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2015-04-07

〔アベノ教科書〕◆ 傲慢です、現代史の改ざん / 事実上、戦前の「検閲」です  / ★ × アイヌの人々の土地を取り上げ ⇒ ○ アイヌの人々に土地を与え / ★ 教科書アンダー・コントロール! 

 〔★は大沼〕◎「破れ傘・月寒閑浪人」氏より

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 次にやってくるのは「アジア太平洋戦争」を肯定、賛美する教科書づくりでしょう。「日本は五族(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)共和をはかろう、と満洲(中国東北部)を占領したのをはじめ、アジア各国に軍隊を派遣、積極的平和主義を実現させました」と。

 文部省の教科書検定は、従来の記述「狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました」を、書き換えさせました。「狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました」と。事実上、戦前の「検閲」です。

 歴史というより、生々しい現代史の勝手な改ざんです。戦前回帰どころか明治回帰です。浅薄にして、恐ろしくも傲慢な、安倍晋三首相・政権の「アイヌ民族」観に驚いています。

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【歴史、正しく伝わるか 中学教科書検定、アイヌ民族に「土地あたえた」】=北海道新聞4月7日(2015年)

 文部科学省が6日公表した中学校の 教科書検定 では、政府見解による新しい基準に基づき、従来は認めていた表現についても修正を求めた。歴史教科書の中には、「北海道旧土人保護法」の記述を修正した結果、狩猟、採集などの場を奪われたアイヌ民族の歴史が中学生に正しく伝わりにくい事例も出ており、専門家からは疑問の声が上がっている。

 <狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました>

 日本文教出版(東京、大阪)の歴史教科書は従来、1899年(明治32年)施行の同法についてこう表記していたが、次のように修正された。

 <狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました>

 表現上、逆の意味となったことについて、文科省は「アイヌ民族を保護するという法律の趣旨に照らすと生徒が誤解する恐れがある」と説明する。

 歴史をさかのぼれば、国は明治初頭、土地所有制度を北海道に導入。集団的に土地を利用していたアイヌ民族には個人的な土地所有の概念がなかったため、土地を所有しようとする人はほとんどいなかった。その結果、アイヌ民族は次第に狩猟や漁労、採集などの場を失い困窮。そこで北海道旧土人保護法は、アイヌ民族に土地を「下付」(下げ渡し)するとした。

 今回の検定意見は、アイヌ民族の困窮対策として施行された同法の内容を法的に解釈し、土地を「あたえた」と表現するよう求めた形だ。日本文教出版の編集者は「法の狙いは土地を取り上げる趣旨ではない。納得するとか反論するではなく指摘があったことは直していく」と話す。

 だが、政府の有識者懇談会が2009年にまとめた報告書は「すでに和人に対する払い下げが進んだ後で、アイヌの人々の土地は農地に適さないものが少なくなかった」と明記。同法は和人への同化を迫ったとの批判も強い。だが、この教科書は同法が施行されるまでの経緯についてほとんど触れられていない。

 北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長は「歴史の全体像を抜きにして、該当部分だけ修正して記述するのであれば、間違った歴史認識を子どもたちに教えることになる。承服できない」と批判する。

 北大アイヌ・先住民研究センターの落合研一准教授も「該当部分だけを見れば、修正は妥当と言えるが、北海道旧土人保護法に至ったプロセスが書かれていなければ、アイヌ民族が事実上、土地を失った歴史が分からない。教科書のページ数の制約があるとはいえ、言葉が足りない」と指摘する。

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【教科書検定 戦後教育を否定するのか】=北海道新聞「社説」2015年4月7日

 戦後教育は、かつて日本を戦争に追いやった国家主義、全体主義的な国民教育への反省に立って行われてきた。

 安倍晋三政権はそうした戦後教育の歩みを否定しようとしているのか。そうとしか思えない。

  教科書検定 の基準が強化されて初の検定が行われた。2016年度から中学校で使われる。

 新基準などで文部科学省が政府見解を盛り込むよう求めた結果、社会科では領土問題の記述が倍増した。

 一方で、過去の誤った政策や方針が、あたかもそうではなかったようにとられかねない書き換えも目立つ。

 過去の誤りも認め、ありのままを正視してこそ歴史から教訓をくみ取れる。もう一つ、教育には多様性や自主性も欠かせない。

 教科書づくりからそうした大事な精神が消えていくことに危惧の念を禁じ得ない。

■出版社はすでに萎縮

 「政府見解や確定判例を確実に反映させる」「学説が確定していない場合はバランスを取り、通説がないと明示する」。13年の検定基準の改定で、近現代史ではこの2点が新たに求められた。

 加えて、愛国心を養うことを盛り込んだ改正 教育基本法 の教育目標などに照らして、文科省が不合格にできることにもなった。

 国の考えを前面に押し出す一方、国の立場にそぐわない学説は根拠薄弱として曖昧にする―。そんな意図があるとすれば、ご都合主義と言われても仕方あるまい。

 

 今回の検定では、領土問題が「歴史」「公民」「地理」のすべての分野で取り上げられた。

 領土をめぐる認識は確かに大切だが、歴史的経緯などに触れなければ視野の狭いナショナリズムを助長しかねない。

 出版社にとって、教科書が合格するかどうかは経営に直結する。政府がたとえ直接、圧力をかけなくても敏感に反応せざるを得ない立場にいる。

 政権の意を忖度(そんたく)する。教科書づくりの現場でそんな萎縮が進んでいることを憂慮する。

■負の歴史正視せねば

 教育基本法に照らした不合格はなかったものの、新基準に沿わないとの修正は6件あった。厳格に適用しようとする文科省の姿勢は明らかだ。

 典型的な例は、関東大震災後に起きた朝鮮人殺害の犠牲者数だ。

 「数千人」との当初の記述が「当時の司法省は230名あまりと発表した。数千人になるとも言われるが、人数に通説はない」と改められた。

 歴史に複眼的発想は必要だが、一つの見方に「通説はない」とあえて付け加えれば、見解自体が否定されたかのように映る。

 現行教科書では通っていた記述が書き換えられる事例もあった。

 例えば、差別法とされた北海道旧土人保護法をめぐる記述だ。

 「アイヌの人々の土地を取り上げ」の記述が「政府はアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとした」と、あたかも恩恵を施したように書き換えられた。

 アイヌ民族への支配や同化の歴史をねじ曲げ、薄めようとしているようにしかみえない。

■改変の動き急すぎる

 これほど矢継ぎ早に教育の根幹へ介入した政権がかつてあっただろうか。

 安倍首相は第1次政権で愛国心を改正教育基本法に盛り込んだ。続く第2次政権で掲げたのが、検定基準の見直しだった。愛国心教育の延長線上に検定強化があるのは間違いあるまい。

 政権に返り咲いた後の2年余りの間に、教育行政の独立・中立性を揺るがしかねない教育委員会 制度改革を行い、規範意識や愛国心の押しつけが懸念される 道徳の教科化 にも道筋をつけた。

 安倍首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱えている。それから察すると、一連の動きの目指すところは戦後積み上げてきた教育の空洞化と読める。

 安倍政権と歩調を合わせて、自民党内には記述の内容や検定のあり方を包括的に示す教科書法(仮称)の制定を目指す動きがある。そうなれば教育がますます画一的なものに変質しかねない。

 教科書採択は各教育委員会に権限がある。それぞれの教育観、歴史観に基づいた教科書候補を、使う側が丁寧に比較したうえで政治から離れて採択するのが筋だ。

 次世代を担う子供たちをどう育てるか。それが教育の原点である。だからからこそ、教科書づくりでは多様性や自主性が最大限尊重されるべきだ。

 教科書の自由度が教育現場に反映されることで、自ら発見し、学ぶという本来の教育理念が保障される。

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【中学教科書検定 「なぜ」考えさせる授業に】=東京新聞「社説」4月7日

 来春から中学校で使われる社会科教科書は、日本の領土に関する記述が豊富になる。安倍政権の意向が反映された形だ。中身をうのみにさせるのではなく、なぜなのかを考えさせる授業が大切だ。

 文部科学省は一年前、社会科教科書の検定基準を見直した。例えば、近現代史では政府の統一見解や最高裁の判例があれば、それに基づいて記述するとした。

 教科書作りの指針となる中学校と高校の学習指導要領の解説書も改めた。地理や歴史、公民の分野で、北方領土のみならず、竹島と尖閣諸島を「固有の領土」などと明記するよう求めた。

 日本を悪者扱いばかりする。国益を損ないかねない。そうした偏った見方を排し、愛国心を養うといった教育基本法の目標にかなう教科書にそろえる狙いからだ。

 合格しないと日の目を見ないから教科書会社は従うほかない。竹島と尖閣諸島の領有権を取り上げたのは三分野の全十八点に上り、日本編入の経緯も記された。

 バランスの取れた教科書に仕上がったといえるのだろうか。教科書会社の考え方によって扱い方の大小に差が出るのは当然としても、気がかりなのは中身だ。

 日本の立場については、竹島は「韓国が不法占拠している」、尖閣諸島は「領有権の問題は存在していない」などと横並びの表現をしている。外務省のホームページを参照したケースも多いという。

 ところが、韓国や中国の主張も、対立の歴史的背景も見当たらない。これでは子どもたちに政府見解ばかりが刷り込まれ、敵対心をあおりかねない。なぜ問題になっているのかという素朴な疑問を素通りしては教育とはいえまい。

 竹島について韓国は「朝鮮の古い文献や地図に載っている」、中国は尖閣諸島をめぐり「日本が日清戦争を通じてかすめ取った」などと反論している。先生は授業で取り上げ、子どもたちと共に調べ、議論する工夫が欠かせない。

 歴史では、新規参入の教科書会社が初めて一九九三年の河野談話を載せた。自虐史観批判を受けて、十年前に教科書から消えた慰安婦問題が再び登場した。

 無論、軍や官憲による強制連行を示す資料は発見されていないとする政府見解も、併せて紹介している。検定の決まりを守れば、題材選びは自由と心得たい。

 重要なのは、子どもたちに正確な素材を多く与え、考える機会をつくり出すことだ。大人の萎縮は教育の放棄につながりかねない。

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【検定発表―教科書はだれのものか】=朝日新聞「社説」4月7日

 教科書は、国の広報誌であってはならない。

 来春から中学校で使う教科書の検定結果が発表された。

 文部科学省は今回の検定から新しいルールを用いた。

 教科書編集の指針を見直し、領土問題について日本政府の考え方を書くよう求めた。

 検定基準も、慰安婦や戦後補償など政府見解がある事柄はそれに基づいて記すよう改めた。自民党の意向に沿ったものだ。

 これまでの検定は、教科書会社が書いてきた記述を前提に判断する姿勢だった。それを具体的に書かせる方向に転換した。

 結果はどうだったか。

 領土問題は、社会科の全社が扱った。「日本固有の領土」「竹島を韓国が不法に占拠している」など編集の指針をなぞる社が多い。相手国の主張や根拠まで扱った本はほとんどない。

 これでは、なぜ争っているか生徒にはわからない。双方の言い分を知らなくては、中韓やロシアとの間で何が解決に必要かを考えるのは難しいだろう。

 文科省は答えが一つでない問いについて、多様な人々と話し合いながら解決の道を探る力を育てようとしている。その方向とも相いれない。

 

 社会科の教科書は、国が自分の言い分を正解として教え込む道具ではない。

 子どもが今の社会や過去の歴史、国内外の動きを理解するのを助けるためにある。

 政府の見解を知っておくことは悪いことではない。ただ、それは一つの素材に過ぎない。

 例えば戦後補償問題の場合。戦争で被害を受けた人々の証言、彼らの生きた戦後、中韓や欧米、国連の動きも併せて紹介し子どもが考える。そんな教科書が求められるのではないか。

 どんな教科書をつくるかは、出版社が判断することだ。国の検定は控えめにすべきである。

 政府見解は絶対的なものではない。時の政権で揺れ動く。

 検定でそれを書くよう強いれば、合格がかかるだけに教科書会社や執筆者は萎縮し、政府の主張ばかり記すようになる。

 教育内容が国に左右される危うさを、この社会は先の大戦で痛感したのではなかったか。

 教科書を選ぶ作業が、これから各自治体で始まる。

 今月から、自治体の長が設ける「総合教育会議」の制度が始まった。首長の教育への関与を強める狙いだ。

 だが、教科書採択はあくまで教育委員会の権限である。

 我が街の子どもに、どの教科書がふさわしいか。教委は教育の視点でこそ選んでほしい。

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【教科書検定 創意工夫の道、より広く】=毎日新聞「社説」4月7日

 来春から中学校で使われる教科書の検定結果が出た。全教科で104点が合格した。

   文部科学省は先に、学習指導要領の解説や検定基準を改定。社会科の領土に関する内容をより詳細にすることや、近現代史で政府の統一的見解があれば、これに基づいた記述をするよう事実上指示した。

 今回は、その条件が適用された最初の検定になったが、教科書はそれを反映し、特に日本の領土に関する記述は大幅に増えた。

 部分的にだが、それは「国定教科書」的性格を帯びたといえないだろうか。一律内容の教育への反省から、敗戦後に国定制は廃止された。複数の民間出版社がそれぞれに工夫する現行の検定制では、限定部分にせよ、一律の方向づけには、できるだけ抑制的であるべきではないか。

 領土問題にしても、いわば政府公認の記述を、生徒に暗記させるのが教育の目的ではないはずだ。

 例えば、古今東西の地理や歴史に深く関わってきた「領土」というものについての理解や見方を広げる学習も大切だ。先生の工夫がカギになるだろう。時間が必要だ。

 全体に新しい流れも見られる。

 今回、教科書はより分厚く、色彩がより豊かになった。図版も多く使い、本も大きくなる傾向にある。親しみやすくと、人気キャラクターなども多く登場する。

 内容についても、近年、国際学力テストなどで課題が指摘される「活用力」や討論の仕方など言語活動学習に力を入れる。あるいは、同じ日の新聞の読み比べで、多様な価値判断があることを学ぶものもある。

 「グローバル化時代の人材」の育成が目標に据えられている。

 現在、文科相の諮問を受けて中央教育審議会が審議する次の新たな学習指導要領は、知識の一方的伝授ではなく、問題を自ら見つけ、双方向の討議などを通じて協力もしながら解決を図る「アクティブ・ラーニング」への転換を目指す。

 これからの動きは急だ。

 「何を教えるか」から「どう学ぶ力を育成するか」。教科書の内容も従来の概念にはない創意工夫が求められる。文科省はこれと呼応するように、現在の学校教育に強い影響を与えている知識テスト頼りの大学入試を抜本的に改めるという。教科横断型の総合的なテストも検討されており、暗記型は通用しない。

 小中一貫校など新しいタイプの学校に即した教科書も課題だろう。

 仮に、教科書づくりが政権や文科省の意向を過度にそんたくしながらであったら、まったく創造的なものを生み出すことは難しい。創意工夫の道は広くありたい。

Posted by 大沼安史 at 01:13 午後 |