〔夕陽村舎日記〕 天晴れぬれば
吉備(岡山)の山里で、農家の田植えが終わった。
窓から、神社の森の手前にある水田を、視界の隅にとらえることができる。
すぐ目の前。
青空と雲を映し出す田んぼの手前は、わたしたちが借りている畑だ。
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きのうは畑に出て、家族総出で田植えをしている家族の姿を遠くに眺めた。
よちよち歩きの女の子もいる。
風に乗って、話し声も聞こえる。女の子の声も。
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昨年出た、 『宮本常一と写真』 (石川直樹さんら著、平凡社)に、民俗学者の宮本さんが撮影した写真が載っている。
宮本常一さん は愛機(カメラ)を携え、戦後の日本を撮り続けた人。
なかでも、子どもたちの写真が、いい。
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たとえば、宮本さんが昭和34年(1959年)7月、静岡県磐田郡の水窪(みさくぼ)から西浦へ歩いたときに出会った、あの有名な、9人の子どもたちの写真。
それから、山口県見島の宇津の洗い場で、ちびっこが真っ裸のフリチンで遊んでいる、一枚。
これは昭和37年(1962年)8月の写真だ。
そのころ、わたしは、10歳、あるいは13歳。
自分の子どもの頃を見ているようで、懐かしさを感じた。
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吉備の里に暮らし始めて半年が過ぎた。
わたしたちの畑にも、サルやタヌキがおいでになり、いろいろ、悪さをしてくれる。
裏山に向かって、「狸汁にするぞぉ~」なんて大声で脅しをかけているが、効き目はない。
野生動物の保護活動をしていると思うしかない。
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耕作放棄地も多い。空き家になっている農家も目立つ。
明治のころ、ここ岡山から、福島の安積(あさか)野に、士族十家族が移住した。(『安積野士族開拓誌』〔高橋哲夫著、歴史春秋社〕より)
安積野とは猪苗代湖から疎水を引いて開かれた開拓地。
いまの郡山市あたりがそれだ。
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これからもっともっと、逆移住(?)があっていい。
ここ吉備高原でも、「福島」ナンバーの車を見かける。
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山里に暮らしだして、立松和平さん(の本)らに導かれ、仏教の本を読むようになった。
いま、手元にあるのは、立松さんの『あなただけの日蓮聖人』(小学館)。
図版がいっぱい入った、見ても読んでも、為になる本だ。
日蓮聖人が今の世にいらしたら、時の政権におもねず、首をはねられそうになっても、島流しにあっても、原発の再稼働や、さらなる属国化に反対し、権力者たちを諌めたことだろう……と思いながら、頁をめくっている。
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そして――先日、たまたま 川端茅舎 (1897~1941)の句集を読んでいたら、こんな句に出会った。
・ 春泥に子等のちんぽこならびけり
・ 蝶々にねむる日蓮大菩薩
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(これだから?……)立松和平さんは、こう書いている。
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身延山の緑したたる山にいくと、草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という言葉が身に迫って感じられます。
草や木や国土のように心を有しないものも、人のように情のあるものも、生きとし生けるすべてのものが仏となるのです。
木の葉が騒いで光が降りかかる時、草の上に宿る一滴の露が光る時、日蓮さまが微笑んでいると感じられるのです。 (上記書、110頁)
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草木国土悉皆成仏。
「3・11後」の時代において、草木国土が悉皆成仏するとは、放射能による「悉皆被爆」をふせぐ、なくす、ことである。
原発をなくすことである。
それが日蓮聖人の願いでもあるのではないか。
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天晴れぬれば、地明らかなり。
放射能プルームが流れる空の下に、われらの成仏、あるやなしや。