« 〔フクイチ核惨事 5周年〕◆ 「日本政府は人びとを守る代わりに、国際的に認められた被曝限度を単に引き上げただけだった。人びとの長期にわたる健康、福祉を確証するのではなく、電力業界を守り、その賠償責任に限度を設定した)」―― 米国の環境保護訴訟の専門弁護士、スチュアート・スミスさんが、「いやはや、驚いたことだ( Go figure. )」と、「日本の20ミリ」基準に驚きと懸念を表明! | トップページ | 〔フクイチ核惨事 5周年〕◆ 「東電はメルトダウンを2ヵ月も否定していた!」「そしていま(5年経ったいま)、事故後数日内にメルトダウンを公表宣言すべきだった」――と言っている! ◆ BBCも国際社会に怒りの拡散報道! 「いまごになって、≪5%でメルトダウン≫」という社会規定があったと、初めて認めている」 »

2016-02-25

〔フクイチ核惨事 5周年〕◆ 「東電、核燃5%以上損傷の際、メルトダウン宣言をしなければならないとする≪内部規定(internal gulations ≫)を守らなかったと告白」―― CNNが国際社会に告知報道! ◆ 「内規を守らず、数ヵ月後(5月)までメルトダウンが起きていると認識せず」

 ★ CNN――中村保安院審議官の3・12時点での「メルトダウンの可能性」発言(そして更迭)に言及、東電の「基準を知らなかった」言明に疑義を提示!

CNNはジャーナリズムをしている!

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 ★ CNNは、2011年3月12日、原子力安全保安院の中村幸一郎審議官が「炉心溶融が進んでいる」と会見で明らかにしたあと、更迭されたことにも触れている。
 ・ After Koichiro Nakamura, a senior Nuclear and Industry Safety Agency (NISA) official told a news conference a day after the disaster that a "meltdown of the reactor's core" may be taking place, he was removed from a PR position at the agency.

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 ★ 保安院が12日の時点で認識していたことは、一体化した関係にある東電も、当然、認識していたはずだ。

 にもかかわらず、東電は「メルトダウン」を5月まで言わなかった。

 これは内規の「基準を知らなかったから」では済まない話だ。

 風下住民はメルトダウンとしらずに被曝させられたからである。

 なにしろ、監督機関の保安院の審議官が「メルトダウンの可能性」を公式の記者会見の場で明言していたのだから、東電が自分たちで定めた「内規」の基準を参照しなかったわけがない。

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 ★ 日本の新聞は「基準が書かれたマニュアル」を知らずにいたと書いているが、CNNは、はっきり、それが「内部規定(internal regulations)」であったことを――「マニュアル」というような軽々しいものではなかったことを――国際社会に告知・拡散した。

 東電が知らなかったといってごまかそうとしているは、たとえば保安院が決めていた保安院の内規ではない。

 自分たちが決めていた「内規」である。東電が会社として遵法すると決めた、社内最高法規である。

 東電は、自分たちが決めた、社の憲法というべき規則を、たしかめもせず破り続けていたことを、世界に明言した。

 これほど無責任で恥ずかしい企業はない。

 それが柏崎・刈刃原発を再稼働する?

 冗談もいい加減にしてほしい。

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 〔★は大沼〕 ◎ CNN TEPCO: Fukushima meltdown announcement made months late
 (25日付け)⇒ http://edition.cnn.com/2016/02/24/asia/tepco-fukushima-meltdown/
 
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 ・ The company said internal regulations that a meltdown should be declared if damage to the reactor core exceeded 5% were not followed.

 ・ Damage to one of the reactor cores exceeded 50% within three days of the tsunami, but TEPCO did not acknowledge that a meltdown was taking place until months later.

Posted by 大沼安史 at 07:19 午後 |