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2018-03-01

〔東電核災害(フクイチ・メガ核惨事)7周年へ〕★ 「東京電力」が福島県に入り込んできて仕出かした、史上空前の破局核惨事は、会津をはじめ「奥羽列藩同盟」の東北・新潟に原発など核施設を次々に押し付けてきた、この国の「勝てば官軍の歴史」の結末である。会津藩士を追いやった斗南(下北)の地にしてもしかり! そしていま、安倍政権は東電放射能被曝地に人びとを囲い込み、「安全ですよ」と言いながら、平然と税金を「吸い上げて」恥じない(ように見える)! ★東電・経産省は責任を感じているなら、被曝地の放射能、全部、持って返れ!

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〔★は大沼〕 ◎ 毎日新聞 : 特集ワイド 安倍政権が演出「祝明治150年」の陰で 「会津は戊辰を忘れない」論
 (2月20日付け)⇒ https://mainichi.jp/articles/20180220/dde/012/040/002000c

 ・ 会津藩士らは藩を追われて散り散りになった。子孫にとって明治は悲劇の始まりだ。会津史を書き続ける作家、星亮一さん(82)は、長州勢が受け持った会津戦争の戦後処理が、会津人に積年の反中央感情を植えつけたと語る。「報復を企てる会津藩士を原野に飛ばして息の根を止めろと、長州の木戸孝允が強硬に言い、最終的には1万7000人が青森の下北半島に追いやられた。現地での差別、飢えによる塗炭の苦しみが、近代史上類をみない恨み、怒りを植えつけました」

 ・ …… 星さんも明治期の「差別」に言及する。「官僚や軍部での出世差別も加わり、積年の理不尽に対する怒りが会津人に限らず、旧東軍の東北、越後の人々に広がった。だから、『明治150年』など認めない」。東京電力福島第1原発事故で出た汚染土の中間貯蔵施設建設を巡り、石原伸晃環境相(当時)が「最後は金目でしょ」と発言したことにも触れ、「政治家の暴言に東北の人が怒るのは、そのたびに怨念(おんねん)が顔を出すからです。安倍さんが明治150年と言う度に我々の心が無視されたと反発するのです」。

          *

 ◎ 東洋経済 : 安倍首相の施政方針演説に「白虎隊」の違和感
 (1月30日付け) ⇒ 
http://toyokeizai.net/articles/-/206146?page=2

 ・ 安倍首相は1月22日の施政方針演説を、「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として、迎えました。しかし、明治政府は、国の未来のために、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました」と始めた。

 これだけ聞くと、長州と薩摩(鹿児島県)が中心となってつくられた明治新政府は、たいへん寛容で、すばらしい人材登用策を実行したと思われるのではないだろうか。敵方であった会津藩士を許し、平等に活躍のチャンスを与えたのだと……。

 しかし、史実はまったく逆である。後に述べるように山川健次郎は例外中の例外であり、ほとんどの会津藩士とその家族たちは極めて重い懲罰を課された。

 ……安倍首相は1月22日の施政方針演説を、「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として、迎えました。しかし、明治政府は、国の未来のために、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました」と始めた。

 これだけ聞くと、長州と薩摩(鹿児島県)が中心となってつくられた明治新政府は、たいへん寛容で、すばらしい人材登用策を実行したと思われるのではないだろうか。敵方であった会津藩士を許し、平等に活躍のチャンスを与えたのだと……。

 しかし、史実はまったく逆である。後に述べるように山川健次郎は例外中の例外であり、ほとんどの会津藩士とその家族たちは極めて重い懲罰を課された。

 ・ 一方、会津藩士とその家族たち1万7000人は、下北半島に斗南藩3万石が与えられて移り住んだ。

 だが、その地は、寒冷不毛で、実質7000石あるかないかと危ぶまれた。木戸は何が何でも生死にかかわる懲罰を会津藩士に下したかったようである。

 薩長閥の中で会津出身者として異端視されながら陸軍大将にまで登りつめた柴五郎は、少年期に斗南藩で悲惨な生活を体験した1人である。

 柴家は300石の家禄であったが、斗南では藩からわずかな米が支給されるだけで、それでは足りない。救米に山菜を加えたり、海藻を煮たりするだけでは飽きたらず、馬に食べさせる雑穀など、食べられるものは何でも口にした。

 塩漬けにした野良犬を20日も食べ続けたこともあった。最初はのどを通らなかったが、父親から、「武士は戦場では何でも食べるものだ。会津の武士が餓死したとなれば、薩長(さっちょう:薩摩と長州)の下郎(げろう)どもに笑われるぞ」と言われて我慢して口にした。

 住まいの小屋には畳はなく、板敷きに藁(わら)を積んで筵(むしろ)を敷いた。破れた障子には、米俵を縄で縛って風を防ぐ。陸奥湾から吹きつける寒風で炉辺でも食べ物は凍りつく。炉辺で藁にもぐって寝るが、少年・五郎は熱病にかかって40日も立つことができず、髪の毛が抜けて、一時はどうなるかわからない病状になった。

 こうした困窮の生活で病気になって亡くなる人も少なくなかった。藩の権大参事の山川浩(山川健次郎の兄)は、明治政府や会津の旧庁に救済を願い出たが、はかばかしい結果ではない。「これが天子さまの寛典なのか」といった憤激の声が洩れる。廃藩置県で斗南藩は消滅し、やがて旧会津藩士とその家族は四散していく。

 「寛容」とは正反対の、明治政府による「会津処分」であった。……

Posted by 大沼安史 at 11:29 午前 |

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