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2014-05-07

〔あじさいメモ〕  ダルビッシュ投手が東北高校(仙台)のエースだったことは、みなさんご存知のことと思います。それでは、みなさん、昭和34年・夏の甲子園で投げ抜いた、東北高校のエース、波山(はやま)投手を憶えていますか? 波山次郎こと尹次郎(ユン・チャラン)さんはその後、「平壌のエース」になっていました! そして「平壌のエース」として、キューバチームと対戦していたのです!

4592

 ◎ 仙台「本の森」刊

 『甲子園と平壌のエース 東北高校・波山次郎と幻の北朝鮮野球』

  (鈴木 昌樹著)定価(本体1500円+税)

 

 ⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/4592.html

               *

 (同書紹介文 )  下記 ↓

 

 在日朝鮮人として日本で生まれ育ち、仙台二中野球部在籍中からその非凡な才能を発揮。中学卒業後は高校野球の名門・東北高校に進学し、昭和34年夏の甲子園ではベスト4投手に輝いた少年がいた。 その東北高校野球部の躍進を支えたのが、エース・波山(はやま)次郎こと尹次郎(ユン・チャラン)だった。
彼は高校卒業後、プロ野球の大洋ホエールズに入団するが、思うような活躍ができず、失意のまま退団して帰仙。その後は在日朝鮮人の帰国事業で、姉1人だけを残し他の家族全員で北朝鮮に渡った。

 別れから9年後、仙台に残った波山の実姉春子の元に、北朝鮮の家族から「晃(兄)が死にました。」、さらに5年後には「次郎は死にました。」とだけ書かれた謎の訃報が届く。 この手紙を境に物品や現金を送れという要求が増えていく。春子は必死に働きながら仕送りを続け、北朝鮮に住む家族を支えた。だが、疑問は残った。
 「次郎はなぜ若くして死ななければならなかったのか?」

 真相が分からないまま月日は流れたが、別れから39年後に春子はついに平壌(ピョンヤン)で家族との再会を果たす。
そこで家族の口から、波山兄弟が亡くなった真相、次郎が北朝鮮でも野球をしていたという証言が飛び出す。さらに当時世界最高レベルと言われたキューバチームと、北朝鮮チームのエースとして対戦していたことが明らかとなる。

 波山次郎と家族の波乱の生涯、歴史に埋もれた北朝鮮の野球を追った渾身のノンフィクション!

Posted by 大沼安史 at 08:08 午前 |

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