者はいっぱいいます……でも問題がひとつあります。われわれは、ビルマじゃ口を開けられないんですよ』」

 言論の自由のないビルマ。軍政に対する「風刺」「あてつけ」さえ許されないビルマ。

              ◇

 僧たちが平和デモを続けていた9月25日、マンダレーの街で、コメディアンのウ・パル・パル・レイさん(60歳)が逮捕された。

 パル・パル・レイさんは「髭の兄弟」一座の座長。

 一座はビルマの伝統演芸「アーニャイ・プウェイ」の流れを受け継ぐ寄席芸人集団で、人形劇や笑劇を出し物に、かつては国内各地を巡業していたが、軍政当局にビルマ人の前での上演を禁じられ、いまはマンダレーで外国人観光客相手の「小屋」を開いている。

 そのレイさんのとっておきの「政治ジョーク」も、その「歯医者のジョーク」であることを、ニューヨーク・タイムズ紙のマンダレー発の記事(10月29日付け)を読んでわかった。

 レイさんのは、レイさん自身がインドまで出かけて行って歯医者にかかるバージョン。
 「一人称」の主体的・政治的なジョークである。

              ◇

 1996年に続く2回目の逮捕だった。

 その年の1月、「髭の兄弟」一座は、ヤンゴンのスーチー女史宅で巡業公演を行う。外国の大使らも観に来たその席で、レイさんは軍政をあてこすり、公演後、逮捕された。
 7年の刑を言い渡されたレイさんは、国際的な救援活動が強まる中、2001年7月に釈放された。

 そのレイさんの十八番に、「ツナミ(津波)のジョーク」というのがある。

 ミャンマー(ビルマ)の将軍が亡くなって、大きな魚に生まれ変わった。そこに、大津波が押し寄せて来た。大魚は海面に浮上し、津波に向かって叫んだ。「津波よ、止まれ。お前さんのすること、もうこの俺さまがしていることだから、押し寄せたって無駄だよ」と。

              ◇             

 軍政はまさにビルマの地上のすべてを破壊し尽くし、民衆の自由を流し去った。その実態はラーキンさんの著書に詳しいが、一言で言えば、ジョージ・オーウェルが描いた『1984年』のあの世界である。

 人びとが互いに監視しあい、密告しあい、権力者の意のままに操作され、無慈悲に抹殺されてゆく、あのオーウェル的世界の現代版、それがいまのビルマ(ミャンマー)である。

 オーウェルは大英帝国の警察官として5年間、ビルマに駐在し、その後、作家に転身(最初の著作は『ビルマの日々』)し、やがて『1984年』を書くことになるが、その彼がビルマの現状を目にしたら、どんな思いを抱くことだろう。

              ◇

 レイさんの2度目の逮捕は、「アムネスティー・インターナショナル」や、「英国ペンクラブ」などの手で全世界に報じられ、救援活動が広がった。

 幸いなことに今回は、ニューヨーク・タイムズが現地取材で事実経過を確認し、紙面で報じるや否や、翌30日になってレイさんは釈放された。軍政当局としては、「国際世論」が高まる前に釈放してしまえ、と判断しただけのことだろう。

              ◇

 ラーキンさんによれば、ビルマで教師など公職に就くには、「33問の口頭試問」にパスしなければならないという。

 あなたはいまの政府を支持しますか?  
 この国にもっともふさわしい政治体制は何ですか?……

 それらの問いに「支持しません」「デモクラシーです」などと答えようものなら、結果は目に見えている。

 「デモクラシー」と正直に答え、教職に就くチャンスを自ら閉じたある男性は、こうした「踏み絵」について、ビルマ国民の「思考力」を奪う狙いが込められている、とラーキンさんに語ったそうだ。

              ◇

 奪われる思考力、言論の自由、笑い……。これはまさに、「ウィンストン・スミス」が直面した「オセアニア」における「1984年」状況だが、ビルマの「2007年」状況では、権力者がまだ、「地下」または「内心」を完全に支配しきれないでいる。

 それのひとつの現れが9月の僧の決起であり、その後も続く、レジスタンスの動きであるのではないか。

 1988年の学生・市民の民主化デモの際、学生たちは縁起をかついで「4つの8」を期して行動を起こした。(8年8月8日午前8時)

 ことし9月の民主化デモでは、僧たちが聖なる数の9にこだわり、9日から9日間、準備をしたあと、9月18日(18は9の倍数)にデモを始めた。

 僧までも殺した軍政に対する、ビルマ民衆の最終的な決起がいつ起こるか?

 「旅回りの役者」や「あどけない子ども」がするという「ダバウング」という「聖なる予言」が出たという知らせは、まだビルマから伝わって来ない……。 
  


http://web.amnesty.org/pages/mmr-051007-feature-eng

http://afp.google.com/article/ALeqM5jbLSnmWgGGvSId2MBMIiM7Td3mPA

http://www.iht.com/articles/2002/02/07/edpringle_ed3_.php

http://www.scoop.co.nz/stories/print.html?path=WO0711/S00520.htm

Posted by 大沼安史 at 09:45 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-11-16

〔コラム 机の上の空〕 11月16日夜、町田の盛り場での出来事

 妻の命日(10月26日)を過ぎても、なぜか苦しくてたまらない。

 ことしは雨の中、仙台西郊の丘の上にある墓参を済ませた。線香が濡れて火が回らなかった。

 そのせい、かも知れない。いつもの年なら、命日が過ぎると、気持ちが少し楽になるのだが、ことしは何故か違う。

 今日も朝から苦しくて、夕方、JRで町田に出た。駅のすぐ近くにある馴染みの店に向かった。

 その居酒屋の主人から、なぜか初めて「おにいちゃん」と呼ばれた。「何年の生まれ?」と聞いて来るので、「昭和24年、2月。間もなく59歳」と答えた。

 坊主頭の店の主人は「やっぱり、おにいちゃんだ」と笑って、ツマミの量を増やしてくれた。

 いつものように、したたかに飲んだ。ビール、そして、焼酎のお湯割りを6杯。

 フラフラになって店を出て、駅に向かった。

 東急デパートの裏の角で、杖をついた若い女性が方向を見失い、ガードレールに衝きあたりそうになっていた。

 近くにいた客引きの若い男女が目配せし、女性の方が盲目の彼女に近づいていった。

 心配で見ていると、客引きの若い女性は、盲目の彼女に手を差し伸べ、やさしく誘導するではないか。

 盲目の彼女は、その後も道を見失い、向い側の町田市の施設の入口の前で立ち往生してしまった。

 それを見ていた客引きの男が相棒の彼女となにやら言葉を交わした。

 客引きの彼女は持ち場を離れ、盲目の彼女のところへ駆け寄り、ビルの入口へと一緒に階段を登って、杖をついた彼女が中に入るのを見届けてから帰って来た。

 その客引きの彼女が、駅に戻るわたしを追い越して、狙いをつけた女性をつかまえ、何やら話しかけ出した。説得が失敗に終わったらしく、すぐわたしの方へ引き揚げて来た。

 すれ違う瞬間、わたしは思い切って、彼女に声をかけた。

 「お姉ちゃん、おれは全部、見ていたよ。あんたら、いいやつだな。ガンバレよ、なぁ」と。

 若い彼女の目が、驚いて大きく見開かれた。ぼくの目を覗き込んで、何か言いたそうにしていた。

 大きな、美しい目だった。

 わたしは一礼して、そのまま町田駅へと向かった。

 うれしいな、と思った。

 大丈夫だな、とも思った。

 この国はまだ、大丈夫だ、こういう若い連中がいる限りは……。

 嬉しくなって感動して、酔っ払ったわたしの目から、涙があふれた。

 

Posted by 大沼安史 at 08:47 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-10-21

〔コラム 机の上の空〕 5年前にイラクで死んだ父親を想う8歳の少女のまなざし 

 ニューヨーク・タイムズ(電子版、10月21日付け)に、8歳の少女の写真が載っていた。
 5年前、3歳のとき、海兵隊員の父親をイラクで亡くした、キャメリンリーさん。

 彼女がいま、見ているのは、家の窓の外の、たぶん空だ。いや、空ではなく、父親を見ようとしている。

 ものごころのついた彼女は、父親のエリックがどんな人だったか、知りたくて仕方ない。
 ホッケー、してた? ファニーだった?

 急に母親のニコルさんに、質問を浴びせるようになった。

 そんなキャメリンリーを、窓からの光が包み込む。遅れて届いた悲しみとなって、少女を抱きしめる。

 彼女の、見開かれた大きな瞳は、われわれの世界の惨さを映し出す水晶の球だ。

 窓の外には、父親の命を奪った「世界」がある。
 これから、死んだ父親とともに生きてゆく「世界」がある。
 
 不条理なまでに透明な空を、彼女は見詰める。
  
 少女はたぶん、いま、対話を始めている。
 父親との、生涯にわたって続く対話を。

 その対話を、われわれはわれわれの自問自答としなければならない。 

  彼女の問いはわれわれの問いでもある。 

 イラク戦争遺児の一枚の写真を見て、そう思った。


http://www.nytimes.com/2007/10/21/us/21parent.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=all

Posted by 大沼安史 at 06:04 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-10-18

〔コラム 机の上の空〕 スーチー女史に捧げる歌 ダミアン・ライスの「弾かれざるピアノ」

 ビルマからをネットで追っていたら、アイルランドのフォーク歌手、デミアン・ライス(Damien Rice)さんが、スーチー女史に捧げる歌を歌っていることを知った。

 ライスさんは33歳。
 捧げる歌のタイトルは、「弾かれざるピアノ」。

 その詞がネットに出ていた。

 メロディーは、注文したCDが届くまではわからない。
 が、詞を読むだけで十分だ。
 勝手なメロディーが、ひとりでに胸の中で鳴り出す。

 ライスさんの「象」という歌の、ライブ演奏をネットで聞いた。
 優しい声の、心にしみわたる歌だった。

 「弾かれざるピアノ」も、たぶん優しく、シンプルなメロディーだろう。

 この世界に、こういう曲を書いて歌っている歌手がいる。そう思うと、ちょっと気が晴れる。そして、やはり、うれしくなる。

 この歌を、スーチーさんは聞いたことがあるのだろうか?
 

 スーチーさんのピアノは弾かれる日が来るのを待っている。
 自由の鐘のように、弾かれるその日を待っている。

 

 弾かれざるピアノ

 来て下さい わたしに会いに
 眠れるように歌って下さい
 泣かなくちゃならなときは抱きしめて

 たぶん その季節ではないけれど
 たぶん その年ではないけれど 

 たぶん これでいい理由もないでしょう
 わたしが閉じ込められていることに

 わたしをただ隠しておきたい それだけのことで
 月は煌々と輝いているのに
 彼らはわたしの夜をさらに暗くする

 弾かれざるピアノたちは
 ときどき窓辺に寄って

 愛する人の来ない部屋に
 彼女は独り 腰をおろす 沈黙の歌とともに
 誰かが届けてくれた歌とともに

 弾かれざるピアノたちは
 弾かれることを待っている

 蓋は閉じられ
 身じろぎもしない部屋に

 たぶん かんたんなことではなく
 あるいはたぶん むずかしいことでもなく

 たぶん わたしを解き放つことは
 人びとが決めてくれること

 わたしには隠すこのは何もなく
 わたしは何も悪いことをしていない
 それなのにどうして、こんなにも長く ここにいるの?

 弾かれざるピアノたちは
 ときどき窓辺に寄って

 
 愛する人の来ない部屋に
 彼女は独り 腰をおろす 沈黙の歌とともに
 誰かが届けてくれた歌とともに

 弾かれざるピアノたちは
 ときどき窓辺に寄って

 
 愛する人の来ない部屋に
 彼女は独り 腰をおろす 沈黙の歌とともに
 誰かが届けてくれた歌とともに

 
 弾かれざるピアノたちは
 弾かれることを待っている
 年は過ぎ行く
 月の満干の中で

  Unplayed Piano
   

  Come and see me
  Sing me to sleep

  Come and free me
  Hold me if i need to weep

  Maybe it's not the season
  Maybe it's not the year

  Maybe there's no good reason
  Why i'm locked up inside
  Just cause they wanna hide me
  The moon goes bright
  The darker they make my night

  Unplayed pianos
  Are often by a window
  In a room where nobody loved goes
  She sits alone with her silent song
  Somebody bring her home

  Unplayed piano
  Still holds a tune

  Lock on the lid
  In a stale, stale room
  Maybe it's not that easy
  Or maybe it's not that hard
  Maybe they could release me
  Let the people decide
  I've got nothing to hide
  I've done nothing wrong
  So why have i been here so long?

  Unplayed pianos
  Are often by a window
  In a room where nobody loved goes
  She sits alone with her silent song
  Somebody bring her home

  Unplayed pianos
  Are often by a window
  In a room where nobody loved goes
  She sits alone with her silent song
  Somebody bring her home

  Unplayed piano
  Still holds a tune
  Years pass by
  In the changing of the moon
 
 


http://www.iht.com/articles/ap/2007/10/07/europe/EU-GEN-Myanmar.php

http://www.sing365.com/music/lyric.nsf/PrintLyrics?OpenForm&ParentUnid=EEB6CD58518C72934825703C00096DA8

http://www.damienrice.com/home.html

http://en.wikipedia.org/wiki/Damien_Rice

http://www.digitalspy.co.uk/showbiz/a76368/damien-rice-joins-un-burma-campaign.html

http://www.rctimes.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070913/ENTERTAINMENT0102/709130303/1005/MTCN0303

http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2007/Oct/26-Oct-2007.html

Posted by 大沼安史 at 11:08 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-10-02

〔コラム 机の上の空〕 ミャンマー 将軍たちのゴルフ場

 英国のジャーナリスト、ジョージ・モンビオ氏がガーディアン紙に、ミャンマーの僧を支援するさまざまなアイデアを書いていた。

 ミャンマーに権益を持つ国家、企業、事業家に圧力をかけ、軍の圧制に歯止めをかけようという提案である。

 ことし1月、中国政府はミュンマーでの人権抑圧を非難する決議に拒否権を行使したが、これに対し、モンビオ氏は北京五輪のボイコットをちらつかせて、こう脅しをかける。

 「もし西側諸国が北京五輪をボイコットしたら、それは中国にとって1989年(の天安門事件)以来の最大の政治的危機になるだろう」と。

 モンビオ氏は、「世界議会」の創設など、グローバルなガバナンスの提唱者として知られるが、中国をこうさりげなく威嚇してみせるあたり、なかなかの胆力の持ち主である。

 氏はさらに、ミャンマーでビジネスを展開する、天然ガス・石油会社の「アクアティック」社などに電話をかけまくり、コメントを得ようとした努力の結果を紹介している。

 ガチャンときられたことも。

 それでも負けない、しつこさがいい。

 結局、断られまくるが、断られたことが意味を持ち、事実として読者のわれわれに迫ってくる。

 ミャンマーには日本の商社なども進出しているそうだが、日本のマスコミも氏に見習って、コメントを求めてはどうか?

 モンビオ氏は、ミャンマーから撤退した企業についても紹介している。スポーツ・シューズの「リーボック」社がそうだ。

 「リーボック」のCEOいわく。「体制が人権を抑圧しているとき、取引することは適切ではない」。

 ミャンマーでは軍政に取り入らないと仕事ができないのである。

 モンビオ氏の筆の矛先は、元ゴルファーのゲイリー・プレーヤー氏(南ア)にも向かう。

 プレーヤー氏はミャンマーに、ゴルフ場をつくったそうだ。650エーカーの水田を潰して。

 ミャンマーのゴルフ場は、なぜ問題か?
 それは軍事独裁政権の将軍たちのためのゴルフ場だからだ。
 ミャンマーではゴルフは特権階層の遊びである。

 モンビオ氏は、こう指摘する。
 プレーヤー氏は来月、「ネルソン・マンデラ記念招待ゴルフ大会」を開く予定だが、マンデラ氏は名前を使われるのを考え直すべきではないか、と。

 ミャンマーには、プレーヤー氏がつくった以外にも、ゴルフ場がいくつかあるという。ピーナツ畑を潰したりしてつくったコースだ。

 その緑の上で、日本の企業関係者らも、将軍たちと接待ゴルフを続けて来たのだろうか?

 事実としたら、嘆かわしいことである。 
  


http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2181658,00.html

http://www.monbiot.com/archives/2007/10/02/the-juntas-accomplices/

Posted by 大沼安史 at 06:25 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-09-30

〔コラム 机の上の空〕 ミャンマー 仏教の非暴力と軍事独裁の暴力 「サフラン革命」は、ひとりの兵がひとりの僧と連帯するとき、成就する

 英紙オブザーバー(電子版、9月30日付け)に、ミャンマー問題の専門家、エマ・ラーキンさんのコメントが掲載されていた。

 ラーキンさんは、『秘められた歴史―喫茶店でジョージ・オーウェルを探す』という本の著者で、ミャンマーに2年間滞在。現在はバンコクを拠点に活動している人だそうだ。

 そんな彼女のコメントを一読して、なるほどと思った。教わるものが多かった。

 そのふとつは、ミャンマーというところが、一方に2500年の仏教による「非暴力」の原則があり、他方、45年続いた「残虐な権力の支配」がある、対称的な国である、という指摘だ。

 僧の数、40万から50万人。兵士の数、約40万人。
 僧と兵は1対1のバランス。この点も、非常に対称的だ。

 さて、その「僧」のサイドが今回、動いたわけだが、こんどの僧の決起は、その一週間前まで「不可能」、ありえないと考えられていたものだったという。

 実際、「ありえないもの」が起きたのだけれど、「驚き」でもなんでもなかった。

 地下に潜って活動していた「全ミャンマー仏教僧連合」が、監視と弾圧をかいくぐってデモに打って出た。

 そういう素地があったからだ。

 ところで、その僧たちのデモは信仰上、「非暴力」なものにならざると得ない。

 とすると、現在の軍政を打倒する「力」は、「暴力」において非対称的で、「頭数」では対称的な「兵士」たちの中から生まれて来ざると得ない。

 僧に対する暴力的な弾圧は、兵士たちの中に、悪しき「業(カルマ)」を蓄積し、それに彼らが耐えられなくなったとき、「兵」は「僧」と合流するだろう。

 ラーキンさんの友人の僧は、「ミャンマーでは何でも起こる」と言ったそうだ。

 軍政の手先をさせられた兵士が反乱を起すという意味だそうだ。

 ひとりの兵士がひとりの僧と手をつなぐとき、ミャンマーは変わる。 


http://observer.guardian.co.uk/comment/story/0,,2180411,00.htmlhttp://observer.guardian.co.uk/comment/story/0,,2180411,00.html

Posted by 大沼安史 at 06:41 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (3)

2007-09-25

〔コラム 机の上の空〕 風立ちぬ 回れ、平和の風車

 九月もそろそろ、終わり。秋風が、高原から平野に舞い降りて来ました。
 静かな秋、祈りの秋。

 秋風に運ばれ、アメリカから、うれしい「便り」が……。

 「平和の風車(かざぐるま)」を回す運動が広がっているというニュースです。

 Pinwheels for Peace。平和のための風車。
 平和を願う人びと、手づくりの風車が、9月21日の「国際平和デー」に、アメリカを中心に全世界2500ヵ所で回ったそうです。

 ジョージア州のゲインズヴィル中学校では第6~8学年の全員が、「マイ・平和の風車」を校庭に植え込んだそうです。

 いろんな色、いろんなデザインの風車が、クルクルと回り続けたそうです。
 「戦争」よ、「破壊」よ、風とともに去れ、と。

 地元紙によると、風車の羽根には子どもたちの願いが書き込まれたそうです。
 「イマジン(想像しなさい)……回る平和を!」とか「毎日が平和でありますように」とか。

 フロリダのある田舎町では、2つの小学校で270個の風車が回ったそうです。
 「脅かさないで」「わたしのオモチャで遊んでね」――
 風車に書き込んだ、そんな1年生たちの「お願い」が、地元紙に紹介されていました。 

 こんな「平和の風車」運動が広がっているなんて、知りませんでした。
 フロリダ州のココナッツ・クリークという町から広がったもので、ことしで3年目だそうです。

 呼びかけ人は、ココナッツ・クリークの美術教諭の、アン・エイヤーズさんとエレン・マクミランさん。
 彼女たちが始めた「平和の風車」プロジェクトはまさに、風に乗る勢いで北米各地、全世界に拡大し、ネット上に運動のサイトができるほどになりました。

 サイトの「ギャラリー」には、写真がいっぱい載っていて、まるで「風車写真博物館」といった感じです。

 眠る赤ちゃんを見守る風車があれば、お店の正面に立てた特大の風車もあります。

 そのサイトに、アンとエレンさんのメッセージが載っています。彼女たちはなぜ、平和の風車プロジェクトを始めたのか?

 それは、子どもたちが、テレビやビデオゲームで、戦争を重要視する映像の猛爆を受けている、という危機意識に駆り立てられたから、ということだそうです。

 「子ども期のシンボル」の「風車」で、いまや子どもたちの生活の一部と化した「暴力」を鎮めようと、運動を思い立ったそうです。

 しかし、「政治的な運動ではない」と彼女たちは断っています。それはあくまでも、シンプルで楽しくて、しかも平和な時間を思い出させるものであり、あとは風と創造力(想像力)があればいい、それだけで「何か」が回り始めるものであると。

 平和を求める心の中心には、素朴な願いがあればいい、そこから全てが回り出すのだ、と彼女たちは言おうとしているようです。

 「風車」は日本の秋の風物詩でもあります。
 アンさんとエレンさんの呼びかけに応え、日本の学校でも、子どもたち手づくりの「平和の風車」が回り始める日が来るといいですね。 

 回れ、平和の風車。「戦争」も「いじめ」も、どこかに飛んで行け!!! 


 http://www.pinwheelsforpeace.com

Posted by 大沼安史 at 06:21 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-09-12

〔コラム 机の上の空〕 「戦後レジーム」の黄昏 安部首相の辞任

 「9・12」の夕方、散歩に出て西空を飽かず眺めた。斜陽・日本の、見事な日没の絵巻だった。水平に、いくつもの薄雲の層が重なり合い、しだいに深紅に染まりながら、黒い闇の中に溶けて行った。

 「美しい国」の日の入り。
 散歩の帰り、居酒屋に寄ると、テレビの解説者たちが「安部首相、突然の辞任」について、声高に話していた。

 安部氏の「無責任」を非難する人がいた。首相の器ではなかったと指摘する人もいた。
 個人の気質、資質を問題にする意見が多かった。

 美しい夕焼けを見てしまったわたしは、安部首相の辞意表明で、「歴史が暮れた」と思った。安部氏の言葉で言えば「戦後レジーム」が、いよいよ黄昏を迎えたのだ。

 安部氏という戦後生まれの史上最年少の首相であっても、つるべ落としの勢いには勝てなかった。地球の向こうの闇の中に、一気に落下していく「日の丸」を、止めることができなかった。

 安部氏は「日本帝国」を日の出の勢いで「大東亜」に押し出した岸信介の孫だった。敗戦を生き延びた「祖父の国」は、三代目で行き詰った。

 安部氏がどんなに有能でも、初めから無理なことだった。
 日没の時は、変えることはできないのだ。

 これは安部氏でなくとも、「日の丸」のコースを定め、そこに乗りかかっていた戦後日本の権力をほしいままにしてきた支配層の人間なら誰でも、そうである。

 彼らこそ、落日そのものであったのだから……。

 「年金」問題で地獄の釜の蓋が開いた。「官の支配」の真実が覗いた。
 「国民」の暮らしなど、ほんとうはどうでもいい、かつて国民を戦争に動員した「1940年体制」のゾンビが尻尾を見せた。
 「国民」は、もはやこの国に平安な余生がないことを知った。

 「財政」も破綻した。「官」に食いつぶされた国家財政は、もはや死の宣告を待つばかり。借金地獄のさなかにあって、「政策」どころのさわぎでなくなっていた。

 財源がないから、まともな「政治」ができなくなっていた。
 生活保護を取り上げ、餓死に追いやる自治体が出た。介護地獄は介護する老人を親殺しに導いた。

 「教育」も「再生」しなかった。「ゆとり」退治に狂奔し、「学テ」ではカンニングする教委まで現れた。

 「経済」も行き詰った。「いざなぎ超え」のはずの景気は上げ底景気で、GNPはついに失速、またも縮み始めた。

 要は、この国から、すでに「内政」は失われていたのである。

 「外交」ではどうか? 

 「国連常任理事国入り」の「花火大会」が、撃ちてし止まんで終わったあとは、「対米従属」の海を漂流するだけ。
 
 「世界」が見放したブッシュ政権のサポーターになることが「国際貢献」だと思い込み、「拉致」問題では頼みのブッシュにも突き放されてしまった。

 そしてあの「慰安婦」問題での体たらく。

 「対外援助」も先細りで、国際社会における存在感はますます影の薄いものになって来た。

 「世界経済」に対しても、爆発寸前の巨大赤色(?)矮星のように、「格安マネー(円)」を「大放出」し、世界中にバブルをつくって、民衆の恨みを買った。 

 一言で言えば、安部首相の「美しい国」は、国の内外において空洞化が救いがたいほど進んでいたのである。

 それが破局の一点に向かって、一気に進み出したのが、今の日本の姿だろう。

 その意味で、安部首相の今回の辞任表明は、戦後の歴史の「臨界点」だったかも知れない。体制崩壊の負の連鎖反応が一挙に拡大し、「美しい国」の日暮れを赤く染め上げたのだ。  

 わたしは、居酒屋でひとり飲みながら、「暮れてよかった」と思った。

 軽い酔いの中で、自ら潔く、「美しい国」の幕を引いた安部氏を称賛したい気にもなった。 
 
  
 歴史が夜つくられるのであれば、「9・12」の日本の夜は、歴史の初夜ということになる。

 暮れた日はまた昇る……いや昇らなければならない。

 しかし、昇るのは、古い日の丸か、新しい日の丸か……

 居酒屋を出て見上げた横浜の空はどんよりとして重く、半そでシャツの身に夜風がすこし肌寒かった。

 

Posted by 大沼安史 at 09:25 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-09-11

〔コラム 机の上の空〕 ブッシュ政権 「情報操作」攻勢 「9・11」背景に「イラク増派」成功キャンペーン(に失敗)

 イラク駐留米軍のペトレイアス司令官が9月10日、米連邦下院公聴会で証言、米軍の軍事目的はほとんど達成されているとして、来年の7月までに、ことし1月以降、イラクに増派された30000人に近い規模の米軍を撤退・削減できる、と語った。

 30000人近い兵士を帰還させることができますと、米軍の最高司令官であるブッシュ大統領に勧告する、というのである。

 ペトレイアス、そう語りき。
 そう、駐留軍司令官はたしかに「語った」。

 でも、ただ、それだけのこと。

 なのに、釣られて日本の新聞(たとえば、11日付け「朝日」夕刊)の1面にも、「イラク米軍3万人減 現地司令官議会に提言 来年夏までに」の4段見出しが踊り出た。

 米軍の増派効果が出て、イラク現地の混乱は収まっている。いよいよ撤退開始だ!……と期待を煽るような、ブッシュ政権も大喜びのヨイショ「提灯記事」ではある。

 アメリカ現地の報道ぶりは、とニューヨーク・タイムズの電子版をのぞいてみると、「ペトレイアス イラク早期撤退に警告」というそっけない見出し。

 「イラクの状況は依然として複雑、困難で、時に心底、不満を募らせるものだ」など、現地司令官の「本音」を覗かせる証言をちゃんと引用している。

 タイムズ紙は、「3万人削減」計画など、その場しのぎのカタリに過ぎないことを、ちゃんと見抜いているのである。

 「9・11」の前日に、まるで「イラク戦争」に「勝利」しているかのようなキャンペーンをせざると得ないブッシュ政権の手詰まりを、しっかり見透かしているのだ。

 イラク現地の実態はどうか?

 われらがパトリック・コバーン記者(英紙インディペンデント)のレポートを読むだけで、ペトレイアスの証言の虚しさがはっきり分かる。

 11日付けの同紙電子版のコバーン記者レポートの見出しにあるように、「米軍の“攻勢(サージ)”は流血のこう着状態の改善に失敗」しているのである。

 イラク内務省の「発表」によると、8月のイラク人の犠牲者(死者)はわずか「1011人」だが、同省筋が米紙に明らかにしたところによると、実際は「2890人」。

 コバーン記者は「歪曲するどころか誤ったイラク像を産み出すために、ホワイトハウスは数字と事実を操作している」と手厳しく批判している。

 そんなイラク軍現地司令官の「楽観レポート」と一緒にステップを踏んで、テロの親玉、「ビン・ラディン」のビデオなるものがまたも流れた。

 今夏2度目の登場。

 「ホンモノ」説が飛び交う中、付け髭をしている、との米情報筋の見方も紹介された。報じたのは、例によって、英紙インディペンデント。  

 「ホンモノ」だとしたら、病気(腎臓病)と老化で、付け髭をしなければならないほど、やつれているのだろう。

 ビデオでは例によって「9・11」の聖戦士の戦いぶりを称賛しているらしいが、「世紀の謀略」の「駒」に使われただけ、と知ったら、驚きのあまり、付け髭を落としてしまうに違いない。

 「ゾグビー・インターナショナル」の世論調査によると、「9・11」がらみで米国民の51%が、ブッシュ・チェイニーに対する調査を望んでおり、30%以上が即時弾劾を望んでいるそうだ。

 「9・11」が史上空前の陰謀ではないか、との疑惑はますます募るばかりだ。

 そんな折、米国の著名な神学者、デイビッド・レイ・グリフィン氏による、「9・11」疑惑のポントを総ざらいした本の邦訳がついに出版された。

 『9・11事件は謀略か』というタイトル(邦題)で、版元は拙訳の、パトリック・コバーン著『イラク占領』を出してくれた緑風出版。

 グリフィン氏はマニアックな一部の陰謀論者と違って、「9・11」をめぐるさまざまな疑惑をひとつひとつ検証し、それが新たな戦争を開始するための(米国民の怒りを結集、動員するための)「21世紀の真珠湾奇襲攻撃」に等しいものだと、冷静に分析している。

 原書は全米のマスコミが完全シカトするなか、10万部以上も売れ、隠れたベストセラーになっている。

 著者のグリフィン氏は高齢をおして各地の教会などで講演を続けており、そんな氏の地道な活動から、「9・11」をめぐる疑惑の波紋があちこちで生まれ、世論を動かすまでになっているらしい。

 「イラク戦争」がますます泥沼化し、ブッシュ政権への反発が強まれば、「9・11」の真相解明を求める世論の圧力もますます強まるだろう。

 ブッシュ政権が、一時逃れを重ねた挙句、最後に直面するもの――それはおそらく、「イラク撤退」という結末だけでないだろう。

 口を閉ざしていた証言者らが名乗り出て、「9・11」の真相が明かされる、驚天動地のフィナーレが、来る。   


http://comment.independent.co.uk/commentators/article2950301.ece

http://www.nytimes.com/2007/09/11/washington/11policy.html

http://www.asahi.com/international/update/0911/TKY200709110140.html 

http://www.911truth.org/article.php?story=20070906103632686

http://www.amazon.co.jp/9%E3%83%BB11%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AF%E8%AC%80%E7%95%A5%E3%81%8B%E2%80%95%E3%80%8C21%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%94%BF%E6%A8%A9-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/4846107132/ref=pd_bbs_sr_1/503-3783931-6223118?ie=UTF8&s=books&qid=1189519907&sr=8-1

Posted by 大沼安史 at 11:46 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-09-10

〔コラム 机の上の空〕 ワシントンのシュールリアリズム 米兵7人 バグダッドからニューヨーク・タイムズに寄稿

 イラクから眺めると、ワシントンでの政策議論は超現実(シュールリアル)なものにしか見えない――バグダッドに駐留する米陸軍の下級兵士たちが、こんな内容の告発文を連名でニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した。〔8月19日付け〕

 第82空挺師団のウェズリー・スミス軍曹やヤンス・グレイ曹長ら7人が、全員実名で告発した。

 イラク戦争が抑え込み可能であるかのようなニュース報道に抗議し、戦地の実情を兵士の目で報告したものだ。

 「数日前の夜」、こんなことがあったという。

 彼らは米兵1人が死亡し、2人が負傷する場面に遭遇した。(安全なはずの)イラク政府軍検問所と警察の検問所の間で、車両の装甲を貫通する爆弾が炸裂したそうだ。

 周辺のイラク住民の話ではイラクの警察官と政府軍の将校が爆弾の敷設を手引きしていたという。住民たちが事前に通報しなかったのは、知らせれば家族皆殺しに遭うからだ……。

 警察と政府軍といえば、米軍の味方のはずである。結局のところわれわれは、そんな疑わしい「盟友」と、断固たる敵(武装抵抗勢力)の中で作戦行動を余儀なくされている――7人はイラクの実情を指摘する。

 敵と味方の区別もなく、味方が敵であるイラクの戦場。
 味方(政府軍・警察)は米軍の盟友であることを前提とするワシントンの議論が、現実とは無縁のシュールなものにならざるを得ないのは当然のことである。

 7人はバグダッドの米軍が置かれた苦境を説明する一方、「日常生活を営むことが死を恐れぬ行為となっている」一般のイラク人の窮状にも触れている。

 そして彼らは結論として次のように語る。
 われわれ米軍の駐留は、イラクの人びとは独裁者から解放されたかも知れないが、イラク人の自尊心をも奪っていることは確かだ、と。

 イラク駐留米軍には、このように語る兵士たちがいる(そして、その寄稿を掲載する新聞がある)!

 これは実に勇気付けられる話である。

 不条理がまかりとおる戦場にあって正気を守り通し、真実を訴えかける兵士たちがいるのだ。
 新聞に寄稿するガッツのある連中がいるのだ。

 米軍兵士よ、立ち上がれ! 
 立ち上がって、ワシントンの狂気に抵抗せよ!
 戦闘を中止して、撤退を開始せよ!  

 7人の兵士は自分たちを「コミットする(責任を持って対処する)兵士」であると書いていた。

 米軍当局は彼らを軍規違反に問うてはならない。
 
 彼らこそ、正義を守る「荒野の7人(Magnificient 7)」である。
 
 

Posted by 大沼安史 at 01:29 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-09-02

〔コラム 机の上の空〕 戦争の意味を問う一枚の写真 「海兵の結婚」 花嫁の視線の先にあるもの

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に、イラク戦争で負傷した米兵の「写真集」が掲載されている。
 ニューヨークの女性写真家、ニナ・バーマンさんが撮影したものだ。

 11枚の「スライド・ショー」。

 6枚目の写真を見て、息をのんだ。

 結婚式の記念写真。新郎と新婦、ふたりきりの。

 写真のタイトルは「海兵(マリーン)のウェディング」。

 写真右手に立つ新郎は、ティ・ジーゲルさん(24歳)。左手の新婦は新婦のレニー・クリネさん(21歳)。

 昨年、アメリカ中西部の田舎で撮影されたものだ。

 軍服姿の新郎の左の胸には勲章がいくつか。
 どれがどれだか見分けはつかないが、そのうちのひとつが戦傷者に贈られる「パープル・ハート」勲章だという。

 海兵隊員だった新郎は2年前、イラクの戦地にいた。自爆攻撃で乗っていたトラックが炎上し、顔面を含む頭部を焼かれた。

 テキサスの病院に運ばれ、整形手術を十九回、受けた。
 頭蓋骨はプラスチック製に代わり、顔面から「目鼻立ち」と「表情」が消えた。

 その新郎のそばにたたずむ新婦の「表情」に微笑みはない。

 口を結んだまま、大きく目を見開いて、左前方へ視線を向けている。

 怖いものを見たような彼女の視線は、写真を観る者の前を過ぎり、かすかに上昇しながら一直線に画面の右手に飛び出して行く。

 その視線の先にあるものを、新婦を横から見ている(らしい)新郎もたぶん、知らない(花嫁に向かって、何を見てるの?と聞いているにも見える)。
 知っているのは、花嫁ただひとり。

 しかし、写真を観る者は、新婦が見ているものを想像することはできる。彼女はおそらく、その場の空間の一点に、ふたりの「運命」を決定付けたものを見て取り、直視しているのだ。

 「イラク戦争」を決定し、夫が「戦傷」する舞台を用意したものの姿を、彼女はその真っ直ぐな視線で、見極めようとしている。

 「スライド・ショー」の解説記事の中で、タイムズ紙の記者は、ふたりの姿は「あまりに孤独」(と見えるかも知れない)だ、と書いている。

 戦場で戦傷した者の帰還は「生還」ではなく「死を携えての帰還」である。迎える者の喜びの中に死の影が射し込むのは、如何ともしがたいところだ。

 が、タイムズ紙の書くところによれば、二人の結婚式は、喜びに満ちた、祝福されたものだったという。

 
 生よ竦(すく)むなかれ、死よ驕(おご)るなかれ!

 白と黒のコントラストが鮮明な二人の写真は、死と生、苦難と希望、戦争と平和の区分を明確化する現代世界のポートレートのようにも見える。
  
 花嫁のウェディング・ドレスと、花婿の正装の腹帯、首から上の「白」は、ふたりして生き抜こうとする決意の色であり、戦争を告発してやまない正義の色であるだろう。

 二人の写真は、イラク戦争の終結へ向けた、ささやかで、しかしながら決定的な記念碑的な一枚である。

 その写真に向かって、わたしも声をかけることにしよう。

 おめでとう、お幸せに、と。


http://www.nytimes.com/2007/08/22/arts/design/22berm.html?ex=1188878400&en=e6914b3204d55b58&ei=5070

http://www.nytimes.com/slideshow/2007/08/21/arts/20070822_BERMAN_SLIDESHOW_10.html
 

Posted by 大沼安史 at 05:16 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-07-26

〔コラム 机の上の空〕 共和・泊原発の直下活断層を報道せよ 北海道新聞の若い記者諸君への手紙

 東電の柏崎原発の直下に活断層があり、それが地震被害を増幅させたことを知って、わたしはいまから二十年以上前、北海道新聞の社会部記者だったころ書いた、スクープ記事のことを反射的に思い出していた。

 小樽の南、北海道の日本海側、後志(しりべし)管内泊村に建設された北海道電力の「共和・泊原発」の直下に活断層があることを、朝刊の1面トップで報じたのである。

 その活断層にはなんと「発足(ハッタラ)断層」という名前までついていて、「活断層研究会」がまとめた『日本の活断層』という分厚い本に、その存在がハッキリ記されていたのだ。

 この活断層を存在を確認したのは、北海道地質調査所の研究者だった。
 確認取材に回ったわたしに、北海道大学理学部の某教授は、「発足断層」の存在を肯定する一方、記事にするなら、地質調査所の研究者(たぶん、その教授の教え子)に累が及ばないようにと、わたしに懇願したのだった。

 わたしのこの記事が出たのは月曜日の朝刊。
 ちょうど、その1週間前の月曜日、わたしが書いた、「和光大学の生越教授が警告、共和泊原発の地盤、液状化の恐れ」(うろ覚えだが、たぶん、こんな感じだったと思う)が月曜朝刊の1面トップを飾り、編集局の幹部が慌てふためき、右往左往したことにとどめを刺す、ダメを押しの、決定的な暴露報道だった。

 もちろん、わたしは当時、一介の社会部記者。記事を書くことはできても、紙面での扱いを決めるのは編集局の幹部と、整理部の整理記者の権限。

 わたしの書いた2本の記事は、いずれも編集局幹の不在の日曜日の出稿で、男気を出した整理部の記者たちが、1面トップに据えてくれたのだ。

 当時の道新、つまり北海道新聞の編集局には、そうしたジャーナリスト魂がなお強烈に宿っていたのである。
 あの60年安保の、「よって来たるゆえんは別として……」新聞各社共同声明に断固反対し、解体新書の以前に戻るつもりかと痛烈にコラムで批判した、須田禎一氏(元朝日記者、戦争報道の責任を取り、退社して道新入り)によって培われた反骨精神が、まだ脈々と生きていたのである。

 わたしの「直下に活断層」記事が出たあとの、社の対応は情けないの一言の、権力迎合的なものだった。

 月曜の夜、編集局に上がったわたしが見ている前で、政治経済部のデスクが訂正記事なのか続報なのかわからない記事に手を入れていた。

 執筆した記者は、デスクがメチャクチャ、書き換えているのを見て、「わたしには責任がとれない」と言って、顔を真っ赤にして出て行った。

 次の日の夕刊の3面に、何が何だかわからない、大きな記事が載った。ここはひとつ冷静になろうというような意味の「記事」だった。

 当時、わたしは20代の末か30のはじめの若い記者。
 何も恐れることなく、取材して記事にまとめた。

 たぶん、このことが原因で(ほかにもいろいろあったが)、わたしは雑誌部門に配置換えさせるのだが、後悔はなかった。

 わたしはむしろ、政治経済部の記事に対して声高に抗議しなかった自分を恥じた……。

 そんな二昔前のことをいま思い出だすのは、柏崎の二の舞を恐れるからである。

 わたしは北海道新聞の若い記者諸君に言いたい。

 わたしの書いた記事を調査部で見て、ぜひもう一度、「発足断層」の問題を洗い出し、道民世論に問うて欲しい。

 北電の地震対策がどうなっているか、調べてほしい。対策が十分でなかったなら、対策を強化するよう迫ってほしい。

 それが君らブンヤの使命であり、当然なすべきことではないか?

 このコラムが君たち、若い記者諸君の目にとまり、諸君が取材に動き出すことを念じつつ、権力に負けるな、道民のため、人びとのため取材して書け、と呼びかけながら、ひとますここで筆を擱くことにする。

 

Posted by 大沼安史 at 07:49 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-06-23

〔コラム 机の上の空〕 「慰安婦」決議で米紙に反論広告 社保庁並みの「恥の上塗り」 RAAの米兵「慰安所」は、ほんとうに占領軍のごり押しだったか? 

 日本の「国会議員有志」や「言論人」らが、今月(6月)14日の米紙ワシントン・ポストに、「慰安婦」問題に関する全面広告を出した。

 朝日新聞(19日付け)の報道によると、(「慰安婦」集め)に「強制性を示す文書」はないとする意見広告で、米下院外交委での謝罪要求決議を睨んだものだったが、逆に議会側の反発を招き、逆効果に終わったとする見方も議会筋から出ているという。

 意見広告には、「1945年に占領軍当局は、米兵による強姦を予防するため慰安所の設置を日本政府に要望した」とあり、「これが反発を招いた可能性もある」と、朝日新聞のワシントン特派員は指摘している。

                □

 その記事を読んで、「意見広告」の主張(安部首相の主張)は、なんだか「年金」問題に似ているな、と思った。
 領収書がなければ、支払った「客観的事実はない」、だから払わない、という開き直りと、文書が見つかっていなから、強制性はない、責任はない、という居直りと。

 まさに、社会保険庁顔負けのゴーマンさ、だ。
 

 「占領軍当局が……慰安所設置を日本政府に要望した」というくだりも気になった。

 かりにそうした事実があったとして――占領軍が慰安所設置を日本政府に要望し、その「要望」に唯々諾々従って、日本政府が慰安所を設けたとしたなら(RAA=特殊慰安協会による米兵相手の「慰安所」は各地につくられたから、日本政府は占領軍の要望を拒否しなかったのは明白な事実であろう)、昨日の「鬼畜」に「大和撫子」を差し出した、日本政府の弱腰もまた、大いに批判されるべきところだろう。

 
                □

 昭和8年、東京・大森に生まれ、戦後、下町の町工場で職人生活を長年続けた、作家の小関智弘さんは、わたしの大好きな作家のひとりだが、少年時代の回想を『東京大森海岸 ぼくの戦争』にまとめている。

 そこに、いまの「平和島入口」あたりに設置された、RAAによる「慰安所」の成り立ちが詳しく書かれている。

 『東京闇市興亡史』という史料(これまた「文書」のひとつであろう)に依拠したもので、それによると、敗戦3日後の、昭和20年8月18日、内務省警保局長から各警察署長あて、外国駐屯軍に対する性の営業に関し、「積極的に指導を行い、設備の急速充実をはかるものとする。性的慰安施設、飲食施設、娯楽施設。営業に必要な婦女子は、芸妓・公私娼妓・女給・常習密売淫売犯等を優先的にこれを充当するものとする」との、秘密無電による準備指令が発せられたという。

 そしてその日のうちに警視庁保安課の課長が東京料理飲食業組合の代表3人を呼び出し、「婦女子の安全をはかるには、防波堤となるものが必要だ」と「懇願」(中略)、「警視庁のお墨付き、大蔵省の肝煎りでRAAは生まれ」、早くもその9日後の同月27日、大森海岸の小町園に第1号施設が「開店」するという慌しさ。

 内務省が「準備指令」を発したのは、昭和天皇の「玉音放送」の記憶も生々しい、敗戦のわずか3日後の18日。
 占領軍第一陣の日本上陸は同27日だから、日本政府(内務省)はその9日も前に、早々と「準備」を始めていたことになる。

 占領軍当局の「要望」というより、日本政府のイニシアチブでことが進められたような印象を拭いきれない。

 事実は逆で、政府(内務省)が積極的に慰安所開設に動いたのではなかったのか?

 さて、そのRAAの話に戻るが、「募集」には「明日の食糧も、着るものもない若い女性が群が」り、その10人中9人までが裸足で現れたそうだ。

 食うに事欠き、裸足で慰安婦に身を落とした、戦争難民の若い女性たち……。
 ポスト紙に広告を出した「有志」たちなら、彼女たちは自発的なボランティアであって、強制性はなかったと、またも澄まし顔で言い切ることだろう。

 ちなみに、このRAAの慰安所は、米メディアの報道で米国内に伝わり、米兵の妻や家族の猛反発で、約7ヵ月で閉鎖された。

 本土の家族や一般国民の知らないところで、敗戦ぎりぎりまで開設されていた日本軍の「慰安所」との違いがここにある。

                 □

 先日、中国で、ある「奴隷労働」の実態が明るみに出て、中国内外から厳しい批判の声が集まった。「レンガ工場」にだまされて連れてこられた少年たちが、暴行を受けながら強制労働にあえいでいる現実が、ビデオ映像などで表面化したのだ。

 その「レンガ工場」の「主」がかりに、少年たちを連れてきたのは「業者」であり、その「強制性を示す文書は存在しない」から、われわれの「児童虐待」は正当化されこそすれ、批判される筋合いはどこにもないと言い張ったとしたら、世界の人びとはどう思うことだろう?

 ポスト紙への意見広告は、それと同じことである。

 そして、「アメリカさんよ、慰安所開設、お前さんたちだって、おれたち、日本政府に要望したじゃないか。お互いさまじゃないか。お前たちに、おれたちのこと、批判する権利はあるのか」と言わんばかりの、犯罪者同士の泥仕合に持ち込んでウヤムヤにしようとするような、あの言い草……。

 ひとことで言えば、恥の上塗り。
 対日イメージのさらなる悪化が心配される。       
 
 

Posted by 大沼安史 at 05:01 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-05-07

〔コラム 机の上の空〕 佐藤享如さんと一叩人さんのこと

 雑誌の「世界」(5月号)で、作家の澤地久枝さんが評論家の佐高信さんと、川柳作家、鶴彬(つる・あきら)をめぐって対談していた。

 日中戦争の戦時下、29歳の若さで警察署に拘留されて死んだ鶴彬は、川柳界の小林多喜二と言われる。

 その鶴彬のことを、わたしは多喜二のふるさと、北海道小樽市の、最上(もがみ)の坂上にある古い木造の民家で、貸間業を営みながら、国を相手に裁判を闘っていた川柳作家、故・佐藤享如(きょうすけ)さんから教わった。1970年代の後半、わたしがまだ20代だったころ。

 当時、北海道新聞の小樽報道部に所属し、新聞記者をしていたわたしは、在宅投票制度の復活を求めて闘う「享如さん」の元へ取材で通い出した。

 享如さんは寝たきりの身障者。玄関を入ったすぐ横に居間(寝室)があって、寝床で腹ばいになった享如さんのそばに腰掛け、話を聞く。

 自身、「冬児(とおる)」を名乗る川柳作家。裁判の話のついでその口から飛び出す政治批判は、自作の川柳同様、辛辣かつ痛快で、わたしは暇ができると、最上の坂の中腹にあるその家まで、話を聞きに出かけるようになった。
 「鶴彬」という、聞いたこともない川柳作家のことを教わったのは、そんなある日のことである。

 享如さんが諳んじてみせた鶴彬の作品は痛烈なもので、わたしはすぐ覚えてしまった。

 たとえば、

   手と足をもいだ丸太にしてかへし

 や

   貞操を為替に組んでふるさとへ

 などの句……。

 言論による批判・抵抗の意味、実例を、わたしはそのとき教わったのだ。

 いまのわたしに、もしも「反骨の小骨」(そういえば、当時、わたしは小樽の飲み屋の女将に、「あんたは軟骨漢ね」と言われたことがある。いま思い出した……)の一本でもあるとすれば、それは鶴彬を高く評価し、国を相手に寝床のなかから、敢然と立ち上がり抵抗を続けた享如さんが遺してくれたものだろう。
 わたしもまた、佐藤享如さんに出遭ったことを、宝のように誇ることができる一人である。

 わたしはその最上の享如さん宅で、川柳仲間の一叩人(いっこうじん)さんにも会った。一叩人さんが小樽までわざわざ訪ねて来たとき、わたしは偶然、寝床のそばにいたのだ。

 一叩人さんは独力で鶴彬の作品を収集、ガリ版刷りで手製の「鶴彬全集」を出版した人である。

 澤地さんは佐高さんとの「対談」のなかで、故・一叩人さん(本名・命尾小太郎)のことを熱く語っていた。一叩人さんなくして「鶴彬全集」もなく、澤地さんが「私家版」を出すこともなかったろう。

 その一叩人さんに関するわたしの記憶は2つ。
 ひとつは、享如さん宅の玄関先で挨拶を交わしたときの、柔和な笑顔と、その周りを包んでいた柔らかな日の光で、もうひとつは、何度かもらった手紙の、新聞のチラシでつくった手製封筒のことである。

 一叩人さんはつましい暮らしを続けながら「全集」刊行という大事業を成し遂げ、享如さんは享如さんで、国を裁判で追い詰め、在宅(郵便)投票制度の復活につながる「実質勝訴」を手にして、生涯を閉じた。

 ふたりとも、見事な人生を生き切ったと思う。

 享如さんの川柳でよく知られているのは、

   投票所 月より遠く 寝たっきり

 だが、わたしは、

   神風が 吹かない空を 赤とんぼ

 が一番好きである。敗戦の年の初秋の作だ。

 
 軍靴の音が遠くに聞こえる2007年のいま、もしも仮に、享如さん、一叩人さんが生きていたなら、どんな川柳を作ることだろう。

 それを想像することが、わたしの義務であり、わたしの指針でなければならないと、わたしはいま思う。

 臨終の際、享如さんは両目を、真正面に向けて、焦点を一点に合わせて亡くなった。そのこともまた、わたしはいま思い出す。

Posted by 大沼安史 at 09:32 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-02-27

〔コラム 机の上の空〕  Sの追悼に代えて 死に逝く人を送る歌 千の風を起す「臨終」コーラス

 講演で、北海道・十勝地方、中札内(なかさつない)村に行って来ました。
 東京から1時間半。帯広空港から車で10数分。
 
 「幸福」駅行きの廃止された線路は雪の中。雪原は前日の季節はずれの雨で漆喰のような質感を湛え、真冬のまばゆい陽射しを反射する純白の面となって、はるか彼方、日高山脈の連山の麓へと続いていました。
 ところどころに、歯ブラシを立てたように防風林や万年筆のまるいキャップのようなサイロがあって、白一色の風景にアクセントを添えています。

 わたしにとって12年ぶりの「北海道の冬」でした。大気を凍らせ、清冽な寒さが身に沁む「冬の北海道」が、そこにありました。
 
 北海道の新聞社での25年に及ぶ記者生活を中止し、故郷の仙台に戻ったのが、1995年のこと。その後、仕事で何度か出かけたことはありますが、「冬」はこれが初めて。生まれ育った家に戻ったような懐かしさを覚えました。

 講演のテーマは、「教育改革」でした。わたしはトルストイの学校のことから話を始めました。そう、あの「戦争を平和」のトルストイが、モスクワの南西200キロ、ヤースナヤ・ポリャーナで開いた、世界初の「自由学校」の話から、90分の講演を始めたのです。

 話の全体を貫くものは「白樺」でした。トルストイの学校の白樺、「学力世界1」とされるフィンランドの白樺(キシリトールはフィンランドの発見です)、日本の「白樺派」による大正自由教育……。
 そうした「白樺の教育」の流れを歴史的に辿ったあと、そのなかに、わが国がいま進めようとしている「教育再生」路線を位置づけてみたのです。

 話してみて、ますますはっきりしたのは、日本の「再生」路線が、「白樺の教育」と逆行するものであることです。
 真逆。
 授業時間数の増も教師の締め付けも、トルストイの学校を水源とする、教育の流れの反対方向をゆくものでしかない――。
 そんなこの国の時代錯誤と焦燥を、わたし自身、改めて確かめることができました。
 中札内の白樺の並木が、確信をさらに深めてくれたような気がしました。

                   *

 その夜、わたしは帯広市内で新聞社時代の旧友と12年ぶりの再会を果たしました。ビール工場のレストランで、わたしは友人から、かつての仲間の消息を教えてもらいました。

 分厚い胸板を持ち頑強そうに見えたわたしの同期生Sが、ハイキングの途中で倒れ、帰らぬ人となった日のことを。
 定年退社した先輩記者が野鳥観察や合唱の趣味に生きていることを。

 わたしもすでに58歳――。友人の話はわたしに、「お前もそろそろだな」と、人生の終盤にある事実をさりげなく告げるようでもありました。

 翌日、中札内村役場での会合を終え、帰路についたわたしは、帰宅するなり、スクラップ・ファイルの山から目当ての一冊を探し当て、綴じ込んでいた記事をもう一度、読み返しました。

 再読してわたしは、すぐに決めました。
 わたしは仙台のラジオ局(東北放送)で、週に一度、世界の話題を紹介するコーナーに出演しており、次回はその記事の紹介で行くことに決めたのです。
 理由はかんたん。その記事を改めて読んで、雪原の上を吹く「千の風」を感じた気がしたからです。
 わたしはSへの追悼として、ラジオで話すことにしたのです。

 米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版、1月30日付け)に「死にゆく人びとへの歌の翼(Wings of song for the dying)」という記事が出ていて、感動したわたしはプリントアウトしたものをファイルに綴っていました。

 わたしと同世代、現在57歳になるケイト・マンガーさんという、カリフォルニア在住の女性が始めたコーラス・グループの活動を紹介した記事でした。

 グループの名は「扉の聖歌隊(Threshould Choirs スレショールド・クワイア)」。その名の通り、あの世の入り口に立つ人々(つまり死に行く人びと)を、歌で送る合唱隊です。

 2000年に、ケイトさんの呼びかけで、サンフランシスコ湾岸地区に住む有志15人で結成したものですが、いまではカリフォルニア州外を含め、30の合唱隊を持つまでに成長し、隊員も700人に達するまでになっています(男性はわずかに1人、あとは全員、女性だそうです)。

 創始者のケイトさんは小学校の音楽の先生です。その彼女の友人のラリーさんというキルトの作家がいました。彼女は、エイズで死期を迎えたラリーさんの家で草むしりをしたりして手伝っていたのですが、ある日の午後、ベッドのラリーさんに歌を歌ってあげたそうです。昏睡するラリーさんに対する、歌の贈り物。1990年のある昼下がり、ふと思いついて歌ったことが、やがて「扉の聖歌隊」結成につながっていくのです。

 ラリーさんがなくなって10年近く経ったある日、ケイトさんはモンタナ州からカリフォルニアに向かって、帰路、車を走らせていました。道路際に動物の死骸があって、彼女はそのそばを走っていた。ケイトさんは無意識に死んだ動物に向かって、こんなふうな歌を口ずさんでいる自分に気づいたそうです。

   May your spirit rise safely.
      May it soon become a cloud……

      (魂よ、安らかに舞い上がれ、そしてすぐに雲となれ……)

 ケイトさんはそのとき、ラリーさんとのことを思い出し、歌で送り合唱隊をつくろうと決めたのだそうです。

 ケイトさんたちはいま、数人のチームを組んで週に2、3回、死期のベッドにいる人びとを訪ねているそうです。

 サンタ・クルズの病院に入院した、94歳のミリアムおばあちゃんのところへは、ある秋の日、3人の聖歌隊が出かけました。元ホテル・マネージャーの息子さんから依頼があったからです。

 意識をなくしていたミリアムさんは息を荒げて苦しそうだったそうです。隊員たちはミリアムさんの額を撫でたあと、「あなたのために歌いますね」とささやきかけて歌いだしました。

   We walk not into the night
      We walk up toward the stars.

      (夜に向かって歩み行くのではなく 星に向かって歩むのだ)

 数分後、不規則だった呼吸が元に戻り、そして止まりました。
 顔を見合わせる合唱隊の3人。
 その瞬間、ミリアムおばあちゃんは呼吸を再開しました。

 もう一度、歌を歌った3人は、そのあと忍び足で病室を去り、ホールでたがいに抱き合ったそうです。

 ミリアムおばあちゃんが息を引き取ったのはその翌日。息子さんは音楽が安らかな死をもたらしたと思っているそうです。

 隊員のひとり、マリエットさんは80歳の母親を、他のメンバーとともに歌で送りました。
 モルフィネ投与で意識を失っている母親に、マリエットさんたちは「シャル・ウィー・ダンス?」を歌って聞かせました。ミュジーカルが好きだった母親のための選曲でした。

 驚くべきことが起きました。母親はなんと指でリズムを取り始めたのです。マリエットさんの手の平でタップを叩き出したのです。

 それから10日後、マリエットさんはアンコールで呼び出され、病室を訪ねました。
 母親は歌を聴きながら息を引き取ったそうです。
 扉をくぐりぬけ、天国へと旅立っていった……。

 
 ケイトさんによると、青春時代の思い出の歌を聴きたがる人が多いそうです。たとえば、コール・ポーターとかビートルズとか(そう、ビートルズもいまや歴史、です……)。

 総じて好まれるのは、子守歌だ、といいます。

                   *

 こんなふうに「扉の聖歌隊」の話を書き終えて(この記事はこのままラジオの放送原稿になります)、わたしは友人との帯広の夜に思い出したことを思い返しました。

 ハイキング中に倒れた同期生Sは実に人情味のある早稲田出身の男で、飲み屋ではよく、義侠の歌を歌っていたことを。

 友人とビールを飲んだ翌日昼過ぎ、わたしは帯広空港に向かう車のなかから日高山脈の雲母の結晶のような稜線を眺めました。

 その向こうには日高地方があって、静内の町があります。(中札内から静内に向かう道路開設計画は、環境への配慮から中止になったそうです)

 その静内は、1971年春、Sが同期入社のわたし(わたしは根室)と同時に新聞記者生活を始めた振り出しの地。

 「千の風」がひとつ、Sの声を乗せ、はるかな山の呼び声のように通り過ぎた気がしました。 
 

Posted by 大沼安史 at 02:52 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-01-06

〔コラム 机の上の空〕 イラク戦死者を悼む「フィールド・オブ・フラッグズ」 風にはためく3000の黄色い小旗

 ニューヨーク州北部のミドル・グローブの田舎道、ミドルライン・ロードを辿ると、突き当たりにクルーフトフさん一家の畑がある。

 そこに黄色い小旗の群れが、波紋を描くように立っている。同心円の輪になって。

 暮れの31日、旗は3000になった。4日の木曜日、その数はさらに5個、増えた。

 獣医のマークさんの妻、カレンさん(54歳)が立てた、手づくりの小旗の群れだ。
 旗は大人の手を思いっきり開いたサイズ。材料は、プラスチックのテーブルクロスだ。

 「フィールド・オブ・フラッグズ」……ニューヨーク・タイムズ紙(1月6日付け、電子版)に、カレンさんが守る「旗の野」の話と、現場の写真が出ていた。

 カレンさんが、野の花を育てるように、旗を立てだしたのは、2004年7月のことだった。
 イラク戦争は激しさを増しながら、2年目の夏の盛りを迎えようとしていた。
 そのときすでに877人の米兵が戦死していた。877本の旗を立てた。

 カレンさんは昔、ニューヨーク市にいたころ、反戦運動に参加していた自称「左翼」。いまも「戦争」と聞くと、怖気が振るう。

 「旗の野」はしかし、プロテストのため続けているのではない。イラク戦争で倒れた兵士を悼み、その死を記念する、それだけのことだ。

 彼女の小旗の群れは、近くを走る幹線道路、「ルート29」から見ると、黄色の「点」のようだ。近寄って見に来る人がときどきいるらしい。

 昨年5月29日の戦没者記念日(メモリアル・デー)には、「旗の野」を見下ろす丘にひとりの男が立って、トランペントを吹いた。
 朝、カレンさんの娘のレベッカさん(25歳)が気づいた。

 夫のマークさんや息子のアーロンさん(18歳)は雑草取りをしてくれる。「4Hクラブ」に人も春に手伝いに来る。去年の夏には近くの町から9人のガールスカウトがやって来て、100の旗を新しいのに取り替えてくれた。

 カレンさんは毎朝、インターネットで戦死者を確かめる。
 死者が出たとわかると、旗を立てに行く。

 「何かしなくちゃならないと思って。わたしにできたのがこれ」とカレンさん。
 「ちょっと想像してみてくれない? 立っているのは、戦死した人たちだって……」

 黄色いリボンは無事の帰還を祈るものだが、黄色い小旗は何を祈るものだろう?
 死してなお「夢」を抱けるとしたら、兵士はいま、何を夢みているのか?

 戦場(フィールド)で斃れた、3000の兵士が安らぐ「フィールド・オブ・ドリームズ」。
 タイムズ紙に載った写真を見て、3000の兵がいっせいに小旗を振る様子が、幻のように目に浮かんだ。

   

http://www.nytimes.com/2007/01/06/nyregion/06flags.html?_r=1&oref=slogin

Posted by 大沼安史 at 08:36 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2006-11-09

〔コラム 机の上の空〕 イラクで戦傷 両足切断のヘリ・パイロット、タミー・ダクワースさん、届かず 共和党の牙城で善戦

 米国の中間選挙で、ブッシュ政権の「イラク戦争」に対し、米国民の審判が下りました。結果は「NO!」。
 下院議員選挙では民主党が躍進し、議会の過半数を制しました。

 イリノイ州のシカゴ郊外の下院選挙区では、イラク戦争帰りの女性が民主党から立候補し、全米、いや全世界から注目を集めました。

 両足義足の元米軍ヘリ・パイロット、タミー・ダクワースさん(37歳)。
 イラク戦争に参加し、辛くも一命をとりとめ、生還した方です。

 タミーさんは父親が米海兵隊員の、軍人の家庭に育ちました。母親はタイ人の女性。
 そう、ゴルフのタイガー・ウッズのような人ですね。

 大学院で国際関係論を専攻した方ですが、イリノイ州兵に志願、米軍のヘリ、「ブラック・ホーク」のパイロットとして、イラクに出征しました。
 階級は少佐。つまり指揮官の立場であったわけです。
 数十人の部下とともに、バグダッドで任務についていました。

 そんなタミーさんのヘリが、レジスタンスの発射したロケット手榴弾で撃墜されたのは、2004年11月12日のこと。
 そのときの彼女の最後の記憶は、「操縦ペダルが踏めない、あれっ、どうしたんだろう」だったそうです。

 不時着したヘリから救出されたタミーさんは、そのまま8日間、人事不省、意識不明の重態を続けます。
 そして両足切断……。
 片方の脚は付け根に近い部分から消えていました。

 タミーさんが今回の中間選挙に立候補することを決意したのは、イラク戦争を現場において体験した者として、なんとしても止めさせたかったからです。
 政治にはズブの素人の彼女でしたが、民主党の候補として名乗りを上げ、「イラクからの撤退」を掲げて、共和党の牙城である選挙区で選挙戦に挑みました。

 新たな「戦場」は、シカゴ郊外の富裕層が住む選挙区。過去、32年間にわたり、共和党が制していたところです。
 そこでタミーさんは闘った。

 善戦の結果は、惜敗。4000票ほどの差をつけられ、ついに届きませんでした。
 得票率は49%でしたから、ほんとうに「あと一歩」というところでした。

 選挙資金が足りなかったなどいろいろ言われていますが、とにかく残念なことです。
 
 しかし、選挙区での闘いには負けましたが、タミーさんがいち選挙区を越え、今回の中間選挙全般に大きな影響を与え続けたことは間違いところです。
 TVで彼女の存在を知り、選挙区が違うので彼女を直接、支持するわけにはいかないものの、ある決断を胸に、投票所へ向かった人々も、少なくなかったはずです。
 
 その意味で、タミーさんは議員にはなれなかったけれど、選挙に挑んだ一市民としては、完璧に勝った!
 ブッシュ政権を追い詰めた。

 タミーさんの果敢な闘いに、アメリカのデモクラシーにおける草の根の底力のようなものを感じざるを得ません。

 希望はまだある。
 タミーさん、ありがとう。
  
 イラク反戦に立ち上がってくれて、ありがとう。 
 

Posted by 大沼安史 at 08:45 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2006-09-12

〔コラム 机の上の空〕 下駄を鳴らして来た阿部謹也さん 

 新聞(9月10日付け朝刊)に、阿部謹也さんの訃報が載っていた。驚いた。
 あの、いつまでも、どこまでも若く、シャープな阿部謹也さんが、こんなにも早く亡くなるなんて。
 
 ぼくが謹也さんと会ったのは、1975年(か76年の夏)だったように記憶している。場所は小樽商科大学。
 商大の卒業生で、地元で就職していた親友のO・Sが、「キンヤさんに会いに行こう」と、ぼくを誘ってくれたのだ。

 当時、ぼくは小樽で、駆け出し5年目の新聞記者をしており、絵描きのO・Sとは飲み仲間だった。
 O・Sは、謹也さんが顧問をしていた商大山岳部の出身で、ある暑い昼下がり、ふと思い立ち、地獄坂を登って商大の研究室まで、アポなしで会いに行った。

 ドイツ語を教えていた謹也さんの研究室をのぞくと、大学に来てはいるらしいが誰もいない。
 ふたりしてどうしたものかと迷っていると、廊下の奥の方から、「おい、S(悪友の名前)、お前、どうした」と、甲高い声がした。
 こっちに向かって廊下を歩いて来る、謹也さんの声だった。

 白いワイシャツ姿。
 しかも、なぜか下駄履き。

 偉ぶらないその姿が、夏休みで閑散とした校舎の廊下で白く輝き、決まっていた。
 サマになっていた。

 ベストセラー、『ハメルンの笛吹き男』を書いて学界、読書界にある種のカルチャーショックを与えたばかりの謹也さん(当時、40歳。商大の助教授だった)は、実に若々しく、澄んだ目をした快活な人だった。

 ぼくらを研究室に引き入れてくれた謹也さんが何を話してくれたか、何も覚えていない。しかし、その澄んだまなざしと、話し方が幾何学的なほど明晰だったことは、いまでもよく覚えている。

 当時のぼくは26歳。「一流の知性」とはこういう人のことを指すのだな、と、大きな両の目を見ながら思ったことは、30年という月日が過ぎたいまになっても、ぼくの記憶のなかにくっきり、残っている。

 謹也さんはそのあと東京の大学に移ってしまったので、それきりになってしまったが、謹也さんがときどき顔を出していた、「オリエンタル」というスナックには、O・Sとなんどか飲みに行った。
 その店は商大山岳部の根城で、顧問をしていた謹也さんは部員のツケを自腹で払っていた。
 謹也さん自身は酒を飲まない(飲めない?)人だと聞いた。

 
 計算すると、それから28年後の2003年の夏、ぼくは甲州・八ヶ岳山麓にある清春白樺美術館を訪ねた。そこで、『智恵子抄』の高村智恵子の絵を見たぼくは、もう一度、その絵を見たくなって、翌年もその高原の美術館に出かけた。

 広い美術館の敷地に、風変わりな洋館が建っていた。東京の暑さを逃れ、泊り込んで仕事に専念できる、避暑地のアトリエだった。

 そこに謹也さんがその何年か前にやって来て、ひと夏かふた夏をすごしたことがあることを、昨年出た『自伝』を読んで知った。

 そこへ夏場にまた行けば、もしかしたら会えるかもしれない、と想像を巡らせた。
 そこに行けば、白いワイシャツ姿の、下駄履きの先生に、もしかしたら「再会」できるかも知れないと。

 清春の、あの「蜂の巣」という、たしか6角形の赤い木造建物のひと部屋は、その西洋的な趣と、文化的な気骨において、謹也先生にはお似合いの仕事場であっただろう。
 透明な目で日本の社会を深く見つめた、謹也先生の「世間」論の一部は、満点の星の下、虫の声の囲まれながら、夜風の流れ込む、あの清泉のあの場所で書かれたに違いないと思う。

 畏友、O・Sはその後、小樽で画業に専念し、ぼくは新聞記者を辞め、東京に流れた。
 一途、一徹な彼は修行僧のように交際を絶って絵を描き続け、ぼくはぼくで、サラリーマンのエスカレーターを中途退職で降り、自己流の自由の迷い道を、とにかくいまだに歩き続けている。

 そんなぼくにとって、一度だけでも謹也さんと会えたことは、光源ともいうべき生涯の宝である。

 あのごまかしのない澄んだまなざしと、あの気さくさと、あの明晰な論理。
 それはぼくにとって、到達することの叶わない、遠い目標として、ずっとこれまであり続けて来たし、これからもそうであるだろうと思う。

 阿部謹也さんの死を、ぼくはぼくとして悼む。
   

Posted by 大沼安史 at 07:40 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2006-08-21

〔コラム 机の上の空〕 愛子さまが笑った「女王の国」、オランダは、世界1の「救いの国」!

 愛子さまが笑っていた! 笑顔で手を振りながら!

 オランダのベアトリックス女王のそばで。
 パパとママの見守られながら。
 ママも笑顔、パパも笑顔。アレキサンダー皇太子一家と一緒に。

 新聞(19日付け各紙)に載った笑顔の写真を見て、救われた気がした。
 笑ったところを見たことがない愛子さまが笑っていた。
 日本ではいつも「張り詰めた笑顔」のママ(雅子さん)も自然な表情。そして、そのそばにいるパパ(皇太子)の嬉しそうな顔。

 18日に、オランダ東部、アペルドールン市にあるオランダ王室の馬車庫で撮影された記念写真が公開された。
 それを見て直感した。
 愛子さまはきっと、「女王の国」だからこそ、笑顔を取り戻せたのだと。
 
 よかった、と思うと同時に、あらためて日本の皇室をめぐる、うっとうしさを感じないわけにはいかなかった。どこかで「靖国」問題につながっている、あの「男系天皇」の論議を思い起さずにはいられなかった。

 「靖国」にはたしか、従軍慰安婦も、従軍看護婦も、まつられていないのではないか?
 「軍神」や「英霊」は、「男」でなければならない「靖国」と、「天皇」は「男」に限るとする日本の「皇室」との、前近代的な共通性。

 愛子さまのオランダの静養先での笑顔は、両面の鏡だった。
 そこへ逃げだすことで、ようやく「緊張と抑圧」から解放された皇太子ご一家――とりわけ雅子さまの、安堵の思いを映し出す一方、「男女同権」であるべき戦後の日本に、黒い霧のように残る「家父長制権力」のアナクロニズムを照らし出てみせた、両面の手鏡。

 オランダから届いた写真のなかで、笑顔で手をふる、その愛くるしいお姿は、日本の抑圧社会そのものに対する、純心な「バイバイ」であるような気がした。

               ◇

 愛子さまを笑顔にしたオランダとはどんな国か?

 皇太子ご一家がオランダに到着する4日前の13日、この国が世界で一番、困った人々、貧しい国々を救っている国だというニュースが全世界を駆け巡った。英国のBBC放送など、世界のマスコミが「オランダ世界1」のニュースを報じたのである。

 米国・ワシントンにあるシンクタンク、「グローバル開発センター(CGD)」がまとめた調査結果が、世界的な注目を集めたのだ。
 フレッド・バーグステン氏ら著名なエコノミストらによって2001年に設立されたCGDは、世界の「豊かな国」が「貧しい国」の人々に対して、どれだけ救いの手を伸ばしているか、「援助」など7つの視点から各国を分析・評価し、国際社会における貢献度を毎年、ランク付けしている。

 その最新の分析(2005年評価)で、オランダが世界の先進国21ヵ国中、第1位であることがわかったのだ。

 前年(2004年評価)までは、デンマークがトップで、オランダは2位に甘んじていたが、今回(2005年評価)の調査で、ついにトップに躍り出た。
 オランダの評点は今回、総合評価で6.6。
 6.4だったデンマークをわずかに上回り、世界の先頭に立った。

 参考までに今回調査のトップ10(3位以下)を見ると、③スウェーデン④ノルウェー⑤ニュージーランド⑥オーストラリア⑦フィンランド⑧オーストリア⑨ドイツ⑩カナダ――の順。

 オランダに「世界1」の最高評価が与えられたのは、「援助」(GDP、国民所得比)、「貿易」(関税障壁)、「投資」、「移民」、「環境保護」、「平和維持」、「テクノロジー}(技術移転・供与)の7つの評価項目を通じ、高水準の得点をバランスよく獲得する政策努力を払ったことによる。
 つまり、オランダの「世界1」は、なんとなく世界1になった、というのではなく、国家として意図的に「身銭」を切った結果であるのだ。

 これに対して、わが日本は、CGD調査において、どのような「地位」にあるのか?
 
 意外というか、案の定というか、先進21ヵ国中、第21位、つまり最下位に甘んじているのだ(総合評点3.1)。それも今回、初めてではなく、CGDの調査開始(2003年評価)以来、3年連続。

 あれっ、おかしいな、少なくとも「援助」は各国よりも高得点であるはず(そう日本政府は宣伝していたはず)と思ってみてみると、2005年調査でも最下位の21位。
 日本の貧しい国々に対する「援助」額(国民1人あたり)は、GDP比でみると、世界の先進国中の最下位を行っているのだ。

 これではわが国が「国際社会における名誉ある地位」にある、とは到底言いがたい。

 残念なことにこれが、日本の実情なのだ。「靖国」に「A級戦犯」を合祀して昭和天皇を悲しませ、民主憲法によって「象徴」とされた「天皇」に、憲法原理の重要な柱である「男女同権」を適用しようとしないニッポンの、もうひとつの実態がこれなのだ。

                ◇

 遅ればせながら、この夏休み、わたしは世界的な大ベストセラーである『ダビンチ・コード』を読んで、いろいろ考えさせられた。
 「戦争の惨禍」を繰り返し、「支配と侵略」の推進力となり続けたきた「男性原理」に対し根底的な疑問を投げかけ、「女性原理」の復権を求めたこの小説が、全世界で爆発的に読まれた意味を考えずにはいられなかった。

 物語の終わり近く、スコットランドの「ロスリン教会」をまもり続けてきたマリーなる女性が、主人公のラングストン(男性)にこう語りかける。

 「……振り子は振れているの。わたしたちはわたしたちの歴史の危険というものを感じ始めている……そう、わたしたちが辿ってきた破壊的な道のりを。わたしたちはいま、聖なるフェミニン(女性原理)を復興させる必要を感じはじめているの」(ペーパーバック、479頁)

 オランダのベアトリックス女王も、たぶん『ダビンチ・コード』を、とっくの昔に読んでいるはずである。読んでいるからきっと、日本という国を憂い、オランダを静養の地として逃れて来た皇太子ご