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2019-03-10

〔新刊〕◎ 『ニッポン原子力帝国 ― 世界が見た福島原発災害 7』(緑風出版) 「あとがき」

 これまで私は、原発で燃やした使用済み核燃料は海外の再処理工場に送り、そこから純度の高いプルトニウムを抽出・精製しないと「兵器級プルトニウム(WGPu)」は出来ないし、したがって核兵器もつくれない、と思い込んで来ました。

 ところが、原発の原子炉から使用済み核燃料から取り出した、純度の低い「原子炉級プルトニウム(RGPu)」でも実は核爆弾を製造でき、その爆発実験にも成功していたのです。


 最近のことではありません。一九六二年、米国のネバダ実験場でのことです。もうその頃から、原発の原子炉は核兵器用プルトニウムの生産炉として使えることが分かっていたのです。


 それだけではありません。その後のテクノロジーの進展で、なんと休止中の原発の原子炉を使って、新核燃料に中性子線を短時間、照射することで、純度の高い「兵器級プルトニウム」が製造できるようになっていたのです。………… (全文は下記)

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◆ あとがき(全文 ただし、すいません、未定稿です。最終稿、ゲラ直しで、手元にデータ、ないので。でも、だいたい、こんな感じ、です

 『世界が見た福島原発災害』の第七巻は「二〇一八年」を中心に、これまでほとんど知られずにいた事実を発掘しつつ、記述を進めました。個別の「新事実」を列挙するだけでなく、今、わたしたちが生きるこの国の「現状」、真実の姿とはどのようなものなのかにも踏み込み、先達、あるいは現役の識者の見解、指摘も参考にしながら、私なりにその全体像を描き出そうと努めました。

 「新事実」のなかで私自身いちばん衝撃を受けたのは、原発の原子炉で核兵器用のプルトニウムを生産することができると分かったことです。

 これまで私は、原発で燃やした使用済み核燃料は海外の再処理工場に送り、そこから純度の高いプルトニウムを抽出・精製しないと「兵器級プルトニウム(WGPu)」は出来ないし、したがって核兵器もつくれない、と思い込んで来ました。

 ところが、原発の原子炉から使用済み核燃料から取り出した、純度の低い「原子炉級プルトニウム(RGPu)」でも実は核爆弾を製造でき、その爆発実験にも成功していたのです。

 最近のことではありません。一九六二年、米国のネバダ実験場でのことです。もうその頃から、原発の原子炉は核兵器用プルトニウムの生産炉として使えることが分かっていたのです。


 それだけではありません。その後のテクノロジーの進展で、なんと休止中の原発の原子炉を使って、新核燃料に中性子線を短時間、照射することで、純度の高い「兵器級プルトニウム」が製造できるようになっていたのです。


 軍事機密のヴェールが、わたしたちが真実を知るのを防いでいたのです。つまり、わたしたちは騙されていた!


 やはりショックでした。悔しくもありましたが、その一方で、モヤモヤが晴れたような、納得した気分にもなりました。


 私も「原発」と「核武装」とは一体のものではないかと薄々気づいていたのですが、それが遂にハッキリ分かったからです。


 戦後、日本の自民党政権が続けて来た「原発」推進策とは、「原爆」製造と密接に関係するものでした。

 その事実に辿(たど)り着くきっかけは、オーストリアのジャーナリスト、ロベルト・ユンクが一九七七年に出した『原子力帝国』のなかの記述でした。調べていくうちに私もまた、「原発」というものが存在することで、この日本もまた「原子力帝国」化していたことに、遅ればせながら気づいたわけです。


 東電と対立し、ついには「国策捜査」で福島県知事の職を追われた佐藤栄佐久氏も、冤罪(えんざい)で逮捕されたあと、ユンクの本を読んで腑(ふ)に落ちたと語っています。
 
 その「ニッポン原子力国家」にもしかし、落日の時が来たようです。なんといっても、いまだ収束のメドがまったく立たない「フクイチ核惨事」を起こしてしまったということが決定的なことですが、「3・11」後も隠蔽と矮小化の先送り政策を続けて来た結果、強行突破を繰り返していくしか延命の道はないところへ追い込まれています。
 この国の原子力権力にも黄昏(たそがれ)が訪れているのですが、闇の深まりをいいことに生き残りに懸命です。しかし夜は更ければふけるだけ、夜明けは近づいて来る。隠されていた真実が、朝の光のなか、あちこちから姿を現わすのは時間の問題です。


 いま、わたしたちはそういう時代の転機にあるといえるのではないでしょうか。

 それにしても過酷すぎる状況です。この国の原子力権力の傲慢さのおかげで、日本は「被曝国」になってしまいました。昔ならドラム缶に詰めた低レベル放射能廃棄物を、「安全・安心」な基準内食物として口にしなければならないわけですから。


 絶望的な気分になり、やけっぱちになりそうですが、挫けてはなりません。わたしたちには、状況と真正面から向き合い、困難すぎる困難を乗り越えるしかないのです。
 
 「3・11」を仙台で迎え、都合三週間も日夜鼻血が出続ける経験をした私もヒバクシャの一人です。ほかにもいろいろなことがあって、なんどか死を覚悟しました。


 そうなると私としても、いのちとは何か、死ぬまでどう生きるか、ということを考えざるを得ませんでした。 そのなかで私は、すでに世に知られていた有名な句に遅れて出会い、励まされたのです。大津波に襲われた岩手県釜石市在住の俳人、照井翠さんの句でした。

    三・一一神はゐないかとても小さい

 最初は、神も仏もない絶望的なありさまを端的に記した句かなと思ったのですが、ヒトラーに抵抗して処刑された、あのドイツの神学者、ボンヘッファーの有名な言葉、「神の前で、神とともに、わたしたちは神なしで生きる(Vor Gott und mit Gott leben wir ohne Gott.)」を思い出して、照井さんのこの句もまた、究極の真理というべきもの告げる希望の言明であることに気づいたのです。


 神は「とても小さい」ものとしては、たしかに存在し得る。すくなくとも、潜在している。であれば、それを顕在させ、その前で、それとともに生きればいいだけのこと。


 でも、どうやって?


 傲慢に聞こえるかも知れませんが、ある意味、それはとてもかんたんなことではないか、と思い至ったのです。自分の心に、自分が宿せばいいだけのことですから。私が私として、ひとつの小さな神になり、試行錯誤をいとわず、希望を失わず、これからの人生を自分ができる限りにおいて生き切ればよい。

 しかしその小さな神は社会のなかで、もがき苦しむことをいとわない神でなければなりません。状況を生きる神でもなければなりません。私は「3・11」後の具体的な状況を、被曝国の生きるひとりとして生きていかねばならないのですから。この困難すぎる状況に立ち向かうひとりの日本人として生きていかねばらないのですから。

 私を支え励ましてくれた皆さんに――この国に生まれ合わせた、同時代の同じ「小さな神々」である諸氏に感謝しつつ、こんごの日本の行方に思いを馳せながら、とりあえず筆を擱きます。

                  二〇一五年正月 岩手・水沢にて
    
                                        大沼安史

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Posted by 大沼安史 at 10:06 午前 |

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