〔夕陽村舎日記〕◆ 「さかさの体系をさかさにせよ」と、さかさじいさんは言った
「TPP合意」――だそうだ。
安倍首相は記者団に「日本のみならず、アジア・太平洋の未来にとって大きな成果であった」と語ったそうだ。
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安倍首相は、ほんとうにブレない。一貫している。
「ウソ」を平気でつき続ける点において。
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「アンダーコントール」「日本の平和を守るためだ」――さかさまに、ひっくり返すと、安倍政権のウソが、真実が出て来る。
ブレずに、ボケずに、しっかり、出て来る。
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尊敬する加藤周一さんが亡くなる半年ほど前に書いた(第一次安倍内閣の末期に書いた)、最後の「夕陽妄語」(2008・7・28)の題は、「さかさじいさん」である。
さかさ、さかさま、真逆。
真逆なじいさん。
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遺言のようなそのコラムで、加藤周一さんは、分身ともいうべき「さかさじいさん」と、こんな会話を交わす。
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……では〈その国〉の話をしようと彼(さかさじいさん)は言い、「その国の何が栄えるのか」と、私(加藤周一さん)はきいた。
「どろぼうだよ」と彼は応じた。
「その国では、刑事がどろぼうを捕まえるのではなく、どろぼうがが刑事を告発する」
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「その国」とはもちろん、この国のことだ。
安倍首相が「美しい国」と言ったこの国のことだ。
美しい国の真逆は、キタナイ国。
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「さかさじいさん」はさらに、こう語る。
「……どうすれば体系が正当な方角をめざすようになるか。それは、さかさの体系をもう一度ひねってさかさにするほかないでしょう」
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「夕陽妄語」に「さかさじいさん」が登場したのは、これが最初で最後のことだ。
しかし、加藤さんが人生最後の想像力のなかで登場させた「さかさじいさん」は――「幽霊」になって、この世界に在り続けている、とわたしは思っている。
「さかさじいさん」とは、実は加藤周一さん自身の「幽霊」である、と。
(なぜ、そう言えるか? それは加藤さんが亡くなるまでの3年間を映像で記録した、ドキュメンタリー映画「しかしそれだけではない――加藤周一 幽霊と語る」を観れば分かる)
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ならば、「さかさじいさん」こと加藤周一さんの霊は、安倍内閣の一連の暴挙について、いま、どんな感想をお持ちのことだろう?
――と思って……わたしは今朝はやく、近くの公園の樹の下で、ブランコに乗りながら、加藤さんの幽霊を隣のブランコに招き、こんな言葉を交わした。
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「加藤さんは、さかさの体系をもう一度ひねってさかさにするほかないでしょう、とお書きになましたよね。それって、この国をひっくり返せ、ということなんですか? わたしも、ひとりの愛国者なものですから、この国をガタガタになるのは、いやなんですけど」
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そんなわたしの問いかけに、「さかさじいさん」は、生前、わたしに一度だけ電話で聞かせてくれた、あの慈悲深い、からかいを秘めた「ホッホッホッ」の笑い声で、こんな答えを返してくれた。
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さかさじゃよ。さかさ。
上から読んでも、下から読んでも。
この国はひっくり返しても壊れない。
日の丸の赤の裏には補色として緑がある、緑の日の丸がいつもそこにある、それをわたしたちはいつも潜在的に見ていると、入院中のわたしに言って寄越したのは、君だったじゃないか?
変革を恐れる必要はない。さかさをさかさにするだけで、さかさはちゃんとさかさに戻る……。
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「じゃ、それは、安倍政権を、安倍政権のやっていることを全部ひっくり返せば、それでいいんという、そういうことなんですね。安部政権を権力の座から追いだせ、と……」
そう聞き返そうと思ったとき、公園のそばのごみ置き場にゴミだしに来た父子の声が聞こえた。
出勤がてら車でゴミだしするお父さんを追って、男の子が、駆けてそこまで、見送りに来たのだ。
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気が付くと、隣のブランコに「さかさじいさん」の気配はなく、朝の光が差し込んでいるだけ。
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「……要はみんなで、そう、きれいに、ゴミだしすればいいだけのことか?……」
わたしたちの日常生活のなかから、「彼ら」をゴミだしする! なんだ、そうすればいいのか…………
そう思って再び会話を始めようとしたところ――どこか遠くにいらしてしまったのか、「ホッホッホッ」の声を、もはや聞くことはなかった。
Posted by 大沼安史 at 08:18 午前 | Permalink