« 〔フクイチ核惨事〕◆ 被曝地をフィールドワークした  UCLAのコーノさんは言った。「まさに正業を奪われた農家の人たちは、日本政府が2020年の東京五輪を招致したことに怒っている。政府はフクシマに何の問題もないと言う。問題はある。裏切られた思いがする――と」 | トップページ | 〔フクイチ核惨事〕◆ 吉永小百合さんは昨年12月、「自分の目で確かめておこうと……ガイガーカウンター(放射能測定器)を持って原発事故の帰還困難区域、福島・双葉郡も訪れ」た。/ 10日の朗読会「祈るように語り続けたい 第二楽章 福島への思い」後の会見で、「原爆は復興できたけれど、福島はまだ終わっていないことがあまりに多すぎて。(詩を)読む方もつらい」と語った。 »

2015-03-09

〔希望の歌が聴こえる〕◆ イスラエル出身のヤロン・コールベルクさんとパレスチナ出身のビシャラ・ハロニさんがピアノ・デュオ「アマル(アラビア語で「希望」)」を組み、ショスタコーヴィチ:2台ピアノのためのコンチェルティーノ(作品94)を演奏 / あるいは、奥平康弘先生、最後の言葉

 ◎ ユーチューブ ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=HlzHeug1V3E

 ★ 雑誌『世界』4月号に、澤地久枝さんが、「9条の会」の憲法学者、奥平康弘さんを追悼文で、ピアノ・デュオ「アマル」のコンサートへ出かけたときのことを書いていた。

 「終わって雑踏する大勢の中に奥平(康弘)先生夫妻の姿をみつけた。/ それぞれの祖国は、憎悪と報復の流血のなかにある。しかし二人の音楽はすばらしかった。『よかったですね。すばらしい』とお二人が口々に言われた」

 澤地さんによると、奥平康弘さんは死の前日、一月二五日の調布での「九条の会創立一〇周年記念」講演で、こう語っていた。

 「今できることをすべきだ。団結しよう。心の糧としての平和主義をひろめるのは、あなたたちです。ひとつの方策として、九条を翻訳して世界にアピールすること」

 奥平さんの遺言である。

 澤地さんは、こうも書いている。

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 ・ かつてアジアのある地域で災害がおき、国連を通じて災害援助隊派遣の要請があった。このとき日本は消防庁や地方の消防官を派遣、赤い車が走った。現地の人たちは「日本ってすごいだね。そういう方法で国際協力ができるんだけね」と非情に高く評価された。「そういう時代があったということを、僕は大事にしたい」と語られたのは二〇一一年六月四日の九条の会。

 ・ さらに、保守反動的な憲法改正法案が出てきたときは。断々固として反対するだけでなく、対抗案を出すべきと語っている。対抗案・カウンターパンチを浴びせて、改正条項をつぶす必要がある、と。
 その方法の一つとして、はっきりと「核武装反対」「原発反対」の条文を掲げる。……
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 原発反対、核兵器反対! 

 澤地さんは追悼文の最後を、以下の言葉で結んでいる。

 「沖縄密約」訴訟の原告でもあった先生のことをわたしは忘れない。

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 平和のデュオを「すばらしい」と言った憲法学者の言葉を、わたしたちも、忘れることはない。

Posted by 大沼安史 at 05:06 午後 |