2014-04-01

〔あじさいコラム〕 「STAPプリンセス」に、躍動の春を!

 夕刊の社会面を開いて、驚いた!

 黒々とした、太字の大見出しが、蛇のようにうねっていた。

 「不正 小保方氏のみ」

               *

 「STAP細胞」論文の筆頭筆者である小保方晴子さんに「研究不正行為があった」とする「最終報告書」を「理研」が発表した。

 「研究不正行為」とは何か?

 それは――研究の根幹をなす画像に、計2点の「改竄・捏造」があったことだそうだ。

 具体的には、「別の実験画像を切り貼りした行為」は「改竄」であり、「博士論文と酷似した実験画像を使った行為」は「捏造」なのだそうだ。

               * 

 「改竄」「捏造」――とは、なんとも、仰々しい表現である。

 「改竄」は、「悪用するために、勝手に直すこと。<登記簿を――する>」(デジタル大辞泉)
 「捏造」は、「事実でないことを事実のようにこしらえること。でっちあげること。<記事を――する>」(同)

               *

 「理研」の「調査委」が、小保方さんが論文で発表した「STAP細胞」そのものが嘘っぱちだと結論づけたのならまだしも、「STAP細胞」の追試もしないで、こんな乱暴な表現で決めつけるなんて!

 これじゃまるで、たとえば料理学校の女生徒が、「無アレルギー(?)」の万能料理法を発見、割烹着姿で卒業制作の腕をふるい、絶賛を浴びた……にもかかわらず――――その発表のレシピの写真に難癖をつけ、せっかくの研究成果そのものに泥水を浴びせかけているようなものだ。

               * 

 この「調査委」の「最終報告」に対し、小保方さんは「(報告書を受け取り)驚きと憤りの気持ちでいっぱいです。特に、研究不正と認定された2点については、理化学研究所の規程で『研究不正』の対象外となる『悪意のない間違い』であるにもかかわらず、改ざん、ねつ造と決めつけられたことは、とても承服できません。(中略)このままでは、あたかもSTAP細胞の発見自体がねつ造であると誤解されかねず、到底容認できません」とのコメントを発表した。

               *

 「悪意のない間違い」を、ふつうは「ミス」という。

 「ミス」を、「改竄」だ「捏造」だと言われては、小保方さんのみならず、「発見」された当の「STAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞 Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cells」自身、「万能細胞」としての自らの存在意義と可能性を全否定されたような気がして、いまごろきっと「驚きと憤りの気持ちでいっぱい」でいるのではないか。

               *

 この「STAP細胞」をめぐる騒動で思い出すのは、フランスのINSERN(国立保健医学研究所)のディクレターを務めたこともある、世界的に有名な免疫学者、ジャック・バンヴェニストさん(Jacques Benveniste 1935~2004年)の、画期的な研究発表に対する猛烈なバッシングのことである。

 バンヴェニストさんは、自分の研究所のほか、自国フランスのほか、イスラエルなど3ヵ国の5つの研究所グループと連携し、水に含まれていた抗原(アレルゲン)のアンチゲン(抗原)がもはや不在――ゼロになった時でさえ、その水が、まるでその抗原を記憶しているかのように、アレルギー反応を示すこと(――「水の記憶」理論)を発見し、くだんの「ネーチャー」誌(1988年)に発表した。

 ところが、発表の4日後、「ネーチャー」誌の編集長自らが学者2人を引き連れて、INSERNに現れ、自分たちで実験を「再現」。

 その結果、パンヴェニストさんの発見を否定する結果が出たとして、次ぎの「ネーチャー」誌上で公表したのである。

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 また、バイオ・フォトン(生物光子)の発見者(正確には再発見者)として知られる、ドイツの生物物理学者のポップ博士の(Fritz-Albert Popp 1938年~ )の場合、勤め先の大学から、追い出される始末。

 教え子の若手研究者の協力で、自分で制作したバイオ・フォトン検出装置だけは、地下室に隠すことができて没収をまぬかれたという逸話の持ち主だ。

 犬の人間(飼い主)に対するテレパシー感知などのユニークな研究でも知られる、英ケンブリッジ大学の生化学の指導的な研究者だったルパート・シェルドレーク博士(Rupert Sheldrake 1942年~ )などは、自分の(最初の)本を、「ネーチャー」誌の論説記事で「焚書にあたいする(book for burning)」と酷評されたほどだった。

               *

 既存の学問(信仰)体系を突き崩すような学説の提唱者や発見者は、ともすれば、かのガリレオがあじわった憂き目に遭いがちなものであり、それが既成の利権を危うくするものであればあるほど、バッシングの強烈さがますことは、たとえば「常温核融合」のケースでも見られることだ。

 小保方さんの「STAP細胞」も、そうした時代画期的な、コペルニクス的な転回をもたらす、可能性を秘めたもの。

 そして何より――わたしたち人間の「いのち」にかかわる、たいへん発見である。

               *

 小保方さんは「STAP細胞」を一時、「プリンセス細胞」と命名しようかと思ったこともあるそうだが、彼女がわたしたちの意識(世界)に呼び出した、いわば人の生命の素というべき「刺激惹起性多能性獲得細胞」は、まさに、生命のプリンセス。

 それでも地球は動いているように、「STAPプリンセス」もまた、本格デビューを前に(そしてママになる日を前に……)、なお、可能性のダンスを続けている。

 その可能性は否定されずに、そこに、可能性の事実として――残っている。

 せっかく生まれ、ステップを踏み出した「STAP細胞」の「未来」に幕を引き、生命科学のプリンセスの、いのち輝く、躍動の春を、だいなしにしてはいけない。

Posted by 大沼安史 at 08:31 午後 3.コラム机の上の空, 6.命・水・祈り | | トラックバック (0)

2014-03-28

〔あじさいコラム〕 「核惨事」を招いた「絶対安全神話」―― いのちは、脱原発の、うれしく、たのしい、平和な世界を望む。

 『核科学者報(BAS Bulletin of the Atomic Scientists )の編集長、ケネット・ベネディク女史が、「フクイチの3周年」コラムで、事故の背景の核心には、「絶対安全神話(the myth of absolute safety )」があった、指摘した。
 ◎  Bulletin of the Atomic Scientists : The myth of absolute safety
 (26日付け) ⇒ http://thebulletin.org/myth-absolute-safety7007

 単なる「安全神話」ではなく、「絶対安全神話」が、フクイチ核惨事を招いた真の問題であった、と。

               *

 その通りだと、わたしも思う。

 「神話」が招いた「惨事」だった。

               *

 そもそも、日本という「原子力帝国」には、「国づくり」のための「神話」が必要・不可欠だったのだ。

 「原子力国家」を生みだすには、「神話」が必要だった。

 ベネディクト女史も言うように、「神話」を「神話」とするために「メディア」が使われ、「神話」は「神話」として、国民の意識に中に定着した。
 Business leaders and government officials who favored nuclear power used media campaigns to educate citizens about its benefits and assure them that power plant operations were safe.

 その意味で、かつての朝日新聞科学部は――朝日新聞の岸田純之助氏は、「日本原子力国家」創世神話の述者の役を全うしたのである。

               *

 「日本原子力国家」の「神話」が、「安全」を歌い上げなければならなかったのは――言うまでもなく、「原子力=原発」が「安全」でなかったからだ。

 「絶対」なる枕詞をつけねばならなかったのは、「原子力=原発」が「絶対」・「安全」でなかったからだ。

 「絶対危険」なもの――それが「原発」だったからだ。

 だから「絶対安全神話」は必要とされた。

               *

 ベネディクト女史は、「フクイチ核惨事」を引き起こした最大の要因が「原子力絶対安全神話」だったとして、そこに教訓を見なければならないとしているが、問題はその教訓が、この日本で、いま現在、生かされていない、という、不条理きわまりない、悲劇的な現実があることである。

               *

 汚染地下水は太平洋に放流しても「基準」内だから「絶対安全」!

 被曝地に戻っても、放射能は下がっているから「絶対安全」!

 フクイチは完全にアンダーコントロール!

 過去・現在・将来にわたって健康被害はない!

 「(基準内)絶対安全」の大行進が、いまなお続いているのだ。

               *

 「死の灰の、どこまで続く、ぬかるみぞ」……

 「フクイチ核惨事」で、フクイチの原子炉は自爆を遂げ、核物質(燃料)は溶融・飛散したけれど、「原子力帝国」の精神的支柱である「核の絶対安全神話」は、まだバケの皮をつけたままで、生き残っているのである。
               
               *

 それでは、ゾンビのような「絶対安全神話」に、わたしたちはどう立ち向かい、どうトドメをさすべきか?

 わたしはマスコミを通じて「常識」として根付いてしまった「神話」に対抗し、その「解消」を図るには、こちらの側(民衆サイドの)「事実認識」の共有と蓄積による「意識転換」がなければならないと思っている。

 そう、わたしたちがツイッターやブログなどで、この3年間、積み重ねて来たように、それを、これからも続けてゆく。

 そして、何事も「意識」――わたしたちの考えが、思いが、時を得て、共時的に変われば、「絶対安全神話」は雲散霧消し、脱原発の構造改革は動き出す…………

 「原発」が、この国を、この国のいのちを亡ぼす「絶対的な危険物」だと、わたしたちが「事実認識」したとき、「絶対安全神話」は「絶対悪」の正体を現わし、陽の光を浴びた悪霊のように一気に消える…………

 ―――― はず。

               *

 「原発・絶対安全神話」は、「原子力帝国・日本」を支える支柱として、わたしたちをマンドコントロールしてきたものだ。

 わたしたちは、「原子力帝国・日本」を存在せしめた、悪の本丸ともいうべき、この「呪縛」を断たなければならない。

               *

 それは――難しいようで…………実は案外、かんたんなことである。

 いのちの敵である、まるでヤマタノオロチのような悪夢を「平和と繁栄の正夢」として見たのも、わたしたちのいのち(意識)であれば、それを邪悪なものとして消し去ることができるのも、わたしたちのいのち(意識)〔の力〕である。

 どちらかといえば、いのちは、いのちを破壊するものを拒否するものであるはず。

 いのちは放射能をうれしくないと思い、脱原発の、うれしく、たのしい、平和な世界を望むものであるはずだ。

Posted by 大沼安史 at 10:48 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2014-03-21

〔あじさいコラム〕 安倍氏よ、ハーグ核安保サミットで、脱原発・平和へ、Uターンせよ!

 「核テロ防止」をテーマに24、25日の両日、オランダ・ハーグで開催される「核安全保障サミット」で、安倍首相が、<使用済み核燃料から取り出した核物質プルトニウムを再利用する「核燃料サイクル」の推進を表明する>――のだそうだ。

 <核燃料サイクルを「推進する」と明記した政府のエネルギー基本計画案に対しては、与党内で反対論が根強く、まだ閣議決定がされていない>――にもかかわらず、表明するのだそうだ。

 プルトニウムの「生産・再利用」を、「核安保サミット」の場で表明するのだそうだ。

               *

 東京新聞の記事を読んで、唖然とした人は多いはずだ。

 「首相」が「政府・与党の意思決定前に」、この国の未来にかかわる重大方針を表明するという、手続きもなにもを無視した“暴走ぶり”もさることながら…………、

 米国をはじめとする国際社会が、日本のプルトニウム備蓄に疑惑を持ち、防護・管理態勢のお寒さを懸念していているその時に――しかも、「プルトニウム核テロ」防止をテーマとする「核安保サミット」の場において、「核燃サイクル」でプルトニウムの生産・再利用の続行を宣言する――というのだから、その、あまりの「臆面のなさ」に愕然とした人は多いはずだ。

               *

 「一国の総理」としてなすべき「表明」を、CM文法+霞が関語法による「PRプレゼン」と勘違いしてきた安倍氏のことだから、このままではオランダのハーグでも、「日本のプルトニウムはアンダーコントロール」と、きっと見得を切るに違いない。

               *

 わたしが東京新聞の記事を読んで、呆然かつ愕然とした底には、安倍氏はもしかしたら、側近や周囲の利害関係者から「核物質管理・安全神話」を吹き込まれ、すっかり、その気になっているのではないか、という懸念がある。

               * 

 たとえば、六ヶ所村の核施設。

 日本原燃の広報部長の吉田薫氏は、米NBC放送の「3・11 3周年」取材に対して、こう言明している。(記事原文は ⇒ こちら

 「われわれは100%、保証できます。ここで働く作業員がプルトニムを盗み出すことはありえません」
 「(ここの)プルトニムはウラニウムとミックスしているので……ここにはプルトニウム自体はないわけです。ここにプルトニウムは存在しません!」
 〔Kaoru〕Yoshida said there was no chance that workers at the Rokkasho plant would try to pilfer any plutonium. “We think we have a 100 percent guarantee that the people working here would not do that,” he said.
He also questioned why terrorists would target the plant, because, he said, Rokkasho’s mixture of plutonium and waste uranium can’t be used to make a bomb. “Because the plutonium is mixed already with uranium, because of the security level that we have here, we don’t have plutonium itself,” he said. “It doesn’t exist here.”

 六ヶ所にはテロリストがほしがるプルトニウムそのものがない、あるのはウラニウムとの混合物だけだから、絶対、安全である……吉田薫広報部長は、かくもキッパリと言明したのである。

               * 

 この「吉田薫」広報部長とは、あの「想定外」の「フクイチ原発核惨事」を引き起こした東電の元広報部長ご本人であり、事故直後、メディア対応を指揮した人だから、ご記憶の方も多いと思うが、それはともかく、日本原燃のこうした「安全宣言」を――たとえば、安倍首相は真に受けても…………、NBCや米国の当局者は、広報マンの宣伝を鵜呑みにするほど、お人よしではないのである。

 NBCの上記記事は、吉田広報部長の「安全宣言」を引き出したあと、こうカウンターパンチをくらわせる。

 「しかし、独立した専門家たちは、核物質を2つ(ウラニウムとプルトニウムを)混ぜたところで、プルトニウム酸化物の核爆弾の材料となりうる力は何ら減るものではない」
 But independent experts say mixing the two nuclear materials does little to reduce the plutonium oxide’s potential to become a bomb fuel.

 トドメは、こうだ。

 「NRC(米原子力規制委)の元高官、〔ポール〕ディックマンは、言った。ウラニウム・プルニウム酸化物と、純粋な鉱物状態のプルトニウムの間にある違いは、そこに<化学者>がいるか、いないか、だけだ。混合物からプルトニウムを取り出すのは難しいことではない」
 Dickman, the former NRC official, said the only difference between uranium-plutonium oxide and the pure metallic plutonium preferred by bomb-builders “is a chemist.” Extracting the plutonium from the mixture would not be difficult, he said.

               *

 ディックマン氏は、共和党のブッシュ政権で、NRCの事務局長を務めた人物。

 自民党のタカ派がお嫌いな(?)民主党に近い人物が発言していることではないことも、安倍首相は知らねばならない。

               *

 デッックマン氏のいう、ウラニウム・プルニウム酸化物とは「MOX燃料」を指すわけだから、このNBC放送の記事は、核燃料の再処理にも警告の黒旗を掲げ、安倍首相が「ハーグ核安保サミット」で表明しようとする「核燃サイクル」の続行に「待った」をかける趣旨のものに違いない。

               *

 重ねていうが、こういう米当局の「本音」を、安倍首相は知らされているのだろうか?

 側近や周辺の関係者は、たとえば、この――米当局の考えを代弁しているような、米最有力テレビ局、NBC放送の警鐘報道の中身を、安倍首相に正確に伝えているのだろうか?

               *

 いまからでも遅くはない。

 安倍首相は考え直すべきだ。

 「ハーグ核安保サミット」で、核燃サイクル続行を表明してはならない。

 表明すれば、日本の核兵器開発をめぐる国際社会の疑惑は再燃し、安倍政権はますます孤立化の道を歩むことになるだろう。

 核燃サイクル再開で原発を再稼働させれば、日本列島を舞台とした核テロの脅威はますます増大し、国際的な懸念の高まりの中、東京オリンピックのボイコット問題さえ起こりかねない。

               *

 安倍政権がいま目指すべきは、「フクイチ・アンダーコントロール」への総力をあげた取り組みである。

 汚染水対策ひとつ、まともにできていないのに、「核燃サイクル」続行を言いだすとは……。

 これはもう――非常識きわまりない、と言うしかない。

               *

 「核テロ」の脅威をなめてはいけないと思うので、蛇足ながら一言、付け加えれば、上記、NBCの調査報道によると、第1次安倍政権終了半年前の2007年3月、米国のシェーファー駐日大使から日本政府に対し、こんな驚愕の通報があった。

 米国が逮捕したテロリストのハリド・シーク・モハマド容疑者が、成田空港で航空機を乗っ取り、東京の米国大使館に突っ込む計画を練り、ハイジャック実行犯をリクルートしていた事実が、同容疑者の自白で明らかになったという。
 Terrorist Khalid Sheikh Mohammed, who was captured in May 2003, told interrogators that he had tried to recruit hijackers to seize an airliner at Tokyo’s Narita airport and crash it into the U.S. Embassy in the center of the crowded city. Because of restrictions on sharing classified information with Japan, Schieffer said, he wasn’t able to tell Japanese officials that Tokyo had been a target of Al Qaeda for years, until Mohammed’s confession became public in March 2007.
 “It upset the Japanese greatly when they found out about it,” he said.

               *

 NBCが「核テロ」を懸念する上記記事の中に、なぜ、この「事実」を入れ込んで報道したかというと、それは今後も、イスラム過激派によって、同じような「想定外」のテロが実行に移されると懸念しているからに違いない。

 まして日本がこんご「集団的自衛権」を発動し、アフガンや中東方面で米軍とともに実戦に参加するようになれば、イスラム過激派による日本をターゲットとした「核テロ」の可能性は、強まる。

               *

 だから――だからこそ、日本は「集団的自衛権」を持ってはならないし、「核テロ」のターゲットとなりうるものを、この日本列島から、それこそ一掃しなければならない。

               *

 もういちど言おう。

 安倍首相は考え直すべきだ。

 「ハーグ核安保サミット」で、核燃サイクル続行を「表明」してはならない。

 安倍首相はハーグを、戦争とテロ惨事への岐路とするのではなく、脱原発と平和へのUターンの場所とすべきである。

Posted by 大沼安史 at 02:26 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2014-03-12

〔コラム だから あじさいの国へ〕 「津波てんでんこ」を阻んだ(?)「学校」の呪縛

 津波がうねりながら押し寄せつつあるとき、子どもたちは教師たちと、校庭に、いた。

 45分間、校庭でじっと待機されられ……そしてようやく移動を始めた、運命の午後3時37分、そこへ大波が襲いかかった。

        *

 全校児童106人のうち68人が死亡、6人が行方不明となった。

 犠牲者は教職員10人を含め、84人。

 大川小学校(宮城県石巻市)の「3・11」の悲劇である。

        *

 亡くなったこどもたちの遺族でつくる「小さな命の意味を考える会」によると、津波が到達(地震発生51分後の午後3時37分ごろ)する直前、3時35分過ぎに学校の前を車で通った人がいて、「その時まだ校庭に子どもがいた」と言っている、という。

 津波到達時点で、校庭にはまだ子どもたちがいたが、一部は「大津波がいよいよ迫って、川や側溝からすでに水があふれていた時」、あろうことか、新北上大橋のたもとの、川のそばの堤防道路の方へ向かって、移動を始めていた、という。

 「考える会」はこう指摘する。

 「わざわざ民家裏の細道を通り(行き止まり)、津波が来るのに川に向かっています。児童が追い込まれたのは、最も狭く、山の斜面の急な場所。校庭から、移動した距離は先頭の子で約180m。1mも上には行っていません。状況から見て『避難』とは言えません」

         *

 それにしても、どうして、近くのほかの小学校(2校)がしたように裏山に逃げず、校庭で子どもたちを待機させ、あげくにわざわざ川に向かって歩き出したのだろう?

        *

 亡くなった児童23人の遺族が10日、「教職員が児童の安全を守る義務を怠ったことによる人災」とする裁判を仙台地裁に起こした

 損害賠償請求訴訟だが、真相究明のための訴訟でもある。

 遺族らは、石巻市教委の事故検証委員会がまとめた「報告書」では「事実解明が不十分」として、裁判に訴えた。

        * 

 こんご解き明かされるべき、真相とは何か?

 わたしが思うに、事実関係として、少なくともひとつ言えるのは、この悲劇はあくまでも「学校の管理下」で起きたことである。

 悲劇は「学校管理下の時間と空間」の中で起きた。

 子どもたちは自主判断で裏山に逃げなかったのではない。勝手に校庭に居残っていて、波にのまれたわけでもない。

 あくまでも、教師たちの指示に従って校庭で待機し、川に向かって移動していたのである。

       *

 それは大川小の教師たちも同じことだ。(校長はこの日、年休をとっていた)

 教師たちもまた、最後の最後まで、「学校の管理下の時間と空間」にあり続けた。

 管理下にある子どもたちに、間違いなく最後の瞬間まで付き添い、たぶん、子どもたちを助けようと必死になりながら、同じ大波にのみ込まれた。

       *

 悲劇はすなわち同校の「学校管理下」において…………こどもたちが同校の「児童」であり、そのそばにいた唯一の大人たちである教師たちが「教諭」――あるいは「教職員」であった、同校の「学校管理下」において起きていたのである。

 「学校管理下」の状況の中で、「管理」する側の「教職員」によって決断、あるいは不決断が行なわれた。

 すぐさま裏山に逃げずに、校庭にとどまり続け、ついにはなぜか川に向かって歩き出すという「判断」が下され、実行に移されたわけである。

       *

 以上、この点ひとつとっただけでも、管理側(市教委などを含む)の責任はまぬがれないが、わたしはこの「学校管理下の悲劇」を、<「学校」を外した視点>で、いちから見直すべきだと思う。

 つまり、地震後、津波が来るまでの51分間において、こどもたちや教師たちがもしも「学校の管理下」から離脱していたら、どういう結果があり得たか――という、別の、違った角度からの検討が必要ではないか、という問題提起をしたいのだ。

 すなわち、こどもたちが「児童」としてでなく「こどもたち」として、教師たちが「教職員」としてではなく「大の大人」として、(「学校管理下の時間と空間」が消えた、単なる)その場に居合わせたとき、何が起きていたか――という問題提起である。

       *

 わたしは地震後、校庭に集合したあと――かりにその場で、「教職員」が子どもを守る「大人」に変わり、「児童」が「子ども」に変わっていたら、迷うことなく、みんなそろって裏山に逃げたに違いない、と思っている。

       *

 地域の防災放送が津波の襲来を告げる中、校庭に整列した「子どもたちは」は、不安な気持ちでいっぱいだったに違いない。

 不安は恐怖に変わっていたに違いない。

 「子どもたち」が「児童」である自分をかなぐり捨てていたとしたら、当然の選択として裏山に向かったはずだ。

       *

 それは教師たちも同じことである。

 教師たちが「(石巻市教委管理下)大川小の教諭」であることより、子どもたちを守るべき「大人である」との自覚に目覚めていたなら、「裏山」が「避難先」に指定されていなくとも、そんなことなどお構いなしに、子どもたちを誘導して、そこへ一緒に逃げていたはずである。

       *

 それが、悲しいことに――「津波てんでんこ」……「さあ、みんなで裏山さ、逃げっぺ」とは、ならなかった。

 そうなっていたら、たぶん、全員が命拾いしていたはずなのに。

       *

 裏山に逃げなかった理由は、残酷なまでにかんたんなことだ。

 大川小には最後まで「学校管理」の影が重くのしかかり、その呪縛によって、まともな判断力が殺がれてしまっていたのだ。

       *

 津波が襲いかかる最後の瞬間まで、「学校の管理空間と時間」が、大川小を支配し続けていた。

 大川小の教師たちは、あるいは学校の「裏山」を「教育的な(学習)空間」と見ていなかったのかも知れない。

 「裏山」にいる時間を、「教育的な(学習)時間」とは見ていなかったのかも知れない。

 その延長線に悲劇は起きた…………?!

       *

 そして、あるいは…………もしかしたら、同校の「教諭」は、ラジオのニュースなどで伝えられた津波の高さをもとに、これは大丈夫と判断し、川の堤防まで出て、津波が押し寄せる「めったに見られない自然現象」を、「児童」たちに観察させようとしたのかも知れない。
 
 「災害教育」の名の下に???

       *

 わたしは、新聞記者時代、「教育」を担当した経験から――あるいは、米国のサドベリー・バレー校など世界のフリースクールを取材した経験から、「文科省・教委・学校」という縦の指揮命令系統が貫く「管理教育」の逆三角形が、この国の教育の場の自主性・主体性を奪っていることを、かねがね憂慮していた。

 そして、そうした国家教育における逆ピラミッドの重圧下にあって、個々のこどもたちの素直で多様な「感情」と「価値観」が封殺されていることも、これ以上、続いてはならないことと考えてきた。

 「感情」――たとえば「わくわくとした気持ち」や「喜び」は、その子の動機と関心を開花させるものであり、何をもって善しとするかの「価値」意識は、その子独自の学習を導き、理性的な判断力をも養うものであるから、「学校」から排除してはならないもの、と思ってきた。

       *

 いまこうして大川小の悲劇の経過をたどるとき、津波が刻々と迫る大川小の校庭には、この種の「感情」(つまり不安・恐怖にもとづく避難行動の決断)も、指示やマニュアルよりも子どもたちの命を優先させる「価値意識」も、なかったのではないかと、残念ながら思わざるを得ない。

 そこには最後まで――児童がこどもに、教諭が大人に戻ることを阻害する「管理」が……「学校」」が、ただただ在りづづけていたのではないか?

       *

 わたしの(推定的)結論はこうだ。

 大川小の子どもたちと教師たちは、津波に襲われる前に、すでに自主的な判断の自由と権利を奪われていたという意味で、この国の「管理教育」の犠牲になっていたのである。
 
       *

 同じ「3・11」の「フクイチ」が、国策の果ての「想定外」の核惨事であるとすれば、大川小の悲劇は、現場の主体的判断を窒息させ続けてきたこの国の、すでに想定されていた、「管理教育」による悲劇である。

 そう、言わざるを得ない。

             ###

  (付記) わたしが大川小のことを書こうと思った(そして実際、いま書き上げた)のには、ふたつ、理由――というか、偶然がある。

 ひとつは本。

 机の上で、半分ほど水浸しにしてしまった本(乾いてごわごわになった本)を数日前、偶然、手にとって、読みだしたのである。

 その本は、フクイチの国会事故調に参加された、あの田中三彦さんが訳された『デカルトの誤り』(アントニオ・ダマシオ著 ちくま学芸文庫)の原書(英文)ペーパーバック。

 その本の冒頭に、「感情」は「理性」を阻害するものではない、という意味のことが書かれてあり、これは、あの〔わたしが個人的に尊敬する、米国サドベリー・バレー校のダニエル・グリーンバーグさんが『自由な学びとは』(緑風出版)で言っている〕「価値」と「学習」の連関とも響き合うものであり、そして何より、あの大川小の悲劇を解き明かすものかもしれない、とふと思ったことがひとつ。

 もうひとつは、原稿を書いている最中、大川小でお亡くなりになった教師の一人を知る人から、その方の思い出話を聞いたこと。

 そのふたつがあって、つらいことではあったが、とにかく言いたいことを書き上げた。

 わたしが若ければ、そしてまわりに賛同する人がいたら、大川小のあとに、「大川サドベリー校」をつくりたいと思って、ガムシャラに動していたかも知れないな、などと、それでもいま、まだ夢を見る。

 大川小の悲劇を無にしてはならない。

Posted by 大沼安史 at 09:42 午前 2.教育改革情報, 3.コラム机の上の空, 6.命・水・祈り | | トラックバック (0)

2014-03-11

〔コラム さあ あじさいの国へ〕 日の出づる国の浄化のために

  3人がアメリカで、きょう3月11日、朝から晩まで、断食に入る。フクシマの人々に――フクシマを生きるわたしたちに連帯して断食する。

 ハーヴェイ・ワッサーマンとジル・スタインさん、デヴィッド・スワンソンさん。

 脱原発を目指す3人は、3・11の地球時間を、日の出から日没まで、地球が半回転する分、わたしたちのために、そして未来の希望のために祈ってくれる。

         *

 その1人、ハーヴェイ・ワッサーマンさんは、こう書いている

 3連続メルトダウン、4連続爆発、燃料棒の飛散、太平洋の核汚染水の垂れ流しは、この地球に生存する、私たちの生きる力の織物に、致命的な穴を開けてしまった、と。
 The three melt-downs, four explosions, scattered fuel rods and continual gusher of radioactive water into the Pacific Ocean at Fukushima have torn a deadly hole in the fabric of our ability to survive on this planet.

 チャイナシンドロームと化したフクイチの核の溶融マグマは、文字通り、地球に穴を開けてしまった。

 その「核のブラックホール」から、地上へ、地下へ、海に空に、死の灰の大放出が続いてゆく。

 フクイチとはかくも恐ろしき、空前の核惨事である。

         *

 フクイチという、極東の島の東海岸の一画に出現した「穴」だけで、人類の未来を吸いこんでしまうのに、地球上には、さらにたくさんの「核のブラックホール」の予備軍が控えている。

 ワッサーマンさんの言う通り――フクイチは「核の氷山の一角( the tip of the radioactive iceberg)」に過ぎない。

 フクイチ核惨事の「死の二の舞・三の舞」が、日本列島を含む、地球のどこかで繰り返され、第2、第3の「大穴」が開けば、世界は滅びる。

 東電がこんごフクイチを放棄し、逃げ出すようなことになれば、フクニ・東海と「悪夢の連鎖」が続き、世界滅亡の引き鉄がひかれる。

 わたしたちは、そういう状況の中で、3年目の3月11日という、運命的な日を迎えたのだ。 

 だからワッサーマンさんら3人は、警告の断食に入った。
 
        *

 3人の断食はしかし、意識の中において、在るべき地球の未来を先どりしようとする、固い決心のこもった断食でもある。

 「原発」も所詮は、わたしたちの意識の産物。

 わたしたちが必要なしと思えば、必要でなくなる。

 「原発のない世界」――「そのヴィジョンを讃えるために、わたしたちは断食する」と、ワッサーマンさんは書いたが、「脱原発のヴィジョン」は、日本に生きるわたしたちにもまた、それは……いのちの限界から発せられた希望の光として讃迎すべきものである。
  To honor this vision, we won’t eat from dawn to dusk on March 11.

        *

 フクイチ核惨事・開始3周年――。

 わたしたちもまた、(「断食」する・しないはともかく)、きょうという一日を、「原発のない世界」を、いまここにあるものとして、わたしたちの心に引き寄せ、心に打ち立てる日とすることにしよう。

 心を清め、「原子力」という人類に取りついた「妄念」と「邪気」を払い、きょう、3・11という1日を、「原発完全廃絶」の日に続く一日として過ごしてゆこう。

        *

 ワッサーマンさんら海の向こうの3人は、日の出から日没まで、西方穢土と化したわたしたちの日本を思いつつ、食を断ってくださる。

 日の出づる国である日本のわたしたちが、死の灰にまみれたこの国の、脱原発による「浄土化」に立ち上がらないで、どうする!

Posted by 大沼安史 at 09:05 午前 3.コラム机の上の空, 5.希望・連帯・創造 | | トラックバック (0)

2014-03-09

〔コラム あじさいの国へ〕 たましひはみどり

 2011年の夏、避難先の郡山市のアパートで、高校1年生だった矢代悠(はるか)さんは、トイレにこもって声が漏れないように泣いた。

 母親がなじったそうだ。「大丈夫じゃなかったじゃない」

 父親は――東電社員のお父さんは、言い返さなかったそうだ。
 
        *
 
 母親は知り合いから「どう責任を取るの」「被害者面して」と言われた。

 父親は事故の収束作業に呼び出され、避難先に戻るのは月8日程度。細い体がさらに細くなり、ほおがこけた。

        *
 テレビの「脱原発デモ」を見て、悠さんはこう思ったそうだ。

 「東京の電気をつくる原発がどこにあるかも知らなかったくせに。お父さんが頑張っていることはだれも知ろうとしないのに、無責任じゃない」

        *

 今月1日、いわき市の高校の卒業式に臨んだ悠さんの高校生活は、フクシマの被爆者として――と同時に、東電社員の家族として、事故の重みに耐えながら、生き抜いた3年間だったようだ。

 15歳から18歳まで、フクシマの青春を生き抜いた悠さんのことを、朝日新聞(8日付け朝刊)で読んで、涙が流れた。

 記事を読んで、お母さんも、お母さんの知り合いも――そして誰より、お父さんが泣いたのではないか!

        *

 わたしは記事を読み終え、よくぞ言ってくれた(教えてくれた)、と悠さんに心の中で手を合わせた。

 わたしは、フクシマの人たちのほんとうの気持ちが、悠さんの「言葉」で、ようやく分かった(分かりかけた)ような気がした。 

 わたしもまた、たしかに、何も、知らなかったのだ。

 事故が起きるまでは。

 そして事故のあとも、悠さんの「言葉」を聞くまでは。

 現場で働く東電社員や、作業員の人たちとその家族のことなど。

        *

 わたしは、悠さんの「言葉」をかみしめがら、先日、亡くなった詩人、吉野弘さんの、詩の一節を思い出していた。

  ―― 諸君
     魂のはなしをしましょう
     魂のはなしを!
     なんという長い間
     ぼくらは、魂のはなしをしなかったんだろう――

        *

 そしてまた、「たましひはみどりなるべし」――

 辺見じゅんさんの歌の、あの、美しい歌いだしを。

        *

 いま、わたしたちが、なすべきは、――悠さんが教えてくれたように、「立場」や「建前」の「言葉」ではなく、「真情」の言葉を言うこと、聞くこと、交わすことではないか?

 理解し合い、困難を見据え、一緒に立ち向かうことではないか?

        *

 ふるさとはみどり。

 そこに生まれた、悠さんのような、いのちもみどり。

        *
   
 フクイチ核惨事・開始3年――。

 東電本社の人も、霞が関の政府の人も、県庁の人も、医科大学の先生も…………そしてわたしたちも、「組織の言葉」を離脱し、いのちに向き合う「魂のはなし」を始めなければならない。

Posted by 大沼安史 at 11:30 午前 3.コラム机の上の空, 5.希望・連帯・創造 | | トラックバック (0)

2014-02-24

〔コラム だから あじさいの国へ〕 「和」を以って「脱原発」と為す

 今年1月、東京新宿区立区民ギャラリーで「反原発への嫌がらせの歴史展」が開かれた。
 
 福島県知事時代、いったんは原発を容認したものの、東電のトラブル隠しなどで反原発に転じた佐藤栄佐久さんも、会場に姿を見せた。

 脅し、嫌がらせがこれだけのさばる、日本の社会。

 佐藤栄佐久さんは、こう嘆いたそうだ。「これはもう原子力帝国だ。日本の劣化だ」

            *

 北海道新聞の徃住嘉文記者(編集委員)の<匿名 陰から 脅し 盗撮 大量メール 「反原発」に続く嫌がらせ> (22日付け)のレポートを、呼んで、「原発」をめぐる、この国の闇の深さを考えさせられた。
 ⇒ http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/522863.html

 「反原発の思いを自己規制しない」、元アイドルで情報会社社長の千葉麗子さんは、車を壊され、子どものことで脅され、結局、引っ越して防犯カメラをつけ、警備を頼むところまで追い込まれた。

 わたし(大沼)の知るケースでは、バラバラにした蝶々を入れた、匿名の手紙が郵送される脅しにあった女性もいる。

 花の都、パリからの脅迫状も。

            *

 徃住記者によると、「反原発への嫌がらせの歴史展」の実行委員会は、「犯人像」を、こう分析しているそうだ。

  ① 郵便の消印は全国、海外にまたがる ② 個人の自宅住所、出張先まで調べ上げ、写真を撮ったり器物を破壊したりしている ③ 全国の集会参加者や反対運動家のリストをばらまいている ④ 反対運動の内部資料や、反対運動家の郵便箱から盗んだとみられる書類もあった―、こんなことができるのは、強力で資金力のある大きな組織に限られる――。

 「資金力のある強大な組織」が、警察に取り締まられもせず。やりたい放題を続けて来たのだ。

 「国策いやがらせ」と「国策脅迫」が、「原子力帝国・ニッポン」において、堂々と続けられて来たのである。

            *
 
 これだけ見ても、「原発」という巨悪の、無法ぶりが分かるが、徃住記者は、こうした無残な状況を報じるだけでなく、わたしたちの前途に、ひとつ、光明を投げかけている。

 北海道の瀬棚に、こんな希望の灯が灯った、という。

            *

 <檜山管内せたな町の法華寺住職大塚泰淳さん(69)には確信がある。1988年、北電泊原発前で抗議の断食をした。後日、街宣車が寺に現れボリュームを上げた。「大塚、出て来いっ」

 本堂に招き入れ、言い分を聞いた。「売名行為をやめろ。原発は必要だ」。溝は埋まらない。だが、話し合いを約束し、以来、手紙のやりとりが続いた。

 3・11直後、男が書いてきた。「あなたの言うとおりだった。申し訳ない」

 大塚さんは言う。「人には仏性があり、必ず仏になれる。どんなことをされても、その人を軽んじたり、憎んだりしてはならない。逆に、被害を受け苦労しても、いつか必ず花開く時が来る。諦めてはいけない」>

            *
 
 この大塚住職の言葉は、ほんとうに、そうだ。

 わたし自身、一昨年来、ひどいめにあっているが、住職の言う通り、「その人を軽んじたり、憎んだりしてはならない」と、いま、あらためて思う。

 「その人」には、その人の、「事情」がある。
 
 それが、「その人」の仕事である。

 しかし、「その人」が今後、絶対、「変わらない」…………ということは、ない。

            *

 言うまでもなく、「フクイチ核惨事」は、「その人」たちも――「その人」の家族の「いのち」をも、被曝させてゆく。

 「無差別受難」である。

 「その人」の愛する人も、その愛する人との間から生まれた子どもの「いのち」も、被曝せずにはいない、空前の放射能災害である。

 わたしたちは「その人」も――「その人」から生まれる新しい「いのち」も、守っていかねばならない。

            *

 大塚住職の言うように、わたしたちには、「その人」たちの仏性に、絶対的な信頼をおく心が大事なのだ。「その人」たちと「和」して生きていく。

 「和」――――そう、あの、「和(やわらかなる)を以って貴とし」とする、「和」の精神。

 それは(敢えて言うならば――)聖徳太子を通じ、わたしたちの社会の今に流れる、あの「捨身行」の精神にもつながる気構え、心構えである。

            *

 そして、住職の言うように、わたしたちは「被害を受け苦労しても、いつか必ず花開く時が来る。諦めてはいけない」。

 たしかに、わたしたちの「脱原発の和」を象徴する集合の花、紫陽花は、まだ、つぼみのままだが、しかし、時が来れば――そして、「その人」が変われば、必ず咲く。

 必ずや、咲く。

            *

 だから、だからこそ、脅しやヘイトスピーチに対して、わたしたちは「和」の言葉を差し向けなければならない。

 大塚住職が、あきらめずに、手紙のやりとりを続けたように。

 「その人」(たち)との間をつなぐのは、最後は言葉だ。

            *

   紫陽花のふふむ雨滴を揺りこぼす言わば言葉がすべてとならむ

                   【ふふむ】  ふくらむ。…… つぼみでいる。広辞苑より。    

            *

 これは歌人、河野裕子さんの、愛の歌。

 わたしたちがことし、歩むべき、「あじさいの道」にも咲くべき、愛の言葉でもある。

            #
 (追記) 

 徃住(とこずみ)記者は、実は<沖縄返還協定をめぐって、米国側が負担すべき400万ドルの費用を日本側が肩代わりするという「密約」の存在を認める証言を、政府側関係者(当時の外務省アメリカ局長だった吉野文六さん)から初めて引き出した>人だ。

 ⇒ http://jcj-daily.sakura.ne.jp/hokkaido/report06/0923tokosumi/youshi.htm
 

 道新(北海道新聞)には、こういう記者がいる(そして、こういう記者が、他のマスコミにもいる)――これまた、ひとつの光明である。

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Posted by 大沼安史 at 09:25 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2014-02-22

〔コラム だから あじさいの国へ〕 ウォールストリート・ジャーナル 安倍首相ブレーン インタビュー : 「思い通りに歴史を解釈する権利は、日本にとって国家的な霊魂の問題である!」

 安倍首相の経済ブレーン、本田悦朗・内閣官房参与(静岡大教授)の発言を報じたウォールストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビュー記事が、国際社会に、新たな波紋を広げている。
 ◎ 18日付け A More-Muscular Japan, Personified (「より強い日本」を体現)
 ⇒ http://online.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304899704579390293541736638?mg=reno64-wsj&url=http%3A%2F%2Fonline.wsj.com%2Farticle%2FSB10001424052702304899704579390293541736638.html

 本田氏は、どんな「発言」をしていたのか? 

 それを、WSJのアンドルー・ブラウン(Andrew Browne) 記者は、どうまとめたか?

            *

 まず、記事の結びの部分から、見ることにしよう。
 記事をいわば結論といえる、締めに部分は、こう書かれていた。

 <しかしながら本田氏にとって、問題の要点は、日本は自分の願い通りに歴史を解釈する権利を持たねばならない、ということなのだ。氏はこう主張した。それは「われわれの国家的な霊魂の、純然たる問題である」と。>
 For Mr. Honda, though, the salient point is that Japan must have the right to interpret history as it wishes, and to express itself. It is, he insists, "a pure matter of our national spirit and soul."

 思い通りに歴史を解釈する。それが、日本にとって国家的な霊魂( national spirit and soul)の問題である。
 本田氏は、そう言い切ったそうなのだ。

 国家的霊魂による歴史解釈権!

 安倍首相のブレーンは、こういう驚くべき発言をした!――とWSJは、全世界に報じていた。

 これはたいへんなことである。

            *

 WSJの記者のよると、本田氏はインタビューの場で、氏が「アベノミクス」の国家主義的目標と考える点について、「完全にオープンな態度」で答えたそうだ。

 Mr. Honda, one of several architects of the economic part of Mr. Abe's agenda, is perfectly open about what he perceives to be the nationalistic goals behind the policy overhaul known as Abenomics.

 それでは本田氏にとって、「アベノミクス」の目標とは何か?

 それは、賃上げや生活の向上という命題を超えたものなのだそうだ。日本に強い経済が求められるのは、より強力な軍を構築し、中国に対峙できるなるため。「われわれは深刻な脅威を感じている」と本田氏は語った。
 Beyond the imperative to raise wages and improve livelihoods, Mr. Honda says Japan needs a strong economy so that it can build a more powerful military and stand up to China. "We feel a serious threat," he says.

 安倍首相の経済ブレーンは、「アベノミクス」の「3本の矢」は、「中国」を目標としたもので、中国の脅威と対峙しうる軍拡のためだと言い切っていたわけだ。

 これまた、たいへんなことを、世界に向けて「発言」したものである。

            *

 しかし、本田氏の「発言」は、ここで止まったわけではなかった。さらに、「その先」があったのだ。

 記事は、こう続く。
 
 <しかし、本田氏の国家主義的感情は、もっと深いものだった。中国の危険から日本を守り得る富を築くだけでは不十分なのだ>
  Yet Mr. Honda's nationalistic sentiments run even deeper. For him, it isn't enough for Japan to create sufficient wealth to be able to defend itself against a danger from China.

 <本田氏は、世界の舞台の上での、独立行動を取り戻せる、躍動する日本を欲している。パトロンのアメリカに恩義を感じ、隣国の感情に邪魔されないですむ日本を欲しているのだ>
  He wants a vibrant Japan that can reclaim its independence of action on the world stage, a nation that isn't beholden to the U.S. as a patron and doesn't feel restrained by the sensitivities of its neighbors.

 <本田氏が安倍首相の「靖国参拝」を支持するのも、そのためだった。「日本の指導者が靖国参拝を控えているかぎり、国際社会における日本地位は非常に低いままである」と、氏は語った>
  This is also why he supports Mr. Abe's trip to Yasukuni. "As long as a top Japanese leader refrains from visiting Yasukuni, Japan's position in international society is very inferior," he says.

 本田氏は「靖国」に首相が参拝すれば、日本は国際社会で上位の座を占めることができると、考えている!

 <「われわれはハンディキャップを負った日本を見たくない。われわれは、独り立ちする日本を見てみたい」>
   "We don't want to see a handicapped Japan, we want to see Japan as a stand-alone country."

 「靖国」に首相が行けば、日本は「独り立ち」できる!

 安倍首相もまた、本田氏の、この「信念」を、共有しているのだろう。

 だから、あの「参拝」を、(無謀にも)強行できた!

            *
 
 「靖国」に首相が行けば、日本は「独り立ち」できる!

 <この点を強調するため、大学教授でもある本田氏は左手を頭上に上げ、その手を降下させて、米空母に突っ込む、カミカゼの死の特攻のさまをジェスチャーしてみせた。そして目を赤くしながら言った。「彼らの犠牲のおかげで日本の平和と繁栄がある。だから安倍氏は靖国に行かねばならなかった」>
   To emphasize his point, Mr. Honda, a college professor, raises his left hand above his head and lets it drop to describe the death plunge of kamikaze jets onto the decks of U.S. aircraft carriers.
   "Japan's peace and prosperity has depended on their sacrifices," Mr. Honda says, his eyes reddening. "That's why Mr. Abe had to go to Yasukuni."

 WSJのブラウン記者は、記事の書き出しの部分でも、本田氏はカミカゼ・パイロットを「犠牲」を語るとき、目に涙を溢れさせたと書いているから、氏の「涙」に相当、印象付けられたのだろう。
  Tears well up in Mr. Honda's eyes during an interview as he talks about the "sacrifices" made by kamikaze pilots during the final stages of World War II.

            *

 こうして、ブラウン記者によるインタビュー記事は、「目を赤くした」氏の、実は安倍首相靖国参拝は、特攻隊の犠牲を讃えたものだった、とする、謎解きめいた解説紹介の、「思い通りに歴史を解釈する権利は、日本にとって国家的な霊魂の問題である」とする氏の、あの、驚くべき「締めのの言葉」で終わるわけだが、わたし(大沼)としては、これを読んだ、世界のWSJ読者が、安倍政権の危うさというものに(あるいは薄気味悪さに)、あらためて警戒心を抱いたのではないか、と危惧しないわけにはいかない。

            *

 朝日新聞(22日付け朝刊4面)によると、本田氏は20日、WSJに「真意ではない」と抗議。「((WSJから)修正する用意があると言われた」と、官房長官に報告した。

 これに対してWSJは「修正すると申し出た事実もない」と否定。

 本田氏も21日、「今、具体的にどうしようということは考えていない」とトーンダウンさせた。

 つまり、WSJでの本田氏の「発言」は報道された記録として、あり続けることになる。

            *

 「アベノミクス」の真の狙いは、対中国の軍拡のため!

 その先の目標は、日本が「世界の舞台の上で、独立行動を取り戻すこと」!

 「靖国」に首相が行けば、日本は「独り立ち」できる!

 ―― そしてトドメの、この、重大な「発言」!

 思い通りに歴史を解釈する権利は、日本にとって国家的な霊魂の問題である!

            *

 安倍首相の経済ブレーンの口から、国際社会の舞台に向かって吐かれたこの「名(?)科白」は、「美しい国」の権力サークルに集う人々の、精神状態と歴史認識の深さを測るものとして、世界の人々に語り継がれることになろう。

Posted by 大沼安史 at 11:49 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2014-02-16

〔あじさいコラム〕 言論弾圧・腐敗・貧困 ―― フクイチをめぐる悪のサイクルを断つもの

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 世界銀行はまるで、安倍政権下の貧困問題と言論の自由の抑圧(秘密保護法)を予期するかのように、ちょうど10年前(2004年)、「報道の自由は貧困との闘いを助ける(Press Freedom Helps Fight Poverty)」キャンペーンを行なっていた!
   ⇒ http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20196754~menuPK:34457~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html 

  "Press Freedom Pays" 報道の自由は経済にもプラス! 貧困と闘う武器になる!

 なぜそう言えるのか?

       #

 世銀はこう説明する。

 報道の自由があれば、「腐敗」とより効果的に、闘うことができる!

 そして報道の自由は、「説明責任(アカウンタビリティー)」を迫るものとなり、政府の腐敗をチェックして、市民参加を促す。

       #

 目に見えない放射能にまみれ、目に見えないところで権力の腐敗が進む、この、汚れちまった、ちっとも美しくない国! 

       #

 そういえば世銀は、先だって、原発に対しては、いかなる国であれ、投資は行なわない、と明言していた。( ⇒ 昨年11月18日付け AFP電、「原発は援助しない」、世銀と国連が表明 を参照)

       #

 「原発」はこれまで、日本の「報道の自由」を奪い続けてきた。

 「報道の自由」を奪うことで、この国の腐敗をいっそう進行させ、この国の「貧困」問題を激化させてきた。

 わたしたちが「あじさい革命」を起こさないと、この国・日本は、「秘密保護法」によって腐敗が極限まで進み、貧困問題も底なし状態へ突き進むことだろう。
 
       #

 日本の既成メディアがNHKを先頭に御用化し、報道の自由度が世界59位へと急落してしまった現在、わたしたちは、自分たち自身が「マスコミ」となって、ネットなどを通じて情報を伝達し合い、共有し合わなければならない。

       #

 言葉によって、紫陽花のように、ひとつひとつの魂の花びらをつなぎ合い、新しい、時代のスピリットを形成し、脱原発の国づくりを始める。

 「あじさい革命」とは、何より、わたしたち自身の、わたしたち一人一人による、コミュニケーションにおける連帯でなければならない。

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Posted by 大沼安史 at 01:00 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2014-02-14

〔あじさいコラム〕 65歳 ―― 空の光輪と真夜中の言葉

 福島に住む教え子から、ことしもバレンタインチョコをもらって、わたしの新しい年が、また始まった。

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 昨日(13日)昼過ぎ、空に光輪が浮かび、携行していたカメラに収めた。

 虹の光の輪。

 光の輪はこれで、去年の秋から、4回目の出現!

 4回、現れると、いよいよだ――と、以前、ある人に、謎をかけるように教えられたことを思い出した。

       #

 何が、いよいよなのか?

       #

 ミュージシャンの 神人さん には、1月28日の真夜中に、こんな「御伝え」の言葉が降りてきたそうだ。

     時 来りて
  
     真 意変わる時

     う

 「う」――とは、大宇宙の意。

       #

 それから、こんな「御伝え」の言葉も。

     氣 笑 感謝
 
     貴ぶ喜び

     う  

       #

 神人さんの解説。

 第一の御伝え:

 過去の時代のマインドコントロールから解き放たれ、これから急速に地球人の意識・ものの考え方が変わり、真実を理解出来る人々がどんどん増加致してゆくとのことです。

 第二の御伝え:

 氣とは、霊体としての思い=エネルギー。
 笑とは、歓喜の表現。
 感謝とは、真を理解することで流れ来るエネルギー。
 貴ぶとは、己との違いを喜びに感じること。
 己に無いものを持つ他を愛しむ思い。
 違いを戦いの想念に繋げないこと。違いは、本来愛おしいこと。
 現在の地球人に必要な思いです。

      #

 実は、14日午前0時ごろ――真夜中、布団の中で目覚めていたわたしに、「聖徳太子さまが、あじさい革命を、お命じになられている」という「声」(男の人たちと女の人たちの、歌うような声)が、数波にわたって、聞こえて来た。

 不思議なことに、わたしのパートナーもまた、同じことを、そのとき、聞いていた!(――ことをあとで知った)

 幻聴――かもしれないが(きっとそうに違いないが)、万が一、これがホンモノの「御伝え」であるなら、記者のはしくれであるわたしとしては、報道人の責務(?)として、書かないわけにはいかない(ので、いま、書いている)。

      #

 和をもって尊しとなす――の太子さまのことだから、これからわたしたちが遂行する「あじさい革命」は、平和革命でなければならない、とお思いのことだろう。

 わたしは、幻聴であれ何であれ、聞いた以上は、「あじさい革命」の実現に向けて、わたしに残された時間を――いのちの残りを、わたしなりに捧げてゆく所存である。

      #

 最近、わたしは、車で30分のところにある、人気のない(しかし由緒ある)神社へ通っている。

 本殿にお参りし、円鏡に映った、手を合わせている自分の姿に手を合わせてから、境内のすみで、空を仰ぐ。

 その場所は、知り合いのT老人の目の前に、「人が現れた」場所だ。

 T老人はそれを見て、腰を抜かしたそうだ。

      #

 その場所に立つと、もう電流のような気が、空からビリビリ、降り注いでくる。

 その場所で空を見上げて撮影した写真がこれ(⇒ 右の写真)。

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 わたしはこの写真をパソコンの画面に使って、まさにいま、この瞬間、この空を背景に、「メモ帳」で、この記事を書いている。

      #

 神社でわたしは、自分の「筆致」が、争いの和解と解決を導くものになるよう、お力添え願いたいとお祈りしている。

 心の奥までとどく、きれいな言霊の筆をお与えください、とお祈りしている。

      #

 わたしは今日、2月14日で、満65歳。

 65歳という新しい年が、今日、わたしに、始まった。

 「あじさい革命」へ向けた、新しい時間が、わたしにも始まった。

      #

 わたしは今年(も)、書けるかぎり書いてゆくつもりだ。

 伝えたいことを、お伝えするつもりだ。

 読者諸氏のご鞭撻を願う!

Posted by 大沼安史 at 06:58 午後 3.コラム机の上の空, 5.希望・連帯・創造 | | トラックバック (0)

2011-03-05

〔コラム 机の上の空〕 セルフ・コンパッション (self-compassion) 

  ニューヨーク・タイムズ電子版フロント頁の「人気記事ランキング・トップ10」に、「セルフ・コンパッション(self-compassion)」なるものを紹介する記事が載っていた。⇒ http://well.blogs.nytimes.com/2011/02/28/go-easy-on-yourself-a-new-wave-of-research-urges/?src=me&ref=general

 人気記事リストの上位にランクされている――ということは読まれている、ということである。関心を持たれている証拠である。

 タイムズの電子版読者はやはりアメリカ人が大半だろうから、この記事はアメリカ人が関心を持ち、読もうとした(読んだ)記事――ということだ。

 「セルフ・コンパッション」――新語である。新しいコンセプト。

 そのどこにアメリカ人は心引かれているのだろう?

 ####

  セルフ(self)の付かないコンパッション(compassion)はラテン語(後期ラテン語、14世紀~)の compassio(同情)から来た言葉だと辞書に出ていた。
 com(共に)+ passion(苦しむこと)

 同情――ともに苦しむこと。
 苦しみを分かつこと、といっていいかも知れない。

 苦しんでいる相手を思いやること――思いやり、でも間違いではないだろう。

 それでは、セルフ・コンパッションとは何か?

 セルフ(自分自身)を、思いやることである。苦しんでいる自分を、自分で思いやることである。

 日本語にすれば、「自分への思いやり」――か。

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 タイムズの記事によれば、この新しいコンセプト(心理学の新分野)を提唱し、その重要性に注意するよう求めているのは、テキサス大学オースティン校のクリスティン・ネフさんという女性の研究者(准教授)だ。
 (このコンセプトの定義など詳しくは、ネフさんのサイトを参照。⇒  http://www.self-compassion.org/ )

 さて、タイムズの記事はごくシンプルに、この「セルフ・コンパッション」は、自分に対する簡単な質問から――それを土台にして立ち上がる概念(分野)だと指摘する。

 その自分に対する質問とは、

  Do you treat yourself as well as you treat your friends and family?

  直訳すれば、(自分に向かって)あなたは、あなたの友だちや家族に対するように、自分自身を遇して(取り扱って)いますか?

 ―― これを(僕なりに勝手に)意訳すれば、お前は友だちや家族の苦しみを思いやるように、苦しんでいる自分を思いやっているか?(自分の苦しみを、自分自身で分かとうとしているか?)……となる。

 ネフ準教授によれば、こういうことができる人は、あまり落ち込まず、不安に慄かず、より幸せに、より楽天的になれるのだそうだ。

 ####

 こういうコンセプトに――自分の苦しみに対する対処法に、アメリカ人は今、強い関心を示し、おそらくは共感している……

 これを「ハッピーになる、手軽なハウツー」として笑い飛ばしてはいけない、と僕は思う。

 いまのアメリカの社会状況に重ね合わせて考えれば、アメリカの人々が「セルフ・コンパッション」に目を向け、関心を抱き始めたことの意味は、深くて重いような気がするのだ。

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 僕の記憶にある限り、(セルフ抜きの)「コンパッション」を、政治プロパガンダのうたい文句に使ったのは、息子ブッシュだった。

 新自由主義を掲げた、アメリカ社会の破壊者が抜けぬけと「コンパッション」を語るのには恐れ入ったが、ブッシュの語る「コンパッション」には上から下への目線があるだけで、そこには com(共に)に込められた、「人々の(水平的な)連帯」の響きはなかった。

 醜悪で下劣な、施しとか憐憫といったものが、腐臭のように漂う、欺瞞的なスローガンだった。

 しかし、今や――アメリカの共和党に代表される新自由主義者からは、コンパッションのコの字も聞こえてこない。

 コンパッションは今、富裕な特権層、プルトクラシーの支配者側にはない。

 ダウンサイジングの果て、落ちるとことまで落ちた民衆の側に、コンパッションは息づいている。

 これはこのブログで先に紹介したことだが、共和党のネオリベ州知事が公務員の低賃金(民間の平均より低い)を削り、団体交渉権まで制限しようとしているウィスコンシン州の州都マディソンの議事堂で、「レ・ミゼラブル」の歌、「われわれの声が聴こえるか」の合唱が湧き上がったのも、そこに、虐げられた者同士の「コンパッション」に広がりがあったからだろう。

 ####

 「セルフ・コンパッション」に対する関心の高まりの底に、こうしたミゼラブルな一般大衆の「コンパッション」が、強固な基盤としてあるのは間違いないが、注目すべきは、それが主体的な意志、あるいは構えとして「個人化」し、「セルフ」付きのものになっていることだ。

 「セルフ・コンパッション」……苦しむ自分を思いやる自分。

 そこには、セルフ・ピティー(self-pity)=自己憐憫のような、自己放棄、またはある種の撤退のような響きはない。

 そこでは、自分を思いやる自分が「主体」として存在し、しかも、人と人をつなぐ com(共に)よって、社会的に支えられているのだ。

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 友だち、家族の苦しみを思いやるように、苦しんでいる自分を自分で思いやる……。

 その自分への思いやりには、自己嫌悪を伴った自己否定はない。
 苦しみをごまかす自己欺瞞もなければ、勝者への道をがむしゃらに突き進もうとする、卑しく苦しい息遣いもない。

 お前は友だちや家族の苦しみを思いやることができるだろう?
 それなら、自分を責めずに、自分の苦しみを受け入れ、苦しむ自分を思いやったらどうだ?

 そこがわれわれの出発点じゃないかな?

 その思いやりの中で、お前は、友だちや家族、あるいは同じ「自分を思いやる人々」とつながることができるんじゃないか?!

 ####

 アメリカはこれまで、新自由主義という階級戦争の暴風が吹き荒れ、隣人を愛するどころか、周りの者を蹴落とす、Beggar thy neighbour (汝の隣人を乞食にせよ)ばかりが、まかり通って来た。

 マディソンの議事堂へ押しかけた抗議の民衆の間で、次のような、ジョークが広がったそうだが、これは冗談ではない。あくまでも現実のたとえ話である。

               12枚のクッキーの話

 12枚のクッキーが乗ったテーブルを、富豪とお茶会のメンバーとふつうのアメリカ人の3人が取り囲みました。

 早速手を伸ばしてクッキーを11枚、掠め取ったのは富豪でした。

 テーブルの上には、たった1枚のクッキーが残っているだけ。

 富豪はお茶会のメンバーをそそのかしてこう言いました。

 「その1枚、お前にやる。とられないうちにとってしまいな」

 ####

 マディソンの人たちは――あるいは、日本を含む世界のレ・ミゼラブルたちは、最後の1枚のクッキーさえない、ネオリベの荒野の中で、苦しみを分かち合っているのだ。

 現代史において初めて、グローバルな規模で「同じ苦しみ」に向き合い、それを自分の苦しみとして、他者と同じ苦しみを分かち合いながら見つめ、聖書にも言う「マルチチュード(動き出した群衆)」として、共に分かち合おうとしているのだ。 

 ####

 SELF で COM なパッション。個人的で社会的な痛み、苦しみの分かち合い。
  そこから始まる、全世界規模の世直し。

 2011年から開始された、21世紀、世界 Self-compassion 革命!

  出発点はあくまでも、「私(セルフ)」だ!

Posted by 大沼安史 at 11:08 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2011-02-17

〔コラム 机の上の空〕 「結婚して子どもつくるぞ!」

 エジプトの女性作家、アーダフ・スーエイフさんが、英BBC放送でのレポートで、日本の若い人たちの励ましになりそうなことを書いていた。 

 ムバラクを追放した日、タハリール広場に集まった若者たちは、こう声を合わせて叫んだそうだ。

 「結婚するぞ! 子ども、つくるぞ!」

 スーイエフさんはこれを、数百万人の若者たちの「仕事」と「家庭」への必要性(希求)を映し出した声だと書いていた。

 ⇒ http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12393795

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 若者に仕事がない。金がない。結婚できない。子どもをつくれない!

 エジプトも日本と同じなのだ。

 若い世代が仕事もなく、結婚もできず、子どもを――次の世代を産み出すことができない。

 エジプトも社会的な再生産――社会そのものの存続の危機に立たされていたのだ。

 だから、彼・女たちは、立ち上がったのだ。

 ####

 エジプトではもしかしたら、10ヵ月後に、ちょっとしたベビーブームを迎えるかも知れない。

 亡くなったヒーロー・ヒロインの名前をもらった赤ちゃんが、元気な産声=叫び声を一斉に上げるかも知れない。

 ####

 アーダフ・スーイエフさんはBBCでのレポートで、抗欝剤のお世話になっていた彼女の友人たち(複数)が、今回の「エジプト革命」でいっぺんに元気回復し、薬に頼らなくていいようになった、とも書いていた。

 世直し=社会的な解放は、精神的な解放につながることなのかも知れない。

 ####

 スーイエフさんの報告を読んで、「反貧困ネットワーク」の副代表で、作家であり、活動家でもある雨宮処凛さんの、こんな発言を思い出した。

  熊本に熊本労働生存組合という、ニートやひきこもりの女の子たちが立ち上げた団体があります。不登校やリストカット経験者でプレカリアート運動を知って、自分たちもとりあえず組合を作ろうと。
  そうやっていろいろ勉強していくと、それまで鬱とか精神医療の分野で語られていた自分たちの問題が、実は新自由主義や市場原理主義や競争社会といった問題と深く関わっているとわかった。自分が畑結局なかったり生きづらかったりするのは、自分だけが悪いんじゃなくて社会の構造のせいだったんだ、と開き治ったらいくなり元気になって、デモをやりまくっているんです……
 (「世界」2月号、145~146頁)

 ####

 エジプトの若者たちの「結婚して子どもつくるぞ」の雄叫び&雌叫びは、熊本の――そして日本全国の、若者たちの叫びと共鳴し合うものだろう。

 エジプトの若者に負けず、日本の若者も、ますます「デモをやりまって」、この国をクソな「最低不幸社会」にしてしまった権力者どもを追放しなければならない。

 ####

 先日、賃貸不動産屋のチーフの人に、「初期費用を払えなくて、アパートも借りれない若い人が増えている」と聞いた。

 悲しいかな、暮らすところさえも確保できない、日本の若者プレカリアートたち!

 「天下り率100%」の「わが世の春」をウハウハ謳歌している、日本の「夢バカ楽」な特権層(腐敗政治家・官僚)の「無能・無責任」のせいで、来月の卒業式の後に、そのままハローワークに直行しなければならない、日本の若者たち!

 日比谷公園を日本のタハリール広場と化し、「夢バカ楽」どもを追放する世直しに、総決起の時だ!

  

Posted by 大沼安史 at 09:58 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2011-02-16

〔コラム 机の上の空〕 「変わったのだ、完全に」

 米国の作家で、「ボストン・グローブ」紙のコラムニストでもあるジェームズ・キャロル氏が、「エジプト革命」について同紙に書いていた。
 「新しい世界のデジタルな夜明け( A new world dawns digitally)」
 今月(2月)7日付けのコラムだ。
 ⇒ http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2011/02/07/a_new_world_dawns_digitally/

 キャロル氏はアイルランドの血を引く人。ダブリンの詩人、W・B・イェイツの詩、「復活祭 1916」の有名な一説を引いて、コラムを書き起こしていた。

 Changed,changed utterly,…… (変わった、変わったのだ、完全に)

 ####

 キャロル氏は、デモに参加した、無名のエジプト人の言葉も引用していた。

 The street is not afraid of governments anymore.  
 (この道はもはや政府を恐れない)

 世界は変わったのだ。ストリートさえも。
 完全に。

 「完全な変革」は、Power to the people(権力を民衆へ)が、I am somebody(私は人間である)と結びついて起きた、とキャロル氏は書いた。

 1979年の「イラン革命」のカセットテープレコーダー。1989年の「天安門事件」でのファクス。そして、2012年の「エジプト」のインターネット。

 ネットを生んだ「デジタル革命」は、エジプトの民衆の意識をつなぎ、ナイルの夜明けをもたらした。

 ####

 キャロル氏はしかし、この14日付けの同紙で、「過去」と「未来」のない、永遠の「現在」にすぎない「デジタルな時間」を――現代の私たちが囚われてしまった「デジタルな時間」を批判するコラムを書き、7日付けのコラムを補足していた(補足したとは明言していないが、これは間違いない)。

 こんどは英国の作家、E・M・フォスターを引用して。

 フォスターは、こう言って「時間の流れ」には2つの種類があると指摘したそうだ。

 
 "The king died and then the queen" is a story. "The king died and then the queen died of grief" is a plot.
 (「王様が死んで、女王様が死んだ」は、そこで終わってしまう単なる「おはなし」だが、「王様が死んで、そのあと、女王様が悲しんで死んだ」は、そこから物語が始まる話の筋である)

 「コレがあってアレがありました。はい、おしまい」式のデジタルな事象の断絶ではなく、「コレがあったので、アレが起き、そして」と、物事がつながって展開してゆくアナログ的な時間。

 それこそが、デジタル化した現代で忘れられた人間的な時間であり、貴重なものだ……それが、キャロル氏がこのコラムで言いたかったことに違いない。(これも間違いない)

 ####

 では、キャロル氏はなぜ、7日付けの「エジプト・デジタル革命」コラムから1週間後に、「デジタル時間批判」のコラムを書いたのか?

 これはあくまで私の想像だが(しかし、間違ってはいない想像だと思うが)、キャロル氏は、「エジプト革命」が、ユーチューブやフェースブック、ツイッターなど、デジタル革命の産物であるネットによって駆動されたものであることを認めながら、途中から(とくにムバラクがネットを全面遮断した時点以降)、パソコン、ケータイの「画面」を離脱した、まさに地に足ついたものに変わっていたことに――人々がストリートを「広場」に向かって、自分の時間を自分で歩き、「歴史」をつくるものに変わっていたことに気付き、その重要性を指摘したかったのだ。(7日付けのコラムの見出しは、キャロル氏がつけたものでないかも知れない……)

 本ブログでもすでに紹介したように、今回の「エジプト革命」は、26歳の女性の「1月25日にタハリール広場へ、集まれ! ビデオ・アピール」で始まったものだが、その彼女自身、もうパソコンの画面を見るな、広場に集まれ、と訴えていたことは、見落としてはならない点だ。

 「エジプト革命」はネットによって駆動されたが、それがムバラク追放という勝利を手にしたのは、民衆がネットを離れ、「広場」に結集したからである。

 人々が「広場」で、じかに心を通い合わせたからである。

 ####

 キャロル氏がコラムで紹介した、イェイツの詩の一節、
 Changed,changed utterly,…… (変わった、変わったのだ、完全に)は、さらにこう続くという。

  A terrible beauty is born.  
 (とてつもない美しさが生まれた)

 「エジプト革命」が美しいのは、そこに私たちが「広場」で生まれたものに共感を感じ、新しい時間の流れを、歴史を生み出してゆくものを見出しているからだろう。

 ムバラクという現代のファラオを、民衆は「広場」に集まることで、喜びのうちに追い出したのだ。筋書きを書いて、その時間を生き、演じ切ったのは、ほかならぬエジプト民衆だった。

 ####

 寺山修司さんが生きていらしたら、こう言うかも知れない。

 日本の若者よ、君らもパソコンを捨て、街に出よ、と。

  ☆

 ジェームズ・キャロル氏には『戦争の家』というガルブレイス賞に輝いた、ノンフィクションがある。「アメリカ軍事帝国」の「惨憺たる勃興」(アイゼンハワー)を描き切った大河ノンフィクションだ。拙訳、上下2巻、緑風出版の刊。図書館にリクエストするなどして是非、お読みになっていただきたい。 

Posted by 大沼安史 at 10:19 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2011-02-15

〔コラム 机の上の空〕 「エジプトの若い世代は数百万倍も賢い」

 カイロ入りして取材を続ける、英インディペンデント紙のロバート・フィスク記者は言うまでもなく、中東報道の第一人者だ。
 フィスク記者が「タイムズ」の記者として中東に赴任したのは、1976年のこと。

 レバノンの停戦交渉取材でカイロ入りし、レストランで生野菜を食べて、腹痛と発熱に苦しんだ。

 起き出して、街を歩いたら、バス停で倒れた。そのまま5時間、昏倒していた。

 カイロはもうこりごり。「タイムズ」あての辞表もしたためた。

 その時、辞めていたら、「中東問題の第一人者」は生まれず、今回の「カイロ報道」も生まれなかった。
 ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-full-circle-on-tahrir-square-as-history-comes-in-gulps-2212531.html

 ####

 そのフィスク記者(65歳)が、エジプト・ジャーナリズム界の大御所ともいうべき、不屈の記者、モハメド・ヘイケル氏(87歳)の自宅を訪ね、インタビューした。

⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/africa/mohamed-heikal-i-was-sure-my-country-would-explode-but-the-young-are-wiser-than-us-2215070.html

 サダトに投獄され、ムバラクに釈放され、そのムバラクを批判し続け、エジプトの国内メディアから、これまで30年間も追放されていた。
 その間、精力的な執筆活動を続け、中東の現代史のさまざまな事件を、英語の本にまとめて来た。

 ムバラク体制はやがて「爆発」して崩壊する――ヘイケル氏は、こう言い続けて来た。

 それに賛同できないフィスク氏は、シニカルに反応し続けて来た。

 ヘイケル氏は、インタビューに訪れたフィスク氏に、こう聞いたそうだ。

 「まだ、自分が正しいと思うかね?」

 フィスク氏は言った。「いや、私は間違っていました」

 ####

 インタビューでヘイケル氏は言った。

 「私は完璧に信じていた。体制は爆発するだろうと」

 「今回のことで私が驚かされたのは、それが数百万人の運動だったということだ」

 「私は自分の目で確かめられるとは信じていなかった。民衆の立ち上がりを見ることが出来るとは信じていなかった」

 ####

 フィスク氏のインタビューに対するヘイケル氏の答えで、僕が凄いなと思ったのは、エジプトの若い世代に対する氏の発言である。

 「カオスになるかも知れないと心配していた。しかし、エジプトに新しい世代が生まれていた。私たちよるも数百万倍も賢い世代が登場した。彼らは穏健に、知的に行動した」

 そしてヘイケル氏は、こう続けた。

 「(カオスによる)真空は起きなかった。爆発は起きなかった」と……。

 つまり、ヘイケル氏は、自分の予言は当たらなかったと言ったのだ。

 いい意味で、当たらなかったと。

 ムバラク体制は崩壊したが、エジプト社会の「爆発」は――大混乱は起きなかったと。  

 ####

 若い世代による数百万倍も賢い革命――それが今回の「エジプト革命」だとヘイケル氏は言ったのだ。

 「システムは変わらなければならない。そして人々は自分たちの求めるものを、(今回の決起で)知らしめた」

 「世界も最も近代的なテクノロジーが、今回の決起に使われた」

 「人々は何か違ったものを求めている」

 ヘイケル氏の言わんとするところを、僕なりに解釈すればこうなる。

 今回の「エジプト革命」は、これまでパターンを超えた、何か違ったものである、と。

 ####

 僕はこのヘイケル氏の見立てに共感を覚える。

 「革命」というものが、「爆発」から、「コミュニケーション連帯」による「解体構築」へ様変わりしたのではないか、と言いたい気さえする。

 ####

 ヘイケル氏の「人々は何か違ったものを求めている」という指摘を聞いてインタビューを終えたフィスク氏を、ヘイケル氏はエレベーターのところまで見送ってくれたそうだ。

 その時、フィスク氏は、ヘイケル氏にもう一度、こう言ったそうだ。

 「あなたの言っていることは、正しい」

 2人のベテラン・ジャーナリストの再会は、「エジプト革命」に対する見方の一致の確認で終わった。

 ####

 僕がカイロにいた20年前、ヘイケル氏はたしか、カイロ市内中心部のナイル河畔の橋のたもとにある、白いマンション(アパルトマン)に住んでいた。

 フィスク氏との会見は、タハリール広場からそう離れていない、あのアパルトマンで行われたのだろうか?

 フィスク氏に「もっと若かったら、あの若者たちと広場で一緒にいたのに」と語ったヘイケル氏。

 これまでとは何か違った「エジプト革命」の行方を見守り、それをぜひ本に書いてもらいたいものだ。

 来るべきその本は、「爆発」の連続だった、エジプト及び中東の近現代史を振り返り、それとは違った未来を指し示すものになるはずである。

 ☆

 ヘイケル氏 Wiki
  ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Mohamed_Hassanein_Heikal 

Posted by 大沼安史 at 08:59 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2011-02-14

〔コラム 机の上の空〕 「なんてきれいな世界!」 

 「エジプト革命」をリードした若者グループの連合体、「革命青年連盟」のメンバーのモハメド・アッバスさんが、英紙ガーディアンに、こう書いていた。

 「目覚めたら、とても美しい朝だった。2月12日土曜日のエジプトの朝。生まれて初めて僕を含む数百万人のエジプト人は、ムバラクの支配なき国で目覚めた」

 「勝利の夜(グラン・スワール)」から一夜明けた朝、エジプトは生まれ変わった……。

 「革命」とは、世界が新しい価値を持つものとして生まれ変わることを言うのだろう。新しい価値の可能性の目覚めた人々が生み出す、新しい世界。
  ⇒ http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/13/egypt-celebrate-struggle-not-over

 ####

 新しい価値(それは、新しい世界の意味といってもいいだろう)を生み出したのは、若者をはじめとするエジプトの人たちである。

 その価値(意味)を、エジプトの人々は新しい言葉として獲得した。

 「エジプト革命」はその時点ですでに、勝利していた――と言えるかもしれない。

 新しい言葉、新しい主体が生まれていたのだ。

 ####

 たとえば、1月18日の時点で、「1月25日にタハリール広場へ集まれ」と呼びかけた、あの若いエジプト人女性、アスマー・マフフーズさん。

 彼女は「コーラン」の一節、アッラーも「人が自らを変えない限り、人々を変えられない」(13章「雷電章」11)を引用、個人としての主体の変革を求めていた。

 彼女にとっても――ほかの人々にとっても、「タハリール広場」に行くことは、自分が自ら変わることで、世界を変える試みであったわけだ。

 新しい言葉を――新しい価値と意味を自ら、「広場」で語ることで、そこに新しい世界を生み出す……。

 ####

 どんな新しい言葉(価値・意味)が生まれ、語られていたか?

 それは、「FACEBOOK」で「(エジプトで)最も勇敢な少女」として評判になった、次のビデオを見るだけで、分かる。
 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=jwIY6ivf70A&feature=related

 少女は勇気を振り絞って、果敢にも、こう叫び続けたのだ。

  わたしたちに何をさせたいんだ、ムバラク
  エジプト人全員に、自分の足にキスさせたいのか
  明日、こっちの靴で踏んでやる

  私たちの金で何するつもり
  出て行け!「拷問大臣」
  ムバラク お前は終わった、用なしだ 

 少女の叫びを、周りの青年たちが唱和して繰り返す。

 カイロの街頭に、単純明快な、新しい言葉・価値・意味がこだました。

 ####

 「エジプト革命」で民衆が(少なくとも第一段階で)勝利を収めたのは、こうした勇敢な声がカイロの石畳の上だけでなく、ネットを通じても(ムバラクがシャットダウンするまでに)響き渡ったためだ。

 人々、それぞれの心の中で目覚めた新しい言葉が、一気に社会的に共有された。それが人々の新しい言葉となって、「広場」において表明された。

 「うわさの伝播力」をはるかに上回る高速で――すなわち「速攻で」、新しい言葉は、日常会話の語彙になった。

 もちろん、別に新しい語彙が発明されたわけではない。古い言葉が新しく、堂々と表明されたのだけのこと。自らの手で実現すべき価値として表明されたのだけのことだ。

 「自由」「権利」――

 しかし、そのことが――それだけのことが、「偉大な指導者・ムバラク」を、「最も勇敢な少女」の言う、「出て行け! 拷問大臣」に変えた。 
 
 ####

 「革命」――つまりに「世直し」にとって、何が決定的に重要なのか?

 それは、やはり新しい価値が、意味が、新しく語られることなのだ。

 「広場」において!

 ####

 一足早く、「ジャスミン革命」に勝利したチュニジアでは、首都チュニスの夕方の座り込みで、アメル・マスルーチさんという若い女性歌手が、自分の持ち歌を歌っていた。
 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=xdny0FTBohg&feature=related

 アメルさんは、パレスチナに連帯する歌などを歌って来た社会派の歌手。

 一人立って歌った歌は、「私はまだ見ていない」という歌だった。

 たぶん、これまで見ることのなかった、新しいチュニジアを自分たちでつかみとろうと歌った歌だ。

 アメルさんは、キャンドルの炎を消すまいと手で覆いながら歌い続けていた。

 ユーチューブで流れたアメルさんの歌が、言葉が、チュニジアの人々を勇気付けたことは間違いない。

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 なんてきれいなカイロの朝、そして、なんてきれいなチュニスの夕べ!

 世界には、人々の心に響き渡る言葉があることを、新しい世界を生み出す言葉があることを、チュニジア、エジプトと続いた革命の伝播の中で、(世界の――極東の)私たちは知った。

 なんてきれいな日本の朝も、新しい言葉・価値・意味とともに、やがて必ず、来る。

Posted by 大沼安史 at 08:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2011-02-11

〔コラム 机の上の空〕 エジプト 女性・予言・裁き 

 英語で創作活動を続けるエジプトの女性作家、アーダフ・スーエイフ(Ahdaf Soueif)さん(60歳)が即席のインタビューに応え、英語で、エジプト及び中東の今を語ったのは、1月24日のことだった。

 アーダフ・スーエイフさんは、The Map of Love(愛の地図)という、エジプトを舞台とした小説で、ブッカー賞の候補にもなった。英国の大学で言語学を専攻、PHDを取得した人。

 その彼女がユーチューブにアップされたインタビューで、「若者たちが――指導者なしに、若者たちが地域で過去5年間活動を続けて来た。こういう運動は初めてのことだ」と語っていた。⇒ http://www.youtube.com/watch?v=hWpln1-sWzs&feature=feedu (該当部分は、ビデオ開始14分後から)

 1月25日、若者たちが先頭に立って始まった「エジプト革命」! 

 その前日の彼女の発言。

 「エジプト革命」を直前に「予言」していた。

 ####

 カイロ市内のザマレクに住む彼女は、一時、風邪でダウンした以外は連日、タハリール広場に通い、「エジプト革命」の動きを、現在進行形で、ガーディアン、ロサンゼルス・タイムズ、BBCなどさまざまなメディアを通じ、英語でレポートし続けて来た。
 (彼女の個人サイトを参照 ⇒ http://www.ahdafsoueif.com/

 1月27日付けのガーディアン紙に掲載された彼女のレポートは、「エジプト革命」がいかにして始まったかの現場からの報告として貴重なものだ。⇒ http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/jan/27/ahdaf-soueif-cairo-protest

 アーダフ・スーエイフさんは、こう記した。

 「〈彼ら(若者たち)〉とは20ほどの若者のグループのことです。過去5年以内に結成されたものです。問題は彼らがいつ、どんなふうに結合するか、でした。それを彼らは火曜日(1月25日)に行ったのです。彼らはひとつに融合しました。彼ら、若者たちとともに、エジプトのマルチチュードがひとつになったのです。老いも若きも。(チュニジアの)チュニスで起きたことに鼓吹されて」

 "They" is some 20 groups that have sprung up over the last five years. The question has always been how and when will they coalesce? They did on Tuesday;they fused, and with them multitudes of Egyptians young and old – inspired by what happened in Tunis.

  フェースブックやネット及び現実世界での集会の中で、若者たちは周到な計画を練り上げていた。

 カイロ市内では3ヵ所から、デモの流れが生まれた。わき道がたくさんある、アラブ連盟通りなど、人がいっぱいいる場所から歩き始めた。アラブ連盟通りのデモはまもなく2万人の「マルチチュード(大群衆)」に膨れ上がった。

 「エジプト革命」の「マルチチュード」は、若者たちによって、カイロの下町のパサージュの中から生まれたわけだ。

 1970年代の学生運動の経験者たちが40年ぶりに、初めて「街頭」で再会する場面もあった。

 カイロだけではなかった。マルチチュードの反体制運動は南はアシュートから北はアレキサンドリアまで、全国的なものとなって一気に噴き出した。

 スエズでは、1956年の「スエズ動乱」の際、抵抗運動に携わった90歳の老人が立ち上がった。

 ####

 アーダフ・スーエイフさんはまた、1月28日付けのガーディアン紙に、こう書いた。

 彼女が参加したその日、28日、金曜日のデモは、インババ地区の小さなモスクで始まった。20人ほどで歩き出した。路地を歩いているうち、3000人のデモ隊になった。「パンを! 自由を! 社会正義を!」

 その日午前2時、ムバラク政権がインターネットを全面的にダウンさせ、朝の9時には半数のケータイが普通になり、昼前の11時には全部、通じなくなった。

 「マルチチュード」は「催涙ガスの壁」をくぐって、タハリール広場に向かった。催涙ガス対策で鼻の中に酢をしめらせたティシュを詰め、ペプシコーラで目を洗いながら。

 タハリール広場で民衆が歌ったのは、エジプト国歌だった。

 この日のレポートを、アーダフ・スーエイフさんは、こう結んだ。

 「昔、息子がこう言ったのを思い出す。エジプトでは誰もがとても個人主義だけど、しかし、より大きな協同プロジェクトの中にいるんだ、と。私たちは今、ひとつになった。皆が一人ひとりの個人として、協同プロジェクトの中で、この国を取り戻すために」

 なるほど、一人ひとりの民衆による協同プロジェクト、それが今進行中の「エジプト革命」の姿なのだ。それはエジプトの「マルチチュード」なのだ。

 ####

 アーダフ・スーエイフさんは今月(2月)8日のBBCでのレポートで、こんなユーモラスな「エジプト革命」の一面も報じていた。⇒ http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12393795

 タハリール広場に集まる民衆はホームメイドのプラカードを手にやって来る。大体が「イラー(ムバラク、出て行け)」で始まる、ホームメードのスローガンが書き込まれている。

 その中に、こんなのがあったそうだ。「イラー(出て行け)、もう冗談の種、なくなっちゃうよお!」

 若者たちは、タハリール広場でゴミの回収にもあたっている。
 
 拾い集めたゴミで、広場にアラビア文字を綴った。「国民民主党」――ムバラクの独裁政党の名前がゴミで書かれた!
 
 ####

 「イラー(出てゆけ)」のスローガンは、その後、変わったと、エジプト人の精神科医でフェミニスト作家のナワル・サーダーウィー(Nawal El Saadawi)さん(79歳)が、米国の反戦放送局、「デモクラシーNOW」のインタビュー(今月10日)で語っていた。 ⇒ http://www.democracynow.org/blog/2011/2/10/audio_nawal_el_saadawy_awaits_news_of_mubaraks_departure_but_says_we_will_bring_him_back_to_be_on_trial

 新しいスローガンは「ムバラクを裁判にかけろ!」

 30年に及ぶ不正による蓄財! 若者を中心に数百人もの命を奪った虐殺の罪……「ムバラクをみすみす外国に逃がしてなるものか? 逃げても捕まえて連れ戻し、裁判にかけねばならない」

 ナワル・サーダーウィーさんの自宅はタハリール広場の近くにあり、夕方になると、シャワーをかりに来る人も多いそうだ。

 彼女の家には、エジプトの反体制ブロッガーで、4年間、刑務所にぶち込まれていたカリーム・アメールという青年がいて、一緒に活動しているという。

 ナワル・サーダーウィーさんは、「デモクラシーNOW」のキャスター、エイミー・グッドマンさんのインタビューに応え、こう言った。

 「私は生まれ変わったような気がする。まるで20の娘のようだ。死ぬ前に革命を目の当たりにできたことで、私は幸せだ」

 投獄、禁書、団体の解散……小学生の頃、王政打倒の闘いに参加して以来、人権のために闘い抜いて来た老女闘士は、うれしそうに言った。

 「私たちは苦しんで来た。しかし、私は常に楽観的だった。(民衆の)権力は希望にあり(Hope is Power.)!」

 (彼女については、Wikiを参照 ⇒   http://en.wikipedia.org/wiki/Nawal_El_Saadawi

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 ところで、ユーチューブに自らビデオをアップし、「タハリール広場に1月25日に集まれ!」と呼びかけ、「エジプト革命」を点火した、26歳のエジプト人女性、アスマー・マフフーズさんのことは、すでに紹介しているので(⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/02/post-e52b.html#more  アピールビデオ ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=SgjIgMdsEuk )ここでは、もう一人だけ、タハリール広場に立つエジプト人女性を紹介し、このコラムを終えることにしよう。

 「大トリ」で登場していただくのは、エジプトの伝説の映画女優のモーセナ・タフィーク(Mohsena Tawfik )さん。

 タハリール広場の抗議行動に参加している銀幕の女神が、ガーディアンの電子版のビデオに登場し、年老いてなお美しい笑顔で、こう断言していた。⇒ ttp://www.guardian.co.uk/world/video/2011/feb/09/egypt-protests-revolution-people-video

 http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/04/day-of-departure-hosni-mubarak?INTCMP=SRCH

 「私たち(の革命)を止めることができるものは何もない」

 代表作はユーセフ・シャーヒン監督の映画「ツバメ」(1972年)。

 彼女が出演した、同じシャーヒン監督の「アクキサンドリア……WHY」は、78年のベルリン国際映画祭、銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞したという。

 エジプトの若尾文子さんか、吉永小百合さんクラスの伝説的大女優もまた、民衆の一人として広場に立っている。

 モーセナ・タフィークさんは言った。「革命は最初の一歩を踏み出したばかり。かんたんには終わらない。エジプトはアメリカやイスラエルによって戦略的に重要な国であるからだ。彼ら(ムバラクら)もかんたんにはしき下がらないだろう。しかし、いま私たちは知っている。私たちがどれだけ強いか、どれだけ高貴か、どれだけ美しいか、私たちは知ったのだ」

 「……私たちがどれだけ強いか、どれだけ高貴か、どれだけ美しいか、私たちは知った」

 タハリールという歴史の舞台で彼女が言った、この言葉もまた、伝説になる言葉だろう。

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 さて、クリスチャンの方なら、ご存知だと思うが、新約聖書の「マタイによる福音書」に、こんな一節がある。

 それは、信者でもなく、聖書読みでもない私にとって、いったいどういうことを意味するのか、謎だったところだ。

 「南の女王が、今の時代の人々とともにさばきの場に立って、彼らの罪を定めるであろう」(8・42)

 このマタイ福音書の「南の女王」とはおそらく、ウォールストリート批判の寓話である、あの「オズの魔法使い」の「南の(善い)魔女」(ドロシーをカンザスに帰してくれる」の下敷きになった(はずの)ものだが、マタイがあまりに唐突に語りだすものだから、いったい何のことやら、私には分からなかったのだ。

 しかし、こうして、「エジプト革命」の先頭に立つ、女性たちの活動ぶりを目の当たりし、その発言を耳にすると、奇跡を信じる私としては、やはりこう思わざるを得ない。いや、正直、こう思いたい……。

 マタイが遺した「南の女王」の福音は、2000年後の世界に対する予言(預言)ではなかったのか、と。

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 小説家のアーダフ・スーエイフさんの予言は「前日」のことだったけれど、マタイの2000年前の言葉も、「過去」から示されたものという点では同じである。

 権力の腐敗と暴虐の構造は、新約の昔も、21世紀初めの今も変わらない。

 そして新約の時代の群衆(マルチチュード)がイエスに付き従う姿は、いまのエジプトの群衆(マルチチュード)の姿に重なり合う……。

 マタイの言葉はだから、今の私たちにも、解かれつつある謎として迫って来るのだ。

 「南の女王が、今の時代の人々とともにさばきの場に立って、彼らの罪を定めるであろう」(マタイ・8・42)

 「ムバラクを裁判に!」と、人権運動家のナワル・サーダーウィー女史は言ったが、彼ら=ムバラクらの罪は、「エジプト革命」という歴史の法廷において厳しく裁かれなければならない。

Posted by 大沼安史 at 10:13 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2011-02-09

〔コラム 机の上の空〕 カイロ タハリール広場のマルチチュード

 エジプトの民衆プロテストが開始されて半月が過ぎた。
 エネルギーは衰えない。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/08/egypt-protest-crowds-mubarak-power

 なぜ、だろう?

 エジプトの作家であり精神科医のナワル・サーダーウィ女史(79歳)は言った。⇒ http://www.democracynow.org/blog/2011/2/7/we_became_one_in_the_street_leading_egyptian_feminist_nawal_al_saadawi_says_egyptians_are_more_united_than_ever

 「私は医者だ。精神科医だ。そして作家だ。私は自分を観察できる。その私が疲れを感じない」

 女史は続けてこうも語った。「これがいつもの状況なら、私は疲れ果てているだろう。しかし、私は今、幸せだ」

 ####

 サーダーウィー女史は、カイロのタハリール広場で、こんな場面を目撃した。

 「広場に血が流れた。しかし、負傷者を、医師たちは、医師たちの委員会は、広場のそばの病院に運びました。医師たちはみなボランティアです。そして民衆が――あっと言う間に、数分以内に、脱脂綿や包帯、薬品を持って来たのです。たったの数分で……信じられます?」

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 信じられないことが起きたのだ。信じられないことが今も起きている。

 英紙ガーディアン(電子版)の「スライド・ショー」の写真を見ていただきたい。

 ムバラク打倒を叫ぶ民衆に祝福される、結婚したてのカップルの笑み。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/feb/08/egypt-protest#/?picture=371549188&index=10

 国旗の小旗を振る少女の懸命な視線。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/feb/08/egypt-protest#/?picture=371538399&index=8

 最年少の犠牲者、8歳で命を奪われたモハメド・エーアブ・アルナガール君の写真入りポスターを掲げ、小さなロウソクを手に無言の抗議をする人々。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/feb/08/egypt-protest#/?picture=371561857&index=15

 エジプトは犠牲者の死を悼みながら、未来に向け、新しく生きようとているのだ。

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 タハリール広場は夜も眠らないと、ニューヨーク・タイムズのルポ記事に出ていた。歌が、演説が、詩の朗読が、朝まで続いているのだ。⇒ http://www.nytimes.com/2011/02/07/world/middleeast/07square.html?ref=egypt

 モハンマド・アリという男性が、タイムズ紙の記者にこう言った。

 「勝つか負けるか分からない。やつらには権力がある。しかし、われわれは弱くはない」

 そして、こう付け加えた。「民衆の言葉は銃よりも強い」

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 「エジプト革命」を点火したのは、26歳の女性だった。⇒ http://www.democracynow.org/2011/2/8/asmaa_mahfouz_the_youtube_video_that

 アスマー・マフフーズさん。

 タハリール広場に1月25日に集まれ! 腐敗したムバラク政権に抗議しよう!

 アスマーさんはユーチューブのビデオで、こう訴えたそうだ。

 「私はタハリール広場に行く。私は広場に一人で立つ。そして旗印を掲げる……私たちと一緒に行こう。あなたの権利を、私の権利を、あなたの家族の権利を要求しよう。私は1月25日に行く。そして言う。腐敗はもうたくさん、独裁はもうたくさん!――と」

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 今回の「エジプト革命」の主役は、若者たちだ。

 若者たちの奔放なエネルギーは、ムスリム同砲団のような反政府組織さえも超える勢いを示している。⇒ http://www.nytimes.com/2011/01/27/world/middleeast/27opposition.html?_r=1&ref=global-home

 しかし、若者だけが前に出ているわけではない。

 若者も老人も、子どもも親も、男も女も、宗教的な人も、世俗的な人も、富者も貧者も、あやゆるエジプト人が街頭に出ているのだ。 ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-secular-and-devout-rich-and-poor-they-marched-together-with-one-goal-2201504.html

 それだけムバラクの独裁が社会全体を窒息させていたわけだが、それにしてもこの社会連帯の縦横無尽さは凄い。

 「ムバラク派(少数派)=旧体制」と「全エジプト(多数派)=新体制」の2重権力状態が出来ている。

 狭義の階級闘争を超えた、全民衆的な決起!

 タハリール広場は、新しいエジプトの、新しい首都だ。

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 ではなぜ、全民衆的な決起がエジプトで起きているか?

 それはムバラクという独裁権力が実は「アメリカ帝国」の傀儡に過ぎないことを――エジプトは実は「アメリカ帝国」によって支配された国であり、そうである以上、反ムバラクの戦いは全民衆的な規模にならざるを得ないからだ。

 そう、そうなのだ。アントニオ・ネグリの言う、「帝国」に抗するあの「マルチチュード」(群衆)が、エジプトに出現したわけだ。⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89

 しかし私は、この「マルチチュード」という言葉を聞くと、反射的に新約聖書を思い起こす。

 福音書に書かれたキリストに従う「群衆」を、英訳聖書ではどう表記しているか?

 そう、そうなのだ。multitudes と書かれているのだ。

 ローマ帝国支配下のパレスチナと、アメリカ帝国支配下ののエジプトと。

 そこに現れたマルチチュード!

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 エジプトはアメリカの全世界支配の要である。だから、オバマ政権は取り乱し、安定を取り戻そうと焦っているのだ。

 そこに現れたマルチチュード!

 しかし、そのマルチチュードは、ナイルの流域に限定されたものではない。チュニジアへ、シナイ半島へ、サウジへ、欧州へ、アメリカへ、アジアへつながるものだ。

 時代は――世界は変わろうとしているのだろう。

 カイロのタハリール広場は、世界民衆のマルチチュード連帯の輪の中心に息づくものとなった。

 新しい時代と世界は、タハリール広場の連帯から、新しい政治はタハリール広場の民衆委員会から生れつつあるのだろう。
 ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-exhausted-scared-and-trapped-protesters-put-forward-plan-for-future-2205079.html

Posted by 大沼安史 at 08:40 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2011-01-28

〔コラム 机の上の空〕 荒野の正義 "Go in peace."

 
 私が尊敬申し上げるジョン・ディア神父ら14人の「被告」に対して、米ネバダ州ラスベガスの連邦裁判所が「判決」を下した。

 「有罪」の判決だった。

 米軍クリーク基地への「不法侵入」事件。

 ウィリアム・ジャンセン判事はしかし、14人の被告=「クリークの14人」に対して、同時に執行猶予を宣言した。

 ⇒ http://www.lasvegassun.com/news/2011/jan/27/creech-14-found-guilty-trespassing-judge-says-go-p/

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 ディア神父ら14人は、どんな「不法」行為を仕出かしたか?

 彼・女らは2009年4月9日、クリーク米軍基地に「不法」侵入して、抗議の座り込みを行ったのだ。

 何に抗議して?

 同基地からの無人偵察機(ドローン)を使った遠距離リモート殺戮に対する抗議行動に対して――!

 まるでテレビ・ゲーム化した、米軍の無法に抗議したのだ。

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 ディア神父ら14人に対する裁判は昨年9月に開かれた。

 ジャンセン判事は即決での判決を避け、半年間、考えさせてくれ、と言って、判決を年明けに先延ばししていた。

 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/09/post-36ed.html

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 その結果がこれだった。有罪――しかし執行猶予!

 問題はこれをどう見るかだが、僕はディア神父らの「実質勝訴」と見る。

 なぜか?

 それはジャンセン判事が各被告に意見陳述を認めた、最後の訴訟指揮でも明らかだろう。

 法の上では「有罪」だが、人道的には「無罪」――これがジャンセン裁判官の(判事としての判決ではなく)人間としての判断だった。

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 ネバダのクリーク基地から、アフガン・パキスタン国境地帯は遠い。

 クリーク基地のオペレーターにとって、戦場はまるでビデオゲームの画面でしかない。

 ドローン搭載のヘルファイア(地獄の業火)・ミサイルの発射ボタンを押したとしても、目の前の人間に銃弾を撃ち込むほどの罪の意識はないだろう。

 ディア神父ら「クリークの14人」は、そのことに――その非人間的なことに、異議を申し立てのだ。

 距離は無限大かも知れない。しかし、いま、ここから、「組織的な殺意」が、「攻撃」が、人々に向かって発せらる、そのこと自体が問題なのだと。

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 ジャンセン裁判官は判決言い渡しの最後に、14人の被告に対して、こう言ったそうだ。

 "Go in peace."  「平和の中で、行きなされ!」

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 「荒野」は、アメリカの今を象徴するメタファーだ。

 そのネバダの荒野の裁判所で発せられた、この一言の持つ、意味は重いと思う。

  "Go in peace."

 「平和の中で、行きなされ!」

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 平和運動を続けてください、と敢えて言った、ネバダの判事の訴えの意味は――日本の私たちたちにとっても、重すぎるほど重い。 

Posted by 大沼安史 at 07:18 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2011-01-22

〔コラム 机の上の空) 貫さん

  日本に昔、「貫さん」と呼ばれたカトリックの神父がいた。サルバドル・カンドウ師。
 日本名、「貫道」。
 文字通り、キリストの道を真っ直ぐ貫き通した人だ。昭和の日本に愛をのこし、多くの日本人を励まし、日本の土となった人だ。(らい患者を救い、死刑囚を慰めもした……)

 現代日本にも「カンさん」と呼ばれたがっている、似た名前の権力の亡者が一人いるが、「貫」と「菅」では同じカンでも、大違いだ。

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 カンドウ神父(1897~1955年)はバスク(フランス側)の生まれ。
 司馬遼太郎さんの『街道をゆく~南蛮のみち1』にも紹介されているイエズス会のカトリック神父である。

 日本人より日本語ができた人だ。「貫さん」が編んだ『羅和字典』は、最高水準のラテン・日本語辞典と評価されている。

 カンドウ師の伝記兼関係者による回想集、『昭和日本の恩人――S・カンドウ師――』(池田敏雄編著、中央出版社、昭和41年=1966年刊)を古書店から取り寄せ、読み出した。

 前に読んだ、室谷幸吉著、『日本人の友 カンドウ神父』(女子パウロ会)で知った事実を、もっと詳しく知りたかったからだ。

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 その「事実」とは、カンドウ師が神父になる前、まだ19か20の青年だった頃のことだ。

 カンドウ青年はフランス軍に入隊し、少尉に任官、第1次世界大戦の激戦地、ヴェルダンで戦った。 

 1916年――大正5年のこと。

 私が詳しくたしかめたかった「事実」とは、前線での、以下の2つの出来事である。

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 そのひとつは、「前線での水汲み」。

 ある日、カンドウ歩兵少尉はドイツ軍陣地近くで、岩から清水が湧いているのを見つけた。

 水だ! 新鮮な水!――危険を冒した「水汲み行」が始まった。

 その時のことだ。自軍(フランス軍)の、ドイツ語のできる兵士が、武器を持たず、丸腰で、ただバケツだけを持って、塹壕を出て行き、ドイツ兵に呼びかけた。

 「おい見ろ、武器なんか持ってないぞ。あそこに水がわいているから行くんだ。水はみんなのものだ。君たちも行ったらどうだ。その間おれたちも射たないから」

 ドイツ兵の射撃が止んだ。フランス兵がバケツに水を汲んで帰ると、こんどはドイツ兵が塹壕から姿を見せた。

 カンドウ師はこう書いている。「……この日から水くみは毎日大ぴらに行なわれるようになった…………最初にバケツをさげて出た者の勇気と献身は、敵味方ともあっぱれである」(池田編著、28頁)

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 ふたつ目は、「クリスマスの合唱」。

 塹壕の中で迎えた降誕祭、「われわれは夜になってもつづくはげしい先頭ときびしい寒さに疲れきっていた……そして誰もが心ひそかに故郷のクリスマスのことを思っていた。
 そのうちとうとうひとりが『ああ、今ごろはみんな教会で賛美歌を歌っているんだろうな』とつぶやくと、そばのが……いきなり“天に栄光、地に平安”とクリスマスの成果を歌いだした……たちまち塹壕中の大合唱となってしまった。向こうのドイツ軍の塹壕がなんとなくひっそりしたかと思うと、とたんに張りのある美しい何部合唱かで、われわれのコーラスに加わってきた……」(同29頁) 

 第1次世界大戦では、両軍兵士が自発的に「クリスマス停戦」を行う、合唱したり、パーティーをしたことはよく知られたことだが、カンドウ師も若き仏陸軍歩兵少尉として、そんな現場に立ち会っていたのだ。

 (第一次大戦のクリスマス停戦は1914年に始まった。英軍兵士がプラムのプリンをドイツ軍の差し入れた事実も、当時の兵士の手紙によって最近、確認されている。⇒ http://www.independent.co.uk/life-style/history/the-1914-christmas-truce-a-plum-pudding-policy-which-might-have-ended-the-war-2167090.html )

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 100年前には、戦争の最前線にも、こうした「正気」が消えずに残っていたのだ。

 (ちなみに、ことしの「1月17日」は、アイゼンハワー大統領が退任演説で、「軍産複合体」の「惨憺たる勃興」を警告した、その50周年にあたる。この100年――あるいは50年で、われわれはずいぶん遠くまで来てしまった! ⇒ http://www.npr.org/2011/01/16/132935716/eisenhowers-warning-still-challenges-the-nation?ps=cprs )

 「貫さん」こと、カンドウ師のその後の日本での、神父としての活動の原点のひとつが、100年前の塹壕――「最も非人間的な世界」にあったとは……。

 これはカンドウ師がふるさとのバスクのように愛してくれた、われわれ日本の人間が忘れてはならない「事実」である。

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 カンドウ師でもうひとつ書いておきたいのは、イタリアのアッシジ……あの聖フランシスコのアッシジで、少女から花束を手渡されたときのエピソードだ。

 思わずポケットから硬貨を取り出し、渡そうとした師に、少女はこう言って、小さな、可憐な怒りをぶつけたそうだ。

 きれいな花だから、あなたにあげたい、だけだったのに――。

 カンドウ師は少女からもたった野の花を押し花にして大切にしたそうだ……。

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 クリスマスの合唱も、少女が摘んだ野の花の花束も、まっとうな心から生まれたものだ。

 権力欲にとりつかれ、平常心(正気)を失ったような政治家の心からは決して生れてこないものだ。

 100年前のヴェルダンの塹壕の奇跡をその目で見たカンドウ師が、米国の軍事権力にへつらい、中国を敵視してはばからない、今の日本の権力者の姿を目の当たりにしたら、どうお思いになることか……。
 
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 私はカンドウ師はきっと――(というより、間違いなく)江戸っ子ふうの巻き舌で、こう日本語でお怒りになると思うのだ。

 「バッカヤロー」

 カンドウ師は、世の不正、邪悪に対して、こう啖呵を切る、威勢ののいい、ベランメエなお方でもあった(ということを、池田編著の伝記で、初めて知った!!)。

 「イラ菅」といわれるわが日本の最小、あいや宰相は、気に入らないとすぐカッカする不幸な性格の持ち主のようだが、「イラ貫さん」は違う!

 不正義に怒る「イラ貫」であり、不正に対する「バッカヤロー」なのだ!

 日本の今の貧困を、失業を、絶望と憎悪を、子どもがいじめ自殺する現状を、あの大きな、お優しい瞳でご覧になったら、どこかの誰かのようにヘラヘラ笑いと口先三寸でごまかさず、きっと、為政者たちを怒鳴りつけていることだろう。

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 宮崎の古書店から届いた『昭和日本の恩人――カンドウ神父――』の表紙の神父のポートレートには、ラテン語で、神父のペンで、あの有名なマタイの福音書の言葉が書き込まれていた。

  人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである。

 カンドウ師が生きてらしたら、きっと日本の権力者に向かって発せらているはずの「バッカヤロー」も、たぶん、そんな言(ことば)の一つである。  

  

Posted by 大沼安史 at 08:01 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2011-01-14

〔コラム 机の上の空〕 オバマ 「雨上がりの水溜り(Rain Puddles)」 追悼演説

 雨上がりの水溜りは、子どもたちの遊び場だ。雨が止んで、遊びに出た子どもたちの前に用意された、雨が残した水の遊び場。
 
 水面は鏡になって青空を映し出す。

 その真ん中へ、ジャブジャブ、ハダシで、ゴム長で入り、水遊びをする喜び。写像を、グニャグニャにして、もう一度、戻す喜び。

 雨の少ない砂漠性気候のアリゾナであれば、そのうれしさはまた格別のものだろう。

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 アリゾナ州ツーソンで起きた銃乱射事件で、現地入りしたオバマ大統領が犠牲者の追悼式で演説した。

 演説の結びでオバマ大統領は最年少の犠牲者、9歳の少女、クリスチーナさんを追悼し、こう語った。

  If there are rain puddles in heaven, Christina is jumping in them today.

  もしも天国に雨上がりの水溜りがあるなら、クリスチーナはきょう、きっと飛び込んでいることでしょう。

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 クリスチーナさんは2001年9月11日に生れた子だ。その「9・11」に誕生した50人のアメリカの子どもたちの写真が、1冊の本になっている。『希望の顔(Faces of Hope )』という名の本だそうだ。

 クリスチーナさんはその本に写真が載った1人。

 そして、その本には、その子らのための、シンプルな大人たちの願いが――「雨上がりの水溜りに飛び込んでね(I hope you jump in rain puddles.)」が、記されているという

 オバマ大統領は、このことに触れ、クリスチーナさんに「天国の水溜り」で遊んでほしいと、願いを語ったのだ。

 (このユーチューブの最後の部分を観てください ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=bXd4-9AkWL0 )

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 オバマ大統領の演説はたしかに、アメリカの渦巻く憎しみや苛立ちを洗い清める感動的なものだった。

 アメリカのメディアが、スペースシャトル「チャレンンジャー」空中爆発事故のあとのレーガン大統領の追悼演説に匹敵するものと讃えていたが、それ以上のものとも言えるくらい、心を揺さぶる感動的なものだった。心の傷を癒される思いをした人も多かったはずだ。

 歴史に残る悲劇的な事件は、歴史に残るオバマの名演説を生んだ――。

 「レイン・パドル演説」――アリゾナ大学でのオバマの追悼演説は、AFP通信や、その他、世界のメディアによって、早くもそう呼ばれている。
 (以下はホワイトハウスが発表した演説のテキスト。オバマ大統領は、この原稿をもとに、アドリブを交え演説した ⇒ http://www.nytimes.com/2011/01/13/us/politics/13obama-text.html?_r=2&sq=obama speech arizona&st=cse&scp=10&pagewanted=print)

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 この演説を聴いて私は、オバマ大統領がクリスチーナさんに言及したことで、アメリカの現代史の悲劇の本質が、明示的ではないにせよ、否定できない形で、そこに示された――と思った。

 「9・11」の子のクリスチーナさんは、アメリカの「希望の顔」の子どもだった。

 その彼女が、同じ土地に住む、22歳の青年のテロ行為によって命を奪われた。

 テロを乗り越えるはずのアメリカの希望は、テロによって失われた。

 この閉塞は、恐ろしい。

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 アメリカは9年前の「9・11」以降、憎悪に燃え上がる国になった。暴力的な言辞が飛び交う国になった。

 「9・11」の政治は――「9・11」後の「テロとの戦い」は、つまり、希望を、平和を、生み出さなかったのだ。

 「茶会」のサラ・ペイリンの、敵対者に「照準」を合わせる戦闘的な言辞に煽られるように、アリゾナのツーソンの地で引き鉄が引かれ、希望であるはずのクリスチーナさんの命が奪われた。

 22歳が9歳を殺す、呪われたアメリカ!

 9年後に最悪の国内テロを生み出した、「テロとの戦い」の、この運命のような悲劇的な結末!

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 オバマ大統領は演説で、クリスチーナさんが「この国の未来をつくる日を垣間見始めた矢先に」銃弾に斃れたことを語っていたが、しかし、それは、弱冠22歳でテロリストと化したアリゾナの青年についてもいえることだろう。

 この青年は、「9・11」のとき、13歳だったはずだ。

 アリゾナの少年は、そのとき、世界貿易センターの崩壊を、そしてそのあと、それに続いて起きたイラク戦争の残酷を、さらには今なお続くアフガン戦争の現実を、これまで9年間、目の当たりにし続けて来たはずだ。

 そういうテロとの戦いを戦い続けるアメリカに――マッチョでなければ生きられないアメリカに、夢見るはずの少年は、未来のない青年となって生きて来た。

 この青年にも、「雨上がりの水溜り」があったはずだし、なくてはならなかったことは言うまでもなかろう。

 しかし、この青年に、平和な青空のような心は宿らなかった。

 この現実を、オバマ大統領は(そして、私たちもまた)事実として想起しなければならない。

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 このオバマの「天国の水溜り」レトリックと、パキスタンで無人機を使い、「ヘル・ファイア(地獄の業火)」ミサイルを撃ち込んでいる、「地上の地獄の炎」の現実を重ね合わせ、批判する指摘が早くも現れている。
 ⇒ http://www.chris-floyd.com/component/content/article/1-latest-news/2076-speech-pathology-rain-puddles-in-heaven-hellfire-on-earth.html    

 それはそれで全く正しい。

 暗雲が去った、平和で希望の空を映し出す水溜りの鏡は、アメリカが――オバマのアメリカが、社会を引き裂きながらなおも続ける「テロとの戦い」の現実を映し出すものでなければならないはずだから。

 ####

 クリスチーナさんの「雨上がりの水溜り」は、オバマが言うように「天国」に、ではなく、この「地上」にこそ、なければならないものだ。

 その「鏡」は、いま、オバマに――オバマを最高司令官とする「戦争の家=アメリカ」の軍事権力に、真っ直ぐ向けられている……。

 #### 

 オバマの名演説がこの先、語り継がれて行くことはたしかだ。しかし、アメリカの現状を映し出す「クリスチーナの水溜り」もまた、消えはしまい。

 アメリカの人々は――そして世界の人々は、「クリスチーナの水溜り」を、この地上における希望の在り処として語り継ぐことだろう。

 そうすることで……そうなることで、彼女は再び、アメリカの――世界の、「希望の顔」となるのである。

 (クリスチーナさんの映像は ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=nEyKHe-ZRZk 母親のロクサーナさんが電話インタビューにこたえている……)

Posted by 大沼安史 at 06:53 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2011-01-05

〔コラム 机の上の空〕 ガザの一家の物語

 イスラエル軍のガザ侵攻が始まったのは、今から2年前、2009年1月3日のことだ。

 1週間、イスラエルの空爆が続いたあと、地上部隊が来た。

 1月4日夜、ガザ地区のアワジャさん一家が住む家を、イスラエル軍が襲った。

 父親と母親が撃たれ、負傷した。息子の一人、イブラヒーム君は撃たれて死んだ。

 アワジャ一家の「その時」「それから」「今」を記録した、アメリカの女性監督、ジェン・マクロウさんが撮ったドキュメント映画、「ガザの一家族(One Family in Gaza)」を観た。
 ⇒ http://www.commondreams.org/further/2011/01/04-2

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 家の外に、イスラエルの兵士たちがいるのを、最初に気付いたのは、長女(当時、12歳)だった。母親を起こした。窓から覗くと、兵士たちと戦車が見えた。

 母親は蝋燭を点した。この家には、人が住んでいると、知らせるためだった。

 父親が起きて来て、怯えるんじゃない、と言った。

 イスラエル軍の攻撃で、屋根が崩れ始めた。

 一家が家を出た時、屋根が落ちた。

 庭のオリーブ木の下で身を寄せ合う一家の前を、イスラエル軍の戦車が過ぎて行った。

 翌朝、午前7時。

 最後の戦車が2台、通過したあと、家に戻ると、瓦礫の山に変わっていた。

 イブラヒーム君が母親に言った。

 「いつも屋根に登りたいと言ってたけど、落ちているよ」

 一家は声を上げて笑った。

 ####

 銃弾が瓦礫の壁を貫通して来た。

 イブラヒーム君が撃たれた。

 父親が抱きかかえ、逃げようとした。

 通りに出たところで、またも射撃が始まった。父親が銃弾を受けて倒れ、イブラヒーム君も地上に転がった。

 助けようとした母親も腰を撃たれ、倒れた。

 父親はイブラヒーム君に声をかけた。「息子よ、愛しているよ」
 息子が答えた。「ごめんね、悪いことして」

 父親が言った。「叱ったのは、愛しているからだよ」

 地上に倒れた父親と息子のやりとりを、母親は朦朧とした意識の中で、たしかに聞いた。

 ####

 イスラエル兵が歩いて近づいて来た。

 「助けに来てくれた」と、父親は言った。

 イビラヒーム君がイスラエル兵を振り向いた。

 銃弾が眼から頭蓋を突き抜けた。

 イブラヒーム君の体が浮いた。母親は息子の死を悟った。

 負傷した父親は死んだふりをしていた。動きたくとも動けなかった。

 ####

 イブラヒーム君を撃ったイスラエル兵が、母親と小さな子どもたちに銃口を向けた。

 銃口から煙が上がっていた。

 母親は両手を前に出して、「撃たないで」と言った。

 イスラエル兵は笑った。笑いながら、母親を凝視し続けた。

 不思議(マジカル)な笑いだった。

 ####

 2日目の夜、10時ごろのことだった。

 またも、激しい銃撃が始まった。

 イスラエル兵らが、イブラヒーム君の遺体を撃っていた。

 射撃はずっと続いた。

 イブラヒーム君の右半身は蜂の巣になった。

 父親は言った。「射撃訓練をしていた」

 母親はハンカチを口の中に入れ、指を噛んで耐え、声を出さなかった。

 ####

 父親は近くのベドウィンのところへ這って救いを求めに行った。

 残された母子に対し、イスラエルの戦車は4両ごとに砲塔を向け、撃って来た。砲弾は一家を飛び越えて破裂した。

 朝が来た。

 母親は朝の風に、イブラヒーム君の髪の毛がそよいでいるのを見た。

 一瞬、生きている、と思った。

 父親が戻って来た、

 一家は傷つきながら、瓦礫の下に隠れて4日間、過ごした。樽の水も底を突き、母親のお乳も出なくなった。父親は脱出を決意した。ベドウィンの女たちが通りかかった。イブラヒーム君の遺体をロバの馬車に乗せ、病院に向かった。

 ####

 テントでの生活が始まった。野犬や蛇に悩まされる生活。

 父親は、子どもたちが変わってしまったと言った。飢えは消すことができても、恐怖だけは消せないと。

 平和と非暴力の中で、子どもたちを育てたいと言った。

 父親は庭でミントやバジルを育て始めた。

 母親の夢の中で、その庭にイブラヒーム君が出て来た。

 だから、庭の世話をするんだ、と父親は言った。

 ####

 父親は言った。もう一度、「家」で暮らしたいとの願いを込めて言った。

 「家」なくして完全なものはあり得ない――と。

 ####

 父親はイブラヒーム君のポスターを作った。

 武器を手にポーズをとる図柄をすすめられたが、断った。

 笑顔のイブラヒーム君と、星と、星を見上げる子どもたちの図柄だった。

 イブラヒーム君が亡くなった場所に、一家は小さな岩を積み上げた。

 イブラヒーム君の墓標のようにも、アワジャーさん一家の、立ち上がるべき新しい家の礎石のようにも見えた。

 その近くに立つ1本のオリーブの木を、母親は「イブラヒームのオリーブ」と呼んだ。

 ####

 イスラエルをどう思うか聞かれ、父親は言った。

 イスラエルの人にもこんな思いはさせたくない、と言った。

 ####

 アワジャーさん一家は新年を、テントの中で迎えたのだろうか?

 崩れ落ちた屋根が再び立ち上がる日の、一日も早く来ることを祈る。

  ☆ 

 この記録映画についての詳細は、以下のサイトを参照 ⇒ http://www.donkeysaddle.org/ 

 

Posted by 大沼安史 at 11:31 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-12-13

〔コラム 机の上の空〕 ボッサ・ノーヴァ

 南の青い海だった。「流出」ビデオで観た、中国トロール漁船の「衝突事件」の現場――。

  日中をつなぐ海に、警告音が鳴り怒号が響いた。

  ユーチューブを見ながら、90歳でご健在の、あの「李香蘭」として歴史を生き抜いて来た山口淑子さんがこれを……映像とヒステリカルな書き込みをご覧になったら、どんな思いをされることかと心配になった。

 ♪ ♪ ♪ ♪

 「中国で生れ育った日本人」の山口淑子さんは、「祖国」と「母国」がある人だ。

  1972年9月の「日中国交回復」について、山口淑子さんはこう書いた。

  (田中角栄、周恩来両首相が)「乾杯し肩を抱き合う姿を見て、知らず涙がこみあげていた。長い戦争を戦い、殺し合い、憎みあい、悲しみを積み上げてきた私の祖国と母国が、いまこうして曲りなりにも手を携えた」(『「李香蘭」を生きて』より)

 ♪ ♪ ♪ ♪

 ようやく手を携えた「日中」――。

  これはきっと山口淑子さん自身、心ひそかに自負していることだろうが、彼女の祖国(日本)と母国(中国)……つまり私たちの「日中」の「国交回復」の土台の一つが、彼女によって戦争末期の上海で築かれたことは紛れもない事実だ。

 そこだけは台風の目の静かさだった上海。だれもが、短波放送で日本の負け戦を知っていた上海。

 そこで「李香蘭」は中国人、黎錦光(教師時代の毛沢東に教わったことがあるそうだ。戦後、共産中国に加わった)が作詞・作曲した、時代の夜明けを予告する、あの名曲を中国語で歌ったのだ。

 「夜来香(イエライシャン)」。ナイト・ジャスミンの花の香り。 

 ♪ ♪ ♪ ♪

 この黎錦光の「夜来香」を、日本人作曲家、服部良一が「シンフォニック・ジャズ」にした。

 あの「夜来香幻想曲」。

 これを「李香蘭」は上海交響楽団をバックに、敗戦の年、1945年の6月下旬と8月上旬、歌ったのだ。中国語で、上海市民の大観衆の前で、奇跡にように! 

 「ルンバ、ワルツ、ブギブギに編曲された『夜来香』を次々に」(同書)。

 ♪ ♪ ♪ ♪

 その上海で昨年(2009年)、ジャズ・フェスが開かれた。

 そこで「夜来香」を中国語で、ボサノバ風に歌った日本人歌手がいる。

 小野リサさん。

 ブラジルで生れ育ち、日本に帰国、今、世界を舞台に活躍する、祖国と母国を持った実力派の歌手だ。

 そのステージの映像を、私がユーチューブで観たのは、中国漁船「衝突」事件が起きたあとのこと。

 (「流出」したものではなく)上海のファンが、他の人にも見てもらいたいと「アップ」したビデオだった。

 小野リサと会場の中国人ファンの、中国語による大合唱。

 山口淑子さんが見たら、きっと涙を流して喜び、一緒に歌うに違いない、「夜来香」の大合唱。

 ♪ ♪ ♪ ♪

 「衝突」ではなく、新たな「交流」!

 ここに「日中」が手を携え、ともに切り開くべき、時代の新たな夜明けの光があると思うし、そうでなければならない。

 そうでなければ、「夜来香」が生れた意味はないだろう。李香蘭も、山口淑子さんも、きっとそう思うはずだ。

 ♪ ♪ ♪ ♪

 日中をつなぐ海に流れるべきは怒号ではなく、合唱である。

 新しい――ボッサ・ノーヴァ(新しいスタイル)な、友好の音楽である。

  ===========================

 ☆ 僕が会員でもある「市民の意見」誌の最新号に掲載していただいた記事を、発行後、少し時間が経ったので、本ブログに再録しました。

 「市民の意見」は「べ平連」で事務局長をされていた、吉川勇一さんらが手弁当で編集・発行している雑誌です。

 日本の市民運動の窓であり、広場です。

 ぜひ、ご購読を!

 ⇒ http://www1.jca.apc.org/iken30/

 

Posted by 大沼安史 at 03:59 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-12-11

〔コラム 机の上の空〕 「愛」は結びの「ネット」

 僕は、新聞記者をしていた20代の後半(――つまり、今から40年近く前)、札幌で、ある老眼科医を訪ね、話を交わしたことがある。

 その方が私に、どういうわけか、「聖書」を――とくに「新約」を読んだら、いいですよ、と、さりげなくアドバイスしてくれたのだ。

 その時の、その人の表情を――声の響きを、私は今も覚えている。

 僕の置かれた状況を知ってのことと思い、そ知らぬ顔で、「はい、読んで見ます」とだけ、答えたことを覚えている。

 ####

 で――思い出した。

 私が尊敬する加藤周一さんは死の床で、カトリックの洗礼を受けたそうだ。

 そうだ。加藤さんも、言っていた。

 「新約を読め」と。

 ####

 キリスト生誕歴、2010年のクリスマスを前に、私は、思わざると得ないのだ。

 加藤周一さんが生きていたら――そして、あの、温厚な眼科医の紳士が生きてらしたら…………いや、イエス・キリスト、ご存命、ありしかば、ローマ帝国ならぬ、いまのアメリカの「世界軍事帝国」の暴挙を、どうお考えになったか――と思わざると得ないのだ。

 ####

 イエズス会(ジェスィット)の人は、神学だけでなく哲学を学ぶ人たちだ。

 この世の真理を究め、キリスト教神学を、その時代にふさわしいものに発展させる……。

 私の尊敬する、ジェスィットのジョン・ディア神父(アメリカ人)が、書いていた。⇒ http://ncronline.org/blogs/road-peace/phil-berrigan%E2%80%99s-advent-vision

 ことしの今月(12月)6日は、「プロウシェア」(「剣を鋤=プロウシェアに換える」)の運動家、フィリップ(フィル)・ベリガンさんの、8回目の命日である、と。

 反戦運動に一生を捧げた、フィル・ベリガンさんが、もし今、生きていらしたら、今、88歳。

 ご健在でありせば、イラク・アフガン戦争――そして今、ウィキリークスに対して「アメリカ帝国」が執拗に続ける「迫害」に対して、どんな非暴力・直接行動で抵抗されただろう。

 ####

 西暦2010年の「アメリカ帝国」は――オバマが、「ノーベル平和賞」を首からぶら下げ、「大統領」を務める「アメリカ帝国」は…………、あの「ニクソンの王朝」よりも、もっとひどい。

 「ペンタゴン文書」を暴露した、ダニエル・エルズバーグ博士が、こう指摘していた。

 ニクソン政権はこっそり、(博士に)国家反逆罪を適用する陰謀をめぐらせていたけれど、今のオバマ政権は、大っぴらに議論し、脅しをかけている、と。⇒ http://www.democracynow.org/2010/12/10/whistleblower_daniel_ellsberg_julian_assange_is

 FOXテレビで、「米軍特殊部隊にアサンジを殺させろ」と叫んだ、ボブ・ベッケルというコメンテーターがいた。

 共和党の回し者か、と思ったら、違っていた。民主党のコンサルタント。あのモンデールの大統領選選対責任者だった男だそうだ。

 こうした無法に、加藤周一さんは――フィル・ベリガンさんは――イエス・キリストは――あの慈父のような、優しい札幌の眼科医は――どんな言葉を発するだろう。

 ####

 ジョン・ディア神父(51歳)が、イエスとともに平和な世の実現に一生を捧げようと、最終的に決意を固めのは、ガラリア湖の近くの、「山上」の展望台にたたずんだ時のことだった。

 霧に包まれた展望台で、若きディア神父は、こうイエスを問い詰めた。

 「もしも、あなたがイエスなら、いまここで、その証拠を見せてほしい」

 そう心に思った瞬間だった。レバノンに向かう、イスラエル空軍のジェット戦闘機が、霧の中から突然、轟音とともに姿を現した。
 
 ####

 「聖書」について言えば、わが畏友、小笠原信之が伝記を書いた、不屈のジャーナリスト(60年安保で、一人、抵抗の筆を執った、北海道新聞のコラムニスト)、須田禎一さんもまた、戦時中、「朝日」の特派員として上海にいた頃、「聖書」を読んでいた、ことを思い出す。(だから須田さんは『葡萄に歯は疼くとも』(田畑書店)などという本を書いているのだ)

 私たちがもし、「クリスマス」を「商戦」としてではなく、平和と貧困と暴虐に対する戦いの「原点」として思い返すなら、私たちはイエス・キリストの平和の言葉に耳を傾けるべきであろう。

 たとえば、「愛(アガペー)は、結びの帯」――という、あの有名な一言に。
  
 ####

 イエス・キリストが、かりに無名者として、すなわち万人として、復活したのであれば、アサンジさんは現代のキリスト(の一人)である――救世主である。

 誰がなんといおうと、そうである。

 ブラッドレー・マニングさんも、そうだ。

 あの、あどけない顔は、イエスの顔だ。

 ####

 フィル・ベリガンさんの最後の戦いは、「劣化ウラン弾」に対する戦いだった。

 米軍(州兵)の基地に立ち入り、兵器(軍用機)に血を注ぐ戦いだった。

 ####

 いま、ウィキリークスは、ネットでの「機密の暴露」という新たな戦術で、「死神」との戦いを続けている。

 「剣を鋤に」というベリガンさんたちの抵抗運動は、デジタル化された、「剣」を暴き、「鋤」に換える運動へと進化しているわけだ。

 民衆の大地を耕す「鋤(プロウシェア)」としての、情報レジスタンス運動――としての、ウィキリークス。

 ####

 いま、イエスが生きていらしたら――ウィキリークスのレジスタンスを見て、こうお述べになるかもしれない。

 愛(アガペー)は結びの「網(ネット)」として完全なものです、と。 

Posted by 大沼安史 at 07:01 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-12-08

〔 コラム 机の上の空〕 笑いの弾ける紅茶の淹れ方――あるいは夜の正しき、平和の作法

 ニューヨークのアッパー・イーストサイドのアパートメント、「ダコタ・ハウス」の台所――。

 そこでの「ある夜」の思い出を、オノ・ヨーコさんが、ニューヨーク・タイムズへの寄稿の中で、「現在形」で書いていた。⇒ http://www.nytimes.com/2010/12/08/opinion/08ono.html?_r=1&hp

 ####

 「ジョンと私は夜中に、ダコタのキッチンにいます。3匹のネコ――サーシャとミチャ、チャロの3匹は、私たち2人の紅茶を淹れるジョンを見上げています(JOHN and I are in our Dakota kitchen in the middle of the night. Three cats — Sasha, Micha and Charo — are looking up at John, who is making tea for us two. )」

 真夜中の静寂の中で、ジョンが淹れた紅茶を2人で飲む平和――。

 はじめはヨーコさんが淹れていた夜の紅茶だが、「ヨーコ、あのね、最初にティーバッグをポットに入れてから、お湯を注ぐもんだよ」とジョンに注意されて以来、紅茶を淹れるのは、ジョン・レノンさんの役回りになっていた。

 ####

 その夜のことだった。紅茶を一緒にすすりながら、ジョンがこう言った。「今日の午後にね、伯母に確かめたんだけど、やっぱりお湯が先なんだそうだ。最初はティーバック、と聞かされていたはずなんだけど、最初はお湯で次にティーバックが正しい淹れ方だそうだ」

 「じゃぁ、これまでずうーっと、私たち、間違っていたわけ?」

 「そう……」

 そう言って大笑いした2人。

 ####

 1980年のある夜の出来事――。そう、ジョン・レノンさんが暗殺された年の、ある夜の出来事――。「2人ともこれが共同生活の最後の年になるなんて知らなかった」夜の、紅茶の淹れ方をめぐる、2人だけの大笑い。

 ジョン・レノンさんが暗殺された12月8日に、ヨーコさんが思い出すのは、紅茶を飲みながら弾けた、この深夜の大笑いだそうだ。

 ♭♭♭♭

 「紅茶を淹れる人」という題の寄稿を、ヨーコさんはこんなふうに結んでいた。

 「10代の若い世代は、もう待ってましたと、すぐに笑い転げる、といいます。でも、私の目には今、多くのティーネイジャーたちが悲しそうで、お互い、憎み合っているように見えます。ジョンと私は、その夜、ティーネイジャーに戻っていたわけではありません。でも、私が思い出すのは、私たちが、2人で笑い合ったカップルであった、ということです」

 ヨーコさんは、今の若者たちの間から、笑いが消えたことを悲しんでいるのだ。

 紅茶の淹れ方をめぐって弾ける、夜の静寂の中の笑いはどこへ消えたのか?

 ####

 でも、まさか、1980年のその夜、ヨーコさんとジョンさんは、啜った紅茶を一緒に噴き出したわけではないだろう。2人の幸せな大笑いに、3匹のネコたちもきっと和んだことだろう。

 そして、(これは間違いなく)2人の紅茶カップからは、湯気が立っていたはずだ……。

 ####

 このシンプルで、心迫るエッセイに、余計なものを付け加えるつもりはない。が、ひとつだけ言わせてもらえれば、あの敵意あふれる「茶会」の皆さんも――そしてあの、サラ・ポーリンさんも、この文章を読んで(「お茶」の話だから、読まないはずがない!)きっと心安らかになったはずだ。
 いや――(ここは「現在形」で言わねばならない……)きっと心安らかになっているはずだ。

 誰かと一緒に心の中で――いや、自宅の家のキッチンの中で、自分の紅茶の淹れ方を間違いに気付き(あるいは自分の正しさを確かめ)、紅茶を飲みながら、きっと安心している違いない。

 ♪♪♪♪

 正しくあることへのこだわり。

 僕も今晩、夜遅くに、正しい作法で紅茶を淹れ、レノンさんの音楽を聴きながら、平和な心に浸ることにしよう。

Posted by 大沼安史 at 05:05 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-10-24

〔コラム 机の上の空〕 日中友好 夜来香(イエライシャン)

  中国で「反日デモ」が続いている。
 こんどは蘭州、南京だそうだ。⇒ http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010102400063

 鑑真和上もきっと嘆いていることだろう。阿部仲麻呂もきっと涙していることだろう。

 ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%91%E7%9C%9F
 ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%80%8D%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82

  ####

 すべては戦後一貫して、アメリカの虎の威をかりた日本の権力が、戦前の侵略を心から詫びず、補償をしなかったことによる。

 そう、戦争終結前後に、日本のファッショ権力に「神風」が吹いたのだ。「反共」「東西冷戦」という、願ってもない「国体護持の追い風」が吹いたのだ。

 それ幸いに、中国との和解を――謝罪を、償いを怠っていた日本。

 日本の宰相、その盟友閣僚が、「(中国産)漢字」の読み方を知らない(ミゾユウな、ウズ中)パフォーマンスに打って出たのも、ご主人さま(英語のアメリカ)への、僕らって、こんなにも中国の文字を読めない政治家! 漢字読めない僕らを、ヨシヨシ、ナデナデして!――というアピールだったに違いない。

 ####

 こんなアホな「戦前のゾンビー・復活日本」が、歴史の清算を怠った結果として、中国の反日デモが吹き荒れるのは当然のことだが、でも、なんか切ないなぁ~。悲しすぎるぁ~。

 戦後補償の問題はさておき、日中関係を、未来志向で再構築する手はないものかなぁ~?

 そんなこんなでいろいろ聞き耳のアンテナを立てていたら、最近、とっても凄い……「あること」を知って、ああ、これならなんとかなるかも知れない、反日デモも、これなら収まるかも知れない――と思い、励まされた。

 その「あること」とは何か――そう、それこそ、あの「夜来香(イエライシャン)」(ナイト・ジャスミン)!
 
 ####

 「夜来香」――1944年、黎錦光の作詞作曲、李香蘭(山口淑子)の歌唱で、上海の百代唱片公司から発売され、全中国でヒットした(花の)歌だ。

♪夜来香  我為尓   歌唱
 イエライシャン ウォーウェニイ グァーチャ

 夜来香  我為尓   思量 
 イェライシャン ウオーウェニイ スーリャ 

 阿阿阿  我為尓  歌唱     
 アーアーアー ウオーウェニイ グァーチャ

 日本占領下でつくられた、中国語の歌――「夜来香」。

 1944年(昭和19年)――日本の敗色が明らかになった年のことだ。

 そんな当時、上海の夜に匂う夜来香の花は、中国の夜明けが間もなく来ることを伝えるものではなかったか!
 
 その日本軍国主義支配下の「夜」に「香る」「花」とは――もちろん中国!

 多分これは、時代のプロテスト・ソングだったのだ。そう、日本の反戦川柳作家、鶴彬の「 暁を抱いて闇にゐる蕾」を、さらに発展(「開花」)させたような、秘めやかなプロテスト・ソング!

 「フォニー・ウォー(偽の戦争)」の続く、上海だからこそ、あり得た、「夜来香」!

 ####

 ブラジル育ちの日本人ボサノヴァ歌手、小野リサさんの、2009年の上海でのライブを、ユーチューブ・ビデオ(中国の方がアップしたようだ)で観て驚いた。⇒ http://www.youtube.com/watch?v=lTYYah_2t6o

 小野リサさんが、なんと中国語で「夜来香」を歌っているではないか!(小野リサさんは、アジアの楽曲を集めた「Asia」というCDを出している。「夜来香」もその1曲)

 66年前、「夜来香」が生まれた、その上海でのコンサートで! 

 それも、中国流とボサノヴァをミックスさせたような、独特の、軽やかな――時代を超えてゆく、そっけなく、どこか外れたリズムに乗せ、今を歌い上げる、小野リサさん!

 会場の中国人ファンの大合唱、手拍子!  

 ####

 日本と中国の間に今、求められているのは、新しい時代の構築である。

 新しくて、古い時代の――鑑真、仲麻呂の時代からの、日中関係の再構築である。

 硝煙の臭いではなく、夜来香の匂いの、新しい、ふくよかな日中関係!

 そういう関係を、中国の人たちは(そして日本のわれわれも)求めているのだ。

 小野リサさんの「夜来香」に、上海のファンから大合唱がわきがったのは、そのためである。

 ####

 小野リサさんの音楽は、「無国籍」的である。ブラジルで育った彼女の歌には、日本を超えた何かがある。(僕が彼女を初めて聴いたのは、ニューヨークのネット・ジャズサイトでのことだった。日本のシンガーでそこに登場したのは、僕の知る限り、彼女だけだ)

 時代を超えた何かがある。

 小野さんの歌声が中国のファンに響いたのは、そのせいもあったはずだ。

 中国のファンも、時代を超えた、音楽的な(人間的な)連帯を、私たち日本人に求めているのではないか?

 ####

 「夜来香」は、中国語の歌として、日本占領下の上海に生まれた歌だか、そのせいか、(いい意味での)「無国籍」性がつきまとう。

 あのヘレン・メリルも、この歌の英語版を歌っているのだ。
 きちんと韻を踏んだ、英語の歌詞のこの歌を。⇒ http://www.youtube.com/watch?v=jNxppgEREYY

 「無国籍」――いや、「コスモポリタン」というべきこの歌は、上海という国際都市から――それも、「1944年」という、「大日本帝国」崩壊開始の年から、生まれべくして生まれるものだった、と言えるだろう。

 ####

 日中の間にはいまだ「夜」が横たわっている。
 しかし、「夜来香」の香りが、どこからか漂っている気配、なきにしもあらず。

 小野リサさんは、日中間にあり得べき信頼の、その確かな可能性を――希望を、歌って見せてくれた。

 だから彼女に続いて、われわれも歌おうではないか!

 「夜来香」――新しい時代の夜明けを告げる歌を! 

Posted by 大沼安史 at 07:20 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-10-17

〔コラム 机の上の空〕 「未来」をわれらに――「68年世代」と「高校生」の連帯

 フランスで世代間の強固な連帯が生れているようだ。

 現地からの報道によると、サルコジのネオリベ路線に反発する抗議デモは、「年金」のことなどまだ考えなくてもよいはず(?)の高校生ら、若者たちが街頭に出たことで、さらに勢力を維持している。
 ⇒ http://www.lemonde.fr/politique/article/2010/10/16/retraites-la-mobilisation-ne-faiblit-pas_1427407_823448.html#ens_id=1305816

 サルコジは追い込まれている。全国の広がるストと封鎖で、たとえばパリのドゴール空港の航空燃料の備蓄は、このまま行くと来週半ばには底を突く。
 機動隊の「フラッシュ・ボール」を顔面に受けて、パリの病院に運び込まれた高校生(16歳)は、失明の危機に立たされているそうだ。

  ####

 それにしても、なぜ、こうまで、フランスは燃えているのか?

 直接の引き鉄を引いたのは、サルコジの「年金2年分ぼったくり」政策であることは間違いないが、「年金世代」になった――あるいは、なりかけの――または、これから、なって行く、「68年世代」および、当時を知る(記憶している)「ポスト68年世代」の「力」もまた、大きく作用しているように思われる。

 そして、その「力」とは、「パリの5月」への単なる「郷愁」ではない、もっと前向きの、何ものかではないか?

 僕が、そんなふうなことを勝手に考えたのは、ルモンドの上記記事についた写真(デモ隊に高齢者が混じっている)を見たのと、同紙のインタビューに対する、当年、60歳になるダニエルさんという女性の発言を読んだからだ。「未来の世代のために今、闘っている」という彼女の発言を読んだからだ。⇒ http://www.lemonde.fr/societe/article/2010/10/16/retraites-paroles-de-manifestants_1427390_3224.html

 「未来世代のために」……。
 たぶん、ダニエルさんは40年前と今とを重ね合わせて考えているのだ。

 68年以来の労働組合員というダニエルさんは、続けて、こうも語っていた。「私は希望を捨てない。ユートピア幻想かも知れないけれど、世界は変わり得ると信じている」

 ####

 ここで闘わないと――希望を捨てずに闘わないと、未来はない。

 「未来」を守る闘い――だから、高校生ら若者たちもデモに参加しているのだ。

 ビラ撒きの高校生は、こんな言い方をしていた。もう、こんな世の中に、ウンザリしている、と。

 そう、フランスもまた「ウザッタイ」国になっているのだ。
 
 ####

 13日朝、高校生が機動隊の「フラッシュ・ボール」の直撃を受けたパリ郊外、モントレイユ。

 取材に入ったルモンドの記者に、親たちの一人が、高校生のデモを機動隊から守るため、親たちがデモの末尾についたことがある、と話していた。
 ⇒ http://www.lemonde.fr/societe/article/2010/10/15/que-vient-faire-un-tir-au-flash-ball-lors-d-une-manifestation-lyceenne_1426648_3224.html

 デモの高校生らを、親たちが守るフランス!

 高校生を労働者たちが守ったことは聞いてもいたが、こんな(いい意味での)「父母同伴デモ」が行われているなんて、知らなかったなぁ! 
 
 ####

 世代間をつなぎ、家族の団結の中で続く、フランスの反サルコジ・マニフェスタシオン!

 だから、高校生に対して「フラッシュ・ボール」を射撃するよう命じた連中は、許されないのだ。裁かれねばならないのだ。

 上記のルモンドの記事によれば、モントレイユの高校生の親と女性市長(緑の党)が、それぞれ当局を訴えるそうだ。

 女性市長は、現場で高校生が拾った「フラッシュ・ボール」の破片を振りかざし、「子どもを撃つような政治権力とは、何なんだ?」と怒りをあらわにした。
 
 ####

 しかし、新聞記者出身の僕として、今回、最も感心させられたのは(しているのは)、「高校生フラッシュ・ボール事件」での、ルモンド紙の徹底した取材ぶりだ。(リベラシオンなども頑張っているはずだ……)

 一体、誰が現地の機動隊に命令したのだ? 現場にいた機動隊の実数を出せ?

 地元の県庁に情報開示を迫り、現場で証言を集め、真実に迫ろうとしている。

 同じモントレイユで昨年7月、文化センターの閉鎖に抗議するデモ隊の一人が、目に「フラッシュ・ボール」の直撃を受け、失明していた事実を暴き、今回の抗議デモでも、パリの東、ヴァルド・マルヌなどで、同じように高校生が「フラッシュ・ボール」の射撃を浴びていると報じている。
 
 ####

 東大生、樺美智子さんが殺されても動こうとしなかった、「60年安保」当時の日本の主流マスコミとの、この違い!

 日本の僕たちは、今回のフランス民衆の闘いを――世代間、ジャーナリズムが連帯して闘うありさまを、日本の今に通じる、あの「(19)60年」の視点からも見守り続けなければならない。

  「年金」を守るのも、「9条」を守るのも、単なる現状維持ではない。それは基本的な社会的な合意を――安心と平和を……すなわち、「未来の安心と平和」を守り抜こうとするものだ。 
 
 平和と安心の社会的合意を崩さない!

 あの時と今を重ね合わせ、未来の世代を守る! 

Posted by 大沼安史 at 01:54 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-10-11

〔コラム 机の上の空〕 「世界民衆ベッド・イン」をイマジン!

 ジョン・レノンさんが「70歳」の誕生日を迎えた。
 「古希」である。生きていたら、どんな「誕生イベント」が行われていただろう?

 ジョン・レノンさんが1940年に生れて70年――1980年に暗殺されて(ことしの12月8日で)「30年」――。

 見ないで済んでよかったかも、なんて言いたくなるほど、今――「2010年」の「世界」の荒れようはすさまじい。

 「アフガン・イラク戦争」は続き、「地球環境」の破壊はとどまるところを知らず、「世界経済」は破局に瀕して、世界の民衆にツケが回されている。

 オノ・ヨーコさんが、AP通信のインタビューに答えていた。

 「彼が生きていたら完全に怒っているはず……どこかへ駆けてって、何かを叩き壊したり、誰かを締め上げたりするかも知れない。わかるでしょ。でも私ね、こう思うのよ。彼はそんなにキレたりしないで、冷静な活動家であろうと決意するかもしれない、とね。私たちはみんなで、この世界のために、ほんとうに何か、しなくちゃならないのよね。何かしないと世界を吹き飛ばしてしまう」

 ( He would have been totally angry. ... He would have felt like he wanted to run somewhere and just bang something or
strangle someone, you know? But then I think, I'm sure he would have relaxed and decided he should still be an activist. We need to really do something about the world. Otherwise, we're all going to blow up together.)

 ⇒ http://today.msnbc.msn.com/id/39517495/ns/today-entertainment/#

 レノンさん、健在でありせば、完全に怒りまくるけれど、でもきっとキレずに、リラックスして、何事かをなしているはずだと。

 ヨーコさんには、ジョンのこと、ちゃ~んと、わかるんだね!

 で、生きてたら、今頃、どんなイベントが行われていたことか?
 
 ジョンがヨーコさんと1969年にアムステルダムとモントリオールで行った、あのベトナム戦争反対の「ベッド・イン」を、こんどはグローバル規模で再現する「世界民衆ベット・イン」(ラブラブ・プロテスト)なんてのを、「全世界同時ゼネスト」を兼ねて、1週間、ぶっつづけで決行し、世界の権力者どもを青ざめさせて、いたりしていたかも……?!

 そんなこんなを「イマジン」するのは面白いし、そうした「イマジン」こそ、いま求められているものだ、と言いたくもなる。

 ジョン・レノンさんも、70歳ともなれば、外見はけっこう爺さん爺さんしてるはず。でも、気持ちはきっと若いに違いない。

 ジョンとヨーコがシルバーカップルとして、こんどは日本の温泉なんかで「先行ベッド・イン」を決行、露天風呂の湯煙の中から、全世界の老若男女に、ラブラブ・ストライキへの総参加を呼びかける。

  ♪ Imagin all the people making love in bed !  オ~オゥオウォ~

 そうしたら、日本の少子化なんか一発で解決されるはず。

 そう、これは冗談ではないのだ。

 僕は冗談ではなくすこぶる真面目に、「老人による世直し」を考え、「頑爺同盟・頑婆ガールズ」(仮称)を立ち上げたいと思っている、団塊世代のひとりだが、「イマジン」ついでに、オシャレな(?)フロシキをもう一枚、広げれば、7年後のジョン・レノンさんの「喜寿」(77歳)祝い―― を機に、全世界老人革命へ向けた、総決起集会を開きたい、と実は密かに考えている。

 いや、マジで、ホントに。
 日本を変え、世界を変える。日本を、世界を民衆の手に取り戻す。世界政府をつくる!

 加藤周一先生や井上ひさしさんには「頑爺同盟・頑婆ガールズ」の顧問になってもらうことにしているが、こうなると、ジョン・レノンさんにも「音楽部長」就任を打診しなくちゃならない……。

 何、暇人の妄想、と……?

 何を言う!

 この今という時代にひとりの人間として――日本人として……今を生きる「今人」として、「イマジン」しないでどうする!!!!

Posted by 大沼安史 at 07:41 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-10-07

〔コラム 机の上の空〕 ゴールド 魔法使い 階級戦争

 ロンドン市場で7日、「金(ゴールド)」の先物が、1360ドル(オンス)の「大台」に乗ったそうだ。
 ⇒ http://www.marketwatch.com/story/gold-futures-advance-past-1360-an-ounce-2010-10-07

 日銀の「包括緩和」――「ゼロ金利」、および「QE(量的緩和)Ⅱ」――が、「黄金のバブル」をさらに膨らませている。

 「実体経済」を再生させる(はずの)「建前」が音もなく崩れ、代わって、世界経済の荒地の上に、「黄金の蜃気楼」が虹のように立ち上がった。

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  なに、金をもてあました世界の金満家たちが、そんなに気前よく「あぶく金」(QEフリー・マネー」)を使わせてくれるなら……と、しばらくは値上がりゲームを楽しめそうな、「ゴールドのアブク(バブル)」による「濡れ手に粟」を続けているだけのこと。

 日本の資産家もきっと、トン単位で金買い・金売りの「金転がし」に励んでいることだろう。

 なーに、大丈夫。そうかんたんにバブルは弾けやしない、とタカをくくって。 

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 それにしても、どこまでこうした不毛なやり方を続けるつもりか?

 政府・中央銀行(と称する「贋金づくり」たち)のネオリベ経済・金融政策は、特権層を肥やすだけなのに。

 権力者の懐だけを潤し、人間の大地を潤すものになっていないのに。
 
 なぜ、そうか?

 (これは、今回、訳出したダニエル・グリーンバーグ氏の主著の中の経済エッセイで教えていただいたことだが……)それは彼らが「発行」する「マネー」が、「新しい価値の創造」と結びついたものになっていないからだ。

 芽を育てようとしていない。芽吹く力を育てようとしていない。

 それをごまかすため、あの「オズの魔法使い」のように、ひたすら「幻想」をふりまくだけだ。

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 「オズ(Oz)」とは何か?

 それはもちろん、金(ゴールド)の重量単位、「オンス(ounce)」の略称。

 アメリカで110年前に書かれた「魔法使い」の寓話の、経済権力批判が、21世紀の今、目の前で続く、現実世界の「悲劇」であることが哀しい。

 日本のマスコミは、こんどの日銀の「包括緩和」について、「景気下支えの強い決意を示した」などと持ち上げているが、幻燈会の提灯をかかげているだけではないか?

 「カーテン」の向こうに隠れている男を――そしてその男を操っている者の正体を暴くジャーナリズムが、ない。

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 寓話の「カーテンに隠れていた男」はネブラスカからの文無し男だが、同じネブラスカのオマハに住む、世界トップの大資産家(大慈善家)、実在の「オマハの賢人」こと、ウォーレン・バフェット氏の、アイロニーをこめて語ったコトバが、いまアメリカで再び話題になっている。⇒ http://www.nytimes.com/2006/11/26/business/yourmoney/26every.html   http://host.madison.com/ct/news/opinion/column/dave_zweifel/article_4741b42c-cfd9-5904-84ff-eac61f661fd4.html

 “There’s class warfare, all right, but it’s my class, the rich class, that’s making war, and we’re winning.”

  「そう、階級戦争が続いているんだ。私が属する階級がね――リッチな階級がね、戦争を仕掛けているのさ。そして、私たちが勝利を収めている」

 「階級戦争(class warfare)」……穏やかな言い方ではない。しかし、実態を突いた正確な表現ではある。
 
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 「オズ(Oz)の魔法」の呪縛を解き、「幻想」をふりはらって、バフェット氏の言う「階級戦争(class warfare)」の視点に立てば、今、進行しつつある事態の、真実の姿が鮮明に見えてこよう。

 私たちが、「黄金の十字架」による磔刑(それは「黄金バブルの崩壊」によって現実化するだろう……)に処されないうちに、一方的な民衆の負け戦に終止符を打つ、新たな政治・経済・金融政策が登場しなければならない。
 

Posted by 大沼安史 at 09:11 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-09-18

〔コラム 机の上の空〕  「最大不幸社会」の「有言実行内閣」

 自分が組閣したルンルン新内閣を「有言実行内閣」だと、菅直人首相自身が言ったと聞いて、唖然とした。

 「有言実行」?――政治家として当たり前のことではないか?

 こんなキャッチにもならないコピーを、ぬけぬけと、とくとくと、恥ずかしげもなく語るコトバの貧しさ。うつろで、やりきれない言語感覚。

 そこからは、「実行」に移すべき「有言」の「言」は聴こえて来ない。

 「何を」がない。救いも希望も、何も聴こえて来ない。

 ♪♪♪♪

 あるとすれば、先の参院選で突如、口走り、大敗を喫した、あの「消費税10%へアップ検討」公約の「言」……くらいか?

 いや、沖縄の辺野古の海を破壊すると宣言した、「日米共同声明」の「有言実行」も、あるな……。

 いずれにせよ、日本・沖縄の民衆にとっては、ありがたくもない「お言葉」ばかりだ。

 それを断固、「有言実行」するというなら、菅首相よ、日本の民衆は次の総選挙で、こちらも断固たるレッドカードを君に突きつけることだろう。

 いや総選挙の前に、民衆はプロテストを始めるかも知れない。

 ♪♪♪♪

 「有言実行内閣」です――としか言えない、この程度の宰相を持つしかない、かわいそうな日本。

 参院選で有権者の声に、生活苦にあえぐ人々の声に、沖縄の人々の悲鳴に耳を塞ぎ、一転、ケロリと、コトバに責任を持つ新内閣だと言ってのける、節操なき宰相しか持てない、かわいそうな日本。

 この国は「最小不幸社会」どころか、「最大不幸社会」に成り果ててしまった……。

 昔、「フォークル」が歌った、あの「悲しくてやりきれない」の歌が、どこからか聴こえてくるようだ。

  ♪ 悲しくて 悲しくて
    とてもやりきれない
    このもえたぎる 苦しさは
    明日も 続くのか

 ♪♪♪♪

 ネオリベ政治・経済路線が「急激な効果」を現し、この国は今、世界最悪レベルの格差社会に陥っている。

 その閉塞した「やりきれない苦しさ」の中で、人々はもがいている。老人も成人も子どもも、みんな苦しんでいる。

 ジニ係数をみればわかる。この国は「最大不幸社会」の国なのだ。

 それを「最小不幸社会」と言いくるめることはできない。

 その、日本の「不幸」を最小化するというなら、まずもって人々の「無言」の訴えに耳を傾けるべきだろう。

 そして「不幸」の在り処をさぐり、政策でもって不幸の根を断ち、「幸福」を少しずつ膨らませてゆく……。

 どん底にあえぐこの国の政治家だからこそ、あくまでも「最大幸福社会」を目指すのが、本来の筋ではないか。 

 ♪♪♪♪

 「有言実行内閣」と聞いて、ああ、この首相は、新内閣は消費税を上げるつもりなのだな、と反射的に思った国民は多かったはずだ。

 3%を5%に引き上げた時でさえ、あれだけ経済を冷やしたのだから、こんど、倍の10%を「有言実行」したら、景気が完全に底抜けするに決まっている…………。

 もっと暮らしを切り詰め、生活を防衛しなければ……。

 そんな不安を増幅させるだけの結果に終わった、今回の「有言実行」内閣宣言!

 何%かは知らないが、国民の不幸せが、またまた膨らんだことだけは確かである。

 ♪♪♪♪

 今日は秋晴れの一日だったが、どれだけの人が幸せな気持ちで空を見上げたことか?

  ♪ 胸にしみる 空のかがやき
    今日も遠くながめ 涙をながす
    悲しくて 悲しくて
    とてもやりきれない
    このやるせない モヤモヤを
    だれかに 告げようか

 
 (きっと何かに絶望して)この国を旅立って行った、加藤和彦氏のこの歌が――名曲すぎるこの歌が、空から聴こえて来る。

   ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=cyaC_5kMeXs

★ 追記

 読売新聞のネット報道を見て、またも、のけぞってしまった。
 
 菅直人が記者会見で、小沢一郎を新体制で起用しなかった理由について「小沢氏から『体力的に消耗した。しっかり支えるからポストは勘弁してほしい』と言われた」と説明した。
 ⇒ http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100918-OYT1T00149.htm

 これはトンデモ発言である。

 小沢氏の発言が仮に菅直人の言うとおりであったとしても、これは政治家として(小沢本人が言っていないことだから)絶対に言うべきことではない。

 政治家は体力勝負、健康第一である。
 なのに、「体力的に消耗した……勘弁してくれ」とは……。

 菅直人にとって、小沢一郎は「民主党の同志」ではなかったのか?

 この「もうア菅」の「小沢一郎の健康・体力にクエスチョンマーク」発言は重大である。

 政治家生命の致命傷を暴露するものだから。

 政治生命を奪うに等しい暴露……。

 菅直人としては、こう言って自分の再選を正当化したかったのだろうが、これは一線を超えた、絶対に言ってはならない「越権l発言」である。

 小沢一郎はきっと、この発言で最終的に菅直人を見限ったのではないか?

 菅直人に警告しておく。

 君も知ってるつもりだろうが、「政界」というのは奥が深いのだ。怖いのだ。

 今のところ、対米従属権力が検察に小沢を牽制させ、消費税アップを約束した君に対し支援を惜しまない姿勢を示しているが、サルコジの失脚を見越してドビルパンを復活させたフランスのように、時の権力をいうものは、二枚腰というか、懐が深いのだ。

 日本の権力は――「再選」で舞い上がった君のことを冷静に見ている。

 小沢をここまでコケにした君を、冷静に見ている……。

 ここまで君にコケにされた以上(君に「政治生命」まで奪われた以上)、小沢は必ず反撃に出る!
 

 それが彼らにとって好都合なら、(タイミングを見計らい)、彼らは君を見捨て、ポイ捨てして、小沢支援に回る!

 いいか、菅直人よ、いまからでも遅くはない、小沢一郎にわびを入れることだ。それも、世間のみんなが見ている前でわびを入れることだ。

 検察に圧力をかけ(たとえば検事総長を民間人に入れ替える、といって)小沢を救うのだ。

 そして、対霞ヶ関&対アメリカ・ダブル「従属」路線にオサラバする!
 
 君が生き延びる道はそれしかない……。 

Posted by 大沼安史 at 05:15 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-09-11

〔コラム 机の上の空〕 「9・11」を超えて アメリカ・アフガン 女性の連帯

 きょう、9月11日、米国東部、マサチューセッツの天気予報は、Sunny & Nice 。初秋の風を切るサイクリングには、絶好の日和である。

 マサチューセッツ中部、ニーダム(Needham)で、きょう9月11日、周遊チャリティー・サイクリングが行われる。主催は、地元ニーダムの市民団体、「11日を超えて(Beyond the 11th)」。

 アフガンの未亡人女性たちのための資金援助を呼びかけるバイク・ライドである。

 そう、きょう「9・11」の、この日に。
 「9・11」を超える希望を、いまひとつ切り拓くために。

 ☆ ☆ ☆ 

 「11日を超えて」は、ニーダムに住む、スーザン・レティクさん(42歳、ユダヤ系アメリカ人女性)を中心に、2003年に結成された。

 スーザンさんは「9・11」未亡人。アメリカン航空11便に搭乗していた夫を「同時多発テロ」で失った時、おなかに中に3人目の、7ヵ月の赤ちゃんがいた。

 悲嘆と絶望の日々。

 友人に、見知らぬ人々に励まされる中で、スーザンさんは、アフガンにも同じような「戦争未亡人」がたくさんいることに気付く。

 それが転機になった。悲嘆が共感に、絶望が希望に変わる転機はそのとき生まれた。

 2003年に、近くに住む同じ「9・11」未亡人のパティーさんと知り合い「9月11日を超えて行く」運動を始めた。

 ☆ ☆ ☆ 

 現在、およそ200万人に上るといわれる、アフガンの「戦争未亡人」たちが置かれる状況は深刻だ。

 子どもは平均、4人以上。みな、貧困と絶望にさいなまれている。 

 そうしたアフガンの未亡人女性を、どうやって助けるか?

 収入を得、家族を支えながら自立できる道の確保を援助する……それがいちばん。

 ニワトリのひなを育て卵を売る。
 カーペットを織って売る。
 サッカーのボールを縫って売る。

 「11日を超えて」は現在、1000人以上のアフガン人女性の「就業」を支援しているそうだ。

 ☆ ☆ ☆ 

 支援を開始して3年後の2006年、スーザンさんはアフガンに初めて足を運んだ。
 そして、現地の女性と初めて、面と向かって、話し合い、励まし合った。

 その模様を記録したドキュメンタリー映画、「信仰を超えて」の紹介トレーラーを「11日を超えて」のサイトで観て、「11日を超える」意味を教えられた気がした。

 戦争に引き裂かれた、貧困と絶望のアフガンの大地でも、女性たちは命を育みながら生きていた!

 その真実との直面は、スーザンさんの(そしてアメリカ人たちの……あるいは私たちの……)心のどこかにまだ残っていたかもしれない、見当違いの憎しみを消去し去るに十分なものだった。

 「戦争」で夫をなくしたアフガン人女性と、「テロ」で夫を亡くしたアメリカ人女性と、そこにどんな違いがあろう。

 ☆ ☆ ☆

 きょう「9月11日」のチャリティー・サイクリングは、ニューヨークの「グラウンド・ゼロ」からニーダムへ、3日がかりで自転車をこぎ続けたチャリティー・ライドの、仕上げのイベントだそうだ。

 「11日を超えて」は今、バーミアンに「竜の谷・婦人センター」を建設する計画を進めており、そのための資金集めが、きょうのニーダム周遊サイクリングの目的。

 スーザンさんと一緒に、長男のベン君(12歳)もサイクリングに参加するが、ベン君はベン君なりに、新しいプロジェクトを考えている。

 それは、アフガンの女性たちが縫い上げたサッカーボールを震災被害を受けたハイチの子どもたちに贈るプロジェクト!
 (アフガンの未亡人たちが縫ったサッカーボールのブランド名は、「ドスティ」。現地の言葉で「友だち」の意味だそうだ)

 ○ ○ ○

 スーザンさんたちの、「竜の谷・婦人センター」に続く、次なる目標は、アフガン未亡人のためのマイクロ・ファイナンス(小口融資)事業と、助産婦さんの養成事業の立ち上げだ。

 大地を踏みしめ、前へ向かって、着実な歩みを続ける、「11日」を超える運動!

 ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、ニコラス・クリストフさんが、「11日を超えて」運動について、こんなふうに書いていた。

 それは「最も思いがけなく、最も人々を励ます」ものだと。

 ほんとうにその通りだと思う。

 スーザンさんはクリストフ記者に、「私たちだけでアフガンを変えれるなんて思わないけど、でも、どこからか、変えることを始めなきゃ」と語っていたが、それも、ほんとうにその通りだ思う。

 「11日を超える」運動は、女性の連帯の中で、何事かを何処からか始める――テロをもとから断つ、命と平和の運動である。

〔参考〕

http://www.nytimes.com/2010/09/09/opinion/09kristof.html?src=me&ref=general

http://www.beyondthe11th.org/

http://www.boston.com/news/local/massachusetts/articles/2010/08/04/two_911_widows_raise_funds_to_help_bereaved_afghan_women/
  http://www.boston.com/yourtown/news/needham/2010/08/needham_woman_to_receive_presi.html
  http://www.boston.com/lifestyle/family/articles/2010/08/21/911_widow_susan_retik_shares_a_bond_with_afghan_women/

http://www.bpeace.org/

http://www.dostisoccer.com/

Posted by 大沼安史 at 08:33 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-08-25

〔コラム 机の上の空〕 「過ちを繰り返さない」ために

 気ままな「夏休み」を楽しんでいる。ふるさと仙台に戻って2度目の夏――。
 東京の大学を「中途退学」し、仙台に帰郷したのは、ひとつに、ジェームズ・キャロル氏の『戦争の家』(緑風出版)を、もうひとつに、サドベリー・バレー校のダニエル・グリーンバーグ氏の『サドベリー 教育創世記』(仮題)のふたつの大著を翻訳せんがためだった。

 笑わないでいただきたい。私はそのために――その翻訳のために、それだけのために、ビンボー覚悟で仙台に帰ったのだ。

 『戦争の家』(上下)を訳出し、いま『サドベリー 教育創世記』(仮題 緑風出版)を訳し、最後の校正を終えたばかり……。

 肩の荷が下りて、今、ようやく、ほっとした「夏休み」である。

 ####

  今、私は「ほっとした夏休み」にあるが、だからと言って、ことし「2010年の(過ぎ去った)夏」を忘れたわけではない。

 ヒロシマ・ナガサキ65周年――。

 厳しい残暑が続く中、ことしの夏の、ヒロシマ・ナガサキの「暑さ」を、、私もまた忘れ去るわけにはいかないのだ。

 ####

 とくに、ヒロシマの夏――ことし2010年のヒロシマの夏は忘れ去るわけにはいかない。

 そう、秋葉市長が「核廃絶に向けた絶好の機会(チャンス)到来」と言ったその時に、菅直人という「日本の首相」は言ったのだ。

 「核抑止力は必要」だと。

 ####

 菅直人のこの発言を聞いて、私は反射的に、ヒロシマの「原爆死没者慰霊碑」の誓いの言葉を思い出した。

 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

 これは、自らも被爆者である雑賀忠義・広島大学教授が揮毫したもので、碑文の英訳は、
 
  Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evi.

  ――である。

 この碑文に対して、さまざまな批判があり、私自身もかつて違和感を持ったひとりだが、今は、雑賀博士の「先見の明」に敬意を表したい気持ちでいっぱいだ。

 ことしの「ヒロシマの日」には、アメリカの大使が初めて列席したが、この「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の碑文は、ルース大使の胸に、ずしんと響いたはずだ。

  For we shall not repeat the evi. 英訳(雑賀博士訳)の碑文は「私たち」と、ハッキリ主語を明示しているからだ。

 We とは、私たちアメリカ人は、の We (でもあった)だったわけだ。

 その We は、当然、日本の首相である菅直人にもかかる主語であったが、己の「権力維持」しか頭にない、この権力欲にとりつかれた男には、そこまで考えられる知力は残されていなかった。

 だから菅は、被爆者の霊に対し、「安らかに眠りたい? 馬鹿言っちゃいけない。私たちはなんと言われようと、核の傘に下に入り込むからね」と言い切ったのだ。

 おそろしく鈍感な、低レベルの「首相」を、日本人民は得たものである。

 ####

 ヒロシマの日の一週間前の7月30日、原爆=悪魔の兵器を生んだ、米国ニュー・メキシコ州ロスアラモスで、核廃絶を求めるデモが行われた。
 ⇒ http://ncronline.org/blogs/road-peace/gathering-storm-hope

 私が尊敬する、ジョン・ディア神父らが行ったデモだった。

 ロスアラモスの中心にある「アシュレー公園」は、ヒロシマ、ナガサキに投下された原爆が組み立てられたところ。

 神父らはその場所に、抗議の「灰」を撒き、30分間、祈りを捧げたそうだ。

 デモにはヒロシマで育った日本人女性も参加した。イラク・アフガン戦争に反対する、内部告発の元米軍人、アン・ライトさんも参加した。
 
 ####

 このデモのことを、ディア神父の記事で知って、これはなんとしても、そうあらねばならない、と思ったことがひとつある。

 それは、ロスアラモスのアシュレー公園にこそ、「原爆死没者慰霊碑」の「誓いの言葉」がなければならないことだ。

  Let all the souls (there) rest in peace ; For we shall not repeat the evi.

 核という「悪」を繰り返さない――これは、「ロスアラモスの誓い」でなければならない。
 
 ####

 そこで提案! 広島市長の秋葉さんに――ヒロシマ・ナガサキの被爆者団体に、ひとつ提案したい。

 ロスアラモスに、「原爆死没者慰霊碑」の「誓いの言葉」のレプリカを置く運動を繰り広げてはいかがか?

 それはビキニにも、旧ソ連のセミパラチンスクにも、置かれてしかるべき「言葉」だと思うのだ。

 そう、雑賀博士の高邁な「We」には、それだけの――全世界を「核廃絶」に導く力がある……。
 
 ####

 8月6日の「ヒロシマの日」が過ぎても、私たちが「ヒロシマ」を、なかなか忘れてしまうことができないのは(心のどこかに引きずらざるを得ないには)、たぶん、この「We」のせいだ。

 「安らかに眠って下さい (私たちは)過ちは 繰返しませぬから」

 慰霊碑に刻まれた「ヒロシマの訴え」は、次の「ヒロシマの日」に続く――1年後に続く、「ヒロシマの訴え」である。

 ヒロシマの死者を安らかに眠らせるには、核保有国の「私たち」が核を廃棄する――それが絶対の前提であり、それしかない。
  

Posted by 大沼安史 at 07:50 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-08-15

〔コラム 机の上の空〕 「言論の自由」の抑止力

 ドイツの作家、ハンス・ファラダ(1883~1947年)の小説の英訳が、最近、英国でリバイバル復刊され、ちょっとしたベストセラーになっていると聞き、取り寄せて読み始めた。⇒ http://www.guardian.co.uk/books/2010/may/23/hans-fallada-thriller-surprise-hit
 Alone in Berlin( 「ベルリンに独り」、ペンギン・ブッスク

 ドイツ敗戦の2年後、ファラダがその最晩年に書いた小説だが、完全なフィクションではない。

 ナチス支配下のベルリンでレジスタンス活動をしてとらえられ、あの悪名高き民族裁判所で死刑判決を受け、ギロチンで処刑された、実在の夫婦の話を下敷きにした小説だ。

 + + +

 モデルとなったのは、オットーさん、エリーゼさんのハムペル夫妻。

 ファラダの英訳本の末尾に、ハムペル夫妻のレジスタンスの遺品の写真が掲載されていた。

 名詞のような、小さなカード。

 「自由プレス! なぜ私たちは戦争で苦しまなければならないのか? ヒトラーのプルトクラシー(泥棒国家)に死を!」

 「ヒトラーの戦争は、労働者の死!」

 夫妻はエリーゼさんの弟さんが無意味な戦死を遂げたことからナチスとの闘いを決意し、手書きのカードをばらまくレジスタンスを続けて捕まった。
(小説では主人公の夫婦の息子さんが戦死する設定になっている)

 小説の主人公が手製のカードを、初めてバラ撒きに行くシーンを読んで、その命がけの戦慄を「追体験」した。

 ちっぽけな反戦カードを撒いただけでギロチンにかける、ナチスの凶暴さよ!   

 + + +

 そのナチスにかぶれ、同盟関係の縁組に至った「軍国・日本」も負けてはいなかった。
 でっちあげの大逆事件に始まり、小林多喜二らの拷問死、横浜事件と、言論弾圧は苛烈をきわめた。

 ふつうの職人さん(労働者)だったハムペルさんのように、日本でも戦時中、名もない市井の民が、日ごろ思っていることを一言漏らしたばかりに密告され、投獄されてもいた。

 僕が尊敬するジャーナリスト、高田昌幸さん(北海道新聞記者)が、大原社研のHPから事例(「特高月報」記載)を抜粋して紹介しているので、その一部をここに転載させていただこう。⇒ http://newsnews.exblog.jp/2902026

 岐阜・畳職・52歳――「こんなに働くばかりでは銭はなし税金は政府から絞られるし全く困ってしまった。それに物価は高くなるし仕事はなし、上からは貯金せよといって絞り上げる。実際貧乏人は困っている……日本の歴史なんか汚れたとて何ともない」(或一人に話す、1938年9月、陸軍刑法第99条違反で禁錮6ヵ月)

 福岡・理髪業・31歳――「皇軍兵士が戦死する場合無意識の間に天皇陛下万歳を叫んで死ぬ様に新聞紙に報道されているが、それは嘘だ。ほとんど大部分の者は両親兄弟妻子恋人等親しい者の名前を叫ぶということだ」(数名に話す、1938年10月、陸刑99条で禁錮5ヵ月)

 きっと拷問もされたことだろう。
 出獄後、召集され、戦死した人もいたに違いない。

 こんな、当たり前のことを言った庶民を、禁固刑に処していた軍国・日本!

 + + +

 この日本もまた、「8月15日」までは、ナチス・ドイツ同様、恐ろしい国だったのだ。徹底した言論弾圧の国だった。

 その意味で「8・15」とは、軍国権力の、日本民衆に対する言論弾圧攻撃が終わった日(正確には終わりの始まり)でもある。

 つまり「終戦」とは、外敵である「鬼畜」たちとの(対外的な)戦争の終わりであったばかりか、日本民衆に対する「鬼畜ども=権力者」の(対内的な)組織的弾圧の終わり(の始まり)でもあったわけだ。

 私たちは「終戦記念日」を、「言論の自由の回復記念日」と位置づけ、再び、権力者どもの口封じに遭わぬよう、警戒心を高める日としなければならない。

 日本の戦後の言論の自由の確立に向けた闘い(開戦)は、「終戦の日」に始まった!

 + + +

 さて、何者かの通報でゲシュタポに捕まったオットー・ハムペルさんは、取調官に対して、こう言ったそうだ。

 「ヒトラーに抵抗できて、私は幸せである」と。

 オットーさんの、この、なんとも毅然たる態度よ!
 
 ヒトラーのナチスはだから、ハムペル夫妻を慌てて殺したのだ。夫妻が行使した「言論の自由」に恐怖したから、夫妻を残虐な刑に処したのだ。

 逆を言えば、こうなる。

 「言論の自由」には――オットーさんが書いた、小さな反戦カードには、あのナチスをも震え上がらせるだけの、巨大なパワーが秘められていた……。

 + + +

 その「言論の自由」を「平時」において私たちが行使すれば、それは「戦争」を抑止するものにもなるだろう。

 そして、言論の自由の行使は、オットーさんの言うように、幸せな、ハッピーなことでもある……。

 だから「抑止力」は――(日本の首相が言うように、核兵器にあるのではなく)「言論の自由」……すなわち「言葉の力」にあるのである。 

  
〔注〕

ハンス・ファラダ
 ドイツ語⇒ http://de.wikipedia.org/wiki/Hans_Fallada
 英語 ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Fallada 

 オットー・ハムペルさん ⇒ http://www.gdw-berlin.de/bio/ausgabe_mit-e.php?id=370

 妻のエリーゼさん ⇒ http://www.gdw-berlin.de/bio/ausgabe_mit-e.php?id=369

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2010-08-14

〔コラム 机の上の空〕 「考えを示す」国の報道言語学

 戦時中、軽井沢で日本官憲の自宅監視下にあった、フランスのジャーナリスト、ロベール・ギラン氏は14日夜の段階ですでに、「日本降伏」を知っていた。

 隠し持っていた短波ラジオで、サンフランシスコからの放送を聴いていたからだ。

 そして15日正午――。

 ギラン氏の自宅近くの隣組長の家に集まった村人の上にも、「スピーカーから荘重な声が流れ出した」。

 「しばらく沈黙が続く。それから、一度も効いたことのない声が響く(中略)皆驚く。ほとんど何もわからなかったからだ! 天皇は、天子のみが使う特別な荘重なお言葉で語られたのだ。古い、そしてまるで中国語のようなそのお言葉は、庶民の言葉とはほとんど共通点のないものだった」(ロベール・ギラン『日本人と戦争』(根本・天野訳、朝日文庫、より)

 + + +

 「庶民の言葉とほとんで共通点のない」、「中国語のような」言葉で語られた「終戦詔書」――。 

 この「玉音」に、「内閣告諭」の補足説明のアナウンスがなければ、民草は最後までチンプンカンプン、何がなんだか分からなかったはずだ。

 テキスト化された「詔書」の文言を(目でしっかり確かめ、行きつ戻りつしながら)読み進んでも、なかなか理解しにくいのだから、雑音交じりのラジオで一回限り聞かされただけでは、完全に理解しおおせた人は、ほとんどいなかったはずだ。

 ……朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れたる者及びその遺族に想いを致せば五内為に裂く且戦傷を負い災禍を蒙り家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する処なり惟うに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず爾臣民の衷情も朕善く之を知る然れども朕は時運の趨くところ堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す……

 + + +

 「漢字」は、当時の権力者の基準によれば、英語同様、まぎれもない「敵性言語」の「敵性文字」だったはずの代物だが(しかし、これだけは使わないわけにいかないので敵性言語としなかっただけのことだが……)、「詔書」ではやたら難しい「漢字」が、これでもか、これでもか、とばかりに多用されていた。

 なぜ、こうした、庶民の言葉にはない「漢語」が乱発されたかというと、それはもちろん、「詔書」の「玉音」を、荘重な響きのある、権威あるものにしたかったからだろう。

 庶民にはわからない、ことさら難しい表現での「権威付け」によるごまかし。

 だから「詔書」に、庶民にもわかる「敗戦」や「降伏」は、含まれていなかったのだ。

 「負けた」とは言いたくなかった。「降伏しました」とも言いたくなかった……。

 「終戦」はその日突然、難解な漢語を弾幕のように張り巡らせる、日本の戦争責任者による「宣伝放送」の中で、意味不明なかたちで告げられたのである。

 + + +

 表現をことさら難しくする、「権威付けのごまかし」テクニックはしかし、過去のものではない。

 「詔書」放送から65年が過ぎた今になっても、臆面もなく使われていることだ。

 たとえば、8月9日のナガサキの日のNHKのニュース「首相 核廃絶の先頭に立ち努力」(⇒ http://www.nhk.or.jp/news/html/20100809/t10013251511000.html )を見ていただこう。

  菅総理大臣は、長崎の平和祈念式典に出席したあと被爆者団体の代表と会い、唯一の被爆国として核兵器の廃絶に向けた運動の先頭に立って努力していく考えを示しました。(中略)
  また、菅総理大臣は、6日の広島での記者会見で、核の抑止力が必要だという認識を示したことについて、被爆者団体の代表が「残念な発言だ」と指摘したのに対し(後略)――

 このNHKのニュースの文章で、注意していただきたいのは、「先頭に立って努力していく考えを示しました」と「核抑止力が必要だという認識を示した」の2ヵ所。

 この「考えを示す」「認識を示す」とは一体、どんな意図の下に書かれた(採られた)言葉なのだろう?…………

 まずは、下々の者に「示す」権威付けの効果。

 そして、ぼかしとすかし。

 菅首相がもし「運動の先頭に立って努力していく」なら、それは示しただけで済むような軽い考えではなく、重大な(政治生命を賭けた)「決意の表明」でなければならなかったはずだ。

 また菅首相は、ヒロシマの記者会見で「核抑止力が必要だという認識を示した」のではなく、「核抑止力は必要」と「言明」していたのだ。

 ごまかしは許されない。

 ついでに言えば、NHKの記事の、被爆者団体の代表が「残念な発言だ」と指摘したのに対し……の部分にも重大な問題が潜んでいる。

 被爆者団体代表は、菅首相の発言の「撤回」を求めたのであって、それは残念なことですね、と感想を述べたわけではない。

 + + +

 「考えを示す」も「認識を示す」も、「詔書」同様、「庶民の言葉」ではない。

 近所のおかみさんが、私、デパートの特売会場へ一番乗りするわよ、との考えを示した、とは絶対言わないし、そのサンマ、目が死んでる、腐りかけているんじゃないの、との認識を示した、とも絶対に言わない。

 権力者の「意=つまり内心」の玉座から「示された」「考え」なり「認識」なりを恭しく持ち上げ、ぼかし・すかし・ごかましを効かせながら、われわれ下々の者に、さも偉そうに伝える「ニュース報道言語」のゴマスリ・イカサマ・テクニック。

 民草に「無条件服従」を強いる、権威主義の大本営報道はもう、いい加減にしてもらいたい。

Posted by 大沼安史 at 02:52 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-08-10

〔コラム 机の上の空〕 ルース大使を包んだ ヒロシマの光

 米国の精神分析家、ロバート・ジェイ・リフトン氏が、「デモクラシーNOW」のインタビューに応え、ヒロシマの慰霊式典に、米政府を代表し、ルース駐日大使が初めて参加したことについて、「最初の一歩に過ぎないが、とてつもなく重要なこと(enormously important)」と高く評価していた。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2010/8/6/us_attending_hiroshima_memorial_enormously_important

 リフトン氏はヒロシマの生存者にインタビューして、 Death in Life: Survivors of Hiroshima を書いた人。知日家で、戦後、核兵器に反対する立場をとり続けて来た人でもある。

 そのリフトン氏が、「ルース大使出席」を「とてつもなく重要」と評価していたので、最初は戸惑いを覚えたが、その理由を聞いて、僕なりに納得した。

 because it signifies our joining in honoring the dead – that’s what that occasion is about, honoring the dead—and finding meaning in their deaths.

 「なぜなら、それは私たちアメリカ人がヒロシマの死者の追悼に参加することを意味することだからだ。死者を追悼し、ヒロシマの被爆者の死の中に、われわれとして意味を見出す。それが今回の大使参列の全てだ」

 ***

 ルース大使から「明確な謝罪」がなかったことはたしかである。しかし、米政府の代表が、そこに着席し、苛烈なヒロシマの光を浴びながら、そこに流れる慰霊の時間を、被爆者らともにした意味は小さなものではない。

 たかが大使の分際で、と言うなかれ。ルース大使は日本における「米政府の代表」である。その米政府代表が、喪服を着て、犠牲者の追悼に参加した意味を、政治的な打算に還元して過小評価すべきではないだろう。

 むしろ、原爆攻撃をした加害国である「アメリカの代表」が喪服を着て、――一おそらくは、一個の人間=アメリカ人としても――ヒロシマの犠牲者を追悼した、という行為には、核攻撃という、二度と繰り返してはならない決定的な過ちを乗り越えてゆく、可能性を見るべきではないか。

 ――これがリフトン氏が短いインタビューの中で言いたかったことではないか……そう思うことができて、納得したのだ。

 ***

 たとえば中国の南京事件の慰霊祭に、日本の大使が出席し、犠牲者の追悼に加わった時のことを想像すれば、リフトン氏の言わんとする意味は、もっとハッキリするかも知れないが……。

 ***

 もちろん僕の中にもシニカルな部分があって、リフトン氏の指摘を耳にするまでは、ルース大使は心の中でせせら笑って、ヒロシマの夏の暑さを呪いながら、ひたすら時間が過ぎるのを待っていたのだろうか?――などと思ったりもしていたものだが、いまは違う。
 
 リフトン氏同様、そうであってはならない、いや、そうであるはずがない、と僕もまた思うのだ。

 そうであるはずがない理由はハッキリしている。

 ヒロシマの8月6日の朝の光には、偽りを決して許さないものがあるから。

 別席の記者会見では「核抑止は必要」と言った菅首相も、だから式典では明確に「核廃絶に先頭に立つ」と言い切っていたのだ。

 ヒロシマとはそういう場所なのだ。

 ***

 そんなヒロシマの慰霊の式典に、ルース大使も列席していた!

 これを enormously important な出来事と言わずして、ほかにどんな言い方があるだろう。

 とてつもなく重要なことが、ことしのヒロシマの日で(ようやく)、起きた!

 ロバート・ジェイ・リフトン氏の指摘に全面的に同意、賛成する。
 

Posted by 大沼安史 at 06:45 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-08-07

〔コラム 机の上の空〕 ヒロシマの少女 命のこだま

 6日の夜、女性史研究家でもある堀場清子さんの詩集を読んだ。

 堀場さんは戦時中、広島の祖父の家に東京から縁故疎開し、広島県立第一高女に転校した。

 8月6日の朝、堀場さんは、閃光に続き、広島上空に湧きかえる五色の雲を見た。呼び出してを受けて、病院へ手伝いに行った。そこで、被爆者たちのむごたらしい姿を見た。

 15歳の少女、堀場清子さんが見て、聞いた、夏のヒロシマ。

 * * *

   すべての人に伝えたい/(中略)/山脈をはるかにこえて 毒茸のように/純白のパラシュートが流れていった/その空がどんなに青かったかを/(中略)/〈一九四五年八月六日〉/人類の汚点の日(中略)

   青かった空のただなかに/むかし語りの来迎図のような/紅と紫が渦巻きのぼり/呪いのばらの巨大な一輪がみごとにひらいた(中略)

   二日目 蒼黄色の膿がながれた/三日目 生きながらウジがこぼれおちた(中略)

   ひと夏を死体の煙でやしなわれた/その空がどんなに青かったか……(後略)
    ――「その空が……」より

 * * * 
     
 15歳の少女は、被爆した少女を見た。彼女たちの声を聞いた。

   ―― 窓格子に額をうちつけて/少女が嗚咽にほそい方をふるわせたとき/〝悲しみ〟が 水のようにほとばしってあたりを/ひえびえと浸したとき

   私はみた/薬局の棚にぎっしきならんだ薬壜が/死魚のように眼をみひらいていたのを/なにものかの意志のような その冷たいかがやき/を
    ――「少女」より

   ――救護所の片隅に 全裸の少女がいた/いく昼夜をうちすてられ/わずかなすき間に かごそい足を重ねて/少女よ/ふいに投込まれた薄明の宇宙をただよって(後略)
    ――「焔」より

  「重傷者がひしめく病院の待合室」で、少女の襲い手がのびて、堀場さんのモンペの裾をつかんだ。

   〈……おこして〉/視力のたえる眼をみはって うごかないわたしを/みあげ/哀しいいまわの力をこめる(中略)

   〈おこして…………おこして〉/かぼそい声が皮膚ににじむ/空あおみ 草のにおいのむれてくる季節ごとに
    ――「影」より

 * * * 

 「ヒロシマ」では無数の少女たちが死んだのだ。原爆が炸裂した8月6日の朝に始まった地獄。
 「ヒロシマ」は「8月6日」だけではない。「8月6日以降」が「ヒロシマ」なのだ。

 被爆による負傷で、後遺症で、無数の少女が殺されたのだ。

 だから、2歳で被爆した、あの「原爆の子」、佐々木禎子さんが、千羽鶴を折って折って折り続けながら、12歳で死なねばならなかったのだ。

 アメリカの言いなりになって、原爆被害の恐るべきの実相を隠蔽しようとし、後遺症で苦しむ人々を棄民して来た、われらが日本の政治権力!

 「ヒロシマ」はだから、「1945年」に限らない、「8月6日」に限らない、私たち日本の「今」に続く、「今現在」の悲劇である。

 * * * 

 堀部清子さんは、米メリーランド大学「プランゲ文庫」の所蔵文書にあたり、占領軍による検閲を通じた世論統制の実態を暴きだした研究者でもある。

 毎日新聞のインタビューでこう語っている。

 ――原子爆弾が米軍によって落とされたとき、日本の支配者は原爆被害の詳細を知っていたし、陸軍省をはじめ各大学の医学部を中心に調査団が続々と広島入りしています。その報告は当然受けたでしょう。被爆の実態がいかにむごたらしいか、ほぼ正確につかんでいたと思います。しかし広島と長崎に原爆が落とされた時点で、支配者の最大の関心事は、いかにして国体を保持して降伏するか、天皇を戦争犯罪から免れさせるかであって、被爆者の救済は末の末だったと思います。

 ――原爆症で亡くなる人が後を絶たないのに、プレスコード(新聞統制基準)によって被害の実相が隠蔽されたのですから、被爆者はアメリカと日本の権力によって二度殺されたと私は思っています。結果として被爆者援護が遅れたのは言うまでもありません。もっともこうしたことは被爆者に限りません。先日もシベリア抑留者への援護が遅れていると報じられていました。水俣病も同様です。支配者の体質は、少しも変わっていないと思います。
 
 堀場清子さん 毎日新聞インタビュー ⇒ http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/talk/news/20100726ddf012070009000c.html

 * * * 

 まったくもって、堀場さんの言うとおりである。

 アメリカと日本に2度、殺された被爆者たち!

 もしかりに私たちが、今に続く「ヒロシマ」を忘れてしまったら、被爆者たちは――あの「ヒロシマの少女」たちは、3度、殺されてしまうことになる。

 * * * 

  八月はきこえる月だ/朽ち果てた生命のこだまらが/ひときわ高くよせてくる月だ(中略)

  無限に裂けた爪痕を/祈りのようにみつめる月だ
    ――「八 月」より

 堀場清子さんの詩集を読みながら、 ヒロシマの少女たちの命のこだまが、ひときわ高く、聞こえて来る気がした。

 忘れまい、と思った。     

 〈注〉
  文中の「佐々木禎子さん」については Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E7%A6%8E%E5%AD%90

Posted by 大沼安史 at 08:41 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-08-06

〔コラム 机の上の空〕 原爆・ガジェット・夏の花……ヒロシマ65年

 ヒロシマを、その「一発」が壊滅し尽くしたその日、原爆を開発した米西部ニューメキシコ州のロスアラモスの研究所に、「原爆攻撃成功」の知らせは入らなかった。

 ロスアラモスの上級研究者が1人、オッペンハイマー所長の命で、攻撃当日の6日、ワシントン入りしていたが、翌日、1945年8月7日午前11時にトルーマン大統領がラジオを通じで発表するまでは、ロスアラモスにも知らせてはならない、との緘口令を受け、「攻撃大成功」を連絡することはできなかった。

 「原爆」はすでに、開発した科学者グループの手からもぎとられ、やがてアイゼンハワーが大統領退任演説で「軍産複合体」と命名することになる、ワシントンの権力者の「持ち物」と化していたのだ。

 @@@@

 沙漠の秘密研究所、ロスアラモスの科学者たちは、「原爆」を「ガジェット」と呼んでいた。

 ワシントンの軍の権力は、ヒロシマに使用された実戦用原爆第一号に「リトル・ボーイ」という、卑猥な響きさえする、怪しげな名前をつけていた。

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 最近、日本で、「カタカナ英語」として使われ始めた、この「ガジェット(gadget)」とは、ちょっとした気の利いた仕掛け、アイデア製品を指す言葉だ。

 なるほど、「原爆」もまた、ちょっとした仕掛けに変わりない……。

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 ヒロシマの9ヵ月前、1944年の暮れ、ロスアラモスで、原爆を開発する科学者たちが討論会を開いた。そのテーマが、「文明に対するガジェットの衝撃(The Impact od the Gadget on Civilization)」。

 討論会を呼びかけたのは、オッペンハイマーのバークリーの教え子で、サイクロン研究部門の責任者をしていた、ロバート・R・ウィルソンだった。

 クエーカー教徒のウィルソンは、欧州戦線でトイツの敗北が明らかになった現在、「ヒトラーの核」に負けじと着手したロスアラモスでの原爆開発は、最早無用のものではないか、と考えていた。

 ロスアラモスのサイクロン棟で開かれた討論会には、オッペンハイマーも顔を出し、20人ほどの出席者を驚かせたという。

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 文明を破壊しかねない恐るべきガジェット、原爆……「原爆開発の倫理性」を問う、ロスアラモスの科学者たちの集会は、これだけではなかった。ロスアラモスの「劇場」や「礼拝堂」などで何度か持たれていた。

 そんな懸念する科学者たちの集まりで、所長のオッペンハイマーはその「ソフトな低い声」で「雄弁」に語り、科学者たちを説得しようとした。
 「原爆は、全ての戦争を終わらせるものになる」――そこにわれわれが開発する意味がある、それがオッペンハイマーのロジックだった。

 しかしウィルソンら一部科学者たちの恐れと慄きは、消えなかった。

 この科学者の不安、批判はやがて、原爆対日公開実験(でもって日本に降伏させる)を求める「シラードの嘆願書」への署名運動になってゆくものだが、ロスアラモスで原爆の開発段階から、その倫理性を問う声が科学者たちの間で起きていたことは、忘れてはならない歴史的な事実である。

 @@@@

 ロスアラモスで「トリニティー」原爆実験が行われたのは、ヒロシマの3週間前、1945年7月16日のことだ。

 実験成功で所内がパーティー気分に包まれていた時、座ったまま独り塞ぎこんでいる男がいた。
 ロバート・R・ウィルソンだった。

 同僚のリチャード・ファインマンが「どうして?」と聞いた。「とんでもないものをつくってしまったからだ」と答えた。

 しかしそれは、実はオッペンハイマーの本心でもあった。
 「トリニティー」実験から間もないある朝、オッペンハイマーは路上で顔を合わせたウィルソンに、パイプをふかしながら、こう2度、呟いたそうだ。

 Those poor little people, those poor litte people.

   カワイソウナヒトタチ、カワイソウナヒトタチ

 自分がロスアラモスの所長して産み出したとんでもないガジェットで大量に殺戮される日本人を思っての呟きだった。

 @@@@

 「ヒロシマ」の知らせを聞いて、ロバート・R・ウィルソンは衝撃を受けた。

 「何の話し合いもなく、日本人に対する実験デモンストレーションもなく、原爆を日本で爆発させた時、私は裏切られた気がしました」

 そして3日後の「ナガサキ」の知らせを聞いて、ウィルソンは吐き気を覚えた。

 「ヒロシマ」と「ナガサキ」――ロスアラモスは、「明らかに、重苦しい雰囲気に包まれた」という。

 オッペンハイマーが「原爆はとんでもない兵器だ。これで戦争はできなくなったと言った」との噂がロスアラモスに流れた。内部通牒者はFBIに、オッペンハイマーが「切れた(a nervous wreck)」と報告した……。

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 ヒロシマ65周年にあたって、私が今朝方から、このコラムを書き出したのはほかでもない。

 それは、ロスラモスの開発現場での、ロバート・R・ウィルソンを中心する科学者の苦悩、苦闘があったことを(このブログにおいても)確認したかったからだが、より直接的には、ロスアラモスの科学者たちが「原爆」を「ガジェット」と呼んでいたことを、遅ればせながらつい最近、知ったからだ。
 この「原爆=ガジェット」には、単なる「隠語」以上の、深い意味が込められている……そんな気がしたからだ。

 ヒロシマを殲滅した「原爆」も――その後に開発された「水爆」も、所詮、人間がつくったガジェットに過ぎない……。それも、大量破壊と大量殺戮のためのガジェット……

 だから、そんな悪魔のオモチャのようなもの、捨ててしまえ、止めてしまえ、という思いが、少なくともロバート・R・ウィルソンら、ロスアラモスの一部科学者の間にはあったのではないか、と思い至ったからだ。

 @@@@

 ロバート・R・ウィルソンは戦後、初代のフェルミ研究所の所長になるなど実験物理学の道を一貫して歩き、2000年に85歳で亡くなった科学者だが、氏が同時にまた、彫刻家としても建築家としても名を成したことは、原爆開発に携わった自分の経歴に対する反省と無関係なものとは思えない。

 彫刻と建築!

 破壊でもなく殺戮でもない、彫刻と建築!
  
 つまり、創造。
  
 いま私には僅かな資料を手がかりに、ウィルソンの心中を推し量るしかできないのだが、たとえば、彫刻づくりの中で浮かんだその心象に、氏がつくった、忌まわしきガジェット=原爆で攻撃された側――すなわちヒロシマの人々の、対極における心象につながるものが全くなかったとは、言い切れないだろう。

 @@@@

 「夏の花」の原民喜は、言葉を彫琢して、こう遺した。

    遠き日の石に刻み
       砂に影おち
    崩れ墜つ 天地のまなか   
       一輪の花の 幻

 @@@@

 原爆は一輪の花を殺すことはできても、一輪の花を育てることはできない。
 原爆も所詮、ガジェット。

 原爆は悪魔のオモチャのようなものだから、後継世代である私たちは、それを捨て去ればいいのだ。

 ロバート・R・ウィルソン氏の死去を伝える、ロサンゼルス・タイムズの訃報に、こんなエピソードが載っていた。

 戦後、数年経った頃のこと、11歳になる息子さんが、ウィルソン氏に向かって、学校から帰るなり、こう怒りをぶつけたそうだ。

  "How could you do it, Pop? How could you?"

  父さん、なんてことしてしまったの? あんなひどいこと、どうしてできたの?

 @@@@

 原爆は、一輪の夏の花に如かず。

 核のガジェットの山を築き、その権力の頂に立って、傲慢にふるまい続けてきたアメリカ軍事帝国の権力者らを許すわけにはいかないが、そのアメリカの「核のガジェットの傘」の中に駆け込み、足元に咲く、ヒロシマの夏の花を踏みにじり続けて来た戦後の日本の権力者らも許すわけにはいかない。

〔注〕
 ロバート・R・ウィルソンに関するエピソードは、American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer (Vintage) Kai Bird , Martin J. Sherwin 共著から引用しました。(邦訳あり)

 また、以下のネットで利用できる文献も参照しました。
 ⇒ http://articles.latimes.com/2000/jan/21/news/mn-56340

  Wiki英語 http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_R._Wilson
    日本語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3

 なお、リチャード・ファインマンについては Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3 を参照。

Posted by 大沼安史 at 10:24 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2010-08-03

〔コラム 机の上の空〕 平和のポリフォニー

 「市民の意見」の最新号に、吉川勇一さんの講演録が載っていた。題して「鶴見俊輔さんの『小田実の組織論』について」。

 吉川さんは、鶴見さんの「小田さんの組織論の根底には『ポリフォニー』という考え方がある」の指摘に触れ、その運動・組織論的な意味を、こう語っていた。

 「『ポリフォニー』とは本来、多声音楽という意味ですが、最初から絶対的な方針があるのではなく、議論や運動の中で異なった価値観や考え方が次々に現れ、それが2重3重に絡まりあいながら、一つの運動を形作っていくという、言わば多元主義とでもいうべき考え方です」

 「モノフォニー」の「斉唱」ではなくて、一人ひとりの声が交響する「ポリフォニー」。

 吉川さんの講演録を読み、僕は「なるほど」と納得した。40数年前、一度だけ参加した、(仙台の一番町をフランスデモで、手をつなぎながら歩いた)「べ平連」のデモの「居心地の良さ」を思い出しながら。

 ポリフォニーとしての運動体、「べ平連」!
 「一人でも始める、一人でも止める」べ平連は、「一人でも歌う」ことができた「ベ平連」だった!

 歌う人が多ければ多いほど、その分「多声」になり、深く響きあうポリフォニーになる。
 しかし、原点にあるのは、あくまでも個人。「べ平連」は、「始めに、歌うその人あり」「そこに、歌うその人あり」の組織だった。

 ♪♪♪♪

 そこに、歌うその人あり……視覚芸術(ヴィジュアル・アーツ)を専攻するニューヨーク、クーパー・ユニオン大学の学生、エミリー・エノコウィッツさん(21歳)も、ポリフォニカルな歌を歌う人だ。

 彼女のブログ、「渇望する画素(Thirsty Pixels)」(⇒ ⇒ http://thirstypixels.blogspot.com/ )をのぞいたら、7月22日のエントリーに、ビデオが貼り付けられていた。

 クリックすると、彼女の歌が流れ出した。I Miss You Palestine(わたしの大事なパレスチナ)。

 彼女が、友人に聞かせようと自分でつくり、自分で歌った歌だ。どうせなら、ブログを見てくれる、世界中の人に聞いてもらおう、とアップしたという。

 彼女のメガネの左のレンズに、絵模様が描きこまれていた。

 エミリーさんはことし3月31日、ヨルダン川西岸のラマラの南で活動中、イスラエル兵が発射した催涙ガス弾を顔面に受け、左目を失明したのだ。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2010/6/3/emily

 ワシントンのポトマックにある自宅に戻ると、再びエネルギーが湧き上がり、生きる喜びの中で、I Miss You Palestine の歌が浮かんだそうだ。

 ♪♪♪♪

 ニューヨーク・タイムズに、エミリーさんの近況を伝える記事が出ていた。それを読んで、僕は別の意味でも驚かされた。⇒ http://www.nytimes.com/2010/07/28/world/middleeast/28israel.html?_r=2&scp=1&sq=Emily%20Henochowicz&st=cse

 エミリーさんは、実はユダヤ人。お父さんはイスラエルの生まれ、ホロコーストを生き抜いた両親から生まれた人だった。

 その彼女が、西岸でパレスチナ人の側に立ち、イスラエルに対する抗議行動に参加していたとは……!

 彼女が「被弾」したその日は、ガザ救援船をイスラエル軍特殊部隊が急襲した、あの日だった。

 ♪♪♪♪

 さて彼女の歌に戻ると、僕は彼女の歌をビデオで聞いて、その歌い方に素直に感動したのだが、それは多分、そこに何か、実にナチュラルなものを感じとることができたからだと思う。

 今の日本の若者言葉で言えば、「フツーにすごいじゃん!」。

 彼女の歌には、彼女のシンプルな怒り、素直な共感、率直な自己表現だけがあったような気がする。その彼女のシンプルさが逆に、僕の心に新鮮な感動を広げたようなのだ。

 衒わず、気取らず、まるでややスローなジャズを口ずさむように「わたしの大事なパレスチナ」を歌っきったエミリーさん!

 澄んだ泉のような彼女の歌声は、それを聞いたパレスチナの人々の心に響き、あるいはイスラエルのユダヤ人たちの胸の中でも鳴って、ついには平和のポリフォニーになりうるものだ――といったら、大げさ過ぎるだろうか?

 いや、こういう言い方はよくない。
 率直に言おう。彼女の歌声はフツーに平和のポリフォニーを生み出すものである、と。

 ♪♪♪♪

 先の講演録で吉川勇一さんは、「ポリフォニーの理念」として「多元性を大事にする」ことを挙げていたが、蛇足で僕なりの解釈を付け加えれば、平和運動のポリフォニーには(音楽的な用語で言うと)「個人の即興性」がなければならない、と言ってよいような気がする。

 自分の中から自然に湧き上がる……その時はそれしかありえない、なにものかがなければ、個人の歌も、平和のポリフォニーも生まれないような気がするのだ。

 ♪♪♪♪

 昨年8月、西岸の町、ビリンを訪れた南アフリカのデズモンド・ツツ氏は、非暴力のレジスタンスを続けるビリンのパレスチナ人たちを、こう言って励ましたそうだ。⇒ http://www.nytimes.com/2009/08/28/world/middleeast/28bilin.html?_r=1

 「ガンディーも、ルーサー・キング師も、みんな、a simple man だった」と。

 みんな偉人でもなんでもなく、シンプルな人間なのだ。シンプルな人間でありさえすればいい。

 シンプルな人間はシンプルに生き、自分をシンプルに歌うことができるから。自然体で、平和の歌をシンプルに歌うことができるから。

 「シンプルさ」もまた、多元性(と即興性)と並んで「ポリフォニー」を生み出すものだろう。

 かつて「ベ平連」には――小田実さんには、たしかに、それがあった。
 そして今、「わたしの大事なパレスチナ」を歌う、エミリーさんという、若いユダヤ人女性のシンプルな思い!

 「平和のポリフォニー」は時と場所を超え、いつもどこでも、シンプルに歌い継がれていかなければならない。  

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2010-07-15

〔コラム 机の上の空〕 核よ、驕るなかれ! 「トリニティー」 65周年

 カトリック・イエズス会のジョン・ディア神父は、非暴力・直接行動でアメリカの反核・平和運動の最先頭に立ち続ける、現役の活動家である。

 ベリガン兄弟らとともに、(剣を鋤(すき)に変える意味の反戦運動)「プロウシェア」にも参加し、これまで少なくとも75回、逮捕された人だ。
 ⇒ http://www.fatherjohndear.org/

 そのディア神父の自伝、『挫けざる平和(A Persistent Peace)』に、こんな法廷での場面がある。

 ディア神父が、米空軍の基地に侵入、駐機中の核装備可能な戦闘機に対して、シンボリックな“破壊活動”を行い、逮捕された時のことだ。

 保守派の判事に「いったい、誰があなたを基地まで送り届けたのか? 一体、何者が導いたのか、白状しなさい!」と迫られたディア神父、嘘はつけない、これはもう正直なところを言うしかないなと思い定め、傍聴席を振り向いて、心配そうな顔をしている支援者たちを見渡したあと、判事に向かってこう言ったそうだ。

 「私を現場へ導いたのは、聖霊です!」

 △ △ △

 こんな「エピソード」を思い出したのはほかでもない。(今月=7月の)この16日の日が、「父」と「子」と「聖霊」が一体のものであるとするキリスト教の教義から採られた「トリニティーの日」であるからだ。

 「トリニティー」――「三位一体」。ヒロシマ・ナガサキに向け、1945年7月16日、ニューメキシコ州の荒野で行われた、世界最初の核実験。「原爆」を誕生させた実験の名称。

 現地時間、午前5時29分45秒。
 現場は一瞬、真昼よりもまばゆく輝き、恐るべき核のエネルギーが放出された。
 その「巨大な死の火の玉」のどこに、「聖霊」は宿っていたというのか。

 「父の子」=人をして、「核=絶対兵器」へ導いた「聖霊」とは、ほんとうにキリスト教の「聖霊」なのか?

 △ △ △

 この原爆実験に「トリニティー」と名付けたのは、ロスアラモスの所長として「マンハッタン計画」を統括した、アメリカの理論物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーである。

 オッペンハイマーは理論物理学者である一方、青年期の精神的な危機を、プルーストの『失われた時を求めて』を読んで脱け出たり、ボードレールの詩を口ずさむ文学の人。
 「トリニティー」の実験名も、あの「死よ、驕るなかれ」で有名な、イギリスの詩人、ジョン・ダンの「聖なるソネット」の一節を思い浮かべて、とくに理由(わけ)もなく名付けたそうだ。

 その一節とは、「14」の冒頭部分に出てくるものだ。岩波文庫「ジョン・ダン詩集」の湯浅信之氏訳によれば、以下の通り(229頁参照)。

  「私の心を叩き割って下さい、三位一体の神よ。これまで、軽く打ち、息をかけ、照らして、私を直そうとされたが、今度は、起き上がり立っていられるように、私を倒して、力一杯、壊し、吹き飛ばし、焼いて、造りかえてください」

  Batter my heart, three-person'd God; for you
  As yet but knock; breathe, shine, and seek to mend;
  That I may rise, and stand, o'erthrow me, and bend
  Your force, to break, blow, burn, and make me new.

 オッペンハイマーはつまり、「核」を怒れる「父」として、「子」である「人」の「起き上がり=復活」のために、どうぞ「人」である私に対して破壊の限りを尽くしてください、という倒錯的な願いを抱き、それを自覚しながら、核エネルギーの「聖霊」に導かれるように、原爆開発に携わっていたのである。

 △ △ △

 少年時代、同年代の男子たちに、その柔弱さを嫌われ、裸のからだに緑のペンキを塗られる辱めを受けたこともある、文弱(?)の人、オッペンハイマー(愛称、オッピー)は、ロスアラモスで、そして「トリニティー」の現場で、内心、苦しんでいたのだ。

 だから彼は、爆発の瞬間、心の中で、あの古代インドの聖典、「バガヴァッド・ギーター」の一節、「私はいま、死、世界の破壊者」を想起していたのだ。

 オッペンハイマーはヒロシマ、ナガサキ、日本降伏のあと、1945年10月16日(「トリニティー」から、ちょうど3ヵ月後)、ロスアラモスの所長を正式に辞任するが、「ニューメキシコのギラつく太陽の下」、退任のスピーチで、「低く、静かに」、こう言ったそうだ。

 「もし、原爆が戦争を続ける世界の武器庫に、あるいは戦争を準備する国々の武器庫に新兵器として加えられたなら、ロスアラモスとヒロシマの名を人類が呪う日が来るでしょう」(カイ・バード、マーティン・シャーウィン共著 『アメリカのプロメテウス(American Prometheus)』、原著329頁。邦訳あり)
  
 「原爆」をつくり、「心を叩き割られた」オッピーにはすでに、「水爆」に反対する心の準備ができていたのである。
 
 そう、それは、ジョン・ディア神父を導いたのと同じ「聖霊」のなせる業ではなかったか……?!

 △ △ △

 「原爆」開発に携わり、「トリニティー」の翌日付(7月17日付)で、「日本への原爆攻撃を踏みとどまり、原爆をデモンストレーション実験して、その恐ろしさを知らしめ、日本を降伏させるように」とのトルーマンあて「嘆願書」 ( ⇒ http://www.dannen.com/decision/45-07-17.html )を起草し、必死になって原爆の使用回避に動いたのは、レオ・シラードである。

 マンハッタン計画の参加した科学者のうち155人の署名を集めた、この「シラードの嘆願書」は、米軍部の妨害もあって、ついに日の目を見なかったが、「トリニティー」の時点ですでに、原爆の対人使用に対する、開発を担った科学者の間から反対運動が起きていたことは、忘れてはならない事実だ。

 △ △ △

 「トリニティー」65周年を前にした今月8日、北京で、ジョアン・ヒントンさんという、「マンハッタン計画」に参加した、アメリカの女性物理学者が亡くなった。88歳。
 ⇒ http://www.nytimes.com/2010/06/12/science/12hinton.html?_r=1&scp=3&sq=Los%20Alamos&st=cse
  Wiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Joan_Hinton

 ジョアンさん(中国名「寒春」)は「ヒロシマ・ナガサキ」を契機に、平和運動を始め、全米主要都市の市長に、「トリニティー」の爆発の超高温でガラス化した沙漠の土を送り、核戦争になれば、あなたの街もこうなるのですよ、と訴えた人だ。

 そして1948年に中国に移住、現地で農業指導に来ていた米国人の男性と結婚、そのまま北京郊外の牧場で乳牛を飼う生活を続けて来た人だ。

 ジョアンさんは、ロスアラモスでエンリコ・フェルミのチームに所属、「トリニティー」の朝は、現場から40キロの地点の丘のくぼみから、爆発の様子を目撃した。

 その時のことを、ジョアンさんは、こう語っている。

 「私たちは最初、顔に熱を感じました。そして次に、光の海のようなものを見たのです。それは次第に、怖ろしい紫の輝きの中に吸い込まれ、それが立ち上がってキノコ雲になって行きました。朝日をさらに輝かせたように美しく見えました」 

 核物理学の研究を辞め、中国に渡ったのは、「民衆をどうやって殺すか考えることで一生を終わりたくない」から、だったそうだ。

 △ △ △

 「反核の神父」、ジョン・ディア神父は、ワシントンのイエズス会の大学、ジョージタウン大学で学んでいた頃、当時、学内にあった軍事シンクタンク、「CSIS(戦略国際問題研究所)」について疑問を持ち、学長に直接会って、どうして大量無差別人殺し(ジェノサイド)の核戦略を研究するCSISを、このカトリックの大学に受け容れているか、学生の分際ながら(?)、同じキリスト教徒として、率直に尋ねたそうだ。

 若き神学生、ディア氏(まだ叙階される前の「卵」の段階)の、シンプルかつストレートな質問に、学長は答えられず、怒って部屋を出て行ったという。

 キリストの教えを突き詰めて行けば――人間の傲慢を正当化する「免罪符」に使わなければ、その「三位一体」の教義は、「核」を「神」の座に置かない限り、「核」を否定するものになるはずである。

 CSISはその後、ジョージタウン大学から「分離」することになるが、それは当然の帰結であろう。

 △ △ △

 しかし、CSISは「核」を「神」の座に置き、「核・軍・エネルギー」の「三位一体・核の神学」をたてまつって、その奉じるアメリカの「絶対権力」は肥大の一途をたどって来た。

 そのCSISへ、日本政府の関係者(内調、公安調査庁職員)が研究員として派遣され、あの小泉首相の愛息まで籍を置いて「研究」に従事していた、「唯一の被爆国・ニッポン」の、厚顔無恥な、この悲しむべき現実!

 △ △ △

 私たちが今、なすべきは、アメリカの「核の権力」に拝跪(はいき)することではない。

 私たちは今、65年後の「トリニティーの日」にあたり、オッペンハイマーら原爆開発にあたった科学者の苦悩に思いを馳せ、あのジョン・ダンの「聖なるソネット」のように、「核の神学」に対し「ノー」と言わなければならない。

  (核よ)死よ、驕るなかれ!
  ……
  (核よ)死よ、ノーモア。(核よ)死よ、死ぬべきはお前だ!

    〔注・ジョン・ダン、「聖なるソネット」の「10」より。大沼訳。(核よ)は、大沼による付け足しです〕

 もう一度、言おう。

  核よ、死よ、驕るなかれ!――と。

 △ △ △

 死よ、驕るなかれ! 
  Death be not proud!

 これこそ、たぶん――いや、きっと、「トリニティー」前のオッピーに、ジョン・ダンの「聖なるソネット」を思い出させた、決定的な言葉である。

  

Posted by 大沼安史 at 10:35 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-07-12

〔コラム 机の上の空〕 厳しく鞭打たれた 「菅」と「官」 

 参院選で、就任、わずか1ヵ月の菅直人が、「致命傷の可能性のある政治的な打撃(a potentially fatal political blow)」を受けた、と英紙インディペンデントが報じた。⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japans-ruling-party-takes-severe-drubbing-in-upper-house-election-2024392.html

 「致命傷のおそれ」とは、わかりやすい表現である。「求心力の低下は否めない」(読売)、「難しい政権運営を迫られる」(毎日)といった、日本の主流マスコミの持って回った言い方とは、大違いだ。

 インディペンデント紙のデイビッド・マクニール特派員は、菅首相が消費増税を参院選直前に掲げたことを指摘したあと、端的にこう語る。

 「菅氏は本質的に、9月の民主党党首選までの暫定リーダーなので、人気底割れのどんな兆候が出ても、痛手になりうる」

 ちなみに、マクニール氏の記事の見出しは、Japan's ruling party takes severe drubbing in upper house election ―― 「日本の政権党、上院選挙で厳しく鞭打たれる」だった。

 ♭♭♭♭

 厳しく鞭打たれる……なるほど、これまた分かりやすいし、真実の姿を衝いている。
 そういえば、そのむかし、日本の政界に「ぶって、ぶって!姫」とかいう女性が登場したことがあったなあ~。

 「菅直人」に、国民は(そして、私だって)かつては、あれほど期待したのに……。
 「ぶって、ぶって!菅」かあ……(笑&涙)

 ♭♭♭♭

 菅直人氏よ、よく聞きたまえ。首相を続投し、よごれた晩節をクリーニングしたいなら、その道は少なくとも、ひとつ……いや、ふたつある。

 それは、「消費増税」を撤回し、この国の官僚支配を軸とする「政・財・官複合体」を、「ぶって、ぶって」、たたいて、たたきまくることだ。

 真っ先に、「特別会計の闇」に迫るんだ。

 財務大臣になって、ブラックホール的な「闇の深さ」を垣間見てビビり、「消費税増税」という、すでに徴税システムが整った、安易な道に走ろうとしたのだろうが、国民生活はもはや一滴の鼻血も出ないところまで追い込まれている。

 それを今、「惨敗」という結果で知ったからには、最早、「闇」と直面するしかない。

 たとえば、財務省の造幣局が刷りまくった新札の、「官営銀行」などを通じた行方を追及し、官僚マネー・公的資金化=「闇のマネーロンダリング化」の「霞ヶ関流裏技」の仕掛けを解明せよ!

 ♭♭♭♭

 もうひとつ、税収増に、庶民の負担にならない新手法を導入することだ。
 そう、鳩山政権が内々、検討を始めた、あの「通貨取引税」といった、金融ドラゴンや富裕層に的を絞った新税を立ち上げるのだ!

 そして、たとえば、輸入石油・石炭・天然ガスに課税する「炭素税」を創設し、税収をすべて国民の直接還元して、国民生活を支えよ!

 ♭♭♭♭

 菅直人よ、同じカンでも「官」にだまされてはならない。真実を直視し、真相を知らねばならない。

 「菅さん、あなたの豪腕なら、消費税、10%くらい、かんたんに上げることができるでしょ。わたしどもも、応援させていただきますよ」などと言って(?)あなたを持ち上げ、ついにはあなたに「致命傷」を負わせた「官」こそ、実はそれ以上の出血に苦しみ、何の将来展望もなく、断末魔にのたうつゾンビであることを。

 戦後を生き延び、肥大し続けた来たそのゾンビ「官」権力こそ、アメリカの威をかりて、あなたの「政治生命」ばかりか、国民生活の生命線をしゃぶり尽くし、ズタズタにして来た、「戦後国体」の悪代官であることを。

 ♭♭♭♭

 菅直人氏よ、今回の参院選で、国民はあなたを厳しく鞭打った――。その事実を、あなたは「一定の理解が得られた」などと言ってごまかしてはならない。
 と同時に菅直人氏よ、今回の参院選で国民は、「官」を軸とする戦後支配体制に厳しく激しい怒りの鞭をふるったことを、あなたは見落としてはならない。

 国民は「菅」を使って消費増税で生き延びようとした「官」に対しても、三行半を突きつけたのである。 

Posted by 大沼安史 at 09:33 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-07-08

〔コラム 机の上の空〕 沖縄の子の願い事

 那覇市の目抜き通り、一番街商店街の「七夕まつり」で、子どもたちが願い事を書いた短冊を竹の枝につるした。

 「ヒーローになりたい」と書いた子もいたと、地元紙の沖縄タイムスに出ていた。
 ⇒ http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-07-07_7838/

 つい先だって、「願い事」ではなく「国民への約束」として、「最低でも県外」という言葉を吐いた日本の首相がいた。
 
 沖縄の子どもたちにとって、その政治家は「ヒーロー」に見えたかも知れない。

 その鳩山首相が約束を反故にしてしまった。

 沖縄の子が、最早、ボクが「ヒーロー」になるしかないと思うのも当然のことだ。

 #######

 「最低でも県外」という言葉がいまだに脳裏から消えない――。
 こんな書き出しの社説が、七夕の日の同紙に載った。

 社説の見出しは〈[公約点検 参院選]いったい争点はなにか〉。
 社説の筆は、当然ながら、民主党に対して手厳しかった。
 ⇒ http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-07-07_7842/
 
 ・ ……沖縄に集中する在日米軍をなぜ県外・国外へ分散できないのか、民主党連立政権はまったく説明していない。

 ・鳩山前内閣の迷走で浮かび上がったのは、安全保障で米国の庇護(ひご)を受け続けるために沖縄の民意を踏みつぶすという冷徹な国家主義だった。その正体を見せつけられた沖縄では、「怒」「差別」といったささくれ立った感情がむき出しになった。

 #######

 鳩山前首相が投げ出した椅子に座った菅直人・新首相について、沖縄県知事をつとめた大田昌秀氏が、雑誌「世界」8月号の対談のなかで、こう指摘していた。

 ・ 菅直人氏は、2002年8月に発表した論文、「救国的自立外交私案」の中で「……民主党中心の政権では、海兵隊の沖縄からの撤退を真剣に検討するよう米国にはっきる求めてゆく」と主張していたはず。

 ・また、菅氏は2003年11月の那覇市での記者会見で、「米海兵隊の基地と人員が沖縄にいなくても極東の安全は確保できる」と言い切っていた。

 「君子豹変」ならぬ「菅子豹変」。「変節カン」を首相に持つ、この国の悲しさ、みじめさよ。

 沖縄の子が、「ヒーローになりたい」と思い定めるのも当然のことだ。

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 8日付けの英紙インディペンデントに、沖縄ルポが載っていた。題して〈島の民は「第2の沖縄戦」の準備に入った〉。⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/asia/islanders-prepare-for-second-battle-of-okinawa-2021163.html

 痛烈な書き出しの記事だった。

 「サンゴ礁からの波、穢れなき白浜に波打つエメラルド・グリーンの海……これほど美しい日本の首相の墓地(複数形)は他にはない」と。

 「墓地」が単数ではなく複数形で書かれているのは、鳩山に続き、菅直人もその後を追って入りそうな、民主党御用達の「墓地」であるからだ。

 ルポ記事には、辺野古に「10万人、あるいはそれ以上が阻止に集まるだろう」と予測する現地関係者の声が紹介されていたが、これは誇張ではない。

 辺野古をめぐる「第2の沖縄戦」――それは着工の準備段階を含め10数年は続くことになるはずだ。

 沖縄の民は――辺野古の住民は、もうとっくに前哨戦に入っていて、ルポ記事によれば、現地の監視小屋は監視開始後、8日で「2253日」を迎えたそうだ。

 #######

 七夕の短冊に「ヒーローになりたい」と書いた子が、辺野古をめぐる「第2の沖縄戦」に加わることも大いにありうることだが、そうした事態になることがハッキリしている以上、菅直人首相はたとえば米側に、こう通告すべきである。

 「海兵隊が沖縄にとどまりたいなら、沖縄の他の米軍基地に移りなさい」

 「国内」でも「県外」でもなく、同じ米軍内で、たとえば空軍の嘉手納基地内へ「軍内移設」せよ、と通告すればいい。
 
 #######

 沖縄の民が望んでいるのは、前言を翻して憚らない「変節カン」でも「卑劣カン」でもなく、言葉に責任を持つ、この国――日本の首相である。

 「破廉恥カン」は、「ヒーロー」にはなれない。

Posted by 大沼安史 at 07:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2010-06-02

〔コラム 机の上の空〕 鳩山首相を「退陣」に追い込んだ、お利口なお馬鹿さんたちよ!

 何を隠そう、ぼくは馬鹿である。牛(丑)年生まれのくせに馬鹿である。死ななきゃ治らない「馬・鹿」である。

 お利口さんでなくてよかったと思っている馬鹿である。でも、お利口さんになれたらよかったのに、とも思っている馬鹿である。未練がましく……。

 純血種の馬鹿だから、同類を見分けられる。あ、この人も同じ馬鹿なんだとすぐ分かる。お利口さんも、すぐ分かる。

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 今朝(2日)、朝日新聞を読んで、ああ、お利口さんはやはり違うな、と思った。「本社主筆」船橋洋一氏のコラム「日本@世界」、《「信なくば立たず」の教訓》を読んで、このお利口さんは、ぼくとは別の意味で、つくづく「馬鹿だな」と思った。

 鳩山首相がどこでどうつまずいたか「独自取材」の成果をあげつらい、「今回の危機が、民主党だけでなく国民にとっても安全保障政策の大切さと怖さについての教育的効果をもたらすことになれば、長期的にはマイナスではない」との賜(のたまわ)っている。

 「国民」の一人として、一人の馬鹿なりにぼくは言いたい。船橋氏よ、自分のお利口さの馬鹿さ加減を知りたまえ、と。

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 船橋氏はコラムの冒頭、何処から得た情報か出所を明記せず、ことし4月のワシントンでのオバマと鳩山の「やりとり」を書いている。

 この時、オバマは「わたしがこの問題(沖縄問題)で発言を控えてきたのは(……)あなた〔鳩山〕が『トラスト・ミー』と言ったからです……ただ以上、解決を長引かせるにはいきません……」と言い、鳩山が「5月末までに、この問題を決着させます」と答えたと述べ、これが問題を「待ったなし」にした、と。

 私は馬鹿だから、鳩山首相の発言が、なぜ問題を待ったなしにしたか、分からない。

 オバマだって、「イエス・アイ・キャン」と言ったど、いや、やはり「ノー・アイ・キャント」といい続けた男。

 そんな「ガキ」に、日本の首相が言質をとられる謂われはない!

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 わが尊敬する英紙インデペンデントのパトリック・コバーン記者(⇒ http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E5%8D%A0%E9%A0%98%E2%80%95%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E6%8A%B5%E6%8A%97-%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3/dp/4846107078/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1275474232&sr=8-1)が、ガザ支援船に対するイスラエル軍のテロ攻撃を批判した記事で、イスラエルの指導者の、お利口な馬鹿ぶりを、こんなイスラエルの諺を引いて指摘していた。

 「あんまり馬鹿なんで、軍の将軍たちも、みんな気付かなかったんだよな」"He was so stupid that even the other generals noticed."
⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/patrick-cockburn-pr-dangerously-distorts-the-israeli-sense-of-reality-1988977.html

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 お利口な馬鹿と言えば、先日、テレビの番組に出てきた、○○大学教授の、「日本を誰が守ってくれてると思ってるんだ」発言には、驚いたなあ!

 ぼくのような馬鹿と違って、お利口さんは違うんだ!

 日々、「我が国の安全保障」のことを考えていらっしゃる!

 えらいなあ、すごいなあ。

 ぼくは自衛隊のみなさんの、ものすごい訓練ぶりを知っているから、船橋氏や○大教授に、そんなに日本の安全保障が大事なら、あんたら、自衛隊に一兵卒として入って、この国を守ってみたらいかが、と言いたくもなる。 

 #####

 「信なくば立たず」――その通りである。「ノー・アイ・キャント男」のオバマに言った一言に縛られ、国民に対する公約を、沖縄に対する誓いを、「日米間の信頼関係」を優先して破棄することは、日本の指導者としてはやってならない「信なきこと」である。

 そのやってはならないことを「やれ、やれ」と迫った、船橋氏以下、ご立派なお利口さんたち。

 君たちがさらした「馬脚」を、ぼくたちのような「馬鹿」は決して見逃さない。
  
   

Posted by 大沼安史 at 08:37 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-06-01

〔コラム 机の上の空〕 汝と我のイスラエル

 ガザ支援船団に対するイスラエル軍特殊部隊の急襲で死者が出た。イスラエル軍兵士の銃弾で、10人も(9人説も)の命が奪われた。

 その「命」の重みを、ネタニヤフ・イスラエル右派政権は、どう考えていることだろう。

 「汝」=あなたの、かけがえのない命を奪ってしまった、申し訳ない、と考えているのか、それとも、お前らの「その」、取るに足らない命を消し去っただけ、と思っているのか?

        ##########

 私の師、米国・ボストン近郊で「サドベリー・バレー」校を主宰するユダヤ系米国人、ダニエル・グリーンバーグ氏(元コロンビア大学・物理学者)の夫人、ハンナさん(同じくユダヤ人、マサチューセッッツ工科大学の元生化学者)から、以前、こんな話をうかがったことがある。

 ハンナさんはエルサレムの育ち。日本でも有名な『汝と我』の哲学者、マルティン・ブーバーは、ハンナさんの縁戚だそうだ。

 「ブーバーは背が低い人で、私たちは彼を、へブライ語で人形(ブバ)と呼んでいました」

        ##########
 
 関連して、もうひとつ。
 ヨルダン川西岸で「インティファーダ」が盛んだった頃、パレスチナ人の視点に立って報道を続けた、イスラエルのユダヤ人ジャーナリストがいた。

 ジョエル・グリーンバーグ氏。(エルサレム・ポスト紙でレポーターを続け、そのパレスチナ人寄りの報道姿勢を理由に解雇された、と聞く)

 ダニエルとハンナさんに聞いたら、親戚だと分かった。

        ##########

 こんな思い出を綴ったのも、他ではない。

 今回のネタニヤフ右派政権の暴挙を、彼らは――ダニエルもハンナも、他の心あるディアスポラのユダヤ人同様、悲しんでいるに違いないからだ。

 こんなことをイスラエルはしてはならない……そう考えているユダヤ人は、きっと多いに違いないのである。

 指揮者・ピアニストのダニエル・バレンボエムも、間違いなく、そういう思いでいるはずだ。

 そのバレンボエムの親友で、大江健三郎氏とも親交のあったパレスチナ人作家、故エドワード・サイード氏も、生きていたら、バレムボエム氏と一緒に、きっと今回のネタニヤフ政権の愚かしい暴力的行為を非難したはずである。

 (ちなみにサイード家のエルサレムの住居跡に戦後、移り住んだのは、ハンナ・グリーンバーグさんの縁戚のマルティン・ブーバーだった!)

        ##########

 これはイスラエル紙、「ハーレツ」の社説に書かれていたことだが、今回のイスラエル軍の、ガザ支援船団に対する奇襲攻撃は、第2次世界大戦後の1947年に起きた、ユダヤ人移民船「エクソダス号」事件のまるで“裏返し”である。

 ナチスに迫害されたヨーロッパを脱出、「約束の地」に向け、海路、入植しようとするユダヤ人を乗せた「エクソダス」号が、英海軍艦艇によって阻止され、死傷者が出た、あのイスラエル建国史に残る事件の、攻守ところを換えた、今回の虐殺事件。

 イスラエルは何時の間にか、「受難の民」から好戦的な「選民」へと変わったしまっていたのだ。

        ##########

 イスラエルは、米国によって戦後、中東における「楔」の役割を負わせられていた。米国があの「カーター・ドクトリン」で、中東に直接介入することを決めるまでは、とくにそうだった。

 イスラエルは米国に、「核武装」することすら認められていたのである。

 が、そのイスラエルの「核」に対して、今、国際的な批判が集中している。

 5月30日付けの英紙ガーディアンは、米主流権力の機関誌、「フォーリン・アフェアーズ」のシニア・エディター、サーシャ・ポラコウ・サーランスキー氏の調査結果を元に、イスラエルが南アに対し、1970年代の半ば、「ジェリコ」ミサイル付きで核兵器の売り込みを図っていた事実を、南アの極秘文書を元に暴露した。

 これはたぶん、米権力の主流が、核を持ったイスラエルを「お荷物」と考え始めている証拠である。

 先のニューヨーク「NPT会議」で、米国もまた賛成の意思表示して、来年、「中東非核化地帯」会議が開かれたことが決まったが、これまたイスラエル包囲網のひとつの現れであるだろう。

 (ちなみに、サーシャ・ポラコウ・サーランスキー氏の母、バレリー氏は、わたし大沼の恩師である。バレリー氏は南アから米国に移り、現在、東ミシガン大学教授を務める教育学者である)

        ##########

 ちょっと唐突な言い方になるが、こうなると米国は、イラク・イランの「石油」を確保できるなら、それと引き換えに、イスラエルの「核」の無力化に踏み切ることもあるのではないか!……

        ##########

 イスラエルの最近の強硬路線は、そうした包囲網の狭まりに反発してのものともいえるが、だからといって、ここ数年来の、狂ったような軍事力の行使は正当化されるものではない。

 イスラエルにとって、死活的に重要なことは、ブーバーの言うように、パレスチナ人を「それ」と見なすのではなく、「汝」と思うことだろう。

 「汝と我」――その対話の中にしか、イスラエルの生きる道はないのではないか!

        ##########

 ガザ支援船には、「ホロコースト」の生き残りのユダヤ人女性、ヘディー・エプスタインさん(85歳)も乗船しているのだ。

 イスラエルよ、「汝」は今こそ、目を覚ますべきである。

 すべて剣を取るものは剣に滅ぶことを、イスラエルよ、汝は知るべきである。

 イスラエルは、ガザ支援船のガザ入港を認めるイスラエルでなければならない。

Posted by 大沼安史 at 09:26 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-05-24

〔コラム 机の上の空〕 沖縄は死者も眠れず

 鳩山首相が沖縄に「辺野古」への回帰を通告した。地元紙の沖縄タイムズが社説を掲げた。痛烈な見出しだった。「怒 怒 怒 怒 怒・・・」
 ⇒ http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-24_6712/

 首相が県庁で仲井知事と面談中、県議会議員らは議会棟前で座り込みした。市民団体の抗議が響き、「怒」と書かれたプラカードが沿道を埋めた。

           ●@JAPAN@USA○

 「日米安保」とは、沖縄の集団安全を破壊するものであることが、またもや確証された。安全を保障するどころか、生活を破壊する「危険保障条約」。

 沖縄は「沖縄戦」、「本土復帰」に続き、またしても「捨石」にされた。

 沖縄は、アメリカに「売り渡された」のではない。日本によって、アメリカに「買い捨て」されたのだ。それが「返還」であり、「密約」であり、今回の「普天間」だった。

 日本の権力の恥ずかしい姿をあらわにしてみせた今回の「普天間」問題。

 沖縄への軍事的集中豪雨など気にもとめず、戦後早速、「アメリカの軍事の傘」に入って、顔色をうかがいながら「袖の下」を使い続けて来た、戦前以来の日本の「ゾンビ権力」!

 「アメリカ」の陰にかくれ、沖縄を「買い渡し」て来た、主権もモラルもない、「元・神の国」の、このなんとも無様な姿よ!

           ●@JAPAN@USA○

 沖縄・伊江島で米軍(海兵隊)の農地の強制収用と戦い続けた阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう 1902~2002年)さんは、「耳より上に手を上げない」をモットーに、島の農民の反対運動の先頭に立った人だ。
 (岩波新書『米軍と農民-沖縄伊江島』『命こそ宝-沖縄反戦の心』参照) ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E6%A0%B9%E6%98%8C%E9%B4%BB
 
 阿波根さんはその『命こそ宝』の中で、こう言っている。
 「……わしらの闘いを非暴力直接行動というようないい方をしてくれる人がおる。わしらはそういうものかとも思ったが、だが、わしらの闘いの基本は、何より相手のことを考える闘いということだったのであります」

 相手のことを考える闘い?……

 そう、阿波根さんにとって、その命をかけた米軍に対する反対運動とは、相手の米軍のことも考える闘いだった!

 「だから米軍に対して、わしはあなた方の国が滅ぶのは好まんからね、基地は自分の国にもってかえりなさい、他人の国に基地をおいて戦争準備をしていると、戦前の日本みたいに滅んでしまうよ、やめなさい、そういったのでありました」

           ●@JAPAN@USA○

 阿波根さんは沖縄戦でひとり息子を亡くした人だ。当時を思い返すと「気絶」するほどの悲しみを背負って生き続け、闘い続けた人だ。

 米軍の土地の強制収用で、餓死者も出た伊江島。模擬原爆投下を含む米軍の訓練で、草刈中の農民が殺された伊江島。

 オキナワの悲劇を集約的に表現する伊江島から、阿波根さんは相手の米軍さえも思いつつ、「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)」と訴えたのだ。

 このモラルの高みこそ、「9条」のある平和憲法をもとに、戦後日本が歩み出した出発点ではなかったか!  

           ●@JAPAN@USA○

 米軍基地の島・沖縄は、沖縄戦の慰霊の島だ。沖縄戦の語り部でもある大田昌秀氏(元沖縄県知事)は、こう書いている。

 「彼ら(政府や一部政・財界人をはじめ軍事専門家や自衛隊首脳の中)は、沖縄戦で犠牲になった二十数万人におよび人間のおびたただしい死について、ほとんど苦にもしなければ考えようともしないようです」
 
 そして、「死者たちは、いまも眠れずにいるのです」とも。〔『死者たちは、いまだ眠れず』(新泉社)より〕

 沖縄の死者は、阿波根昌鴻さんを含め、島の米軍占領継続という現実に心やすまらず、生者の「怒 怒 怒 怒 怒・・・」の声を耳にしながら、いまだ眠れずにいるのである。

Posted by 大沼安史 at 07:32 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2010-04-24

〔コラム 机の上の空〕 風景は平和である

 僕は「チョコが届く(はずの)日」の生まれだ。バレンタインデー、2月14日の生まれ。

 ことしのその日、僕は61歳になった。記念に、感謝の気持ちを込めて、以下の文章を――「もう一人の「龍馬」が、そしてわが敬愛する『コバキン』さんが、教えてくれたこと」を、このブログに載せた。
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/02/post-31e7.html

           #
 
 その文章を、吉川勇一さん(元べ平連事務局長)らが発行する「市民の意見」誌が、その最新号(119号)に載せてくれた。
 見開き2頁。
 新しい、長い題をつけた。「描き置かれた平和 二枚の絵の語りかけるもの――尾田龍馬、小林金三氏の風景画によせて」

 尾田龍馬氏は愛媛・宇和島出身、昭和19年、25歳で戦病死した画学生。「コバキン」さんこと小林金三氏は札幌在住の画家。

 拙文は、お二人の風景画に触発されてブログに書いたものだったが、それが吉川さんらの目にとまったのは、尾田龍馬氏(その絵を僕は、「市民の意見」誌のバックナンバーで見た)についてもさることながら、僕が「コバキン」さんのことに触れていたからだろう。

           #
 
 画家・小林金三氏は、有名なジャーナリストである。60年安保当時、安保反対の論陣を張った北海道新聞(道新)の論説委員。新聞各社の論説トップを率いて、北京に乗り込むなど日中友好にも取り組んだ方だ。ベトナム戦争をベトナム民衆の視点で書いた『ベトナム日記』(理論社)など著書も多数。

 拙文で僕はコバキンさんのことを「私の新聞社の先輩」とだけ書いたが、コバキンさんが道新の小樽支社長だったころ、実は僕はその「部下」(と言っていいかどうか分からないが、とにかく支社報道部の記者)だった。

 僕(当時、20代のまだ前半だった)の記憶にあるコバキンさんは、小樽支社長時代、すごいことを二つ、した。

 ひとつは、小樽にある開発局など各官庁の出先のトップを集めて昼飯会を定例開催し、斜陽・小樽を復活させる街づくりを話し合ったことだ。
 そこで生まれた「融雪溝」は、市役所が二の足を踏んで流れてしまったが、それが実現していたら、冬の小樽の市民生活は、いまごろどんなに楽になっていたことか。
 もうひとつは、「小樽市民大学」の開催。コバキンさんは東京支社での論説委員時代に培った人脈を活かし、岡本太郎氏らをひっぱって来て、連続文化講演会を開いたのだ。その時の会場の熱気を、僕はいまも憶えている。

           #
 
 個人的に忘れられないのは、札幌地裁小樽支部で「在宅投票復活訴訟」の判決言い渡しがあった時のこと。
 高橋裁判長が、在宅投票制度を国が廃止したのは憲法違反だ、と違憲判断を下したのだ。
 「違憲判決!」――裁判を担当していた僕は地裁支部から支社の報道部に電話連絡し、記事を「吹き込んだ」。
 その時、電話に出たのが、なんと支社長のコバキンさん。興奮した僕を落ち着かせ、電話送稿を原稿用紙に書き取って下さった。

 もうひとつ忘れられないのは、小樽で僕が経済を担当していた時のこと。
 小樽のある有力な企業が「倒産するらしい」といううわさが流れた。若い僕は、これは大変だとばかりに確認に走り、それがうわさをさらに拡大させた。「倒産だと道新の記者が言いふらしてる」

 その時、収めてくれたのが、コバキンさんだった。支社長室に呼ばれて入ると、そこにその企業の社長さんがいた。一代でたたきあげたその社長は、何も言わず、僕のことをすこし哀れむ目で見た。

 社長さんは、「道新社会福祉振興基金」に相当な額の寄付をしてお帰りになった。翌日の道新小樽版に、社長さんがコバキンさんに「金一封」を手渡す写真と記事が載った。

           #

 僕は先輩、友人に助けられ、人生をよくやく生きて来た者だが、コバキンさんのことを、故郷・仙台に戻って初めての誕生日の記念にブログに書く気になったのも、そんな感謝の心のなせる業だったに違いない。

 コバキンさんは大正12年(1922年)、北海道・三笠の生まれ。満州・建国大学の出身(建国大学時代のことを『白塔』(新人物往来社)という本にお書きになっている。中国語訳も出たそうだ)。

 先日、札幌のご自宅に、「市民の意見」最新号をお送りすると、お手紙が返って来た。
 そこに、こうあった。「尾田龍馬氏はたぶん、小生同様、学徒出陣一期だと思われます。文系だけが20歳になると徴兵されました」

 「敗戦後、小生は国家という存在、組織、施政に先ず大きな不信感を持ちました。と同時に多数意見(挙国体制)必ずしも正しいとは限らないコトを身にしみて感じ取れました。それだけに同世代を死に追いやった戦争指導者を絶対許せないと思いました」

           #

 お手紙によれば、コバキンさんは今、「私の周辺と大陸」と題した「米寿個展」を目指されている。

 札幌の手稲山の見えるアトリエで絵を描くコバキンさんを想い、BGMで聴いてもらいたいな、と願って、僕が一番大好きな、ステファン・グラッペリのCDをお送りした。

 コバキンさんは「米寿個展」に向け、何を描こうとしているのだろう。

           #

 ブログに書いた記事が、「市民の意見」に再掲され、今、多くの「会員」の皆さんの目に触れている。

 こんな風な読まれ方をしたのは、ブログを始めてから初めてのことだ。
 
 いま、コバキンさん、尾田龍馬氏の風景画を論じたその記事のエッセンスを一筆で描き込み、新しい題名にするとすれば、当然、こうなる。

 「風景は平和である」

 風景の破壊は平和の破壊である。だから、風景を描くことは平和を描くことである……。

 お二人の風景画はそんなふうに描かれ、描かれつつあるのだと思う。

 もう一度、言おう。今度は僕たち自身の問題として言おう。
 

  「風景は平和である」と。
 

Posted by 大沼安史 at 11:12 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-04-18

〔コラム 机の上の空〕 高城高が帰って来た!

 日曜の夕べ。ベランダに出て洗濯物を取り込もうとしたら、まだ湿っていた。風はすこしあったのに……。晴れてはいたが、湿度は高かったようだ。

 午後、今日は日曜日だからと自分に言いきかせ、机の上に積んどいた本を手にとり、1人掛けのソファで読み始めた。

 仙台の出版社、「荒蝦夷」(あらえみし)から数年前に出た、高城高(こうじょうこう)氏の「X橋付近」(ハードボイルド傑作選)。

 冒頭に収められた表題作、「X橋付近」を読んで、感心した。大学生が書いたものとは、とても思えない文章。江戸川乱歩が称賛したのも当然である。

           #

 仙台の「X(エックス)橋」――昔、(国鉄)仙台駅の北側にあった。線路をまたぐ橋自体より、いかがわしい一帯を指す代名詞だった。

 昔の暗いケバケバしさは、今はきれいさっぱり、区画整理されて消え、「X橋」の名を憶えている人もだんだん少なくなっている。

 「X橋付近」が雑誌の「増刊宝石」に出たのは、昭和30年(1955年)のこと。作者、高城高氏は東北大学文学部英文科の学生だった。

           #

 高城高――乳井(にゅうい)洋一さんのペンネームである。
 乳井さんは、僕が北海道新聞の社会部の記者だったころ、職場の上司だった人だ。社会部のデスク。
 僕は今から30年ほど前、札幌で、乳井デスクの下で働いていたのだ。

 昔、推理小説を書いていた人だとは僕も聞いて知っていたが、自分からは一言もおっしゃらなかった。

 飄々としていて口数の少ない人……というのが、僕の第一印象だったが、実は違っていた。ある時、その「話言葉づかい」の見事さに驚いたことがあった。

 これから始めようという、「学校社会」なる年間教育企画の打ち合わせの席で、乳井さんが担当デスクとして企画の趣旨説明をした時のこと。

 乳井さんはアメーバのたとえで、「教育界」=「学校社会」の実体を語ってみせた。心の中で、僕は思わず、拍手していた……。

           #

 新聞社で乳井さんと一緒に仕事をしたは、その時だけ。僕はその後、新聞社を中途退社して、それっきりになってしまったが、乳井さんは現役を終えたあと、推理小説作家としての長い沈黙を終え、「高城高」として復活。昨年には、その復帰第一作、「函館水上警察」(東京創元社)を出し、「2009年、このミス」のランク入りを果たした。

 この30数年ぶりの新作は、明治の函館を舞台にした推理小説。短編を連作でつないだもので、ほかに、若き日の森鴎外と英国の外交官、アーナスト・サトウが函館の丘の上で話を交わす「坂の上の対話」という佳品が収録されている。

 先月、この最新作を読んだ僕は、作家・高城高の出発点となった「X橋付近」の頁を今日、ようやく開き、今しがた、話の筋を辿り終えたのだった。

           #

 この「X橋付近」で、僕が社会部記者だった頃、ふと思ったミステリーが解けた。どうしてこの人は、推理小説を書いていたことを一言の言わないのだろう?……という疑問が解けた。

 本の付録の池上冬樹さんによる解説と、ご本人のあとがきで、外勤の新聞記者と作家の「二足のわらじ」を履くことが、どれだけ難しかったか(新聞社の社内の雰囲気において)触れてらしたのだ。

 「社を辞めて書け」「記者としての筆が荒れるぞ」……

 僕も同じ新聞社に25年もいたから、乳井さんが作家としての活動を停止せざるを得なかった、あの独特の空気を、いまなお膚で感じることができる。

           #

 乳井さんはしかし、売れっ子の作家としての活動は休止したが、執筆活動は継続されていた。アイヌの文化のことや、ベーリング海峡が地続きだった頃のことを調べ上げ、本を出されてもいる。

 創作は中止していたが、知的な蓄積作業は着実に続けられていたのである……そのことは、「函館水上警察」を一読すれば、よくわかる。

 乳井さんはことしで75歳。「X橋付近」には、仙台の現地跡で撮影された写真も載っていたが、社会部のデスクの頃と、そんなに変わらない、若々しいお姿。

 推理小説作家、高城高――こと、乳井洋一さんの完全復活を喜ぶ。 

Posted by 大沼安史 at 07:18 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-04-13

〔追悼コラム 机の上の空〕 井上ひさしさんの屋根の下で

 井上ひさしさんがお亡くなりになった。今春、お仕事を再開されるものと信じていたから、ショックだった。

 今朝、仙台の東北放送のラジオ番組で、予定を変え、井上ひさしさんの思い出を語った。

 控え室での事前の打ち合わせで、僕は声を詰まらせ、ディレクターの水嶋氏を心配させてしまった。

          #
 
 台本のないブッツケの本番。僕は井上さんがお亡くなりになった鎌倉市佐助のご自宅のことから話し始めた。

 僕ら、仙台と一関(岩手)の仲間が、「本の森」というミニ出版社を創立した、13年前のこと。僕は井上さんの鎌倉の自宅を訪ねたことがある。

 木造の大きな家。中に入って見上げると、陣屋のような巨大な梁が縦横に走っていた。

 「頑丈な家でした。井上さんの家は、まさに本の山。本は重いので、頑丈なつくりにしたのでしょうね。鎌倉の新居に移る前に住んでいた千葉の家、本の重みで床が落ちちゃいましたから……。そう、千葉の家に戻った井上さんが買って来た本を一冊、上に乗せたら、そのとたん床が抜けたそうです……」

          #

 井上ひさしさんは鎌倉の自宅が本であふれかえると、トラックで故郷、山形県川西町の町立図書館に送り出していた。一度、川西に行って覗いたことがあるが、書庫、文庫のレベルを超えた、本格的な図書館だった。そこに並んだ、本を見て、井上さんの本選びのセンスのようなものを感じた覚えがある。

          #

 井上さんの「本好き」を紹介しようと、思わず口にしたエピソードだったが、アナウンサーの根本氏が笑ってくれたこともあり、僕にとってはよかった。センチになって、言葉を詰まらせずに済んだからだ。

 調子に乗った僕は、「井上さんは東仙台のカトリックの施設から、仙台一高に通っていたのですが、昔はのんびりしたもので、井上さんは昼間から、仙台の一番町にあった名画座で、ちょっしゅう映画を観ていたそうです。で、ある時、井上さんの隣に妙齢の女性が座り、なんと井上さんの腕をつかんだんだそうです――婦警さんでした」などと、余計なことまで口走ってしまった。

 やはり、心のどこかが、苦しかったようだ……。

          #

 番組の本番途中、スタジオのデスクに、水嶋ディクレターが、1冊の文庫本を差し入れてくれた。新潮文庫の『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』。水嶋氏がたまたたま、カバンに入れていたものだ。

 実は、この文庫本、元になった単行本は、僕ら、「本の森」が創立記念で出版したもの。(今なお「本の森」で発売中。ロングセラーです! ⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/070.html

 井上さんが中学時代を過ごした一関で開いた「作文教室」の録音テープを「起こして」まとめた本だ。

 そして何を隠そう、「テープ起こし」の栄誉に預かった者こそ……北海道の新聞社を中途退社し、ふるさと仙台に戻ったばかりの、弱冠(?)46歳の「僕」であった……。

          #

 僕らの「本の森」は、この井上さんの「1冊」があったから――そして、井上さんの背中の一押しがあったから、生まれ、これまで続いて来たわけだが、ラジオ番組で、僕は、井上さんの一関での作文教室が、井上さんのボランティアだったことを語り、併せて井上さんに教えていただいた「恩おくり」という言葉を紹介した。

 「恩おくり」――誰かから受けた恩をその人に返せなかった時、他の人に自分が受けた恩を伝える「恩おくり」。

 「井上さんは中学生の時、お世話になった一関に、作文教室で『恩送り』したのですね」

          #

 井上さんは仙台でも作文教室を開き、「恩おくり」してくださったが、仙台に対しては、実は『ムサシ』というお芝居でも、こっそり、別のかたちで「恩送り」してくださったのです――と僕は続けた。

 「仙台名物の笹かま(ぼこ)をPRも、ちゃんとしてくださったのです」と(どんなふうなPRか?……これはお芝居を観て、確認なさってください)。

          #

 番組で僕はもうひとつ、井上さんから直接聞いた「仰天の新事実」を伝えた。

 僕が井上さんに(あの大長編の『吉里吉里人』について)、書くのにどれだけかかったのですか、と聞いた時のことだ。

 井上さんの嬉しそうな返事に、僕はあやうく腰を抜かしそうになった。

 「1週間です!」(ほんとに井上さんは、僕にこう言った!)

 たぶん、肉付けと推敲は抜いてのことと思われるが、それにしても凄すぎである。井上さんは、「遅筆堂」どころか、たいへんな「筆力」の持ち主だった!

          #

 僕は新聞記者時代から、井上ひさしさんの「日本語」をお手本にし、今なお真似ているが、このブログ、「机の上の空」のタイトルも実は、井上さんが親しかった司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」と、井上さん自身の「下駄の上の卵」の「パクリ」。

 いま、日本の僕らの机の上に青空はあるのか? 机上の空論、何が悪い?――とばかりに意気込んでつけたタイトルである。

          #

 でも、享年75歳……。いくらなんでも、あまりに早すぎる。
 芝居の台本書きと「9条の会」の平和運動を両肩にかつぎ、遂に力を使い果たされたのだろうが、それにしても惜しまれる。
 
 朝日新聞で、内橋克人さんが経済評論家らしく、「日本社会、日本人の心のインフラ、心の基盤を作り続けた」とコメントしていたが、僕もその通りだと思う。

 生意気にひとつ、僕なりに付け加えさせていただけば――あの鎌倉の家の梁が目に浮かぶものだから……――、井上さんは心の基盤ばかりか、日本人の心の上部構造を言葉で築き上げた人だと、僕は思うのだ。

 井上さんは病院から帰って間もなく急変し、お亡くなりになったと聞くが、その時、井上さんは自分が立ち上げた言葉の梁の堅牢さを、自分の目でしかと確かめ、それを見上げながら息をお引取りになったのではないか。

          #

 井上ひさしさんは僕らに、寸分の狂いもない、汚れのない言葉で組み上げた、頑丈で安心できる「日本の文化の屋根」を遺してくれたのだと、僕は思う。

 そして、その屋根の下で生きることができる幸せに、僕は感謝する。

          #

 一度、井上さんをJR仙台駅まで、車でお送りしたことがある。

 別れ際、僕の方を振り返って、どういうわけか、僕を名前で呼んでくれたことがある――その声を、あの笑顔とともに、僕は忘れない。

  
 ○ 本ブログの井上ひさしさんに関する記事

 〔コラム 机の上の空〕 小林多喜二、「復活」の組曲
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/03/post-5d58.html

 〔コラム 机の上の空〕 「再戦、御無用!」 「英霊」たちが教える「九条流」免許皆伝の極意  井上ひさしさんの『ムサシ』(台本)を読む
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2009/05/post-ab63.html 

Posted by 大沼安史 at 05:02 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-04-09

〔コラム 机の上の空〕 「戦争の家」の道化師 オバマ プラハにサーカス巡業 「核の傘」で「世界」転がし

 アメリカのオバマ大統領が8日、チェコのプラハで、ロシアのメドベージェフ大統領とともに「ニューSTART」なる「核軍縮条約」に調印した。

 調印後、オバマは言った。
 「ニューSTART条約は前を向いた、重要な第一歩だが、長い旅の一歩に過ぎない」
 While the New START treaty is an important first step forward, it is just one step on a longer journey.

 長い旅の重要な第一歩(?)。またも「スタート(始まり)」、片足を踏み出しただけ――2010年の「プラハの春」において、「核の長い冬」はさらに続くことになった。
 悪夢の道はどこまで続くのか。

          #

 名ばかりの「プラハの春」――。「核軍縮」も名ばかりだった。

 ● 発効から7年以内に両国の戦略核弾頭の「配備」数をそれぞれ「1550」に制限する……

 条約の「柱」であるこの「合意」自体、無意味なものなのだ。
 制限するのはあくまでも「配備」された戦略核弾頭。「未配備」、つまり単なる「備蓄」分は含まれない。

 それに、この「1550」の「数字」の意味!
 「1」は「1」にあらず、「1」は「20」でもあり得る、不思議な算術が採用された。

 この「1=20」とは、ニューヨーク・タイムズ紙が挙げたトリックの一例。米軍のB52爆撃機の搭載核弾頭は20発(14の空中発射型巡航ミサイル、6発の重力爆弾)だが、「ニューSTART」では、これをひとまとめにして「1」とカウントするのだそうだ。⇒ http://www.nytimes.com/2010/03/31/world/europe/31start.html

 何が「核軍縮」! 実態はむしろ、「核軍拡」ではないのか!

          #

 プラハでの調印後、ロシアのメドベージェフ大統領が行った発言(リマーク)の英訳が、ホワイトハウスの公式HPに一時的に掲載されたが(その後、削除!)、そこにこんな表現があった。

 「われわれは信じている――そして、これこそ、われわれの希望であり立場だが――、この条約は核攻撃力における、質的、あるいは量的な(XXX 聞き取りできず)がないという条件付きでのみ、有効なものであり、運用できるものだと、われわれは信じている」
 We believe -- and this is our hope and position -- we believe that the treaty can be viable and can operate only provided there is no qualitative or quantitative (inaudible) in place in the capabilities ……

 ホワイトハウスがなぜか「聞き取る」(聞き取りたくなかった、かも……)ことができなかった(XXX)の部分に入るべき言葉を、ロシア政府になりかわって補充するなら、たとえば「ごまかし(deceptions)」あたりが最有力候補になるだろう。

          #

 「新条約」では、核の「運搬手段」を未配備を含め、双方、計「800」に削減することで合意したが、米空軍はすでに「X51 ウエーブ・ライダー」という、とんでもない「新運搬手段」の開発を進め、飛行実験にすでに成功しているのだ。

 マッハ5とも6とも言われる、超・超音速爆撃機。地球のどこへでも1時間以内に到達する、超・高性能。

 「核兵器」(システム)とは「弾頭」と「運搬手段」の結合のことだから、「弾頭」は現状通りでも「運搬手段」が飛躍的に向上すれば、「核兵器」(システム)としての破壊力は一気に強まる。

 メドベージェフが恐れる「質的・量的なXXX」とは、この種のことを指すのだ。

  X51 ⇒ http://www.boeing.com/defense-space/military/waverider/index.html

       http://www.msnbc.msn.com/id/30477653/

          #

 こうなると、オバマが仕掛け、メドベージェフを合意のテーブルに就かせた、この「ニューSTART」なるもの、その正体はもはや明らか。

 オバマには「核軍縮」など本気で取り組みつもりなどさらさらないのである。「核軍縮」に名をかりた、対イランに対する威嚇。

 英紙ガーディアンなどは、「ニューSTART」の照準は、「イラン」に向けられたものだと言いきっている。
 ⇒ http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/mar/26/nuclear-weapons-deal-us-russia-iran

 プラハから、テヘランに向け、「ニューSTART」なる「政治ミサイル」を撃ち込んでみせたオバマ!

 それを「核なき世界」への「夢」で覆い隠し、即時核廃絶を願う世界の人々の心を手玉にとったオバマ!

 君はそこまで――米国の軍事権力、すなわち「戦争の家」の魔術師にまで、成り下がってしまったのか?
 まるで、「核の傘」の上で「地球の未来」を弄ぶ、「世界ころがし」の道化ではないか?

          #

 たったの1年で、これだけの変身。世界の救世主として現れた男の、この墜落ぶり。

 オバマはベストセラーになった自伝に「挫けざる希望(Persistent Hope)」というタイトルをつけていたが、核廃絶の希望を踏みにじりながら、非核の希望を語ることはできない。

 このオバマに対抗するように、「反核の神父」として世界に知られる、アメリカのジョン・ディア神父は、昨年出した自伝に「挫けざる平和(Persistent Peace)」という題を付けていた。

 今、神父が活動するニューメキシコ州は、ヒロシマ・ナガサキの原爆の製造地であり、現在も米国の核開発の最重要拠点になっている、いわば「核の原罪の地」である。

 そのニューメキシコは、オバマが核開発予算の大盤振る舞いをしたものだから、空前の「核の特需」に沸き立っている。

          #

 2月末の日曜日、ニューメキシコ州ロスアラモス――。雪と雨、雹が降る中、ディア神父ら50人の人々が、原爆誕生の地、ロスアラモス研究所の前で、核廃絶を願って祈りを捧げた。

 プラハでの核のサーカスと、ロスアラモスでの非核の祈り。

 ディア神父は、こう書いている。

 「疑いもなく。私たちの祈りは応えられる。私たちの心の武装は解かれる。そして、いつの日か私たちの武器は解体される。平和の祝福はあの山の雪のように、私たち全てに降り積もることだろう」
 Undoubtedly, our prayers will be answered, our hearts will be disarmed, one day our weapons will be dismantled. And the blessings of peace will fall upon us all like mountain snow.
  ⇒ http://ncronline.org/blogs/road-peace/peace-vigil-los-alamos

 アメリカの「戦争の家」の炉心にあたるロスアラモス。

 オバマが陰で軍事予算を注ぎ込んでいるその場所を、ディア神父は、「地球上で最も邪悪な場所( it is the most evil place on earth )」と言った。 

 
          

Posted by 大沼安史 at 03:38 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-03-26

〔 コラム 机の上の空〕 ニッポン 卒業狂詩曲 

 ニッポン管理・統制教育の年度末のコンベアー排出・在庫一掃イベント=卒業式シーズンもたけなわである。

 「学業」成ったはずの大学や高校の卒業生諸君の多くは、就職もできない、ピカピカ(?)の「失業1年生」として、焦土のような経済の中に放り出され、大学・高校に進学する卒業生は、教育産業がはぐくむ「未来幻想」の中で、儚い夢を紡ぐ。

 日本の学校の卒業式は、日本の教育の失敗を歴史的に凝縮して、過ぎ行く春に物語る、一篇のラプソディー(叙事詩)である。
  
           ♪

 東京都の教育委員会は、政府・文科省のお先棒を担ぎ、ことしも卒業式の会場で、「君が代」「日の丸」の強制に、ガンディー流の非暴力で抵抗する教師たちに、ビデオカメラのレンズを向けたのだろうか?

 特高のような当局者。おぞましいことだ。

 経済社会の構造転換に対応することなく、一昔前の画一統制教育を続け、子どもたちの可能性をつぶして、日本の未来を奪い続けて来た、この国の当局者よ!

 非難されるべきは骨のある教師たちではなく、この国の教育を窒息させた、君たち当局者ではないか?

           ♪

 テスト、点数、序列、輪切り、偏差値、相対評価、学習指導要領――長い、長い絶望のトンネルを潜り抜けた卒業生たちが歌いたい歌は、「日の丸」の前で、直立不動で「斉唱」する「君が代」ではない。

 ほんとうに「合唱」したいのは、「3月9日」(レミオロメン)や「卒業」(尾崎豊)といった「卒業ソング」だ。

 文科省は知るべきだろう。卒業式は、卒業生にとって、愚にもつかないお前たちの「支配からの解放」であることを。

 「卒業ソング」は 若者・子どもたちの「怨歌」でもあることを。

           ♪

 戦前・中からの統制教育を戦後に持ち越し、権力を延命した当局者よ。

 日本の民衆はまだまだ、忘れ去ってはいない。

 戦時中、君たちが「蛍の光」を「敵性音楽」といって禁止し、代わりに「修了の歌」を卒業式で強制的に歌わせたことを。
 スコットランド民謡が本歌だからといって。

 そして「万歳ヒットラー・ユーゲント」を歌わせたことを。
 同盟国、ドイツを讃える歌だといって。

           ♪

 日本の民衆はまだまだ、君ら当局者のいい加減さを忘れてはいない。

 ベートーベンは盟邦の「ナチス・ドイツ」だから禁止せず――の方針を、ドイツがソ連と不可侵条約を結んだとたんに撤回し、ドイツ軍の対ソ侵攻が始まったら復活させ、1945年(昭和20年)4月にドイツが降伏したとたん、またも禁止したことを。 
 
           ♪

 戦時中、君ら当局者は、若者・子どもたちを繰り上げ卒業させてまで、「死地」に送り込んだものだが、今、君たちはバブル崩壊後の「就職地獄」の最前線に、日本の明日を担うべき若者たちを放り込んでいる。

 春3月の、うららな街を今なお右往左往する、黒いリクルート服の若者たち!

 管理・統制教育の「広き門」に誘導され、囲いこまれ、選別され、挙句の果てに「厳しい現実」の壁を前に立ち往生する若者たち!

 恥を知り、責任をとるべきは、自分たちだけ「狭き門」を潜り抜け、今、権力の座にある当局者たちである。    

Posted by 大沼安史 at 10:31 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-03-18

〔コラム 机の上の空〕 ゆりかごを動かす者は世界を動かす……岩下壮一神父と昭和天皇のこと 

 中学校の修学旅行で、一番の思い出は、皇居前でのことである。
 偶然のことだったが、昭和天皇が、私たちの前を、車でお通りになったのだ。
 担任のK先生が、まさに「直立不動」になった姿を、今でも憶えている。

        #

 中学3年生の僕は、担任のK先生(国語の先生で、僕の結婚の仲人になっていただい方だ)の、その時の、まるでバッタのような「直立不動」ぶりに違和感を覚えたものだ。

 その違和感は、僕が成人し、新聞記者になって、それから十数年後、「8・15」の東京・武道館での「全国戦没者慰霊祭」での、昭和天皇の振る舞いを知るまで(昭和天皇は、武道館で会場入りする際、決してエレベーターをお使いにならなかった。階段を一歩、一歩、お昇りになったのである)、消え残らず、あり続けた。

 昭和天皇は生前、「戦争責任」を、マスコミ代表との記者会見で、問われたことがあった。

 そうした「文学の綾」には答られないと、たしか、お答えになった。

 その時、僕は昭和天皇に対し、すこしばかり反発を覚えたものだが、今は違う。

 「戦争責任」――? 昭和天皇はおそらく、そんな言葉で済まされない、大変な責任をお感じになっていたのだ。

 「現人神」に崇められた自分を――戦争を主導してしまった自分を――軍部に、いいように使われた御自分を、痛切に反省されていたと思う。

 だからこそ、昭和天皇は「A級戦犯の合祀」のあと、断固、靖国神社の参拝を拒絶されたのではないか。

        #

 私は、らい病(ハンセン氏病)患者のため、一生を捧げた、天下無双の碩学、岩下壮一神父を尊敬申し上げる一人だが、神父が静岡・御殿場の「神山復生病院」の院長として苦闘している当時、昭和天皇のお母上の皇太后が、同病院の支援をしていたことを、重兼芳子さんの『闇をてらすお足音  岩下壮一神父と神山復生病院物語』』(春秋社)を読んで初めて知った。

 なぜ、皇太后陛下が、らい病患者の療養所を資金的に支援したか――重松芳子さんは、その理由についてお書きになっていないが、私は自信をもって、そのわけを、その理由を、ハッキリ言うことができる。

 昭和天皇は――皇太后の愛息は――、戦前、ヨーロッパ歴訪中、ベルギーのルーヴァン大学を訪ねているのだ。

 その時、天皇を、ルーヴァン大学でご案内申し上げたのは――そう、その人こそ、留学中の岩下壮一氏だった!

 皇太后は、昭和天皇から聞いて、岩下壮一氏を知ったのではないか。

         # 

 ナチスは精神病者をガス室送りしたが、日本の皇室は、らい病患者を守り抜いた――このことは、もっと知られてよい事実である。

 一高・東大を首席で通し、学者(哲学者)としての立身出世の道に背を向け、らいの病者とともに、愛と信仰の生涯を全うされた岩下壮一神父(1889-1940)。

 清廉なカトリックの神父を、たぶん昭和天皇は尊敬し、皇太后とともに支援の手を差し伸べたのではなかったか。
 
       # 

 昭和天皇は、戦後、「人間宣言」なされた時、そのお優しいお姿に(丈夫ではなく、どちらかといえば、女性的なお姿に)、驚いた国民も多かったと聞く。

 それでいいのだ、と僕は思う。

 重兼芳子さんは、『闇をてらす足音』の最後に、「付記」として、岩下壮一神父の言葉を、こう書きしるしている。

 ゆりかごを動かす者は世界を動かす。

 いのちを育てる者は、世界を動かす……靖国参拝を敢えて拒否なされた、昭和天皇もまた、同じ思いでいらっしゃったのだろう。

 日本のナショナリズムは、病める者を救う、こころ優しいナショナリズムでなければならない。  
  

Posted by 大沼安史 at 08:02 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-03-10

〔コラム 机の上の空〕 犬の尻尾を持ったカメレオンの大嘘がバレた!

 主権者=国民に対する、「三位一体」の裏切りだった。

  アメリカの核兵器に目を閉じ、ヒロシマ、ナガサキの声に耳を塞ぎ、いちど捨て石にしたオキナワの「買い渡し」を語らなかった、日本の権力者たちによる空前の「政治犯罪」が明らかになった。

 「広義の密約だ」などと「有識者会議」がいかに言い繕おうと、この半世紀にわたって「嘘」をつき通して来たことはもう隠せない。
 「密約」の有無が分かったことよりも、国民をだまし通す「政治的な犯罪」が、50年もの間、常習的に続いて来た――このことが、今、他の何よりも重大な問題である。
 「大本営発表」は、戦前・戦中だけのものではなく、戦後の今に続いていた……。

         □ ● □

 「鬼畜アメリカ」との戦争に国民を総動員し、国民に途方もない犠牲を強いた戦前からの支配権力が敗戦後も生きのび、こんどは「同盟国・アメリカ」の言うがまま、「平和憲法」を空洞化させ、「沖縄」の人々に過酷な負担を強いて来た。

 核兵器を「持たず・つくらず・持ち込ませず」の「非核3原則」も、「アメリカが核兵器を持っている・つくっている・持ち込んでいる」の、実は「核の傘3原則」だった。

 表と裏――戦後の日本の支配権力はクソをミソと、ウソをマコトと言い立てて、かつて「神の国」の“建国”に成功した経験とノウハウを活かし、「戦後デモクラシー」の虚構を組み上げて来た。

 その「大嘘」がバレた。
 「2010年3月9日」は、日本の「歴史(教科書)」を書き換える、画期的な節目の日である。

         □ ● □

 先のベルリン映画祭で高く評価された、若松孝二監督の『キャタピラー(芋虫)』は、川柳界の小林多喜二、鶴彬(つる・あきら 1909~38年)が告発した「手と足をもいだ丸太にしてかへし」状態にされた戦傷帰還兵とその妻の物語だが、今回、確証された、「政府の大嘘」を考え合わせると、戦後の日本国民は、「目も耳も口も」権力者によってコントロールされて来たのだな――と、つくづく思わざると得ない。

 見ざる・聞かざる・言わざる……
 見るもの・聞くもの・言うものが、実際、すぐ目の前にあるにもかかわらず、政府によって否定されてきた。国民はうすうす真実を感じつつも、見ザル・聞かザル・言わザル状態を続けざるを得なかった。

 「アメリカのポチ」に愚弄され続けた、かわいそうな「3匹のサル」よ!

         □ ● □

 しかし、自らを哀れんでいてはならない。ウソの歴史に幕を引く弾みを生み出したのは、政権を交代させた、私たち国民の意志であることを、忘れてはならない。 

 鶴彬にはもうひとつ「暁を抱いて闇にいる蕾」という、有名な作品もあるが、鶴彬の時代、1930年代から70年以上も経った今、とうとう権力者の「ウソの闇」が晴れたのだから、こんどはこれからを生きる私たちが「暁の蕾」を咲かせる番である。

 その点でも、「ウソの闇」が、「60年安保50周年」のことし――それも春三月に(5月、6月を前に)明けた意味は大きい。

         □ ● □

   核の傘さして 歴史のゼロ地点

   核小さくひらく 国とりライセンス

   核かくし 基地にふる雪もえる雪

 これは、私に鶴彬のことを教えてくれた川柳作家、佐藤冬児さん(とおる、本名・享如〔きょうすけ〕)の作品である。
 佐藤さんは、小樽の人。寝たきりで国を相手に、在宅投票制度(郵便投票)の復活を求めて裁判を闘い、実質勝訴(制度の再開)を手にした人だ。

 時事川柳で、「政府の大嘘」をはっきり見破っていた佐藤さん!

 歩くことのかなわなかった佐藤さんは、しかし、原告として、川柳による批判者として最後まで反骨を貫き、主権者としての道を歩き通した、意志の人でもあった。

         □ ● □

 そして今日は――そう、明けてぞ今日は、めでたき「ウソの時代」からの卒業の日。

 「尻尾をかえりみない カメレオンの信条」(佐藤さんの作品)の権力者どもに、三行半を突きつけ、再び歩き出す時だ。
 

Posted by 大沼安史 at 09:35 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2010-03-09

〔コラム 机の上の空〕  「白鯨」に盲いて

 ロスで「アカデミー賞」の授賞式が行われた。
 女優たちがあでやかなドレスで現れ、男たちはタキシードで銀幕の騎士を気取る、ハリウッド、自画自賛の映画祭。
 今年の授賞作リストを眺め、その評判を聞いて、ヘソを曲げた。

           ★ ★ 

 監督賞や脚本賞など「6冠」に輝いたのは、「ハート・ロッカー」という、イラク駐留・爆弾処理班の米兵「ジェームズ」を主人公にした映画だ。

 作家の沢木耕太郎さんはその映画評論「銀の街から」(朝日新聞)に、こう書いていた。

 「……どこにどんな爆弾が仕掛けられているかわからない。……いつ銃弾が飛んでくるかわからないのだ。その中を、防護服を着たジェームズは、まるで西部劇のガンマンのように平然と歩いていく。いったい、彼はなぜそのように『勇敢』であり続けられるのか。それは一種の『狂気』ではないのか」

 沢木さんによれば、映画は「……冒頭に掲げられた『戦争は麻薬である』というエピグラフ風の言葉に呼応するようなかたちで終わる」そうだが、その結末がどんなに感動的なものであろうと――どんなに涙を誘うものであろうと――あるいはまた、それが「戦争の無意味さ」をいかに「訴えかける」ものであとうと、「イラク戦争の悲惨」と「等身大」で重なり合うものではないはずだ。

 「現実」にはあり得ない「ヒーロー」を、「イラク」というこの世の地獄を舞台に創造し、スクリーンに幻影を投射したところで、「アメリカ軍事帝国」による歴史的な犯罪行為を消すことはできない。

 この映画が拍手喝采を浴びたとしたら、それはアメリカ人のジョン・ウエイン的な「度胸と勇気」の発現の場を、勇敢にもあえて「イラク」に設定し、おそらくはそれに見合っただけの痛烈なアイロニーを効かせて、エンターテイメントであることを暗黙の前提に、「超越的」あるいは「クール」に(ダスティー・ホフマン的に?)描き出したからだろう。

 これをたとえば、米海兵隊に掃討・破壊されたイラクのファルージャの市民が観たら、何と思うか?

           ★ ★ 

 太地町のイルカ漁を盗撮した「ザ・コーブ」の長編ドキュメンタリー映画賞受賞にも納得のいかない思いがした。

 太地町の捕鯨・イルカ漁は、ネイティブな伝統的な漁である。農水省の役人の天下り先が大規模船団を組んで出撃している「南氷洋・クジラ工船・大規模(「調査」)捕鯨」とはまったく性格を異にする。

 カナダなど世界の先住民らに認められている、沿岸捕鯨と同種のものである――それを盗撮したようなもの……。

 イラクで「100万人」もの民間人の命を奪っているアメリカにとっては、イルカより人間の命の方が軽いのか?

 8日付のニューヨーク・タイムズ紙(電子版)によれば、「コーブ」の制作スタッフたちが「アカデミー賞」の選考会を前に、サンタモニカの「すしレストラン」を標的に、鯨肉(クジラ握り、1個60ドル)を摘発する作戦を決行、呼応した連邦政府のエージェントらが家宅捜索し、店のメルセデスの中から鯨肉を押収する捕り物劇があった。
 海洋哺乳類保護法違反。最大懲役1年、2万ドルの罰金が課せられる。
  ⇒  http://www.nytimes.com/2010/03/09/us/09sushi.html?hp

 この押収された鯨肉、万が一「南氷洋産」(調査捕鯨の調査済み鯨肉)だなんてわかると、大変なことになってしまうが、それよりも気になるのは、アメリカの食文化の中で市民権を得、「kujira」のグルメを楽しむアメリカ人さえいるにもかかわらず、まるで「オスカー」の「前景気」をあおるように、すしレストランに急襲をかけた連中の、「食文化」に敬意を払わない、傲慢な態度である。

 日本の「マック」に肉食を忌み嫌う一団が現れ、牛を殺すなといってハンバーガーを投げ捨て、冷蔵庫のビーフを押収、陸上哺乳類保護法違反(?)だといってヤンキー店長を警察に突き出したら、アメリカ人はどう思うか?

           ★ ★ 

 この「コーブ」に「賞」をさらわれた「長編ドキュメンタリー」候補作で、僕がとても残念な作品がひとつある。
 それは、あの「ペンタゴン文書」をすっぱ抜き、「ベトナム戦争」の正体を暴露した、ダニエル・エルズバーグ博士を描いた、「世界で最も危険な男」である。
  ⇒ http://carpetbagger.blogs.nytimes.com/2010/02/08/from-the-pentagon-papers-to-the-oscars/?scp=19&sq=%EF%BC%A3%EF%BD%8F%EF%BD%96%EF%BD%85&st=cse

    http://movies.nytimes.com/2009/09/16/movies/16dangerous.html?

 エルズバーグ博士は、米国防総省(ペンタゴン)の中枢で働き、いかに米国の軍事権力が国民をだましているか、白日の下に曝した、「世界で最も勇敢な男」の一人――ペンタゴンにとっては「最も危険な男」。

 その命がけの告発を描いた、歴史的なドキュメントが、「すし屋」を襲うような輩の盗撮作品に負けるだなんて!

           ★ ★ 

 アメリカの作家・ジャーナリスト、ジェームズ・キャロル氏が書き、僕が訳出したガルブレイス賞受賞作、『戦争の家 ペンタゴン』(緑風出版)――エルズバーグ博士の闘いも描かれている――は、米国の軍事権力、軍産複合体の頂点に君臨する国防総省=ペンタゴンの「惨憺たる勃興」(アイゼンハワー退任演説)の姿を描き切ったものだが、ペンタゴン=五角の「戦争の家(House of War)」を、ある印象的なメタファーで譬えている。

 メルヴィルの小説に出て来る、あの巨大な「白鯨」――あの「白鯨」こそ、アメリカ軍事権力の化身ともいうべき、強大な「ペンタゴン」である、と。

 「ベトナム」でのたうち、「イラク」で、「アフガン」で猛威をふるう、凶暴な「白鯨」に目を塞ぎ、その「軍事力の世界投射」という現実から目をそらしながら、スクリーンに幻影を投射し続け、民衆の視線をあらぬ方向に誘導するハリウッドは、エリア・カザンのハリウッドではなく、ロナルド・レーガンのハリウッドでしかない。

 「白鯨」にのみこまれて、「傷」(ハート)を内向させ、銀幕の幻影に気をまぎらせてはならない。

 The Hurt Locker トレイラー ⇒ http://movies.nytimes.com/movie/408490/The-Hurt-Locker/trailers

Posted by 大沼安史 at 10:06 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (3)

2010-03-07

〔コラム 机の上の空〕 小林多喜二、「復活」の組曲

 井上ひさしさんの戯曲、『組曲虐殺』を、「すばる」1月号に載った台本で、紙上観劇した。
 小林多喜二をめぐる、井上ひさしさんの評伝劇だ。

 台本から、立ち上がる北海道弁。「そんなハンカクセェごどありますか」「ではないかい」――。そしてたとえば、「小樽電気館」(映画館)といった固有名詞。
 
 1971年、新米の新聞記者として、初任地の北海道・根室で「女工節」を聴き、その後、小樽に転勤して、4年間、「多喜二の街」で暮らした私には、懐かしさのこみあげる「舞台」だった。

             ♪

 この戯曲を読んで、私はトルストイの小説、『復活』のことを思い浮かべた。 
 そこには、似ていて違う――しかし共通するものがあった。

 どこがどう似ていているかは、言うまでもない(たとえば、「カチューシャに対するニェフリュードフ」と、「瀧子に対する多喜二」の関係。彼女ら2人がともに「酌婦」だったこと)。

 違っているのは、たとえばニェフリュードフが物語の終わりにおいて、人生の新たな旅路を始めようとするのに対し、特高の拷問で殺された多喜二は、その短い人生を終えていることだ。

 しかし、違いはもちろんそれだけではない。トルストイの「身代わり」ともいえるニェフリュードフは、体制に憤り、革命運動に理解を示し、貧しい人々、困難を背負った罪人らに同情を寄せ、できる限りの救援をするが、貴族ではない多喜二は、地下に潜って書く、抵抗運動を続けるしかなかった。

 ここにトルストイの平和主義と、多喜二の時代のプロレタリア文学の決定的な――大きな差がある。

             ♪

 周知のようにトルストイは日本の「白樺」派に大きな影響を与えた人だ。その白樺派の代表的作家のひとり、志賀直哉が、多喜二あてに出した有名な手紙が、千葉県我孫子市の「白樺文学館」(⇒ http://www.shirakaba.ne.jp/ )に残っている。

 その手紙には、たとえば、こうある。「主人持ちの芸術はどうしても希薄になると思ひます。文学の理論は一切見ていないといっていい位なので、プロレタリア文学論も知りませんが、運動意識から独立したプロレタリア小説が本当のプロレタリア小説で、その方が結果からいっても強い働きをするやうに私は考へます」

 あるいは、「トルストイは芸術家であると同時に思想家であるとして、然し作品を見れば完全に芸術家が思想家の頭をおさえて仕事されてある点、矢張り大きい感じがして偉いと思ひます。トルストイの作品でトルストイの思想家が若しもっとのさばっていたら作品はもっと薄っぺらになり弱くなると思ひます」。

 20歳年下の多喜二に対する、志賀直哉なりの親身(志賀直哉は多喜二と一度、会ったことがある。好感を持ったそうだ!)のアドバイスだが、ここにも「トルストイアン」と、プロレタリア文学者たる「多喜二」の違いが現れている……。

             ♪

 こうした「違い」はもちろん、常識的な解釈で、ほとんど誰もがうなずくことに違いないが、私が実は『組曲虐殺』を紙上観劇して感じたのは、むしろ「復活」との共通性である。

 井上ひさしさんはもちろん、トルストイと多喜二の「比較文学論」を書いたのでなく、小林多喜二という人間を書いたのだ。多喜二のプロレタリア文学を批評したのではなく、それを書いた「多喜二」を書いたのだ。それを書いて死んだ「多喜二」を、舞台の上でよみがえらせたのだ。

 そのよみがえった「多喜二」が、「トルストイ」に実によく似ている。外見ではなく、その人となりが似ているのだ。

 たとえば「ベートーベンのバイオリン協奏曲、作品番号六十一番」を好きだった多喜二!(トルストイも〔ブルジョア?〕音楽が好きだった。「復活」にはたしか、ベートーベンの交響曲第五番のことが出て来る!)

 (2人の特高刑事がおしくら饅頭をし、母、妻、そして瀧子もおしくら饅頭を始める姿をみて)「これはもうぼくの、一番新しい、かけがえのない光景だな」と語る、多喜二の平和主義! (階級的な憎悪を否定し、汝の敵――この場合は「特高刑事」――を愛せ、と教えたトルストイ!)

 そして「多喜二」は舞台の上で、こうも語るのだ。「わたしは……伏せ字なしでものを言うにいい世の中になればと、そう思っているだけです」と。
 
 この素朴な一念のどこに、志賀直哉の言う「運動意識」「主人持ちの芸術」「のさばる思想家」があろうか?
             
             ♪

 『組曲虐殺』の最後の場面(「唄にはさまれたエピローグ」)は、多喜二の告別式の「数日後の午後8時過ぎ」。
 幕が下りる前に歌われる最後の組曲は「胸の映写機」。

   カタカタまわる 胸の映写機
   かれらの姿を 写し出す
   たとえば
   本を読み 歩くすがたを
   人さし指の 固いペンダコを
   駆け去るかれの うちろすがたを
   とむらうひとの 涙のつぶを
   本棚に彼が いるかぎり
   カタカタまわる 胸の映写機
   ――カタカタカタ カタカタカタ
     カタカタカタ カタカタカタ
     カタカタカタ カタカタカタ……

 台本の活字からは舞台で歌われた、この最後の合唱がどんな音楽なのかうかがいしれないが、そのメロディーが私たちの今に続く「空間(光景)」を表し、そのリズムが私たちのこの場所に続く「時間(時代)」を刻むものであることは確かなことだ。

 それは私たちの未来に続くものであるだろうし、トルストイの時代のロシアにも遡るものであるだろう。
                          
             ♪

 井上ひさしさんの舞台で、「小林多喜二」は「復活」を遂げたのである。
 

Posted by 大沼安史 at 05:32 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-26

〔コラム 机の上の空〕 ハンセン博士が緊急提言! 「炭素税」を導入し、全家庭に還元せよ! 

 米国NASA(航空宇宙局)ゴダード研究所の所長でコロンビア大学教授のジェームズ・ハンセン博士は、「地球温暖化」に対し、必死で警鐘を鳴らし続けている人だ。

 人類は今や、後戻りのできない「ティッピング・ポイント(破局点)」に近づいているとして、石炭・石油の化石燃料の使用停止・削減を主張する、地球温暖化問題の世界の第一人者である。

 そのハンセン博士が昨年暮れに出した『私の孫たちを襲う嵐(Storms of My Grandchildren)』という本を読んでいて、200頁を過ぎたところで、ようやく「希望」に辿り着いた。

 絶望的な気分で読み進んでいたものだから、博士の「提案」のところに来て、ほっと息をついたのだ。まだ「希望」は、ある……!

            #

 ハンセン博士の「提言」で、「なるほど」と思ったのは、「炭素税(カーボン・タックス)」の導入提案である。

 仕組みはいたってかんたん。その国における「化石燃料(石炭・石油・天然ガス)」の「最初の販売」(炭鉱・油田などからの出荷、外国からの輸入)に対して「炭素税」を課税、課税額を段階的に引き上げ、「化石燃料」の価格を上げてゆくことで、消費を削減する、というものだ。

 ここまでは「炭素税」の課税をめぐる、常識的な議論だが、ハンセン博士の提案のユニークさは、その税収の配分法にある。

 ハンセン博士は「(米)政府は信用できないから」といって、全国民に対する「直接均等配分(配当)」を求めているのだ。

 博士によれば、二酸化炭素1トンあたり、115ドルの「炭素税」を課税すれば、年間6700億ドルの税収になる。これを成人の国民全員に平等に分配すると、単純計算で年間3000ドル(月250ドル)。子どものいる家庭(世帯)に加算する分配方法を採れば、年間8000~9000ドルもの「炭素配当金」を支給することが可能だ。

 分配方法も実にシンプル。各家庭の銀行口座に直接振り込んだらいい、という提案である。

 このハンセン博士の「炭素税」提案で、もうひとつ「なるほど」と思ったのは、その「累進性」の指摘である。

 お金持ちは、海外旅行にでかけたり、貧しい人より(化石)エネルギーを消費するが、ということはすなわち、それだけ「炭素税」の負担が大きくなる。
 博士によれば、アメリカの人口の(所得の低い方から数えて)6割が、「炭素税」導入によって、差し引き計算で「得」をすることになるそう。逆に、残る4割の富裕層は「損」することになる。

 つまりは、「格差是正」、貧困層の救済にもつながるわけ。
 それで化石燃料の消費を(二酸化炭素の排出を)削減できるわけだから、一石二鳥の卓抜なアイデアだ。
 日本でも、さっそく導入すべき、貴重な提案ではないか! 

            #

 昨日(25日)、僕の住む仙台は、まだ2月だというのに、最高気温が14度に達する、汗ばむ陽気だった。

 ハンセン博士の『私の孫たちを襲う嵐』という本のタイトルではないが、「地球温暖化」の危機は、人類の未来をも奪う、深刻な局面に踏み込んでいるのかも知れない(ハンセン博士は、そう断言している!!!!)。

 博士の言う、後戻りのできない「ティッピング・ポイント(破局点)」とは、最早、制御不能となり、増幅の一途をたどり出す、地球温暖化の暴走ポイントを指す。

 あのマイクロフォンとスピーカーが音を拾い、出し合って一気に増幅する、あのハウリング現象(それもスイッチを切れない)と同じことが、地球環境で起きる。

 いまや、待ったなし、なのかも知れない(博士は「待ったなし」だと言っている)!

 ◇ ハンセン博士のHP ⇒ http://www.columbia.edu/~jeh1/

 付記 提言  ハンセン博士の「片腕(研究のパートナー)」をされている方は、サトー・マキコさんという日本人女性科学者だ! (1970年、阪大のご卒業とか!)。

 日本のマスコミよ、ぜひとも、サトー博士(ニューヨーク在住)に取材してください! 

 あるいは彼女を日本にお呼びして、日本語で、わかりやすく講演していただいたらいい!!!

 地球温暖化の危機がどれだけ深刻なものか、彼女に教えていただいたらいい!

Posted by 大沼安史 at 06:37 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-22

〔コラム 机の上の空〕 男はリヤカーの上から、田んぼの女を見ていた……映画「キャタピラー」に思う

 ベルリン国際映画祭のコンペティションにノミネートされた日本映画、「キャタピラー」に主演した寺島しのぶさんが見事、最優秀女優賞に輝いた。

 世界最高の演技をみせた、寺島しのぶさんはもちろん素敵だが、その演技をディレクションし、この「芋虫(Caterpillar)」という、変わったタイトルの映画を作り上げた、若松孝二監督は偉大である。

 73歳――。おそらくは、おのれの監督人生の総決算(その第一作)をするつもりで撮った映画だろう。
 エロス、暴力、連合赤軍事件……ここ数年、世界的に再評価が進んでいたことは、僕も聞き及んではいたが、それにしても、日本の戦後の面の皮を一気に剥ぎ取る、すごい映画をつくったものだ。

          #

 映画の公式HP( ⇒ http://www.wakamatsukoji.org/top.html)に、「静かな田園風景の中で、1組の夫婦を通して戦争のおろかさと悲しみを描く、若松孝二の新境地といえる作品が完成した」とある。

 たしかにその通りだが、そこにあるのは、もちろん「小津安二郎」ではない。カンヌ映画祭で受賞した「砂の女」の「勅使河原宏」でもない。
 あくまでも、あの懐かしい「若松孝二」である。

 HPの「予告編」や「あらすじ」紹介を見ただけで断定するのはよくないことだが、「戦時中、昭和20年」を舞台にした「歴史もの」であっても、「若松孝二」は、あくまでも「若松孝二」である。

          #

 公式HPの「イントロダクション」に、こんな監督の言葉が掲げられている。
 「平和の為の戦争などはない。戦争は人間屠殺場である。」

 ストレートに真実を衝く言葉だし、それはまったくもってその通りだが、それよりも僕の胸を強く打ったのは、ドイツの新聞、「フランクフルター・アルゲマイネ」紙に載っていた、紹介記事についた一枚のスチール写真だった。
⇒ http://www.faz.net/s/Rub553B6C59A6C8447398FD82FD9A3C410B/Doc~E29D190BBF06A44EB8F74CF9D4B82E885~ATpl~Ecommon~Scontent.html

 「拡大」して見てほしい(+のポチをクルック)。リヤカーに乗った、「生ける軍神」、四肢を失った「久蔵」が、田んぼでひとり働く「シゲ子」を、小高いところから見ているシーン。

 水田の広々とした四角と、リヤカーの狭い四角。戦争を痛烈に否定する――戦争を囲い込み、戦争で失われたものを回復し、再生を図る、平和の構図がここにある。

          #

 これは推測だが、若松孝二監督は「水田」を、「生(いのち)」と「平和」のメタファーとして描いたような気がする。

 アルゲマイネ紙によれば、帰還した「久蔵」の変わり果てた姿を見て、「シゲ子」がショックのあまり、飛び出してゆくシーンがあるらしい。

 駆け出した「シゲ子」が、本能的に向かった先はどこか?

 そう、それは、「水田」――。
 彼女は、いのちと平和の、田んぼに向かったのだ   

          #

 若松孝二監督は、重傷を負った帰還兵を描いた、アメリカ映画「ジョニーは戦場に行った」や、江戸川乱歩の「芋虫」に触発されて、この映画と撮った、と「朝日」に出ていたが、発想の根っこにはたぶん、反戦川柳作家、鶴彬の「手を足をもいだ丸太にしてかえし」も、あったはずだ。

 「手と足をもいだ芋虫」となった男を、捨てない女。

 若松孝二監督の「水田」は母性の――日本の母のメタファーでもある。

   

Posted by 大沼安史 at 08:52 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-19

〔コラム 机の上の空〕 「対等な日米同盟」 倒錯の水平変換アクロバット

 日本とアメリカの関係を「日米同盟」などといって、さも「対等」な関係とに思わせるミトクラシー(神話化政治プロパガンダ)が、日米安保50周年のことし、日本国内において(片面的に)盛んだ。

 1910年の韓国の植民地化を、「韓国併合」といわず、「日韓併合」と、さも「対等な合同」であるかのように思わせた(当時の外務省の役人による、狡猾な命名)策略を「逆立ち」させたような、「日米同盟強化」キャンペーンの大合唱ではある。

 ほかの分野はさておき、こと「軍事」において、日米の間にどんな「対等」な関係があるというのだろう?

           #

 米国の軍事ウオッチャー、フリーダ・ベリガンさんは、反核・反戦運動に生涯を捧げた、フィリップ・ベリガン氏(1923~2002年、1999年には、コーンといわれる、核ミサイルの弾頭の覆いを製造する工場に侵入するなど、非暴力・直接行動によるプロテストを続けた、カトリックの元神父である。拙訳、『戦争の家ペンタゴン』参照)のお嬢さんだ。彼女もまた、父親同様、断固、平和を求める立場に立つ。
 
 そのフリーダさんが書いた最新のレポートで、日本政府が米国から、2008年に8億4000万ドルもの兵器を購入していたことを教えていただいた。
 800億円も――たった1年間で。

 この数字は米国防総省(ペンタゴン)が公開している資料に基くものだそうだ(日本のマスコミは報道しているのかしら?……)。

 世界第10位の輸入額。内訳は出ていない。何を買っているのだろう? 

 これに対して、輸出元の米国全体の兵器取引額は、2008年において、どれほどのものだったか?

 連邦議会調査局の調べでは、この年、全世界の兵器取引(額)の7割近く、378億ドルに達した、というのだ。3兆円を超える規模。

 フリーダさんはこの点を突き、アメリカはいまや「グローバル兵器独占体」だ、と指摘しているが、まさにしかり。軍事帝国・アメリカは、ぶっちぎりのナンバーワン、「死の独占商人」と化しているわけだ。

 そんなスーパー軍事大国、アメリカを相手に、日本はどんな「対等」な軍事同盟と維持しているというのか? 
 
           #

 「沖縄」問題、ひとつとってもわかるように、日本が単なる軍事隷属国に過ぎないことは、最早、誰の目にも明らか。

 日本のマスコミが「奇跡の安保条約」だなんのと、最近、糊塗作業に懸命なのは、この事実を必死で覆い隠そうとする、シジフォス的「神話化」キャンペーン以外の何物でもないだろう。

 実態としては、かつての「南ベトナム政府(軍)」、いまの「アフガニスタン政府(軍)」と、それほど違いがないはずなのに……。
 
           #

 フリーダ・ベリガンさんによると、オバマ政権は新年度予算で、アフガン政府軍向けの武器供与に60億ドルを計上しているそうだ。

 アフガンは今や、米国の軍事産業のぼろもうけマーケット。アフガン戦争でアフガンは、米国の兵器メーカーの「大消費地」と化したわけだ。

 そういうアメリカと「対等な、奇跡の同盟」だと?……

 「少し前までは最新鋭」だった兵器を売り込まれ、買わせられているだけのことではないか!

 このマゾヒズム的快感(?)に支えられ、主従(タテ)関係の現実を、水平化(ヨコ=対等)した幻想として見せかける、アクロバチックなまでの倒錯劇よ!
 

 フリーダさんのレポート ⇒ http://www.tomdispatch.com/post/175207/tomgram%3A_frida_berrigan%2C_pimping_weapons_to_the_world/ 

 

Posted by 大沼安史 at 07:06 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-16

〔コラム 机の上の空〕 「平和の母」の Mythocracy 批判

 愛息のケイシーさんをイラク戦争でなくした米国の反戦運動家、「平和の母」こと、シンディー・シーハンさんが、最近、『Mith America(神話のアメリカ)』という本を電子出版した。

 その「新刊」をめぐる彼女のエッセイ、「現代のプロパガンダが狙うもの:Mythocracy(神話政治)」が、ネット・ジャーナリスムのサイトで紹介されていたので、読んでみた。大事なことに気づかされ、励まされる、シンプルなエッセイだった。

          #

 神話(ミス)と統治(クラシー)の合成語、「ミトクラシー」。
 捏造された事実をプロパガンダで神話化することによって「真実」とみせかけ、民衆を統治するデマゴギー政治を指す。

 アメリカの一般大衆は、「ミトクラシー」によって、どこまでデマゴギーを注入されているか?

 その現実の一端を彼女は、行きつけのスポーツクラブで、「スーパー・ボウル」(アメフト優勝決定戦)の日に見たという。

 試合開始の時間になり、ガラガラになったプールで泳いだりしたあと、ホットバスに浸かり、居合わせたビルという名の初老男性と、こんな話を交わしたそうだ。

  ビル あなたのやっていることは、戦死した息子さんの名を汚すことだよ。
  彼女 そうかしら? 息子は非合法で非道徳的な戦争で殺されたの。息子の名を汚したのは、この国よ。
  ビル でも、やつらが「9・11」で、わしらを攻撃して来たんだ。
  彼女 えっ、「9・11」で、誰が攻撃して来たの?
  ビル イラクとサダム・フセインだよ。
      …………

 2人の会話はさらに続くが、これで十分だろう。
 彼女より年上の、ビルという男性に対する、アメリカ右翼権力による、ミトクラシーの勝利!
 「私の‘スポーツクラブ仲間’のビルは、(この国の)右翼に完全にプロパガンダされてしまっていた……」

          #

 こうした「ミトクラシー」に負けないため――いや、それに対して、民衆の「革命」で応えるために、彼女は新著を出したのだそうだ。
 そう、「革命(レヴォルーション)」を起こそうと、彼女は言い切っている!

 どんなふうに「革命」を起こすのか?
 彼女の呼びかけは、実に素朴で単純だ。たった4つのことを呼びかけているだけ。

 「まず、われわれはミトクラシーの現実を生きている事実を、しっかりつかむ」
 「次に、その神話をどんどん暴き立ててゆく」
 「そして団結して、(支配階級である)ドロボー階級(Robber Class)に抵抗する」
 「最後に、(トップ・ヘビーになった、このミトクラシー)帝国が近い将来、ひっくり返ることを見通す」

 体制の神話を破り、民衆が連帯して抵抗すれば、それで「革命」は成る、というわけだが、彼女はさらにダメ押しで、「これは、わたしたちが勝つに決まった革命だ」と言い切る。

 理由は、ふたつ。
 ① ドロボー階級(1%の超少数派)は、われわれ一般大衆に寄りかからざるを得ない。
 ② われわれの方が人数が圧倒的に多い。

          #

 彼女はエッセイの冒頭に、フランスの思想家、ジャック・エリュールの、こんな言葉を掲げていた。
 「現代におけるプロパガンダの目標は、最早、世論を変えることではない。そうではなく、活発な、神話的な信念を湧き起こすことだ」

 こうした「現代におけるプロパガンダ」は、もちろん、私たちの日本においても、教育、メディアを通じ、今もって――いや、ますます強力に、盛んに行われていること。

 その「幻想」をどう切り裂き、その正体をどう暴いてゆくか?

 「ミトクラシー」を脱神話化する――最低でも、神話化づくりに加担しない。

 現代におけるジャーナリズムの死活的な使命は、ここにある。 

⇒  http://cindysheehanssoapbox.blogspot.com/2010/01/order-info-for-myth-america-ii.html

http://dprogram.net/2010/02/15/the-goal-of-modern-propaganda-mythocracy-cindy-sheehan/

Posted by 大沼安史 at 11:00 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-14

〔コラム 机の上の空〕 もう一人の「龍馬」が、そしてわが敬愛する「コバキン」さんが、教えてくれたこと 

 龍馬――「りょうま」と読む。今、流行の「坂本龍馬」のことではない。「尾田龍馬」氏のことだ。

 尾田龍馬――オダ・リョウマ。私にとっては、坂本龍馬以上の存在である。
 
 彼こそ、絵画というものを、そして平和というものを、そしてその両者の、切り裂いてはいけない関係を、この飲み込みの遅い私に、最終的なところで、ようやく教えてくれた人であるからだ。

 これまで私が、さまざまな人の教えをもとに、考え続け、少しわかりかけていたことを、ダメ押しで開示してくれた人――それが私の、尾田龍馬氏である。

            #

 私が尾田龍馬氏の「絵」をはじめて見たのは、昨年夏のことだ。元・ベ平連の吉川勇一さんの紹介で入会させていただき、購読を始めた「市民の意見」(NO.115)の表紙に、尾田龍馬氏が描いた『宇和島の風景』と『自画像』がカラーの複製で載っていたのだ。

 作者紹介に、こうあった。「1919(大正8)年8月29日、愛媛県宇和島市に生まれる。県立宇和島中学校卒業後、1939(昭和14)年4月、東京美術学校油絵科入学……」
 「……1944年(昭和19)年11月10日。関東州柳樹屯にて戦病死。享年25歳」。

 画学生、尾田龍馬氏が遺した、故郷、宇和島の山村の絵と自画像だった。(長野・上田、「無言館」所蔵)

            #

 宇和島の山間の村の風光と、陰影に富んだ自画像を見て、ふたつとも、この人の「世界」と「生」を描いた絵だと思った。

 世界を写生する自分、写生する自分を写生した画像――。

 「写生」とはよく言ったものだ。
 風景画を描く人間にとって、風景とは自分が写した生であり、自画像を描く人間にとって、その自画とは自分の生を写したものである。

 この二つの「絵」には明らかに、写し描いた生の肯定があった。生きている自分が写しているふるさとの風景があり、生きている、描き手である自分の姿がそこにあった。

           #

 その人と、その風景と――それを抹殺したのが「戦争」だった。

 死期を悟った尾田龍馬氏は、中国・関東州の病院で、姉のため、ハンカチに芍薬の花の絵を描いた。

 ハンカチは遺骨とともに、姉のもとに届けられた。

           #

 私は、この尾田龍馬氏の絵を見ながら、一昨年、東京・駒沢大学駅前の画廊で、見た一枚の絵を思い出した。

 私の新聞社の先輩である、小林金三氏の個展会場で見た、一枚の絵。

 小林金三氏は、60年安保当時、安保反対の論陣を張った北海道新聞の論説委員のひとり。旧満州・建国大学の出身で、戦後、日中友好にも力を傾けた人だ(「ベトナム日記」(理論社)、「論説委員室」(彩流社)、「白塔」(新人物往来社)など著書多数)。

 小林金三氏(コバキンさん)は新聞社を退職後、札幌の手稲山のふもとにで、画業に専念してきた。「手稲山はオレのサンビクトワールだ」と言って。

 その山荘のアトリエで描かれた一枚の絵に、私は個展会場で釘付けになった。
 冬の山の林間を描いた絵。雪の結晶のような、深みのある、そして鋭い、白と藍色の構図。

 その絵を見て、思った。これが何の飾り気もない、コバキンさんの満州であり、手稲山麓であり、彼の人生であるのだな、と。

           #

 コバキンさんは北海道新聞の小樽支社長を務め、小樽を愛し、小樽の街並みを描き続けた人でもあるが、同じ小樽ゆかりの、評論家、吉田秀和さんが、セザンヌの絵を論じた大著の中で、セザンヌには「モデレ」と「モデュレ」の総合があったと指摘したことを(うろ覚えながら)覚えている。

 世界をつかみ(モデレ)、それを己の生において様式化(モデュレ)し、そうして描かれた風景画(もしくは自画像)――それが、セザンヌだと。

 絵とはそれほどまでに、自分を通して世界に迫り、世界に迫ることで自分を表すものなのだ。

 尾田龍馬氏の、おだやかな風景画と、コバキンさんの裂帛たる、真冬の絵に共通するものがここにある。

           #

 私は尾田龍馬氏の遺した絵を見て、ここに「9条」がある、圧倒的な平和の肯定と戦争否定があると思ったものだが、コバキンさんの絵にも、同じように訴えかけてくるものを感じる。

 そこにある、山の絵を、今を生き、その山を見ている、オレが描く……そのことを否定するものを、オレは憎む……その、動かしがたい、単純な真理!

 コバキンさんは先日、札幌で、後輩の記者たちと一夕をともにし、「60年安保」当時の思い出にふれて、「難しい時代に論説委員を務めたのは、一種単純化する発想だった。例えば、独立国なのに外国軍の基地があっていいのか、アジア各国とも相互不可侵条約を結ぶべきだ――と主張した。外国軍の基地を持ったままで若い人に国家を考える心が生じるはずがないではないか」(会の参加者のメモより)と語ったそうだが、私はこの発言に、余計な夾雑物を排除し、本質を見切って、それだけを描き込む画家の目を、どうしても感じてしまう。

           #

 近頃、わが日本国では、「奇跡の安保条約」などと言って、「日米軍事同盟」を誉めそやす言説が溢れているが、コバキンさんの発言(と絵)には、尾田龍馬氏の遺作の絵と同様、あってはならないものを――人が生きる風景を、その風景を生きる人を破壊するものを、一直線に裁断するものがある。

           #

 ことしは「60年安保50周年」――。
 当時、東京の某大手新聞社に、整理記者として勤めていた歌人、島田修二氏(1928~2004年)は、こんな歌を詠んでいる。

   是是非非と両成敗の論なしてよく笑うなり記者の立場は
   生くるための擬装の中に真実は消えしか政治記者彼の場合に

 こうした権力に迎合する態度こそ、当時、北海道新聞・東京論説委員室にあって、コバキンさんが憎み、戦ったものであり、戦時中、四国の画学生、尾田龍馬氏が当時において、ひそかに蔑んだものであろう。

 島田修二氏は、樺美智子さんが殺された日に、こんな歌も詠んでいる。
  
   いのち守らんための抗議に処女死にて原理論絶ゆ駅までの道に

           #

 余計な言説=その原理論さえも無用な、奪われてはならない、かけがえのない生の世界――それこそ、コバキンさんの描いた、あの白と藍色の冬の山林の世界であり、尾田龍馬氏が遺した、緑ゆたかな「宇和島の風景」である。

Posted by 大沼安史 at 07:07 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-07

〔コラム 机の上の空〕 「9条の会」の大江健三郎氏に問う 「1960年の安保闘争」を「最大の危機」とした「朝日」に対し、あなたは批判もせず、これからもコラムを書き続けるおつもりですか?

 朝日新聞の船橋洋一・主筆が2月4日朝刊のコラム、「日本@世界」で、「新たな同盟像をどう描く」との見出しで、社説記事を書いていた。

 驚くべきことが書かれていた。
 「日米同盟は、戦争の敗者と勝者と2度を戦わないことを誓い、『信頼と和解』を築いた同盟である。言葉と文化を異にする両国が、その後ここまで信頼関係を深めたという点で、それは現代の奇跡といってよい」

 な、なんと、現代の奇跡! その「日米同盟」の影で、言葉(漢字)をともにする日中両国が、戦後ここまで「信頼と和解」を築かなかったのは、これ、まさに歴史における異常な汚点、といってもいいのに――と思わず、言い返したくもなるくだりである。

 船橋氏の「朝日」主筆としてのコラムには、こんな箇所もあった。「日米同盟」の再定義するにあたって、「互恵原則」というものを、こう考えたい、とする船橋氏の指摘である。

 船橋氏によれば、「互恵原則」とは、「共通の脅威と課題」に対応するための「共同の義務」だという。 

 「互恵」という言葉に、どうして「共通の脅威」が出てこなければならないのか?

 ちなみ、わが尊敬する国語学者、大野晋氏による「国語辞典」では、「互恵」とは「国家間で、特別の便宜や利益をあたえたり受けたりすること」とある。そのどこにも「共通の脅威」の影はない。

 しかし、ともあれ「朝日」の主筆、船橋氏の主張は明快である。「半世紀に及ぶ(日米)同盟史には危機も漂流もあった。最大の危機は1960年の安保条約改定をめぐる安保反対闘争だったろう」と言うのだから。

 船橋氏にとって、あるいは船橋氏を主筆する「朝日」にとって、今や「60年安保闘争」は、日米同盟の最大の「危機」でしかないのだ。安保闘争を、最大の危機としてしかとらえられない、朝日の主筆!
 
 まあ、「朝日」が今、そういう立場をとろうというのだから、それはそれで結構、こちらとしては読まなきゃ(購読しなければ)いいだけのこと――ということにもなるが、「朝日」を愛読して来た私としては、この船橋氏(この方も私は、これまで尊敬申し上げて来た!)の主筆としての主張に対し、「夕陽妄語」の加藤周一氏がもしご存命でありせば、どんな反応をされたか、考え込まざるを得ない。

 これは私の想像ではあるが、加藤氏が健在であれば、容赦のない徹底的な批判を、船橋氏に加えたのではないか?

 しかし、加藤周一氏はもちろん、すでに鬼籍にお入りになられた方だから、意見をお聞きしたいと思っても、最早、いかんともしがたい。

 そこで私は、ここで何としても――是非とも、お聞きしたいのだが――加藤周一氏と一緒に「9条の会」を立ち上げた、同じように朝日新聞にコラムを持つ、大江健三郎氏に、朝日の主筆の「社説」に対する意見を、ぜひとも、おうかがいしたい、と思うのだ。

 大江さん、あなたは、船橋氏及び「朝日」の立場に対して、どんな態度を表明されるのですか?

 あなたは、「60年安保」に対する人々の抵抗を「奇跡の日米同盟」の「最大の危機」としてしかとらえない「朝日」に対し、批判もせず、 今後とも執筆をなされるおつもりですか?

 ここでぜひとも、あなたのご考えをお聞かせ願いたい。

 それこそが、あなたがふだん、口を酸っぱくしていっておられる「知識人の責任」というものではないですか。

 大江氏よ、「60年安保」とは何だったか、船橋氏に言っておあげなさい!

 樺美智子さんを殺したものこそ、奇跡の「日米同盟」だった、と言っておあげなさい!

 大江さん、お願いします。「9条」の名において、ぜひとも、船橋氏に反論を加えていただきたい!

 お願いします!    

Posted by 大沼安史 at 08:08 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2010-02-02

〔コラム 机の上の空〕 「可能性の証」を生き抜いた人 ハワード・ジン氏をJ・キャロル氏が追悼

 米国の作家・ジャーナリスト、ジェームズ・キャロル氏が、盟友、ハワード・ジン氏の死を悼む追悼コラムを、ボストン・グローブ紙に書いた。
 ⇒  http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2010/02/01/zinns_life_was_a_testament_to_possibility/

 「ジンの人生は、可能性に対する証だった」と題するコラムは、ジェームズ・キャロル氏がその大著、『戦争の家ペンタゴン』(拙訳・緑風出版)の中で紹介していた、旅客機のなかでのジン氏の、あるエピソードから書き起こされていた。

 国内線のフライトに搭乗した時のことだった。いつものように、機長のアナウンスがあった。何気なく聞いているうちに、驚いた。機長の名前は、ジン氏の記憶に焼きついた名前だった。

 スチュワーデスに自分の名前を書いたメモを渡し、機長に届けてくれ、と頼んだ。
 間もなく、機長がジン氏のもとにやって来た。思っていた通り、機長はあの、ジン氏の忘れもしないパイロットだった。

 あいさつを交わしたが、機長とジン氏の対面は、ぎこちないもので終わった。
 それはそれで仕方のないことだった。
 機長はすぐ操縦席に帰って行った。ジン氏はちょっと悲しかったが、ジン氏の側の機長に対する絆はそこで断ち切られなかった。ジン氏はその機長との奇縁を思い出として保持し、キャロル氏に語ったのだ。「元気そうでよかった」と。

          #

 その機長とジン氏が出会ったのは、その数年前、1967年のことだった。
 場所は――当時の北ベトナムのハノイ。

 ジン氏はダニエル・ベリガン神父とともに、米軍のパイロットの捕虜3人を引き取りにハノイ入りし、連れて帰った捕虜の1人がその機長だった。

 なぜ、ジン氏はベトナム戦争の最中、北ベトナム政府の申し出に応え、米兵を引き取りに出かけたか?

 それはジン氏自身が、第二次世界大戦中、欧州戦線で爆撃機に乗っていたからだ。いつ撃墜されるかわからない危険な任務に就いていたからだ。撃ち落されたパイロットの気持ちを理解できる体験があった。

 このハノイ行きに対して当時は、北ベトナムのプロパガンダにまんまと乗せられて――など反発も強かったが、ジン氏とベリガン神父は雑音に耳を塞ぎ、やり抜いたのだった。

          #

 ジン氏の訃報を聞いて、キャロル氏はふと、ジン氏から昔、聞かされたこのエピソードを思い出した。
 なぜ、このエピソードを思い出したか?――それは、もちろん、この挿話に、ハワード・ジンという友の、人間としての全てが凝縮されている、と考えていたからだ。

 戦争に私は反対だから――という「驚くべきシンプルさ」と、人と人とのつながりを大事にする、「(他者に対する)まれに見る包容力」。それがジン氏にはあり、それがジン氏という人間の本質だった――と。

           #
   
 真実の率直な言明と他者との共感は、歴史学者のジン氏を上下関係にとらわれない、平和と社会正義を求める運動家とした。「自分の学識をひけらかすことの決してない人だった。複雑さに適応し、それに囚われてしまうことのない人だった」。

 だから、ジン氏の「声」は、世代から世代へと引き継がれ、繰り返し聞かれることになったのだ。

 ジン氏の行くところ、若者たちが集まり、ジン氏を歓迎した。「そのありさまを私は1960年代の終わりにも、そしてついこの2ヵ月前にも、目の当たりにした」と、キャロル氏は書く。

           #

 ジン氏は心から「若者には特別な倫理的な洞察力が備わっていると信じ、その若い心に訴えかけた」人だった。

 そして、非難の言葉をただ投げつけるのではなく、「アメリカは必ずや、自分自身を乗り越えてゆく」と信じた人だった。

 アメリカが自分を乗り越えるとは、新たな可能性に向かって進み、今とは違った未来を手にすることである。

 その可能性を、その人生でもって示し、一生をその証(あかし)として生き通した人、それがジン氏だと、キャロル氏は追悼コラムを結んでいた。

 その通りだと思った。
 キャロル氏もコラムを書き終えて、たぶんそうだったはずだが、ベトナム戦争世代の一人である私もまた、コラムを読み終え、熱いものが瞼ににじんだ。

Posted by 大沼安史 at 05:54 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2010-01-28

〔コラム 机の上の空〕 「平和の汽笛」を鳴らし続けた人 ハワード・ジン氏 死す

 米国の歴史家のハワード・ジン氏が27日、お亡くなりになった。

 87歳。活動疲れを癒しに出かけたカリフォルニア・サンタモニカでの死因は心臓発作だった。
 戦争に反対し、平和と正義の実現を求めて、ひたすら歩んで来た人生だった。公民権運動を闘い、ベトナム反戦運動を続け、この10年は「イラク・アフガン戦争」反対運動の先頭に立ち続けて来たジン氏は、最後まで活動をやめず、活動の最中に、遂に倒れた。

 「米国の良心」として、立ち姿で大往生を遂げたジン氏だが、立ち止まらず、後退せず、逃げ出しもしなかった人だ。

 ニューヨーク・ブルックリンのユダヤ移民の貧困家庭に生まれた。お湯も出ない、水道の蛇口も一箇所しかないような、ボロアパートに育った。寒風吹きさらしの造船所で働き、第2次大戦中は、ヨーロッパ戦線で、B24爆撃機の爆撃手として戦った。戦後、GIビルで大学に進学、歴史学者となった。

 その人生の歩みは、自伝、“You Can’t Be Neutral on a Moving Train(「驀進する列車の上で、中立ではいられない」” (1994)に詳しいが、南部アトランタの黒人女子大、スペルマン・カレッジに歴史学の教師として赴任して以来のジン氏の軌跡は、自伝のタイトル通り、「中立」と言う安逸に逃げ込まず、「暴走するアメリカ」にブレーキをかけ、「現代アメリカ」という名の列車を、平和と社会正義の方角へと向けようとする、闘いの歴史だった。

 この自伝を読んで忘れられない箇所が二つある。

 ひとつは、若きジン氏がスペルマン・カレッッジの教員をしながら、公民権運動組織、SNCC(学生非暴力調整委員会)のアドバイザーをしていた時のエピソードだ。
 教え子の黒人の女子大生たちが、市立図書館に出かけ、棚からアメリカの憲法や人権関係の本を取り出しては、黒人禁制の白人専用貸出カウンターに行って、断られるのを覚悟で、粘り強く、何度も何度も、貸出手続きの申し込みを繰り返したというのだ。
 アメリカ南部の人権状況をあぶりだす、非暴力による直接行動!
 当時の教え子の中には、黒人女流作家として名をなす、作家のアリス・ウオーカーもいた。学生時代からすばらしい文章を書いていたそうだ。

 もう、ひとつは、ジン氏が、「べ平連」の招きで、1966年に日本を講演旅行したときのことだ。
 そのなかでジン氏は、「公園のようなところで学生たちと車座になって話し合いをした」仙台での良き思い出を書いていた。
 1966年、仙台――僕は当時、仙台の高校の3年生。
 ジン氏の自伝のこのくだりを読んで、僕はうれしくなる一方、ああ、僕があと1年早く、生まれて大学生になっていれば、会えたかも知れない――と、少し残念に思ったものだ。

 話が脱線したところで、本筋に戻すとすると、戦時中、爆撃機に乗っていたジン氏が戦後、戦争に反対するようになった起点には、爆撃手としての戦争体験がある。

 これは、ベトナム戦争当時、ジン氏とボストン大学で一緒に反戦運動に参加していたジェームズ・キャロル氏(ジン氏はボストン大学の歴史学の教授。キャロル氏はボストン大学づきのカトリック神父)の著書、『戦争の家』(拙訳、緑風出版)を読んで分かったことだが、ジン氏にはフランスのロワイヨンという町に対して、焼夷弾による無差別爆撃をした過去があるのだ。ドイツ軍がいるとはいえ――命令されてのこととはいえ、無関係なフランス人住民まで殺戮してしまった過去があるのだ。

 焼夷弾の威力を確かめる無差別空爆――ジン氏は戦後、ロワイヨンを訪ね、住民にインタビューするなどして「戦争」というものの恐ろしさを罪の意識の中で学び、「非戦」を決意をさらに固めたのである。

 歴史の主人公は、爆撃機を飛ばす権力者のものではなく、地上に生きる民衆だ。権力者の歴史ではなく、民衆の歴史を書かねばならない……これが反戦運動を続ける一方、『アメリカ人民の歴史』などアメリカ民衆史を書き、権力による歴史の偽造を告発し続けて来たジン氏の一貫した態度だった。

 僕が最後に(ネットの映像で)見たジン氏は、昨年11月11日、ボストン大学での講演するジン氏だった。

 「聖戦」と題する講演でジン氏は、「聖戦」とされているあのアメリカの独立戦争の際、ニュージャージーの戦線では、戦うことを拒否した数百人の兵士を処刑する、無残な出来事があったことを指摘し、「正史」というものの正体を暴露していた。

 アフガン戦争など「テロとの戦い」もまた、この「聖戦」に連なるものだ。
 アメリカという国は国内では「インディアン戦争」という全面戦争を展開し、その勢いで「聖戦」を繰り返して来た国なのだ。

 「戦争」という名の暴走列車、アメリカ!
 その「戦争列車」から目をそらさず、「平和」の汽笛を鳴らし続け、必死になってブレーキをかけ続けたハワード・ジン氏!

 友人であり、同志でもある、作家・ジャーナリストのジェームズ・キャロル氏は、ボストン・グローブ紙の訃報の中で、ジン氏についてこう語っていた。

 「ハワードには、公共のモラルをかたちづくり、平和という、偉大なもうひとつの展望があることを明確に示すことができる、天才があった。しかし、彼が何よりも天才だったのは、愛というものの実践的な意味においてである。若者たちを引き付け、彼の周りに、常に驚き、敬意を払う友人の輪が広がったのは、そのためである」

 平和への実践的な愛を貫いて、一生を終えたハワード・ジン氏。
 死してなお、暴走列車の機関室の窓に、ひとり懸命にブレーキをかけ続ける、痩身・銀髪のジン氏の姿が見えるような気がする。 

 訃報 ⇒ http://www.boston.com/yourtown/newton/articles/2010/01/28/historian_activist_zinn_dies/

  http://www.nytimes.com/2010/01/28/us/28zinn.html?hpw

 最後の講演  ⇒ http://www.democracynow.org/blog/2010/1/8/howard_zinn_three_holy_wars

 
 ジン氏のHP⇒ http://www.howardzinn.org/default/index.php

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2010-01-26

〔コラム 机の上の空〕 「戦争の家」の申し子、マッカーサー将軍が最後に語った「平和の言葉」

 米国防総省(ペンタゴン)の全史、『戦争の家』(拙訳、緑風出版)を書いた、米国の小説家でもありジャーナリストでもあるジェームズ・キャロル氏が、ボストン・グローブ紙(1月25日付)に、「人間は戦争を生きのびることはできるか」とのコラムを書いていた。⇒  http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2010/01/25/can_the_human_race_outgrow_war/

 自らの少年時代の戦争ごっこから書き出したコラムは、ダグラス・マッカーサー将軍について語りながら、まるで「戦争」が国家プロジェクトとなったようなアメリカの現状を批判するものだった。

 朝鮮戦争の時代に育ったキャロル少年にとって、「戦争の英雄」だったマッカーサーを語ることが、どうして現在のアメリカ軍事帝国の批判につながるのか?

 私たち日本人が知るマッカーサーは、あの「出て来いニミッツ、マッカーサー」のマッカーサーであり、パイプをくわえて厚木に降り立ったマッカーサーであり、人間天皇と並んで記念写真を撮ったマッカーサーだ。
 マッカーサーは陸軍元帥として、日本占領を指揮したあと、朝鮮戦争を戦った最高司令官。

 そんなマッカーサーだから、彼が「戦争の廃棄は何世紀にもわたって人間の夢であり続けて来たが、その目標に向けたあらゆる命題は不可能なもの、幻想として、これまで即座に放棄されて来た」(キャロル氏のコラムでの引用)と語っても、それは不思議なことではない。

 実際のところ、マッカーサーは朝鮮戦争で、原爆の使用も提起した人だった。

 にもかかわらず、キャロル氏によれば、そのマッカーサーが亡くなる3年前、1961年7月5日(アメリカ時間)、思い出の地、フィリピンのマニラで、軍人としての経歴、あるいは軍人としての発言を自ら否定するような、次のような演説を行っていたという。

 「戦争の廃棄は……最早、学識のある哲学者たちや聖職者たちだけが熟考する倫理問題はなくなっている。その生存こそが重要な一般大衆の決断にとって重要な中核的な問題になっているのだ。……生存こそが重要な一般大衆――それは私たちのことである」

 The abolition of war. . .is no longer an ethical question to be pondered solely by learned philosophers and ecclesiastics, but a hard-core one for the decision of the masses whose survival is the issue.……The masses whose survival is the issue - that would be us.

 これが再び、マニラにリターン(凱旋)した老マッカーサー、81歳の言葉だった。まるで、日本国憲法の9条に学んだような「非戦論」ではないか!

 しかし、それにしてもなぜ、キャロル氏は今頃になって、マッカーサーのことを書く気になったのか?――その直接の動機は、マッカーサーの誕生日〔1880年の「1月26日」(つまり、今日はマッカーサーの生誕130周年の記念日)〕と結びつくものだろうが、新しい年=2010年を、「戦争の家」の惨憺たる破壊の衝動に、歯止めをかける転機の年としたいからでもあるだろう。

 マッカーサーは、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」と言った。しかし、将軍は平和の言葉を遺してこの世を去ったのである。
 
 「戦争の廃棄」――マッカーサーの言った言葉は、沖縄の声でもあり、9条の精神でもあり、アフガン戦争をはじめ全戦争に反対する、全世界の人々の訴えでもある。

 ☆ ジェームズ・キャロル著、大沼訳、『戦争の家ペンタゴン』(緑風出版、上下2巻) ⇒  本欄 右サイド 参照 

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2010-01-16

〔コラム 机の上の空〕 オバマよ、戦争(人災)をやめて、震災ハイチの救援・復興に全力を挙げよ

  アフガン戦争をエスカレートさせたオバマが、ハイチに米軍の救援部隊を送り込んだ。
 2005年、イラク戦争の最中、ハリケーン・カトリーナがニューオルリーンズを襲った時の、ブッシュ政権の「不動」の姿勢は“見事な”ものだったが、それに比べて、オバマの動きは格段に速かった。

 が、しかし……。
 
 かつてハイチでの米軍の活動を現地で取材したことのある、英紙インディペンデントのジャナーリスト、パトリック・コバーン氏が、同紙に書いていた。

 「アメリカはハイチをダメにしようとしている――もう一度(The US is failing Haiti – again)」と。⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/patrick-cockburn-the-us-is-failing-haiti-ndash-again-1869539.html

 なぜ、「もう一度」なのか?
 それは過去に、すでに一度、この国をダメにしているからだ。
 
 ブッシュ政権が、元神父のアリスティドを国外に追放、現政権を据えたのは、2004年。その時、この国の泥棒特権層のために街頭で暴れ回ったのは、地元のギャングどもだった――と、コバーン氏は指摘する。

 腐敗した、無能な政権。国内統治をおろそかにしたツケが、今回の大地震で噴き出した。
 あの、カトリーナのブッシュ政権のように、救援・復旧に「不動」の姿勢を貫いた(いまなお貫いている)、プレヴァル政権。

 オバマはハイチの復興に全力を挙げると見栄を切っているが、本気でハイチを再生させるなら、まともな、正統な政権を――国民のためのまともな、正統な政権を打ち立てなければならない、とコバーン氏は指摘する。

 それができなければ、イラク、アフガンの二の舞を演じることになるだけだと。

 ハイチとニューオルリーズの悲劇は、たしかに天災によるものだが、人災的な要素も強い。

 イラク戦争とアフガン戦争という、最悪の人災が続く中での惨憺たる事態、という点でも両者は共通している。

 戦争に反対する人々の思いと、被災者に救いの手を伸ばそうとする人の思いは同じだ。  

 オバマよ、戦争をしているときではない。被災者を救う時だ。
 アフガンで戦争を止め、戦災者を救い、ハイチを復興する時だ。

 戦争(人災)を止め、地震(天災)被害と闘う時だ。天災との闘いを通じて、アメリカのアイデンティティーを回復せよ!

 それが、君がなさねばらない、あのオスロで授与された、ノーベル平和賞にふさわしい行為である。

Posted by 大沼安史 at 10:01 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-12-04

〔コラム 机の上の空〕 加藤周一さんの声が聴こえる 「考えてからだ」

 僕は加藤周一氏と面と向かって話したことはない。物理的に一番近づいたのは、80年代の後半、東京のプレスセンターでの講演会でのこと。講演を終え、お帰りになる加藤周一氏の、約1メートルの至近距離まで近寄ることに成功した。声をかけようにもかけられなかった。(加藤氏はメキシコから帰ったばかり。ジーパンを穿いてらした!)

 僕はつまり、加藤周一さん(「氏」と呼び続けるのは嫌だから、ここからは「さん」付けにさせていただく)には一度も「会った」ことはないのだが――対面して謦咳にふれたことは全くないのだが、「直接」話したことがある!

 4、5分だったろうか? 7、8分だったろうか? いずれにせよ、ほんの短い時間のことだったが、僕の記憶の中で、今なお、加藤周一さんの言葉が――加藤周一さんの声が、鮮明に甦る。

 1991年12月26日のことだったと思う。
 当時、僕は、銀座にあった北海道新聞(道新)東京支社の外報部に所属していた。上司の外報部長は、東(ひがし)功さん(道新の社長になった人だ。北京特派員時代、民主化運動を取材し、『北京の路地裏』という本を書いた。僕の「恩人」である東さんのことも、いずれ機会を見て書きたいと思っている……)。

 前日の25日は、「ソ連」が遂に幕を閉じた日。
 26日の夕刊の作業が終わったあと(午後1時過ぎ)、東さんから、「ソ連の終わり」を歴史的に総括する文章、誰かに書いてもらおうと思うんだけど、誰がいいかな?――と訊かれた僕は、早速、竹内芳郎さんと加藤周一さんのふたりの名前を挙げた。

 東さんの即決で、僕が電話で、二人にお願いすることになった。できれば、お二人に書いていただく。紙面は確保する。しかし最低、どちらか一人に書いてもらいなさい――。これが東さんの僕への指示だった。

 最初に電話したのは竹内芳郎さん。
 竹内芳郎さんは言うまでもなく、マルクス主義哲学から言語論まで展開された方。一面識もない僕の必死のお願いを、最後にはようやく聞き入れて下さり、その日の6時まで、原稿を書いて下さることになった。(この時、竹内芳郎さんが書いてくれた文章は、ロシア革命をフランス大革命と比較したもので、ほんとうに凄いものだった!)

 竹内さんの自宅まで、「少年君」(アルバイトの学生)に車で原稿を取りに行ってもらう手配を済ませた僕は、続いて加藤周一さんの家に電話を入れた。
 竹内さんもそうだったが、電話口に出たのは、加藤周一さん本人だった。

 僕はなぜ加藤周一さんに原稿を書いてもらいたかったか?
 それはもちろん、加藤周一さんが加藤周一さんであったからだ。それともうひとつ、僕が加藤周一さんのファンであったからだ。

 いうまでもなく、加藤周一さんは68年のソ連軍チェコ侵攻の際、自ら車を運転して現地・プラハに乗り込み、あの『言葉と戦車』を書いた人。
 僕は僕で、加藤周一さん自慢の手料理がハンガリー料理であることまで知っている、ミーハーと言われても仕方ないくらいのファンだった。

 懸命に、原稿をお願いする僕に、加藤周一さんは戸惑われたようだった。「今すぐには……」とおっしゃられる加藤周一さんに、僕は食い下がった。
 OKしてくれない加藤周一さんに向かって、僕はなおも迫った。
 その時だった。
 加藤周一さんが電話口で笑ったのだ。
 ホッ、ホッ、ホ~と。

 そして、笑いを含んだ声で、こう、おっしゃられた。「考えなければ書けない。だから、いますぐはできない」と。

 それでも引かない僕に、加藤周一さんはもういちど繰り返した。「考えてからだ」
 
 そこで僕は、東さんからの目の合図で「失礼しました」と電話を切ることになるのだが、僕はひょっとして、僕の頼み方が悪くて断られたのかな、と不安になった。

 しかしその不安は、翌日27日の朝刊の在京各紙に、加藤周一さんの寄稿はもちろん、コメントさえ載っていないのを見て、さらなる加藤さんに対する傾倒へと転化したのである。(そしてついには、僕の初めての小説、『緑の日の丸』に、「加藤真一」という「偽名」で登場していただくことになる……)

 「考えなければ書けない」「考えてからだ」――これまで一人、自分の胸の中に秘めて大切にして来た宝物のような、加藤周一さんのこの「言葉」は、加藤さんの、あの巨大な知的な営為の中心線を貫くものであり、本来、著述する者、自分の意見を表明する誰もが、その活動の基底に据えねば成らない、知的な構えというべきものであろう。

 「考えなければ書けない」「考えてからだ」という言葉……そして、困った奴だなとでも言いたげな、愉快そうな、あの笑い声。

 今振り返れば、1991年暮れの加藤周一さんとの「数分間」は、僕のその後の活動に、方向性を与えてくれた「数分間」だったと思う。自分はどう考え、何をどう書いて生きて行きたいのか、という方向性を。

 方向性……加藤周一さんはたしか、こうお書きになったことがある。
 目標とは距離ではない。方向である、と。

 
 加藤周一さんが亡くなられて、もう一年が経つ。
 僕が新聞で訃報を知ったのは、横浜の自宅アパートでのことだった。あっと思った瞬間、地震でもないのに、部屋に積み上げていた本の山がひとつ崩れた。

 将棋の駒遊びの「金」のように、一冊だけ、僕に向かって、ムーンサルトを決めた本があった。
 不思議なことに、加藤周一さんの本だった。

                 *   *

 〔お知らせ〕 きょうだいブログ「教育改革情報」、再開のお知らせ  

 休眠状態にあった「教育改革情報」を再開します。身体的、精神的に持ち直してきたのと、わずかながら時間的な余裕が出て来たので、僕の「本籍」である、教育問題に対し、こんご目を向けてゆきます。

 時々、覗いてください。⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog2/  

  

Posted by 大沼安史 at 12:20 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (2)

2009-12-03

〔コラム 机の上の空〕 アフガン déjà vú

 「戦争」を続けながらノーベル「平和」賞を受け取る、「戦争=平和」大統領、オバマの「増派&撤退」演説から一夜明けた、アフガン、パキスタンの現地では、アメリカの大使館が、カット&ラン(錨の綱を切って、逃げ出す)ではないと、両国政府に対する説明に追われているそうだ。
 ⇒ http://www.nytimes.com/2009/12/03/world/asia/03pstan.html?ref=global-home

 アメリカは逃げ出しはしないから、大丈夫、安心しろ――と「不安」の沈静化に躍起なわけだ。
 しかし、いったんオバマの口から「撤退」が出た以上、最早、逆戻りはできない。

 「2011年7月」からの米軍の撤退開始――。この流れは基本的に変わらない、とみるべきだろう。
 オバマ政権は恐らく、アフガンでは勝てない(アフガンでも負ける)と、最終的に判断を下したのだ……。当然のことである。

 で、この撤退開始のタイムスケジュールだが、前例であるソ連軍のアフガン撤退を考えると、これくらいかかるのは止むを得ない(もちろん、そんな時間をかけないで、「即撤退」できるなら、それに越したことはないが……)。

 ゴルバチョフが第27回ソ連共産党で「アフガン撤退」の方針を示したのは、1986年2月。
 アフガン駐留ソ連軍の撤退が本格化したのは、その年の12月で、撤退が完了したのは、1989年2月だった。
 (ソ連撤退20周年 ⇒ http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/222717/ )

 ゴルバチョフの方針表明から3年経ったあとの「アフガン完全撤退」だった。  

 それにしても、歴史は繰り返す、とはよく言ったものだ。「ソ連帝国」のあとに、「アメリカ帝国」が今、同じ轍を踏もうとしているのだから。
 いつか来た道、アフガニスタン!

 英紙インディペンデントの中東報道の権威、ロバート・フィスク記者が、オバマの「アフガン増派戦略」を批判する――というより、厳しくたしなめる――記事を書いていた。⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-this-strategy-has-been-tried-before-ndash-without-success-1833133.html

 フィスク記者は、ソ連軍事占領下のアフガンで取材した経験もある、ベテラン記者。
 電子版記事の見出しは、「その戦略、前にも(ソ連によって)試みられたことがある――失敗に終わったけれど」。オバマはソ連の二の舞をしようとしている、と警告する内容のものだった。

 1980年の春のこと。フィスク記者はカブールの北、チャリカール近くで、ソ連軍「第105空挺師団」の兵士の一人と遭遇した。腕を負傷し、血がにじみ出ていた。まだ10代の、若いロシア人兵士だった。路肩爆弾が炸裂し、乗っていた輸送車両が爆破された。負傷した兵士は、丘の上を旋回するヘリに向かって手を振り、救助を求めた。

 まるで、デジャヴー(既視感)。それも幻ではなく、現実の……。

 「空挺師団」「路肩爆弾」「若い兵士」……

 「ソ連帝国」の過ちを、その通り、繰り返す「アメリカ軍事帝国」。

 フィスク記者によれば、ソ連軍は増派(サージ)を開始し、都市部を守る作戦に出た。(米軍がやろうとしているのはコレだ!)
 ソ連は現地のアフガン部隊の育成にとりかかった。ソ連軍司令官の命令を聞くのは、その6割だけだった。(米軍がやろうとしているのはコレだ!)

 すべては、デジャヴー。
 どんづまりにおいて待ち構える、「敗北=撤退」。
 
 フィスク記者の記事は、同じ失敗を繰り返すな、というアメリカへのメッセージだが、この歴戦のジャーナリストは、自国=イギリスの失敗からの目を逸らさない。
 1842年、第1次アングロ・アフガニスタン戦争における英軍の撤退、カブール破壊という前例にも、しっかり目を向けているのだ。
( 第一次アングロ・アフガン戦争 ⇒ http://www.onwar.com/aced/data/alpha/afguk1839.htm )

 歴史は、アフガニスタンでは三度、繰り返されることになる。英国、ソ連に続き、こんどはアメリカが、アフガンで壁に突き当たり、撤退を余儀なくされる。

 アフガンとはつまり、3つの軍事帝国――「大英」「ソ連」「アメリカ」の墓場であるのだ。

 
 オバマは「アフガン化」――つまり、アフガン政府軍にバトンタッチして米軍を撤退させる方針だが、ベトナム戦争における「ベトナム化」と同様、失敗に帰すことは、これまた目に見えたデジャヴーである。

 歴史は、アフガンにおいても、そして米国の過去の経験の中でも、すでに繰り返されており、答えはもう、ハッキリ出ている。いまさら、四の五の言っている場合ではない。
 
 「アフガン撤退」に本気で取り組むんだ、オバマ!
 君は、ジョンソンや、ニクソンの政治的な末路を、すでに視ているではないか!

 オバマよ、君は現在に過去を重ねて「既視」するだけではなく、過去にとらわれない未来を見据え、平和への新たな道に視線を向けよ!

                *   *   *

◎◎  ♪ 歌ブログ 「空から歌が聴こえる」 を新設!

      ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/ 

         本日の「一曲」は、Farewell to Whiskey

Posted by 大沼安史 at 07:58 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-11-20

〔コラム 机の上の空〕 んっ? 「原爆投下」?

 時々、近くのコンビニで、新聞を買う(仙台の地元紙、河北新報はボランティア先の出版社「本の森」で読む)。

 「毎日」か、「朝日」を買う。

 先日、買った「朝日」に、若宮さんという論説主幹なる方が長文の記事を書かれていて、それを読み進むうち、「あっ」と思った。

 そこに、ヒロシマへの「原爆投下」と書かれていた。

 (「原爆投下」――この僕のブログを読んでくれている、学校の先生方には、確認していただきだい。教科書の記述も「原爆投下」になっているのでは?)

 「原爆投下」――なぜ、このコトバにこだわるかというと、ジェームズ・キャロルという、僕が尊敬する、アメリカの作家・ジャーナリストの『戦争の家』なる本を翻訳していて、「原爆攻撃(ニュークリア・アタック)」という表現に出会い、その日本語訳を考えているうち、「投下」ではなく、やはり「攻撃」だろうと思ったことがあるからだ。

 「原爆投下」――空の上から、被災地に向けて何か救援物資を、空から「投下」したかのような表現!

 まるで虐殺者が、無垢の被害者に向け、私はあなたちに「銃弾」を「発射」しただけです、とでも言っているようなものではないか!

 まるで、ヒロシマに救援物資を、パラシュートで「投下」したでもいうような、「原爆投下」――。

 だいたいが「投下」という「視点」自体が、アメリカ側の視点ではないか!

  (そう、今、思い出した。わガ尊敬する「ベ平連」の小田実さんは、「原爆投下攻撃」という表現を、お使いになっていた!……)

 トルーマンのアメリカは、まったく無防備の、ヒロシマ・ナガサキという、非戦闘員が暮らす都市に対して(軍事目標ではない都市に対して)、「原爆攻撃」したのだ。

 ヒロシマ・ナガサキの「非戦闘員の一般市民」を「殺戮」するため、「原爆攻撃」をしたのだ!

 断じて「原爆投下」ではない。

 僕は、日本のマスコミの中で最も進歩的であると言う「朝日新聞」さえもが、平気で「原爆投下」といった、(婉曲?)表現を使い続けていることに対して抗議する。
   
 「投下」では、ないだろう? 「攻撃」だろう?

 これで何万人も、何十万にも「殺す」のだと、明確に意図した、殺戮のための「原爆攻撃」だったのではなかったのか?

 それを君たちは「投下」と言う。

 それで済むことなのか? それで一件落着することなのか?   
 
 「原爆投下」許すまじ。「ノーモア原爆投下」――

 「原爆攻撃」が、無抵抗の、ヒロシマとナガサキという、民衆が暮らす「都市」へ行われた事実を、私たちは忘れてはならない。

Posted by 大沼安史 at 06:38 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-11-16

〔コラム 机の上の空〕  テレーリエさん  「夢見る人の勝利」

 本日付けのニューヨーク・タイムズ(電子版)に、ニコラス・クリストフさんが「夢見る人の勝利(Triumph of a Dreamer )」というコラムを書いていた。

 同紙電子版の「最も読まれたランキング」のトップ。
 僕も、読んで、泣きそうになるくらい、とにかく感動した。
 クリストフさんは、勝利を手にした、その「夢見る人」を「私の英雄だ」と書いていたが、今や、僕にとってもそうである。
 で、僭越ながらクリストフさんになり代わり、日本語の「コラム」に書き換えた。

        夢見る人の勝利

 アフリカのジンバブエの村に、「夢見る人」が生まれたのは、1965年(? 誕生日も?)のことだった。

 名前は「テレーリエ」。小学校には一年足らず、通っただけ。11歳で嫁に売られた。殴る夫だった。

 それから12年が経った。彼女の住む村に、西側の援助団体の女性リーダーがやって来て、女性たちに、立ち上がりなさい、夢を育てなさい、生活を変えなさい、と語りかけた。

 テレーリエさんは、よくは知らないけど、前に聞いたことのある、同じアフリカの女性の物語をぼんやり思い出し、紙に自分の「夢」を書いた。外国に行って勉強する。大学を卒業する。博士になる。

 西側援助団体のコミュニティー・アドバイザーとして働き出し、そのサラリーで通信教育を受けるようになった。残ったお金は貯金に回した。

 1998年、テレーリエさんは、米国・オクラホマ州立大学から入学許可をもらった。夫に、5人の子どもを連れて行く、というと賛成してくれた。夫も同行する条件だった。

 援助団体が飛行機代を援助してくれた。実の母親が牛を1頭、近所の人たちも山羊を売って、お金をつくってくれた。4000ドルを、ストッキングに入れ、腰に括りつけて、オクラホマへと向かった。

 留学の夢は悪夢で始まった。住む場所はオンボロ・トレーラー。寒さと飢えに苦しんだ。夫は、「男」の仕事ではないと、家事を拒んだ。代わりに、彼女を殴った。

 貧乏暮らし。ゴミの缶の残りを食べたこともあった。勉強をやめようかとも思った。負けたら、ほかのアフリカ人女性のためにならない、と踏みとどまった。
 掛け持ちのバイトのかたわら、とれる講義は全部聴き、家事をこなし、殴られ、寝る時間もほとんどなかった。

 授業料の滞納で、退学されかかった。大学の当局者が動き、募金してくれた。
 キリスト教会が支援に動き、慈善団体が住居を提供してくれた。ウォルマートで働く友だちが、賞味期限切れになった野菜や果物を、わかるように取り分けて置いてくれた。

 夫は彼女に暴行したことで、ジンバブエへ送り返された。子どもたちとオクラホマに残った彼女は、大学を卒業、修士のコースへ進んだ。
 そこへ、夫が戻って来た。病気になっていた。エイズだった。彼女も早速、検査した。幸い、陰性だった。

 夫を見て、かわいそうに思った彼女は世話をして、看病してあげた。死ぬまで看病した。
 
 そして今――彼女は、支援団体でプログラム評価の仕事をするかたわら、ウエスタン・ミシガン大学の博士課程で学んでいる。博士論文は、アフリカにおけるエイズの予防対策。

 晴れて、「博士」になる日は、もう、すぐそこだ。来月(12月)の授与式では、ガウンを身にまとう。

 テレーリエさんは、昔、ジンバブエの村で、「夢」を3つ、書き付けた紙を、いまでも持っている。3つのうち――留学し、大学を卒業する、という2つには「済み」のチェックが入っている。

 残る3つ目に、チェックが入るのは、間もなくだ。 
  
   
 ⇒ http://www.nytimes.com/2009/11/15/opinion/15kristof.html?em

  

Posted by 大沼安史 at 07:11 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-11-10

〔コラム 机の上の空〕  「ベルリンの壁」 「アメリカの壁」  

  「ベルリンの壁」をくぐり抜けて「東」に入ったことが一度だけある。
 夏だというのに、寒々とした、東ベルリンの街。巨大な戦勝モニュメントの建つ、だだっ広い公園。人気のない、その記念公園の売店で食べた、ソーセージの不味さ。

 1980年代の初め。「冷戦」が――「東西対決」が、まだ、永遠に続くものと思われていた頃だ。

 「壁」が崩れて20周年。その記念式が11月9日、統一ドイツの首都、ベルリンで行われた。

 「壁」の崩壊……。しかし、それは自分から崩れたものではない。崩す力が働いたから、崩れたのだ。
 では何が、誰が、「壁」を崩したか?

 米国の作家、ジェームズ・キャロル氏が同日付けのボストン・グローブ紙に書いたコラムによれば、それは「壁」の両側の――「鉄のカーテン」の両側の、核戦争を拒否する、民衆の「ナイーブな決心」のなせる業だった。
 
 「ソ連帝国は戦争によってしか崩すことができない」と喧伝し、自らもそう信じ込み、核戦力を増強していたワシントンの権力者、及び、「全体主義学派」のイデオローグたち――彼・女ら自分たちを「現実主義者」と称していたが――が、想像だにしなかったことが、当時、「壁」の向こう側で起き、こちら側でも起きた、とキャロル氏は指摘する。

 「壁」の向こう側では、ポーランドの「連帯」運動など非暴力の民主化運動が、「壁」のこちら側では、マサチューセッツ工科大学の院生(ランディー・フォルスバーグ)が始めた「核凍結」運動が、100万単位の大群衆を結集する動きとなって、まさに燎原の火のごとく広がり、ゴルバチョフを動かし、レーガンを変身させた――と。

 この一連の経過は、近々、拙訳で出版される、キャロル氏の書いた『戦争の家』(下巻)に詳しいが、訳者の立場を離れ、当時の流れを振り返っても、確かに、氏の言う通りである。
 ゴルバチョフが「壁」の崩壊を、軍に禁足令を出して黙認したのも、「冷戦」が正当化する「東」の抑圧体制に対して、民衆が「もう嫌だ」と公然と言いだし、抑えきれない流れとなって溢れ返っていたからである。

 「核戦争」を軸に構築された「冷戦体制」を、「非暴力直接行動」という「素手」で打ち倒した、名もない民衆の群れ。そのクライマックスで起きたのが、「ベルリン壁」の崩壊だったわけだ。
 「1989年11月9日」が歴史に残るのは、このためである。

 しかし、世界史の「分水嶺」になるべき、この事件も、「壁」のこちら側の権力者たちの「裏切り」に遭い、せっかく生み出した「歴史の果実」が、根こそぎ横取りされてしまう。

 レーガンの後を継いだ「現実主義者」、ジョージ・ブッシュ(パパ・ブッシュ)が「冷戦」終結が生み出す「平和の配当」を拒否し、「新世界秩序」なる「アメリカ一極支配=アメリカ帝国による世界支配=パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」へと突き進んだからだ。

 ジョージ・ブッシュはゴルバチョフを見殺しにし、クリントンのNATO拡大(ゴルバチョフに対する「約束」の破棄)への道を掃き清めた人物である。

 だから、ジョージ・ブッシュは、9日のベルリンでの記念式典に呼ばれなかったのだ。ゴルバチョフが呼ばれたのに、ブッシュが呼ばれなかった理由はここにある。

 ベルリンの群衆は、ゴルバチョフを歓迎して、「ゴルビー!」「ゴルビー!」と再び叫んだ。ドイツの民衆は、東西の権力者のうちの誰が、「壁」を崩す側に立った人間か、わかっているから、「ゴルビー!」と叫んだのだ。

 「ベルリンの壁」は崩壊したが、その「真空」を占領したのは、ワシントンだった。「壁」の瓦礫の上に、「アメリカ帝国」を築き上げ、NATO軍にドイツ軍まで引き摺り込んで、今なお、アフガニスタンで不法な戦争を続けている。

 式典に参加するため、ベルリンにやって来たゴルバチョフは、かつて自分が決断し、命令したことを再び叫んだ。こんどは、赤軍司令官に、ではなく、アメリカに向かって!

 「アフガニスタンから撤兵せよ!」

 「壁」崩壊から20年――いま、世界が求めているのは、「アメリカ帝国」の「一極軍事覇権」……すなわち「アメリカの壁」の崩壊である。

 ⇒  http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2009/11/09/the_rusting_and_fall_of_the_iron_curtain/

 http://www.focus.de/politik/weitere-meldungen/afghanistan-gorbatschow-raet-usa-zu-truppenabzug_aid_452563.html

  http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/09/berlin-wall-germany-20-years

  

Posted by 大沼安史 at 05:57 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-11-09

〔コラム 机の上の空〕 怒りを込めて、Happy Birthday! アフガンで友軍に「誤射」されて死んだ、兄、パット・ティルマンへ 弟のケヴィン氏が戦争告発の文

 11月6日は、アフガンで友軍による「誤射」で死んだ、アメリカン・フットボールのスター選手、パット・ティルマン氏の誕生日である。

 パット・ティルマン氏が、不可解な状況の中で殺されたのは、2004年4月22日のこと。
 生きていれば、ことし、33回目の誕生日を迎えたはずのティルマン氏!

 「9・11」に衝撃を受け、スター選手の地位を投げ捨てて、米軍に加わった人だ。
 戦地で仲間にコーヒーをふるまい、作戦の合い間に読書にふけるような人だった。
 休暇で一時帰国し、シアトルから、反戦運動のリーダー、ノーム・チョムスキーに電話を入れたあと、アフガンの戦地に戻って殺された。

 そのパット・ティルマン氏の実弟、ケヴィンが、2006年の兄の誕生日に書いた文章を、ネット誌の「トゥルースディグ」が、誕生日に合わせ、再掲した。

 ケヴィン氏は兄と一緒に米軍に加わって、ともにイラク・アフガンと転戦、2005年に除隊した人。実弟であり、戦友である。

 ケヴィン氏の文章を、読んで圧倒された。その、「ハッピー・バースデー、パット・ティルマン」は、「トゥルースディグ」の編集者が言うように、まさに「必読」の文章と言うべき、胸に迫るものだった。。
 ⇒ http://www.truthdig.com/report/print/20091106_happy_birthday_pat_tillman/

 「なぜか(どういうわけか Somehow)」で始まる、告発の「声」の連打!

 Somehow the more soldiers that die, the more legitimate the illegal invasion becomes.
 なぜか兵士が死ねば死ぬほど、非合法の侵略が正統なものになってゆく。

 Somehow American leadership, whose only credit is lying to its people and illegally invading a nation, has been allowed to steal the courage, virtue and honor of its soldiers on the ground. 
 なぜかアメリカの指導部は、人々に嘘をつき、不法に侵略している、それだけが取り得なのに、戦場の兵士たちの勇気、美徳、名誉を盗むことを許されて来た。

 Somehow profiting from tragedy and horror is tolerated.
 なぜか悲劇と恐怖から利益を得ることが容認されている。

 Somehow American leadership managed to create a more dangerous world.
 なぜかアメリカの指導部はより危険な世界づくりをやりとげてしまった。

 Somehow a narrative is more important than reality.
 なぜか宣伝が現実よりも重要になっている。

 Somehow nobody is accountable for this.
 なぜか、このことに誰も責任を取らない。

 まるで、ケヴィン氏がお兄さんのパットを、アメリカという国のフィールドに呼び返し、不法にこの国を「侵略」する、「アメリカの指導部=権力者」に対して、繰り返し、ディフェンスのタックルをさせているような、痛烈な、それでいて哀切極まる、一度読んだら忘れられない、戦争告発の文章である。

 ケヴィン氏は、こう書いて、文を締め括る。

 Luckily this country is still a democracy.  People still have a voice.  People still can take action.  It can start after Pat’s birthday. 
 幸い、この国はまだデモクラシーの国だ。民衆はなお「声」を持っている。民衆はなお行動を起すことができる。パットの「誕生日」を終えたら、始めることができる。

 2009年のパット・ティルマン氏、33回目の誕生日までに明かになったこと――それは、不法な戦争を続ける、アメリカ指導部というものの、嘘であり、無責任であり、戦場の兵士たちの「勇気・美徳・名誉」の簒奪である。

 そうしたアメリカ指導部の、アメリカ民衆に対する「攻撃」に対して、ディフェンスからのアタックを呼びかける、弟、ケヴィン氏の「Happy Birthday, Pat!」

 パット・ティルマン氏は大学、プロ生活を通じ、ディフェンスの要、ラインバッカーとして活躍した選手だった。 

 ★ パット・ティルマン氏の「謀殺」疑惑については ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2006/03/post_f330.html  
  

Posted by 大沼安史 at 07:39 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-11-08

〔コラム 机の上の空〕 「核の傘」に守られた日本? 二度も串刺しにされたではないか!

 「ジャーナリズム」とは本来、こういうものなんだな……英紙インディペンデント(電子版)のトップを張った、パトリック・コバーン記者の、「アフガン、撤退の時」という「記事(事実の記述)」を読んで、そう思った。
  ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/asia/afghanistan-time-to-leave-1817004.html

 「権力=当局者」の提灯持ちをして、世論操作の「ニュース」を垂れ流しするのではなく、「取材」結果に基づいて「事実」を「記事」にして伝える――ジャーナリズムの基本は、これである。が、それだけで、いいものではない。
 その「事実」の中には、今、何をなすべきか、に関する判断、意見(そこにつながる可能性、道筋も含め)も当然、含まれなければならない。
 「ジャーナリズム」――(「私」として、「われわれ」として)――はこう訴える、訴えたい、訴えかけねばらない……これも、政治の主権者である読者に届けられるべき「事実」である。「事実の記述」である。

 「ジャーナリズム」として、「取材」の結果として、私(たち)としては、何としても訴えたい……この「訴え」が、日本の新聞におなじみの「○○が望まれる」式の、テキトーなものではなく、書き手の中に、自分の「事実」として、自分の「真実」として在るのなら、それもまた「事実」であり、記されなけばならないものである。

 コバーン記者の「記事」は、世論調査で米軍・NATO軍の増強を望むアフガン人はわずか18%しかいないこと、逆に、削減を求める人が44%に達していること、米軍自体がアフガンにはわずか「100人」しかアルカイダがいないと認めていること――など、これまで報道された「事実」を総合し、そこから、「アフガン撤退」という「結論」を導き出している。この「結論」もまた――いや、この「結論」こそ――「事実」であり、「ジャーナリズム」である。

 今ここで、何故こんな当然のことを言い出したかというと、今朝、日本のある代表的な新聞を読んで、ガッカリしたからだ。
 その新聞は、「核廃絶」「核兵器反対」を「社説」(つまり、「結論」)で言い続けて来たはずだ。
 なのに、1面の隅の部分ながら、軽いタッチでこう書いている。

    「核なき世界」に向けて動き出したオバマ米大統領。 「核の傘」に守られた日本はどうすべきか。……日米の専門家が論じる。

 「核の傘」に守られた日本――と、さらり書いてしまう神経が、たまらないのだ。
 「核の傘」が惨憺たる破局を誘うものであることが、そしてその「神話」が核武装を合理化するものであることが、これまでさんざん言われて来た、というのに。

 ヒロシマとナガサキで、二度も「核の傘」の「串刺し」に遭った国だというのに。
 何をか、言わんや、である。
 

 僕は日本のジャーナリズムの問題点のひとつに、「ニュース」報道と「意見(社説・論説」報道の乖離、分裂があると思う。
 
 仮に「社説」、あるいは「社論」が、「事実」の取材の積み重ねに基づく「事実」として形成されたものであるなら、それは権力の脅し・すかし・ごまかしにも動じない、強固なものになるだろう。
 そこに分離や乖離はなく、すべてが「事実」の中で補強し合っている、わけだから。
 
 「1945年8月6日、9日」から積み重ねて来た「事実」報道の積み重ねの上に、「意見」報道が立ち上がったものであるなら――それがおためごかしな「作文」でないものだとしたら――、それは「核」を「傘」のメタファーで語るゴマカシを拒むだろうし、「核の傘」に守られた日本、などというお気軽な書き方は決してしないはずのものである。

 日本はヒロシマ・ナガサキの名において、「核の傘」を拒否する――と、どうして書かないのだ?

 コバーン記者のようにハッキリと、「核の傘 撤退の時」と、どうして書かないのだ?

 何?、 「核の傘」に守られた日本はどうすべきか。……日米の専門家が論じる――だと?

 バカを言うのも、いい加減にしたまえ。

 「核」の現実を知る、ほんとうの「専門家」は、ヒロシマ・ナガサキのご存命の被爆者であり、お亡くなりになった(靖国神社に祀られもせずにいる)被爆者の方々でなかったのか?

Posted by 大沼安史 at 06:57 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-10-31

〔コラム 机の上の空〕  「怒力」を!

 人はなぜ悲しむか?――不当に、不法に、不条理に、自分の思い・願いに反して、何事か・何者かを失った時、私たちは悲しむのだ。

 その不当さ、不法さ、不条理さの認識の中から、私たちの「怒り」が生まれる。

 悲しんでだけ、いてはいけない。怒らなければ。

 戦時中、自分の夫が、父が、白木の箱に入って無言の帰還を果たした時、遺族たちは、名誉の戦死を遂げた夫と、父を「誇らしく」思う、不条理な心理操作を強いられた。名誉の戦死――ありがたいことだと。

 悲しむことを許されなかった。少なくとも公式の席では。
 「神国=日本」は、兵士の遺族の悲しみを封印した。
 なぜか? それは「怒り」を封印するためだった。

               *

 どうして、こんな、「神の国・軍国ニッポン」の「過去」を思い出したかというと、「軍事世界帝国=アメリカ」の悲しい現実の一面を、ネット反戦放送局、「デモクラシーNOW(DN)」の番組で知ったからだ。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2009/10/27/exclusive_parents_of_soldier_who_killed

 最愛の息子を、イラクでの「自死」という形で亡くしたご両親が、DNに登場し、その無念さを語っていたからだ。

 大統領から、未だに、お悔やみの手紙ひとつ、届いていないと。
 自殺した兵士の遺族には、大統領は、お悔やみの手紙は出さないとの決まりがあるからだ。

 白人の父と黒人の母。
 自死した兵士に、どうしてお悔やみの手紙のひとつも出せないのか?……両親の「悲しみ」は、底深い「怒り」に変わっていた。

               *

 「××力」――「ナントカ力」がブームになって久しいが、「怒る力」――すなわち「怒力(ド・りょく)」を推奨する本を、僕はまだ知らない。

 どうして「怒る力」が、称揚されないのか……新たな「力」として、“デビュー”しないのか?

 たぶん、それは、「怒り」が―プリプリ、プンプン、怒るイメージが、マイナスのものと思われている(思い込まされている)せいだろう。

 たしかに、「当り散らし」はよくないが、その怒りがもし、深い悲しみに起動されたものだのだとしたら、どうか?!

 そう、その通り! 悲しみから生まれる「怒り」こそ、大事にしなければならないものだと、僕は思う。

               *
 
 「怒り」――たとえば、わが畏友、小笠原信之は、間もなく上梓する『ペンの自由を貫いて――伝説の記者・須田禎一』(緑風出版、2500円+税)』の「袖文」に、須田氏が「東大生・樺美智子が権力に虐殺された「60年安保」では、<ともあれ事態の収拾を>と呼びかけた在京「七社共同宣言」の事なかれ主義を徹底批判した」と書いているが(予定稿)、ここにあるのは、ジャーナリストである彼の、悲しみであり、怒りである。

 女子大生が殺された悲しみ、警官隊に弾圧させた、安部信三の祖父、岸信介(ニューヨーク・タイムズ紙のティム・ワイナー氏によれば、岸はCIAの犬だった、卑劣な男だ…そういえば、岸に家を貸していた有名な女優さんは、岸が出ていったあと、家に塩を撒いたそうだ……)への怒りもさることながら、ここに――その根底に、あるのは、朝日の笠信太郎によって主導された、あの一九六〇年の日本のマスコミの裏切り、「7社共同宣言」への悲しみであり、怒りである。

 仮に、「7社共同宣言」が、「岸よ、退陣せよ、安保条約を見直せ」の共同宣言であったなら、戦後日本はどう変わっていただろう。

 「ベトナム戦争」も「沖縄」も、別のかたちになっていたかも知れない。

                *

 僕がDNのこの報道を視聴し、今、どうしようもなく、悲しい怒りを覚えるのは、(そう、それをひとつ挙げるとすれば)イラクのサマワに派遣された自衛隊員の中に、帰国後、自死された方が複数いらした、という事実に対してである。

 日本のマスコミは、派遣隊員が、なぜ、自死まで及んだのか、一行、いや一字たりとも報道しなかった。

 時の小泉首相から、お悔やみの手紙が出たかどうかも(出なかったと思うが)報じられなかった。

                *

 マスコミは「悲しみ」と「怒り」を、忘れてはならないのだ。

 そう、仮に樺美智子さんの死に悲しみを感じていれば――彼女の死と、彼女に手をかけた(憎しみの警棒をふるった)弾圧者の悲しみを、感じていれば、あんな「7社共同宣言」にはならなかったはずだ。あんなふうには、書けなかったはずだ。

 そして今――日本の民衆がくぐり抜けている数々の「悲しみ」を思えば、「怒り」の報道が出ないわけがない。

 日本の若きジャーナリストよ、悲しんでほしい、怒ってほしい。そして、なぜ、そうした事態が起きているか、そもそもの原因を突き止めてほしい。

                *

 君たちに最後にひとつ、お願いしたいことがある。

 アメリカでは、軍事費の「削減」問題が、財政再生の鍵を握るものとして議論されているが、日本では、どうして触れられないんだ?

 雫石上空で全日空機を体当たり撃墜し、釣り船を潜水艦がこれまた体当たり轟沈し、さらには「父子船」をイージス艦が撃沈し、挙げ句の果ては、北朝鮮のミサイル発射を「ただ今、発射しました」と「誤報」した、自衛隊=防衛省(だと……、笑わせる)の無駄な「税金食い潰し」を、君たちはどうして問題にしないのだ?

 悲しむ、のだ、怒る、のだ。

 「怒る力」を、僕ら老いぼれた引退世代以上に、現役世代である君たちこそ、持たねばならない。  

Posted by 大沼安史 at 07:53 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-30

〔コラム 机の上の空〕 「戦争の家」の囚人 オバマよ、「平和」の「言葉」を語れ!

  * ジェームズ・キャロル氏がシンポジウムで発言 ・ 「戦争の家」に囚われたオバマ ・ しかし、彼の「言葉」になお希望が……)

 ボストン大学で10月22日、ハワード・ジン氏(歴史学者、反戦運動家、ボストン大学名誉教授)を囲むシンポジウムが開かれた。

   ⇒ http://www.commondreams.org/headline/2009/10/29-4

 僕が訳出して、間もなく下巻を刊行する『戦争の家』の著者、ジェームズ・キャロル氏(作家、ボストン・グローブ紙コラムニスト)も同席して、発言していた。

 ハワード・ジン氏の発言を受け、キャロル氏は、こう語った。

 「オバマ政権がスタートしたのは、『1月だった』……」

 たしかに、オバマが大統領に就任して、ホワイトハウスに入ったのは、ことし、2009年の1月だった。

 しかし、キャロル氏は、より歴史的な視点で、「1月」と言ったのだ。

 すこし間を置いてから、キャロル氏は言った。「1943年の1月から」。

 1943年1月――それは、「戦争の家」というべき、あの五角(ペンタゴン)が生まれ、ロスアラモスでは原爆の開発が始まり、戦争(第二次世界大戦)では、「全面破壊」への衝動が「無条件降伏要求」として解き放たれた、現代史の起点だった。
 そこから、アメリカの絶対的な軍事権力が生まれ、「戦争の家」によるアメリカ政治の「支配」が始まった。

 キャロル氏はつまり、オバマ政権もまた、1943年1月以来の、アメリカの軍事権力の捕囚だと言おうとしたのだ。

 大統領を退任する時、アイゼンハワーが警告した「軍産複合体」は、さらにパワーを増して、「軍縮」を「平和」を押しつぶしている。

 こうした、アメリカの現代史における圧倒的な流れ――「潮流」の存在を指摘したあと、キャロル氏は、この「アメリカ・戦争の家」の「軍事外交」が、「冷戦」終結という平和の機会を蹂躙し、そして今、もうひとつの平和への機会――オバマの登場を脅かしている、と語った。

 それでは、オバマは、そうした「潮流」に最早、逆らいようがないのか?

 キャロル氏はしかし、オバマの「言葉」になお、希望を見ようとしてして、こう続けた。 「言葉こそがすべてだ」と。
 そして、ノーベル平和賞の選考委員会は、それにふさわしい人(オバマ)を受賞者と決めた、それは、オバマに対する、「偉大さへの招待状」である――と語り、オバマに「戦争の家」の囚われ人から脱却するよう求めたのだ。

 僕も、キャロル氏の意見に賛成である。
 そう、「言葉」なのだ。
 アメリカの軍事絶対主義を、圧倒的な軍事力を、超えることができるのは、対抗する武力ではなく、「言葉」なのだ。

 オバマにはその「言葉」を語る力が――意志がまだある……。

 僕もまた、キャロル氏とともに、オバマの「言葉」に、「言葉」による状況の打破に期待をつなぐ一人である。

 オバマは、大統領の「タブー」を破り、アフガン戦死者の遺体を、空軍基地で出迎え、未明から夜明け近くまで、遺族たちと時間を過ごした男だ。

 その場を取材した記者によれば、オバマは遺族の怒り・悲しみに圧倒されていたという。

 オバマよ、語れ! その時の思いを――その時、沈黙の中で、君の心にわきあがったものを、「言葉」にして語るのだ。

 戦死者の無念に応えるためにも、アメリカはアフガンから撤退すると。

 そう「言葉」をして、語らしめよ!
 

Posted by 大沼安史 at 07:03 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-24

〔コラム 机の上の空〕 アフガンを、平和な、緑の大地に!   オバマよ、「火星人」を止めよ!

 アフガニスタンで昨年11月、「タリバン」に拘束され、ことし7月、脱出に成功して帰還した、ニューヨーク・タイムズ紙、デイビッド・ローズ記者の体験記の連載が終わった。
 ⇒ デイビッド・ローズ 「タリバン捕囚記」 http://www.nytimes.com/2009/10/18/world/asia/18hostage.html
 
 「7ヵ月と10日間」に及ぶ、捕囚生活の記録は、「タリバン」なるものの実態を、内側から伝える、貴重なレポートとなった。

 米軍のミサイル攻撃を至近距離で体験もした。

 アメリカと戦う「タリバン」の「内側」に、拉致されたことで入り込み、彼らの現実に触れ、アメリカから「攻撃される側」にも立たされたローズ記者。

 すでに本ブログで紹介済みのことなので、重複はなるべく避けるが、ローズ記者はその「捕囚記」の中で、私たちの参考になりそうな、大事なことをいくつか書いているので、ここであらためて取り上げ、その意味を考えてみることにしよう。

 僕の印象に残るのは、ことし3月25日、監禁場所の近くで、米軍の無人攻撃機がミサイルを撃ち込んだことを振り返り、ローズ記者が書いた一言。

 ローズ記者はそれを、「空の中の点」――からの攻撃と表現をしていた。「空の中の点」、いつの間にか、遠くの空に「点」が現れ、そこから、ミサイルが飛んで来る……。

 その標的となったのは、2台の車。アラブ人やタリバンの戦士が乗っていた。「命中」!

 米軍(NATO軍)は今、地上戦での劣勢を、こうした「空から攻撃」で巻き返そうとしている。
 アメリカのジャーナリスト、トム・エンゲルハート氏の表現をかりれば、米軍は地上で「タリバン」たちの奇襲ゲリラ攻撃に悩まされながら、その一方で、ハイテクの限りを尽くした、「アフガン、2009年 宇宙戦争」を仕掛けているのだ。

 ここで言う『宇宙戦争』とは、1898年、英国のH・G・ウェルズが書いた、火星人がイギリスを襲う、あの空想小説のことである。

 悲しいほどに、適切なアナロジー。
 アフガンの、あるいは隣接したパキスタンの地上に生きる人々にとって、「空の中の点」から攻撃して来るアメリカ人は、19世紀末のロンドン市民にとっての「火星人」に等しき存在であろう。

 エンゲルハート氏によれば、米軍は「プレデター(肉食動物)」という無人攻撃機に加え、さらに性能を向上した新型機を投入しているそうだ。その新型機の名前が、なんと「リーパー(Reaper)」。「大鎌をふるう死神」のことである。

 そして、「プレデター」も「リーパー」も、米本土、アリゾナやネバダの米軍基地からの遠隔操縦だ。“パイロット”は画面のモニターを見ながら、ミサイルの発射ボタンを押している。

 まるで、竹槍をもった地上の人間に原爆を落とすに等しき所業。そう、「空の中の点」……ヒロシマもナガサキもそうだった。許してはならない。

 ローズ記者は、この無人攻撃機による攻撃の故に、タリバンは(そして、アフガンのふつうの人々も)、ブッシュ以上にオバマを憎んでいる、と書いていたが、現地の地上の実感として、当然である。

 オバマは……そう、戦乱で荒廃した、実りなきアフガンの大地で大鎌を振るう、死神の火星人である。むろん冗談ではない。

 もうひとつ、ローズ記者の「捕囚記」で印象付けられた――というか、教えられたのは、タリバンの「戦士」たちもまた、「教育を受けた」アフガン人であるという事実である。

 つまり彼らは、しっかり教え込まれた(学んだ)連中であるのだ。回し読みする1冊の本で。DVDプレーヤーで見る、自爆テロ実行者の最後の日々を記録したビデオで。
 「殉教するんだ。天国で、甘いジュースも、乙女たちも待っている」
 「死の教育」――まるで、あの「神の国=日本」。

 しかし、僕はここに、「逆転」の可能性を見る。「敵の侵略」「空の中の点」さえなくなれば――つまり、平和が到来すれば、「死の教育」の基盤も消える。もはや、「殉教」も(散華)もクソもないのだから……。

 ローズ記者は、自爆テロを決行するタリバンの男を、ほかの仲間が、気味悪がっていた、というような意味のことを書いていたが、それは“ふつう”のタリバンたちの、本音ではないか?
 とするなら、そこに希望を見ることもできるはずである。戦争が終われば(アメリカが攻撃を止めれば)、平和な日々が戻るなら、タリバンの心にも「正気」が、「平常心」が戻るはず……だと。

 ローズ記者は見張りのタリバンたちと一緒に、ビートルズの She Loves You ……、そう、あの Yeah, yeah, yeah!のあの歌を歌って盛り上がったことを書いているが、「敵性歌」を「敵性語(英語)」で歌えるタリバンなのだ、相互理解、できないはずがない。
 (戦時中、英語の歌を禁止された、われわれ日本人を見よ! 戦後、占領軍が来たとたん、笑顔でブギブギしたではないか!)

 最後にひとつ、これは「捕囚記」の概要ブログでは紹介しなかったことだが、「タリバン」のアジトを脱出、パキスタン軍の基地に逃げ込んだ時、ローズ記者が「見た」あるものに触れておきたい。
 ローズ記者は「それ」を見て、よほど印象に残ったのだろう。だから、一見、何でもないようなことを、敢えて書いていたのだ。

 彼が見たもの――それは、基地の奥の司令部前の芝生の緑だった。「緑の草(グリーン・グラス)」だった。久しぶりに見る「緑」だった!

 僕はこのくだりを読んで、感動した。そして、あの中村哲医師ら、日本のボランティア、「ペシャワールの会」による、アフガンでの井戸掘りの意味を、ようやく理解できたような気がした。

 そう、そうなのだ。
 あの岩山だらけのようなアフガンも、かつては緑豊かな大地だったはず。
 しかしそのアフガンにも、「水」が流れれば「緑」が甦り、「平和な人々の暮らし」も甦る……。

 そう、その通り。
 H・G・ウェルズの『宇宙戦争』は、結局は「火星人」の敗北で幕を閉じるが、この筋書きはアフガンにもあてはまる。いくら「空の中の点」で攻撃しても、地上の憎悪と戦意は高まるばかりで、いずれ、ベトナムの「三の舞」を強いられることは確実だ。

 ならば、オバマよ、君が「ノーベル平和賞」の受賞の前になすべきはひとつ――それはアフガンからの撤退をまず宣言することではないか。地球人の一人として、君は「火星人」をやめ、アフガンに平和をもらたすべきではないのか。

 戦争が終われば、国際社会も、アフガン復興に手を差し伸べることができる。
 井戸を掘り、水を汲み出し、砂漠の大地を、緑の大地に代えることができる。

 オバマよ、君は新聞をちゃんと読む、数少ない米国大統領だそうじゃないか。
 だったら、ローズ記者の「タリバン捕囚記」の、「緑の草」の、あのくだりも読んだはずだね。

 ならば、米兵を戻せ。アフガンをアフガン人に返せ。

 ♪ It's good touch green, green grass of home!

  帰還する米兵だけの歌じゃないぞ。アフガン人も歌う歌だ。

 そう、その通り。
 オバマよ、「ノーベル平和賞」を汚すな! 
 アフガン撤退!

 そうだ、そうなのだ。
 僕らに、We Love You! と歌わさせてくれ!

 ⇒ トム・エンゲルハート http://www.tomdispatch.com/post/175124/are_we_the_martians_of_the_twenty_first_century_

 新刊NEWS NONO頑爺レモン革命 
     大沼 安史著  定価1680円(本体1600円+税)
  ⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/4196.html

 「60年安保」から半世紀を迎える今、平和を、憲法9条をどのように守っていくか。
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 戦後政治最大の謎とされる「M資金」に日本・オランダ混血の美少女NONO(のの)が挑み、 頑爺(がんじぃ)が「9条」を守る「改憲」阻止の闘いに、命の炎を燃やす。 6月15日、夜の国会前・・・イマジン! 「レモン革命」の奇跡が起きる! 卒業式の日の丸・蒸発事件をテーマにした『緑の日の丸』の続編。小田実氏へのオマージュ!

Posted by 大沼安史 at 10:22 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-10-15

〔コラム 机の上の空〕 「イワン爺さん」の本が届いた!

 郵便受けに今朝、熊本県八代市の版元(八代人文社)から、小さな、トルストイの本が一冊、届いた。
 5年前、熊本の山奥の、もう宮崎県境に近い水上村で、「晴耕雨訳」の、91歳の生涯を終えられた、トルストイの従者、北御門二郎さんが遺された『イワンの馬鹿 三つの寓話 子供のためのお話』。

 この本を――北御門さん訳の「イワンの馬鹿」を、読んでみたいと思い、取り寄せたのだった。〔 ⇒http://www.kitamikado.com/book.html 八代人文社にはファクスで申込むとよい〕

 本の「帯」に、こう書いてあった。

  もしも「イワンの馬鹿」を全世界の学校で、教科書に採用したら、人類は忽ちあの馬鹿げた戦争の呪いから解放されるでしょう。多くの方にこの作品に触れて頂けたら幸いです。

                  *

 私は、北御門二郎さんと澤地久枝さんの対談をまとめた、『トルストイの涙』を読んで以来の、北御門さんのファンだ。

 この小さな本の「解題」に、こうあった。

  でも残念ながら、日本の文部省が『イワンの馬鹿』を教科書として認める日は決して来ないと思う。真に善き書と文部省とは、常に不倶戴天の敵だから。

 同感……とどのつまりはそういうことなんだな、と納得した。

                  * 

 トルストイに従うか、トルストイを笑うか……僕はここに、決定的な、歴史の分岐点があると考える一人だ。そして、その別れ道は、私たちの心の中で――そして、国のたどる運命の中で、常に目の前に、重大な選択を迫るものとして現れ続ける、と考える一人だ。

 北御門二郎さんは、戦前の軍国日本で、トルストイに従った。それこそ命がけで兵役拒否を貫かれた。そして戦後、山村で農作業のかたわら、トルストイの翻訳を続けた。

 文部省は、トルストイを笑い、憎んだ。軍国教育に狂奔し、子どもたちの心の中から、トルストイの平和主義のような思想を根絶する作業に専念した。そして、あれだけ、日本の子どもたちを死なせた(人を殺させた)。そして戦後も教科書検閲などを通して、「平和」を、「歴史」を小馬鹿にする態度をとり続けて来た。
 
 幸徳秋水もトルストイに従って「謀殺」された。トルストイがヤースナヤ・ポリャーナで開いたような学校を日本でも育てようとした大正自由教育も、子どもを大切にしたから、その後の、ナチスばりの、文部省の統制教育によって息の根を止められた。

 こと教育の面に限って日本の近・現代史を振り返ると、文部省はさまざま分岐点で勝ち抜き(国家教育の存続、逆コース……)、戦後もゾンビのごとく生きのびて、今日に至っているのである。

 「9条」を無視し、トルストイの平和の教育を殺し続けて来た文部省……あの、お優しい北御門二郎さんが、「不倶戴天の敵」というキツイ言葉でお怒りになったのは、当然のことだ。

                  *

 トルストイを起点とした、自由と平和の教育(学校)の物語を書きたいと、かねがね思い続けて来た。僕の力にあまる仕事だが、残された人生の時間を使って、なんとか書き上げたいと願っている。

 トルストイの自由学校に始まる流れを、ヨーロッパに追いかける一方(ヤースナヤ・ポリャーナと、バロセロナのフェレルの学校を中心に)、日本の大正自由教育を追い、最後はアメリカに飛んで、サドベリー・バレー校のデモクラティックな教育に、その結晶化された姿を見る――これが今の構想だ。

 そんな仕事の準備を最近始めたのだが、昨日たまたま、僕にとっては「運命」としか言えないことが起きて(知って)驚いた。

 アメリカのボストン近郊にある、サドベリー・バレー校は、トルストイの学校を意識して1960年代に開校した学校だが、19世紀にトルストイと交流があった、アメリカの平和主義者、エイディン・バルウが開いた「ホープデール」というコミュニティーが、なんと、サドベリー校のすぐ側に――それも、ほとんど隣合わせに、今も存続することが分かったのだ。

 暮れかかる別れ道を、トルストイに向かって歩き始めた僕にとっては、勇気付けられる、宝物のような、新たな知識!

                  *

 考えて見れば、八代から届いた、北御門二郎さんのトルストイの本は、あのロシアの、「緑の杖」の大地から、はるばる届いた本なのだ。

 その本に、愛犬と戯れる北御門さんのお写真があって、そこに自分を「イワン爺さん」と紹介する、すこしお道化た説明が添えられていた。

 僕ごときが人間の格という点で北御門さんにかなうはずもないが、僕もまた、何を隠そう、小ズルサ、小利口さを(なるべく、としかいえないけど……)拒否し、笑われながら、馬鹿な選択をし続けて来た一人である。

 アホで間抜けで、物笑いの種になって来た僕ではあるが、トルストイの平和思想と、サドベリー校の創始者、ダニエル・グリーンバーグ博士の教育思想を繋げる物語を書き上げることで、いつか自分を、北御門さんにならって「イワン爺さん」と呼べる日が来ることを願っている。  
  

Posted by 大沼安史 at 07:19 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-10-14

〔コラム 机の上の空〕  究極の反戦歌 “Universal Soldier”…… 北米先住民族の女性シンガー、バフィー・セント・マリーさんが歌って教えてくれたこと

 北米先住民族の女性シンガー、バフィー・セント・マリーさんが、10月12日の米国の祝日、「コロンブスの日」に、反戦平和放送局、「デモクラシーNOW(DN)」の特番に登場し、キャスターのエイミー・グッドマンさんのインタビューに答え、自作の歌を歌った。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2009/10/12/democracy_now_special_an_hour_of

 クレー族インディアン。カナダ生まれ、アメリカ育ち。
 激動の1960年代にマサチューセッツのアマーストで学生生活を送り、歌をつくり、歌うようになった。

 番組の冒頭、彼女がピート・のTVショーに出演して歌った、1965年の映像が流れた。

 そこで、彼女が歌ったのは、“My Country ’Tis of Thy People You're Dying”という歌。
  DN(上記リンク)のページには、歌詞も掲載されていた。(’Tis は It is のこと)

  ♪ 民族の言葉を禁じ
  コロンブスがヨーロッパから船出して
  歴史が始まった、とさえ言う……

 「新大陸“発見”」の愚劣な不条理を――「ジェノサイド」を、「人権」のウソを――質した、プロテストソング。痛烈な歌だった。

 特番では彼女の歌を何曲か、流していたが、DNの「消防署スタジオ」内で彼女がライブで歌った、“Universal Soldier”も、痛切な歌だった。

 まさに普遍的な、ユニバーサルな、全世界に、全人類に共通する――それどころか、人間の歴史さえも貫く、真実を在りかを示した歌だった。

 この歌の歌詞もDNのページに載っているので、聞くだけでなく、是非読んでいただきたいのだが、「戦争」というものの覆いを一気に裁断し、そこに潜む単純な真理を取り出した、彼女のセンスの鋭さ、激しさ、力強さには驚かされた。

  ♪ 彼は戦う、カナダのために
    彼は戦う フランスのために
    彼は戦う USAのために
    彼は戦う ロシアのために
    彼は戦う 日本のために
    これで戦争がおわると彼は思う

 「彼」とはもちろん、ユニバーサル・ソルジャー。全世界の無名の兵士。
 「民主主義」のために、「共産主義のために」、「平和」のために戦う、ユニバーサル・ソルジャー。

 「彼」なしに、ヒトラーも、ロシアのツァーリも、ありえなかった。「彼」が敵を殺すことなしに。

 だから、咎められるべきは「彼」。「殺せ」の命令は「彼」が自分に下したもの。戦争が終わらないのは、そのため。

 全世界の兵士、一人ひとりが、「殺さない」決断をすることで、そこに生まれる全世界の平和!

 「反戦」とは、われわれ一人ひとりが「殺す兵士」にならないことだと、彼女は歌い、教えているのだ。

 ユーチューブでのインタビューで、こんな風にも語っていた。
 ⇒ ユーチューブ 冒頭にインタビュー http://www.youtube.com/watch?v=VGWsGyNsw00

 シスコの空港での夜、朝一番のトロント行きの便を待っていた時、負傷した米兵の一団が現れた。その時、彼女はこう思ったそうだ。この兵士たちに責任はあるのか、と。そして次にこう思った。命令した軍の将軍たちに責任はあるのか、と。
 しかし、軍の将軍たちに戦争を命じたのは、政治家だ。
 政治家?……搭乗した旅客機が空港に着陸した時、彼女は「答え」を見つけたそうだ。
 「政治家……ということは……そう、それを選んだ私たちに責任が……」

 「平和」を生み出す責任は、私たち一人ひとりにある、「殺さない」と決めた私たち一人ひとりにあると、全世界の一人ひとりに、ユニバーサルに迫る、究極の反戦歌――それが、ユニバーサル・ソルジャーである!

 バフィー・セント・マリーという名前(本名はビバリー・セント・マリー)の、バフィー(Buffy)の意味を辞書で調べたら、「明るい黄色」のことだった。

 白人たちがインディアンの人種色として一方的に決めた「レッド」ではなく、モンゴロイドの一人である自分自身を意識しての「自称」なのだろうか?

 それとも太陽の色である「黄」(「赤」ではなく! 血の色を太陽の色とする日本!)をイメージしての「自称」だろうか?

 平和のユニバーサル・シンガー、バフィー・セント・マリー!

 日本の「9条」をどう思うか、一度、彼女に聞いてみたいものだ。  

 
 ⇒ 彼女のプロフィルについては、 Wiki  http://en.wikipedia.org/wiki/Buffy_Sainte-Marie

Posted by 大沼安史 at 07:13 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-12

〔コラム 机の上の空〕 オバマよ、「ノーベル平和賞」を手に、世界の未来を切り拓け!

 僕の前の、机の上には今、陽光が降り注いでいる。南の空の水色の晴れ間から届く、秋の陽射しがまばゆい。
 本当は、いまごろとっくに、砂浜を歩いていたのに……。

 尊敬するロバート・フィスク記者が、オバマに対するノーベル平和賞の授与を手厳しく批判しており(「ノーベル間違いで賞」!――もちろん、意訳だが……)、その記事を読んだら、海岸まで自転車で行く気力が萎えてしまった。

 オバマに授賞が発表された時、わが畏友こと「閑居愚考」氏は、真っ先に「大々的に反対」する論陣を張っていた ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/obama-pledges-action-on-military-as-gay-activists-rally-1801344.html 
 が(多分、あの発表時点で、あれだけのことを言ってのけたのは、「閑居愚考」ブログだけじゃないかしら……)、フィスク氏の筆先は同じように鋭く、その指摘がまた、全てあたっているだけに、なんだか、オバマがかわいそうで――痛々しくて見ていられない気になった。

 フィスク氏の英紙インディペンデントの記事は ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-obama-man-of-peace-no-just-a-nobel-prize-of-a-mistake-1800928.html

 中東和平の仲介努力に対する、イスラエルのにべもない拒否。アルメニア人大虐殺問題のすっぽかし。アフガンでの躊躇のしまくり。イラクでの武装抵抗勢力の巻き返し……。

 そんな「現実」なのに、「平和賞」を授賞とは……。
 フィスク氏は「オバマは侮辱されたと思ったに違いない」と書いているが、その通りである。オバマは「謙遜」ではなく、「屈辱」の思いで、授賞を受け容れたのだ。

 ブッシュのツケとはいえ、困難と失敗のダイナマイトの山の上で、まあ、これで満足しなさい、とでもいうように、来る12月10日、オスロでの式典で平和賞を首にかけられ、3年後の「大統領選・落選」の日を待つ(?)オバマ。

 フィスク氏は「ミステーク賞」だと書いていたが、僕に言わせれば、「ノーベル罠にはめたで賞」である。いまごろワシントンでは、「戦争の家」に巣食う、共和党のタカ派やネオコンどもが、忍び笑いを漏らしているはずだ。

 「平和の大統領」……?? イランの核開発も阻止できないで……ノーベル賞が笑わせる。アメリカは「強いアメリカ」じゃなければならないのだよ。軍事力にものを言わせなくてはならないのだよ……

 もうひとつ、オバマのことで気になるのは、米軍における「同性愛」の解禁問題(クリントンが、中途半端な「聞くな・言うな」ポリシーを布告して以来、くすぶり続けている)を、なぜか自ら(ほんとうだろうか?)取り上げ、「全面解禁」方針を示したことだ。
 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/obama-pledges-action-on-military-as-gay-activists-rally-1801344.html

 この米軍の「同性愛」問題には、クリントン政権が誕生した際、その目が「軍縮」に目が向かないよう、実はペンタゴン及び米国の保守派が仕掛けた「罠」だったという歴史的な経過がある。

 「同性愛解禁」を持ち出せば、必ずや、保守派の反発が生まれ、特に「核」軍縮に反発する、猛烈な、マッチョ的「政治リビドー」が生まれる。
 (ヒロシマの原爆に「おちんちん」、ナガサキには「巨根」というニックネームがついたことを忘れてはならない!)      

 それを承知で、オバマは「解禁」表明に踏み切ったのか?

 しかし、たとえ、知らずに表明したとしても、結果は同じである。「ノーベル墓穴を掘ったで賞」……。

 では、八方塞がりのこの局面を打開する道は、ないのか?
 オバマにはもう、「罠」から脱出する道は、ないのか?

 僕に言わせれば、脱出口は、ある。
 最低ひとつは、ある。

 そう、「平和賞」で追い込まれたオバマが使える武器は、その「平和賞」を使うことだ!!!

 たとえば、12月10日のオスロでの授賞式で、「アフガン和平国際会議」の開催を表明、帰途にカブールに立ち寄り、初のノーベル平和賞受賞現職大統領として、和平の実現を約束し、その足で、ヒロシマを訪れ、「原爆ドーム」の前で、「核のない世界」への夢を語ればよいのだ。

 その時、湧き上がる、世界の人々の拍手、共感の声、流れる涙、平和への祈りは……そうさ、オマバよ、それは君を守り抜くものになるだろう。

 そして、ワシントンに帰り着いたら、アメリカの民衆の名において、賞金を全額、基金として寄付し、「オバマ平和基金」を立ち上げればよいのだ。

 世界の民衆から寄付を募り、それをアフガンやイラク、パレスチナなどの復興にあてる。

 いいか、オバマ。ここは君の――そして世界の――正念場だぞ。
 めげるんじゃない、負けるんじゃない。

 「平和賞」を突破口に、世界の未来を切り拓け!

 世界の人々の前に、平和の陽光を届けよ!

Posted by 大沼安史 at 01:28 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-10-10

〔コラム 机の上の空〕 「悲しみを見た男」ゴア・ヴィダル的「オバマ大統領に捧ぐ」

 オバマ大統領がノーベル平和賞に輝いた! そう、輝いた!
 ノーベル平和賞を受賞!

 ノルウェーの選考委員会の人々は、どんな思いで授賞を決めたのだろう。
 「核のない世界を」と言い、旧東欧へのミサイル防衛システム配備計画を撤回したからか?

 それとも、アフ・パク戦争(アフガニスタン・パキスタン戦争)で、米軍部・保守派に「米軍増派」を迫られ、「ノー」と言えなくて追い詰められているオバマに対し、「救いの手」を――決断の「口実」を差し出したつもりだろうか? 平和賞を差し上げます。アフガンから撤退しなさい……。
 
               * * *

 「オバマにノーベル平和賞」と聞いて、アメリカの作家、ゴア・ヴィダルの、ロンドンでの痛烈なオバマ批判を思い出した。(7日付、インディペンデント紙)

 ゴア・ヴィダル、84歳。現代アメリカを代表する最長老の作家。ハリウッド映画の脚本も書き、ケネディとも親交のあった、華麗なる経歴の持ち主。「反戦」の立場を貫いて来た、「左派の作家」。

 ロンドンのホテルのバーで、スコッチを飲みながらの、インディペンデント紙記者との会見だった。車椅子に座って。

               * * *

 ゴア・ヴィダルもまた、オバマが当選した時、人並みに楽観的気分に浸ったのだそうだ。が、それも、今や昔――。

 「無能な男だ。大統領に再選されないだろう。久しぶりに知的な大統領が出たと思ったのに、あの男はダメだ、戦おうとしない。押しつぶされている。誰だってそうかも……。アメリカは狂人の家だから」

 「みんなに好かれたがっている。自分がしなくきゃならないことは、理屈を述べること――それが全てだと思っている。しかし、〔敵の〕共和党は政党じゃない。ヒトラー・ユーゲントのような考え方の連中だ。憎しみでいっぱいなんだ。話し合いなど、できるわけ、ないじゃないか。やるだけ無駄だ。ああいうやつらを扱うには、ビビらせるしかない。オバマはしかし、デリケートすぎる……」

 「オバマはケネディより、倍も知的だ。でもケネディは世の中の現実を知っていた。海軍にいて、魚雷艇を沈められた。しかし、あのガキ(キッド=オバマのこと)は、一発の怒りの銃声も聞いたことがない。軍の将軍どもにハラワタ抜かれている。ウソをつかれて信じている……」

 そんなふうにオバマ批判を続けたあと、一呼吸おいて、「でも朗報がある」と、老作家は言った。
 「アフガニスタンはアメリカ帝国の終着駅になるだろう。それを見ることだけが楽しみだ」
 そういうなり、グラスのスコッチの残りを、ゆっくり飲み干したそうだ。
 
               * * *
 
 ゴア・ヴィダルは、ジョージ・ブッシュがイラク戦争を始めた時、アメリカの世論がイケイケドンドンになっている中で、「あいつは史上最悪の不人気の中でホワイトハウスを去るだろう」と予言し、見事、的中させた。
 「オバマは大統領に再選されることはない」という今回の予言、果たして当たるだろうか?

 オスロの選考委員がどういう理由で、現役の大統領に対し、授賞を決めたか知れないが、今回の任期途中の「平和賞」はオバマにとって「劇薬」すぎると、僕は思う。 

 「平和賞」にふさわしい業績を現状の中で上げるには、よほどの豪腕をふるわなければならないが、アメリカという国は、ゴア・ヴィダルの言うように、軍産複合体が権力をにぎるマッドハウス(Madhouse)なのだ。一筋縄ではいかない軍事国家なのだ。(だから、彼の友人であるケネディも殺された……)

 ああ、「平和賞」を受賞しながら、何もできずに3年後、ワシントンの政治の舞台から追われることになる(?)オバマ!

               * * *

 ゴア・ヴィダルはロンドンのホテルのバーでの会見で、なぜか唐突に、作家仲間のノーマン・メイラーに触れ、こんなエピソードを語っていた。

 あいつは(メイラー)はよく分かりもしないで、「実存的(existential)」という言葉を口癖のように使っていたが、アイリス・マードック(英国の女流作家。元々は哲学者)からその意味を聞かされ、口をアングリさせ、驚いていたぜ、と。

  オバマ批判に続いて、なぜ、「実存的」を持ち出したか、ゴア・ヴィダルの会見記事を最初に読んだ時は分からなかったが、オバマに「平和賞」が出た今、のみこみの遅い僕にも分かるような気がする。

 ゴア・ヴィダルはオバマをクソみそに批判しながら、心のどこかで、こんな風に言いたかったのだ。

 オバマよ、君が「平和の大統領」として名を遺すには、「実存的」に闘うしかないのだ。一個の実存として、状況にアンガージュし、果敢に状況を切り拓くしかないのだ――と。

 そう、ゴア・ヴィダルの君に対する辛辣な批評は、君に対する、最後の呼びかけだった!……

               * * *

 「ゴア・ヴィダル」とは、ロシア語で「悲しみを見てしまった男」の意味だそうだ。

 アメリカの悲劇を見続けて来た作家は、今回の君の受賞の知らせを聞いて、きっとスコッチのグラスを掲げ、君にこう語りかけていることだろう。

 オバマよ、ノーベル平和賞、それでも、おめでとう!
 こうなったからには、平和賞をぶらさげて、ひとりの人間として実存的に闘うんだ!
 いいか、オバマ、状況を切り拓くんだ!
 あのジャック(ケネディのこと)の、やれなかったことを、やるんだ!

 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/gore-vidals-united-states-of-fury-1798601.html

Posted by 大沼安史 at 12:07 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-12

〔コラム 机の上の空〕 オバマが開いた「帰らざる扉」 「奴隷の城」で語られた根源の「悪」、そして「希望」

 CNNのビデオで、オバマ大統領の、ガーナ、「ケープ・コースト・カースル」での短い演説を視聴した。
  ⇒  http://www.youtube.com/watch?v=jJWiU01y7KY

 「ケープ・コースト・カースル」……「海岸岬の城」。大英帝国が一六六五年から一八〇七年まで、150年間にもわたって、黒人奴隷を閉じ込め、船で積み出したところだ。

 アフリカに父方のルーツを持つ、アメリカの「黒人」大統領、オバマが11日、家族とともに、その場所に立った!
 アフリカの民が奴隷として生きたアメリカから、アフリカの血の流れるオバマが「帰り」、その場所で言葉を述べた!

               ☆

 いつもはクールなオバマが、あのブッヘンバルト同様、違って見えた。 厳しい表情は、悲しそうであり、それ以上に、強かった。

 オバマは強かった。過去と現在の「歴史」の極点で、噴き出した感情を整理し、未来への責務の在り処を指し示した。

 「心揺さぶられる経験です。心揺さぶられる時です。苦痛に満ちたものではありますが、私はこう思います。それは、私たち全員に教えています。こうした悪と闘うために何をなすべきか、を。こうした悪は、悲しいことに今なお、存在しています」

 “Obviously, it’s a moving experience, a moving moment. As painful as it is, I think that it helps to teach all of us that we have to do what we can to fight against the kinds of evils that, sadly, still exist in our world.”

               ☆

 オバマは演説は演説の中で、「城」の「穴倉」(ダンジェオン)の上に「教会」があったことにも触れた。

 ナチスの絶滅収容所のブッヘンバルトと変わらない「純粋の悪(Pure Evil)」と、「教会」という、「善きもの」が、この「城」の中で、共存していたという歴史的な事実!

 これは、重大な問題である。根源的な問題である。

 「悪」を可能ならしめた「善」……オバマは口を噤まずに、ハッキリ、言葉にして語った!

               ☆

 「穴倉」(男女別)には男が1000人、女が300人拘禁され、アメリカやカリブ海へ積み出される日を待った。

 黒人たちは、この「城」の門をくぐると、二度と故郷に戻れなかった。
 この門は、今、「帰らざる扉(The Door of No Return)」と呼ばれている。
  
                              ☆

 オバマが訥々と言葉を語り継ぐビデオ映像の背景(遠景)は、海だった。大西洋の波が繰り返し、昔、ゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれた海岸に押し寄せている。

 「海岸岬」の周辺は、美しい場所なのだ。美し過ぎるほど美しい。それは黒人作家のリチャード・ライトをも、かつて感嘆させたほどである。

                              ☆

 空前の「悪」は、「善」の認可の下、この美し過ぎる海岸で、起きた。
 

 ⇒  http://www.youtube.com/watch?v=jJWiU01y7KY

    ケープ・コースト・カースル 説明文&写真 →
     http://www.historycooperative.org/journals/cp/vol-01/no-04/finley/finley-5.shtml
 
    ケープ・コースト・カースルの歴史については →
     http://www.post-gazette.com/pg/09192/983229-82.stm

    ニューヨーク・タイムズの記事 →
     http://www.nytimes.com/2009/07/12/world/africa/12prexy.html?ref=global-home

Posted by 大沼安史 at 07:56 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-11

〔コラム 机の上の空〕 美智子さま トロントこども病院での「子守唄」

 “I don't have a good voice.”
 
 美智子さまは、そうおっしゃられたそうだ。
 カナダの新聞(ナショナル・ポスト紙)に(当然のことながら)、そう英語で出ていた。

 天皇陛下とともに、トロントのこども病院「シック・キッズ」を訪問された時のこと。
 読書室のソファーにお掛けになり、子どもたちに、日本の子守唄を歌いかける前の一言だった。

 美智子さまは英語で、こうも言ったそうだ。「会えてとてもうれしい。私が子育てをしていた時の子守歌を披露します」と(中日新聞の記事)。

             ☆

 美智子さまが歌い出したのは、「ゆりかごの歌」だった。
 大正デモクラシーの頃、「赤い鳥・童話・童謡」運動の中から生まれた、あの「ゆりかごの歌」。
 北原白秋作詞、草川信作曲のあの歌を歌い始めた。

  ⇒ FNNのビデオ http://fnn.fujitv.co.jp/en/news/headlines/articles/CONN00158826.html

 一番と二番と四番――

  ♪ゆりかごの歌を
   カナリヤが うたうよ 
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

  ♪ゆりかごの上に
   びわの実が ゆれるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

  ♪ゆりかごの 夢に
   黄いろい月が かかるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

   …………

 「とてもよかった。もっと聴きたかった」と、ブランドン君というシック・キッズの一人が言った。
 美智子さまの心と声で歌われ、トロントのシック・キッズたちの心に届いた、「日本のララバイ」だった。

             ☆

 美智子さまは、ご自分でお書きになった(そして、訳されもした)童話を4冊寄贈されたという。

 美智子さまは学生時代、「ねむの木の子守唄」という詩をお書きになり、それに曲がついて、佐藤しのぶさんが歌っているが、もしかしたら、そのCDもお贈りになったのかも知れない。

             ☆

 トロントには、移民の子孫である日系人が12000人も暮らしている。両陛下の今回のご訪問を、どんなに喜んだか知れない。

 その一人、トケ・スヤマさんという83歳になる日系人男性の言葉が、現地の新聞(グローブ&メール)に出ていた。

 スヤマさんは西海岸、ブリティッシュ・コロンビア州の日系人抑留所を出て、1946年以来、トロントに住んでいるそうだ。

 スヤマさんが今回のご訪問に心躍らせたわけは二つあった。

 ひとつは、トロントというカナダの都市が、人種的に多様であることへの誇り(これを、私なりに解釈すれば、人種的な偏見を乗り越えた文化的な多様性に対する、プライドと安心――それを日系カナダ人として誇りたい気持ち……ということになろう)。

 もうひとつは(これは、私の勝手な言葉遣いだが)、この先、「トロントに両陛下が来たんだ。ザマミロ、うらやましいだろう」と、何度も自慢できる喜び。

 つまり、「日系カナダ人である」ことの「誇り」と「喜び」が、この老人の心を弾ませたのだ。

             ☆

 そんなスヤマさんが、美智子さまの「ゆりかごの歌」のことを地元のテレビニュースで知ったとき、どんな気持ちになったか、(もちろん、勝手な想像だが)分かるような気がする。

 スヤマさんは今年、83歳だから、戦争終結時、19歳。生まれは、日本の元号で言えば、昭和2年ではないか、と思われる。

 カナダでお生まれになったか、それとも日本で生まれ、両親に連れられ、カナダに移民したか定かではないが、幼い頃、母親から、日本の子守歌を聞かされていたことは、たぶん間違いない――。

 こう考えると、トロントのこども病院で、美智子さまがお歌いになった子守歌が、さらに深い響きを持ったものに聴こえて来る。

 美智子さまは、今、カナダで暮らす移民日系人の最高齢世代が、スヤマさんのように、日本の子守唄で育ったことをお考えになり、「ゆりかごの歌」を歌われたのではないか?

 カナダの子ども、シック・キッズのために歌うことで、カナダ人として生きる(生きて来た)日系人のお年寄りのために――その幼い頃の思い出と、その人生の肯定のために(――あるいはまた、苦難の中で子育てした移民の親たちの人生を偲び)、美智子さまはお歌いになったのではなかったか?

              ☆

 日本とカナダの間にも「戦争」という歴史問題があり、今だ、長い影を落としている。
 カナダ側には、戦時中、日系人を強制収容所に隔離した問題があり、これは一九八八年、当時のマルニーニ政権が抑留者1人あたり、2万1千(カナダ)ドルの賠償を行ったことで、一応、解決している。
 日本側には、香港をめぐる戦闘の「カナダ兵捕虜虐待」事件というのがあって、これは未解決のままだ。(下記のカナダ紙の記事を参照)

 だから、今回の両陛下のご訪問に際しても、カナダの団体から日本政府の「謝罪」を求める公開質問状が出ている。 

 そんな「二つの祖国」間の軋轢に、最も敏感なのは、カナダの日系人の方々だろう。
 そして、彼・女ら、日系カナダ人の――とりわけ、高齢世代の胸の内を、天皇・皇后両陛下が、お知りになっていないはずがない。(私は両陛下がサイパンに行かれたとき、朝鮮人の方々の慰霊碑にも花を供えられたことを思い出す……)

 今回の両陛下のカナダご訪問には福田元首相が同行したが、日本政府は政治の責任で、歴史問題の清算と謝罪を、一日も早く、なすべきである。

 それが多分、「私は美声ではない」と言いつつ、トロントこども病院の読書ルームで、カナダ人関係者や報道陣(そして、病院でこどもたちを励ましている、パッチ・アダムスのような道化たち)の前で、敢えて日本の子守歌を歌った、美智子さまに応える道だ。

    
 ☆ 天皇のオタワでの「悲しみの言葉」

  http://www.allheadlinenews.com/articles/7015717992?Japanese%20Emperor%20Expresses%20Sadness%20Over%20World%20War%20II%20Deaths,%20Sufferings

 The Japanese royalty said at a state dinner in Ottawa on Monday night, quoted by the CanWest News Service, "It is all the more regrettable that the relationship that had thus developed between our two countries was disrupted by the Second World War.... It saddens me that so many people experienced suffering and difficulties during the war. Ever since our diplomatic relations resumed after the end of the war, our exchanges once again have been enjoying steady development."

 ☆ トロントこども病院

  中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009071002000153.html 

  毎日新聞 http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20090710k0000m040165000c.html

  http://www.thestar.com/news/gta/article/663401

   http://www.nationalpost.com/news/story.html?id=1775302

 ☆ トロントの日系人 スヤマさん

  http://www.theglobeandmail.com/news/national/a-flag-a-smile-and-a-bow-greet-japans-emperor-and-empress/article1211666/

 ☆ カナダ 謝罪要求 http://www.cbc.ca/canada/british-columbia/story/2009/07/09/bc-vancouver-groups-japanese-emperor-apology.html

 ☆ カナダ人の太平洋戦争 ttp://www.winnipegfreepress.com/opinion/editorials/editorial---japans-apology-overdue-50347297.html

 ☆ カナダ日系人抑留 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E4%BA%BA#.E6.8A.91.E7.95.99

             http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9#.E3.82.AB.E3.83.8A.E3.83.80
 
 ☆「ねむの木の子守唄」 ユーチューブ http://www.youtube.com/watch?v=ShollVTOsVM

 ☆「揺篭のうた」真理ヨシコさん ユーチューブ 

 http://www.youtube.com/watch?v=59RdmMfSKfQ&feature=related

Posted by 大沼安史 at 11:19 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-08

〔コラム 机の上の空〕 モラル・インテリジェンス

 米国の歴史家、ハワード・ジン氏が「デモクラシーNOW」の番組に電話出演し、マクナマラについて語っていた。
 ⇒  http://www.democracynow.org/2009/7/7/vietnam_war_architect_robert_mcnamara_dies

 ハワード・ジン氏は第2次世界大戦中、B17爆撃機の爆撃手として、ドイツなどへの空爆作戦に従事した経験の持ち主。

 戦時中、爆撃隊のコンサルトとして空爆を効率化する任務に就いていたロバート・マクナマラについて、どんなことを言うのか、興味があったので聞いて見た。

 ジン氏は、マクナマラには「表層的な知性」しかなかった、と指摘していた。
 より正確には、「頭のよさ、知性、教育における表層的な質」しか持たない人間の代表だった、と。

 ジンン氏はさらに、こう続けた。

 *「表層的な知性」はいまなお、世間一般で、ひどく尊敬を集めている

 * 結局、それは、テストでどれだけ得点したか、どれだけスマートにやれたか、どれだけ情報を消化したか、どれだけ覚えた答えを返せたかで子どもを判断している……あのやり方と同じことだ、
 ――と。

 ジン氏は、マクナマラに欠けていたものも指摘していた。

 それは、モラル・インテリジェンス(道徳的知性)!

  It seems to me one things which we should be thinking about, is that McNamara represented all of those superficial qualities of brightness and intelligence and education that are so revered in our culture. This whole idea that you judge young kids today on the basis of what their test scores are, how smart they are, how much information they can digest, how much they can give back to you and remember. That’s what MacNamara was good at. He was bright and he was smart, but he had no moral intelligence.

 そしてジン氏は、こう続ける。
 「勝つか、負けるか」ではなく、「正しいか、正しくないか」を問う、新しい世代を育てなければ、と。

  What strikes me as one of the many things we can learn from this McNamara experience is that we’ve got to stop revering these superficial qualities of brightness and smartness, and bring up a generation which thinks in moral terms, which has moral intelligence, and which asks questions not, “Do we win or do we lose?” Asks questions, “Is this right? Is it wrong?” And McNamara never asked that question.

 ジン氏は大学で教えていたこともある人。
 たぶん、あの有名なロバート・コールズ氏の著作を念頭に、「道徳的知性」の再生を説いたのだ。

 なるほど、と思った。
 そして、思った。この、「表層的知性における道徳的知性の欠如」こそ、われわれの日本でも、諸悪の根源にあるものではないか?――と。

 卑近な例を挙げれば、「政治」を「オレサマの人気」の角度でしか見ることのできない、あのまんま氏がそうだ。

 最近、ヒステリックに語られる「学力主義」がそうだ。「社会保険庁」がそうだ。「永田町・霞ヶ関」がそうだ。
 何もかもがそうだ。

 モラルがすっぽり抜け落ちている。

 目先の「勝つか、負けるか」ではなく、「正しいか、正しくないか」、根底でものを考えなさい……「アメリカの良心」、ハワード・ジン氏の言葉は、いつもシンプルで、凛としている。 
  

Posted by 大沼安史 at 09:57 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-07

〔コラム 机の上の空〕 「防衛」は安全を保障しない……マクナマラは「戦争の家」で「九条」の真理を学んでいた! 

 7月10日は、仙台大空襲の記念日だ。
 ⇒  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E7%A9%BA%E8%A5%B2  
 
 私の母も、昭和20年(1945年)のその日未明、焼夷弾によるファイアー・ストームの中を逃げまどい、死にかけた。
 死ななかったのは、倒れていた母の手を、兵隊さんが無理矢理、引っ張り上げ、助けてくれたからだ。
 「戦争はヤンダ(嫌だ)」と、母は子どもの私に何度も言った。
  
             *
              
 米陸軍航空隊の爆撃隊による、無差別空爆だった。
 その爆撃機の大群の背後に、ハーバード大学ビジネススクールの助教授が「頭脳」として控えていた。
 統計分析の専門家、ロバート・マクナマラだった。統計の手法を駆使し、空爆による破壊を最大化する任務に就いていた。

             *

 そのマクナマラが、仙台大空襲を含む日本に対する空爆を、生涯、後悔し続けていたことを、私は、ジェームズ・キャロル氏(米国の作家、コラムニスト)の『戦争の家』という大河ドキュメントを翻訳する中で、知った。〔緑風出版刊。上巻はすでに刊行。目下、後半=下巻部分を翻訳中〕

 私は、マクナマラを「ベトナム戦争=マクナマラの戦争」を戦ったタカ派の元国防長官とばかり思い込んでいたから、意外だった。

             *

 なかでも、驚いたのは、マクナマラが、泣いたことだ。嗚咽したことだ。

 晩年、キャロル氏の電話インタビューを受けた時のこと、マクナマラは日本空爆のことを思い出し、受話器を握ったまま、泣いたという。

             *

 1967年10月21日、マクナマラが国防長官執務室に座る「戦争の家=ペンタゴン(国防総省)」に、大規模な反戦デモが行われた。そのデモ隊の中に、若き日のキャロル氏もいた。

 その日、「戦争の家」の(文字通り)「悪魔祓い」をした(最後には『聖し、この夜』を歌った)デモ隊の、誰もが気づかなかったことが、ひとつあった。
 「戦争の家」において、マクナマラ対軍制服組首脳との間で、実は「戦争」が起きていたことだ。

 ベトナム戦争のエスカレーションに反対していたマクナマラは、デモ警備の米兵の実弾装着を許さなかった。

             *

 ジョンソンに首を切られたマクナマラは、最後の閣議で、切れたそうだ。「こんなクソな戦争が」と叫んだのだそうだ。

             *

 「戦争の家」と闘い、敗れたマクナマラは、世銀総裁を務め、そのまま平穏な引退生活に入ればよいものを、『振り返って思う』という回想録を書いて、ベトナム戦争は誤りだったといい、核の廃絶運動にも乗り出した。怒りを、侮蔑を、一身に浴びた。

             *

 私は彼の自己批判を評価する者である。

 よくぞ、自己批判したものだと思う。

 この日本の戦時中の指導者で、戦後、自ら、自己批判した人を、私は知らない。 

 ロバート・「ストレンジ」・マクナマラと揶揄された男は、嗚咽する男だったが、私は偉いと思う。

             *

 マクナマラ氏が6日、亡くなった。93歳。

 ⇒ http://www.nytimes.com/2009/07/07/us/07mcnamara.html?_r=1&hpw
 
 「核のない世界」を誓ったオバマが、モスクワへ核削減の合意をしに飛び立ったあとのことだった。
 安心して――いや、少なくとも、未来に希望を抱いて、亡くなったのではないか。

             *

 翻訳中に出合った、マクナマラの言葉で、忘れがたい言葉がある。

 それは「防衛(軍事力)の強化は、相手の攻撃(力)の強化を招く」だけだ、という指摘だ。

 すなわち、「防衛」は絶対的な「安全保障」にはなり得ない……「防衛」という名の「戦力」は、かえって「安全」を脅かす……

 マクナマラは、日本の「九条」に含まれた真理を、「戦争の家」の長官として、実体験を通して学び取っていたのである。 

Posted by 大沼安史 at 09:33 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-07-01

〔コラム 机の上の空〕 国会前 6月15日 

  朝日新聞の「声」欄(6月30日付)に、和歌山県にお住まいの本多立太郎さん、95歳の投書が載っていた。

 「樺さんの思い、受け継ぐ若者」と見出しのついた、本多さんの和歌山からの「便り」は、身をもってこの国の希望の在り処を示す、祈りの矢のような投書だった。

 本多さんは49年前の「6月15日」、国会デモの隊列の末尾にいた。東大生の樺美智子さんが「命を散らした」同じ時間、同じ場所にいた。

 当時、46歳。
 「平和への危機感は増大し」、「ここ30年余、6月15日は紀州の山中から出て行く」のだそうだ。樺さんを悼んで、国会南通用門前で花をささげる。

 本多さんが毎年、その日、その場所に向かうのは、そこに、忘れてはならないものがあるからだろう。失ってはならないものがあるからだろう。

 デモの隊列にあった本多さんは赤ん坊を背負った母親を見かけ、ねぎらいをかけたことを憶えている。「いいえ、だってこの子のためですもの」――母親の声が今でも耳に甦る。

 6月15日の国会前では、若者たちが花をささげている。その姿を見るたび、本多さんは思う。
 「思いはいっそう深く重く受け継がれているのだ」と。

 失われた若い命が新しい世代の若者に希望を託し、花を手向ける若者の姿に、95歳の老人がこの国の希望を垣間見る。
 
 来年は「60年安保」の50周年。
 50回目の「6・15」がめぐって来る。  
 

Posted by 大沼安史 at 08:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-06-07

〔コラム 机の上の空〕 ブーヘンヴァルト         摂氏37度の和解

 絶滅収容所、ブーヘンヴァルトの地表の記念碑に 6月5日の午後、白バラが4本、置かれた。

 オバマ大統領とドイツのメルケル首相、そして、この収容所で死と隣り合わせの日々を過ごした2人の生存者、エリ・ヴィーゼル氏とバートランド・ヘルツ氏の4人が捧げたものだ。

 なぜ、「白いバラ」だったか?
 ブーヘンヴァルトの現地からの報道(たとえば、シュピーゲル誌、ニューヨーク・タイムズ紙)に特に説明はなかったが、言うまでもない。

 「白いバラ」(Die Weiße Rose)……ナチスに対する、ドイツ国内抵抗運動のシンボル。
 ヒトラーの狂気と非暴力で闘い、死刑に処せられた、ショル兄妹ら、ミュンヘン大学の学生グループの組織の名である。

 収容所のレンガ壁の切片のような、鋼鉄製の四角い記念プレートに白バラを捧げた4人は、一人ずつ、碑の面に手の平を置いた。
 
 冷たくなかった。気温よりも温かかったが、焼却炉の熱さではなかった。
 碑は摂氏37度に保たれていた。
              
              *

 式典ではまず、メルケル首相が発言した。

 「この場所に、強制収容所が建ったのは、1937年のことでした。この場所から遠くはないところに、ワイマールがあります。そのワイマールでドイツ人は、ヨーロッパ文化に対して貢献をする、素晴らしい創造を行ったのです。芸術家が、詩人が、思想家が出合ったそのワイマールから遠く離れていないこの場所で、恐怖が、暴力が、専横が、この収容所を支配していたのです」

 ワイマールとはもちろん、第一次世界大戦後、あの燦たる「ワイマール文化」を開花させた、ワイマール共和国のワイマール。
 その北西、わずか7キロの近郊のこの場所、ブーヘンヴァルトに立つ、ナチスの強制収容所で、ユダヤ人を中心に、6万人近くが殺された……

 メルケル首相は、栄光のワイマールに日々に続いて起きた、同じドイツ人による国家犯罪を直視し、ドイツの首相として、痛恨の言葉を吐いた。

 はっきりと、こう言った。

  Ich verneige mich vor allen Opfern.

 「私は全ての犠牲者の前で頭を下げます」と。

 これは、歴史に記憶されなればならない言葉である。

 メルケル首相はまた、ことし1月、ナチス絶滅収容所の生存者でつくる団体の長たちが、「ドイツ人、そして国際社会に対して出したアピール」を読み上げもした。

 アピール文には、こうあった。

  eine Welt, in der Antisemitismus, Rassismus, Fremdenfeindlichkeit und Rechtsextremismus keinen Platz haben sollen.

  「反ユダヤ主義、人種差別、外国人差別、極右主義なき世界を」

 これは、かつてナチスと同盟していた、われわれ日本人としても重く受け止めるべき言葉だろう。

             *           

 式典で、次に発言したのは、オバマ大統領だった。

 オバマ大統領は演説の冒頭、現存する一枚の写真に触れた。

 同席した生存者の一人、ノーベル平和賞の受賞者でもある、作家のエリ・ヴェーゼル氏が写った写真だった。

 アメリカ軍によってブーヘンヴァルトが解放されたあと、撮られた一枚の写真。
 蚕棚のような部屋の2段目で、顔をのぞかせている(左から7人目)、当時、16歳のエリ・ヴィーゼル。 

 アウシュヴィッツからブーヘンヴァルトに移送され、生き延びて、戦後、『夜(La Nuit)』という体験記を発表、生き証人として、戦後、証言を続けて来た人の写真だった。

 ブーヘンヴァルトの地を再びその足で踏んだエリ・ヴィーゼル氏の立つそばで、その写真に触れたオバマ氏は、つい今しがた、ヴィーゼル氏と収容所跡を一緒に歩いた時のことを語った。

 収容所跡には樹木が育ち、緑の葉を広げていた。
 歩きながら、ヴィーゼル氏はオバマ大統領に、一言、こう語ったという。

 ……"if these trees could talk."

 「もしも、この樹木たちが語れるのなら」

 胸を打つ言葉だ。これまた、記憶にとどめなければならない言葉だ。

 演説でオバマ大統領は、彼の個人的な思い出も語った。
 祖父(母方)は第二次大戦中、第89歩兵師団の兵士としてヨーロッパ戦線で従軍し、このブーヘンヴァルトを解放した米兵の一人だった。

 祖父はオバマ少年に、あまりのショックで、復員してシカゴに帰ってから数ヵ月もの間、独り閉じこもっていた、と語ったそうだ。

 オバマ大統領はこうも言い切った。

 We are here today because we know this work is not yet finished. To this day, there are those who insist that the Holocaust never happened -- a denial of fact and truth that is baseless and ignorant and hateful. This place is the ultimate rebuke to such thoughts; a reminder of our duty to confront those who would tell lies about our history.

 「私たちがいまここにいるのは、この仕事(全体主義との闘い)がまだ終わっていないからだ。今日、この日に至るまで、ホロコーストはなかったと言い張る者たちがいる。根拠のない、無知な、憎悪に満ちた、事実と真実の否定である。そうした考えを、究極において反駁し去るもの、それがこの場所である。この場所は、私たちの歴史に対して嘘を言う者どもと対決する義務を、私たちに思い出させる場所である」

 このくだりを読んで(観て)、「ブーヘンヴァルト」が仮に「南京」であったなら、どういうことになるのだろう?――と思った。

 「日本の首相」は、いずれ中国を訪問するであろうオバマ大統領、および南京事件の中国人犠牲者の遺族代表とともに、「その場」に立つことが、できるだろうか?

 メルケル首相のように、頭を垂れることはできるだろうか?

              *

 式典の最後に立ったのは、エリ・ヴィーゼル氏だった。

 エリ・ヴィーゼルはこう語りだした。

 「今日、私がここに来たのは、父の墓まいりである――しかし、ここに彼の墓はない。彼の墓は、この空の上のどこかにある。この空は、あの時代に、ユダヤ人最大の墓地となって、今に続いている」

 ブーヘンヴァルトは、息子のエリ・ヴィーゼルが生き延び、ともに強制労働に従事していた、父親が死んだ場所であるのだ。

 父親は死ぬとき、水が飲みたいと言ったという。下の棚にいた息子は、父親の声は聞いたものの、動かなかった。他の人も動かなかった。
 動けなかったのだ。動いてとがめられるのが怖かったのだ。

 And then he died. I was there, but I was not there.

 「そして、彼(父)は死んだ。私はそこにいたのだ。しかし、私はそこにいなかった」

 エリ・ヴィーゼルの悔いの言葉は、しかし、私たちに深い反省を迫る、言葉でもある。「そこにいながら、何もしないでいる、君たち(私たち)とは、いったい何者であるのか」と。

 短いスピーチでエリ・ヴィーゼル氏は、「世界は、学ぶことがあるのだろうか?」と、端的な「問い」を投げかけたあと、「ブーヘンヴァルト」が現代の私たちに提起する、ある深い問題の在り処を示唆する言葉を残した。

 それは「ブーヘンヴァルト」が、主に東欧のユダヤ人だけを集めたアウシュヴィッツと違って、「あらゆる方角の地平線から」、政治・経済・文化を超えて、あらゆる人々を集めた「国際社会」だったことである。

 その「国際社会」をナチスはホロコーストで絶滅を図った!――それは、世界最初の「グローバリゼーション」の所業ではなかったか、いや、そうだったと、エリ・ヴィーゼルは言明したのである。

 The first globalization essay, experiment, were made in Buchenwald. And all that was meant to diminish the humanity of human beings.

 「最初のグローバリゼーションの試み、実験は、ブーヘンヴァルトでなされた。それはすべて、人類の人間性の抹殺のためのものだった」

 この言葉は、「グローバル化」だ、「世界標準」だ、「小学校から英語教育だ」と騒ぎまくる私たち日本人にとっても、重い言葉である。

 言われてみれば、たしかにそうだ。バナキュラー(土着)な価値を踏みにじる「グローバリゼーション」の「ブルドーザー」は、ナチスの「ガス室」と、そうそう変わらないものかも知れない……。

              *

 「摂氏37度」――この文章の冒頭で触れた、ブーヘンヴァルトのスティールの碑の温度とはもちろん、私たち人間の体温のことである。
 
 その体温を保って、私たちもまた、この世界に生きている……。

 「ブーヘンヴァルト」の私たちに対するメッセージは明快である。

 せっかくのその「存在」を、私たちは「不在」にしてはならない。私たちは生ける「不在」でなく、温かみのある「存在」でなけれなならい。

 スピーチの最後で、エリ・ヴィーゼルは、カミュの『ペスト』の、こんな言葉――

 After all, after the tragedy, never the rest...there is more in the human being to celebrate than to denigrate.

  「結局のところ、他の何ものではなく、この悲劇があったればこそ……人間たちの中に、否定すべきもの以上に、祝福が生まれるのだ」

 ――を引き、最後を、こう締め括った。

  Even that can be found as truth -- painful as it is -- in Buchenwald.
 
 「これは真実と思える言葉だ――辛いことではあるが――ここ、ブーヘンヴァルトにおいてさえも」 
  

⇒  http://www.bundeskanzlerin.de/Content/DE/Mitschrift/Pressekonferenzen/2009/06/2009-06-06-statement-merkel-obama-buchenwald.html

  http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-by-President-Obama-German-Chancellor-Merkel-and-Elie-Wiesel-at-Buchenwald-Concentration-Camp-6-5-09/

  http://www.nytimes.com/2009/06/06/world/europe/06prexy.html?hpw

Posted by 大沼安史 at 01:00 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-06-05

〔コラム 机の上の空〕 天安門事件20周年 日本政府の悲しき沈黙

 天安門事件20周年……
 
 英紙ガーディアン(電子版)のサイトで、特集ビデオを観た。
 (⇒ サイト内のマルチメディア参照 http://www.guardian.co.uk/ )

 パンパンパンと乾いた音が耳に残った。
 病院のフロアが一面、血で染まっていた、という証言が耳に残った。

 犠牲者の母の「頬が冷たかった」という言葉の字幕が目に残った。
 広場に残ることを決意し、座り込んだ学生たちの姿が目に残った。

 英紙フィナンシャル・タイムズのサイトに入ると、米政府が「最も強い調子で、中国人権問題に関する声明を発表」という記事が出ていた。

 (⇒ http://www.ft.com/cms/s/0/96c78f34-504e-11de-9530-00144feabdc0.html )

 ヒラリー国務長官が、「殺され、拘禁され、行方不明になった人について」公開説明を要求していた。

 米国務省のサイトに入ると、ヒラリーの声明が出ていた。

 (⇒ http://www.state.gov/secretary/rm/2009a/06/124292.htm )

 経済危機もあり、このところ中国指導部に擦り寄る姿勢を見せていた米政府だが、「天安門」では違っていた。
 ことが「人権」というデモクラシーの原則にかかわることだから、厳しい姿勢をとるのだろう。

 日本の外務省のサイトに入った。
 
 見当たらないので、検索(⇒ http://search.mofa.go.jp/mofaj/index.php?sort=date%3Az&q=%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6&site= )をかけた。

 なかった。

 日本政府に、人権外交はない。

 日本政府の「沈黙」は、「戦時中」と「戦後」の「忌わしき過去」を、それぞれ起源とする「双子の沈黙」のように思える。

 ひとつは南京事件など、中国侵略の歴史的事実を否定していることから来る沈黙。

 もうひとつは、「60安保」の際、日本の天安門広場というべき国会前で、樺美智子さんという、一人の女子大生の命を奪っていることから来る沈黙である。

 「6月4日」の「天安門」は、「6月15日」の「国会前」に、時空を超えて結びつくものだ。

 日中両国民衆の「連帯の橋」は、ここに架かる。

 来年は「60年安保」50周年。
 「人権」を尊重しない権力者たちに、退場を迫るべき時が来た。 
 

Posted by 大沼安史 at 06:38 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-24

〔コラム 机の上の空〕 深夜に片倉真由子さんのジャズピアノを聴く

 土曜の午後、CDでピアノのジャズを流しながら、一人掛のソファーで、久しぶりに寛いだ。横浜から仙台の連坊に引越し、その連坊の狭いアパートに、仙台の旭丘に置いていた書籍類など荷物を運び込んだせいで、DKは今、バリケード状態。でも、書斎にしている部屋はだいぶ片付き、仕事(読み書き)はできるようになった。

 ソファーに座って読み始めたのは、フィナンシャル・タイムズのジリアン・テット記者が最近出して評判の「阿呆金(フールズ・ゴールド)」。
 手ごわい本なので、ピアノジャズBGMで景気をつけて読み進めようと、大好きな「ティーチ・ミー・ツナイト」を、リピートで延々と流し続けた。

 夜、ダンボールを2個開けて、ちょっとだけ荷物を整理して、NHKのFMを聴き出したら、いきなりジャズ・ピアノだった。

 カタクラマユコさんの演奏。
 「仙台」出身の期待の新星だと聞いて、慌てて耳を澄ませた。
 初のCD(発売は秋。タイトルは「インスピレーション」になりそうだ、という)に収録される「シークレット・ラヴ」。
 
 とてもよかったので、ネットで調べたら、片倉真由子、29歳、バークレイ、ジュリアードで学び、昨年、日本に戻って活躍し始めたばかりの新進ピアニスト――だとわかった。

 2006年、ワシントンのケネディ・センターで開かれた、メアリー・ロウ・ウイリアムズ女性ジャスピアノ・コンペで優勝したことも。

 1980年の生まれ、ご両親もジャズ・ミュージシャンという彼女だが、ラジオで語る彼女の声にはエリート臭いさがどこにもなく(おまけに、仙台なまりが、うっすら残っていて)、好感を持った。

 好きになったらナントヤラ、シツコサだけが取りえ(?)の私は、早速、ネットで「おっかけ」を開始し、ユーチューブで、What a Wonderful World の演奏ビデオを見つけた。

 3度、聴いて、彼女の完璧なファンになった。
 凄い、繊細なところが、音の響きが――、音の結晶を粒粒に際立たせ、しかも水の幕のように、限界まで流れるように透明に歌い切るところが、凄くいい。

 私は昔、ニューヨークのビレッジ・ヴァンガードで、秋吉敏子さんの演奏を聴いたことがあるが、「片倉真由子」も負けちゃいないぜ。
 いまにきっと、世界を股にかけ、演奏活動をする逸材だ、と見た。

 仙台の出版屋としては、秋吉敏子さんが岩波新書で自伝を出したように、片倉真由子さんには、いずれ1冊、書き下してもらいたいところだか、そんなことより、今はピアノに専念し、世界デビューを果たしてもらうのが先決。

 とりあえずは、一人のファンとして――同郷、仙台のピアノ・ジャズ好きの一人として、片倉真由子さんの今後の活躍を祈ることにしよう。  

⇒  http://www.mayukokatakura.com/frame_basic/frameset.html

  http://www.youtube.com/watch?v=_Pn-J_yBSRg

〔注〕 本ブログは、大沼がボランティア編集長を務める仙台の市民出版社、「本の森」の編集部ブログ、「一番町日記」のコラムを転載・加筆したものです。

Posted by 大沼安史 at 01:57 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-20

〔コラム 机の上の空〕 「再戦、御無用!」 「英霊」たちが教える「九条流」免許皆伝の極意  井上ひさしさんの『ムサシ』(台本)を読む

 文芸誌「すばる」5月号に、井上ひさしさんの新作戯曲、「ムサシ」の脚本が掲載されていた。
 埼玉の初演にも大阪での続演にも行けなかった私は、活字で芝居の流れを追い、机上のステージで評判の舞台を堪能した。

 素晴らしい劇だった。「武蔵」も「小次郎」もよかったけれど、何と言っても「亡霊九人」が――なかでも「舞阿弥」に扮した(?)「八幡宮の白拍子」が、「歴史的」とも言える……いや、日本の歴史を総括するような、最高のパフォーマンスを見せてくれた。

 「芝居」を観(読み)終わった余韻の中で、いつの間にか確信していた。鎌倉での、武蔵と小次郎の「再戦」を思いとどまらせた「亡霊九人」は、この国の歴史の中で無念の死を遂げた、無数の死者たちの代表選手たちに違いない、と。

 声なき声、姿なき姿の「亡霊」たちが、歴史の舞台に登場し、「武蔵VS小次郎」のリターンマッチに事寄せて、戦いの愚を、戦争の虚しさを、笑いの渦の中で、現代日本の私たちに教え諭してくれたのだ。

 死ではなく、生。戦ではなく、平和――すなわち日常のかけがえなさを、「亡霊九人」は、2009年の春舞台で、まるであの「第九」の合唱のように、口々に叫んだ。

 どんなに辛く、悲しく、淋しい一日でも、まばゆく、まぶしく輝いて見える、と。

 死んだ人間だからこそ、生きる素晴らしさがわかるというのは、ロジックでもなんでもなく、究極の真理である。そんな絶対的な定言が、極意の如く、舞台の上で示されたのだ。 

 ありがたいことである。なんまいだぶ、なんまいだぶ、なんまいだぶ……

 「生の歓喜」の肯定、「殺生」の否定の中で、「再戦」を踏みとどまらせた「ムサシ」の舞台の含意は、最早、明らかだろう。

 平和憲法を変えようとする動きがなおも執拗に続いている、2009年の「観客」である私たちにとって、「亡霊九人」とは、先の大戦の「英霊」たちの代表でもある。

 そして「亡霊九人」が「武蔵」と「小次郎」に伝えた、無用な殺生はやめる極意を、戦後日本において形になしたもの――それが、私たちの「九条」である。「英霊」たちが、その無念の死と引きかえに、私たちに贈ってくれた「九条」である。

 「亡霊九人」が消え、武蔵と小次郎が舞台から去って芝居は終わるが、幕が下りると同時に、私たちは最早、「観客」ではなくなる。
 私たちは、その瞬間、歴史の当事者になる。いや、「再戦」をやめさせる、歴史の主役にならねばならない。

 「ムサシ」の芝居のいよいよ決定的な場面で、「まい」こと「舞阿弥」の霊は、私たちの運命にもかかわる、大事な、大事な科白を吐く。

 「お二人が戦わないでくだされば、わたしたちの願いもかないます」――と。

 「まい」役は、白石加代子さん。
 この科白の一行に、彼女が込めた気合のようなものが、舞台を観てもいないのに、耳に響いてくるから、不思議である。

 空耳ついでに、余計なことをひとつ、付け加えさせていただこう。

 これは井上さんの脚本のどこにも書いていないことだが、ともに戦わずして勝ち、それぞれの人生を全うした武蔵と小次郎に、将軍家兵法指南、「柳生宗矩」に扮した「亡霊」の一人から、後日、二人に対し、新陰流あらため「九条流」、「無手勝の極意」の皆伝が授与されたそうである。

 また、これも脚本にないことだが、「まい」こと「舞阿弥」の名科白「お二人が戦わないでくだされば、私たちの願いもかないます」の「お二人」とは、もちろん、「私たち」のことだそうだ。

 さらには、「まい」ら「亡霊九人」組は、元和四年(1618年)の舞台から391年経った、ことし平成21年を生きる日本人全員分の「九条流」皆伝免許状を、すでに用意しており、いつでも手渡せる態勢にあるという。 

 さて、いま一度、「ムサシ」の脚本に戻れば、「舞阿弥」が「笹阿弥」(笹は笹かまぼこの笹)と名乗って猿楽を舞い、大好評を博した巡演の地は、井上ひさしさんが高校時代を過ごした、(今、私=大沼の住む)仙台である。
 
 井上さんの「青春の地」である仙台での「ムサシ」上演の早期実現を望む。

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2009-05-17

〔コラム 机の上の空〕  《不幸》から《愛》へ         『シモーヌ・ヴェイユの生涯』

 雨の日曜日、1冊の本を読んだ。
 仙台駅の東口、市立榴岡図書館から、土曜日に借り出した本だ。

 図書館の書架を眺めていて、目に飛び込んで来た。
 『シモーヌ・ヴェイユの生涯』(大木健著、新装版、勁草書房)。

 奥付で確かめると、やはりそうだった。
 初版は1964年、改訂版は1968年に出た、とある。
 学生の頃、本屋で買って、前の方を少し読みかじったような……記憶は、どうやら、ほんとうだった。 

 リセの哲学教師を1年間、休職、頭の割れるような慢性頭痛に苦しみながら、虚弱なからだに鞭打って、ルノーなどの工場で、労働者として働いたあと、スペイン市民戦争が始まるや否や、義勇兵として赴き、フランスに帰国後、アメリカに逃れ、最後は英国で亡くなった女性思想家の評伝。

 著者、大木健(たけし 東北大学教授、仏文、1990年に死去)氏の文章には、透徹した気品とでもいうべき趣があって、付箋を貼り付けるのも忘れ、いつの間にか、読み通してしまった。

 大木氏が描いた「シモーヌ・ヴェイユ」は、わたしが学生時代、単純に考えていた、エリートなのに、工場に身を投じ、工場労働の経験をもとに思索を続けた、「自己否定」のフランス人・インテリ女性……ではなかった。

 パリの高等師範学校を卒業して、リセの教師となったのは、1930年代の初め。経済恐慌、スペイン市民戦争、第二次世界大戦と続く、経済的・社会的な激動を生き抜き、苦闘の果てに、1943年、34歳の若さで短い生涯を閉じた人だった。行動し、思索し、師・アランの教えを守り、毎日、ノートに書き続けた人だった。

 いま、大木氏の評伝を読み終えて、救われたような気がしてならないのは、己の《不幸》の直視が《隣人愛》まで行く着き得る可能性を、ヴェイユの人生の軌跡が示していると、氏に教えていただいたからだ。

 大木氏はこう書いている。(〔 〕内は、大沼による注記)

  シモーヌ・ヴェイユが〔工場において〕その心身でとらえた《不幸》という現実、それと永遠に交わり続けるための《奴隷》という資格を身につけて把握した現実、しかもこの地上では全くかえりみられることなく、これを目標とすべき革命運動〔スペイン市民戦争〕までが無視し、忘れつくしている現実、これを認められなければ彼女が生きられなくなる現実、――この現実の有無を彼女は暗い夜々の中で問い続け、この現実を否定するものと妥協しなかったために、この苦悩を通して真実につながることができ、隣人を愛することが可能となった。《夢想》ではない真の《愛》を彼女は獲得した……(同書、195頁)

 大木氏が引用する彼女の自身の言葉で、つづめて言えば、こうなる。

   「私は、不幸というものを通して聖なる愛を愛することが可能であるとの理解を一層深めることができたのです」

 《不幸》をごまかしようのない絶対性として、身をもって苦しみ抜いた、その先に現れた《愛》、または《神》の絶対性……。

 大木氏によれば、生き急ぐように短い人生を終えた彼女は《死にそこなう》ことを恐れた人だったそうだが、34歳以降の人生を「生きそこない」はしたものの、死にそこなってはいない、と思う。

 「死にそこなわない」……40年前、学生時代に読みかじることしか出来なかった大木氏の本を、今、深い感動をもって読み終えることができたのは、わたしもまたこの言葉を、人生ホームストレッチの自戒の言葉として受けとめることができる年齢に達したからであろう。

 それもこれも大木健氏のおかげである。

 「シモーヌ・ヴェイユ」は―ーわたしが真剣に向き合いさえすれば、「リルケ」とともに、この先のわたしの、机上のガイドになってくれるかも知れない。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

 ⇒ http://hello.ap.teacup.com/vancouverbc/

Posted by 大沼安史 at 05:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-15

〔コラム 机の上の空〕 「独裁」を脱ぎ捨てる時      1984 in 2009 in ミャンマー

 英紙ガーディアンに、作家、ジョージ・オーウェルが、最後の力を振り絞って『1984年』を書き上げ、力尽き果てて46歳で死亡するまでの経過を再現する記事が載っていた。

 それによると、前年、1945年3月、愛妻のエイリーンを失ったオーウェルが、「オブザーバー」紙の編集人、デイヴィッド・アスターの勧めで、アスターがスコットランドの孤島、ジュラ島に所有する別荘、「バーンヒル」へ、列車でロンドンから向かったのは、翌46年5月のことだった。

 「バーンヒル」は寝室4つに広々とした台所のある建物で、海を眺めることができた。電気もない、孤島のこの家で、オーウェルは最後の執筆活動に全力を挙げる。

 一時、『ヨーロッパ、最後の人間』というタイトルになりかけた世紀の傑作、『1984年』は、その一室で書き上げられた。

 結核を患う病身で、タイプを打ち続けるオーウェル。書き上げた原稿の3分の2を完全に書き直す(タイプし直す)、それはそれは苦しい執筆作業だったという。

 養子の息子らと海にボートで出て、溺れかかったことも。アメリカから届いた結核の新薬、ストレプトマイシンは最終的に効果を上げたが、健康を回復するには至らず、歩くこともできなくなったオーウェルは、自室にこもってタイプを打ち続けた。

 最終稿の完成は、死の1年2ヵ月前、1948年11月30日のことだったそうだ。

 ガーディアン紙の記事を読んで、ジョージ・オーウェルの作家としての凄みをあらためて感じた。
 1948年に書かれた「1984年」は、ソルジェニーツィンら生き証人の出現を予告し、現代における「フレンドリーなファシズム」の核心にあるものさえも、予言したのである。

 ジョージ・オーウェルが作家活動を始める前に、イギリス帝国主義の手先(警察官)を務めたのは、現在のミャンマー、1920年代の植民地、ビルマだった。

 そのミャンマーが今、2009年における「1984年」となっている。

 軍事独裁政権による全体主義が、南アジアのこの国を、戦時中の日本同様の苛烈さで、窒息させているのである。

 ラングーンの湖の畔に建つ自宅で軟禁生活を強いられる、ビルマ民主主義のシンボル、スーチー女史のもとに先日、若いアメリカ人が湖を泳いで辿り着き、数日、滞在したあと、再び湖を泳いで渡ったことがあったらしく、スーチーさんは「外国人」をかくまった疑いで身柄を拘束されたという。

 湖を泳いで会いに来た、遠来の客を泊めただけで、それが罪になり、逮捕されてしまう、ミャンマーという国!

 そこは独裁者の軍人らが「ビッグブラザー」として君臨する、「自由が奴隷化された」国なのだ。

 つまり、オーウェルは1948年においてすでに、2009年における「ビルマの1984年」を予見していたことになる。

 新首都、ネピトーに群れる肥満した将軍たちは、さしずめ、ミャンマー版『動物農場』の支配者であろう。

 オーウェルの『1984年』の最初の方に、主人公、ウィンストン・スミスが繰り返し見る「夢」の描写が出て来る。

 
   黒髪のその少女は原っぱを彼の方に歩いて来た。まるで一振りで着衣を破くと、汚ら しげに、横へ放り投げた。彼女の裸身は白く、滑らかだった。しかし、彼に何の欲望も起きず、ただただ彼女を眺めるだけ。その時、彼を圧倒したもの、それは少女が着衣を放り投げるその動作だった……

 このくだりを読んだ時、この少女とはスーチー女史のことではないか、と一瞬、錯覚を覚えたほどだ。

 抑圧の着衣を脱ぎ捨てるのは、ウィンストン・スミスの夢であり、オーウェルの夢であり、スーチー女史の夢であり、ビルマ民衆の夢であるだろう。

 スーチー女史の即時釈放を要求し、「夢」が、この2009年に実現することを切に願う。

⇒ http://www.guardian.co.uk/books/2009/may/10/1984-george-orwell

Posted by 大沼安史 at 06:54 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-11

〔コラム 机の上の空〕 忌野清志郎さんの歌がきこえる

 昼前、自転車に本を積んで納品に行った。
 いい天気、気温もほどほど。

 自転車を漕いでいるうち、気分がなぜか高揚し、青信号に向かって「まくり」を決めた。

  と、忌野清志郎さんの、あの歌が鳴り出し、心の中で一緒に歌い始めた。

   ♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる
    Oh この世界が 平和だったころの

 忌野さんの歌で一番何が好きか挙げろと言われたら、ぼくは「激しい雨」だと答える。
 「トランジスタラジオ」や「雨あがりの夜空」ももちろん大好きだが、なんといっても「激しい雨」。

 曲もいい。詩も素晴らしい。

 とくに、
 
   ♪ お前は覚えているかい
    世界がここにあるのを

 世界はここにある……凄い! こんな凄いことを、忌野清志郎さんは全身で歌って、教えてくれたのだ。歌い遺してくれたのだ。

   ♪ Oh 何度でも 夢を見せてやる ……と。

 後期の代表作と言われる「激しい雨」を出した時、忌野清志郎さんは、忍び寄る死を覚悟していたような気がする。
 だから、こう続けたのだ。

   ♪ RCサクセッションがきこえる
    RCサクセッションが流れてる

 な、お前ら、聞こえるだろ。流れてるだろ。
 そこに世界がある。平和だったころの。
 これから何度でも夢を見せてやるぜ。

 
 忌野清志郎さんとは2つ違いの同世代。

 80年代から90年代にかけ、ぼくは「会社員・新聞記者」として「個人と組織」、「社会と会社」の相克に苦しみ、まさに忌野さんの歌う、あの「サラリーマンのドラマ」を演じて、のたうち回っていた。
 
 この4月、「アラカン」として仙台に帰郷、忌野さんの愛車の、おそらくは100分の1以下の値段の「宮田」のママチャリ(それでも25000円くらい、した。新車です)を買い込み、仕事場(ボランティア先)の「本の森」に通い出した。

 そして、あの、突然の訃報!
 
 悲しいというより、悔しくて仕方なかった。
 悔しさは怒りとなって、いまも胸の中でくすぶっている。

 あの、ロックでぶちかました、発売中止の「君が代」、ヘルメットに黒メガネ姿で、「何いってんだ、ざけんじゃねえ……放射能なんかいらねえ」と、ヒロシマで歌った「ラブ・ミー・テンダー」……

 くそっ、チクショウ、こんな骨のある、天才ミュージシャンが、何で58で死ななくちゃならないんだ、と叫びたいくらいだ。

 
 「忌野清志郎」は芸名。「今わの際、しよう」のもじりではないか、と勝手に思っている。
  日々、これ、今わ。今生の別れを常に覚悟し、懸命に何事かをなせ、とのメッセージではないかと。

 ママチャリの前のカゴには、本が15冊ほど。書店から注文が来た本だ。ハンドルがけっこう重い。

 納品書に判子をもらい、軽くなったペダルを踏んで帰路に就く。

 元気を出して、心の中で歌う。

   ♪ RCサクセッションがきこえる
    RCサクセッションが流れてる

 くそっ、チクショウ、ざけんじゃねえぞ!
 

(注) このコラムは、小生がボランティア編集長をつとめる、仙台の市民出版社「本の森」の編集部ブログ「一番町日記」に加筆、転載したものです。

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Posted by 大沼安史 at 09:33 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-08

〔コラム 机の上の空〕 アジアに響け、平和の鐘 円仁の中国旅行記を読む

 慈覚大師・円仁(794~864年)は、山寺(山形市)の立石(りっしゃく)寺、松島の瑞巌寺の開祖である。仙台の東西、山と海に名刹を開いた天台の高僧である。

 4月14日、山寺の立石寺で、大師の誕生祭が開かれ、「世界平和の鐘」が撞かれた。地元の新聞報道(山形新聞 ⇒ http://yamagata-np.jp/news/200904/14/kj_2009041400227.php )によれば、今回初めて、中国と韓国から参加者があった。僧侶や研究者だったという。

 なぜ、遠くわざわざ、中国や韓国から参列者があったか?

 それは円仁という日本人僧と中国人、朝鮮人の交流という史実による。円仁が遣唐使の船で中国に渡り、仏教の奥義を学ぶことができたのも、当時の唐の人々(僧ら)、新羅の人々(通訳ら)の手助けがあってのことだ。

 そんな円仁という人に興味を持ち、東洋文庫(平凡社)に収められた、円仁著『入唐(にっとう)求法巡礼行記』(ⅠとⅡ、全2巻)を読み出した。

 円仁が博多を出発、遂には10年に及ぶ旅を始めたのは、838年(承和5年)。円仁、46歳の初夏のことだった。

 1300年近い、時間の経過の後に読む、9世紀前半の中国旅行記は、驚きの連続で、読み飽きることを知らないが、上巻(Ⅰ)の「12月8日」の記述で、目が釘付けになった。

   新羅人王請来たって相看る。是本国弘仁十年〔八一九〕に出州国〔出羽(でわ)国〕に漂着する唐人張覚済等  と同船の人なり(後略)……

 円仁は渡海・入唐したその年、揚州(上海の近く)で足止めを食っていたその時、出羽、つまりいまの山形・秋田に船で流れ着いたことのある新羅人(朝鮮人)と会っているのだ。その新羅人王請は、「諸物を交易する」商人。「頗(すこぶ)る本国語(日本語)を解す」人だったそうだ。

 「本国」を、出羽の国を知る朝鮮人貿易者と、中国・揚州の寺で、日本語で語り合う円仁……その姿を想像すると、これが機縁となって、羽前(出羽国の南部)に、立石寺を開いたのかも、と思いたくもなる。

 が、『行記』のこのくだりを読んで――いや、遣唐使の通訳は新羅人だったといった『行記』のほかの部分も併せ読んで思うのは、当時の極東アジアの国際性――というより、各国人間の「交流」の気安さと「風通し」のよさである。

 当時の中国・朝鮮・日本を囲む海には、「国境」の壁はなかった。だからこそ、円仁は中国僧や新羅人と交流でき、それが歳月を超えて語り継がれて、21世紀、2009年のこの春の、立石寺での「顔合わせ」につながったのである。

 これはほんとうに凄いこと。
 こうしたつながりこそ、私たちは大切にしなければならない。

 円仁の『入唐求法巡礼行記』は、日本による朝鮮支配、中国侵略という20世紀の悲劇を、極東アジアの歴史的な原郷からとらえ返し、それを乗り越えてゆく視点を与えてくれる、なおも新鮮な旅行記である。

 円仁の日記を読み進むその先にあるのは、円仁の求法の足跡の先になければならないのは、各国の寺の鐘が鳴り響く「平和と友好のアジア」である。

〔注〕 このブログは仙台の出版社「本の森」の編集部ブログの記事を転載したものです。

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Posted by 大沼安史 at 02:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-05-07

〔コラム 机の上の空〕  ピート・さん 90歳記念コンサート

 米国の反戦放送局「デモクラシーNOW」のキャスター、エイミー・グッドマンさんが書いたコラムで、アメリカ草の根フォークの最長老、ピート・さんの「祝90歳」記念コンサートが3日の日曜日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開かれたことを知った。

 5月3日はピート・さん(1919年生まれ)の誕生日。フォークじいさん(?)の「卒寿」を祝う誕生記念コンサイートは、気楽なガーデン・パーティーのような雰囲気で、なんと1万8000人ものファンが詰めかけたそうだ。

 コラムの中で、ピート・さんのこれまでの人生を、エイミー・グッドマンさんは、こんなふうに要約してみせた。

 「この伝説のフォーク歌手は、20世紀における、労働者の権利、公民権、環境と平和を求めて続いた、草の根の闘争を標す生きた歴史である」

 コンサートでは、「ボス」こと、ブルース・スプリングスティーンさんが、一緒にワシントンのステージに立ったオバマ就任式の日のことを、こう語った。

 「その日(就任式の日)、みんなで“This Land is Your Land”を歌った時、俺、ピートの方を見たんだ。そしたら、最初の黒人大統領(オバマのこと)が、ピートの右に座っているじゃないか。俺はね、その時、思ったんだ。ピートは信じられないような旅をして来たんだな、ってね……あの日、ピートは、ほんとうに幸せだったと思う。ピートよ、あんた、あのクズ野郎(バスタード)どもがくたばったあとも、長生きしているよな。な、そうだろ、ザマミロだよな」

 エイミー・グッドマンさんはコラムの中で、“This Land is Your Land”に元々、含まれていた、あまり知られていない「幻の一節」を、「記録に残すために」紹介してもいた。

  "In the squares of the city, under shadow of the steeple,       
   at the relief office, I saw my people.         
     As they stood there hungry, I stood there whistling,         
     this land was made for you and me.

      街の広場の教会の尖塔の影
    その救民事務所で ぼくは同胞を見た
    飢えながら立ち続ける姿を ぼくはそこで口笛を吹き続けたのさ
    この国は君とぼくのためにつくられものだよね  

     A great high wall there tried to stop me.         
     A great big sign there said private property,         
     but on the other side it didn't say nothing.         
     That side was made for you and me."

    大きな壁が高く聳えてさ ぼくを押しとどめようとするんだ
       大きな看板がそこにあって 私有財産だと言っていた
       でも看板の裏側には 何にも書いてない
       この裏側は君とぼくのためにつくられたものだよね

 歌詞のこの部分が、よく「放送禁止」になったのは、貧困と富の簒奪を告発するものだったからだそうだ。

 もう、ひとつ、エイミー・グッドマンさんのコラムで教えられたのは、ピート・さんの“Waist deep in the Big Muddy”という歌が、いったんテレビ局の検閲で「削除」されながら、ショーのホストたちの粘りで「放映」された、というエピソードである。

 1967年~68年の出来事。「泥沼に腰までつかる」とはもちろん、ベトナム戦争のメタファーである。

 エイミー・グッドマンさんは、コラムをこんなふうに結んでいた。

 「真実に権力を、と歌い続けて70年、その声は今や弱くなっていたが……(その声に応えて)18000人の(歌)声が湧き上がった。これこそ、ピート伝説である、私たちはそれを引き継いでいかなければならない」

 そう、それがどの国であれ、「この国はわれらの国」、クズ野郎=権力者どもの国ではない。

 「この国はわれらの国」……これはアメリカだけでなく、この日本でも歌われるべき、真実の歌である。  
 

⇒ http://www.truthdig.com/report/item/20090505_pete_seeger_carries_us_on/

  http://www.youtube.com/watch?v=3YlLtmMV8zs

    http://www.woodyguthrie.org/Lyrics/This_Land.htm

  http://www.youtube.com/watch?v=uXnJVkEX8O4

    http://history.sandiego.edu/gen/snd/waistdeep.html
  

Posted by 大沼安史 at 07:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2009-05-04

〔コラム 机の上の空〕 辻邦生さんに教えてもらったリルケ

 坂を一人で下りて来たのは、作家の辻邦生さんだった。明るい色(ベージュ色だったろうか?)のブレザー姿で、陽射しを連れ歩いているような、まばゆいお姿だった。
 こちらは二人連れ。細い坂道なもので、視線を交わし、軽く会釈をして、おそばを通り過ぎた。

 妻と一緒に、横浜の「港の見える丘公園」の大仏次郎文学館を訪ねたときのこと。20年以上、前、東京で新聞記者をしていた時のことだ。

 私は駆け出し記者だった20代に、辻邦生さんの小説を熱読した。長編の『春の戴冠』『背教者ユリアヌス』。片端から読んだ。

 辻邦生さんの文体に、既定のものを、決まりきったものを粉砕しながら透過する、明るい光のようなものを感じ、魅了されたからだ。

 中でも『嵯峨野明月記』を読んだ時は、スリリングな戦慄さえ覚えたほどだ。

 新聞社を中途退社、仙台で「本の森」の創立に関わった頃、今はなき同志の小池平和さんと、「辻邦生さんに仙台に来てもらい、創立記念の講演をしてもらえたらいいな」などと夢を語り合ったことがある。

 辻邦生さんはそのころ、『西行花伝』を書き終えたばかり。西行の足跡を追って、仙台、平泉を旅してもらい、温泉で執筆の疲れを癒してもらいながら、ついでに話をしていただこう――などと、勝手な算段で盛り上がったものだ……。

 さて私が辻邦生さんを文体の革新者としてではなく、世界と格闘を続け、生死を超えた境地に生きる希望と覚悟を語った一人の作家として見るようになったのは、つい最近のことだ。

 片山敏彦訳の『リルケ詩集』(みずず書房刊)で、リルケのトルストイとの出会いを知り、その延長線上で、辻さんの『薔薇の沈黙 リルケ論の試み』(筑摩書房刊)を読み進めているうち、見方が変わった。

 実は、今朝、寝床の中で、その『薔薇の沈黙』の「終章」(13章)、「〈開かれた空間〉の声」と、佐保子夫人の「夢のなかのもう一つの部屋――あとがきにかえて――」を読み終えた。

 ほんとうは昨日、最後まで全部読み通すことができたのだが、「終章」を読む前に、私なりの、読者としての「結論」を確かめたくて、最近、自転車で通い出した、陸奥国分寺跡を訪ねた。いつもの樹下で自分なりの「結論」が出てから、読了することにしたのだ。

 国分寺跡の公園に薔薇はなかったが、木々の青葉が緑の光を散らしていた。梢の方から、小鳥たちの声が聞こえて来た。

 慌てるな、待てばいいだけだ、と自分に言い聞かせはしたが、私なりの「結論」はすぐさま、衒いもためらいもなく、頭上に落ちて来た。

 辻邦生さんは、ひとつ前の「12章」で、こう書いていた。リルケはもはや「戦争という苛酷な現実に対していささかもたじろぐことなく、天使たちの舞う世界空間を、フィクションの世界ではなく、人間にとっての深い実存の開示として描くことができるようになる」と。(164頁)

 これを読んでしまった以上、私の「結論」が、リルケの、そしてまた辻邦生さんの「結論」から逸脱するはずもなかったのだ。

 「終章」(13章)で、辻さんはこう書いている。リルケは「それについて語る人ではなく、それから語る人に」なったと。

 やや性急な結びの言葉はこうである。

 「〈薔薇空間〉となったリルケは甘美な陶酔の持続となって、時間を超え、生と死を超える。おそらくいまわれわれにとってなすべきこととは、〈見る〉ことの果てに出現した〈対象としての世界〉を、いかにして〈薔薇空間〉に変容するか、ということだろう。不毛と無感動と貨幣万能の現代世界のなかで、はたして至福に向かってのそんな転向が可能かどうか、われわれがある決意の時にたたされていることは事実だろう」

 辻邦生さんの最後の本、『薔薇の沈黙』は、実は「最終章」が、辻さんの中で構想はされながら、書かれずに終わったものだ。が、それだけに、「終章」(13章)の結びの言葉の余韻はなお一層、深い。

 それにしても、辻さんが急逝されずにおられたなら、「最終章」はどのような風に書かれたのだろう?

 国分寺跡の大木の下に立てば、坂道を下りてくる辻さんが現れ、教えてくれるかも知れない……そんな気がしてならない。 

【注】 このブログは、出版社「本の森」編集部ブログに掲載したものを転載したものです。

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Posted by 大沼安史 at 12:31 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-04-29

〔コラム 机の上の空〕 オレンジは希望の色  日向康さんの最後の小説を読む

 雨の週末、これまで読もう読もうと思いつつ、読まずにいた日向康さんの小説、『オレンジ色の斜光』を読み通した。400字詰め原稿用紙換算で、ざっと1200枚もの大長編だが、一気に引きずり込まれた。

 冤罪事件に端を発した誘拐事件を軸に、戦後日本の歴史的な現実を、小説的現実に交差させて見事に描き切った、推理小説仕立ての、素晴らしい物語だった。

 この小説(毎日新聞社刊)が出たのは、2000年。20世紀の最後の年。

 日向康(ひなた・やすし:一九二五~二〇〇六年)さんは、栃木県の生まれ、終戦の年の8月に陸軍士官学校を卒業、戦後、仙台で林竹二氏(元宮城教育大学学長)に師事し、宮城学院大学の教授を務めた作家。足尾鉱毒事件の田中正造を追った『果てなき旅』で大仏次郎賞を受賞した人でもある。

 私は日向さんがお亡くなりになる10年ほど前、仙台市内の自宅を訪ね、お会いしたことがある。その時、『オレンジ色の斜光』という小説を書いているとはおっしゃられたが、それがどのような物語なのかは、お話しにならなかった。

 その『オレンジ色の斜光』を読み上げた今、それが私たちの生きる「戦後日本」の「希望の物語」であることが、ようやく分かった。

 今の日本にどれだけ「戦前・戦中」的なものが居座り、「過去」がこの国の「現在」をどれだけ支配していようとも、歴史は動いている。街は今日もオレンジ色の光に包まれながら暮れ、またも夜明けに向かおうとする……そんな日向さんのメッセージが、圧倒的な読後感となって伝わった来た。

 この長編の中でその「街」は、二度、オレンジ色の斜光に包まれる。一度は、事件解決に執念を燃やす下積みの刑事、「竹仲義次郎」の前で(306頁)輝き、二度目は、物語の終わりに、もう一人の主人公、似顔絵画きの「庫谷志郎」と竹仲刑事の二人が語り合う、夕べの窓辺に溢れ返る(637頁)。

 希望の瞬間、街はオレンジ色に輝く。

 オレンジ色の斜光――それはフランス人の言う「グラン・スワール」の光でもある。人々が、圧制が遂に倒れたその日に、晴れて迎える「大いなる夕べ」の光である。

 歴史の欺瞞を鋭く切り裂く光は、どんな場所でも、キリリとあたたかく、オレンジ色に輝くものである。

 そのことを日向さんは私たちに告げるために……私たちを励ますために、この大長編を書き、完成させたのだ。 
 
 没後3年。日向康さんに、そしてそのお仕事に、ここであらためて敬意を表する。 

〔注〕 このコラムは、小生がボランティア編集長を務める仙台の市民出版社、「本の森」の編集部ブログ、「一番町日記」を転載したものです。

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Posted by 大沼安史 at 08:28 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-01-22

〔コラム 机の上の空〕 「オバマ」の前に「フリーダム・ライダー」あり 公民権運動の先駆者ら、50年後に喜びを語る

 黒人男性、デイブ・デニスさんはいま68歳。ニューオルリーンズの貧民街で、1960年代以来の同志、ボブ・モーゼさん(この人も黒人、ハーバード大卒)が続けている算数・数学教育プログラム、「アルジェブラ・プロジェクト」を手伝っている。
 なお現役、バリバリのコミュニティー活動家だ。

 そのデイブさんは、オバマ氏が大統領選に勝利した夜、ジャズ・クラブにいた。「当選」を、すぐには信じられなかった。

 自分の車に戻ってシートに座ると、涙があふれた。ジャズ・クラブに戻ると、みんなが叫んでいた。「イエス・ウィー・ディド(おれたち、やったぜ)」

 それを聞いてデイブさんは昔のことを思い出し、怖気を感じた。公民権運動の盛り上がりで、1965年に「選挙権法」という連邦法が出来たところまではよかったが、地元ミシシッピー州では黒人差別の現実に阻まれ、幻滅に終わった苦い思い出を思い出したからだ。

 それでも、「オバマ当選」に、デイブさんは「穏やかな喜び」と「幸せ」を感じているという。
 
 本当の勝利を手にするまで、まだ時間がかかる。けれど「私はオバマを信じるよ」と、デイブさんは言った……。

             ###

 仏紙、ルモンド(電子版)に、60年代の初め、アメリカ南部で、公民権運動の先頭を切った、元「フリーダム・ライダー」6人が登場し、オバマ新大統領の就任式に寄せる思いを語っていた。

 長距離バスに乗り込み、ターミナルのカフェなどで人種隔離に非暴力で抗議し、殴打され(あるいは仲間を殺され)、投獄されながら闘い抜いた若者たちも、すでに老境。

 電子版の記事には、当時と今の写真が添えられ、50年の歳月の流れを感じさせる。

 SNCC(学生非暴力調整委員会)やCORE(人種平等会議)などに参加した学生ら若者たちの非暴力・直接行動があったればこそ、キング牧師のワシントン大行進など公民権運動の高揚もあったのだ。

 オバマ氏がまだ生まれる前の話である。

             ###

 「ライダー」の一人、フランク・ホロウェーさんは1961年当時、22歳の学生。バスの最前列、白人専用席に仲間と座って、ジョージア州アトランタのターミナルに着いた。シェリフが姿を見せると、他の乗客はみんな降りてゆく。仲間とフランクさんの2人だけが残された。
 その時、フランクさんは突然気付いたという。
 俺たちがいることで、白人の乗車収入が消える……おれたちには、そうした力があるんだ、と。

 逮捕され、悪名高きパーチマン刑務所に入れられ、殴打されたフランクさんだが、自身を含む、当時の「フリーダム・ライダー」たちの行動を、公民権運動における主要な第一歩だったと振り返る。

 「闘いはまだまだ続くが、私はオバマの当選に非常に満足している。経済や刑務所を見ればわかるように、われわれ黒人は、まだまだひどいありさまだ。アメリカの社会には、人種のバリアーがいまなおある。しかし、いま、ここに希望がある」

             ###

 ルモンドに登場した6人のうち、ただひとりの白人女性、マーガレット・レオナードさんは、その後、新聞記者として働き、女手ひとつで子どもを育てた人だ。

 だから、オバマ氏のお母さんに共感を覚えるという。

 マーガレットさんの記憶に残る光景がひとつある。
 パーチマン刑務所から出所した時のことだ。

 刑務所の長い廊下を歩いている、格子の間から、次々に手が差し伸べられたという。白い手が、黒い手が……。

             ###

 ベトナムで戦ったあと、実業家として成功を収めたハンク・トーマスさんは、当時、20歳の大学生だった。

 3年前の2005年、アラバマ州のアニストンに戻り、昔、黒人を弾圧する側にあった白人女性と話しをする機会があった。

 その白人女性が言った。
 「ベトナムでは共産主義者たちがあなたを殺そうとしたでしょ。それは、あなたが敵だからよ。ここで、彼らが(白人たち)があなたを殺そうとしたのは、あなたが敵だからよ」
 
 長い沈黙のあと、ハンクさんは言い返した。「でも、われわれは同じアメリカ人だ!」
 白人女性は言った。「それは分かるわ。でも、あなたがた(黒人)は敵。だから、彼らはあなたを殺そうとしたのよ」

 大統領選投票日の夜、10時ごろのこと、気になってテレビをつけると、オバマ「当選」のニュースが流れていた。

 「誇らしく思った。白人たちがして来たことの全てを赦した」

             ###

 ヘゼキアー・ワトキンスさんは1961年に、なんと13歳で逮捕された。刑務所から出所後、公民権運動を続け、キング師や黒人作家のジェームズ・ボールドウィンらと交流した。

 ヘゼキアーさんは言った。
 「私は全てのことを、誇りに思っている。殴られたことを。投獄されたことを。侮辱されたことを。警察犬のことを……オバマの勝利は、私を含むみんなの活動の結果だ。死んだ人、負傷した人、かたわにされた人、ボケた人、元気でいる人……われわれみんながオバマのために道を切り拓いたんだ」

             ###

 「オバマ」の前に、「フリーダム・ライダー」、あり。

 彼・女らの払った献身・犠牲を思えば、ただ乗りは許されることではない……そのことを、学生時代、懸命になって黒人作家・活動家の著書を読みまくったオバマもまた、十分、承知のはずだ。

 大統領就任演説でオバマは、「われわれは旅をして、ここまで来た」と言った。

 そう、バスに乗って「非暴力の旅」を貫き、血路を切り開いたのは、フリーダム・ライダーの若者たちである。 

⇒  http://www.lemonde.fr/archives/article_interactif/2009/01/16/les-freedom-riders-parlent-pres-de-50-ans-apres_1142604_0.html

Posted by 大沼安史 at 10:36 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-01-19

〔コラム 机の上の空〕 オバマ読書家大統領

 ニューヨーク・タイムズの書評記者、ミチコ・カクタニさんが、「オバマ新大統領と読書」をテーマに解説記事を書いていた。

 電子版の見出しは「新大統領 本に声を見出す」。

 読んで改めて感心した。これほどの読書家だったとは……。

 ラルフ・エリソン、ラングストン・ヒューズ、トニ・モリソンら黒人作家はもちろん、シェイクスピア、ハーマン・メルヴィル(『白鯨』)、エマーソン、ドリス・レッシングにも目を通し、その一方で聖アウグスティヌス(『告白』)やラインホルト・ニーバーらの宗教書(キリスト教)も読み、他方、アフガン戦争とCIAの関係に迫ったスティーブ・コルのノンフィクション、『ゴースト・ウォー』などを読破する幅の広さだ。

 ブッシュの場合、ネオコンの著作など偏った読書だったそうだが(それでも2006年の1年間に96冊、読んだそうだ)、オバマの関心領域は広く、深く、教養の厚みのようなものを感じる。

 電子版の記事に添えられた写真は、オバマの遊説中のスナップで、ザッカリーヤの『ポスト・アメリカ世界』を手にしている。

 漫画しか読まない(その前々任者はDVDしか観ない)、どこかの国の教養のない宰相たちとは大違いだ。

 こうした読書の中から、オバマはアイデアを汲み取り、自身の著作や演説に生かしているわけだが、『白鯨』を読んでいるところが気になった。

 米国の作家、コラムニスト、ジェームズ・キャロル氏によれば、『白鯨』こそ、大統領を上回る実質権力を持つに至った、米国の軍産複合体(その中核としてのペンタゴンおよび軍事化した国務省)のメタファーであるからだ。

 オバマ新大統領は就任式の翌日、米軍のトップをホワイトハウスに呼んで、イラク撤退計画をまとめるよう指示するそうだが、果たして現代の「白鯨」を御することが出来るか、この点、やはり気がかりである。  
 
 就任式の前日、19日(1月の第3月曜日)は「マーチン・ルサー・キング師の日」。そしてその翌日、20日に就任するオバマ新大統領は「第44代」の合衆国大統領だ。
 「44」はキング師が暗殺された日付―「4月4日」と響きあう数字。

 この点も気がかりでならない。

 「小説と詩が大好き」で、学生時代、「とてもひどい詩」を書いていたという、「オバマ読書家大統領」の前途の無事を祈らずにはいられない。

 オバマ新大統領が、ホワイトハウスの一室で、夜、本を広げ、静かに思索に耽る時間こそ、世界が正気を取り戻すチャンスを生み出すものだろう。

 麻生首相よ、あなたもバーでとぐろを巻かずに、1日に1時間でもいいから、本を開いてみてはいかが……。
 せめてブッシュ並みに、1年に100冊程度は……。

 

⇒  http://www.nytimes.com/2009/01/19/books/19read.html?hp

Posted by 大沼安史 at 11:59 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2009-01-18

〔コラム 机の上の空〕 世界は「コトバ」を待っている! 真実の声? 虚飾の語? 「言葉」が問われる、オバマ大統領就任式 

 オバマ新大統領の就任式が20日、ワシントンで行われる。

 「イラク」「アフガン」「ガザ」……そして、忍び寄る「世界大恐慌」の危機。
 「戦争」、そして「金融危機」……。
 「双子の暴力」が荒れ狂い、それを育てた「ネオリベ&ネオコン」という双子の「政治暴力」に対して、世界の人びとが怒りの叫びを上げる最中、「オバマ新政権」が船出する。

 世界中に響き渡る「政治不信」と「変革」を求める大合唱に、オバマ氏は就任演説でどう応えるというのだろう。
 現代の荒地に、「言葉」はなお、有効であるか?!

             ###

 オバマ氏は「言葉」で大統領に選び出された。米国民と世界市民は、その「言葉」に希望をつないだ。
 史上初めて、「言葉」によって選ばれた、「言葉の大統領」、バラク・オバマ。

 就任式の「かげの主役」は「言葉」である。アメリカの大統領就任式としては、史上3度目、ケネディ、クリントンに続き、就任式で「詩」が読み上げられる。
 
 自作の詩を朗読するのは、黒人女性詩人、エリザベス・アレキサンダー。
 ロバート・フロスト(1961年、ケネディ)、マヤ・アンジェロウ(2007年、クリントン)に次いで、新しい政治の夜明けに、新作を捧げる。

 オバマ氏がシカゴ大学ロースクールで憲法を教えていたことから親交があるという彼女は、どんな詩でもって、オバマ新大統領を祝福するのだろう?

 ニューヨーク・タイムズ紙のD・ガーナー記者は彼女の詩を、「人種、歴史、愛、家族」にこだわる詩だと解説している。楕円のように広がる、角張った、感電する音楽的な詩だと。

 ガーナー記者はそれ例として、代表作、「解放」と「微笑み」を記事の中で紹介しているが、それはそれとして、筆者(大沼)が彼女のHPで読んで良かったのは、以下に掲げる「詩学 100番、「私は信じる」である。

   詩学 100番、「私は信じる」

   詩はね、と私は学生たちに言う
   固有のものよ。だから、詩 

   そこに、私たちはいるの
   (スターリング・ブラウン〔注 黒人詩人〕は
   「私」はだれでもドラマチックな「私」って言ったけど)
   浅瀬で貝を見つけるようなもの

   貝が蓋を開けるとね
   世間知の手帳は真っ白になる

   詩はね、あなたが見つけるもの
   隅っこの埃の中に

   バスに乗ってると聞こえてくる 神
   細部に宿り給ふ それでしかあり得ない

   ここからそこへ行くための
   詩(そう、私の声がいちばん高鳴る時)
     
   愛、愛、愛だけじゃなく 
   犬が死んで、私は悲しいの

   詩はね、(私の声が最も響いてくるのは)
   人間の声そのものよ

   ね、周りの仲間の声に、耳澄ましたくならない?

 拙い訳で申し訳ないが、素朴な真実と、他者とつながる言葉(詩)に対する信頼のようなものを感じる。
 「ここからそこへ」へ行くための「人間の声」としての言葉(詩)……。

 これこそ、エリザベス・アレキサンダーが就任式で読み上げる詩のモチーフになるものではないか?

             ###

 「言葉の大統領」であるオバマはその「演説」で名高いが、彼はゴーストライターなしで本を2冊書き上げた文章家でもある。
 自分で本を書いたことが、彼の演説に生きている。彼自身が本に綴った言葉、句、センテンスが、演説の中に息づいている。

 オバマの本を読んで、私が感心させられたのは、その詩的な表現力だ(たとえば、父親の故郷、ケニアを訪ねたときの風景描写。さらには、空に名月がかかっていると言って、母親に起され、一緒に見上げた子どもの頃の思い出、など)。

 詩人・オバマ……。

 そう、オバマは詩的な散文の書き手であり、詩的な演説の名手でもあるが、しかし、同時に、詩人でもある……少なくとも、「詩人であった」ことは確かだ。

 19歳、ロサンゼルスのオキシデンタル・カレッジ(その後、ニューヨークのコロンビア大学に転学)の学生時代に、大学の文芸雑誌に、詩を2篇、寄稿しているのだ。

 そのうちの「ポップ(POP=「父ちゃん」の意味)」という詩を読むことにしよう。

   ポップ
   
   長い、破れたソファに座って
   タバコの灰だらけの中で
   ポップはテレビのチャンネルを変える、もう一杯
   ウヰスキーを飲み干す 生で それで?
   そこのお若いの 俺に何しろというんだね
   世の中 なんとかなる そう
   俺にはフツーのこと
   僕はそんなポップの顔を見詰める その視線は
   ポップの目から逸れ
   僕にははっきりわかる 知らないんだこの人は自分の
   暗い、潤んだ瞳が
   別の方向を見ていることを
   あいにくなことに目が緩く引き攣り
   過ぎ去ろうとしない 
   それでも僕は耳を澄ます そして頷く
   聞くんだ 目を開けろ しがみつけるまで 色褪せた           
   ポップのベージュ色のTシャツに 叫びながら
   ポップの耳に 重い耳たぶに向って がポップは言い続ける
   答えの冗談を どうしてそんなに不幸せか、僕は聞いたんだ
   でも僕はもう気にしない なぜって
   ポップはずうっとそうして来たのだから 手探りし
   ソファの下から取り出した
   古い鏡 僕は笑い出す
   声を出して笑う 鏡の中のポップの顔の血が噴き出す
   僕に向って 小さくなってゆく鏡の中のポップ
   僕の脳の中の一画にある何かが
   搾り取られているような あの
   スイカの種のような
   二本の指の間の
   ポップはもう一杯、ウヰスキーを飲み干す 生で
   そして指差す 同じ琥珀色の
   半ズボンの上の染みを 僕のと同じ染み
   同じ臭いの息 吐き出したのは
   僕の口 ポップはチャンネルを変え、古い詩を語り出した
   母親が死ぬ前につくったという詩を
   立ち上がり 叫び 求める
   抱きしめてくれと 僕も子どものように小さくなって
   僕はようやくポップの首にしがみつく
   太い 油のような首 広い背中へ そう
   今僕は鏡の中に僕を見ているから メガネの枠に
   ポップの黒縁のメガネの枠の
   その僕が今、笑っている

 
 自分と母親を捨てた「父」を抱きしめようとしながら、己のアイデンティティーの所在に苦しむ、若き日のオバマを偲ばせる詩。

 黒人の父親と白人の母親の間に、「現代アメリカ」に生まれ落ちたバラク・オバマの、人間としての成長の起点を思わせる詩ではある。
 

             ###

 バラク・オバマという人は、「不在の父」を抱き取り、こうして自ら「アメリカ人」になった男だ。破れた古いソファに座り、「自分とは何者なのか」という問いを、血を吐く思いで問い続け、遂にひとりの「アメリカ人」になった男だ。

 アメリカの「国のかたち」を」決めた「憲法」を学び、シカゴの貧民街の草の根で「アメリカ」の実相を知った彼が今、大統領の椅子に就こうとしている。

 その彼が、「ここからそこへ行く」ための「人間の声」を歌った女性詩人に、就任式での詩の朗読を依頼したのは、当然の成り行きだろう。

 20日の就任式でバラク・オバマは、エリザベス・アレキサンダーの詩人の魂に共鳴し、どんな演説をすることか?

 「現代世界」の「荒地の首都」というべきワシントンで、バラク・オバマは何を語るのか?

 「言葉の大統領」、バラク・オバマの詩的演説は、「戦争」と「金融危機」という「双子の暴力」が切り裂いた世界に、どのような希望を与えようというのか?

 20日の日に彼が語る言葉は、うわべだけの虚飾の語であってはならない。その場しのぎの癒しの言葉であってはならない。

 真相と響き合う真実の声でなければならない。  
 
 バラク・オバマはしかし、就任演説で真相を語り、真実を述べるはずだ。そして、希望を語ることだろう。

 惨憺たる悲惨の底から語られるであろう、バラク・オバマの演説は、彼が「言葉の大統領」である以上、歴史的な演説にならざるを得ない。   

 アメリカの人びととともに「言葉」によって勝ち抜いた彼が、新大統領として、政治屋の世間知の手帳にはない「言葉」でもって、どう「政治」を作り変えてゆくか?……その見取り図を指し示す「言葉」が、間もなく語られる……。

      
   Ars Poetica #100: I Believe

   Poetry, I tell my students,
   is idiosyncratic. Poetry

   is where we are ourselves,
   (though Sterling Brown said

   “Every ‘I’ is a dramatic ‘I’”)
   digging in the clam flats

   for the shell that snaps,
   emptying the proverbial pocketbook.

   Poetry is what you find
   in the dirt in the corner,

   overhear on the bus, God
   in the details, the only way

   to get from here to there.
   Poetry (and now my voice is rising)

   is not all love, love, love,
   and I’m sorry the dog died.

   Poetry (here I hear myself loudest)
   is the human voice,

   and are we not of interest to each other?

      POP

      Sitting in his seat, a seat broad and broken

      In, sprinkled with ashes,

      Pop switches channels, takes another

      Shot of Seagrams, neat, and asks

      What to do with me, a green young man

      Who fails to consider the

      Flim and flam of the world, since

      Things have been easy for me;

      I stare hard at his face, a stare

      That deflects off his brow;

      I'm sure he's unaware of his

      Dark, watery eyes, that

      Glance in different directions,

      And his slow, unwelcome twitches,

      Fail to pass.

      I listen, nod,

      Listen, open, till I cling to his pale,

      Beige T-shirt, yelling,

      Yelling in his ears, that hang

      With heavy lobes, but he's still telling

      His joke, so I ask why

      He's so unhappy, to which he replies...

      But I don't care anymore, cause

      He took too damn long, and from

      Under my seat, I pull out the

      Mirror I've been saving; I'm laughing,

      Laughing loud, the blood rushing from his face

      To mine, as he grows small,

      A spot in my brain, something

      That may be squeezed out, like a

      Watermelon seed between

      Two fingers.

      Pop takes another shot, neat,

   Points out the same amber

   Stain on his shorts that I've got on mine, and

   Makes me smell his smell, coming

   From me; he switches channels, recites an old poem

   He wrote before his mother died,

   Stands, shouts, and asks

   For a hug, as I shink*, my

   Arms barely reaching around

   His thick, oily neck, and his broad back; 'cause   

   I see my face, framed within

   Pop's black-framed glasses

   And know he's laughing too.

  (注)shink*は、原文のまま。 shrinkの誤りか?(大沼)

⇒   http://www.nytimes.com/2008/12/25/books/25poet.html?_r=1

   http://www.elizabethalexander.net/home.html

      http://www.huffingtonpost.com/steven-barrieanthony/obamas-poetry_b_44271.html

Posted by 大沼安史 at 02:14 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-12-26

〔コラム 机の上の空〕 許すまじ、ブッシュと一派の犯罪

 英紙ガーディアンのコラムニスト、ジョナサン・フリーランド氏が24日のイブの紙面(電子版)に、手厳しい論説を掲げていた。

 「クリスマスの赦しにも限りがある。ブッシュとその一派には責任をとってもらわなければならない」――こんな見出しのついた論説だった。

 当たり前である。フリーランド氏の言う通りだ。

 この8年間というもの、ブッシュのおかげで世界は地獄に突き落とされた。

 イラク戦争を見よ。

 イラクに対する奇襲攻撃は、日本軍の真珠湾攻撃の比ではなかった。軍事施設以外も破壊したのだから。 
 日本海軍の奇襲部隊は真珠湾の米艦と基地は襲ったが、ホノルルを爆撃しなかった。

 「リメンバー・バグダッド」
 靴を投げられて当然である。

 英紙インデペンデントのパトリック・コバーン記者(バクダッド特派員)によれば、ブッシュのバグダッドでの「お別れ会見」は、いつもの「やらせ」で、召集された記者たちは渋々、お付き合いで出ていたという。

 テレビ・カメラの向こう側にいる、アメリカその他の視聴者にアピールするためだけの「余裕の会見」。

 ブッシュのポチ、マケインが選挙キャペーンでバクダッド入りしたときなど、付き添いの米大使館員に防弾チョッキを外させたという。「安全なイラク」を演出するためだった。

 この8年、ブッシュとその一派のいいように使われて来た欧米のマスコミ。

 ブッシュは、「サダム・フセインの大量破壊兵器」が見つからなかったことを最大の反省点だと抜け抜けと言い、逃げ切りを図ろうとしているが、一緒になって提灯記事を書きまくって来たマスコミの責任も大きい。
 
 そのマスコミとして、ブッシュの8年間のしたい放題を赦して来た責任をどうとるか?

 そう、それがフリーランド氏の呼びかける、ブッシュとその一派に対する徹底した責任追及である。

 英紙ガーディアンはインディペンデント紙と並び、英語のメディアとしては、この8年間、ブッシュ批判を続けて来た、数少ない言論機関である。
 ニューヨーク・タイムズなど米国の主流メディアが腰砕けになる中で、孤軍奮闘の闘いを続けてきた新聞だ。

 フリーランド氏は「新年」で「線引き」して「過去」を水に流してはならないと訴えている。
 賛成である。

 「国際貢献」にうつつを抜かした日本のマスコミも、この「8年間」を総点検し、アメリカの戦争犯罪の追及を始めるべきである。 
 
 ブッシュ一派の責任を追及する……それがブッシュの8年間を赦して来た日本のマスコミの責任でもある。

⇒  http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/dec/24/george-bush-guantanamo-bay-us-government

△△△ 本の森 出版NEWS  △△△ 

☆ わかる「裁判員制度」 ~その概要と実際~
  氏家 和男著
  定価1890円(本体1800円+税)
  http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/4097.html

  前・日弁連副連会長の著者が、さまざまな疑問や質問を想定して、150問以上にわたって丁寧に解説。裁判員裁判の事例や最新の法令・政令も収録。一般市民ばかりでなく、企業の担当者や自営業者も使える内容。

☆ 緑の日の丸
  大沼 安史著
  定価1680円(本体1600円+税)
  http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/891.html

  「大分教育汚職事件」を「予言」! 君が代、日の丸問題、不登校、いじめなど、教育界が抱える様々な問題をテーマに、制度疲労で壊れかかった日本に再び「緑」をよみがえらせるには何が必要か。明日を担う若い命を育てるには何をすれば良いかを、小説形式で提言。

杜の都・仙台の「本の森」は、郷土史家、教師、元新聞記者が地域の文化運動として立ち上げた市民出版社です。本にしたい原稿募集!
⇒  http://homepage2.nifty.com/forest-g/index.html

Posted by 大沼安史 at 11:44 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-12-24

〔コラム 机の上の空〕 帰りなん、星空の下へ 

 高校生の時だったと思う。梶井基次郎の『闇の絵巻』という短編を読んだのは。
 何が書かれていたかは、忘れてしまった。
 が、その絢爛たる読後感だけは今も残っている。

 おかげですっかり梶井基次郎の虜になってしまったわたしは、受験勉強そっちのけで、一巻ものの「梶井基次郎集」を読み耽ったものだ。

 そう、『Kの昇天』という短編も、凄かったなあ。たしかあれも、「夜空」へと続く海岸の闇が舞台だった……

             ☆

 横浜に住んで東京に通う毎日を続けて10年近く。

 首都圏の生活は「闇」も「夜空」も「1日」の中から消し去り、照明の輝きにまかせて「真昼」を翌朝まで引き伸ばしてゆく。

 そういえば、この10年というもの、星など見上げたこともなかった。ときたま、大きな満月に驚くくらい。

            ☆

 若い頃、北海道の根釧原野の真っ只中で「夜空」を見上げたことがある。梶井基次郎の小説と同じくらいスリリングで、圧倒的な星空だった。
 「宇宙」が、そこにあった。怖いくらいの星たちのきらめき……。

 夜の原野は見渡す限り、暗い沈黙に包まれ、牧場の灯りも、車のライトの探照灯のような光の放射も見えない。

 道端に車を止めて、夜空として広がる宇宙の絵巻を陶然と見上げたものだ。
 40年近く前、20代の初め、新聞記者になりたてのころである。

             ☆

 「梶井基次郎」の小説を思い出し、真っ暗な根釧原野の夜を思い起したのはほかでもない。

 新年、2009年は、国連が決めた「世界天文年」。

 新春の2月に満60歳の年男になるものだから、人並みに越し方を振り返る中、自然と湧き上がって来た「夜」や「闇」の記憶に心を委ねただけだ。

             ☆

 
 「世界天文年(インターナショナル・イヤー・オブ・アストロノミー)」の西暦2009年は、ガリレオが望遠鏡で宇宙の深部をのぞいてから、「400周年」なのだそうだ。

 国連総会での決議を受け、パリに本部を置く国連の文化機関、「ユネスコ」はインターネット・サイト(下記リンク参照)を立ち上げた。「ガリレオの望遠鏡」の写真など「世界天文年」にふさわしい史(資)料を掲載する一方、年明けを前に世界各地のさまざま取り組みを紹介している。

 当面のスケジュールとしては、新年、1月10日、「天文学のメッカ」といわれるカナダのトロントで、「世界天文年」のキックオフ行事が行われ、それを合図に世界各地で記念のイベント等が行われる。

 スペインでは「世界天文年」を同国として公式のものとするため、特別法を定めて取り組むそうだ。
 
 ウクライナでは、天文学者たちが「インターネット望遠鏡」なるサイトを立ち上げ、世界の人びとにウェブを通じて宇宙の神秘を目の当たりにしてもらう。

 英国では学校に望遠鏡を貸し出し、子どもたちに宇宙への夢を広げてもらう計画だ。

 オーストラリアでは「記念硬貨」を発行するという。

 米国のNASAや日本のJAXAをはじめ、世界各国の宇宙機関の科学者らによる記念のブログ、「宇宙礎石ダイアリー」は元日から始まるそうだ。

             ☆

 英国の新聞、「ガーディアン」に、「世界天文年」にちなんだ、面白い記事が載っていた。

 スコットランド南部のギャロウェー森林公園に、ヨーロッパ初の「暗い夜空パーク(dark sky park)」が開設される、という。

 「暗い夜空(ダーク・スカイ)」とは、人工の光で汚染されない、純然たる夜空、裸の天空のことである。

 英国北部、スコットランドに、わたしが根釧原野の農道上で、ただ一度、偶然見上げた、梶井基次郎にでも言葉でスケッチしてもらいたくなるような、「宇宙の劇場」が「常設」される!

 なんと贅沢なことか。

 宮沢賢治が現代に生きていたなら、早速、「銀河鉄道」に乗って、スコットランドまで見物に出かけることだろう。

             ☆

 この「暗い夜空(ダーク・スカイ)パーク」、実はスコットランドに限らず、全世界的で開設運動が静かに広がっているという。

 音頭をとっているのは、米国のユタ州に本拠を置く「国際ダーク・スカイ協会(IDA)」。

 全世界の都市部に住み、本当の夜空を失った33億人の人びとに、偽りの光に穢されない、宇宙光りの夜を見上げてもらう運動を続けている。

 都市部の照明を一斉に消したり、街路灯の光を下向き照明に変えるなどの啓蒙活動に従事する国際組織である。

 夜空の「光汚染」は、渡り鳥たちにとっても良くないことだと、IDAのサイトに出ていた。
 「暗い夜空(ダーク・スカイ)」の回復は、環境破壊を食い止めることにもつながるわけだ。

             ☆ 

 「世界天文年」の来年、日本でどんな行事、プログラムが行われるか、東京の「国連広報センター」サイトの「お知らせ」には何も書かれていなかった。

 ガリレオの「ガ」の字もない、そっけないアナウンスが載っているだけである。

 日本の塾帰りの子どもたちは夜、ケータイの画面を見ながら、家路につき、日本の大人たちはホームレスになることを恐れながら、生活防衛に必死だから、星空を眺めるどころではないのだろう。

 わたしもまた、そういう一人だから、その気持ちは当然、理解できる。
 理解はできるが、その一方で、いや、だからこそ、星空を見上げたい、という気持ちも離れない。

             ☆

 そういえば思い出した。

 子どもの頃、大失敗したり、大失恋したら、星空を見上げろと、担任の先生か誰かに諭されたことを。

 今風に言えば、宇宙の彼方から届く星の光は、人間の苦しさを極小化してくれる「癒しの光」である、と。

 また、もうひとつ、思い出した。

 中学校で習った『冬の星座』って、あれっていい歌だったなあ~ 

             ☆

 還暦を機に、来春、わたしは郷里の仙台に帰る。

 帰りなん、いざ。七夕のふるさとへ。

 人生は風、人生は夢――

 できれば、なるべく人工の光のない、郊外の一軒家にでも住み、星への旅に備えたいものである。

⇒ http://www.astronomy2009.org/

   http://www.darksky.org/mc/page.do?sitePageId=55060&orgId=idsa

  http://www.guardian.co.uk/science/2008/dec/23/astronomy-galloway-dark-sky-park

Posted by 大沼安史 at 07:32 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-12-16

〔コラム 机の上の空〕 「靴」とともに「ブッシュ」に投げつけられたもの

 バグダッドの会見場で、イラク人記者がジョージ・ブッシュ目がけ、「靴」を投げた。
 「靴」を投げつける……イラクの人びとにとってそれは、相手を最も辱める行為だという。

 「別れのキスだ、さあ、受け取れ」と言って、履いていた靴を投げたのは、Muntadar al-Zaidi氏。カイロのベースを置くal-Baghdadiaテレビネットワークの記者だそうだ(ワシントン・ポスト紙)。

 このザイディ記者、同僚の話では昨年、シーア派武装組織に誘拐されたこともあるジャーナリスト。命がけの報道に従事して来た人らしい、肝の据わったプロテストだった。

 ザイディ記者は二つ目の靴を投げたところで拘束されたが、最後まで「この犬めが、この犬めが」と叫び続けたそうだ。

 「靴投げ」に込められた怒りの意味を、ブッシュは「10サイズの靴」に矮小化して片付けようとした。

 「10サイズ」のザイディ氏の「靴」に、イラク人の呪いが――100万人近い死者たちの恨みがこもっていることを無視した、「余裕のジョーク」だった。

 「冗談」で済むことではない。その「10サイズ」には、4000人を超す、戦死した米兵の無念も、込められているのだから。

 イラクの人びとにとって、「靴」を投げつける行為は「最大の侮蔑」を浴びせかけるものだが、アメリカ人にとってもそれは、戦死者の思いをぶつけるシンボリズムである。

 「靴」――「軍靴」。地上に遺された一足の靴は、戦死した米兵がこの世に遺した、戦争の無残を告発する刻印である。

 その靴を履いて、命の最後の瞬間まで、その戦死者は生きていたのだ。イラクにさえ送り込まれなければ、その先の未来を歩き続けるはずのものだった。

 もう、主とともに大地を踏みしめることのない「靴」は、だからこそ、アメリカでの反戦プロテストのシンボルになって来た。死体になって帰って来た者の「靴」を並べるのは、戦争に動員され、死んだ者たちの怒りや悲しみを、それが何より、代弁するものであるからだ。

 ザイディ氏は多分、そのことを知っていて、ブッシュに向って「靴」を投げたのではないか。

 ザイディ氏の記者会見の場でのプロテストを知って、11月の下旬、イラクで戦死した、ある米兵のことを思い出した。「靴」という言葉が、その米兵の死を伝える記事を読んだことを、思い出させてくれた。

 バージニア州出身の陸軍一等曹長、アンソニー・デイヴィス氏(43歳)が、イラクのビアジに撃たれて死んだのは、11月25日のこと。食糧や救援物資を届ける任務の途中、イラク治安部隊の服装をした男に射殺された。

 デイヴィス氏は、お嬢さんのダイアナさん(高校生。女子サッカーの選手)とともに父子で、イラクの子どもたちにサッカーのボールを贈るプロジェクトを続けていた人だそうだ。

 そういう人が銃弾を浴び、死ななければならない不条理。

 「靴」を投げつけられたブッシュが、「10サイズ」だったと軽口を叩き、そそくさとバグダッドを後にし、アフガンでの戦争見物を済ませたあと、数日後にはアメリカに戻って、ジョギングに爽快な汗を流すであろう不条理。

 ザイディ氏の投げた一足の靴には、イラクの人びとの恨みと、デイヴィス氏をはじめとする戦死した米兵らの無念がこもっていたように思う。

 それは、ビデオに記録された、あの「靴投げ」の真っ直ぐな軌跡を見れば分かることだ。一の矢、そして二の矢。

 三の矢、四の矢は、きっとアメリカ人たちが始めることだろう。
 ブッシュのホワイトハイスに向って、テキサスにあるブッシュの牧場に向って、今度は「生卵」ではなく「靴」が投げこまれるに違いない、 
 

⇒ http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/12/14/AR2008121401170.html?nav=rss_email%2Fcomponents

   http://www.insidenova.com/isn/news/local/article/soldier_killed_in_iraq_during_humanitarian_mission/25394/

Posted by 大沼安史 at 01:21 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (2)

2008-10-18

〔コラム 机の上の空〕 「ジョー」をめぐる闘い 米大統領選は「ふつうのアメリカ人」の勝利のタップダンス

 アメリカの大統領選に、もう一人の「主役」が躍り出た。
 その名も「ジョー」。
 もう一人の「主役」?……陰の「主役」?――いや、大統領選のほんとうの「主役」と言った方がたぶん、より正確だ。
 次の大統領を決めるのは、結局、「ジョー」のような、無数の無名の、ふつうのアメリカ人たち、なのだから。

 それは「ユーチューブ」のビデオ映像で始まった。
 大統領選最後のディベートを前にした先週の末、オバマ候補がオハイオ州のトレドに入った。遊説先の公園(のようなところ)で、オバマ候補の前に、体格のいい、白人の男が現れた。

 ジョー・ウルツバッカー氏。
 配管(プラマー)の仕事をしているという彼は、オバマにこう尋ねた。「会社を買おうと思っているんだ。年収、25万ドルから28万ドル、稼げる。(25万ドル以上に増税する)あんたの課税プランだと、もっと税金、払わなくちゃならないってことだな?!」

 そんなジョーのストレートな突っ込みに、オバマ候補は丁寧に答えた。

 「配管の仕事して何年になるの?」

 「15年だ」

 「だったら、こう考えられないか? あなたが仕事を始めたころ、年収はそれほどじゃ、なかったろう。私の課税プランは、そういう人たちの税負担を減らすことだ。もし、その時、私のプランが実現したなら、あなたはもっと早く、会社を買えるようになったろう?」
 「私のプランではアメリカ人のほとんどが助かる。そうなれば、あなたのビジネスにとってもいことじゃないか」
 「いい質問をありがとう」

 このビデオ映像が「ユーチューブ」で流れると、早速、マケイン陣営が飛びついた。
 汗水垂らして夢を実現しようとするアメリカ人に、増税で冷や水を浴びせるオバマ……そんな揚げ足取りのキャンペーンを始めたのだ。

 15日、ニューヨーク・ロングアイランドの大学で行われた、大統領選3回目、最後のオバマ・マケイン・ディベート。
 負け戦を挽回しようと、マケイン候補が「ジョー、リッチになれておめでとう!」と、テレビ・カメラを通じて、会ったこともないオハイオの配管工に呼びかけ、「アメリカン・ドリーム」に水を差す(?)オバマの選挙公約に対する攻撃を始めた。

 ディベートは「ジョー」をめぐる論戦になり、両候補の口から、会わせて「20回以上も」、「ジョー」の名前が飛び出た。

 両候補に代わり、「ジョー」が主役になったのだ。

 マケイン陣営としては、「ユーチューブ」のビデオを観て、「これは行ける」と思ったのだろう。「ジョー」をヒーローの座に祭り上げ、「夢の足を引っ張るオバマ」、「ヒーローの夢を助けるマケイン」の構図を有権者の頭に叩き込もうとした。

 FOXテレビのような右派メディアもささり込み、「リッチになったジョー」から「オバマの政策は社会主義」「アメリカン・ドリームじゅない」といった「言質」を引き出して、最後の巻き返しプロパガンダ戦に臨もうとした。

 が、そんな右派の思惑に、逆風の吹き戻しが……。
 一躍、時の人になった「ジョー」に取材が殺到、「リッチなジョー」の「素顔」が明らかになったのだ。

 34歳。シングルファザー。宿題をみてあげる息子(13歳)が一人。
 
 配管の仕事をしているらしいが、ライセンスを持っておらず、勤めている配管会社(たぶん、ジョーはこの会社を買いたいらしい)も、社長とジョーだけの超零細企業。とても年に25万ドル以上も稼ぎ出す会社ではない、ということが明るみ出た。
 おまけに、いろんな借金もあるということも……。

 「ジョー」はつまり、「リッチになった自分を夢見る」、ふつうのサブプライム(貧乏)な、平均的なアメリカ人だった。オバマ候補の減税プランの恩恵を被るアメリカ人「98%」の一人だった。

 マケインから「リッチになって、おめでとう」とテレビを通じて呼びかけられ、ジョーは何と思ったか……。

 「ユーチューブ」でオバマと意見を交わす「ジョー」には、初の黒人大統領に対し、対等に議論する、白人としてのプライドのようなものがにじみ出ていた。

 「ジョー」にはたぶん、ああいった聞き方(言い方)しか(おれはリッチになるんだ。苦労してリッチになるのに、増税とは何だ?)できなかったのだろう。

 その強がりを、夢に生きる苦しさを、恐らく(シカゴの貧民区、サウスサイドでコミュニティー活動をしていた)オバマは直感的に理解していたのだ。だから、オバマは「ジョー」に対して、「尊敬している」を連発し、「ジョー」の右肩に二度も手を置いた……。

 金権マケインには、そうした理解力も、思いやりも、なかったのである。

 ただただ、利用しようとしただけ。
 「ジョー、リッチになれておめでとう!」と、二度も繰り返した、超リッチなマケイン。

 さて、その「主役」の「ジョー」氏だが、投票で、オバマ、マケインのどちらに投票するか、まだ決めてはいないようだ。(共和党の予備選には参加している……)

 最後に「ジョー」氏のオバマ候補の「印象」を紹介しよう。
 「ジョー」氏はテレビの女性キャスターのインタビューにこう答えている。
 「(オバマに質問して)今もタップダンスしてるような気分だ」と。
 
 タップダンス??
 何それ??

 そんな疑問に答え、「ジョー」はこう付け加えた。
 「あいつ(オバマ)は(タップダンスも得意な黒人俳優の)サミー・ディビス・ジュニアぐらい、いい奴だったぜ」

 「ジョー」はほんとはオバマが好きなのだ。
 
 間もなく、大統領選の投票日。
 無数のジョーがオバマに一票を投じ、勝利のタップダンスを踊ることだろう。

 大統領選最後のディベートで「ジョー」が「主役」になったのには、選挙プロパガンダの思惑を超えた、重く確かな、必然的な意味がある。   
   

⇒ http://jp.youtube.com/watch?v=BRPbCSSXyp0

  http://www.nytimes.com/2008/10/16/us/politics/16plumber.html?scp=7&sq=Joe%20Plumber%20&st=cse

  http://www.nytimes.com/2008/10/16/us/politics/16plumber.html?_r=1&scp=7&sq=Joe%20Plumber%20&st=cse&oref=slogin

  http://www.nytimes.com/2008/10/17/us/politics/17joe.html?scp=2&sq=Joe%20Plumber%20&st=cse

Posted by 大沼安史 at 01:31 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-09-30

〔コラム 机の上の空〕 くたばれ、金融ドラゴン 

 ウォールストリートを救済する「7000億ドル国民負担」法案が米下院で否決されたが、その背景には共和党議員の「市場原理主義」的な批判とは別に、アメリカの民衆の特権層に対する怒りのマグマがある。

 ウォールストリート・ジャーナル紙によれば、孤高の最左派上院議員、バーニー・サンダース氏(バーモント州選出)の、「最富裕層に今後5年間、10%の付加税を課す」提案に対し、2日間だけで2万3千人から賛成署名が集まったそうだ。

 ブッシュ家も、カーライル・グループも、石油資本も、これまでたっぷり儲けたネオリベ=ネオコン・軍産金複合ドラゴンどもには、貯め込んだものを吐き出し、きっちり落とし前をつけてもらいたい。

 エコノミストのスティーグリッツ・米コロンビア大学教授が英ガーディアン紙に書いていたが、クズ債券の山を買い上げて、いくらウォールストリートに「輸血」しても、大量の「内出血」が今後も続く限り、米経済全体の抜本的な治癒は不可能である。

 住宅価格の下落に見合った、返済額の下方修正、50%の利子補給など、庶民レベルでの対策をとらなければ体力回復は覚束ない。

 その意味でゴールドマン・サックス出身のポールソンのような金融ドラゴンどもの、火事場ドロ、焼け太りを狙った救済法案が葬りさられたのは、よいことである。

 ブッシュ政権はスティーグリッツ教授の言うように、救済法案を部分修正して議会に再提案するはずだが、アメリカは大統領選に向けた政治の季節、世論の行方を無視した強硬突破をしにくい状況にある。

 今後とも、「金融システムが破綻する」とか「恐慌になる」という「恫喝」が繰り返されるはずだが、ギリギリのところまでひっぱり、庶民救済策を出させるべきだ。

 イラクからの米軍即時撤退要求を突きつけることも、当然あってしかるべきだ。「イラク戦争」など、やっている時ではない。

 英紙オブザーバー(ガーディアン日曜版)に、ウォールストリートのウォール(壁)が崩壊し、ついに「アメリカの時代」は終わったとの論説が出ていたが、たぶん、その通りである。

 金融ドラゴンどもの断末魔の悲鳴とともに、「アメリカ帝国」の限界が遂に露呈した。
 
   

⇒  http://online.wsj.com/article/SB122273395169288417.html

  http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/sep/30/marketturmoil.wallstreet

  http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/sep/28/usforeignpolicy.useconomicgrowth

Posted by 大沼安史 at 09:27 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-06-15

〔コラム 机の上の空〕 凶器か、それとも磁石か

 日曜日、休日。
 自分を解き放つ日。

 朝、短パンで家を出て、ゆっくり駆け出した。川沿いの遊歩道に出て、ジョギングする。

 50分ほどで、鶴見川の合流点に到達。こんどは鶴見川の上流へ向け、歩き始める。

 いつも辿る左岸の遊歩道ではなく、今日は右岸の道。

 左岸はサンクリングロードで整備されているが、右岸の道は未舗装の部分が多い。

 右岸を歩いてよかった。水溜りがあったし、途中、子連れの若いお母さんと話もできたから。

 午後、家に戻って、ラジオ用の原稿(モーガン・フリーマンのこと)を書き、昼寝をして、7時前、町田に出かけた。

 馴染みの店で、泡盛をロックでいただく。甘みと香りがあって旨い。

 ほろ酔いで家に戻り、映画「ショーシャンクの空に」のビデオをまた観る。
 モーガン・フリーマンに、会いたくて、また観た。

 「発見」がひとつ。
 何度も見ているのに、これまで気付かなかったことがひとつ。

 刑務所を仮釈放されたRED(モーガン・フリーマン)が、罪を再び犯して刑務所に戻ろうか、と迷い、質屋のショーウインドーを覗くシーン。

 そこで、決定的に大事なことが、さりげなく提示されていた。

 ショーウインドーには、「拳銃」と並んで、「コンパス(磁石)」があったのだ。

 拳銃を持てば、「ムショ」の中に戻れる。が、REDは磁石を買って、脱獄した友、アンディーとの約束の地に向かう。

 REDは「樫の木の下、黒曜石の下でお前を待っているものがある」というアンディーの言葉を思い出したのだ。

 そして、REDが、黒曜石の下を堀リ返すシーン。 

 石の下から出て来たのは、メキシコで待つというアンディーのメッセージと、50ドル札の束。

 REDは、「懸命に生きる」か、「懸命に死ぬか」の2者選択のうち、生きる側を選び、アンディーが待つメキシコ行きのバスに乗る。

 この「質屋」から「樫の木」のシーンを繰り返し見たのは他でもない。AKIBAで惨劇を演じた加藤智大容疑者のことが哀れでならないからだ。

 福井のミリタリーショップには、ナイフのそばに磁石もあったはず。

 どうして君は、磁石ではなくナイフを選んだんだ、どうして磁石を手に出来なかったか、と思ったからだ。

 磁石があれば、君も歩いていけただろう。
 磁石を手に、磁石を見る余裕が君にあれば、君はAKIBAに向かわないで済んだのではないか?

 鶴見川右岸の道は、市ヶ尾で「東名」の高架下をくぐり抜ける。

 トンネルのような通路を通り抜けたとき、轟々たる通過音に包まれた。が、遮蔽に遮られ、車の姿は見えない。

 加藤容疑者は、前の日曜日の朝、この高架の上を、トラックで通過して行った……。

 「ナビ」でAKIBAに。
 お前はどうして、ナイフを買ってしまったんだ? どうして磁石を買わなかったんだ?

 磁石さえ買えば、どこからでも、「自分の一歩」を歩み出せたろうに……。   

 加藤智大容疑者よ、こうなった以上、今、君がしなくてはならないことは、なぜ惨劇を起してしまったか、身を切る思いで原因を探り出すことだ。

 あの永山則夫氏も、必死になって書いたではないか。

 加藤智大氏よ、こんどは君が君の「無知の涙」を、君の「木橋」を、書く番である。

 なぜ、犯行に至ったか、君はコトの真実を書き残さなければならない。

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Posted by 大沼安史 at 11:42 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕 人種の壁超え卒業パーティー 米ミシシッピー州 黒人俳優 モーガン・フリーマンが一役

 黒人俳優、モーガン・フリーマン(71歳)。ご存知だろうか?
 映画「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー賞(助演男優賞)を受賞した俳優(というより「役者」といった方がいような……)である。

 わたしも彼の大ファンで、映画「ショーシャンクの空」のRED役を見て、それ以来、注目している。

 生まれはテネシーだそうだが、育ちはミシシッピー。少年時代を人種差別がことのほか激しい、アメリカの深南部(ディープ・サウス)で過ごした。(その後、インディアナのゲイリーを経てシカゴに行く)

 映画俳優で成功を収めた今、住んでいるのは、少年時代の思い出がいっぱい詰まったミシシッピーのチャールストン。人口2000人の小さな田舎町だ。

 役者の枠を超えた人で、事業家でもある。映画の制作会社をつくったりもしているが、面白いのは、レストランを地元のミシシッピーで開いていることだ。「マディディ」という店で、クラークスデールという町にある。

 南部の豊かな食文化を伝えたい……老俳優はアメリカの新聞のインタビューに応え、こう語っていた。もう、3年か4年も前のことだが……。

 そんな記事(たしか、ニューヨーク・タイムズだったか……)に目を通したのも、この黒人俳優のことが気になっていたからである。

 そして一昨日(金曜日)――英紙インディペンデント(電子版)を閲覧していて、ファンとしてはたまらない、嬉しい記事が出ていた。

 モーガン・フリーマンが一役買って出て、地元チャールストンの公立高校で、初の人種統合プロム(卒業ダンスパーティー)が開かれたというのだ。

 去年まで、白人と黒人、それぞれ別個にプロムを開いていたというのだから、アメリカ南部の人種差別の根深さは相当なものだが、そんな悪しき伝統を止めさせたモーガン・フリーマンの心意気や、よし、である。

 家族とともに、チャールストンの親戚を頼ってテネシーから移って来たモーガン・フリーマンは近くのグリーンウッドというところで育った。その町には映画館が一軒、あったが、黒人(の子)は2階の桟敷席、白人(の子)はフロアの椅子席という具合に見る場所が区別されていた。

 モーガン少年が12歳のとき……ということは、1955年の年に、グリーンウッドに近いマネーという町で、シカゴから帰省した14歳の黒人少年が、白人の店主に生意気な口を利いた、といったささいな理由でリンチに遭い、川に投棄される事件が起きている。

 そういう土地柄だからこそ、1970年以来、人種統合後もなお、チャールストン高校では、人種別プロムという悪しき伝統が続いていたのである。「うちの娘を、ニガーに触れさせるものか」といった風な。

 今回、モーガン・フリーマンが「人種統合プロム」の開催を働きかけたのは、友人のカナダ人映画プロデユーサーとの会話がきっかけだったそうだ。

 モーガン・フリーマンの地元の高校で、いまだに人種別プロムが続いていることを知ったカナダ人プロデューサーが、老友に電話をかけて聞いたのだ。

 「オレ、若い頃、そう、今は昔の1960年代に、カナダからミシシッピーに入って公民権運動の応援したことあるけど、あんたのところの高校のプロムがまだ人種隔離されてるってホントか?」
 「ああ、ホントだ」
 「いいのか、それで」
 「いや。だから、今から10年前、地元の教育委員会に、オレ、プロムの金、出してもいいから、人種統合でやってくれって頼んだんだ。でも、聞いてもらえなかった」
 「でも、その提案、まだ生きているんだろう? 金、出す気、あるよな」
 「ああ」
 「だったら、もう一度、働きかけてみないか。実現したらオレ、ドキュメンタリーの映画を撮りたいしさ」
 「わかった。じゃあ、一緒に働きかけてみよう」

 ――というわけで、地元教育委員会との再交渉の結果、ついに人種統合プロム実現という事態に相成ったわけである。 

 で、プロムの日、実際、どんな風、だったかというと、主役の卒業生たちは肌の色など気にせず、音楽に合わせ、一緒にダンスを楽しんでいたが、親の方はついて行けず、世代のギャップが目立ったそうだ。

 この人種統合プロムとは別に、小規模ながら「白人オンリー・プロム」を強行する親たちもいて、差別意識の根深さを見せつけもしたが、深南部のミシシッピーで「人種統合プロム」が開催されたことは、大きな一歩。
 ディープ・サウスにも、新しい時代の風が吹き出したらしい。

 変わるアメリカの草の根。
 老優モーガン・フリーマンもまた、あの「オバマ」支持者であることは、言うまでもない。
 
 
⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/americas/charlestons-first-integrated-prom-846261.html

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Posted by 大沼安史 at 03:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-05-11

〔コラム 机の上の空〕  ツバメが飛ぶ「母の日」

 昼過ぎ、雨が上がったので、散歩に出た。川沿いの道を歩き出すと、糸のように繊細な雨が降り出した。

 川面をツバメが飛んでいる。
  到着間もないツバメたち。夏場を過ごす「別荘」を確保して、よほど嬉しいのだろう。斜めに降り続ける春雨の中、曲芸飛行を演じている。

               ◇

 ツバメを見て、思い出した。
 新聞記者をしていたころ、中学校の軒下に巣作りしたツバメの一家を取材したときのことを。
 カメラマンのNさんを肩車したときのずっしりした重みを、肩と腰の感覚で覚えている。
 Nさんの撮った写真は、巣の中の子ツバメたちを守ろうと、翼を広げて威嚇するお母さんツバメの姿だった。

               ◇

 Nさんは優しい人だった。苦しみの中で記者活動をしていた当時のわたしを気遣い、励ましてくれたNさんだった。

 取材ヘリの事故で死んだNさんの葬儀に出て、優しさのわけ(少なくともそのひとつ)を知った。Nさんもまた別の意味で、苦しい日々を過ごしていた。

 遺された母子の姿が痛々しかった。

               ◇

 橋にかかったところで、雨脚が強くなった。まるで北斎の構図で、中学生くらいの男子3人組が自転車を連ね、勢いよく橋を渡って、坂を登って行った。

 そのまま上流へ少し行くと、右手の水田に一羽の白鷺がいた。雨の中、身じろぎもしないで、白磁のように佇んでいる。

 白鷺は舎利子。わたしの守り神。
 白鷺はむろん、あくまで白鷺であり、守り神そのものではないが、守り神になり得る何か、ではある。

 わたしはこの川沿いの道で、白鷺に何度、救われたか知れない。

               ◇

 川沿いの道は住宅街に入り、買い物帰りの女性とすれ違った。

 ふと、死んだ母を思い出した。

 わたしの、宝物のような、幼い子どもの頃の記憶がひとつ。
 100メートルほど離れた農家からもらい水した母親が、肩に天秤を通し、水桶を二つ下げて、白い道をこちらに歩いて来る……。
 川のそばの借家には水道はもちろん、井戸もなかった。風呂桶の水を張るのに、母は何度、その道を往復したことだろう。

               ◇

 隣駅まで歩き、蕎麦屋に入り、スーパーで買い物をして電車で帰って来た。そして、ライティングデスクの上のラップトップPCに向かった。

 ワープロ代わりに使って来た古いパソコンで、修理に出していたのがようやく戻って来た。
 独り暮らしのわたしの、大切な「話し相手」だ。

 こんどの木曜日の朝、「遅ればせながら」と前置きし、ラジオできっと話すであろう「母の日」にちなんだ話題を書き始める。

               ◇

 いま、パソコンの左にあるのは、一冊の詩集。
 フランシス・リッチイさん(57歳)という、ニューヨークに住む一人の母親が書いた、「戦士(ザ・ワリアー)」である。 

 フランシスさんの一人息子、ベンさんは陸軍士官学校を出て、特殊部隊に加わり、秘密の任務を帯びてイラクに送り込まれた。

 出征した息子を思い、シングルマザーの母親は詩を書き続けた。

               ◇

  そこには何かが……
  あのヘルメット、塊の中に
  暖炉のそばの装備の山。前に
  見知らぬ兵士がかぶり、いま息子のものに
  死に行く人びとのように私に語り掛けるヘルメット
  最早、語ることもできないのに
  抵抗できないほどの引く力、重力のように
  あるいは愛のように
     私はふれてみたかった
   (「出征の一週間前に」より)

               ◇

          幽霊の
  ような月が、息子の雨具に半分、かかっている
  もう何人、死んだの
  まだ足りないから?
  他の世界に飛んで行けないから?
  私はあなたをつかんでいたい
  でも、あなたは私のものじゃない あなただけの
  国 手の感触
  生まれたばかりのあなたの頭に触れた
  眠っていたのよ
  頭の骨のできあがる前のあなたは
  (同)

               ◇

  ……髭の、クリシュナ神のように
  ローブの下に隠れて 
  どこにでも
  誰にでもなれる
  そうなるわ 
  あなたが死んだら
  どこにでもいるの
  幽霊……いや神さまに
  (「交信不能」より)

               ◇

 詩集の最初の方に、「ツバメ」という詩がある。

 息子のベンさんが士官学校を卒業した日、卒業式が行われたグラウンドをツバメが飛んでいたという。

 どこからともなく、突然、会場に現れたツバメたちに誰も気づいていないようだ。
 卒業とともに、突然、兵士に変わる息子のベンさんのように、唐突に出現したツバメたち。

 そのツバメにベンさんを重ね合わせて、フランシスさんはこう綴った。

  いま、私は信じている 翼のまなざしを
  ツバメの一羽一羽に 色彩のきらめき
  届かない祈りの伝言を乗せて
  貸してもらった双眼鏡をのぞくと
  そこにあるのは整列 
  私は彼の顔を探す

               ◇

 フランシスさんのベンさんは、イラクから無事生還し、カリフォルニアの大学に進学したという。

 母親のもとへツバメは帰り、こんどは大学へと飛び立った。

               ◇

 今日、「母の日」。横浜は夕方から晴れ間がのぞき、いま、西の窓のすりガラスは光り輝いている。壊れそうだけれど、静かで平和な、日本の夕暮れ。

 5月の第2土曜日を「母の日」とする決まりは、息子を戦場に出すまいと決心した、あるアメリカの母の訴えから始まったものだという。  

Posted by 大沼安史 at 05:49 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-05-05

〔コラム 机の上の空〕 戦争と娯楽による子殺し

 5月1日、バグダッドの貧民区、サドル・シティーで、米軍が破壊した家の瓦礫の下から、2歳になる男の子が遺体で見つかった。

 アリ・フセインちゃん。

 そのいたいけな、何枚かの写真は、通信社の手で全世界に流れた。死んでなお、あどけない顔。小さなスニーカーを履いた、歩き出したばかりの細い足。

 このイラクの男の子の命を奪ったのは、米軍が放った「200ポンド誘導ロケット弾」だった。

               ◇

 アリちゃんの父親は、米国ABCテレビの取材に対して、こう言った。

 「アリはわたしの足にすがって、父ちゃん、父ちゃんと言って、いつも外に出たがっていた。戦闘が続いていたから、表へ出せなかった」

 アリちゃんはこの1ヵ月半、家の玄関で、外に出て遊びたいと言い続けて来た。スニーカーを履いていたのは、すぐにでも外に飛び出したかったからに違いない。

               ◇

 そんな矢先、こんどはさらに気持ちの悪い「ニュース」が届き、吐き気を催しそうになった。アリちゃんの悲劇とはまた別の意味で、胸に重苦しい衝撃を受けた。

 「ディズニーランド」を設計したデザイン会社、「ライド&ショー・エンジニアリング」の手で、米軍、傀儡政府機関の立て篭もる、バグダッドの「グリーンゾーン」隣接地に、アメリカ式の「アミューズメント・パーク」をつくる計画が進んでいるのだそうだ。

 英紙「タイムズ」などが報じた。

               ◇

 事業主体は、ロサンゼルスの「C3」という企業。
「イラク政府」から50年リースで、「バグダッド動物園」(イラク戦争開戦時に壊滅した!)を中心としたアル・ザウア公園の一帯、20ヘクタールを借り受け、そこに「バグダッド動物園とエンターテイメント・エクスピリアンス(娯楽の体験)」というアミューズメント・パークを建設するのだそうだ。

 その第一弾として、ことし7月にお目見えするのは、スケボー場。
 アメリカから20万台分の部品を輸入、現地で組み立てて、ヘルメット、ヒザあてと一緒に無料で配るという。

               ◇

 このプロジェクトについて、カナダの「グローバル・リサーチ」研究所代表のマイケル・チョスドフスキーさんが、「戦争のプロパガンダ:ディズニーランドが戦火のイラクへ」という論文で、手厳しく批判している。

 イラクの文化を破壊しておいて、何がアミューズメント。
 子ども心につけこむ、米軍お得意の「心理戦」、「イメージニアリング(イメージ+エンジニアリング)」のプロパガンダであり、悪質だ……と批判している。

 まさに、然り。チョスドフスキー教授(オタワ大学)の言う通り。

               ◇

 お外で遊ぶことも出来ないイラクにしておいて、何がアミューズメント(娯楽)だと、ぼくもまた声を大にして叫びたい。

 「グリーンゾーン」も、その周辺も、武装抵抗勢力の砲撃が続き、とっくに「安全地帯」でなくなっているのに、そこでスケボーをさせる?……

 プラスチックのヘルメットで、ロケット弾を防げるとでも?

 それとも、スケボーで釣って呼び込んだイラクの子どもたちを、「人間の盾」代わりに使おうとでもいうつもり?……

               ◇

 東京湾の最深部、浦安に「東京ディズニーランド」が出来たのは、四半世紀前、1983年。アメリカが「帝都」を「東京大空襲」のファイアーストームで焼き払ってから、38年後のことだった。

 「5月5日」の「子どもの日」のある日本にも、「死ぬまで遊ばせる(Amused to Death)」(アメリカの教育・メディア学者、ニール・ポストマンの表現)時代が来た!

               ◇
 

 が、バグダッドではなお「戦争」が続き、戦闘が、街の破壊と人間の死が日常化している。
 
 バグダッドのみならず、イラクの全土で、日常が破壊され、生活が死んだ!

 それはイラクの子どもたちにとって、未来がすでに奪われてしまったことを意味する。

 米軍が破壊しきったファルージャを記録したビデオ(「クロスファイア」)に、忘れられないシーンがある。

 自転車のわきで呆然とたたずむ、生き残った男の子の虚ろな顔……。

               ◇

 アメリカよ、ふざけるな、と言いたい。  

 アミューズメント・パークよりも先に、歩き出した子どもが元気いっぱい、スニーカーをはいて外に飛び出せる「通り」の復興が先決だ。

 バグダッドに平和を、イラクに平安な日々を! 

 「戦死」したわが子の柩に、「ミッキーマウス」を入れる親は、イラクにはいない。  
 
⇒ 
 http://www.abcnews.go.com/International/story?id=4775808&page=1

 http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article3802051.ece

 http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8837

  http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article882037.ece

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Posted by 大沼安史 at 03:45 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-04-23

〔コラム 机の上の空〕 岩国・松陰・河上肇

 東京・世田谷を走る路面電車、世田谷線の「松陰神社前」駅から歩いて数分のところに、幕末の志士、吉田松陰をまつる松陰神社がある。

 小塚原で死罪に処せられた松陰の遺骸を、維新後、世田谷に移し、改葬して建立した神社である。

 平日の午後、お参りに出かけた帰りの境内で、30前後とおぼしき若い男性とすれ違った。思いつめたような表情が、強い印象として残った。まるで村塾門下のような……。松陰の墓前で、しばらく時間を過ごしたせいで、そんな感じがしたのかも知れない。

                  □

 松陰と同じ山口の人、河上肇も東京帝大の学生時代、祭日になると、松陰神社に出かけた。「貧乏物語」のマルクス主義者は、吉田松陰を尊崇したナショナリストでもあった。

 戦前、共産党員として検挙された河上が収監されていたのは、松陰、処刑の地に近い小菅の刑務所。獄窓から夕空を見ながら、西の方、故郷、山口に思いを馳せ、幼少の頃に思い出に耽った。

                  □

 河上肇は山口の岩国の出身。岩国吉川藩、下級武士の子。維新後に生まれた、近代日本の第一世代に属する。
 東京帝大を出て読売新聞の記者になり、京都帝大の講師になって教授に昇格、前後して欧州に留学し、パリの客舎に島崎藤村を訪ねている。

 終戦は京都で迎えた。翌年、京都で死去。
 郷里に戻ることはなかったが、終戦前日の8月14日、岩国に対して米軍が空襲をかけ、500人の市民が死んだことは、その耳にも入っていたはずだ。

                  □

 去年、亡くなった小田実さんが指摘していたが、「8月14日」には大阪も大空襲に遭っている。それは日本政府が「降伏の正式回答をしぶ」ったからだ(「西雷東騒」より、以下の引用も同じ)。その3日前、「8月11日のアメリカ合州国の新聞はこぞって『日本降伏』とともに『大統領が「天皇制存続」を決めた』と報じていた」。
 
                  □

 岩国は昭和20年の5月にも空襲を受けている。瀕死の日本に対し、情け容赦ない無差別爆撃を加えたアメリカもアメリカだが、「国体の護持」にかまけ、天皇の「ご聖断」を遅らせ、ぐずぐずしていた日本政府も酷い。
 終戦の前日、岩国の500人の市民の命は、日米両国の権力者たちの思惑の中で奪われたのである。

                  □

 その岩国で、米海兵隊の基地の拡大強化が進められようとしている。かつての鬼畜、焼夷弾の雨を降らせた米軍の「岩国占領」を進めるのは、われらが日本政府の権力者たちである。

 建設される米軍住宅には、上ものの建築費だけで一戸あたり4500万円もの、日本国民の「血税」が投入されるという。多くの日本国民が「サブプライム」以下に成り下がり、マイホームをあきらめざるを得ないこのご時世に、対米追従政権のこの振る舞い……。
 
                  □

 この世にいま、河上肇が生きていたら……吉田松陰が生きていたら、この岩国のありさまをどう思うことだろう。

 27日は地元山口2区の衆院補選。

 肇、松陰の「日本のナショナリズム」が、日本の「愛国心」が、いま問われている。

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Posted by 大沼安史 at 11:43 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-03-08

〔コラム 机の上の空〕 「大統領を弾劾せよ!」 アメリカの草の根に広がる バーモントの田舎町が「ブッシュ逮捕」を決議 「コード・ピンク」の女性たちは「味噌汁パワー」でハンスト抵抗運動

 オバマ候補との「3・4決戦」を制したヒラリー・クリントンが、首の皮一枚、残った辛勝であったにもかかわらず、こう言い放った。「オハイオがこういう結果だから、全米もこうなるはずだ」と。次の大統領になるのは、この私よ、と強がって見せたのだ。

 これに対して、反戦放送局「デモクラシーNOW」の女性キャスター、エイミー・グッドマンさんが、こんな反論コメントを突きつけた。
 「彼女(ヒラリー)はバーモントで起きていることを考えるべきだ」と。
 ヒラリーよ、驕るなかれ、バーモントこそ、明日のアメリカの風向きを示す天気予報だ、と指摘したのだ。 

                      ◇

 なぜ、アメリカ北東部の、「リンゴとハチミツ」の小さな州が、アメリカの未来を写す出す鏡であるのか?
 
 グッドマンさんは、予備選が行われた3月4日、バーモント州のブラットルボローとマルボローのふたつの町で同時実施された「町民投票」の結果に言及し、それが全米及ぼす、意味の重さを語った。

 町民投票で何が決議されたか?
 
 驚くなかれ、ブッシュとチェイニーがこの町に現れたら、さっそく逮捕・拘留し、弾劾のため送致せよ、という「正副両大統領を捕まえろ」決議が可決されたのだ。
 開票結果は、ブラットルボローでは賛成2012に対して反対が1795、マールボローでは43対25だった。

 逮捕の罪状は、嘘で固めてイラク戦争を始めたあげく、いまなお違法な拷問、盗聴を続けていること。

 こういうことを、このバーモントの田舎町のわれわれは許さないと宣言したわけだ。住民のひとりは言った。

 A little means a lot! (小は大を意味する!)

 グッドマンさんは、こうした町民投票の結果を紹介しながら、大統領選の最大の争点のひとつは、やはり「イラク戦争」であり、このバーモントでオバマが圧勝した事実こそ、アメリカの明日を占うものだ、指摘したのだ。同感である。

                      ◇

 同じ予備選当日この日、ワシントンの連邦議会の議事堂で、下院司法委員会のメンバーの事務所を訪ねて歩く、女性の一団があった。女性平和団体「コード・ピンク」のメンバーたち。

 「コード・ピンク」は、カリフォルニアに女性たちが2002年11月に結成したもので、運動の輪は、米国内ばかりか世界各地に合わせて250の支部を持つまでに広がっている。〔コード・ピンクのコードとは、作戦の暗号名の意味や正義の法典の意味を持つ言葉だ。ピンクが何を指すのかは、言うまでもなかろう。古代ギリシャのあの有名な喜劇を思い出す名前だ……〕

 その「コード・ピンカー」(そのメンバーをこう言う)たちが下院司法委メンバーの事務所に押しかけたのは他でもない。ブッシュとチェイニーの弾劾手続きを始めよ、と迫ったのだ。

                      ◇

 ワシントンの政界紙、「ポリチコ」が、そんな「ピンカー」の一人を紹介している。

 テキサスからやって来たエレン・テイラーさん(54歳)。
 彼女の顔色が青白いのは、すでに15日間、抗議のハンストを続けているからだ。でも、意気は軒高、上着の背中に、こんな「スローガン」を書いて、議員事務所を回ったそうだ。

 Hungry for justice? Impeach him fast!

 パンチの効いたユーモアではある。〔 念のため説明すると、「ハングリー・フォー」には「腹ペコ」のほかに「強く求める」、「ファースト」には「早く」のほかに「絶食」の意味がある。なお、「ジャスティス」は「正義」、「インピーチ」は「弾劾」である〕

 「ポリチコ」紙のコメントも傑作だ。
 「彼女の動機は大きくも小さくもある。彼女の望みは、早くチェイニーを弾劾して、早くランチを食べることだ」

                      ◇

 このテイラーさんのハンスト、実は彼女だけなく、数百人に上る仲間の「コード・ピンカー」も一緒に続けているという。

 ホワイトハウス前で何度もプロテストを行い、二度、逮捕されたツワモノ「ピンカー」のレスリー・アンジェリーヌさん(51歳)などは、10日間、ハンストして司法委のコンヤース委員長との面会を勝ち取り、その後、弾劾が始まらないことに抗議してハンストを再開、25日目でドクターストップがかかるまで、やめなかったというから凄い。

 「ハンスト」と言っても「ピンカー」たちの場合は、完全な「飲まず食わず」ではなく、水やお澄ましのジュース、「味噌汁(ミソ・スープ)」などは摂取する、ヘルシー(?……でも、おなか、減るだろうなぁ~……)絶食だそうだ。美容と健康のため、体内の毒素を摂り、平和と希望のために、政治の浄化も図る、一石二鳥(でも、すぐにはヤキトリを楽しめない??)の狙いが込められている。

 うれしくなってついつい冗談が滑ってしまったが、言いたいことはひとつ、アメリカの草の根から、反戦の動きがさまざまなかたちをとって噴き出していることだ。

 ヒラリーとオバマの「空中戦」にばかり目を奪われてはならない。

                       ◇

 民主党の大統領予備選では、1970年代の初め、ベトナム戦争を支えた徴兵制度延長に抵抗し、連邦議会で、「フィリバスター」というマラソン、いや「トライアスロン演説」を繰り返した、マイク・グラヴェル元下院議員(77歳)も名乗りを上げ、一石を投じている。

 アメリカが戦争を繰り返すのは、軍産複合体があるせい。おかげで、国防予算は今や、世界の軍事費の46%に及んでいる。これを一気に60%カットする――これがグラヴェル氏の公約である。

 このグラヴェル氏に対する「支持」をメーン州の地方紙で表明した、米国の女性コラムニスト、パット・ラマルシェさん(『アメリカに放り出されて―米国におけるホームレスの現実』の著者)は、ベトナムで戦った復員兵のうち実に「9万4千人」もが、「昨日の夜」も真冬のストリートで眠っていたことを忘れてはならない、とコラムの中で書いた。

 アメリカのストリートでは、イラク帰りの復員兵ホームレスだけでなく、これほど多くのベトナム戦経験者が「今日の夜」も、野宿を強いられている……

                       ◇

 もはや、問題は所在は明らかだ。問題はヒラリーのいうように「経験の有無」にあるのではない。争点は、「平和への意志の有り無し」にある。

 「ワシントンの権力(軍産複合体)」VS「平和を求める草の根のアメリカ」……米大統領選の対立軸のひとつは、まさにここにあるのだ。
 
 そう、「戦争」に対し「平和」がいま、戦っている。

 その「平和」への戦いに、「味噌汁」ほどの力もないかも知れないが、この「机の上の空」も加わることにしよう。

 「戦争」か「平和」か……わたしたちは――いや、わたしは、このブログを通じ「戦争」ではなく「平和」を訴え、「平和」を求める。
 
 
⇒ http://www.politico.com/news/stories/0308/8836.html

  http://www.codepink4peace.org/

  http://www.reformer.com/ci_8456857?source=most_viewed

 http://bangornews.com/news/t/viewpoints.aspx?articleid=161139&zoneid=117

Posted by 大沼安史 at 04:49 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-03-05

〔コラム 机の上の空〕  保守の牙城、シカゴ大学ロースクールの元同僚・友人が語る「朝から大統領 バラク・オバマ」

 「次期大統領」の期待高まるオバマ候補は、法律を学び、教え、実践して来た人である。

 ハーバード大学のロースクールでは「レヴュー」の初代黒人編集長となり、シカゴ大学のロースクールでは米国憲法を講じ、その後、人権派の弁護士として活動、政界に入ったキャリアの持ち主だ。

 シカゴ大学ロースクール時代の同僚、カス・サンステイン教授が、英紙インディペンデントに「わが友、バラク・オバマ」というエッセイを寄稿していた。読んで教えられることが多かった。

 オバマ氏が教えていたシカゴ大学ロースクールは、実は米国で最も保守的な「ロースクール」なのだそうだ。あのレーガンの共和党政権を支えたのは、このシカゴのロースクールだったという。

 オバマはそういう保守の巣窟にいたわけだが、共和党員の同僚からも好かれ、尊敬されていた(る)という。かつてのレーガン支持者がいま、オバマを支持している、ともいう。

                      ◇

 なぜ、そうなのか?

 人間性、心の温かさもあるが、独立心の持ち主であり、「すばらしい聞き手」であることが大きい、とサンステイン教授は指摘している。

 オバマ氏の「聞く耳」は、どんなところへも赴く。偏見の中で凝り固まることがない。さまざま意見に注意深く、公平に耳を傾け、さまざな議論を自分の中に取り込み、判断してゆく。そういう「法の分析家」という部分が、オバマ氏にはあるのだそうだ。

                      ◇

 そのオバマ氏が先日、サンスティン教授に電話をかけてきたそうだ。久しぶりの電話でオバマ氏は、サンステイン教授に、ブッシュ大統領が許可した、米国内から国外のテロリストに対する電話の盗聴について、法律的な見解を求めた。

 サンステイン教授は、(保守の牙城のロースクールの教授らしく?)その「盗聴」に合法的な部分も含まれている、との論文を発表したばかりだった。

 サンステイン教授が自説のポイントを説明してゆくと、オバマ候補はじっと聞く耳を傾け、反論を述べた。20分に及ぶ、そんな繰り返しのあと、オバマ氏は最後にこう言った。「あれはやはり非合法だ。でも、おかげで賛否両論について理解を深めることができた。時間を割いてくれてありがとう」と。

                      ◇

 オバマ氏についてはヒラリー陣営から、「スタイルばかりで中身がない」などといった批判宣伝が行われているが、サンステイン教授に言わせれば、シカゴの仲間にとってオバマ氏は「口舌の徒(レトリシャン)ではなく、問題解決能力や創造性、細部への注目という点で光り輝いている」男だそうだ。

 オバマ氏自身、最も居心地がいいのは、「政策や細部の領域」において、だという。

                      ◇

 もう、ひとつ、サンステイン教授の指摘で興味が引かれるのは、オバマ氏が「旧左翼」ではない、ということである。「選択の自由」に対しても、鋭い関心を示す。

 だから考え方は、ブレア及びクリントン的な「第三の道」のアプローチと重なり合う。

 国内問題でも国際問題でも妥協ではなく、「大きく考え、大胆に行動する」のが彼の身上だ。イラク反戦が不人気な頃、「イラク戦争反対」と公然と述べたのは、そういうオバマ氏の政治家の態度の現れである。

                      ◇

 注目点を最後にもうひとつだけ……。

 オバマ氏は、政敵を葬ることを拒否する人であり、意見が合わない人たちに対しても良き信頼を置く人であるそうだ。

 わたし(大沼)はかねがね、日本の政治に必要なのは、朝まで罵り合うのではなく、理解し合い、共通の道を探り、夜はぐっすり寝て、朝から歩み出すことだと思っていたが、一足早く、アメリカに、そんな「オバマ・〈朝から〉大統領」が出現しそうなので、たいへん嬉しい。

 アメリカはいま、建国以来、最大の危機にあるといっていい。そこにオバマが現れたのは、当然のめぐり合わせである。

 戦後最大の危機を迎え、ずるずる破局に向かって進むだけの日本。

 小浜市民が「オバマ」を支持するのは、単に語呂合わせだけではないはずだ。
 

⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/an-american-president-my-friend-barack-obama-790330.html

Posted by 大沼安史 at 02:27 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-03-01

〔コラム 机の上の空〕 オバマ頌 

 1968年の春、マーチン・ルサー・キング牧師とロバート・ケネディー上院議員が相次いで暗殺されたとき、バラク・オバマは6歳だった。

 「アメリカの権力」に潜む、凶暴なものの存在を、幼いオバマは何年か後、何かを読んで知る。

 ロバートの兄、ジョン・F・大統領の悲劇に続く2人の暗殺はすでに、アメリカの「国民的なトラウマ」となっていた。

                      ◇

 その「トラウマ」の傷口が、今回の大統領選でまた開いた。人びとの心に、当時の「恐怖」が、甦っている。オバマもまた暗殺されるのではないか、という恐怖である。

 ニューヨーク・タイムズが、そう書いていた(2月25日付)。

 「思わず口をつぐんでしまう不安」……オバマが勝ったら(勝ちそうになったら)殺られるのじゃないかという不安と恐怖が広がっているのだ。

 コロラドの姉妹は、オバマの身の安全を願って、毎日、祈りをささげているという。ある集会では、ひとりの女性が、オバマが「希望と変化」を語るそれ自体が、危険なことだと言ったそうだ。

                      ◇

 こんなことがあった。キング牧師がホワイトハウスにケネディー大統領を訪ねたときのことだ。ケネディーは、外に出て話そうとキング師を誘った。

 「ローズガーデン」へ出て、ケネディーはキング師に何を話したか?

 大統領はキング師に「あなたは、FBIに盗聴されている。気をつけなさい」と警告したというのだ。
 ホワイトハウスの内部は盗聴されている。話は筒抜けだ。だから、外に連れ出して警告したのだ。

 アメリカには大統領さえも監視する「権力」がある。

                      ◇

 ケネディー大統領の弟のロバートには、こんな話がある。

 司法長官だったころ、若いインターンに対し、こう訓示したという。

 「わたしの基本的な信念は、すべての人はひとしく創られている、ということだ。ここから当然、次のことが導き出される。人種統合は(司法省を含む)あらゆる場所で実現しなければならない」と。

 こういうロバート・ケネディーだったからこそ――新しい大統領に選ばれることが確実だったからこそ、彼はロサンゼルスのホテルで暗殺されねばならなかったのだ。

                      ◇

 今回の民主党の予備選で、2人の犠牲者を出したケネディー家は、「オバマ支持」を表明した。

 「オバマ暗殺」の恐怖は、そこに端を発する。

                      ◇

 それにしてもオバマはなぜもこう、アメリカ国民の熱狂的な支持を得ているのか?

 それは彼が「現代のケネディー(兄弟)」であり、「新時代のキング師」であるからだ。

 白人と有色人種の双方に強固な支持基盤を広げているのは、そのせいである。

                      ◇

 キング師については言うまでもなかろ。暗殺される5年前、1968年の夏、ワシントンの大集会で、あの有名な「わたしには夢がある」演説を行った、公民権運動の指導者だ。

 オバマもまた雄弁な政治家だから、その心を揺さぶるスピーチに、キング師の記憶を重ねる人も多い。

 「安っぽい言葉だ」「言葉では食卓に食べものを乗せられない」――ヒラリー陣営がオバマを「口舌の徒」と批判するのは、彼の演説の迫力・説得力の反証である。

 簡潔で力強く、たたみ込むようなリズムを持ったオバマのスピーチ……。ところどころに「聖書」のエピソードが挿入されるから、メシアのような宗教性が漂う。

 オバマは牧師ではないが、キング師の再来、後継者であるのだ。

                      ◇

 このようにオバマの最大の強みは、アメリカの「国民的記憶」を背景にしていることだが、陣営に強力なサポーターがついていることも大きい。ケンディー家はもちろん、ジョージ・ソロス、ポール・ヴォルカー(カーター大統領を支援)、ロバート・デニーロ、その他大勢の有力者、セレブが支援に立ち上がっている……この点は見逃してはならないところだ。

 ブッシュ政権下、それだけ体制的な危機が深化し、「希望と変化」が絶対なければならない状況が生まれているのだ。

 言うまでもなく、地殻変動の震源は「イラク戦争」。それが「希望と変化」を国民的なコンセンサスとしているのだ。オバマが理想を語れば語るほど、支持率が上がるのは、そうした背景があるからだ。

                      ◇

 オバマのサポーターのなかで注目すべきは、外交問題アドバイザーを務めるサマンサ・パワー教授である。
 37歳。ジャーナリトの出身、「人権」の問題として国際問題を考える、気鋭の女性政治学者。
 こういう新しい「頭脳」が、オバマ支援に動いている点は見逃せない。

 オバマ大統領が誕生すれば国務長官になるとも言われる彼女もまた、理想に燃えた熱弁家だ。

 彼女はたとえば、こう語る。「オバマはドライバーを代えようとしているだけじゃない。われわれが乗って走る、車も道路も代えようとしている」と。

 いま、オバマが起こそうとしているのは、単なる政権の交代ではなく、全面的な社会変革である、というのである。

                      ◇

 キング師は、「わたしには夢がある」の演説を、こう締めくくった。

 「……その日、神の子どもたちは皆、白人も黒人も……手を取り合って、古いネグロの霊歌を歌うだろう。Free at last! Free at last! と」

 オバマの大統領就任演説にはきっと、キング師の「夢がある」演説が引用されるのは間違いない。

 その日が訪れ、米国が変わり、世界が変わり、日本にも変化の芽が生まれることを、わたしもまた、毎日、祈ることにしよう。   

 その日が来るまで……いやアメリカに新しい自由の時代が来るまで、オバマは決して、死んではならない。

Posted by 大沼安史 at 03:24 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-02-14

〔コラム 机の上の空〕 北京五輪開会式演出 スピルバーグが「辞退」だとぉ~? 監督は「就任を拒否」したのです!! 「ダルフール問題」で世界のノーベル賞受賞者らが中国政府に対し「抗議の公開状」 ペキン指導部の人権感覚・平和意識の欠如に対する国際批判、強まる

 今朝、(日本の)新聞を開いて(ネットの電子版でも確認し)唖然としてしまった。スピルバーグ監督が中国政府の「ダルフール問題」に対する姿勢に抗議、その北京五輪開会式イベント演出要請を拒否したことを、日頃、中国に手厳しい(??)一部報道期間を含め、一斉に「辞退」と書いていたのだ。(CNNの日本語版サイトは、さすがに「辞任」と訳していたが……)

 「辞退」とは、せっかくのお申し出ではありますが、今回はちょっと都合がつかず、ご遠慮させていただきます、といったヤンワリしたもので、「抗議の(内定)辞任」「就任要請に対する拒絶」とはまったく質をことにする。
 
 スピルバーグ監督は、一身上の都合でご遠慮させていただこうとしたのではなく、人権上の原則で中国政府に辞表をたたきつけたのだ。

 どうして日本のマスコミは、こうもだらしいないのだろう。どうしてこうも、中国政府の人権・平和感覚のなさにおもねるのだろう。

 中国ではいま、「北京五輪」を前に、民主化運動の活動家を逮捕しているが、欧米のマスコミによる報道はあっても、日本のマスコミは口をつぐみ続けるばかり。日頃、対中「弱腰外交」批判を続けている報道機関まで腰砕けなのだから、あきれるばかりだ。

 英紙インディペンデントに、デズモンド・ツツ氏(平和賞、南ア)、エリ・ヴィーゼル氏(同、米国)らノーベル賞受賞者や、マルコス・アナスタシオ氏(サーファー、ポルトガル)、マリリン・チュア氏(水泳選手、2000五輪出場、マレーシア)らアスリートたち、そしてミア・ファローさん(女優、米国)、トム・ストッパード(劇作家、英国)ら有名人75人が署名した、中国政府への「公開状」が掲載されていた。

 スーダン・ダルフール問題での中国政府を姿勢(石油を得る見返りにスーダンの政府軍に武器援助し、ダルフールでの住民虐殺を後押ししている)を批判し、北京五輪の芸術アドバオザーの職を蹴ったスピルバーグ監督の決断を支持し、中国政府に反省と武器援助撤回を迫る、国際世論による追及キャンペーン第一弾である。

 「公開状」はダルフールの惨状をこう指摘する。「残虐行為は激化の一途をたどっている。ダルフールの700万住民のうち、数十万人もが紛争の中で死亡し、250万人が難民と化した。強姦、性暴力は少女たちや婦人に対し、武器として使われ続けている……」と。

 そして中国政府にこう迫る。中国はダルフール問題を動かす力を持っている。だからわれわれは、北京五輪に向け、中国政府の動きを見守り続けます、と。

 「公開状」は中国政府がこの申し出を拒絶・無視した場合、どんな対応策をとるか触れていないが、最終的には「五輪ボイコット」の呼びかけに行き着くものとみられる。欧米では早くも「北京五輪」のスポンサー企業に圧力をかける動きも広がり出しており、事態は切迫している。

 中国の人権・平和感覚の欠如は、ダルフールに限らず、ミャンマー問題でも露呈し、国際的な非難の的になっている。もし中国が北京五輪を機に、国際社会のステージに、「経済」の枠を超えて「政治的な力」としてデビューを果たしたいのであれば、この際、ダルフールなど懸案する課題の一挙解決を図るべきだ。

 国際社会に「参加」するには、人権感覚の回復が先決である。そこにこそ中国が「北京五輪」を主催する、歴史的な「意義」があろうというものだ。

⇒ 
http://www.independent.co.uk/news/world/politics/a-letter-from-the-worlds-nobel-laureates-to-china-you-umustu-act-on-darfur-782008.html

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/in-olympic-year-china-urged-to-use-its-influence-in-darfur-782011.html

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/silence-speaks-volumes-as-beijing-ignores-criticism-782009.html

http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/johann-hari/johann-hari-spielberg-has-taken-a-stand-we-must-too-781973.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/feb/13/china.sudan

http://www.guardian.co.uk/uk/2008/feb/14/olympics2012.humanrights

http://www.guardian.co.uk/world/2008/feb/14/usa.china

http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200802140043a.nwc

http://www.asahi.com/culture/update/0213/TKY200802130341.html

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080213-OYT1T00227.htm?from=navr

http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200802130011.html

Posted by 大沼安史 at 03:03 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2008-01-06

〔コラム 机の上の空〕 米国から「ラコタ共和国」が分離・独立

 「もう、こんな国になんか、いられない」――そんな気持ちになるのは当然のことだ。

 イラクで戦争をするわ、住宅バブルは弾けるわ、医者にもかかれないわ……ブッシュのアメリカにいたら、よほどの金持ちでもないかぎり、どこかへ出て行きたくもなるだろう。(国家崩壊、全般的な貧困の進む、東洋の斜陽の属国=日本に行きたがる者はいないだろうが……)

 そんな「アメリカ合州国」で昨年(2007年)の暮れ、「ラコタ共和国」が分離・独立し、新国家として新年を迎え、世界に承認を求めている……。
 初夢の続きを見ているのではない。夢物語ではなく、現実の話。

 ただ、知られていないだけのこと。フランスの高級紙、ルモンドなどは大々的に報じたが、肝心のアメリカではマスコミからソッポを向かれ、知る人ぞ知る状態だ。
 アメリカだって元々は、独立宣言をして、英国から分離・独立した国。ラコタだって同じことをしただけなのに……。

                    ◇

 「ラコタ共和国」は、北米先住民族(インディアン)の「ラコタ」の人びとによる新しい国だ。「合州国」ができる前からあったから、「古くて新しい国」と言うべきかも知れない。
 「国土」は、アメリカの中北部、サウスダコタ、ネブラスカ、ノースダコタ、モンタナ、ワイオミングの各州にまたがる広大な地域。
 ただし、現在、占有している土地は、いわゆる「保護区」(6ヵ所)に限られており、今後、ワシントンの連邦政府を相手に、「先取特権」の確認を求める裁判を起こし、領土の回復を図る考えだ。

 「ラコタ」の人びとは、スー族7部族の連合体で、「ラコタ語」を話す。18世紀の半ばの人口は推定で2万人。21世紀初頭の現在は7万人(その半数が「保護区」で生活している)だから、人口は増えている。

 そんな「ラコタ」の人びとが、ワシントンの国務省に出向き、合州国からの「一方的脱退」を通告したのは、暮れの12月17日のこと。
 ヴェネズエラや南アフリカなど、先住民族に対して理解のある各国にも新国家としての承認を求める公文書を送付し、「ラコタ」のウェブ・サイトで「(昔から継続していた)独立」を宣言した。

 ではなぜ、ラコタの人びとは「再独立」に立ち上がったのか?
 理由は大きく分けて二つ。ひとつは、これまでさんざん、だまされ、裏切られて来たことで、もうひとつは、合州国の国民として、悲惨な生活(生存)を強いられているからだ。

 ラコタの人びとの悲しい歴史のなかでも最も悲しい出来事は、1890年12月に起きた「ウンデド・ニー」(サウスダコタ州の地名)の悲劇だ。騎兵隊が150人を超えるラコタの人びと(婦女子を含む)を虐殺した事件である。

 度重なる「条約(ララミー砦条約)違反」に怒ったラコタの人びとは土地の返還を求めて、合州国を相手に訴訟を起こして来たが、連邦最高裁が1980年に「補償金」の支払いを命じる判決を下しただけで、先祖代々の土地はついに還らぬまま。(ラコタの人びとは、なお補償金の受け取りを拒否している)

 「貧困率97%」「平均寿命44歳」が物語るように、条約締結から155年過ぎた今になっても、悲惨な生活は変わらず、これ以上、連邦に留まる意味がないと、独立を通告した。

 アメリカで、ID(身分証明書)代わりに使われている「運転免許証」を破り捨て、連邦政府に対する納税拒否を宣言している。

 「ラコタ共和国」は、ラコタの人びとでなくても国民になることができる。合州国の国籍を放棄するだけでいいのだそうだ。
 「国内」での税金はゼロ。「中央」による「統制」の縛りもなく、各コミュニティーがそれぞれ一個の自治体として、生きてゆく……。
 つまりは、「旧大陸」の白人たちが侵入する以前の「新大陸」に戻るわけだ。

                    ◇

 「ラコタ」の人びとの「独立宣言」を読んで、思い出したことがふたつある。

 ひとつは、インディアンの学校のことだ。

 これは前に一度、書いたことだが、1980年代の半ば、ミネソタ州のAIM(アメリカ・インディアン運動)の学校、「サバイバル・スクール」を訪ねたことがある。

 そのインディアンの自治学校に、これから取材に行く、と知り合いの白人に言ったら、嫌な顔をされた。その白人は「進歩的」な、知的な人だったが、それでもそんな反応だった。
 インディアンの人びとの土地と生活を奪ったことは、白人入植者の末裔にとって、原罪のようなもの。それを認めたくないらしい。

 サバイバル・スクールは刑務所内にも分校を設置していた。自分たちの言葉を教え(学び)、民族の誇りを取り戻してもらう(取り戻す)のだ。
 その学校のディレクターは、日系3世の男性だった。ナカジマというその若者に会えて、嬉しかった。

 もうひとつは、わたしにとってたった一人の、インディアンの旧友のことである。

 わたしがミシガンの大学町にいた頃、下宿の屋根裏部屋に、インディアンの男が住んでいて仲良くなった。いくつかの大学、コミュニティー・カレッジで、英文学を教えている詩人だった。数歳年上の、もの静かで、孤独な男だった。
 
 有色人種がほとんどいないその町で、わたしも孤独で、わたしも白人でなかったから、ウマが合った。

 スティーブ・クロウというその詩人は、自分はスー族だと言った。

 その彼が、「ラコタ」独立をどう思うか、聞いてみたい気がする。 
                      
 
⇒  http://www.republicoflakotah.com/portfolio.html

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Posted by 大沼安史 at 12:55 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2008-01-01

〔コラム 机の上の空〕 「氷の国」から届いた「平和の光」……新年、明けましておめでとうございます。

 時々、小田原の先へ、小田急で通っている。箱根ではなく手前の風祭へ。ボランティアで出かけている。
 暮れの車窓から丹沢の山を見て、少し怖くなった。雪がまったく、ない……。
 しばらくして、ようやく、真白き富士の嶺が見えて来て、少し、ほっとした。

 ことしの冬ほど、「雪」や「氷」の貴さを思ったことはない。「地球暑熱化」(「温暖化」という言葉は、やめにしよう)は、「雪や氷」がまさに純粋な生の宝物であることを、かけがえのないものとして、わたしたちに教えてくれた。
 雪が積もり、氷が張らなければ、ほんとうの春は来ないのだ。

               *    ◇    *

 北大西洋に小さな島国がある。文字通り、「氷の国」、アイスランド。賛美歌を国家にしている「雪と氷の共和国」だ。北海道と四国を合わせた大きさの国土。人口は30万人だから、宮城県の7分の1程度。

 雪と氷に閉ざされ、守られたこの国は、火力発電所もなければ原発もない、自然エネルギーの国でもある。「水力」と「地熱」による発電。

 水の力と地の熱で30万の人びとが生き、経済活動を続けている。最新の調査(2006年)では、国民1人あたりのGDP(国内総生産)は、ルクセンブルク、ノルウェーに続き、世界3位。

 前年、05年の15位から「18位」に転落した、真っ赤に燃える斜陽・日の丸の日本とは、同じ島国でも大違い、対極に位置する。

               *    ◇    *

 その「雪と氷、水と地と人」の国の首都、レイキャビィーク(レイキャビック)からフェリーで5分のヴィーズエイの小島に、昨年(07年)10月9日、不思議な灯台が生まれた。

 その日、「10月9日」は、あのジョン・レノンの(生きていれば67回目の)誕生日。

 不思議な灯台は、ジョン・レノンの妻、オノ・ヨーコさんが、「二人」の願いを込めて建てたもの。
 
 「イマジン・ピース・タワー」……。「イマジン」とはもちろん、レノンが作って歌った、あの歌である。

 地熱を利用したもので、地面に開いた直径10メートルの照明装置から、光の円柱が空に向かって伸びてゆく、平和の灯台。

 台座には、「イマジン」の歌詞が各国語で刻まれている。

 この「ピース・タワー」のアイデア、「二人」が出会った40年前に生まれたものだそうだ。そのイメージを、彼女がアイスランドでカタチにしたのは、この「氷の国」こそ、地球のエコと世界の平和を再生してゆく足場になる場所だと考えたからだ。

               *    ◇    *

 「イマジン・ピース・タワー」は、ジョン・レノン誕生日の10月9日から、彼がニューヨークで射殺された命日の12月8日まで2ヵ月間、光を放ち続け、大晦日の07年12月31日にも再び、点灯された。

 「生」と「死」の間と、「世界の新年の夜明け前」に。

 アイスランドと日本の時差は(マイナス)9時間。つまり、現地の24時は、日本の朝の9時。

 「氷の国」で立ち上がった「平和の光」は、日本の元日の朝の「光」でもあったわけである。
 
               *    ◇    *

 「イマジン・ピース・タワー」は、「平和の光」をネットを通じ、言葉とイメージ(像)でも放っている。イマジンピース・ドットコム(www.imaginepeace.com) 

 その「想像・平和」サイトに、オノ・ヨーコさんの新年(2008年)のメッセージが載っている。一部を紹介しよう。

                   
        すべての人に、喜びに満ちた2008年があるように。
           わたしたちは、こう言ったことがあります。
        「恐れることなく、それをいいものにしようと願おう」と。
         愉快にゆこう。体中で笑って。そして踊ろう!

             イマジン・ピース(平和を想い)
          平和を考え、平和を行い、平和を広げよう

               *    ◇    *

 オノ・ヨーコさんのメッセージのそばの、ビデオの画面をクリックすると、ブッシュ大統領の言葉と、イラク戦争の現場を重ね合わせた作品が流れた。

 ブッシュの言葉を、さまざまな演説、発言から採取したのをつなぎ合わせたもので、ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を「朗読」するように編集されている。

 別のビデオを見ると、少女たちが替え歌を合唱する作品もあった。

  WAR IS OVER, if you want it!  BUSH IS OVER, if you want it!
(わたしたちが願えば戦争は終わる! わたしたちが願えばブッシュは終わる!)

 そしてオノ・ヨーコさんがこう言う(2007年のクリスマス・ビデオ・メッセージ)。

  WAR IS OVER, if you want it! これってほんとに「クール」(cool)じゃない!

  ここで言う「クール」とは、シャキッと冷涼な、正しく素敵な凄さの意味である。

               *    ◇    *

 戦争のない平和な世界をイマジン(イメージ)することは、アイスランドのような、白く、ピュアな、正気の世界に帰る、第一歩のような気がする。

 そして、平和な世界をイマジンするには、心の中で「イマジン」を歌ってみるのが一番だ。

                    ♪ above up only sky
                               imagine all the people
                               living for today

                             *     ◇    *

 誰にだって空がある。机の上にも空がある……。

 いや、なければならない。

 わたしの前には机がある。だからその上でものを書く……。

              ♪ above up only sky!
                imagine all the people
                  writing for today

 新年、明けまして、おめでとう!
 

 http://www.imaginepeace.com/news.html

  http://www.imaginepeace.com/NewYear2008.html

 http://www.remus.dti.ne.jp/~todo/imaginekashi.html

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Posted by 大沼安史 at 12:59 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-30

〔コラム 机の上の空〕 ロバでも分かるパキスタンの真実

 昔、カイロに駐在していた頃、かの国の尊き権力者をホマール(ロバ)と書いて、かの地の役人にとっちめられたことがある。署名入りの記事を東京の大使館員が読んで、国の上司にご注進に及んだのだ。

 日本でロバは「可愛らしい働き者」ってプラス・イメージ、ぼくとしては褒めたつもりなんですけど……と弁解にもならない弁解をして、ようやく勘弁(国外追放??)してもらった。

 ロバってバカのことを言う……。
        
                 ☆

 英紙インディペンデント(電子版)に、ロバート・フィスク記者のコラムが出ていた。題は、「誰もアルカイダを非難していない。ムシャラフ(大統領)を非難している」。ベナジール・ブット女史の暗殺をめぐる解説コラムである。

 そこに、こんなくだりが……。

 「善・悪をハッキリさせるロバが、あのラワルピンディでの惨劇の現場から、真相を告げに現れたとしても驚くべきことではない」……ということは、つまり、「ロバでもわかる暗殺の黒幕」ってわけ。

 すなわち、「アルカイダ」がどうの、といった煙幕が早速、張られているが、「真犯人」はロバでなくとも(いやロバであるなら??)お見通し、とフィスク記者は指摘しているのである。

 ロバが前脚を上げて犯人だと「指?差す」のは、「ムシャラフ」、および、その黒子を務める「ISS」(軍情報部)。

 そして、そのロバ……いや、フィスク記者は、騙されやすいわれわれ読者に対して、「ムシャラフ大統領」と答えれば「正解」になる、「今月、ベナジールの支持者数千人を逮捕するよう命じたのは誰ですか?」など、4つの質問を並べたあと、最後にこう問いかける。「それでは、ベナジール・ブットを殺したのは誰でしょう?」と。

                 ☆

 ブット女史暗殺の後、ブッシュ政権は例によって「テロリスト」の犯行と決めつけ、「非難」の言葉を投げつけているが、それはブッシュが米国民を――、さらにはブッシュ政権に追従するわれわれ日本国民を、ロバにも劣る、判断力のない者と見下しているからだ。

 日本のマスコミに、フィスク記者並みの眼力と筆力を期待することは土台、無理なことかも知れないが、せめてロバ並みの愚直さ、一徹さぐらいは期待したい。

 ロバでさえすでに、前脚の蹄を上げ、こう言い切っているのである。「黒幕はムシャラフだ」と。

 人間(主流ジャーナリスト)である君たちに、書けないわけはないだろう。

⇒  http://news.independent.co.uk/world/asia/article3291600.ece

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Posted by 大沼安史 at 10:27 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-28

〔コラム 机の上の空〕 「東の娘」 ベナジール・ブット、暗殺さる 

 ブッシュ政権が「テロとの戦争」の舞台回しに使って来たパキスタンで、危機が一段と強まっている。

 ベナジール・ブット女史の暗殺は、この国のイスラム原理主義への傾斜と「アフガン化」を、ますます加速してゆく恐れを秘めている。

 米国は「冷戦」の最終局面における「アフガン戦線」で、パキスタンを後方支援基地に、「イスラム原理主義」のエネルギーを利用して、対ソ連との戦いに勝利を収めた。(映画の「ランボー」を見よ)

 その際、手駒化したパキスタン軍部、軍情報機関を再利用し、イスラム過激派を泳がせながら、見事に「9・11」を演出、「テロとの戦争」をフレームアップし、イラクを軍事占領し、石油の確保に動いた。(パール記者謀殺、アタ容疑者への送金、などなど)

 親米派のブット女史の暗殺は、そうした米国による操作と制御が、ここに来て遂に行き詰ったことを意味する。

 今回の女史の暗殺について、イスラム過激派による犯行説と、ムシャラフ政権内の一部分子によるもの、との二つの見方が出ているが、元々はともに米国が直接、間接に育てたもの。ブッシュ政権としては、手痛いしっぺ返しを食らったかたちだ。

 今後の焦点は、ムシャラフ氏がどこまで国内を掌握し続けることができるか、にあるだろう。収拾不可能な事態になりかけたら、米軍は特殊部隊を派遣、「イスラムの核」の「破壊」に乗り出すに違いない。

 パキスタンは新年、2008年において、ブッシュ政権の「テロとの戦争」の「東部作戦基地」から、「正面」の座に昇りかねない様相だ。

 自らをデモクラシーの「東の娘」(自伝のタイトル)と呼んだベナジール・ブット氏の死は、より深い混迷と混乱の始まりを意味する。

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Posted by 大沼安史 at 04:31 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (2)

2007-12-26

〔コラム 机の上の空〕 ありがとう、オスカー・ピーターソン

 ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンが亡くなったと聞いて、悲しいというより、ありがとう、という思いが先に湧いた。

                   ♪

 この10数年というもの、苦しくなると、いつもCDを引っ張り出し、「自由への賛歌」をリピートで聴き続けて来た。

 鼓舞してくれる演奏ではなかった。優しく慰める演奏でもなかった。

 でも、黙って聴いていると、どこか隅の方から心の入り込んで来て、まるで白血球のように苦しさの塊を着実に分解してくれる。晴れ間が生まれる。

 それはたぶん、あのトレモノの効果のせいだろう。

 聴いているうちに、トレモノの波に洗われているうちに、苦痛は和らぎ、どこか下の方から、白い砂浜のような安心感が湧いて来る。

                  ♪

 安心は動機を生み、離脱する力を与えてくれた。だからわたしは、翻訳の仕事を続けて来れたのだ。

 自分の過去を離脱し、アルファベットの連なりを、その瞬間において一つずつ辿りながら、先へ、先へと併走する。

 それは過去からの逃避であったかも知れないが、現在(現実)になんとか踏みとどまろうとする努力だったような気もする。

 「自由への賛歌」を飽かず聴き続ける安心感の中で、わたしは「現在」を過ごすことを繰り返し、いま、ここに至っている。
 

                   ♪
                   

 リベラシオン紙の死亡記事(電子版)で、昨年4月の生演奏のビデオを見て(聴いて)、素直に脱帽した。

 1年半前というと、80歳か81歳のときの熱演。
 脳溢血でマヒした左手を少しかばっているようにも見えたが、迫力ある演奏だった。

 オスカー・ピーターソンはその年齢にして、ジャズという今を、未来へ向けて生きられる時間を、見事に、精力的に生き抜いて見せた。

 曲目は「ケーク・ウォーク」。スローな「自由への賛歌」と反対に、速いテンポの演奏。

 慰めてくれはしないが、あの巨体で胸倉をつかみ、ぐいと引きずり上げ、鼓舞してくれる演奏ではあった。

 生前の安心プラス死後の励まし。

 ありがとう、オスカー・ピーターソン。 

  

http://www.liberation.fr/culture/300214.FR.php

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Posted by 大沼安史 at 12:08 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-12-24

〔コラム 机の上の空〕 駱駝(ラクダ)は死んでも、ドラゴン(竜)は生きる……?

 英紙オブザーバー(電子版、12月23日付け)に、怖い記事が出ていた。
 駱駝(ラクダ)が中東、北アフリカで謎の大量死を遂げているのだそうだ。
 何気に読んでいるうち、怖さが増した。

                ◇

 突然の大量死は、昨年から始まったそうだ。
 このうち、サウジアラビアの首都、リヤドの南では、2000頭のヒトコブラクダが死んだ。
 非公式な推定では5000頭近くに達する――。『サイエンス』誌が17日(月)の週に報じて、明らかになった。

 サウジ政府が西側機関にラクダの血液を送って検査を依頼した結果、犯人らしきものがふたつ、分かった。ひとつは養鶏に使う抗生物質。もうひとつはマイコトクシン(真菌毒)。ラクダの飼料に含まれていたようだ。

 が、専門家はそんなものでラクダが死ぬわけない、と首をかしげている。

 地球温暖化=真犯人説も出ている。砂漠の暑熱化がさらに進み、病気を運ぶ昆虫が発生してラクダに取り付いた、との見方である。

 その記事に、強烈な写真が付いていた。
 一頭のラクダが地面に倒れ、死体から体液のようなものが流れ出ている。そばには、野犬かハイエナが一匹……リヤド近郊の砂漠の道路脇で撮られた写真だそうだ。

                ◇                

 ラクダは、われわれ日本人にとって、「忍耐」のシンボルでもある。
 一週間、飲まず食わずで、それでもゆっくり砂丘を越え、静かに歩いてゆく「砂漠の舟」。
 その驚異的な持久力は、コブの中に脂肪を蓄えることができるのと、血液を冷却する赤血球機能を持っているからだ。

 そして、あの「月の砂漠」の美しいイメージ。

 素っ頓狂なカワイイ顔をしていることもあって、日本でもラクダ・ファンが多い。〔サイト検索をしてみて分かった〕。
 そんなラクダ愛好者たちが「突然死」の報に触れたら、きっと嘆き悲しむことだろう。

                ◇

 我慢強いラクダまで死んでゆく、わたしたちのエコ・ロジー(地球環境)。そうした「自然環境」の極度の劣化に加え、われわれのエコ・ノミー(経済環境)も、いまや死に体である。

 まるで温暖化ガスのように、生産・生活の営みとは無縁の圏外に「超格安マネー」が「大量放出」され、その挙げ句、世界の各地で発生した「バブル」は弾けて、「世界恐慌」一歩手前のような危機的事態が広がっている。

 蟻のような日本の一般国民は、これまで何十年もの間、懸命に働き続け、コツコツ貯めて経済成長を下支えして来た。そんな下々の世界を見下しながら、日本の政府と中央銀行は、「別世界」へ向けて「円」の大出血を続けた挙げ句、遂に行き詰った。「財政破綻」と「国家崩壊」に、とうとう行き着いてしまった。

 特権層が浮かれまくったあとに、寒々とした貧困の荒地が広がる。権力者が吸い尽くしたあとに、生活の砂漠が広がる。

 オブザーバー紙の写真の、地上に横たわるラクダとは、われわれ日本の庶民のことかも知れない……。

                ◇

 それにしても、もしわれわれが「ラクダ」なら、生活苦になど無縁の権力者どもは一体、何者なのか?

 その「答え」に代えて、本ブログで先に引いた、英国人ジャーナリスト、エマ・ラーキン女史のミャンマー・ルポ、『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』に出ていた、ビルマの昔話風の小噺を紹介することにしよう。

                *

 昔むかし、あるところに竜が住んでいました。
 

 竜は毎年、山から下りて村に現れ、食べ物や酒とともに、村一番の美しい娘をさらってゆくのです。

 竜が村を襲うたびに、毎年、若者が一人、竜を退治しに山に向かうのですが、誰一人、戻って来ません。

 ある年のこと、村の長老が山に向かう若者をこっそり追いかけました。若者の身に何が起きるか、その目で確かめてみようというのです。

 若者は竜に近づくや否や、剣を引き抜き、なんと一刀の下に竜を斬り殺してしまったではありませんか……。

 若者は竜退治を終えると、その場で竜の残したものを食らい、酒を飲み始めました。

 すると、若者の体は次第に竜に変身して……遂に、恐ろしい山の竜へと姿を変えてしまったのです……

                ◇

 アメリカの「波止場の哲学者」、エリック・ホッファーは数多くの箴言(アフォリズム)を遺した、わたしの大好きな人だが、その箴言の中に、「竜(ドラゴン)とは、獣に化けた人間である」という「定義」がある。

 ラーキン女史も書いているように、軍政権力がはびこるビルマでの言い伝えでもそうなのだから、ホッファー氏の言う通り、「竜」とはたしかに、獣に化けた人間、人間が化けてしまったものに間違いないだろう。〔獣が人間に化けたものを、ホッファー氏は「悪魔」だと言っている……〕

 それでは、いまの日本社会において、「竜」となった人間とは具体的に誰を指すのか?

 答えは至って簡単――。それはたとえば、あの守屋前防衛省事務次官である。

 彼もまた国家権力の牙城に入って、「竜」に変わった男なのだ。

 わたしは30年以上も前、仙台の東北大学法学部のキャンパスで、その守屋クン(1年先輩らしい)と言葉を交わしたことを、なぜだか覚えている。

 黄色っぽいジャンパーを着た守屋クンは、いま以上に、優しく、善良そうな顔をしていた。

 そう、あのかわいいラクダのような、丸い笑顔で……。

                 ◇

 石破防衛大臣は「モスラ」や「ゴジラ」が出てきたら自衛隊を出動させると言ったそうだが、至急、退治しなければならないのは、国民をないがしろにし、骨の髄までしゃぶり続けて来た、主に国家公務員上級試験合格の、霞ヶ関・永田町・市ヶ谷界隈に生息する「高級ドラゴン」どもである。
 
 それにしても「ドラゴン桜」とは、よく言ったもの。

 「守屋ドラゴン」の「尻尾切り」で、コトを収めてはならない。


http://www.guardian.co.uk/science/2007/dec/23/animalbehaviour.scienceofclimatechange/print

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Posted by 大沼安史 at 05:39 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-16

〔コラム 机の上の空〕 「不都合な真実」と「都合のいい嘘」 ノーベル平和賞受賞、アル・ゴア氏と佐藤栄作氏の「公約」スピーチ

 「偽」が「2007年の漢字」に選ばれた。「偽」ブランドそろい踏みによる、晴れの受賞だ。めでたくも、情けない限りのことではある。

 先日、ラジオのキャスターからコメントを求められ、ぼくが選ぶなら、詐欺の「欺」ですね、と答えた。

 国民を欺く「欺」、国民の虎の子、「年金」を掠め取る「欺」、「最後の一人まで」と選挙「公約」で欺いた「欺」。

 「偽」より「欺」の方が、よほど悪質である。
 
 ことしのワーストワンは「欺」ですよ、と答えたあと、「嘘」と言った方がわかりやすかったかな、と思い返した。

 「3月まで……」の「嘘」、「最後の一人まで」の「嘘」、「同席しなかった」「嘘」……「嘘」「嘘」「嘘」、「欺」「欺」「欺」続きの「2007年」ではあった。

                  ◇

 地球環境保護運動の先頭に立つ、前の米国副大統領、アル・ゴア氏の「ノーベル平和賞」受賞スピーチ(テキスト)を、ノーベル財団のサイトで読んだ。

 その中でゴア氏が、「漢字」2文字を紹介していた。

 「危機」――。

 ……中国と日本で使われている漢字では、“クライシス(crisis)”は、ふたつの文字で書かれます。最初の文字の意味は「危(デインジャー)」、ふたつ目は「機(オポチュニティー)」。気候の「危機」に立ち向かい、その「危」を除去していくことでわれわれは、あまりにも長い間、無視してきた他の危機をも解決する、われわれ自身の能力を途方もなく増大させる道徳的な権威とヴィジョンを獲得する「機」を得ることになるのです……
  
 In the Kanji characters used in both Chinese and Japanese, "crisis" is written with two symbols, the first meaning "danger," the second "opportunity." By facing and removing the danger of the climate crisis, we have the opportunity to gain the moral authority and vision to vastly increase our own capacity to solve other crises that have been too long ignored.

 ゴア氏に指摘されて気がついた。「危・機」とは、「危険」と向き合い、対決し、解決して行く「機」であることに。

 それはごまかすことでも、やり過ごすことでも、欺くことでも、嘘で言いくるめることでもない……。

 なるほど、そうか、と思った。

                   ◇

 12月10日、ノルウェーのオスロで開かれた授賞式に臨んだゴア氏は、その足でインドネシアのバリ島に飛び、13日の「国連気候変動枠組条約締結国会議(COP13)」で演説した。

 ブッシュ政権を痛烈に批判する演説だった。

 ……わたしはこれから、ある「不都合な真実」を話したい。わたしの国、米国が、このバリにおける(会議の)進捗を妨害する、主たる責任を負っていることだ……

 I am going to speak an inconvenient truth. My own country, the United States, is principally responsible for obstructing progress here, in Bali.

 ここで言う「不都合な真実」とは、ブッシュ政権が地球温暖化阻止の闘いの足を引っ張る元凶のひとつだ、ということである。

  (ちなみに「不都合な真実」とは、ゴア氏が制作・出版したドキュメンタリー映画&本のタイトルでもある)

 ゴア氏は演説の中で、「ブッシュの米政府」を、この会議の「部屋」を混乱させている「象」だと指摘さえした。

 よく言った、それでよし、と思った。

 
                    ◇

 ゴア氏の「ノーベル平和賞」受賞講演(ノーベル・レクチャー)は、「都合のいい嘘」を暴き、「不都合な真実」に迫り、今後とも地球環境保護の闘いに断固として突き進むという「国際公約」だった。

 ゴア氏は言った。われわれの目の前には「ふたつの未来」が待っている、と。

 ひとつの「未来」の若者は、われわれに「どうして行動を起してくれなかったの?」と聞き、もうひとつの「未来」の若者は、「どうやって、解決不能の危機を解決する勇気を持つことができたの?」と聞く……そのどちらの「未来」を、われわれは選び取るのか、と。

 ゴア氏は演説を、「この目的に向かって、わたしたちは立ち上がり、行動するだろう」という「決意表明」で締めくくったが、3日後のバリでの氏の演説は、オスロでの「公約」を、最初に実地で示すものだったと言える。

 ゴア氏はノーベル平和賞受賞「公約」を、早速「COP13」の場で果たしてみせたのである。

 よし、それでいい、さすがゴア氏だ、と思った。

                    ◇

 ゴア氏の演説を読むため、ノーベル財団のサイトを覗いたついでに、われらが(?)宰相、佐藤栄作氏の「ノーベル平和賞」受賞演説(1974年)の英文(正文)テキストにも目を通した。

 驚いた。そこに、「9条」への言及があったのだ。それも、条文の引用つきで。

 日本の首相、佐藤栄作氏は、そこでちゃんと「国際公約」していたのである。

 「日本のような主要国は、この(9条が指し示す)態度を、将来において、保持することを決意する」と。(英文テキスト引用箇所の最終センテンス)

 Fully conscious of the bitter lessons of defeat in 1945 and unswervingly determined to seek an enduring peace, our people revised the old Constitution. The new Constitution is founded on the principles of the protection of human rights on the one hand, and the renunciation of war on the other. Article 9 of the Japanese Constitution stipulates as follows:

 "Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or the use of force as means of settling international disputes".

 Such a declaration renouncing the use of force in the settlement of international disputes, incorporating the philosophy of the Kellogg-Briand pact3, has been made by peoples other than the Japanese. It is noteworthy, however, that a major power like Japan should have persevered in this direction by national consensus and be determined to retain this attitude in the future.

 日本は9条を守る……佐藤栄作氏は世界に向かって、こう「約束」したのである。

 首相の座を退いて2年後のこと。

 よく言ってくれた、と思いたいところだが、そう素直に喜べないな、と思った。「晴れ舞台」でついた(つかざるを得なかった)「都合のいい嘘」だったかも……と思った。

                    ◇

 佐藤栄作氏は「沖縄返還密約」「核持ち込み疑惑」など、「裏」がありすぎる政治家だった。彼の「表」の部分(「非核3原則」)に欺かれ、「平和賞」を贈ったノーベル財団も素朴過ぎるが、嘘で固めた保守政権を戦後、ほとんど一貫して選出し続けて来た、わたしたち日本国民は、それに輪をかけて「素直すぎた」ということだろう。

 そんな「保守本流」を受け継ぐ「偽ブランド政治家」(ことし、CIAの手先であったことが、ニューヨーク・タイムズの記者に暴露された「昭和の妖怪」の孫)らに偽られ、欺かれ、嘘をつき通され、挙句の果てに「国家・社会崩壊」の瀬戸際に追い込まれた、「2007年、日本」の年の暮れ。

 ゴア氏の言うように、「危・機」とは、危険を克服するチャンス。

 新年、2008年を世直し……日本直し、地球直しの「元年」とする。

 それしかないのだな、と素直に思った。 
  

〔ゴア氏、受賞スピーチ〕

 http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/2007/gore-lecture.html

〔佐藤栄作氏 受賞スピーチ〕
 http://nobelprize.org/cgi-bin/print?from=%2Fnobel_prizes%2Fpeace%2Flaureates%2F1974%2Fsato-lecture.html

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Posted by 大沼安史 at 05:09 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-10

〔コラム 机の上の空〕 バングラデシュ・サイクロン被害 「グラミン銀行」が救援活動

 先日、東海道新幹線の小田原駅のホームで「こだま」を待っていたら、「ひかり」が物凄い勢いで、目の前を通過して行った。

 空気を切り裂く、一本の楔(くさび)となって轟々と走り抜けて行く。

 11月にバングラデシュを襲ったサイクロン(熱帯の台風)「シドル」は、この速度、この風圧で、「ひかり」のような「点」ではなく、空いっぱいの「面」――それも連続する「面」として、つまり「大気の大津波」となって、襲い掛かって来たのだな、と、そのとき思った。

 バングラデシュの「グラミン銀行」のサイトに、「シドル」の風速が時速240キロ(秒速67メートル)に達した、と出ていたのを思い出していた。

                ◇

 11月15日、バングラデシュを直撃した「シドル」は、ベンガル湾に面した南アジアのこの国を、文字通り引き裂いた。

 死者10000人以上。数百万人が飢餓に直面している。

 国際赤十字社や「国境なき医師団」が現地入りしているが、復興は遅々として進んでいない。

                ◇

 「シドル」被災の報を聞いて、「グラミン銀行」のサイトにアクセスしたのには理由がある。

 昨年、ノーベル平和賞を受賞したエコノミスト、ユヌス博士の「グラミン銀行」なら、きっと救援に動き出しているのないか、と思ったからだ。

 貧しい人に、貧しい人から、それも無担保で融資し、社会的な自立を支援する「グラミン銀行」(グラミンとはベンガル語で「村」の意味だそうだ)なら、必ず支援に動き出しているに違いない。そう思ってアイコンをクリックした。

 思った通りだった。

 「グラミン」は――ユヌス博士たちは動いていた。
 「シドル」来襲が分かったときから。そして今も。

 すごい「銀行」だと思った。「銀行」の枠を超えている……いや、本来、「銀行」とはこうあるべきではないか、と思った。

                ◇

 「グラミン銀行」は「シドル」上陸に備え、対策本部を設け、被災情報の収集と支援対策づくりに乗り出した。

 被災した「支店」は366ヵ所、「融資センター」は13125ヵ所。

 「グラミン」から融資を受けている人(その家族を含む)で亡くなったのは931人。同じく行方不明者は1071人。

 また、「グラミン」の「メンバー」で家屋を失った人は321510人。家畜をなくした人は46000人。

 「グラミン銀行」は早速、スタッフを被災地に派遣し、救援活動に入った。

                ◇

 被災したメンバーの返済をとりあえず来年6月まで停止することにした。被災の状態によっては、返済猶予を、それ以上の期間、認めることにした。被災者からは元本の返済は受けるが、利子は受け取らないことにした。

 無利子の住宅再建ローンを(もちろん無担保で)貸し出すことにした。被災の程度が最もひどい世帯には10000タカを貸し出す。

 「グラミン」のメンバーになっていない被災者に対しても、新規の融資をすることした(もちろん無担保で)。

 学生には奨学金を融資することにした。高卒資格試験の受験料は、「グラミン」が肩代わりすることにした。

 「融資」だけではなく、被災者に対し、食糧や生活必需品を買うための「現金」供与も始めた。

                ◇

 金銭的なバックアップに加え、「グラミン銀行」は医師、看護師らによる医療チームを派遣し、被災地に「医療センター」を開設した。

 井戸を掘り、浄水装置も設置し、被災地の家畜の世話をする係りも配置した。

 毛布を配り、煮炊き用のポットなどを供給した。

 被災者に野菜の種子を配って歩いた。

                ◇

 「グラミン」の救援活動のあれこれを列記したのは他でもない。「銀行」が「地元」のために、「人びと」のために、ここまで、これほどまで支援に動いている……このことに心を動かされたからである。

 「シドル」の残した「死の谷」(グラミン銀行のサイトに、こう書かれていた!)に向かい、「マネー」を手渡し、生きる希望の種まきを続ける「グラミン」の「銀行員」たち。

 その姿を思うと、何か温かな、勇気付けられるものが、千の風、いや万の春風になって、はるかバングラデシュの地から優しく吹いてくるような……そんな錯覚にとらわれ、日本の「銀行」もそうあってほしい、そう変わってくれ、と痛切に願った。 

⇒ http://sidr.grameen.com/index.php?option=com_content&task=view&id=133&Itemid=1

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Posted by 大沼安史 at 12:43 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-12-04

〔コラム 机の上の空〕 笑いの圧殺、または、ビルマ的「オーウェル世界」

 英国の女性ジャーナリスト、エマ・ラーキンさんが書いた『ビルマでジョージ・オーウェルを探す』(ペンギン、2004年刊行)に、いつも「高笑い」で答える、ビルマ人観光ガイドのことが出ている。

 「政治」にちょっとでも触れた質問をすると、ガイドの彼は決まって「高笑いをし、そのあと黙りこんでしまう」のだそうだ。まるで、質問を耳にしなかった、かのように……。

 何年か前、彼女がビルマ入りして取材していたときのことである。だから、「今」のことではない。

 質問に対する「高笑い」、そして「沈黙」は、ガイドの彼の暗黙の同意であり、事実の確認だったろう。

 僧たちの平和デモに血の弾圧が行われた今はもう、「高笑い」「沈黙」で「答える」こともできなくなっているのではないか。

              ◇

 ラーキンさんの本に、「歯医者のジョーク」というのが紹介されている。ビルマ人の「知人」の何人かとテーブルを囲んだ雑談していたときのこと、その一人が「ことさら眉をひそめ、ニヤリ笑いの兆し」を見せた……。

 とっておきの「冗談」を披露しようというのである。

 「あるとき、ひとりのビルマ人が近隣の国まで旅し、歯医者を訪ねました。歯医者は遠くから、わざわざ訪ねて来たのに驚き、こう言いました。『お国には歯医者はいないのですか?』。ビルマ人は答えました。『いますよ、いますとも。歯医者はいっぱいいます……でも問題がひとつあります。われわれは、ビルマじゃ口を開けられないんですよ』」

 言論の自由のないビルマ。軍政に対する「風刺」「あてつけ」さえ許されないビルマ。

              ◇

 僧たちが平和デモを続けていた9月25日、マンダレーの街で、コメディアンのウ・パル・パル・レイさん(60歳)が逮捕された。

 パル・パル・レイさんは「髭の兄弟」一座の座長。

 一座はビルマの伝統演芸「アーニャイ・プウェイ」の流れを受け継ぐ寄席芸人集団で、人形劇や笑劇を出し物に、かつては国内各地を巡業していたが、軍政当局にビルマ人の前での上演を禁じられ、いまはマンダレーで外国人観光客相手の「小屋」を開いている。

 そのレイさんのとっておきの「政治ジョーク」も、その「歯医者のジョーク」であることを、ニューヨーク・タイムズ紙のマンダレー発の記事(10月29日付け)を読んでわかった。

 レイさんのは、レイさん自身がインドまで出かけて行って歯医者にかかるバージョン。
 「一人称」の主体的・政治的なジョークである。

              ◇

 1996年に続く2回目の逮捕だった。

 その年の1月、「髭の兄弟」一座は、ヤンゴンのスーチー女史宅で巡業公演を行う。外国の大使らも観に来たその席で、レイさんは軍政をあてこすり、公演後、逮捕された。
 7年の刑を言い渡されたレイさんは、国際的な救援活動が強まる中、2001年7月に釈放された。

 そのレイさんの十八番に、「ツナミ(津波)のジョーク」というのがある。

 ミャンマー(ビルマ)の将軍が亡くなって、大きな魚に生まれ変わった。そこに、大津波が押し寄せて来た。大魚は海面に浮上し、津波に向かって叫んだ。「津波よ、止まれ。お前さんのすること、もうこの俺さまがしていることだから、押し寄せたって無駄だよ」と。

              ◇             

 軍政はまさにビルマの地上のすべてを破壊し尽くし、民衆の自由を流し去った。その実態はラーキンさんの著書に詳しいが、一言で言えば、ジョージ・オーウェルが描いた『1984年』のあの世界である。

 人びとが互いに監視しあい、密告しあい、権力者の意のままに操作され、無慈悲に抹殺されてゆく、あのオーウェル的世界の現代版、それがいまのビルマ(ミャンマー)である。

 オーウェルは大英帝国の警察官として5年間、ビルマに駐在し、その後、作家に転身(最初の著作は『ビルマの日々』)し、やがて『1984年』を書くことになるが、その彼がビルマの現状を目にしたら、どんな思いを抱くことだろう。

              ◇

 レイさんの2度目の逮捕は、「アムネスティー・インターナショナル」や、「英国ペンクラブ」などの手で全世界に報じられ、救援活動が広がった。

 幸いなことに今回は、ニューヨーク・タイムズが現地取材で事実経過を確認し、紙面で報じるや否や、翌30日になってレイさんは釈放された。軍政当局としては、「国際世論」が高まる前に釈放してしまえ、と判断しただけのことだろう。

              ◇

 ラーキンさんによれば、ビルマで教師など公職に就くには、「33問の口頭試問」にパスしなければならないという。

 あなたはいまの政府を支持しますか?  
 この国にもっともふさわしい政治体制は何ですか?……

 それらの問いに「支持しません」「デモクラシーです」などと答えようものなら、結果は目に見えている。

 「デモクラシー」と正直に答え、教職に就くチャンスを自ら閉じたある男性は、こうした「踏み絵」について、ビルマ国民の「思考力」を奪う狙いが込められている、とラーキンさんに語ったそうだ。

              ◇

 奪われる思考力、言論の自由、笑い……。これはまさに、「ウィンストン・スミス」が直面した「オセアニア」における「1984年」状況だが、ビルマの「2007年」状況では、権力者がまだ、「地下」または「内心」を完全に支配しきれないでいる。

 それのひとつの現れが9月の僧の決起であり、その後も続く、レジスタンスの動きであるのではないか。

 1988年の学生・市民の民主化デモの際、学生たちは縁起をかついで「4つの8」を期して行動を起こした。(8年8月8日午前8時)

 ことし9月の民主化デモでは、僧たちが聖なる数の9にこだわり、9日から9日間、準備をしたあと、9月18日(18は9の倍数)にデモを始めた。

 僧までも殺した軍政に対する、ビルマ民衆の最終的な決起がいつ起こるか?

 「旅回りの役者」や「あどけない子ども」がするという「ダバウング」という「聖なる予言」が出たという知らせは、まだビルマから伝わって来ない……。 
  


http://web.amnesty.org/pages/mmr-051007-feature-eng

http://afp.google.com/article/ALeqM5jbLSnmWgGGvSId2MBMIiM7Td3mPA

http://www.iht.com/articles/2002/02/07/edpringle_ed3_.php

http://www.scoop.co.nz/stories/print.html?path=WO0711/S00520.htm

Posted by 大沼安史 at 09:45 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-11-16

〔コラム 机の上の空〕 11月16日夜、町田の盛り場での出来事

 妻の命日(10月26日)を過ぎても、なぜか苦しくてたまらない。

 ことしは雨の中、仙台西郊の丘の上にある墓参を済ませた。線香が濡れて火が回らなかった。

 そのせい、かも知れない。いつもの年なら、命日が過ぎると、気持ちが少し楽になるのだが、ことしは何故か違う。

 今日も朝から苦しくて、夕方、JRで町田に出た。駅のすぐ近くにある馴染みの店に向かった。

 その居酒屋の主人から、なぜか初めて「おにいちゃん」と呼ばれた。「何年の生まれ?」と聞いて来るので、「昭和24年、2月。間もなく59歳」と答えた。

 坊主頭の店の主人は「やっぱり、おにいちゃんだ」と笑って、ツマミの量を増やしてくれた。

 いつものように、したたかに飲んだ。ビール、そして、焼酎のお湯割りを6杯。

 フラフラになって店を出て、駅に向かった。

 東急デパートの裏の角で、杖をついた若い女性が方向を見失い、ガードレールに衝きあたりそうになっていた。

 近くにいた客引きの若い男女が目配せし、女性の方が盲目の彼女に近づいていった。

 心配で見ていると、客引きの若い女性は、盲目の彼女に手を差し伸べ、やさしく誘導するではないか。

 盲目の彼女は、その後も道を見失い、向い側の町田市の施設の入口の前で立ち往生してしまった。

 それを見ていた客引きの男が相棒の彼女となにやら言葉を交わした。

 客引きの彼女は持ち場を離れ、盲目の彼女のところへ駆け寄り、ビルの入口へと一緒に階段を登って、杖をついた彼女が中に入るのを見届けてから帰って来た。

 その客引きの彼女が、駅に戻るわたしを追い越して、狙いをつけた女性をつかまえ、何やら話しかけ出した。説得が失敗に終わったらしく、すぐわたしの方へ引き揚げて来た。

 すれ違う瞬間、わたしは思い切って、彼女に声をかけた。

 「お姉ちゃん、おれは全部、見ていたよ。あんたら、いいやつだな。ガンバレよ、なぁ」と。

 若い彼女の目が、驚いて大きく見開かれた。ぼくの目を覗き込んで、何か言いたそうにしていた。

 大きな、美しい目だった。

 わたしは一礼して、そのまま町田駅へと向かった。

 うれしいな、と思った。

 大丈夫だな、とも思った。

 この国はまだ、大丈夫だ、こういう若い連中がいる限りは……。

 嬉しくなって感動して、酔っ払ったわたしの目から、涙があふれた。

 

Posted by 大沼安史 at 08:47 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-10-21

〔コラム 机の上の空〕 5年前にイラクで死んだ父親を想う8歳の少女のまなざし 

 ニューヨーク・タイムズ(電子版、10月21日付け)に、8歳の少女の写真が載っていた。
 5年前、3歳のとき、海兵隊員の父親をイラクで亡くした、キャメリンリーさん。

 彼女がいま、見ているのは、家の窓の外の、たぶん空だ。いや、空ではなく、父親を見ようとしている。

 ものごころのついた彼女は、父親のエリックがどんな人だったか、知りたくて仕方ない。
 ホッケー、してた? ファニーだった?

 急に母親のニコルさんに、質問を浴びせるようになった。

 そんなキャメリンリーを、窓からの光が包み込む。遅れて届いた悲しみとなって、少女を抱きしめる。

 彼女の、見開かれた大きな瞳は、われわれの世界の惨さを映し出す水晶の球だ。

 窓の外には、父親の命を奪った「世界」がある。
 これから、死んだ父親とともに生きてゆく「世界」がある。
 
 不条理なまでに透明な空を、彼女は見詰める。
  
 少女はたぶん、いま、対話を始めている。
 父親との、生涯にわたって続く対話を。

 その対話を、われわれはわれわれの自問自答としなければならない。 

  彼女の問いはわれわれの問いでもある。 

 イラク戦争遺児の一枚の写真を見て、そう思った。


http://www.nytimes.com/2007/10/21/us/21parent.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=all

Posted by 大沼安史 at 06:04 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-10-18

〔コラム 机の上の空〕 スーチー女史に捧げる歌 ダミアン・ライスの「弾かれざるピアノ」

 ビルマからをネットで追っていたら、アイルランドのフォーク歌手、デミアン・ライス(Damien Rice)さんが、スーチー女史に捧げる歌を歌っていることを知った。

 ライスさんは33歳。
 捧げる歌のタイトルは、「弾かれざるピアノ」。

 その詞がネットに出ていた。

 メロディーは、注文したCDが届くまではわからない。
 が、詞を読むだけで十分だ。
 勝手なメロディーが、ひとりでに胸の中で鳴り出す。

 ライスさんの「象」という歌の、ライブ演奏をネットで聞いた。
 優しい声の、心にしみわたる歌だった。

 「弾かれざるピアノ」も、たぶん優しく、シンプルなメロディーだろう。

 この世界に、こういう曲を書いて歌っている歌手がいる。そう思うと、ちょっと気が晴れる。そして、やはり、うれしくなる。

 この歌を、スーチーさんは聞いたことがあるのだろうか?
 

 スーチーさんのピアノは弾かれる日が来るのを待っている。
 自由の鐘のように、弾かれるその日を待っている。

 

 弾かれざるピアノ

 来て下さい わたしに会いに
 眠れるように歌って下さい
 泣かなくちゃならなときは抱きしめて

 たぶん その季節ではないけれど
 たぶん その年ではないけれど 

 たぶん これでいい理由もないでしょう
 わたしが閉じ込められていることに

 わたしをただ隠しておきたい それだけのことで
 月は煌々と輝いているのに
 彼らはわたしの夜をさらに暗くする

 弾かれざるピアノたちは
 ときどき窓辺に寄って

 愛する人の来ない部屋に
 彼女は独り 腰をおろす 沈黙の歌とともに
 誰かが届けてくれた歌とともに

 弾かれざるピアノたちは
 弾かれることを待っている

 蓋は閉じられ
 身じろぎもしない部屋に

 たぶん かんたんなことではなく
 あるいはたぶん むずかしいことでもなく

 たぶん わたしを解き放つことは
 人びとが決めてくれること

 わたしには隠すこのは何もなく
 わたしは何も悪いことをしていない
 それなのにどうして、こんなにも長く ここにいるの?

 弾かれざるピアノたちは
 ときどき窓辺に寄って

 
 愛する人の来ない部屋に
 彼女は独り 腰をおろす 沈黙の歌とともに
 誰かが届けてくれた歌とともに

 弾かれざるピアノたちは
 ときどき窓辺に寄って

 
 愛する人の来ない部屋に
 彼女は独り 腰をおろす 沈黙の歌とともに
 誰かが届けてくれた歌とともに

 
 弾かれざるピアノたちは
 弾かれることを待っている
 年は過ぎ行く
 月の満干の中で

  Unplayed Piano
   

  Come and see me
  Sing me to sleep

  Come and free me
  Hold me if i need to weep

  Maybe it's not the season
  Maybe it's not the year

  Maybe there's no good reason
  Why i'm locked up inside
  Just cause they wanna hide me
  The moon goes bright
  The darker they make my night

  Unplayed pianos
  Are often by a window
  In a room where nobody loved goes
  She sits alone with her silent song
  Somebody bring her home

  Unplayed piano
  Still holds a tune

  Lock on the lid
  In a stale, stale room
  Maybe it's not that easy
  Or maybe it's not that hard
  Maybe they could release me
  Let the people decide
  I've got nothing to hide
  I've done nothing wrong
  So why have i been here so long?

  Unplayed pianos
  Are often by a window
  In a room where nobody loved goes
  She sits alone with her silent song
  Somebody bring her home

  Unplayed pianos
  Are often by a window
  In a room where nobody loved goes
  She sits alone with her silent song
  Somebody bring her home

  Unplayed piano
  Still holds a tune
  Years pass by
  In the changing of the moon
 
 


http://www.iht.com/articles/ap/2007/10/07/europe/EU-GEN-Myanmar.php

http://www.sing365.com/music/lyric.nsf/PrintLyrics?OpenForm&ParentUnid=EEB6CD58518C72934825703C00096DA8

http://www.damienrice.com/home.html

http://en.wikipedia.org/wiki/Damien_Rice

http://www.digitalspy.co.uk/showbiz/a76368/damien-rice-joins-un-burma-campaign.html

http://www.rctimes.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070913/ENTERTAINMENT0102/709130303/1005/MTCN0303

http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2007/Oct/26-Oct-2007.html

Posted by 大沼安史 at 11:08 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-10-02

〔コラム 机の上の空〕 ミャンマー 将軍たちのゴルフ場

 英国のジャーナリスト、ジョージ・モンビオ氏がガーディアン紙に、ミャンマーの僧を支援するさまざまなアイデアを書いていた。

 ミャンマーに権益を持つ国家、企業、事業家に圧力をかけ、軍の圧制に歯止めをかけようという提案である。

 ことし1月、中国政府はミュンマーでの人権抑圧を非難する決議に拒否権を行使したが、これに対し、モンビオ氏は北京五輪のボイコットをちらつかせて、こう脅しをかける。

 「もし西側諸国が北京五輪をボイコットしたら、それは中国にとって1989年(の天安門事件)以来の最大の政治的危機になるだろう」と。

 モンビオ氏は、「世界議会」の創設など、グローバルなガバナンスの提唱者として知られるが、中国をこうさりげなく威嚇してみせるあたり、なかなかの胆力の持ち主である。

 氏はさらに、ミャンマーでビジネスを展開する、天然ガス・石油会社の「アクアティック」社などに電話をかけまくり、コメントを得ようとした努力の結果を紹介している。

 ガチャンときられたことも。

 それでも負けない、しつこさがいい。

 結局、断られまくるが、断られたことが意味を持ち、事実として読者のわれわれに迫ってくる。

 ミャンマーには日本の商社なども進出しているそうだが、日本のマスコミも氏に見習って、コメントを求めてはどうか?

 モンビオ氏は、ミャンマーから撤退した企業についても紹介している。スポーツ・シューズの「リーボック」社がそうだ。

 「リーボック」のCEOいわく。「体制が人権を抑圧しているとき、取引することは適切ではない」。

 ミャンマーでは軍政に取り入らないと仕事ができないのである。

 モンビオ氏の筆の矛先は、元ゴルファーのゲイリー・プレーヤー氏(南ア)にも向かう。

 プレーヤー氏はミャンマーに、ゴルフ場をつくったそうだ。650エーカーの水田を潰して。

 ミャンマーのゴルフ場は、なぜ問題か?
 それは軍事独裁政権の将軍たちのためのゴルフ場だからだ。
 ミャンマーではゴルフは特権階層の遊びである。

 モンビオ氏は、こう指摘する。
 プレーヤー氏は来月、「ネルソン・マンデラ記念招待ゴルフ大会」を開く予定だが、マンデラ氏は名前を使われるのを考え直すべきではないか、と。

 ミャンマーには、プレーヤー氏がつくった以外にも、ゴルフ場がいくつかあるという。ピーナツ畑を潰したりしてつくったコースだ。

 その緑の上で、日本の企業関係者らも、将軍たちと接待ゴルフを続けて来たのだろうか?

 事実としたら、嘆かわしいことである。 
  


http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2181658,00.html

http://www.monbiot.com/archives/2007/10/02/the-juntas-accomplices/

Posted by 大沼安史 at 06:25 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-09-30

〔コラム 机の上の空〕 ミャンマー 仏教の非暴力と軍事独裁の暴力 「サフラン革命」は、ひとりの兵がひとりの僧と連帯するとき、成就する

 英紙オブザーバー(電子版、9月30日付け)に、ミャンマー問題の専門家、エマ・ラーキンさんのコメントが掲載されていた。

 ラーキンさんは、『秘められた歴史―喫茶店でジョージ・オーウェルを探す』という本の著者で、ミャンマーに2年間滞在。現在はバンコクを拠点に活動している人だそうだ。

 そんな彼女のコメントを一読して、なるほどと思った。教わるものが多かった。

 そのふとつは、ミャンマーというところが、一方に2500年の仏教による「非暴力」の原則があり、他方、45年続いた「残虐な権力の支配」がある、対称的な国である、という指摘だ。

 僧の数、40万から50万人。兵士の数、約40万人。
 僧と兵は1対1のバランス。この点も、非常に対称的だ。

 さて、その「僧」のサイドが今回、動いたわけだが、こんどの僧の決起は、その一週間前まで「不可能」、ありえないと考えられていたものだったという。

 実際、「ありえないもの」が起きたのだけれど、「驚き」でもなんでもなかった。

 地下に潜って活動していた「全ミャンマー仏教僧連合」が、監視と弾圧をかいくぐってデモに打って出た。

 そういう素地があったからだ。

 ところで、その僧たちのデモは信仰上、「非暴力」なものにならざると得ない。

 とすると、現在の軍政を打倒する「力」は、「暴力」において非対称的で、「頭数」では対称的な「兵士」たちの中から生まれて来ざると得ない。

 僧に対する暴力的な弾圧は、兵士たちの中に、悪しき「業(カルマ)」を蓄積し、それに彼らが耐えられなくなったとき、「兵」は「僧」と合流するだろう。

 ラーキンさんの友人の僧は、「ミャンマーでは何でも起こる」と言ったそうだ。

 軍政の手先をさせられた兵士が反乱を起すという意味だそうだ。

 ひとりの兵士がひとりの僧と手をつなぐとき、ミャンマーは変わる。 


http://observer.guardian.co.uk/comment/story/0,,2180411,00.htmlhttp://observer.guardian.co.uk/comment/story/0,,2180411,00.html

Posted by 大沼安史 at 06:41 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (3)

2007-09-25

〔コラム 机の上の空〕 風立ちぬ 回れ、平和の風車

 九月もそろそろ、終わり。秋風が、高原から平野に舞い降りて来ました。
 静かな秋、祈りの秋。

 秋風に運ばれ、アメリカから、うれしい「便り」が……。

 「平和の風車(かざぐるま)」を回す運動が広がっているというニュースです。

 Pinwheels for Peace。平和のための風車。
 平和を願う人びと、手づくりの風車が、9月21日の「国際平和デー」に、アメリカを中心に全世界2500ヵ所で回ったそうです。

 ジョージア州のゲインズヴィル中学校では第6~8学年の全員が、「マイ・平和の風車」を校庭に植え込んだそうです。

 いろんな色、いろんなデザインの風車が、クルクルと回り続けたそうです。
 「戦争」よ、「破壊」よ、風とともに去れ、と。

 地元紙によると、風車の羽根には子どもたちの願いが書き込まれたそうです。
 「イマジン(想像しなさい)……回る平和を!」とか「毎日が平和でありますように」とか。

 フロリダのある田舎町では、2つの小学校で270個の風車が回ったそうです。
 「脅かさないで」「わたしのオモチャで遊んでね」――
 風車に書き込んだ、そんな1年生たちの「お願い」が、地元紙に紹介されていました。 

 こんな「平和の風車」運動が広がっているなんて、知りませんでした。
 フロリダ州のココナッツ・クリークという町から広がったもので、ことしで3年目だそうです。

 呼びかけ人は、ココナッツ・クリークの美術教諭の、アン・エイヤーズさんとエレン・マクミランさん。
 彼女たちが始めた「平和の風車」プロジェクトはまさに、風に乗る勢いで北米各地、全世界に拡大し、ネット上に運動のサイトができるほどになりました。

 サイトの「ギャラリー」には、写真がいっぱい載っていて、まるで「風車写真博物館」といった感じです。

 眠る赤ちゃんを見守る風車があれば、お店の正面に立てた特大の風車もあります。

 そのサイトに、アンとエレンさんのメッセージが載っています。彼女たちはなぜ、平和の風車プロジェクトを始めたのか?

 それは、子どもたちが、テレビやビデオゲームで、戦争を重要視する映像の猛爆を受けている、という危機意識に駆り立てられたから、ということだそうです。

 「子ども期のシンボル」の「風車」で、いまや子どもたちの生活の一部と化した「暴力」を鎮めようと、運動を思い立ったそうです。

 しかし、「政治的な運動ではない」と彼女たちは断っています。それはあくまでも、シンプルで楽しくて、しかも平和な時間を思い出させるものであり、あとは風と創造力(想像力)があればいい、それだけで「何か」が回り始めるものであると。

 平和を求める心の中心には、素朴な願いがあればいい、そこから全てが回り出すのだ、と彼女たちは言おうとしているようです。

 「風車」は日本の秋の風物詩でもあります。
 アンさんとエレンさんの呼びかけに応え、日本の学校でも、子どもたち手づくりの「平和の風車」が回り始める日が来るといいですね。 

 回れ、平和の風車。「戦争」も「いじめ」も、どこかに飛んで行け!!! 


 http://www.pinwheelsforpeace.com

Posted by 大沼安史 at 06:21 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-09-12

〔コラム 机の上の空〕 「戦後レジーム」の黄昏 安部首相の辞任

 「9・12」の夕方、散歩に出て西空を飽かず眺めた。斜陽・日本の、見事な日没の絵巻だった。水平に、いくつもの薄雲の層が重なり合い、しだいに深紅に染まりながら、黒い闇の中に溶けて行った。

 「美しい国」の日の入り。
 散歩の帰り、居酒屋に寄ると、テレビの解説者たちが「安部首相、突然の辞任」について、声高に話していた。

 安部氏の「無責任」を非難する人がいた。首相の器ではなかったと指摘する人もいた。
 個人の気質、資質を問題にする意見が多かった。

 美しい夕焼けを見てしまったわたしは、安部首相の辞意表明で、「歴史が暮れた」と思った。安部氏の言葉で言えば「戦後レジーム」が、いよいよ黄昏を迎えたのだ。

 安部氏という戦後生まれの史上最年少の首相であっても、つるべ落としの勢いには勝てなかった。地球の向こうの闇の中に、一気に落下していく「日の丸」を、止めることができなかった。

 安部氏は「日本帝国」を日の出の勢いで「大東亜」に押し出した岸信介の孫だった。敗戦を生き延びた「祖父の国」は、三代目で行き詰った。

 安部氏がどんなに有能でも、初めから無理なことだった。
 日没の時は、変えることはできないのだ。

 これは安部氏でなくとも、「日の丸」のコースを定め、そこに乗りかかっていた戦後日本の権力をほしいままにしてきた支配層の人間なら誰でも、そうである。

 彼らこそ、落日そのものであったのだから……。

 「年金」問題で地獄の釜の蓋が開いた。「官の支配」の真実が覗いた。
 「国民」の暮らしなど、ほんとうはどうでもいい、かつて国民を戦争に動員した「1940年体制」のゾンビが尻尾を見せた。
 「国民」は、もはやこの国に平安な余生がないことを知った。

 「財政」も破綻した。「官」に食いつぶされた国家財政は、もはや死の宣告を待つばかり。借金地獄のさなかにあって、「政策」どころのさわぎでなくなっていた。

 財源がないから、まともな「政治」ができなくなっていた。
 生活保護を取り上げ、餓死に追いやる自治体が出た。介護地獄は介護する老人を親殺しに導いた。

 「教育」も「再生」しなかった。「ゆとり」退治に狂奔し、「学テ」ではカンニングする教委まで現れた。

 「経済」も行き詰った。「いざなぎ超え」のはずの景気は上げ底景気で、GNPはついに失速、またも縮み始めた。

 要は、この国から、すでに「内政」は失われていたのである。

 「外交」ではどうか? 

 「国連常任理事国入り」の「花火大会」が、撃ちてし止まんで終わったあとは、「対米従属」の海を漂流するだけ。
 
 「世界」が見放したブッシュ政権のサポーターになることが「国際貢献」だと思い込み、「拉致」問題では頼みのブッシュにも突き放されてしまった。

 そしてあの「慰安婦」問題での体たらく。

 「対外援助」も先細りで、国際社会における存在感はますます影の薄いものになって来た。

 「世界経済」に対しても、爆発寸前の巨大赤色(?)矮星のように、「格安マネー(円)」を「大放出」し、世界中にバブルをつくって、民衆の恨みを買った。 

 一言で言えば、安部首相の「美しい国」は、国の内外において空洞化が救いがたいほど進んでいたのである。

 それが破局の一点に向かって、一気に進み出したのが、今の日本の姿だろう。

 その意味で、安部首相の今回の辞任表明は、戦後の歴史の「臨界点」だったかも知れない。体制崩壊の負の連鎖反応が一挙に拡大し、「美しい国」の日暮れを赤く染め上げたのだ。  

 わたしは、居酒屋でひとり飲みながら、「暮れてよかった」と思った。

 軽い酔いの中で、自ら潔く、「美しい国」の幕を引いた安部氏を称賛したい気にもなった。 
 
  
 歴史が夜つくられるのであれば、「9・12」の日本の夜は、歴史の初夜ということになる。

 暮れた日はまた昇る……いや昇らなければならない。

 しかし、昇るのは、古い日の丸か、新しい日の丸か……

 居酒屋を出て見上げた横浜の空はどんよりとして重く、半そでシャツの身に夜風がすこし肌寒かった。

 

Posted by 大沼安史 at 09:25 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

2007-09-11

〔コラム 机の上の空〕 ブッシュ政権 「情報操作」攻勢 「9・11」背景に「イラク増派」成功キャンペーン(に失敗)

 イラク駐留米軍のペトレイアス司令官が9月10日、米連邦下院公聴会で証言、米軍の軍事目的はほとんど達成されているとして、来年の7月までに、ことし1月以降、イラクに増派された30000人に近い規模の米軍を撤退・削減できる、と語った。

 30000人近い兵士を帰還させることができますと、米軍の最高司令官であるブッシュ大統領に勧告する、というのである。

 ペトレイアス、そう語りき。
 そう、駐留軍司令官はたしかに「語った」。

 でも、ただ、それだけのこと。

 なのに、釣られて日本の新聞(たとえば、11日付け「朝日」夕刊)の1面にも、「イラク米軍3万人減 現地司令官議会に提言 来年夏までに」の4段見出しが踊り出た。

 米軍の増派効果が出て、イラク現地の混乱は収まっている。いよいよ撤退開始だ!……と期待を煽るような、ブッシュ政権も大喜びのヨイショ「提灯記事」ではある。

 アメリカ現地の報道ぶりは、とニューヨーク・タイムズの電子版をのぞいてみると、「ペトレイアス イラク早期撤退に警告」というそっけない見出し。

 「イラクの状況は依然として複雑、困難で、時に心底、不満を募らせるものだ」など、現地司令官の「本音」を覗かせる証言をちゃんと引用している。

 タイムズ紙は、「3万人削減」計画など、その場しのぎのカタリに過ぎないことを、ちゃんと見抜いているのである。

 「9・11」の前日に、まるで「イラク戦争」に「勝利」しているかのようなキャンペーンをせざると得ないブッシュ政権の手詰まりを、しっかり見透かしているのだ。

 イラク現地の実態はどうか?

 われらがパトリック・コバーン記者(英紙インディペンデント)のレポートを読むだけで、ペトレイアスの証言の虚しさがはっきり分かる。

 11日付けの同紙電子版のコバーン記者レポートの見出しにあるように、「米軍の“攻勢(サージ)”は流血のこう着状態の改善に失敗」しているのである。

 イラク内務省の「発表」によると、8月のイラク人の犠牲者(死者)はわずか「1011人」だが、同省筋が米紙に明らかにしたところによると、実際は「2890人」。

 コバーン記者は「歪曲するどころか誤ったイラク像を産み出すために、ホワイトハウスは数字と事実を操作している」と手厳しく批判している。

 そんなイラク軍現地司令官の「楽観レポート」と一緒にステップを踏んで、テロの親玉、「ビン・ラディン」のビデオなるものがまたも流れた。

 今夏2度目の登場。

 「ホンモノ」説が飛び交う中、付け髭をしている、との米情報筋の見方も紹介された。報じたのは、例によって、英紙インディペンデント。  

 「ホンモノ」だとしたら、病気(腎臓病)と老化で、付け髭をしなければならないほど、やつれているのだろう。

 ビデオでは例によって「9・11」の聖戦士の戦いぶりを称賛しているらしいが、「世紀の謀略」の「駒」に使われただけ、と知ったら、驚きのあまり、付け髭を落としてしまうに違いない。

 「ゾグビー・インターナショナル」の世論調査によると、「9・11」がらみで米国民の51%が、ブッシュ・チェイニーに対する調査を望んでおり、30%以上が即時弾劾を望んでいるそうだ。

 「9・11」が史上空前の陰謀ではないか、との疑惑はますます募るばかりだ。

 そんな折、米国の著名な神学者、デイビッド・レイ・グリフィン氏による、「9・11」疑惑のポントを総ざらいした本の邦訳がついに出版された。

 『9・11事件は謀略か』というタイトル(邦題)で、版元は拙訳の、パトリック・コバーン著『イラク占領』を出してくれた緑風出版。

 グリフィン氏はマニアックな一部の陰謀論者と違って、「9・11」をめぐるさまざまな疑惑をひとつひとつ検証し、それが新たな戦争を開始するための(米国民の怒りを結集、動員するための)「21世紀の真珠湾奇襲攻撃」に等しいものだと、冷静に分析している。

 原書は全米のマスコミが完全シカトするなか、10万部以上も売れ、隠れたベストセラーになっている。

 著者のグリフィン氏は高齢をおして各地の教会などで講演を続けており、そんな氏の地道な活動から、「9・11」をめぐる疑惑の波紋があちこちで生まれ、世論を動かすまでになっているらしい。

 「イラク戦争」がますます泥沼化し、ブッシュ政権への反発が強まれば、「9・11」の真相解明を求める世論の圧力もますます強まるだろう。

 ブッシュ政権が、一時逃れを重ねた挙句、最後に直面するもの――それはおそらく、「イラク撤退」という結末だけでないだろう。

 口を閉ざしていた証言者らが名乗り出て、「9・11」の真相が明かされる、驚天動地のフィナーレが、来る。   


http://comment.independent.co.uk/commentators/article2950301.ece

http://www.nytimes.com/2007/09/11/washington/11policy.html

http://www.asahi.com/international/update/0911/TKY200709110140.html 

http://www.911truth.org/article.php?story=20070906103632686

http://www.amazon.co.jp/9%E3%83%BB11%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AF%E8%AC%80%E7%95%A5%E3%81%8B%E2%80%95%E3%80%8C21%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%94%BF%E6%A8%A9-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/4846107132/ref=pd_bbs_sr_1/503-3783931-6223118?ie=UTF8&s=books&qid=1189519907&sr=8-1

Posted by 大沼安史 at 11:46 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-09-10

〔コラム 机の上の空〕 ワシントンのシュールリアリズム 米兵7人 バグダッドからニューヨーク・タイムズに寄稿

 イラクから眺めると、ワシントンでの政策議論は超現実(シュールリアル)なものにしか見えない――バグダッドに駐留する米陸軍の下級兵士たちが、こんな内容の告発文を連名でニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した。〔8月19日付け〕

 第82空挺師団のウェズリー・スミス軍曹やヤンス・グレイ曹長ら7人が、全員実名で告発した。

 イラク戦争が抑え込み可能であるかのようなニュース報道に抗議し、戦地の実情を兵士の目で報告したものだ。

 「数日前の夜」、こんなことがあったという。

 彼らは米兵1人が死亡し、2人が負傷する場面に遭遇した。(安全なはずの)イラク政府軍検問所と警察の検問所の間で、車両の装甲を貫通する爆弾が炸裂したそうだ。

 周辺のイラク住民の話ではイラクの警察官と政府軍の将校が爆弾の敷設を手引きしていたという。住民たちが事前に通報しなかったのは、知らせれば家族皆殺しに遭うからだ……。

 警察と政府軍といえば、米軍の味方のはずである。結局のところわれわれは、そんな疑わしい「盟友」と、断固たる敵(武装抵抗勢力)の中で作戦行動を余儀なくされている――7人はイラクの実情を指摘する。

 敵と味方の区別もなく、味方が敵であるイラクの戦場。
 味方(政府軍・警察)は米軍の盟友であることを前提とするワシントンの議論が、現実とは無縁のシュールなものにならざるを得ないのは当然のことである。

 7人はバグダッドの米軍が置かれた苦境を説明する一方、「日常生活を営むことが死を恐れぬ行為となっている」一般のイラク人の窮状にも触れている。

 そして彼らは結論として次のように語る。
 われわれ米軍の駐留は、イラクの人びとは独裁者から解放されたかも知れないが、イラク人の自尊心をも奪っていることは確かだ、と。

 イラク駐留米軍には、このように語る兵士たちがいる(そして、その寄稿を掲載する新聞がある)!

 これは実に勇気付けられる話である。

 不条理がまかりとおる戦場にあって正気を守り通し、真実を訴えかける兵士たちがいるのだ。
 新聞に寄稿するガッツのある連中がいるのだ。

 米軍兵士よ、立ち上がれ! 
 立ち上がって、ワシントンの狂気に抵抗せよ!
 戦闘を中止して、撤退を開始せよ!  

 7人の兵士は自分たちを「コミットする(責任を持って対処する)兵士」であると書いていた。

 米軍当局は彼らを軍規違反に問うてはならない。
 
 彼らこそ、正義を守る「荒野の7人(Magnificient 7)」である。
 
 

Posted by 大沼安史 at 01:29 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-09-02

〔コラム 机の上の空〕 戦争の意味を問う一枚の写真 「海兵の結婚」 花嫁の視線の先にあるもの

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に、イラク戦争で負傷した米兵の「写真集」が掲載されている。
 ニューヨークの女性写真家、ニナ・バーマンさんが撮影したものだ。

 11枚の「スライド・ショー」。

 6枚目の写真を見て、息をのんだ。

 結婚式の記念写真。新郎と新婦、ふたりきりの。

 写真のタイトルは「海兵(マリーン)のウェディング」。

 写真右手に立つ新郎は、ティ・ジーゲルさん(24歳)。左手の新婦は新婦のレニー・クリネさん(21歳)。

 昨年、アメリカ中西部の田舎で撮影されたものだ。

 軍服姿の新郎の左の胸には勲章がいくつか。
 どれがどれだか見分けはつかないが、そのうちのひとつが戦傷者に贈られる「パープル・ハート」勲章だという。

 海兵隊員だった新郎は2年前、イラクの戦地にいた。自爆攻撃で乗っていたトラックが炎上し、顔面を含む頭部を焼かれた。

 テキサスの病院に運ばれ、整形手術を十九回、受けた。
 頭蓋骨はプラスチック製に代わり、顔面から「目鼻立ち」と「表情」が消えた。

 その新郎のそばにたたずむ新婦の「表情」に微笑みはない。

 口を結んだまま、大きく目を見開いて、左前方へ視線を向けている。

 怖いものを見たような彼女の視線は、写真を観る者の前を過ぎり、かすかに上昇しながら一直線に画面の右手に飛び出して行く。

 その視線の先にあるものを、新婦を横から見ている(らしい)新郎もたぶん、知らない(花嫁に向かって、何を見てるの?と聞いているにも見える)。
 知っているのは、花嫁ただひとり。

 しかし、写真を観る者は、新婦が見ているものを想像することはできる。彼女はおそらく、その場の空間の一点に、ふたりの「運命」を決定付けたものを見て取り、直視しているのだ。

 「イラク戦争」を決定し、夫が「戦傷」する舞台を用意したものの姿を、彼女はその真っ直ぐな視線で、見極めようとしている。

 「スライド・ショー」の解説記事の中で、タイムズ紙の記者は、ふたりの姿は「あまりに孤独」(と見えるかも知れない)だ、と書いている。

 戦場で戦傷した者の帰還は「生還」ではなく「死を携えての帰還」である。迎える者の喜びの中に死の影が射し込むのは、如何ともしがたいところだ。

 が、タイムズ紙の書くところによれば、二人の結婚式は、喜びに満ちた、祝福されたものだったという。

 
 生よ竦(すく)むなかれ、死よ驕(おご)るなかれ!

 白と黒のコントラストが鮮明な二人の写真は、死と生、苦難と希望、戦争と平和の区分を明確化する現代世界のポートレートのようにも見える。
  
 花嫁のウェディング・ドレスと、花婿の正装の腹帯、首から上の「白」は、ふたりして生き抜こうとする決意の色であり、戦争を告発してやまない正義の色であるだろう。

 二人の写真は、イラク戦争の終結へ向けた、ささやかで、しかしながら決定的な記念碑的な一枚である。

 その写真に向かって、わたしも声をかけることにしよう。

 おめでとう、お幸せに、と。


http://www.nytimes.com/2007/08/22/arts/design/22berm.html?ex=1188878400&en=e6914b3204d55b58&ei=5070

http://www.nytimes.com/slideshow/2007/08/21/arts/20070822_BERMAN_SLIDESHOW_10.html
 

Posted by 大沼安史 at 05:16 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2007-07-26

〔コラム 机の上の空〕 共和・泊原発の直下活断層を報道せよ 北海道新聞の若い記者諸君への手紙

 東電の柏崎原発の直下に活断層があり、それが地震被害を増幅させたことを知って、わたしはいまから二十年以上前、北海道新聞の社会部記者だったころ書いた、スクープ記事のことを反射的に思い出していた。

 小樽の南、北海道の日本海側、後志(しりべし)管内泊村に建設された北海道電力の「共和・泊原発」の直下に活断層があることを、朝刊の1面トップで報じたのである。

 その活断層にはなんと「発足(ハッタラ)断層」という名前までついていて、「活断層研究会」がまとめた『日本の活断層』という分厚