〔拡散希望〕◆ ドキュメント、『9条を抱きしめて~元米海兵隊が語る戦争と平和』/ 故・アレン・ネルソンさんは言った。「みなさんとみなさんの子どもたちはこれまで憲法第9条に守られて来ました。今後はみなさんが第9条を守るために立ち上がり声をあげなくてはなりません」/ 「世界平和はここから、この部屋から、わたしたち一人ひとりから始まるのです」
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★ ベトナム戦争の地獄のさなか、アレン・ネルソンさんは攻撃を逃れて飛び込んだ塹壕の中で、ベトナムの若い女性と鉢合わせになった。
出産!
ネルソンさんは、その赤ちゃんを抱きしめたことで、自分のなかの「人間」に目覚めた。
ニューヨークのブルックリンに帰還し、ホームレス生活を続けていたとき、教師をしている高校の同級生と出会い、その依頼で、小学校に行き、子どもたちに「戦争」のことを話した。
そして――ほんとうのことを言えないまま、他人事のような話を終えたあと、最後に質問の手を挙げたこどもから、「ミスター・ネルソン、あなたは人を殺しましたか」と問われる。
真実を言うべきかどうか……自分と闘いながら迷い続けたネルソンさんの口元から、つぶやきのように出た言葉は――「殺した」だった。
そんなネルソンさんを、子どもたちは見放さなかった。「かわいそうなネルソンさん」
苦しみ続けたネルソンさんに、再生への転機はそのとき訪れた。
日本に招かれ、同志社中学や沖縄などで講演をするようになったネルソンさんに、一冊のパンフレットが手渡された。
日本国憲法の英文パンフレットだった。
9条を読んで、ネルソンさんは衝撃を受けた。
1996年のことだった。
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「憲法9条を読んだとき、自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです」
「日本国憲法9条はいかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです」
「日本のみなさんは憲法に9条があることの幸せに気づくべきだと思います……憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみから、みなさんを救ってきたからです」
「ご存知のように多くの政治家が憲法から第9条を消し去ろうと躍起になっています。断じてそれを許してはなりません」
「みなさんとみなさんの子どもたちはこれまで憲法第9条に守られて来ました。今後はみなさんが第9条を守るために立ち上がり声をあげなくてはなりません」
「第9条は日本人にのみ大切なのではありません。地球に住むすべての人間にとって大切なものなのです。アメリカにも9条があって欲しい。地球上のすべての国に9条があって欲しい」
「世界平和はアメリカから始まるのではありません。国連から始まるものでもありません。ヨーロッパから始まるものでもありません。世界平和はここから、この部屋から、わたしたち一人ひとりから始まるのです」
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アレン・ネルソンさんは2009年、ベトナム戦争で浴びた枯葉剤が原因とみられる癌で亡くなった。享年61歳。
遺骨は、石川県加賀市の光闡坊に眠る。ネルソンさんがなんども講演し、心の安らぎを得たお寺だ。
7回忌は、ことし3月に。
住職の佐野明弘さんは、ネルソンさんのことを、こうふりかえった。
「9条によって平和になるという希望というよりも、9条そのものが存在することが希望を持てたんですね……平和への道というのはないんだ、平和こそが道なんだ、と常々おっしゃっていた。やはり真理を衝いていますね」
〔★は大沼〕⇒ http://www.dailymotion.com/video/x2p1r37
◎関連 ◆ 〔DVD案内〕
≪アレン・ネルソン―ベトナムの記憶≫
⇒ http://america-banzai.blogspot.jp/2008/01/dvd.html
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・ 価格 10,000円(図書館価格3万円)
元沖縄駐留海兵隊員アレン・ネルソンが語るベトナム戦争最前線の記憶。初めて人を殺したときのこと、多数の住民を殺害した戦場の日々、帰国後のホームレス生活、PTSD(心的外傷後ストレス障害)・・・本当の戦争とは。
監督 藤本幸久 撮影 栗原良介 編集 藤本幸久/栗原良介/影山あさ子
音楽 アレン・ネルソン(歌、ハーモニカ、ギター)、中村剛(ギター)
挿入歌 「Amazing Grace」「Down By The Riverside」
日本語字幕 影山あさ子 企画・製作 森の映画社 著作 Office Kageyama
51分/日本語字幕版/2009年
* ご購入された方の学習会や授業にお使いいただけます。日本語字幕のない版(英語テキスト付き1万円)もあります。セットの場合は15000円(上映権付5万円)DVDの他、上映用にはミニDVもあります。
アレン・ネルソン(Allen Nelson)さん:
元アメリカ海兵隊員。1947年7月30日、ニューヨーク・ブルックリンに生まれる。貧困家庭に育ち、高校中退後、1965年、18歳で海兵隊に志願入隊。1966年、沖縄駐留を経て、ベトナム戦争の最前線に派遣。1970年1月に除隊するが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に、長く苦しむ。1995年に沖縄で起きた海兵隊員による少女暴行事件をきっかけに、1996年、沖縄を訪れる。以来、毎年、市民グループの招きで来日。全国各地で、延べ1000回以上、自身の体験を語り続けた。2009年1月 多発性骨髄腫を発症。2009年3月25日 家族に見守られながら永眠。多発性骨髄腫は、ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤に被曝した兵士に、多発する病気であると、アメリカ退役軍人省も認めている。
Posted by 大沼安史 at 04:58 午後 5.希望・連帯・創造 | Permalink