〔フクイチ核惨事 被曝地棄民〕◆ ≪(2011年の)秋になって、そうではないことを知りました。〔被曝地からの子どもの(バス)避難を〕話し合ったのです。話し合って「子どもの安全」を棄てるという決意を政府自身がしたのだということを知りました。≫ ―― 民主党の参議院議員として「フクイチ核惨事」に遭遇、「子ども被災者支援法」をつくった谷岡郁子さんが、2014年の市民科学者国際会議の講演で、こう証言した!
★ 安倍政権で「3・11」を迎えたなら、子どもをバスで集団避難させるかどうかなど、日本の「政府」はそもそも、話し合いもしなかったのではないか?
しかし、だからと言って、当時の民主党政権と関係官僚らが免罪されていいわけがない。
当時の民主党政権関係者、関係官庁の担当官僚は、こどもたちを逃がさない決定を、どのようなかたちで決定したのか、説明責任を負っている。
「議事録がない」ではすまされない。
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こんどの「3・11」でフクイチは5周年を迎える。
5年前、官邸、各省庁はどう動き、何をどう決定したのか?
国民に対し、事実関係のすべてを開示する責任がある。
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◆ 官邸でそのことが話し合われました。そのことは、私は当人〔副大臣〕から聞いたのだから間違いありません。でも、官邸では、1人の大臣を除いて、関係の大臣、総理を含めて、この、「バスで子供を運ぶ」ということは賛成されませんでした。
◆ 一方で、スピーディがどこかにあるはずだよと〔3月〕15日ぐらいになって、誰か、議員が言い始めたのですね。そういうことを知っていた人がいた。
それまで、スピーディがあるということは誰も何も言われなかった。で、モニタリングを早くしなきゃいけない、何とか情報が欲しいと言っても、私は、文部科学関係の議員であった訳ですけれども、いくら言っても。
随分、いろんな文献をその後読むことになりましたから、何週間目かに、早くストロンチウムを測ってくれ、ということを私はずっと言い続けて、最後までずっと、それを言い続けました。
いまだにストロンチウムと言うものを測っておりません。
◆ 10ミリということにしたら、ほとんどの学校は再開できなかったのです。リストにあった、五十数校が。ところが、20ミリにしたら、全校再開できる。つまり、学校を再開するという「現実」を作らなければならない。
◆ ……情報を握っている人たちが、「リスク・コミュニケーション」等と称して、いわば、隠してあげるのは親切だからよ、みたいな形がある。
◆ 私は当時、民主党の議員で、与党の議員でした。多くの状況、多分、皆さんとは違うところから見ている立場にありました。大きく見てみれば、多分共犯の1人であったろうと思います。その共犯の1人であったことが「子ども被災者支援法」というものを作るうえで、とても重要でした。
◆ いま、私は大学で新たに、細々とではありますけれども、当事者力を持った、そして、自己の尊厳と言うものに、プライドを持った、未来に対する責任感を持った、主権者の育成をしてまいりたいと思って頑張り始めている所です。本当に、これが私の懺悔です。どうもありがとうございました。
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〔★は大沼〕 ◎ あざらしサラダ (愛知県がれき受け入れ問題) ブログ : 【あの日あの時、民主党政権がやったこと】 第4回市民科学者国際会議:谷岡郁子(書き起こし)
(2015年10月31日付け)
⇒ http://azarashi.exblog.jp/21792209/
◎ 第4回市民科学者国際会議(2014年11月22~24日)
11月23日 ・セッション 2 : 法と権利 13:45~15:35
谷岡郁子さん(高等教育論 志學館大学)「子ども・被災者支援法成立の舞台裏」
◎ 谷岡郁子(くにこ)さん ウィキ
⇒ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B2%A1%E9%83%81%E5%AD%90
Posted by 大沼安史 at 03:16 午後 | Permalink