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2018-01-01

〔甲賀の里(滋賀県湖南市)日記〕◇ 「平和よ永遠なれ」――特攻爆撃機パイロット、元・陸軍飛行兵、佐々木友次さんに捧ぐ! ◎ 9回、「カミカゼ特攻」を命じられて敵艦の爆撃に出撃し、軍上層部の、とにかく体当たり――狂気の命令に抗して、あくまで爆弾投下で敵艦撃沈を狙う攻撃を続行、犬死せずに生還 ☆ 鴻上尚史さんの『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書)を読む

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 暮れ(12月4日)に出た鴻上さんの本を読み、北海道・当別町の農業、佐々木友次(ともじ)さんがベットの上で、劇作家・鴻上尚史さんのインタビューに応え、数々の証言を遺して、一昨年(2016年)2月9日、札幌市内の病院で、92歳でお亡くなりになっていたことを知った。

 佐々木友次さんのことは、高木俊朗さんの『陸軍特別攻撃隊』(文藝春秋)にも書かれており、ある程度、知ってはいたが、鴻上さんの本には、病室での一問一答も収録されており、佐々木さんの肉声を聴くようで、心に響いた。

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 1944年11月28日、また新たな出撃命令を受けた佐々木伍長は、滑走路脇の指揮所に呼び出され、参謀長から「……立派に体当たりをするんだ」と直々に命じられた。

 4回目の出撃だった。

 そのとき、佐々木伍長はこう答えた。

 「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」

 大佐に伍長が反論し、さとしたのだった。

 それも「自分は……」と言わずに「私は……」と言って。

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 体当たり攻撃は実は、敵艦の分厚い装甲甲板の前には無力だった。

 「どんなに急降下で突っ込んでも、飛行機の速度は爆弾の落下速度のおよそ半分になってしまう」

 「海軍の実験では、800キロの徹甲爆弾を高度3000メートルで投下することが、アメリカ艦船の装甲甲板を貫く最低の条件とされた」

 しかも、「甲板を貫く『徹甲爆弾』は海軍にしかなかった」。

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 佐々木さんの愛機、「九九双軽(九九式双発軽爆撃機)」は特攻用に、爆弾を投下できないよう改造されていた。

 それをみてあきれた現地の司令官が、整備兵に命じて、元に戻してくれた。

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 12月5日、5回目の特攻命令が出た。

 マニラ東方のレイテ湾。

 佐々木さんは1隻の「大型船」に狙いをつけ、高度1500メートルから急降下に入った。

 「操縦桿を倒し続けると、時速が500キロに上がっていく。全身がゆがむような重圧を感じる。目標船が急速に大きくなり、今にもぶつかりそうになる。200メートルから300メートルに近づいた時、……必死に鋼索を引いて投弾した。その瞬間、目の前を黒い大きなマストが通り過ぎた」

 海面から10メートルの高度で離脱。「振り向くと、大型船が傾いているのがはっきり分かった」
 空母ではなかったが、大型船の撃沈に成功したのだ。

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 40年近く前、わたしは札幌で、新聞社が発行する月刊誌の記者をしていた。

 そのときに一度、札幌市の北、当別町の佐々木さん宅を尋ねたことがある。

 取材を申し入れたのだ。

 断られた。

 相手が「うん」というまでがんばる、いつもの癖が、なぜかそのときには出ず、「ああそうですか」とそのまま、すんなり引き下がったことを覚えている。

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 お茶をいただいて雑談しながら、わたしが仙台衆であることを告げると(当別町は伊達藩の入植地)、お嬢さんが仙台の薬科大学で学んでいると言って、世話話をしばらく続けてくれた。

 佐々木友次さんが「仙台航空機乗員養成所」出身であることは、鴻上さんの本を読むまで知らなかった。

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 糖尿病で目が見えない佐々木さんは病院のベッドで、鴻上さんに「記者さんですか」と聴いたそうだ。

 鴻上さんは「僕は作家です」と答えたそうだ。

 そのとき、佐々木さんは「大ごとにはしたくないんです」と語ったそうだ。

 40年近く前の、わたしに対する答えと同じ言葉。

 にもかかわらず、友次さんが鴻上さんのインタビューに応えたのは、相手が気負った、三十前後の若造記者でなく、安心して話ができる、実績あるベテラン劇作家と分かったからだろう。

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 佐々木さんは取材を断念したわたしを軽トラの助手席に乗せ、駅まで送ってくれた。

 トウモロコシのお土産を持たせてくれた。

 そのときの佐々木さんは50歳前後。真っ黒に日焼けした精悍な農夫だった。

 助手席から見た、友次さんのクラッチを踏む、軽快な足さばきが今なお目に浮かぶ。

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 当別町にある友次さんのお墓には、以下の文字が刻まれているそうだ。

  哀調の切々たる望郷の念と
  片道切符を携え散っていった
  特攻と云う名の戦友たち
  帰還兵である私は今日まで
  命の尊さを噛みしめ
  亡き精霊と共に悲惨なまでの
  戦争を語りつぐ
  平和よ永遠なれ

   鉾田陸軍教導飛行団特別攻撃隊
           佐々木友次

 存命中、佐々木さんが用意した言葉である。

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 英霊ではなく、精霊。

 永遠のゼロではなく、永遠の平和。

 佐々木友次さんという一個の、正気を貫いた男が遺した願いを無にしてはならない。
 

Posted by 大沼安史 at 09:05 午後 |

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