〔夕陽村舎日記〕◆ 平和の希望の水源は……そこに
軽い風邪をひいて、昨日は一日、臥せっていた。
夜、テレビ局の電話インタビュー。
食後、横になって、福島・郡山出身の作家、古川日出男さんの『馬たちよ、それでも光は無垢で』 (新潮社)を読んだ。
「3・11」後の浜通りを訪ねた、現地・幻想ルポ!
自分が書いた過去(の原稿)を、いまの経験から、書き改めてゆく古川さんの方法(=遡行)には、いろいろと、教えられた。
フクシマについて書かれた欺瞞の言説は、遡って正されなければ、欺瞞のフクシマは、「東北」の「正史」として、わたしたちの心を占拠し続けるだろう。
そうさせてはならない――と思った。
郡山を本籍とする、わたしとしても。
*
たとえば、「食べて応援」である。
どこのだれが、そんなキャンペーンを始めたか?
フクイチの事故責任の追及とともに、この問題の追及も、いずれ始まることだろう。
史上空前規模の損害賠償訴訟にも発展するのではないか。
そのためにも、わたしたちは「食べて応援」が生まれた場所(あるいは意識・思惑)へと遡行しなければならない。
その――たぶん、東京のビル街の、「会議室」の現場に。
*
今朝は体調もだいぶ回復し、お昼に、ダライラマさんの「原子のなかの宇宙」という本を読み了えた。
フクシマを考えるために読み始めた本だった。
いろいろ、教えられた。
*
午後、積ん読(どく)の層のなから、小島恒久さんの歌集『晩祷』を取り出して読み進んでいうるうちに、あの広田弘毅さんの静子夫人が、夫の後顧の憂いなきよう願って、自死を遂げていたことを知って、愕然とした。(前掲ブログを参照)
呆然とした。
前に読んだ、城山三郎さんの『落日燃ゆ』にもたぶん書かれているはずだが、わたしは、(たぶん読み過ごして)その事実を、知らなかった!
*
そういう愛情の深さのあることを、わたしは知らなかった。
涙が流れた。
*
昨日は最高気温と最低気温の差が20度もあった。
今日は朝から快晴。
夕方からの畑の水やり作業は1時間半かかるが、うれしい。
枯れかけていた果樹も、元気を取り戻してくれた。
わたしが竹酢入りの水をかけてやると、喜んでくれる。
植物たちが待っている。だから、うれしい。
これもまた、ダライラマさんの言う「コンパッション」であろう。
*
水やりはやはり、けっこう体にこたえるので、新藤兼人監督のあの『裸の島』のテーマ音楽を「バアア~、バアア~」と歌いながら、景気をつけて作業している。
水のない瀬戸内の小島の畑仕事と比べれば、こんなもの、たいしたことではない!
*
ところで、ブルック・ベントンさんの、Still Waters Run Deep という歌がある。
広田弘毅さんと静子さんの心のつながりを――その愛情の深さを思わせる歌だ。(歌詞は ⇒ こちら)
静子さんに励まされながら、広田弘毅さんは、戦後の日本の平和を願い――大いなる愛をもって逝ったに違いない。
*
その二人の思いに遡行し、そこからわたしたちは、新しい、深い流れを生みださねばならない。
そこにも、わたしたちの、平和の希望の、たしかな水源が、ある!
愛を広げる、コンパショネイトな、澄み切った水源が、そこにある!
Posted by 大沼安史 at 03:45 午後 | Permalink