〔アベノ政治を許さない!〕◆ 加藤周一さんは、生前、こう語っていた。≪「九条の会」はたとえ憲法改定がなされてもつづけないとならない……これまでの反体制運動は、六〇年安保にしても七〇年安保にしても「敗北」のたびに「挫折」を繰り返しては運動を細らせていった。その轍を踏んではならない≫ ―― こう聞かされたジャーナリストの鷲巣力(つとむ)さんは、こう書いている。≪……粘り腰というか、「希望」を捨てない姿勢に感服させられた。「希望」を捨てないかぎり「敗北」はないのである≫
〔★は大沼〕 ◎ 鷲巣力著、『加藤周一を読む 「理」の人にして「情」の人』(岩波書店)、346頁
⇒ https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/4/0258210.html
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★ 鷲巣さんは、加藤周一さんの「九条の会」の活動の原点にあったものを、こう簡潔に記している。
≪太平洋戦争によって加藤はかけがえのない親友をふたり失う。友人を死に至らしめた国や戦争にたいする怒りが、その後の加藤の活動の原点にある≫(333頁)
あるいは、その執筆活動の原点について――
≪加藤の執筆活動の原点には「戦争体験」があった。ことに親友を戦争で失ったことは加藤に決定的な影響を与えた。人間の生命、人間が生み出したすねての価値を理不尽に踏みにじる戦争に「激しい怒り」を抱いていた。そして、それを生涯失うことはなかった≫(6頁)
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★ 加藤周一さんは、最後の著作として『鴎外・茂吉・杢太郎』を完成させようとしていた。
しかし、「九条の会」での活動を優先させ、『鴎外・茂吉・杢太郎』は未完に終わった。
未完――とはしかし、着手され、完成をめざして動き出していたことを意味する。(NHK教育テレビ人間大学での連続講義など)
と同時に、加藤さんのなかではすでに完成していたことを意味する。
加藤さんらの「九条の会」の活動は、安倍政権の「安保法制」で、「未完成」であることがさらに際立ったが、それは、わたしたちのなかで、時の政権に踏みにじられた分、活動の意味の純度、完成度がましたことを意味する。
九条を守りきる――これはわたしたちの原点であり、完成の到達点、目標である。
九条のある、九条を守り、九条に守られた世界は、加藤さんが目指した、完成した姿で、わたしたちの前にある。
希望を捨てないかぎり、敗北はない。
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◎ 関連 〔夕陽村舎日記〕◆ 「さかさの体系をさかさにせよ」と、さかさじいさんは言った
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2015/10/post-bad7.html
Posted by 大沼安史 at 02:36 午後 | Permalink