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2014-10-15

[あじさいコラム]◆ 御嶽山頂の国常立尊(クニノトコタチノカミ)の首が、噴火で消えたわけ

 ブログの「カレイドスコープ」を読んで、御嶽山の噴火で、山頂にある御嶽神社奥の院の国常立尊(クニノトコタチノカミ)の像の頭部が、どこかへ消えてなくなったことを知った。

 なぜ、なぜ国常立尊の首は飛んだのか?

 狙い澄ましたような、火山弾の直撃・的中で飛んだ……。

 そう考えるのは、わたしたちの地球物理学的な常識であるだろう。

            #  

  しかし、これを「神示」として受け取った人もいる、と「カレイドスコープ」の筆者は指摘する。

    ・ <……神道系の新興宗教や、日月神示を信じている人たちは、国常立尊の首が取れたということは、「これから本格的に大峠の時代に入るよ」という神示として受け取って>いる。

 ・ <(国常立尊とは)……もともと古事記に出てくる神ですが、「日月神示」では、大峠の後に訪れる「ミロクの世」の前に来る大掃除・大洗濯を行う神という位置づけ>である。

 ・ そこから<「創造と破壊」は一つであって、今、世界は「破壊」のプロセスに入った、ということです。国常立尊は、それを繰り返す神である、という解釈>が生まれうる

    ―――と。

 国常立尊の首が飛んだのは、この国の世直しの破壊と創造の(はじまりの)象徴であるとする受け取り方だ。  

            #  

 すこし、補足すると、ここでいう、「神道系の新興宗教」とは「大本」のことであり、「日月神示」とは1944年6月、岡本天明に、国常立尊が降霊し、自動筆記された神示のことである。

 しかし、それにしても―――国常立尊の首が飛んだことが、この国の世直しの破壊と創造の神示だとして、それをいったい(神意として)、どう受け取ればよいのか?  

            #  

 いま、わたしの手元には、岡本天明の「日月神示」と一字違いの、「日月地神示」という、2006年6月から1年間にわたって、京都在住の「神人」さんに降りた「神示」の自動筆記記録がある。

 そこに、「この[艮金神、素戔嗚尊でもある]神、人間にかかかることめったに無いのじゃから、天明の次であるのじゃぞ」(『し』の巻)と書かれていることからすると、神人さん「日月地神示」とは、岡本天明の「日月神示」の、現代版(ヴァージョン)とみることができるだろう。

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 となると、この神人さんの「日月地神示」に、 国常立尊の首が飛んだ理由を解き明かすくだりがあるのではないか?  そう思って、あらためて注意しながら読み直したところ、たとえば、『こ』の巻に、こんなお告げが書かれていた。

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  ・ 人民の御魂みな掃除さして、地の神とさして、天(あま)の神は隠居致す御仕組みじゃぞ。    

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 これをわたしなりに解釈すれば、「日月地神示」はわたしたちに、「まず、今までの事を掃除致すのじゃ、よいか」のお言葉通り、たましいの掃除を迫っているのだ。

 たましいの掃除をして、わたしたちひとりひとりが地の神になれ、と諭しているのだ。

 とすれば、御嶽山頂で国常立尊の首が飛んだのは、わたしたちに地の神となるよう迫るために、「天の神」が自らすすんでお隠れになった…………と、そう解釈することも可能ではないか?  

 いや、神示としては、そう解釈するほかないのではないか?  

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 そして―――。  「日月地神示」の『き』の巻には、

   ・ この御神様、物申す時来ましたぞ。岩の御神様いよいよお出ましぞ。みな腰抜かすぞ。

   『こ』の巻に、また、

   ・ 古の声の元を映す時来たのであるから艮金神殿のお計らいに居たり、ういの奥山にあがりておりた神々様にお目にかかれますのじゃぞ。

 『さ』の巻には、

   ・ 神々様総ががりでありますのじゃ。日本全体に地震起こして大難を小難に致しておるのじゃから、人民もそれぞれに改心致し、みなのものに早よう伝えて下されよ。  ―――と。  

           #  

 さらには『ね』巻の、

   ・ 火の神様、水の神様、いよいよ御動きなされますぞ。続いて大神様、お動きになられ、いよいよみなみな変わりますぞ。

 『よ』巻の、

   ・ 人民、目覚めよ。誠理解致し、歩まれよ。新しい能力、次々現れ、びっくりじゃのう。誠の神人となりて、御役目一斉に致し下され。そろそろ数も揃うて来たぞ。これから一気に変わりて行きますぞ。生まれ変わりの仕組み致すぞ。魔物、想念界は消えますぞ。次に進めよ。御役換えさせて頂けよ。……もう暫くの辛抱じゃ。

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 こうして「日月地神示」を一通り読み終えると、御嶽山噴火にともなう国常立尊の「お隠れ」が、神示としては、わたしたちに対する、この国の大御神の、世直しへの、叱咤激励であることがわかる(……そんな気がする)。

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 そうなのだ。だから、たとえば『に』の巻には、こうあるのだ。

   ・ ひとつ、みな喜び勤しんで暮らせる世の御仕組み作りおうてくだされ。

   ・ ひとつ、愛することを一番大前提にお暮しくだされ。  

            #

 ひとりひとりが、山頂から降りた、ちいさな地の神となって、それを神ながらの天命として、ともに生きるべき、わたしたちがなすべきことは、いまや明らかである。

                          * * * *

  ◎  (注) 素戔嗚尊について「日月地神示」は、こう言う。([ ]内は大沼)
 「素戔嗚尊(すさのうのみこと)、みな思うておる神様とはちと違うぞ、この神様、地の大神様であり、世の元からの生き神様であるぞ。そのこと取り違えいたりしておりては、人民連人みな、大神様に申し訳ないぞ。早くそのことを判ってくだされよ」(『い』の巻)

  また、『お』の巻にいわく。
 「これから申すこと、ウシトラ[艮]の金神[こんじん]殿の御働きなるゆえ素戔嗚大神様共におでましになるぞ」と。

Posted by 大沼安史 at 03:29 午後 |