〔夕陽村舎日記〕◆ 山形市に引っ越しました!
事情があって、岡山・吉備中央町から、北帰行を果たした。
ほんとうは、ふるさと、宮城県・仙台市に戻りたかったが、電磁波および中性子線(?)によるハイテク・ハラスメントを受けたことが逃避行のそもそものはじまり=原因だったので、奥羽山脈の西側、山形の山形市に居を定めた。
そして本日、ようやく、ネットが開通!(4日に申し込んで、26日になってようやく……とほほ)
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岡山のNTTの固定電話の使用を打ち切るにあたって、おもしろいことがあった。
オペレーターの方に「仙台方面」に引っ越すので、使用の停止をお願いします、と頼んだら、こちらが山形市に引っ越すなどと一言も言っていないのに、「ヤマッ」と言って、慌てて言葉を区切ったのだ。
ヤマっ――山形のヤマっ?
オペレーターは、引っ越しに伴い、ふつう行われる、移転先の電話番号の決定(いくつかの候補の中から、利用者が決める)を見越し、その引っ越し先の番号を、どこかに知らせるよう指示されていたのではないか?…………そんな「妄想」が――勘繰りが、一瞬、アタマをよぎった!
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ま、それはともかく――そんなバカバカしいことはさておき、山形市に移って、わたしがさっそく訪ねたのは、「シベール」というパン屋さんが同市内に開いている、井上ひさしさん(山形出身)の「遅筆堂文庫」だった。
10月には高橋源一郎さんが、11月にはピーター・バラカンさんが講演に来ると聞いて、うれしくなった。
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わたしは井上ひさしさんと、ちょっとした縁があり、ひさしさんが亡くなったときも、あの白い丸首のシャツを来たひさしさんが、わたしの枕元に現れ、白い、ぼあっとしたものが、一瞬、躊躇したあと、「まあ、仕方ないな。こいつでも。役不足だけど、がまんして入ろう」と、わたしの中に入って来た!
いや、マジで!
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そういうこともあるのか、山形に来て、なぜか急にダジャレを連発するようになってしまった、わたし!
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山口県周南市で「中性子線」の照射を浴び、苦しんでいる、元高専教官の工学者、Aさん同様、わたし(たち)の苦しみもまたハンパではないが、3年前、仙台を追われて以来、逃避行を続けているわたしたちもまた、ドモリを笑いで克服したひさしさん同様、笑い飛ばし、蹴飛ばして生きるしか、ない!
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井上ひさしさんが、最後の最後まで、敵対を和解に変えることに希望をつないでいたのは、あの小林多喜二の悲劇を描いた「組曲 虐殺」を見ても、明らかなことだ。
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特高の人と多喜二が肩を組んで踊る、あのシーン!
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そろそろ対立は、もう、よしにしよう。
中性子線を浴びせて、忌野清志朗さんや高木仁三郎さんを癌にしたようなこと(――これは、もちろん、わたしの妄想です!)は、もう、よしにしよう!
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この国を――この国に生きる人びとを、守る!
それが、みなさんの――あなたがたの、本来的な使命ではなかったのではないですか!
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わたしはかつて、仙台駅で、井上ひさしさんから、(背後から)「大沼さん!」と呼びかけれられたことがある。
その声をわたしはちゃんと覚えている。
忘れられない、ひさしさんの、あの声!
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そのことを誇りに、わたしはひさしさんのふるさと、ここ山形で、なんとしても、ガンバルことにしよう!
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岡山・吉備山中同様、山形もまた、夕陽がきれいなところ。
「夕陽村舎日記」を、そのままタイトルを変えずに、続けて行く。
Posted by 大沼安史 at 08:52 午後 | Permalink

















