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2018-02-10

〔石牟礼道子さん 頌〕◎ 石牟礼道子さんの「Stilles Meer(「静かな海」)」 / 水俣から福島へつなぐもの / 『苦海浄土』から『未来浄土』へ

 ● 世界が見た福島原発災害 5─フクシマ・フォーエバー』(緑風出版)

 ⇒ http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1617-0n.html

 第4章 「未来浄土」へ

 平田オリザさんの劇、『海、静かな海』がドイツ語でオペラ化され、ドイツ・ハンブルク州立歌劇場で上演が開始されたのは、二〇一六年一月二十四日のことだ。

 日本語の原作脚本を、ドロテア・ガイトナーさんが翻訳した。

   Stilles Meer(「静かな海」)

  作曲はヨーロッパ、日本を中心に作曲活動を続ける細川俊夫さん。平田オリザさん自身の演出で、日系アメリカ人指揮者、ケント・ナガノさんがタクトを振った。

 一幕五場。在ハンブルク日本国総領事館は、ドイツ在留邦人に向けた公演の告知で、物語の「あらすじ」をこう紹介した。

   高台から海への眺めが広がっている。クラウディアは、夫のタカシと息子のマックスが二〇一一年三月十一日の津波によって命を落として以来、しばしばここに立っている。

      死者の鎮魂のために海へ流す灯籠は、各々が津波で大切な人を失ったということを意味している。

      マックスの実の父であるクラウディアの元恋人、シュテファンは、「現実を直視しろ」とクラウディアに懇願する。けれども,海にさらわれ帰ってこない死者こそが、クラウディアにとっての現実なのであった―― 。 

     避難によって死者の捜索が阻まれている。

     とある儀式により、死んだ息子の魂がクラウディアの前に姿を現した。

  クラウディアは息子を手放すことができない。しかしその幻はクラウディアの腕の中で消えてしまう。「私たちを家に帰して、死んだ人たちをそれぞれの家に帰してよ」とクラウディアは言う。

   「海」とはつまり、あの「3・11」の日、大津波となった東日本の海。

 しかしこれを読んだ限り、それが東日本の、どこの海かは分からない。何も書かれていないから、分かりようがないのだ。三陸の海かも知れない。石巻の海かもしれない。オペラの舞台の場所がどこなのか、全く書かれていない。

 歌劇の舞台は「福島」である。「原発事故」が背景としてある。それなのに。

 在ハンブルク日本国総領事館はなぜ、これは「フクシマの海のオペラ」です、と書かなかったのだろう。「フクシマ」抜きの「あらすじ」は、あり得ないにもかかわらず……。

 ここで思い出すのは、ドイツのフランクフルトに本社を置く、同国の最高級紙、『フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)』のカーステン・ゲルミス東京特派員が二〇一五年四月、五年間の任期を終えるにあたり、日本外国特派員協会(FCCJ)のウェブ機関誌『ナンバーワン・シンブン(NUMBER 1 SHIMBUN)』に英文で発表した離任記事、「東京からドイツの読者へ五年間、報じ終えた外国人特派員の告白(Confessions of a foreign correspondent after a half-decade of reporting from Tokyo to his German readers)」 のことである。

 ゲルミスさんは在京の特派員仲間への惜別の辞で、安倍政権下の日本政府(日本外務省)による、驚くべき言論妨害の実態を暴露、告発したのだ。ゲルミスさんの訴え、指摘の一部を、ここで記録しておこう。〔訳は拙訳〕

    わたし〔ゲルミスさん〕のスタンスをまず、はっきりさせたい。〔東京に赴任してから〕五年経った今も(間もなく離任する今も)、わたしの日本に対する愛は壊れてはいない。いや実際のところ、わたしが会った多くの人びとのおかげで、わたしのこの国を愛する感情は、これまでになく高まっている。わたしの友人の日本人のほとんどが、ドイツでわたしの記事を読んでくれた日本人の大半が、わたしの記事にわたしの愛情を感じると言った。とくに、あの二〇一一年の三月十一日以降の記事については。

    二〇一二年十二月の総選挙後間もなく、巻き戻しが起きた。安倍新首相はたとえば「フェースブック」など新しいメディアに関心を示したが、彼の政権のどこにも、オープンさの重要性を認めている証拠を見出せなかった。麻生太郎・財政相は外人ジャーナリトと一度たりとも話をしなかったし、膨大な財政赤字に関する質問に答えることもなかった。

    外国の特派員たちには、政府の公式見解を聞きただす長い質問項目のリストがあった。エネルギー政策、アベノミクスのリスク、憲法改正、若い世代に対する機会の確保、地方の人口減問題……。しかし、これらの問題について、政府代表者がすすんで外国プレスに対して話をしようとする態度は、ほとんどゼロに近かった。首相が提唱する「素晴らしき新しい世界」を批判する者は誰もが「ジャパン・バッシャー(日本叩き人)」と呼ばれた。

 安倍政権下の言論統制が強まる中、ゲルミスさん個人を巻き込む(そしてフランクフルトのFAZ本社編集局を巻き込む)、思いがけない事件が起きた。

    五年前には考えられなかった新しい事態が起きた。それは日本の外務省からの攻撃にさらされることだった。それはわたし〔ゲルミスさん〕への直接な攻撃であるばかりか、ドイツの(フランクフルター・アルゲマイネ=FAZ)本社の、編集幹部スタッフに対しても向けられた。安倍政権の歴史修正主義に批判的なわたしの記事が紙面に出たあと、フランクフルトの日本総領事が、FAZ本社の上級外交エディターを訪ね、「東京」からの異議申し立てを伝えた。日本総領事は言った。わたしの書いた記事を、中国が反日プロパガンダに使っていると。

    事態はさらに悪化した。一時間半に及んだ会談の終わりの方で、FAZの編集幹部は日本の総領事に、わたしの記事に書かれた事実関係のどこかが間違っている情報を提示するよう求めたが、提示されなかった。日本の総領事は「金の問題が絡んでいると疑い始めなければならないよう思わざるを得ない」と言って、わたし個人を、編集幹部を、フランクフルター・アルゲマイネ紙全体を侮辱した。総領事は、わたしの記事をまとめたフォルダーを取り出すと、中国への入国ビザを取るためには中国のためのプロパガンダ記事を書かなければならないのですね、と哀れんだ。

    このわたしが? 金で自分を売り渡した北京のスパイ? わたしは北京に一度も行ったことがなければ、ビザを中国政府に申請したこともなかった。これがもし日本の新政権(安倍政権)の、日本の目標を理解させようとするアプローチの仕方であるならば、今後の困難は目に見えている。もちろん、こうした反中国非難は、わたしの上司である編集幹部を説得できなかった。わたしは報道を続けるよう励ましを受けた。わたしの東京発の記事への本社編集局の紙面での扱いは、より鋭いものになった。



        
  ゲルミスさんは「叙事詩に残る(エピック)」という表現で、在フランクフルト日本総領事とFAZ紙編集エディターの会談の意味の重さを示唆した。

  これはたしかに、単なる挿話を超えた叙事詩的な、歴史に残る事件である。デモクラシー国家を自認する日本の国の政権が、自国の外交官を使い、他国の「言論の自由」に口出ししたのだから。これはもう、日本という国の品格を自ら貶めたようなものだ。

  在フランクフルトの日本総領事にしても、ほんとうはやりたくない役を本国の指示で仕方なくやらされたのだろうが、それにしてもひどすぎる。

  在ハンブルク総領事館がオペラ『海、静かな海』の「あらすじ」から「フクシマ」の四文字を消し去った背景にあるのも、たぶんコレだ。それは史上空前の「フクイチ核惨事」を「アンダーコントロール」したと言い張り、原発再稼働に突き進む安倍政権の言論締め付けの強権的な姿勢である。

  さて、日本外務省ハンブルク総領事館の告知文は「あらすじ」を紹介したあと、作曲した細川俊夫さんについてこう書いている。

  細川俊夫氏にとって、自然とは聞き取ることのできる象徴的なかたちとして表れるものである。したがって、どんな音や静寂も精神性を有している。福島原子力発電所での災禍といった日本の歴史が作曲の原動力になるというようなことは、「ヒロシマの声なき声」 においても同じことが言える。

 ここでようやく、「福島原子力発電所での災禍」という表現が出て来るが、それもあくまで「……といった日本の歴史」が、作曲家である細川俊夫さんの創作の「原動力」であるとする文脈の中でのことである。

  ハンブルク総領事館としては、このように本筋から外れたところで「福島原発災禍」に触れるしかなかったのだろうが(そしてそれは、もしかしたら「フクシマ隠し」を命じて来た東京・霞が関の本省〔外務省〕への精いっぱいの抵抗であったのかも知れないが……)、それではオペラそのものにも、作者の平田オリザさん、作曲家の細川さんらすべての関係者にも、オペラの舞台となった現実のフクシマに生きる人びとにも非礼過ぎる、と言わざるを得ない。

 いずれにせよ、このオペラが「フクシマの海のオペラ」であることを、安倍政権下の日本外務省の出先は、明示しなかった。東電の福島第一原子力発電所の事故で被曝し、放射能で汚染された「フクシマ」を舞台にした歌劇であることを在留邦人に知らせず、歌劇の上演を告げたのである。
 
 それではハンブルクの歌劇場で、ドイツ語で歌われ語られた『海、静かな海』は、元々どんな筋書なのか。雑誌『文藝別冊』の「〔総特集〕平田オリザ」(KAWADE夢ムック 二〇一五年五月発行 河出書房新社)に収録された脚本(日本語原文)で見ることにしよう。以下、すこし長い紹介になるが、それでもかなりの縮約である。

    日本人と結婚し、バレエ教師として福島の「町」で暮らしていたドイツ人女性(元バレエダンサー)、クラウディアは二〇一一年三月十一日の大津波で最愛の夫と子(ドイツ人の前夫、シュテハンとの間にもうけたマックス)を亡くす。夫と息子は海に流され、遺体も見つかっていない。

    お彼岸の慰霊祭を迎えた、海を見下ろす丘。「漁師」たちが黙祷するなか、「町」の人びとによる「コロス(合唱隊)」が鎮魂の歌を歌う。

      ♪ 山が死んだ日は、静かに涙を流せ
        海が死んだ日は、やさしく微笑め
        空が死んだ日は、眠らず歌え……

    津波が襲ったこの福島の町は、海だけでなく、津波が届かなかった山も空も、その日、死んだ町だ。

    合唱が続く中、クラウディアが下手から登場し、丘を登り始める。そこにクラウディアの夫の姉、ハルコが現れ、ドイツからクラウディアの兄、エリアスが迎えに来たことを告げる。そしてエリアスが登場。

    エリアスがハルコに漁師たちが持っていたランタン(灯篭)を見て、「なに?」と聞く。ハルコがこう説明する。「ランタンを海に流して、魂を天国に返すんです……お彼岸と言って……彼岸、向こう岸という意味です。たぶん、魂を向こうの岸に返すのかしら」

    いっしょにドイツに帰ろうと言う兄のエリアスに、クラウディアは「ここが私の故郷……(息子の)マックスもいる」から「私は帰りません」とキッパリ断り、こんな不思議な言葉を自分に聞かせるようにつぶやく。

       面白う狂うて見せよ、狂うて見せずばこの船には乗せまいぞ。

    クラウウディアがハルコと東京で観た、能の『隅田川』の台詞だ。お彼岸の「キラキラしてる」海の見える丘で、彼女はこの台詞を思い出し、つぶやいたのだ。

    灯篭を流したあと、白い防護服を着込み墓参りに出かける町の人たち。この福島の海辺は、防護服なしには墓参りもできない、見えない放射能に汚染された被曝地であるのだ。
 
         ハルコと二人きりになったところで、エリアスが「それは、どんな話?」と聞く。「……子どもを亡くした母親の話。子どもをさらわれた母親が、子どもを探して旅をしてくるの。川〔隅田川〕の渡し船があってね、船頭が意地悪をして、狂って踊って見せなければ、この川を渡さない、船に乗せないって言うの。……それが、さっきの台詞。面白う狂うて見せよ、狂うて見せずばこの船には乗せまいぞ。……結局、船には乗れるんだけど、その船の渡る先に柳の木が植えてあってね、それが、さらわれていった、その子のお墓だったの」とハルコ。

   『隅田川』はもちろん、この劇の脚本を書いた平田オリザさんによる「劇中劇」ではない。世阿弥の長男とされる観世元雅の能楽作品で、作詞も元雅とされる。

  ドイツ人から来た異人の女性、クラウディアを主役に据えたオリザさんの劇は、一五世紀、室町時代の「狂女物」の能を、ここで一気に福島の海辺に呼び込み、フクシマの悲劇をなおいっそう日本の悲劇として、子を亡くした母の悲しみという歴史と国境を超えた普遍の感情を通して描き出そうとするのである。

  そんなクラウディアのもとへ、兄のエリアスに続き、こんどは前の夫で息子マックスの父親のシュテファンが突如、現れる。二人してクラウディアを説得し、ドイツに連れ戻そうと言うのだ。

   「だけど、わざわざ危険なところに住まなくっても」とシュテファン。
「現実を見よう。確かに、この国の海は美しい。優しい家族に囲まれて、君は幸せだった。でも、もうその海はないんだよ。この空には、見えないチリが漂っていて、人々を危険にさらしている……現実を見よう、クラウディア」とエリアス。

   が、クラウディアは二人の説得に応じようとしない。「現実を見よう」と言われて、「そんな現実は、見えないわ」と言い返し、「私たちはずっと、見えない現実と闘ってきたんです」と繰り返し、「敵は、どこにも見えない」と言って押し黙るクラウディア。

   ハルコも説得に加わるが、クラウディアは頑として聞き入れない。逆にエリアスたちに「この見えない現実を見て」と迫るのだ。
「でも、この街の人は、遺体さえ探せなかった。津波から二日目には、全員に避難命令が出たから、みんな、この街を離れなくちゃならなかったから…誰も、海には戻れなかったから。遺体を探しに行くことも許されなかったから。それが、私たちの現実。現実を見て、エリアス、この現実を見て。この見えない現実を見て……」

   その「見えない現実」を、彼女は必死で見ていたのである。見えないものを見て取っていたのである。だから、ハルコの「マックスは死んだのよ。あなたはそれを受け入れて、新しい人生を始めないと…」の説得に、「この街の子どもは、胸一杯に空気も吸うこともできません」と言うことができたのだ。

   クラウディアもまた、隅田川を渡った京女のように、「見えない現実」の対(彼)岸に待つ真実に向けて、物狂いしながら渡り終えていたのである。

      南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……

  ハルコとエリアスと一緒に南無阿弥陀仏を唱えたクラウディアの前に、救いのように少女、ミユキが現れる。クラウディアのバレエの教え子。くるくると回ってターンを決めたミユキに、クラウディアは、こう声をかけた。「また少し大きくなったんじゃない」と。

  夫と息子のマックスをなくしたフクシマの海辺に、少なくとも少女ミユキが背丈を伸ばすだけの時間は戻っていたのだ。

  「町」の人びとによる「コロス(合唱隊)」が再び、鎮魂の歌を歌う。

      ♪ 山が死んだ日は、静かに涙を流せ
        海が死んだ日は、やさしく微笑め
        空が死んだ日は、眠らず歌え……

  「さあ、みんな帰るのよ。それぞれの故郷に。帰りなさい、それぞれの故郷に」と、ここで突然、言いだすクラウディア。
         〔いよいよ、静かな幕切れ、クライマックス〕

     クラウディア ねえ、ハルコ、さっきマックスが帰ってきたような気がしたんだけど。

     ハルコ  えっ?

     クラウディア 今日は釣りに行くって言ってから、もう少し遅くなると思っていたんだけど。

    ハルコ そうね。

    クラウディア だったら、帰って晩御飯の支度をしないと…マックスも、またバレエを習ってくれるといいんだけれど。
       ………………
       ………………
    クラウディア 私は、家族と海を眺めている時間が、いちばん好き。

 平田オリザさんの脚本を繰り返し読んで、わたしの心に、最も深く刻み込まれたクラウディアの言葉(台詞)を挙げるならば、それはやはり「私たちはずっと、見えない現実と闘ってきたんです。敵は、どこにも見えない」――。それと「それが、私たちの現実。現実を見て、エリアス、この現実を見て。この見えない現実を見て……」。この二つである。

 「見えない現実」が現実としてあり、「見えない敵」が見えない現実としてある「フクシマ」。

 オリザさんはたぶん、「脱原発」を選んだドイツから来たクラウディアという異人の女性の同化の目を通して、フクシマの見えない現実を日本人であるわれわれ以上に、わたしたちの目の前に、目に見える現実として取り出し、突き付け、見せてくれたのである。

 我流の解釈をもうひとつ挙げれば、わたしたちは能の『隅田川』と「フクシマの静かな海」の次元の違いにも気づかなければならない。『隅田川』は対(彼)岸へ渡ったところで「……わが子と見えしは塚の上の、草茫々(ぼうぼう)としてただ、しるしばかりの浅茅(あさじ)が原と、なるこそあはれなりけれ、なるこそあはれなりけれ」の結末を迎えるが、「フクシマの静かな海」は幕が下りても終わらない、終わりのない劇だ。

  そこには、渡り終えて結末を迎えることができない現実が、さらに言えば彼岸へと渡ることさえできない現実が、見えないものとして、あるだけである。

 能の『隅田川』の母は、浅茅が原〔雑草の生えた野原〕の草にわが子の亡霊を見て、愛(いと)おしむことができるが、山も、空も、死んだ「フクシマの静かな海」の母は、亡くなった息子とともに、微笑みながら、海を眺めるしかない。だからクラウディアは「私は、家族と海を眺めている時間が、いちばん好き」と言うのである。
 
 平田オリザさんのこの劇がオペラ化され、ハンブルクで初演されていた頃、ある日、わたしはなぜか、部屋の書棚の上に横積みにしていた一冊の薄い本に目が行き、手に取って開いた。

  岩波ブックレットの『3.11を心に刻んで 2015』(岩波書店編集部編)。

 開いたところが偶然にも、作家の多和田葉子さんのページだった。わたしは多和田さんが長く、ハンブルクに暮らしていたことを思い出し、少し驚きながら見開き二ページにきちんと収まった文章をさっそく読んだ。

 石牟礼道子さんの『苦海(くがい)浄土――わが水俣病』に触れ、「フクシマ」と「水俣」をつないだ文章だった。

 多和田さんによって、冒頭に引かれた『苦界浄土』の一節の一文字が――「少年」の一文字が、目に飛び込んで来た。

    ……少年はたったひとり、とりのこされているのであった。

 とりのこされた「少年」とは、『苦海浄土』の「第一章 椿の海」に出てくる「山中九平少年」だが、その少年の姿が、「フクシマ」の海に消えたクラウディアの「マックス少年」に重なるような気がした。

 山中九平少年は一九四九年(昭和二十四年)の生まれ。五歳二月で水俣病を発病した。

 石牟礼道子さんが水俣・湯堂集落の赤土の坂道を登り、前庭に出ていた少年を見たのは一九六三年(昭和三十八年)の秋こと。十四歳の少年は不自由な体で独り、棒切れを持ち、「野球」のけいこをしていた。

  
 少年は、土間の隅に窪みを掘り、そこにしまって大切にしていた石を持ち出していた。少しひょろ長い、拳大の石ころ。少年は左手で握りしめた石を「重々しく空へむかってほうり投げた」。そして「両腕で棒切れを横に振り放った。石が的外れの方角で、それに着地しているにもかかわらず。

 石牟礼さんが近寄り、名前を呼ぶと、「まるで後ずさりに突進するように、戸口の内に入ってしまった」。それが彼女の、山中九平少年との「正式な、はじめての出遭い」だった。

 石牟礼さんは、続けてこう書いている。

   そして私には、この少年とほぼ同じ年齢の息子がいるのであった。激情的になり、ひきゆがむような母性を、私は自分のうちに感じていた。

 多和田葉子さんの導きで、『苦海浄土』のこのくだり読み返しているうち、偶然を信じるわたしは、平田オリザさんもきっとこの箇所を読んでいて、石牟礼道子さんの母性を投影しながら、「フクシマ」の海に取り残された息子を持つ「クラウディア」を造形したに違いない、と思ったものだ。

 わたしのこの直観が仮に間違っているとしても、「フクシマ」の静かな海が、水俣の苦海にもつながっていることは否定できるものではない。

 石牟礼道子さんの『苦海浄土』の「苦海」は、第一章の冒頭に石牟礼さん自身が銘記したように、弘法大師・空海の和讃の一節、「繋(つな)がぬ沖の捨小舟(すておぶね) 生死(しょうじ)の苦海果(はて)もなし」から来ているものだが、「生死の苦海」を漂い行く者とは、和讃にあるように「罪障(ざいしょう)深きわれわれ(は)」である。

 したがって、「フクシマ」の海が水俣の苦海につながるものであるとすれば、クラウディアがそこにわが子、マックスを求めて目を凝らした「静かな海」とは、「罪深きわたしたち」の喩えでもあるのだ。

 ただし、この場合の「わたしたち」とは、あくまでも「わたしたち日本人」のことである。クラウディアの「静かな海」に漂い行く者とは、ドイツ生まれの彼女の息子を原発事故に巻き込み、救助することなく行方不明にしてしまった、あくまでも「罪障深きわれわれ日本人」のことである。

 「水俣」では有機水銀という見えない毒が海を汚し、「フクシマ」では原子力発電所の史上空前の大事故が放射能という毒を大放出し、環境を汚したが、それもこれも、結局のところは「わたしたち日本人」が犯した罪である。

 もちろんこの「わたしたち」は、その中で加害者と被害者の区別が明示され、被害者への支援と加害者への責任追及が徹底して行われるべき「わたしたち」である。

  しかし、「フクイチ」の原子力大災害を引き起こし、福島ばかりか東日本の大地を放射能で汚染し、それどころか爆発で噴き上げた死の灰をジェット気流に乗せ、世界中にばら撒いたのは、「わたしたち日本人」である。これはわたしたちが事故の被害者であることによって、免責されるものではない。

  平田オリザさんが劇の主役としてクラウディアというドイツ人女性を据えた理由はここにある。あるいは息子のマックスが、再婚した日本人男性の間に生まれた子どもではなく、ドイツ人の前夫との間でもうけた一人息子である意味も、たぶんここにあるのだ。

  さきほどわたしは『海、静かな海』について、「終わりのない劇」であることで『隅田川』を超えたものだと言ったが、いまやこの劇が世界的な地平を持つものであることは明らかである。この劇がドイツ語に訳され、ドイツ語のオペラになってハンブルクで世界初演されたのも、このためである。

  作者のオリザさんをはじめ、わたしたち日本人には、わたしたちの「フクシマ」に留まり、(わたしたちに対しても)「見えない現実を見て」と叫ぶクラウディアに答える義務がある。マックス少年の死を無駄なものにしない責務がある。

 その自覚において創作されたこの劇は、世界の人びとに対するわたしたちの「フクシマの約束」である、と言えるだろう。

  その約束をわたしたちが果たしたとき、クラウディアはドイツに帰ることができるのだ。マックス少年をフクシマの苦海から連れ出し、晴れて祖国に帰ることができる。

 オリザさんの『海、静かな海』に能の『隅田川』が引かれていることに触れたからには、石牟礼道子さんに、水俣の海(水俣湾の恋路島(こきじま))を舞台とした新作能『不知火(しらぬい)』があることを書き漏らすわけにはいかない。

 二〇〇二年七月、東京の国立能楽堂で初演された『不知火』が水俣湾の埋立地で、漁師ら地元の人びとの勧進で奉納公演されたのは、二〇〇四年八月二十八日のことだ。

  能舞台がしつらえられたその場所は、「苦海の中心」(新作能「不知火」水俣奉納する会)。「チッソ水俣工場の排水口からたれ流された水銀によって汚染された魚たちがドラム缶に詰められ、埋められた場所で、狂い死にした猫たちも、鳥たちも、そして悶死した人間たちの魂も、ここに埋められ」たところだ 。

 夕陽が会場の真向かいに浮かぶ恋路島を荘厳に照らし出す午後六時過ぎ、患者や遺族らおよそ一三〇〇人の人びとの前で、『不知火』の幕は開いた。

 水俣に何度も調査に入り、石牟礼さんと親交のあった社会学者の鶴見和子さんが紹介する『不知火』の筋は、こうだ。

   人間のたれ流した毒によって、生命の根源である海は滅びた。竜神の娘であって海底の宮の斎女であるしらぬいは息もたえだえになって、海底から〔終(つい)の島の〕渚〔恋路が浜〕へあがってくる。竜神の息子常若(とこわか)は、人の世のありさまを見めぐってくるよう親から命じられ、その旅からかえってくる。姉弟は渚でめぐりあい、隠亡(おんぼう)の尉(じょう)(実は末世にあらわれる菩薩)のはからいによってしらぬいは再生し、二人は結婚する。

   祝婚のために古代中国の歌舞音曲の祖と言われる「虁(き)」が呼び出され、浜辺のかぐわしい石を手にとって撃ちならし、妙なる音楽が奏でられるなか、この浜辺に惨死したすべての生きものが舞いに舞い、海は新しい生命をよみがえらせる……

   さても匂い濃き(・・・・)磯の石なるぞ。手にとり構ゆれば創世の世のつぶら貝を抱く心地かな。この石撃ちて撃ちて歌はむずる。ここなる浜に惨死せし、うるはしき、愛らしき百獣どもが舞ひ出ずる前にまずは、出で来よ。わが撃つ石の妙音ならば、神猫(しんびょう)となって舞ひに狂へ、胡蝶(こちょう)となって舞ひに舞へ。いざや橘(たちばな)香る夜なるぞ。胡蝶となって華やかに、舞ひに舞へ――

 
  『不知火』とは、「死と再生の物語」などと簡単に言って済ますことのできない、ただならぬ神話性を帯びた詩劇であるわけだ。石牟礼道子さんは、なぜこのような『不知火』を書かなければならなかったか。その動機を、彼女自身こう語っている。

   そうすると、この海や陸に蓄積したもの、この、人間が毒素となって蓄積したものを、さらえてもさらえてもさらえつくすことのできない毒を、誰かが知恵のありったけと労力のありったけをつくしてさらえなければならない。誰がやるのだろうかと思いますに、やれそうな人間は見当たりません。そこで、お能の形で、神話の形を借りて『不知火』をつくりました。

  海というのは生命の母です。「不知火」の母を海霊(うなだま)にいたしました。そしてお父さんは竜神。この人間ではない竜神たちでもって、海と陸の毒をさらえてもらおうっていうのが『不知火』という詩劇です。わたしたちの望みを、二人の姉弟と竜神一族に託しました。もう人間に先んじて滅びる一族ですけれども、能(あと)う限り美しく滅びさせたいと思いました。

   ただ、ヒントはありました。水俣の患者さんの女の子たちが、死ぬ前に桜の花を見て、苦しいとも、いやだとも、人を怨(うら)むとも、なぜ自分たちがこんなに苦しむのかとも一切言わないで、「桜の花が……」って言って死んだのです。子供に教えられて親はハッとして、「今は桜の時期ばいなあ」と思って、桜を見たとおっしゃる。その人たちも死にましたけども。人間はやはり死の間際(まぎわ)には、美しいものを見たいのだろうと思いました。

   そういうことが実際にあったものですから、それが導きとなりまして、あのようなお能を書きました。私ども人間の夢を、あちらに行くときの夢に託しまして。今際(いまわ)の夢です。

  石牟礼道子さんは、人間が蓄積した「さらえてもさらえてもさらえつくすことのできない毒を」浚(さら)おうと願う「わたしたちの望み」を、わたしたちがこの世を旅立つ「今際の夢」――最期の願いとして、「不知火」ら水俣の海底に棲む竜神の一族に託したのだ。

  ここで言う「わたしたちの望み」とはもちろん、遅かれ早かれ死出の旅立ちをする、わたしたち一人ひとりがこの世に遺すべき望みのことである。

  しかしそれにしても「さらえてもさらえてもさらえつくすことのできない毒を」浚おうとする水俣の夢とは、放射能の核毒にまみれた「フクシマ」被曝地の海さえも視野にとらえた、悲痛なまでに広大なものではないか。

  石牟礼道子さんが竜神一族に託した悲しい夢の広大無辺さは、空間的なものにとどまるものではない。時間的にも、そうである。

  たとえば、人類がつくりだした猛毒のプルトニウム。東電福島第一原子力発電所の原子炉で生まれ、事故に伴い環境に放出された人工の核種、プルトニウム239(Pu-239)の半減期は、なんと二万四〇〇〇年である。その環境毒性が消えるまで、一〇万年もの途方もない時間がかかる。

  いったん環境に放出されたからには、浚い尽くすなど不可能。あとは地球環境という自然の摂理にまかせて、消え去るのを待つしかないのだ。

  これから一〇万年を生き継ぐわたしたち人類の各世代が、そのそれぞれの世代の一人ひとりが、各自の人生において、今際の夢をつなぎ合い、自世代の責務を果たしていくしかない。最早、それしか、ありようがないことなのだ。

 まるで「フクイチ」が起きるのを予期してつくられたような水俣の海の『不知火』だが、その「フクシマ」の海さえも取り込む、神話的な普遍性を、劇作家の平田オリザさんが知らず、気づかず、『海、静かな海』を書くなど、あり得ることだろうか。

  そう思い、手がかりを探してオリザさんの脚本を調べたら、あった! 劇のクライマックスでクラウディアは、こんな台詞を(突如)つぶやく。

   クラウディア 今日は、海の臭いが強いわ。


  これは石牟礼道子さんのあの台詞――「さても匂い濃き(・・・・)磯の石なるぞ」と響き合うものと考えて間違いなかろう。

  絶望の底に隠れ棲む、かすかに匂い立つ再生の予感。

  だからオリザさんはたぶん石牟礼道子さんに対するオマージュとして、この台詞をやや唐突に劇のエンディングに忍びこませたのだ。

  平田オリザさんは民主党の鳩山由紀夫政権で、首相のスピーチライターとして内閣官房参与に就任 、続く菅直人政権で偶然にも「3・11」に遭遇した人だ。この国の政治の表舞台――いや、裏舞台にも立った人である。

  オリザさんは「フクイチ核惨事」の展開を、官邸という政権中枢にいて目の当たりに、この国空前の悲劇の生き証人だ。

  その事実の重みをかみしめ、『海、静かな海』のオリジナル(原作台本)をいまあらためて読み直すとき、オリザさんがすべての登場人物の台詞一つひとつに込めた哀切な心を、台詞の一つひとつの重みを、感じわけないわけにはいかない。

  (幕開け後、間もなく)

  * みな、丘の向こうの海を眺める。

   コロス(町の人々)C もう、戻れないのかな、
   コロスA まぁ、俺たちが生きてる間は無理だよ。
   コロスC そうかな。
   漁師 もう永久に無理なんじゃないか。
   コロスC そんな、
        …
     漁師 黙祷
          …
     合唱  月のない夜は星に聞け
      星のない夜は波に聞け
      波のない夜は雲に聞け
      山は死ぬるか?
      海は死ぬるか?
      空は死ぬるか?

 Stilles Meerのハンブルク初演を報じるドイツのサイトを眺めていたら、地元ハンブルクのメディアが、この「月のない夜は星に聞け」の歌詞を見出しに取っていた。

     ♪ „Ist die Nacht ohne Mond, frag die Sterne…“
     ♪ 星よ、聞いてよ、夜には月がない?


 
 わたしたちはつまり、かけがえのないものが消えた「月のない夜」にいるのである。だから星に聞くのだ。しかし、星も見えない夜だから、波に聞くしかない。

 山も海も空も死んでしまうのか、と聞くしかない。
 それはしかし、きっと星も波も雲も答えられないものなのだ。

 何もかもが、山も海も空も、放射能で被曝したのだ。何もかもが――それはドイツの有力日刊紙、『ヴェルト』の演劇批評記者、マヌエル・ブルグさんに言わせれば、「スシさえも被曝し(Verstrahltes Sushi)」失われてしまったのだ。

 それが、わたしたちもコロスの一人として生きる「フクイチ」被曝地の真実なのである。被曝したことで全てをうしない、最愛の息子までなくした『海、静かな海』の主人公、能で言えば「シテ」に立てられたクラウディアが狂うのも、当然すぎることなのだ。 

 わたしはハンブルクの舞台のハイライト部分を、ハンブルク州立歌劇場がユーチューブで公開したトレーラー動画で観た。そしてクラウディア役のソプラノ歌手、スザンヌ・エルマークさんの姿を見て、『海、静かな海』とは「フクシマの鬼女」のオペラではないか、と考えた。 これはもちろん、わたしの個人的な感想にすぎないが、理由がないわけではない。

 わたしは、歌うエルマークさんの「クラウディア」に、二〇一一年九月九日、東京・明治公園で開かれた「さよなら原発5万人集会」で、フクシマの現地被災者を代表して特設ステージに立った武藤類子さん(福島原発告訴団団長)のスピーチを思い出し、そう言っているのだ。

 あの「私たちは東北の鬼になる」スピーチを思い出し、明治公園を埋めた六万人にも人びとに訴える武藤類子さんの姿を、クラウディアに重ねているのだ。

 武藤類子さんはその時、こう言っただ。

 そしてこの事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。本当にごめんなさい。

 
 3・11原発事故を境に、その風景に目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被曝者となりました。 〔中略〕そして今、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは――事実は隠されるのだ。国は国民を守らないのだ。

 事故は未だに終わらないのだ。福島県民は、核の実験材料にされるのだ。莫大な放射能のゴミは残るのだ。大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。私たちは捨てられたのだ……。


   私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。でも、口をついて出てくる言葉は、「私たちをバカにするな」「私たちの命を奪うな」です。
   
    私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。
    私たち福島県民は、故郷を離れるものも、福島の土地に留まり生きるものも、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちと繋がってください。……

 静かに怒りを燃やす、東北の鬼になる……武藤類子さんは、たしかにそう言ったのだ。東北の、みちのくの鬼になる――。

 わたしのような福島県郡山市を本籍として、宮城県仙台市でプルームを浴び被曝し、止まらない鼻血に苦しんだ男も東北の鬼、みちのくの鬼のはしくれあるなら、福島原発原告団の団長として闘いの先頭に立つ武藤さんは、東北の鬼女、みちのくの鬼女の代表である。

 わたしたちはみな、たとえば、謡曲の『安達が原』、あるいは『大和物語』にも出て来る「安達が原」の、

   みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか

 ――の、「みちのくの鬼」であるわけだ。

  「フクイチ」からのプルーム(放射能雲)は、福島の「安達が原」を汚染し、当時、三春町に住んでいた一人の女性を「東北の鬼」をしたのだ。

 プルームは、どこもかしこも汚染した。男も女も、老人も子どもも、わたしたち風下被曝地の者は皆、程度の差こそあれ、内部・外部被曝を強いられたのだ。誰もが被曝の鬼となることを強いられたのだ。

 武藤類子さんが言うように、今やわたしたちもまた「フクシマの鬼」として生きるしかない。残念ながらそれがわたしたちの、否認しようもない現実なのである。

 被害者であるわたしたちは、こどもたちや若い世代に対しては加害者ある。「この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝り」、「苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって」生きていくしかないのである。

 平田オリザさんが『海、静かな海』の舞台を、海の眺める丘の上に設定した理由は、たぶん、そこにある。その丘は――フクシマの丘は、被曝した鬼であるわたしたちが集う「広場(アゴラ)」である。広場になるべき丘である。

 だからその丘は、クラウディアだけが、町の人びとや漁師たちだけが登る丘ではない。そこはクラウディアやコロスに導かれはしても、この時代に生き残る、わたしたちの誰もが自分の足で登り、集い、苦悩と責任と希望を語り合うべき、海の見える丘である。

 わたしたちは丘の広場において、わたしたちがそこから生まれて来たという海に向き合い、これからの生き方を考えなければならない。

 そうした「フクシマの丘」こそ、『海、静かな海』、あるいは「フクイチ核惨事」そのものが、崩れかかるこの国の、わたしたちにくれた広場であるのだ。放射能にまみれた被曝の荒れ地に、広場を登場させたのである。
 
 その丘の上に立ち、わたしたちもまたクラウディアのように、この地で生きる意味を問わなければならない。

 しかし、それにしても何もかもが、山も海も空も、放射能で被曝したこの地において、わたしたちの足元に、いったい何が残されているというのか。苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていくのはよいが、食べ物も水も汚れてしまったこの土地で生きるわたしたちに、希望の足がかりは残されているのか。

 絶望的なこの問いかけに対しては、向き合うことさえ難しいことだが、わたしたちがいま一度、クラウディアとともに「フクシマの丘」に立ち、舞台の幕が下りたあともなお、彼女が最後に言ったあの言葉の意味をかみしめれば、答えは自ずと浮かぶに違いない。
 
 クラウディアの、あの最後の台詞を思い出していただきたい。彼女はこう言ったのだ。

  クラウディア 私は、家族と海を眺めている時間が、いちばん好き。

 山も海も空も、何もかもが放射能で被曝したけれど、彼女にはまだ、残っているものがある。それは「時間」――「家族と海を眺めている時間」だけは、まだ残っているのだ。

 「フクシマ」の静かな海の上に流れる、幸福な家族の時間。それだけは彼女の意識の中で、被曝で汚されもせず、残っていたのだ。

 それを今、思い出し、その幸福な時間に浸るクラウディア。

 その「いちばん好き」な時間はしかし、失われたものの単なる追憶ではないだろう。彼女の意識の現在において常に甦り、未来に向けて流れ続けるものではないか。

 わたしが今ここで言いたいのは、この「時間」はクラウディアだけのものではない、ということである。わたしたちにもまだ、丘に集い、静かな海を眺める「時間」が残されている、ということだ。

 山も海も空も、森も林も畑も田んぼも、土も空気も水も、あらゆるものが放射能の汚染されてしまったけれど、それでもなお、生き残ったわたしたちにはまだ「時間」がある。「時間」だけは(比喩的な言い方に過ぎないが)被曝せず、残されているということである。

 その「時間」の中で、わたしたちに許された「残り時間」「持ち時間」の中で、わたしたちは「苦悩と責任と希望」を分かち合い、支えあって生きて行く。

 わたしたちにはたぶん、最早それしか許されていないのだ。しかし、それだけは、できる。それだからこそ、そうしなければならないのではないか。わたしたちがそれぞれの残り時間を、持ち時間をどう使うかは、わたしたちの覚悟と意志の問題であるだろう。

 さて、その「残り時間・持ち時間」だが、消滅するまで一〇万年もかかるプルトニウムのような死の灰をまき散らしてしまったからには、わたしたちの「時間意識」にも、「一〇万年」という気の遠くなるような尺度が持ち込まれなければならない。

 わたしたちには、たしかに「フクイチ・スーパー核惨事」を引き起こしてしまった「世代の責任」がある。その世代責任を引き受けるならば、わたしたちは一〇万年先まで責任を持たなければならないわけだ。

 二五年で子孫を残す世代交代を繰り返すとして……単純計算で四〇〇〇世代の後まで責任を背負わなければならない。

 「フクイチ核惨事」はそれほどまでに遠大な罪を――「世代責任を超えた一〇万年の大罪」を犯してしまったわけだが、わたしたちがその罪を放棄せず、世代責任を引き受けようにも、個々人の人生の時間の枠内では手の施しようもないことである。

 では、どうするか。時効を待つ殺人犯のように、責任をとらず、対策を未来世代に丸投げして、西方浄土の来世や天国に逃げ込み、それでよしとするのか。

 そんな無責任なことはできないというなら、わたしたちは一〇万年先のこの世をわたしたちの人生の延長に置くべきだろう。個々の人生の究極目標を、そこに置く必要がある。

 わたしたちの人生の延長にある次の世代へ希望と責任を託し、その繰り返しの中で一〇万年後の「浄土」を目指すしかない。

 つまり、わたしたちには「フクイチ・プルトニウム」が一〇万年先に「半減」を終えてようやくほぼ消滅し、この世に放射能汚染のない「浄土」が再来するその瞬間に向かって、世代を超え、いのちを繋いで生きていく責任があるわけだ。

 その意味で「フクイチ・スーパー核惨事」後の世界にあっては、日本列島に「浄土」が再生する「一〇万年後」が、わたしたち各自の人生の共通目標になる。この世に「浄土」を再び手にするには、そこに向かって、各世代の各個人が自分の「持ち時間」を使って責務を果たし、いのちを繋いでいかざるを得ない以上、わたしたちは「一〇万年後」を共通目標とするしかないのだ。

 「一〇万年後」を目標とするとは、とりあえずそこまで、何がなんでも生き延びるということである。これ以上の放射能汚染を回避し、人類が二〇世紀の半ばに生みだした「核の時代」を最終的に清算していくことだ。それしかわたしたちが生存する道がないわけだから、その「一〇万年後」の到達点から、わたしたちに向かって流れてくる時間を遡る。それしかないのである。

 一〇万年後のその一点から、いわば未来から流れて来る時間の源流の一点から、この先の一〇万年間の、わたしたちの生き方の筋道が決定されている。

 わたしたちの時間意識はこれまで、過去から現在に向かって流れ、さらに無限の、不定形の未来へと流れる一方的なものだったが、「フクイチ核惨事」後の日本に生きるわたしたちにとって、それは今や、「一〇万年後」の「到達点」がわたしたちの生き方の筋道を画定し、その中でそれぞれの「持ち時間」を使いながら世代をつないでいく、いわば逆の方向性を帯びたものに変わったわけである。

 わたしたちは、その「一〇万年後」を「原点」とする未来からの時間の流れに、わたしたち自身の時間の流れを重ね、渦巻くものに負けず、正しい方向を見失わず、遡上する鮭の群れのように世代交代のなかでいのちをつないでいかねばならない。「フクイチ核惨事」を引き起こし、経験したわたしたちは、一〇万年を一区切りとする、未来からの呼びかけに応え、その方向に進むしかない、新しい時間の流れ中に呼び込まれたわけである。

 「被曝穢土」に生きながら、自分の持ち時間を「未来浄土」に向かって進ませることは、わたしたちの意志の問題であるだろう。わたしたちが一〇万年後の一点に行先を定めたからには、そういう決断と意志でもって進もうとするわたしたちの前に、「未来浄土」はいくらでも遡行して現れることだろう。その限りにおいて、わたしたちの生きる現実の被曝地の地平は「未来浄土」と地続きの「被曝浄土」になり得るかも知れない。

 今や、道はわたしたちの跡に生まれるものではなく、わたしたちの前に続く、未来から来るものになったような気がする。「フクイチ核惨事」を引き越したわたしたち以降の世代にとって、「浄土」は西方や来世、あるいは天国にあるのではなく、「一〇万年後」の清浄の地を目指す、その道筋の――つまり、あくまでも「この世」の――足元に生まれるものになった。

 その意味でクラウディアが立つ、フクシマの海の丘は、その長い道のりの出発点であるだろう。クラウディアの最後の台詞にある、「いちばん好きな、家族と海を眺める時間」は、一〇万年後の未来世代にもあるべき時間である。わたしたちはその時間を目指し、世代を重ね、いのちをつないでいかねばならない。

 クラウディアにとって、家族と海を眺める時間がいちばん好きな時間なら、『苦海浄土』の水俣病患者、坂上ゆきさんにとってはたぶん、元気なころ、夫の茂平さんと二人で漕いで海に出た、二丁櫓の夫婦舟での時間であるだろう。

   不知火海はのどかであるが、気まぐれに波がうねりを立てても、ゆきの櫓にかかれば波はなだめられ、海は舟をゆったりあつかうのであった。……

   二人ともこれまで夫婦運が悪くて前夫と前妻に死に別れ、網の親方の世話でつつましく灘をわたりあって式をあげた。ゆきが四十近く、茂平は五十近くであった。

   茂平やんの新しい舟はまたとない乗り手をえて軽かった。彼女は海に対する自在な本能のように、魚の寄る瀬をよくこころえていた。そこに茂平を導くと櫓をおさめ、深い藻のしげみをのぞき入って、

   「ほーい、ほい、きょうもまた来たぞい」

   と魚を呼ぶのである。しんからの漁師というものはよくそんなふうにいうものであったが、天草女の彼女のいいぶりにはひとしお、ほがらかな情がこもっていた。

   海とゆきは一緒になって舟をあやし、茂平やんは不思議なおさな心になるのである。

 こういうゆきさんの時間が、水俣の海にも、あるいはフクシマの海にも戻らなければならないのだ。わたしたちの誰にもあった、幸せな時間を、わたしたちは世代をつなぎながら、この世の浄化を進める中で取り戻さなければならない。

 「フクイチ核惨事」、三年目の秋、二〇一三年十月九日、「水銀に関する水俣条約」が熊本市で採択された。水俣病にいまもなお苦しみ続けている「MINAMATA」を冠した、水銀汚染を防止する国際条約が熊本市での採択会議で正式に合意された。

 このとき、日本の安倍首相はブルネイでの「アセアン首脳会議」出席を優先し、採択会議を欠席した。そのとき、採択会議の記念式典に寄せたビデオ・メッセージが水俣病患者ら関係者を怒らせた。

 英語の字幕がついた、日本語によるメッセージだった。安倍首相は涼しい顔で、こう言い切ったのだ。(太字強調は大沼)

  水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため、先頭に立って力を尽くす責任が、日本にはあるのだと思います。 
   Japan experienced a crisis due to mercury and then recovered from it. We therefore have a responsibility to play a leading role in eliminating worldwide the suffering caused by mercury.

 水俣病という環境犯罪を見逃し続けた政府・自民党の責任に全く触れない、お気楽なメッセージだった。犠牲になった患者たちは直ちに抗議の声を上げた。

    式に出席した水俣病被害者互助会の佐藤英樹会長は厳しい口調で「訴訟を続けている人もいる中で、水俣病問題は全く克服されていない。安倍首相は被害者に会ったことがあるのか。聞いていて怒りが込み上げてきた」。

    最大の未認定患者団体「水俣病不知火患者会」の大石利生会長も「実態を知らない人の言葉。福島第1原発について『コントロールされている』と言ったのと同じで、格好をつけているだけ。国は『水俣病問題は終わった』としたいのだろう。許せない」と憤った。

 前年の二〇一二年十二月七日、水俣病特措法による救済申請を政府が一方的に打ち切り、不服も受け付けないため、一八〇人が救済を求めて「ノーモア・ミナマタ2次訴訟」を起こしている中での安倍首相による「日本は水銀による被害を克服した」との発言だったが、同じく会議に出席した「石原伸晃環境相〔当時〕もあいさつの中で、被害者救済に関しては一言も触れなかった」 。

 石原環境相はしかも、採択会議に先立ち、同日(二〇一三年十月九日)に水俣市で開かれた日本政府主催の水俣追悼式に欠席する予定だったことが、事前に暴露され 、抗議と批判の中で出席を決める醜態を演じた。一九七七年、父親の石原慎太郎・環境庁長官(当時)が水俣病患者代表らの面会を断り、テニスをしていたとして国会で追及を受けた ことを思い出させる無様さだった。

 石原伸晃環境相は翌二〇一四年六月十六日、「フクイチ」放射能汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐって「最後は金目でしょ」と発言して、被曝地の人びとの怒りを買うことになるが、この程度の男たちがこの国の権力の座に居座っていることを、わたしたちは忘れるわけにはいかない。

  「水俣」で責任逃れの戦術を学んだ日本の政権は、「フクシマ」でも同じ構えで来ている。

 その、あさましい姿をみて米国で環境問題に取り組む有名弁護士は、「いやはや、驚いたことだ(Go figure.)」と言い、「日本政府は人びとを守る代わりに、被曝限度を単に引き上げただけだった。人びとの長期にわたる健康、福祉を確証するのではなく、電力業界を守り、その賠償責任に限度を設定した」と指摘していることも、ここに記しておこう。

 要は日本政府は、日本国民を守る代わりに原発を、東電を守ったのである。被曝地の浄化に「一〇万年」もかかる人類史規模の最悪の核惨事を引き起こしていながら、こんな近視眼的な、姑息な姿勢で事態を乗り切れるとでも思っているだろうか。この日本政府のやり口を、「未来世代」が振り返って見たとき、自分たちの先祖の仕出かした罪の大きさとともに、その臆面もない愚かしさにも恥入り、悔しい思いをするのではないか。

 山も海も空も、すべてが放射能に汚され被曝した事実はもはや変えようのないことだが、わたしたちは「被曝穢土」に果ててはならない。「未来浄土」に向かう「被曝浄土」に生きなければならない。

 そうした「未来浄土」から現在を捉え返し、「被曝浄土」の高みから世界を見直すことができれば、戦後日本をむさぼって来た「核時代」の政治権力も経済支配も、穢土にうごめく毒虫のごときものとして、迷うことなく一掃することができるだろう。

 わたしたちは一〇万年前、アフリカを出発し、この日本列島にたどり着いた。「出アフリカ」の旅立ちから一〇万年後に「フクイチ核惨事」というとりかえしようのないことを仕出かしてしまった。そしていま、わたしたちは「海の見えるフクシマの丘」に立ち、プルトニウムの核毒が消える一〇万年先を幻視している。

 そのことの意味を考える時、わたしの心に浮かぶのは、哲学者の今道友信さん の著作から教えられた、フランスの哲学者、ガブリエル・マルセル の、人間とは「ホモ・ヴィアトール(Homo viator 旅する人)」である、との定義である。ホモ・サピエンス(ラテン語で「賢い人」)であるはずのわたしたちは一〇万年の時を経て、ついに決定的な愚行を冒した。こんどは世界を浄化する、同じだけ長い、長い旅路をたどらなければならない。

  俳人、松尾芭蕉はその『奥の細道』の冒頭に、「月日は百代の過客にして、行きはふ年も又旅人也」と書いた。わたしたちの生きる月日も――わたしたちの一生もまた百代の過客である。時間もまた、わたしたちとして旅しているという人生観、時間感覚。

 「フクイチ」を現在進行形で生きるわたしたちもまた、それぞれの一生をつなぎ、長い旅路を歩み続け、「一〇万年後のフクシマ」にたどり着かねばならない。

 「一〇万年後のフクシマ」を想像することは、ある意味、実はかんたんだ。「3・11」という悲劇が起きる前の時代を想えばいい。

 たとえば芭蕉翁が元禄二年(一六八九年)の春、鬼女伝説の黒塚のある安達が原に向かう前、福島・須賀川あたりで目にし耳にした「風流の初(はじめ)やおくの田植うた」の風景を、歌声を想えばいい。

 「茂平やんの新しい舟」で不知火の海に出た、水俣の「ゆき」さんの幸福だった時間を想えばいい。

 何だってかまわない。

 「フクシマ」や「ミナマタ」で決定的な過ちを犯した工業資本主義の始まる前の、この国が有機水銀や死の灰にまみれる前の世界を想えばよい。かけがえのない自然の風物と人の心を想えばよい。

 そこへ、わたしたちは一〇万年かけて還るのだ。そこを目指して、放射能の穢土と化した日本を浄化し、甦らせていくのだ。

 旅はしかし、いま始まったばかりである。わたしたちはもしかしたら、人類として途中、斃れるかもしれない。

 しかし、わたしたちには今、「ぼくたちは科学になる」と言い遺してくれた「チェルノブイリ」の「アンドレイ」君がいる。

 ハンブルクで「フクシマの丘」に立ち、微笑を浮かべ、静かな海を眺め続ける「クラウディア」もいる。

 そしてなにより、わたしたちには――『チェルノブイリの祈り』の作家、スベトラーナ・アレクシエービッチに言わせると、まだ「二〇~三〇年」の時間が残されている。

 まだ、時間はある。問題は、その時間で何をするか、だ。この、わたしたちの世代において、何をどう切り拓いていくか、だ。

 わたしたちは皆、個人として「一〇万年後の未来浄土」を目指す旅の途上で自分たちの時間を終えざるを得ないが、そのとき、わたしたちは「前を向いて」いなければならない。未来に向かって、前のめりに倒れ込まねばならない。

 「フクイチ・スーパー核惨事」に生まれ合わせたわたしたちは、だれもが被曝穢土から未来浄土へ歩み続ける「フクシマの旅人」の第一世代である。

Posted by 大沼安史 at 08:39 午後 |

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