« 〔ハイテク犯罪を許さない〕◇ 自宅で、中性子線だけでなく、X線も専用測定機で検出 / 「中性子線で手に傷」(写真) ―― ◎ 元岡山大学の物理学者、超電導の研究家、中西考充さん(岡山県真庭市在住)が、ツイッターで、中性子被曝被害を同時進行レポート! | トップページ | 〔梶村太一郎さんのベルリン通信〕◇ ベルリンで「安倍は辞めろ!」 抗議行動の写真報告 Abe Abtreten! Protest in Berlin  / マイクをとる女医さんは「何でこんな政治家を日本の有権者は選ぶのか、わたしにはさっぱり理解できない。日本人はもう少しお利口なはずだ」と述べていました。ニッポンジンとしては返す言葉もありませんね。 »

2016-05-05

〔夕陽村舎日記〕◇ 君もパクリ子 われもパクリ子――超えて行く創意こそが求められている

 忘れないうちに書いておきたいことがある。

 東京五輪のエンブレムのことだ。

          *

 これに決まったそうだ。

 

Screenshot1157

 

           *

 比べてほしい。

 盗用疑惑でボツにされた、佐野研二郎氏の作品と、この「正式エンブレム」を。

Screenshot1158

 

          *

 一目瞭然であろう。

          *

 佐野氏の作品は、ベルギーの劇場ロゴと「酷似」しているということで、採用が見送られた。

 似ているというだけで――バカなことをしたものだ。

Screenshot1159

          *

 わたしは、万が一、「パクリ」だったとしても、佐野氏の作品の方が、数段もレベルアップしている、と思っている。

 佐野氏の金と銀と黒と赤――。まるで尾形光琳の超モダンなよみがえりではないか。

 歴然としたこの差――これまた一目瞭然である。

          *

 わたしは美術のことを、ほとんど……まったく知らない。

 だから、ほんちょっと、わかっている(つもりの)歌で言いたい。

          *

 アメリカの大ヒット曲で、Chuck Berry の"Sweet Little Sixteen"というのがある。

 1958年の歌だ。(ユーチューブ ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=ZLV4NGpoy_E

 その6年後、ビーチ・ボーイズが「サーフィンUSA」という大ヒットを放った。(同 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=sNypbmPPDco )

 「パクリだ」とは、だれも言わなかった。

          *

 また、同じくアメリカで1963年に、ビレッジ・ストンパースの「ワシントン広場の夜はふけて(Washington Square)」という曲が流行った。
 (同 ⇒ 
https://www.youtube.com/watch?v=tUAwqhnqSAc )

 しかし、その3年後に出た「銀色の道」(宮川泰作曲)を、「パクリ」だという人は、いない。
 (同 ⇒ 
http://www.bing.com/videos/search?q=%e9%8a%80%e8%89%b2%e3%81%ae%e9%81%93&&view=detail&mid=B11FFFE826466A7B2703B11FFFE826466A7B2703&FORM=VRDGAR )

 梓みちよさんの「二人でお酒を」(平尾正晃作曲 ユーチューブ ⇒ http://www.bing.com/videos/search?q=%e6%a2%93%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%82%88+%e4%ba%8c%e4%ba%ba%e3%81%a7%e3%81%8a%e9%85%92%e3%82%92&view=detail&mid=F709615A3DE31841978AF709615A3DE31841978A&FORM=VIRE )

 や、

 あるいは山川豊さんの「アメリカ橋」(同、同 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=hGXfUuUqTng )

 を、パクリと息巻く人もいないだろう。

          *

 なぜか? それはそこに追加された創造性があるからだ。

 そこに、それまでのものを超えたアートがあるからだ。

          *

 パクリといえば聞こえが悪いが、パクリの内実とは、実は「超越的な創造」である。

 既存の中から生まれ、既存を超えるもの――それが「パクリ」と言われるオリジナリティーである。

          *

 ふたたび、音楽に例に取れば、それは一見、無関係なように思えるものの間にも成り立つ。

 たとえば(とっても、わたしは他の例を知らないが)「秋田音頭」と「浜辺の歌」。

 「浜辺の歌」の作曲者、成田為三が秋田出身と分かれば、そこに通底する響きがあることを納得できるだろう。

          *

 結局、わたしたちとは、同じ地球からうまれた、同じくして、しかし、違った命。

 後に生まれたものが、前にあったものを創造的にパクルことに、アートの発展性は、あるのだろう。

          *

 それにしても、佐野研二郎氏のあのエンブレムは惜しい。

          *

 わたしたちとはつまり、与謝野晶子ではないが、君もパクリ子、われもパクリ子の世界に生きているのだ。

 まねて盗んで乗り超える!

 「世界のマネシタ」ではないが、わたしたちはパクリの創造の重要性を忘れてはならない。

          *

 東京五輪委は今回、結局のところ、この国は「マネのできない創造性の国」だ、などと思い上がっていたのだ。

 その傲慢があったからこそ、佐野氏の傑作をドブに捨て去ったのだ。

 だから、市松模様がどうのといった、あのエンブレムに、落ち着いてしまった。

          *

 いま、わたしたちのこの国に必要なのは、貪欲な吸収力と、それをしゃぶりつくして展開する個性の活力である。

 いま「人気」の、砂利歌手ユニットの歌は、みすぼらしさを再生産するだけで、そこには「乗り越えてゆく活力」のカケラも感じられない。

 ふぞいろいのエネルギーが失われた、退行するアナクロニズムの世界。

          *

 そう、新しく正式決定された、東京五輪の新エンブレムの世界は、セピア色の、戦前に回帰するような、老人たちの回顧趣味そのものである。

Posted by 大沼安史 at 08:31 午後 |