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2015-03-31

〔ありがとう、片岡ツヨさん〕◆ ナガサキ原爆の語り部、98歳で昇天 / カトリックの片岡さんは「(神は)なぜそんなむごいことを」と悩んでいた。しかし、81年に来日したローマ法王ヨハネ・パウロ2世の「戦争は人間の仕業。過去を振り返ることは将来に対する責任を負うことだ」という言葉に目覚めた! ★ ナガサキもフクシマも、そしてヘノコも、「人間の仕業」である!

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 〔★は大沼〕◎ 時事ドットコム ⇒ http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501/2015010400046&g=soc

 ・ 片岡 ツヨさん(かたおか・つよ=長崎原爆の語り部)2014年12月30日午後7時32分、肺炎のため長崎市内の病院で死去、93歳。長崎市出身。

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 ◎ 西日本新聞 : 片岡ツヨさんを悼む
 1月23日付け ⇒ http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=40086

 ・ 片岡さんは24歳の時、爆心地から約1・4㌔の三菱兵器大橋工場で被爆。親類13人を亡くした。顔や手に大やけどを負った片岡さん。入院先に落ちていた鏡の破片で、ケロイドが残った顔を見た瞬間は「化け物と思った」という。

 ・ 被爆者の深堀好敏さん(85)は、片岡さんがローマ法王の「戦争は人間の仕業」という発言を聞いて発奮し、別人のように語り部を始めたときのことを思い出す。「私のことが平和に役立つのであれば体験を話さなければと言っていた。浦上のカトリック信者を代表して、ケロイドをものともせずに語り部をしてくれてうれしかった」。そして「今はご苦労だったねと声を掛けたい」としのんだ。

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 ◎ 朝日新聞 : (惜別)片岡ツヨさん 長崎原爆の語り部
 3月28日付け ⇒ http://www.asahi.com/articles/ASH3S43JDH3STOLB00J.html

 ・ 敬虔(けいけん)なカトリック信徒だった片岡さんは原爆を神に与えられた「試練」と受け止め、耐えてきた。「(神は)なぜそんなむごいことを」と悩んでいた。しかし、81年に来日したローマ法王ヨハネ・パウロ2世は言った。「戦争は人間の仕業。過去を振り返ることは将来に対する責任を負うことだ」と。

 「パパ様(ローマ法王)の話を聞いて、間違った人生を送ってきたと気づいた」。親交があったある信徒は、片岡さんがこう語ったのを覚えている。

 生き残った者の使命として反核運動に取り組むようになり、語り部も始めた。84年の平和祈念式典では被爆者代表として「平和な世界を築くため、精いっぱい努力します」と述べた。

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 ◎ 片岡ツヨさんの証言映像 ⇒ http://www.global-peace.go.jp/picture/detail_156_0.html

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 ★ 片岡ツヨさんを変えた、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の言葉とは、ヒロシマ(1981年2月25日)での次の発言だ。
 ⇒ http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/etc/hiroshima.htm

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 ・ 戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。

 もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの町、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。

 この2つの町は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。

 ・ 過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。

 広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。

 この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。

 戦争という人間がつくり出す災害の前で、「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということをわれわれはみずからに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。

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 ★ ヨハネ・パウロ2世の広島での発言を、以下の祈りでもって結んでいた。

 「おお、神よ、わたしの声を聞いてください。そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください」

 これはもう、十字架の上のキリストの叫びではないか!

 わたし生きる者はみな、この地上において、死者たちとともに、復活を遂げねばならない。

 核、原発、戦争を廃することで、復活しなければならない。 

Posted by 大沼安史 at 10:15 午前 |