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2017-03-10

〔フクイチ・メガ核惨事〕◇ 「確かにいえることは、〝その場から早くお逃げなさい〟」「『内部被曝』こそが被爆者たちが六十数年、向き合ってきた核と人、核物質と命の問題。『内部の敵』なのです』―― ◎ 14歳、長崎での被爆体験を原点に作家活動を続け、先月(2月)19日、86歳でお亡くなりになった林京子さんは、最後の小説、「再びルイへ」(2013年4月、「群像」発表)で、こう呼びかけていた。

  そして、「(原発再稼働の)責任に時効なし」「今後、原発再稼働を指示し、踏み切った場合、その責任者の名前を明記」して責任をとらせる!――とも。

 ★ 写真は東京新聞の追悼記事(リンクは下記)より。

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 ★ 「内部被曝」―― フクイチ事故後、はじめてその言葉を聞いたときの思いを、林さんは、こう書いている。

 「そんなある日、放射能が人体に与える影響について説明する役人の口から、『内部被曝』という言葉が出ました。/ルイ。わたしはテレビに映る役人の顔を凝視しました。知っていたのだ、彼らは――。核が人体に及ぼす『内部被曝』の事実を」

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 ★ 林さんは、放射能ガレキの全国拡散焼却処分問題いついても、こう書いている。

 「国は安全性を解く。しかしわたしたちは、もう、彼らの言葉を信用しない。書けば煙や水蒸気とともに大気に放射能は放出される。微量であれ多量であれ、『死の灰』なのです。災害の痛みを分かち合う、恩返しとか義理人情の感情問題ではない」

 そう、これはわたしたちの「内部被曝」の問題なのだ。

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 ★ この、最後の短編のなかで林さんは、ナガサキの地獄を振りかえり、こう書いている。

 「……彼らはいまでも、浦上や長崎の街の地の下にいる。逃げるわたしに人びとが頼んだ言葉は、くすりば――でした。……ルイ。誰も殺してくださいとはいわなかった。その人たちの上に、二一世紀の原発事故、核の惨禍を積む。わたしには耐えられない」
 
 その通り。フクイチ被曝地のわたしたちは誰も、自分から殺してくださいと頼んだ覚えはないのである。

 内部被曝から逃げて、生き延びなければならないのだ。

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 ★ 講談社文芸文庫、『谷間 再びルイへ』(2016年12月刊)収録。

 「ルイ」さんとは、同じ湘南の海沿いに住む友人らしいが、わたしには、被曝地で苦しい思いでいる、フクイチ・ヒバクシャの女性たちのように聞こえる。 

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 ◎ 関連 東京新聞 林京子さん評伝 「核と命」に向き合う 「原爆と原発は同じ」と訴え
 (3月2日付け)⇒ http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201703/CK2017030202000128.html

 ・ ジーンズにブーツをすらりとはいて、美しい人だった。「被爆者は、核の時代のとば口に立たされた新しい人種なのだと思う。わたくしは原爆と原発は同じだと訴えてきたつもりでした」と、静かに語った。

 ・ 林さんは被爆直後、焼けただれた全裸の人々を横目に逃げた。「被爆死した五十二人の同級生と三人の先生が背中にいる。この人たちにうそだけはつくまい」と書き続けた。

 米国で核実験の跡地を訪れた時には、不毛の大地を見て「人間より先に自然が殺された」と涙があふれたという。そして「核の問題は、命の問題。全てをお金に置き換える悪い平和を変えたい」と語った。核の時代に生きる私たち一人一人に手渡された言葉だと思う。

Posted by 大沼安史 at 09:03 午前 |