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2018-03-05

〔東電原子力大災害(フクイチ・メガ核惨事)〕 【真実は隠蔽された! 原爆投下と原発事故のパラレル】 ◎ 「広島・長崎への原爆攻撃」を予告し、警告した「ニューディリー放送」は実在していた! (本ブログが)BBC(英国放送協会)の第2次世界大戦アーカイブ(ネット公開)文書で確認! ★ 広東にあった「第五情報連隊情報室」勤務者の証言通り、せっかくの「原爆投下情報」は握りつぶされ、ヒロシマ・ナガサキは見殺しにされた。フクイチ被曝地の人びとがSPEEDIを隠されたように!

 ◎ 『原爆投下は予告されていた――第五航空情報連隊情報室勤務者の記録』(黒木雄司著、光人社)
  ⇒ 
https://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%8A%95%E4%B8%8B%E3%81%AF%E4%BA%88%E5%91%8A%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F-%E2%80%95%E7%AC%AC%E4%BA%94%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%AE%A4%E5%8B%A4%E5%8B%99%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E9%BB%92%E6%9C%A8-%E9%9B%84%E5%8F%B8/dp/4769806191

 ◎ 『原爆投下は予告されていた――国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪』(古川愛哲著、講談社)
 ⇒ 
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062171168

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 広島・長崎への原爆投下が日本側に事前通告されていた――と聞いて驚かない人は、そう多くはないはずだ。

 学校で教わった歴史教科書にも、そういうことは一言も書かれていない。だから、驚くどころか、「そんなバカな。嘘言え」と反発したくなるのも当然のことである。

 よって当然ながら、そんな「『原爆、予告なしに投下』神話」を突き崩す重大な証言が、1992年に出たことを知る人もまた、ほとんどいない。

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 重大証言は、戦史・戦記物を刊行する「光人社」出版の単行本として、出た。

 『原爆投下は予告されていた――第五航空連隊情報室勤務者の記録』(黒木雄司著)が、それである。
 
 第五航空連隊情報室は南支(中国南部)の広東にあり、敵のラジオ放送傍受を主任務のひとつにしていた。

 著者の黒木雄司さんは、海軍の下部候補生(伍長)。1945年(昭和20年)3月、高射砲部隊から情報室に転属し、同年8月21日までの約5ヵ月間、傍受任務にあたった。情報室というと、広東市内のビルや軍の基地の施設内にあるような感じだが、郊外の山の中に掘られて壕のなかにあった。

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 問題の「ニューディリー放送」が、黒木さんの著書の最初に出て来るのは、「三月十八日」の部分(38頁~)。そこには、こう書かれている。

 午前九時、突如、ニューディリー放送が情報室入口の上のスピーカーから放送を開始した。

 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば、昨三月十七日早朝、米軍B29三百十機は神戸市を空襲し、焼夷弾の投下を行ないました。繰り返し申し上げます。昨三月十七日早朝、米軍B29三百十機は神戸市を空襲し、焼夷弾の投下を行ないました。……

 日本語での放送だった。(その日本語は、その後、流ちょうなもの変わったとされる)

 この「ニューディリー放送」は「本当にインドかと思うくらい雑音がない」(四月一日分)もので、たいていは夜の10時に流れて来ていた。夕方の5時のときもあれば、放送がない日もあった。(その後、朝の9時などにも流されることになる)

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 黒木さんはこの日本語放送を24時間態勢で聴取し、書き下ろし、記録用紙に記録し、報告していくのだが、「ニューディリー放送」以外にも「重慶放送」の傍受もしていた。

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 「ニューディリー放送」が報じて来る情報は、沖縄戦や日本本土に対する空襲規模など、広東山中の情報室には確認にしようもない、詳しいものだった。

  「六月二日」、驚くべきことが伝えられた。

 午後十時、例の口調でニューディリー放送が流れて来る。

――こちらはニューディリー、こちらはニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、アメリカのスチムソン委員会は、全会一致で日本への原子爆弾投下を大統領に提出しました。……

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 これを一緒に聴き終えた情報室の隊長、芦田大尉が隣でメモをとっていた部下の上山少尉に、「原子爆弾とは何か」と質問した。これに対して上山少尉は、士官学校時代、化学の時間に聞いた講義をもとに、「……とにかく大都市に落ちれば、何十万、何百万の犠牲者が一度に出るばかりか、この世の中が生き地獄の世の中に変わることと存じます」と答えた。(同書157~158頁)

 日本の軍部の上層部はすでに「原子爆弾」というものを知っていたわけである。

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 そして、「六月四日」――。

 午後三時、こちらはニューディリー放送が流れる。
 ――こちらはニューディリー、こちらはニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、先般、スチムソン委員会においては、原爆投下勧告を米大統領に進言しましたが、軍内部において軍独自に実験してみる必要が急遽発生したため、本日、実験準備命令が出されました。実験部隊、実験場所は公表されておりません。繰り返し申し上げます。……

 「ニューディリー放送」は原爆投下という悲劇の序曲を、ここまで詳しく報じていたのである。

          *

 話を一気に進めて、――。

 それから二ヵ月後、「七月二十七日」段階で、いち早く(重慶放送より一日早く)「ポツダム宣言」を報じた「ニューディリー放送」は「八月三日」になって、何とこう報じたのである。黒川さんはこう書いている。

 ……午前九時、今日もニューディリー放送が朝から流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、こちらはニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、米軍は来る八月六日、原子爆弾投下第一号として広島を計画した模様です。原子爆弾とは原子核が破裂するものであって、核の破裂にともない高熱を発し、すべてのものは焼き払われるでしょう。繰り返し申し上げます。……

 これはもう紛れもない「8・6ヒロシマ原爆投下」警告である。

 「ニューディリー放送」はこの警告を、この日、正午と午後9時にも都合3回、同じ文面で流し、しかもそれを、投下前日の5日まで、午前9時・正午・午後9時の3回ずつ、繰り返した。

 5日午後9時の最後の警告放送はさらに踏み込み、「……信ぜられるところの情報によりますと、米軍は明八月六日、原子爆弾投下第一号として広島に投下する予定でございます」(これに続く、「原子爆弾とは」――以下の部分は、4日の放送から「原子爆弾とは原子核が核分裂し、核分裂にともなう高熱高温で、すべてのものは焦土化し、生物は住むことは不可能で、草木も三十年間は生えることは困難となるでしょう」に変わっていた)という、明確な直前警告となった。(同書245~251頁)

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 黒木さんは広島出身、広島二中卒だけに、気が気でなくなり、日記「記録」にこう記した。
 
 「……何をしているのもうつろな自分がよくわかる。……聞いてくれ。おい広島に原爆が落ちるんだ。明後日落ちるんだ」(「四日」付)
 「……ひとり内務班で正座して目を閉じる。自分の中にあった広島が明日なくなる。……だれか時計を止めてくれ……」

          *

 運命の「六日」の朝――。黒木さんは午前八時に勤務後退して下番する。十六時間連続勤務の疲れでそのまま眠り込んでいると、交代したばかりの田中(幹部)候補生に起こされ、こう告げられたのだった。

 「班長殿、いま広島に原爆が投下されたと、ニューディリー放送が放送しております。八時十五分に投下されたそうです」

 時計を見ると、投下、十七分後の「八時三十二分」――。「お祖母さんに、叔母、従妹たち、みんなみんな防空壕のなかでじっとしていてくれ」と、心のなかで祈るほかなかった。(以上、同書245~235頁)

 その日夕、黒木さんは、内務班に戻ってきた田中候補生の以下のような報告を聞くことになる。

 「NHKも、大本営も、広島の原爆についてはまったく何も放送しません。ニューディリー放送はもちろんですが、重慶放送も広島に原爆が投下されたことについて、どちらも二度も三度も放送がありました」(同書254頁)

 広東の情報室は、原爆投下という決定的な事態の進行下、敵の放送に頼るしかない状況に追い込まれたのだ。

          *

 そして翌「七日」――。NHKが臨時ニュースで「前日、広島に『新型爆弾』の大本営発表をようやく流したその日、「ニューディリー放送」は早朝、午前六時、またも衝撃的な警告を流した。

 ――こちらはニューディリー、こちらはニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、米軍は来る八月九日に、広島につづいて長崎に原子爆弾を投下する予定であることを発表しております。繰り返します。……

 黒木さんは九日当日、朝八時に下番(当番勤務を終える)した。午前零時からの当直勤務中から、悪寒がして震えが止まらなくなっていた。マラリアにやられていた。そのまま眠り込み、原爆投下は午後8時に知った。――

          *

 以上が、黒木さんの記録のあらましだが、1992年――今から四半世紀前に刊行された黒木さんのこの著書は、「歴史資料収集家」の古川愛哲さんによると、この「ニューディリー放送では、あまりにもアメリカの最高機密が明け透けに放送されている」ことから、「多くの歴史家は(この本を)歯牙にもかけない」で来たそうだ。

 (古川愛哲著、『原爆投下は予告されていた――国民を見殺しにした帝国陸海軍のか「犯罪」』〔二〇一一年七月、講談社 261~270頁〕より。古川さんは「3・11」後のほぼ半年後に出したこの本のなかで、黒木さんの「記録」を検証し、信憑性のあるものだとの結論を下している。これは新しい本なので入手可能。ぜひお読みになっていただきたい)

          *

 さて、古川さんの検証結果とは逆に、「歴史家」により黒川さんの記録を「決定的に否定」されるのは、次の理由からだと古川さんは言う。

 「原子爆弾」について、広島に投下するまでアメリカは発表しなかった。原爆の投下日時についても、ボイス・オブ・アメリカでさえグリニッジ標準時間で放送したのだが、ニューディリー放送は日本時間でかつ日本語で放送している」(古川著263頁)

 要は「ニューディリー放送」なるもの、それ自体に疑惑の目が向けられているわけだ。

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 さて、ここから、いよいよ「ニューディリー放送」なるものについての本ブログの考究だが、BBC(英国放送協会)の第2次世界大戦アーカイブ(ネット公開)文書の中に、以下のような記述がある。(⇒ http://www.bbc.co.uk/history/ww2peopleswar/stories/59/a4211759.shtml )

  Our main radio station in the East was in the military area near New Delhi. This worked not only to London but also to various parts of the Far East, such as Ceylon, Calcutta, Kunming, Kweilin and Brisbane.
  This was early in 1945 and the war in Europe was expected to finish fairly soon, after which all efforts would be devoted to finishing the war against Japan.

 黒木さんが広東の情報室に転属された1945年の初めごろ、英BBC放送の主力放送拠点はインド・ニューデリーの軍域内にあり、欧州戦線の終結を見越して、すべては対日戦争の終結に向けて動員され、セイロン、カルカッタ、昆明、桂林、ブリスベーンにもネットワークを広げていた、というのだ。
 これが「ニューディリー放送」の正体ではないのか?

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 古川愛哲さんが著書のなかで指摘しているように、英国は原爆を開発した米国の「マンハッタン計画」の参加国。原爆投下に関する秘密情報を知り得る立場にあったのだ。

 古川さんによれば、英国のチャーチルは原爆使用の対日警告を「3回にわたって出すよう」求めており、「ニューデリー放送」を使って「8・6」へ向け、ニューデリーを主力拠点に、カルカッタ、昆明、桂林などから警告の対日放送を続けていたことは十分、考えられるところだ。

 さて、黒川さんの「記録」が事実であり、「原爆投下の歴史」が古川さんの著書通りに動いていたとしたら――その信憑性は今やほとんど疑いないように思えるが――、当時の日本の大本営は原爆投下を知っていながら、避難の警告も出さず、広島・長崎の市民を見殺しにしたことになる。

 これは実に由々しきことだが、時の権力者というものは、「混乱を避けるため」を錦の御旗に、これほどのことさえ握りつぶすものだとわかれば、「3・11」後の、あのSPEEDI拡散予測や核燃料メルトダウンなどの隠蔽くらい、平気でやりかねないものだということがわかる。

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 『原爆投下は予告されていた――国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪』の「あとがき」で、古川愛哲さんは、こう書く。

 「原子力発電所災害の報道を前に、一部の人々の姿が、過去の一部の人々の姿に重なって見える。広島、長崎――『承知しながらも、原爆を投下させた人々』の姿である。そして、責任は誰もとらない。……広島、長崎を超える莫大な被曝者を生み出す危険性があるにもかかわらず、ここで語られる『国策』も蜃気楼でしかなく、今またそれが、亡霊のごとくわれわれの前に現れようとしている。思わず胸から込み上げるものがあり瞑目する。滂沱たる落涙を止めることができない」

 『原爆投下は予告されていた――第五航空情報連隊情報室勤務者の記録』の「まえがき」で、数えで古希を迎えた黒木雄司さんは、こう書いた。

 「……惚けないうちに書くことにした。書いているうちに……原爆に関する報告をだれが握りつぶしたのか。なぜもっと早く終戦に持ってゆけなかったかということをいろいろ考えさせられる。とにかく人の殺し合いという戦争は人類の史上にはもうあってはならない」

          *

 黒木さんと古川さんの声をひとつに合わせれば、戦争でも原発事故でも情報隠蔽による見殺しは許されない、ということになるだろう。

 今から72年前、「ニューディリー放送」は、日本人とその政府に向け、何度も原爆投下の事前警鐘を鳴らした。

 7年前、日本のNHKは公共放送でありながら、現代の「大本営発表」報道を続け、放射能プルーム拡散予測やメルトダウン情報を報じようとしなかった。

 東電原子力大災害(フクイチ・メガ核惨事)7周年――。黒川さん、そして古川さんの著書がわたしたちにその一端を明らかにした、この国の権力の闇は底深いが、歴史に時効はない。後進の歴史家、ジャーナリストらに、権力による隠蔽の闇を晴らす、いっそうの努力を期待したい。

Posted by 大沼安史 at 04:05 午後 |

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