〔フクイチ・スーパー核惨事 6年目の秋〕◎ サルトルは1948年に書いた『真理と実存』という倫理探究のノートに、こう書いた。「誤謬は、真理検証の過程を停止したり再開しないことを決定した結果として、人間的現実の外部から到来する」(邦訳、澤田直さん訳、人文書院、67頁)―― ★ 「フクイチ1号機・核燃プール消失」の可能性を思うとき、サルトルのこの言葉は痛烈だ。わたしたちは果たして「人間的現実」の中に、いるのだろうか?
………………………………………………………………………………………………………………………………………………
*
★ サルトル(1905~80年)は若い頃(1929年に)、京都の日仏学院の教師を志望して果たせなかった人だ。
1966年、ボーヴォワールとともに来日したサルトルは、広島を訪れたとき、原爆病院で、「怒りの表情を見せた」(朝吹登水子著、『サルトル、ボーヴォワールとの28日間 日本』(同朋舎出版、1995年刊、172頁)。
「彼が怒りの表情を見せたのは、被爆者の一人で、妻と五人の子供を抱えて入院している人が一ヶ月たった一万二千円しか生活保護をもらっていないことを聞いた時だった」
*
★ サルトルがいま、フクイチ被曝地の状況を知ったなら、「自主避難者」と括られた母子らの苦難を知ったなら……どんな発言をすることだろう。
事故の「検証」を放棄した日本のマスコミや国会のこと知ったなら、どんな怒りの言葉を発することだろう!
Posted by 大沼安史 at 03:09 午後 | Permalink