〔夕陽村舎日記〕◆ グリーン・フラッシュ 世直しの前兆として
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きょうは、わたしにとって、年に一度の、いちばん大切な日。
仕事の手もつかず、ブログも朝にちょっと書いただけで、夕方を迎えた。
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午後5時ちょっと前、近くのお寺の鐘の前に行って、待った。
寺の大黒さん――とても清楚な方だった――が鐘楼に降りてきて、鐘のそばに、携帯と時計を置いて、わたしといっしょに、すこしの間、「午後5時」が来るのを待った。
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鐘は9回、衝かれた。
ゴーン、しばらくおいてゴーン。
見守るのは失礼かと思い、すこし離れたところで、合掌した。
衝き終ったところで、わたしは参道を降りた。
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通りへ出て、南東方向を見ると、山稜の向こうに、月が皓皓と昇ったところだった。
ほとんど満月――いや、わたしの目には、完全なフルムーン。
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いきつけの食堂にいって、ビールをのんで、わんたん麺を食べた。
テレビでニュースをやっていた。
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沖縄で撮影されたばかりの、日没の映像だった。
太陽が水平線に没する瞬間、緑の融合に変わった!
グリーン・フラッシュ!
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わたしは脈絡もなく――いや、グリーン・フラッシュを目の当たりにした余韻のなかで、当然の帰結して、こう思わざるを得なかった。
夕陽は、わたしたちの目に、希望の残像を――希望の緑の先駆を焼きつけて、明日また昇るために没したのだと。
こう思うのが、礼儀だと思った。
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10月26日。
わたしが生まれ変わるべき、わたしにとって、年に一度の、生死(しょうじ)の日。
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わたしは、わたしとして、生まれ変わらなければならない。
わたしたちは、わたしたちとして、現世において、いまひとつ、輪廻を重ねなけれならない。
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あさみどりは、大倭に伝わる、世直しの色。
グリーン・フラッシュは、個々人の、そして社会全体の変革を――すなわち、わたしたちへの、天の沼鉾の再臨を告げる、畏るべき神示と聞く。
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それが、ほんとうに希望の神示で、あるかなきかは、間もなくハッキリする。
Posted by 大沼安史 at 06:38 午後 | Permalink