〔フクイチ核惨事 被曝棄民〕◆ 堀潤さん(元NHKアナウンサー)――< (楢葉町)町長さんは「常磐道を避難道として使わせてほしい」と国交省に掛け合ったのですが、「災害復旧道路で自衛隊しか使えない」「町長にそういう権限はない」と突っぱねられた。★ 日本政府は米政府の指示で東北自動車道を、米国人(その日本人妻)だけに解放、脱出のバスの車列は、仙台・勾当台公園前から、ナリタに向け、次々に出発した!
★ わたしが知るところでは――仙台市内に住んでいたドイツ人にも「バスをチャーターしたから逃げるように」との連絡が入り(手配をしたのは、たぶん、ドイツ大使館)、その人は「あっという間にいなくなった」。
日本政府は、東北自動車道を、ドイツ人にも「解放」していた!
★ 昨年、若狭の原発銀座を見に出かけたとき、幹線道路の路上に、落下式(?)の構造物が設置されているのを目撃した。
おそらく、交通遮断用の障害物!
日本政府は被曝民を逃がすつもりなど、ほんとうはサラサラ、ないのだ!
閉じ込めて、被曝させ、捨てるつもりだ!
〔★は大沼〕◎ ダイヤモンド・オンライン : 広瀬隆さんとの対談で
⇒ http://diamond.jp/articles/-/77432
広瀬 原子力規制委員会が「原発事故が起こる」という想定で川内原発を再稼働した以上、私たちは逃げることを真剣に考えなくてはならないでしょう。
2011年3月11日に、福島第一原発で事故が起きた夜11時に、テレビ局から電話がかかってきました。
「どうしたらいいですか?」と言うので、僕は即座に「100キロ圏内の全員を避難させろ」と言いました。まだ爆発前日でしたが、いまから少しずつ動かなければ全員が避難できない。
そう言ったら、テレビ局の人はすぐに電話を切ってしまいました。
堀 ちょうどその頃ですね。福島第二原子力発電所の1~4号機が立地する楢葉町(ならはまち)には、原発に詳しい町議会議員さんがいて、町長さんに「早く逃げたほうがいい」と進言しました。
そこで3月11日深夜、町長さんが南隣のいわき市に電話し、町民を受け入れてくれるよう話をつけました。翌12日午前中から約7800人の町民が一斉に避難を開始しました。
広瀬 それはバスですか?
堀 いえ、自家用車や公用車に分乗してです。
楢葉町からいわき市の中心部までは約35キロの距離で普段なら車で40分。ところが、そのときは最大で8時間かかった。
町長さんは「常磐道を避難道として使わせてほしい」と国交省に掛け合ったのですが、「災害復旧道路で自衛隊しか使えない」「町長にそういう権限はない」と突っぱねられた。
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広瀬 浜岡原発の反対運動の集会で、集まった人たちに私が言ったのは、「事故が起きたら、道路が渋滞するので絶対に逃げられない」ということでした。
その話をすると、全員が下を向いてしまいました。人間は本当のことを言われると、聞きたくなくなるものです。
ところがその直後、2007年7月16日に新潟県中越沖地震が起きて、柏崎刈羽原発が大破壊されたとき、私の言ったとおりになった。自動車がみな同じ方向に走っていくので、大渋滞になってまったく動かない。反対車線はガラガラなのに。
仕方なく寸断された道路を使って逃げたため時間がかかってしまった。町会議員さんがこんなことも言っていました。
「もし、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)が公開されていたら誰も逃げられなかっただろう」と。
7800人が避難するだけでも普段の12倍の時間がかかっているのに、もし周辺の市町村の人が、一斉に放射能が来ない場所をめざして同じ方向に逃げたら、大渋滞で誰も逃げられなかったろう、と。
だから原発事故が起きたときに、避難道路をどうするか、情報伝達をどうするかは、今から考えておかなければならない、とても重要な問題です。
Posted by 大沼安史 at 08:40 午前 | Permalink

















