〔いじめ自殺隠蔽 「転校した」――責任逃れ工作 仙台・某教育工場の悲劇は続く〕◆ 24日朝の臨時の全校集会。校長が読み上げたのは、市教委が全市立学校に配布した再発防止を訴える緊急アピール文だけ。自校でのことには一切触れなかった。「自ら命を絶ってはならない。私たち大人が必ず皆さんを守る」。抽象化された言葉は違和感を持って受け止められ「なんか違くない?」とささやく生徒もいたという。
◆ 市教委の発表後、学校周辺で取材する報道関係者らに対しては、同校の教諭らが「うちの学校だという証拠があるのか」と否定を装った。
校長は「市教委に聞いてほしい」の一点張り。28日夜の河北新報社の取材には「駄目、駄目。警察呼びますよ」と拒否した。
市教委と学校は説明責任を果たせているのかどうか。「遺族の意向」を理由にした沈黙の前で、生徒や保護者の間では「本当のことが知りたい」との思いが膨らむ。ある生徒は「先生たちの対応が怖い」とつぶやく。
男子生徒は「いじめが収まらない」と自殺の直前に言い残していた。12歳の少年が絞り出した叫び声が、実体を持って受け止められずにいる。
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★ 「なんか違くない?」……
そう、狂っているのだ。
仙台の中学校は(もまた)、「いじめ死」があっても、何事もなかったように「教育活動」を続ける、ラインを止めることのできない「教育工場」のようなものだった!
こどもは――そのいのちは、ラインで組み立てられる原材料、部品にすぎないのか?
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★ スコットランド出身の女流小説家の以下の言葉を紹介したい。
わたしにとって教育(エデュケーション)とは、その子の魂(ソウル)のなかに、すでに在るものから導き出されるもの……
それとは逆にそこにないものを押し込んでいく……そういうものは、教育じゃないわ。それは、魂の不法占拠(イントルージョン)。
―― ミュリエル・スパーク
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★ 仙台の中学生も、「教育工場」の檻の中にいるのが、ほとほといやになっているのだ。
出口のない怒りは、弱い者へ、弱い者へと向かっていく。
日本の学校は、子どもたちの魂の訴えに耳をかさない(生徒ひとりひとりの人格=魂を認めない)「選別装置」にもなっているから、一人二人の「オシャカ」が出たって、たいしたことない、と思って(思うまでに至って)いるかも知れない。
河北の記事に、ある生徒が「先生たちの対応が怖い」とつぶやいた、と書いてあった。
内申書での報復を恐れているのだろうか?
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★ 仙台の某中学校の教師たちは、亡くなった男子の「魂」を、思ったことがあるのだろうか?
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〔★は大沼〕◎ 河北新報 : <仙台いじめ自殺> 説明責任果たさぬ学校 / ◎届かなかった叫び(上)沈黙
(29日) ⇒ http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150829_13010.html
Posted by 大沼安史 at 09:09 午前 | Permalink