« 〔東電原子力大災害(フクイチ・メガ核惨事)  8年目の今〕◇ 「福島への責任を放棄し、破綻企業を支援する東京電力を存続させる必要性はもはや存在しない。東京電力は破産処理するべきだ」―― ◎ 故・高木仁三郎さんが創設した「原子力資料情報室(CNIC)」が、東電の「浪江町ADR拒否」「日本原電資金援助」を受けて声明を発表!  ★ 東電は浪江町民への賠償をケチって、発電もしていない「日本原電」を資金援助するわけか! 安倍政権の下で、「東電」が焼け太り、死の灰まみれの「わが世の春」を謳歌している!? | トップページ | 〔滋賀県湖南市の自宅で電磁波照射被曝〕◇ 箱買いしていたミネラルウォーターを取り出し、玄関口に並べていたら、その一部分のボトルだけが一晩で気泡を発生! わたしが仕事をする自宅居間・書斎部分と、その発泡ボトル群をつなぐ線上のその先――近隣住宅の屋根の先端部に、こちら向けて、白い四角いデバイスが取り付けられています! 何なのでしょう? まさか電磁波照射装置?  »

2018-04-26

〔東電原子力大災害(フクイチ・メガ核惨事)8年目の今〕◇ 「原子力資料情報室(CNIC)」を創設した核化学者、高木仁三郎さんは、1995年の阪神淡路大震災のあと、「地震とともに津波に襲われたとき」などを「想定不適応」「ためにする議論」としいて避けるのではなく、「考えうるあたゆる想定をして対策を考えていく」よう提案をしていた。それは16年後の東日本大震災にともなう「3・11」への警告となるべきものだった。警告論文を発表した5年後、高木さんが62歳という若すぎる死を遂げた!

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 ★ 高木仁三郎さんは生前、頼んでもいない品物(通販)を送り帰す日課を強いられるなど、闇組織から、すさまじいいやがらせを受けていた。

 何度もひき逃げされそうになった。

 なりすましの「暑中見舞い」が関係者に大量に送りつけられたこともあった。違和感ある文面だった。安物の香水のようなものが、たっぷりふりかけられた、気味のわるいものだった。

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 ★ わたしは米国で、80年代、とくに1992年以降、電磁波兵器は衛星にも搭載され、地上の人々を苦しめていることを最近、知った。

 衛星に搭載されるくらいだから、地上でもターゲットに発射されていたはずだ。

 電磁波は、気づかないうちに、高血圧や癌などを発症する「病殺兵器」でもある。

 わたしは、高木仁三郎さん(あるいは忌野清志朗さん 2009年 58歳で死去)が、何者かによって電磁波照射され、若死させられたのではないか、との疑いを捨て切れいずにいる。

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 ★ 高木仁三郎さんの、「想定不適当」の逃げ口上を言うな、の指摘が、当時の為政者、事業家によって受けとめられていれば、2011年のフクイチ・メガ核惨事は回避されたのではないか、と思っている。

 「想定外」を理由に、判断を停止し、問題を先送りしていく政府・電力業界の姿勢はいまなお変わらない。

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〔★は大沼〕 ◎ 日本物理學會誌 50(10), 818-821, 1995-10-05 : 高木仁三郎さん 「核施設と非常事態-地震対策の検証を中心に(Nuclear Facilities and Emergency(with Focus on Measures against Earthquakes)」
 ⇒ 
https://ci.nii.ac.jp/naid/110002066513

 ◎ pdf ⇒ https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri1946/50/10/50_10_818/_pdf/-char/ja

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 ◎ 高木仁三郎さん Wiki ⇒ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E

Posted by 大沼安史 at 11:18 午前 |

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