〔コラム フクシマの歌〕 ♪ I'd Trade All Of My Tomorrows
このところ、時間軸(タイムライン)の、意識(言葉・思考)による‘逆転(リバース)’(?)ということを、ずっと考えている。
今日は――すこし時間があるので(台風で雨が降るので、畑の水やりをサボれるので)、アメリカのカントリーシンガー、マール・ハガード(Merle Haggard)さんをユーチューブで聴きながら、残務読書(?)で机に向かっていたら、この曲が流れて来た。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=0Fqc-VMkbiQ&list=RDEzmlwQP-AzY&index=6
なんども聴いていた歌だが、きょうばかりは、なぜか強烈に迫ってきた。
胸にぐっと来た。
♪ I'd trade all of my tomorrow's for just one yesterday
For my life's no good if I can't have your love……
♪ 明日という日を、昨日に交換したい気持ちだ
だって、昨日がそうだったように、君の愛情を、これからのつかむことができないなら、明日からの人生に意味はない……
*
なぜ、ぐっと来たか?
わたしにもまた、人並みに好きな女性がいるが、それ(と同等に、あるいはそれ)以上に、「フクイチ」のことが――「フクイチ核惨事」を生きてゆく「わたしたち(の子孫)」のことが気になっている。
なので、この歌を聴いているうち、わたしたちは、あの、<3・11以降>の「昨日の日々」と、これからのわたしたちの「明日」を交換する覚悟で生きていかねばならない(のではないか)――とナニゲに気づかされた。
もちろん、わたしたちは、「明日」と「昨日」を物理的に交換することはできない。
しかし、「昨日」に起きたことを認め、それを今後において対処・克服してゆくには、わたしたちの「明日」を、「昨日」の「現実」と(前向きに――過去の出来事を水に流さず、自分たちの生存の問題として前向きに)向き合う、そういうものにしていかねばならない……
「フクイチ後」を生きるわたしたちの世界は(あるいは時間は)、「明日」を「昨日」を‘交換’しなければならない――または「昨日」を「明日」のなかで克服して行かねばならない――ものに変わってしまったのではないか……
しかし、だからといって「昨日」と「明日」の‘交換’は、決して「後ろ向き」のことではない!
「フクイチ核惨事」を乗り越えて行くために、昨日を振り返る明日は、わたしたちにとって、(おそらくはただひとつの)希望の道である…………
――そんな思いにとらわれ、愕然としたのである。
*
マール・ハガードさんは、若いころ、犯罪に走った人だ。
あるとき、刑務所の房で、死刑囚と一緒になり、諭されたことから、改心する。
そうして、人の心をゆさぶるカントリーを歌い始める。
わたしたちにも、脱原発という「改心」が必要ではないか!
*
ついでに、もう一言!
わたしは、安倍首相が直面することを避けている歴史(過去)の事実についても、「フクイチ核惨事の後始末」と同じことが言えるような気がしているが、それだけでなく、「昨日」の「事実」を直視することで、その歴史的な事実の意味が、これから明ける「明日」において、遡行して変わり得るのではないか――とさえ思っている。
「昨日」を「新しい明日」とバクる(交換)することで、「昨日」の事実が、すくなくとも意味的には変わりうるとさえ思っている。
安倍首相は、「従軍慰安婦」のみなさんの「昨日(までの怒り・悲しみ・絶望)」を、心から謝罪が受け入れられた「明日」と‘交換’することで、日本現代史の「昨日」を変えなければならない。
日本政府の責任者が(心底)謝罪することで、彼女たちの「昨日」が変わることを、安倍首相は知らねばならない。
そのことによって、わたしたちの日本の子どもたちの「明日」も変わることを――「歴史の闇」から解放された「明日」が来ることを知らねばならない。
そこに、わたしたちの子孫がアジアで生きることができる、たぶん、唯一の希望の道がある。
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◎ 歌詞は ⇒ http://www.lyricsmode.com/lyrics/m/merle_haggard/id_trade_all_of_my_tomorrows.html
◎ マール・ハガードさん ウィキ ⇒ http://merlehaggard.com/
◎ マール・ハガードさん、公式サイト ⇒ http://merlehaggard.com/
Posted by 大沼安史 at 02:27 午後 | Permalink