〔夕陽村舎日記〕◆ パンツの思い出
風邪がすこし治って、気分がすこし良くなった。
今朝方、(このブログの読者はお気づきだと思うが)ブログを一本、削除した。
替え歌。♪ 木綿のピンクパンツ!
元歌に失礼だと思ったからだ。
あのパンツ男に元歌を穢されるのを、マッチ・ポンプの当人としても、やはり耐えられなかった。いろいろ考えて、消した!
風邪の高熱のなせるわざ――そういうことで、乞寛恕。
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「パンツ」といえば、こんなことがあった。
わたしは仙台・上杉山中学校の出身。
中1でサッカー部(当時は蹴球部と言った)に入り、しごかれた。
サッカーは雨の日もやる。雨の日も練習する。
テストの日もお構いなし。
先輩から泥を塗りたくったサッカーボール(それも縫い目が凶器にように、めくれあがったやつ。頭に当たると、あたりどころが悪いと、怪我をする))を、2メートルほどの至近距離から、顔面へ、思いっきり、投げつけられた。
ヘディングの練習。
そう、テストの最中の大雨の日でも。
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雨で泥沼の校庭にいるのは、ぼくら蹴球部員だけ。
野球部もソフトボール(女子)も、誰もいない校庭で、ぼくらは泥まみれになって練習を続けた。
(ま、もう時効だから、言っても構わないことだと思って言うが、ぼくはソフト部のHさんという同学年・別クラス女子に「片思い」をしていた。打ち明けることもなく……。たしか、「Y・H」さん――。2年生のとき、台原中が上中から分離・独立したとき、行ってしまった! 台中から宮城一女高に行ったんじゃないかしら?……)
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で、パンツの話だが、ぼくは2年生のとき、上杉山中(上中)蹴球部のレギュラーになった。
レフトウィング。背番号「11」。(左ウィングなもので、女子ソフト部のエリアに走り込まざるを得ない……)
このときの上中は、実力、宮城県NO1で、ぼくは(こんなよわよわしい男なのに、信じられないことに……)その「上中(かみちゅう)」で、あのメキシコ五輪・銅メダリストの杉山隆一選手のポジションをゲットしていたのだ。
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ある日、塩釜1中(仙台から仙石線に乗って、塩釜市にある)に遠征試合に行った。
そのときのこと。
ぼくのパンツの紐が試合中、切れてしまったのだ。
試合は続いて行く。
パンツを手で抑えて、困ってしまったぼくに、救いの手をさしのべてくれたのが、塩釜1中の女子だった。
観戦する校舎2階の窓から、黒いビニール製のベルトを投げ入れてくれた!
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わたしと一緒にいま、この国の原子力ムラのハイテク工作員グループによるものとおぼしき 「電磁波照射ハラスメント」 を受けながら、それでも耐え、わたしのことを、まさにカラダを張って支えてくれている、塩釜1中出身のパートナー(彼女はぼくより3歳年下)にさきほど、その話をしたら、塩釜1中では、その「上中サッカー部員へのベルト投げ入れ事件」が、彼女が塩釜1中生になった時点で、「伝説」になっていた、と教えてくれた。
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なんか、感激!
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わたしは塩釜1中との試合結果は覚えていないが、ベルトを差し入れ(投げ入れ)てくれた女子のために、精一杯、いいプレーをしてみせようとしたことだけは覚えている。
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わたしは、いま66歳。
わたしに黒いビニール製のベルトを投げてよこした女の子も、同じ年ごろのはず。
彼女もまた、3・11の大津波、そしてフクイチ原発事故を経験したはずだ。
2階の窓の彼女の笑顔を、なんとなく、おぼろに覚えている。
いちど、生きているうちに、お会いしてみたいものである。
Posted by 大沼安史 at 08:41 午後 | Permalink

















