〔あじさいの言葉〕 <法主さんは道を歩いて、ときどき何かの声をきくために立ち止ってしまう。石や木や風がよびかける。…………道がはじめてみえてくる> : (真木悠介さん 『気流の鳴る音』より)
<法主さんは道を歩いて、ときどき何かの声をきくために立ち止ってしまう。石や木や風がよびかける。
法主さんと一緒にいると、私たちもまた、これらの言語以前の〈ことば〉を聴くことができるような気がする。
この邑〔むら〕をはじめてたずねて来た時には何でもなく通り過ぎた林の中の道が、足元や頭上を呼び交わし呼びかける無数の〈声〉にみたされた幻惑の空間となる。
道がはじめてみえてくる>
(真木悠介著『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫版 28頁。引用箇所の最後の文、「道がはじめてみえてくる」には著者の強調、ルビ点がふられている)
*
★(大沼) わたしはこの本を、1977年刊(初版)の単行本で持っていた。
あらたに文庫本を買い求め、矢追日聖さんが終戦直後、奈良にひらいた「大倭(おおやまと)紫陽花邑」について書かれた箇所を読み直した。
真木悠介さんが「法主(ほっす)さん」と書いたのは、矢追日聖さん(1911~1996)のことである。〔いまは、「ほっす」と呼ぶより、「ほうしゅさん」というのが一般的のようだ〕
夢に「光明皇后さま」が現れ、「地下水のように、紫陽花のごとく咲け」と日聖さんに告げたことで終戦直後に生まれた「大倭紫陽花邑」には、社会的な偏見に苦しむライ回復者のためにつくられた「交流(むすび)の家」がある。
真木悠介さんによれば、そこで、こんなことがあった。
*
この施設「交流の家」の建設と運営に当った人びとは、六〇年頃の関西学生運動の中心的な担い手の集団であった。
それらの関係で紫陽花邑は、ときどき外部の人たちのキャンプや集会に場所をかしていたことがある。
ある夜法主さんが眠っていると、木の悲鳴をききつけて胸さわぎがする。外に出てみると、学生たちがキャンプをしている一本の木が呼んでいる。
そこに行ってみると、今巨大な釘が打ちこまれたところで、そこにキャンパーはロープを結ぼうとしている。
法主さまは頭をさげて、これでは木が可哀相だから、枝にロープを巻きつけるやり方で固定してくれないかと学生たちにたのみ、学生たちもそれを了承する。
それから眠ることができたという。
*
『気流の鳴る音』はまた、「大倭紫陽花邑」というところがどんなところか、こんな忘れ難い文章で描いている。
*
身体障害者がたとえば片手で食事をする。ごはんをこぼしたり奇妙な身の動かし方をしたりする。
それは一般の人間にコッケイだという感じを与える。
しかしそれを笑ったりすることは許されないことだ、というのが一般の良心的な差別反対運動の精神である。
けれども紫陽花邑ではちがう。
おかしいものはおかしいやないか、といって屈託なく笑う。その本人もいっしょになって笑う。
それが紫陽花邑の世界だ。
両手のそろった人間がメシを食うよりも、片手の人間がメシを食うことはたのしいことだ。……(同25頁)
*
仲間を「決して傷つけないだけの、関係の実質をもっ」た「紫陽花邑」について、『気流の鳴る音』の真木悠介さんは、さらにこう書いている。
*
……あたかも紫陽花がその花の一つ一つを花開かせることをとおして、その彩りの変化のうちに花房としての美をみせるように、邑に住む者のひとりひとりが、それぞれの人となりに従って花開くことをとおして、おのずから集合としてのかがやきをも発揮しようとするものである。(同23頁)
*
真木悠介さんがこう書いた、「紫陽花邑」の共同体としての在り方は、わたしたちが取り組むべき、新しい国づくりの手本にあるものだと、わたしは――(わたしもまた)いま、痛切に、思う。
法主さまによれば、「大倭紫陽花邑」にある「大倭神宮」は、「神武紀元以前に於ける古代ヤマトの中心的斎庭(さにわ)」だった場所に建てられた。
(矢追日聖著、『ことむけやはす二 ながそねの息吹』(大倭出版局・企画、野草社・発行、新泉社・発売 287頁)
*
そして――「大倭」とは、この国の、「おおおやもと」の意。
わたしたちは、いま、わたしたちとしてはじめて目にする、国づくりの紫陽花の道を、ともに歩んで行くべきである。
そういう時が、いま、わたしたちには、来た、と思う。
#
★ 本ブログ参考 ◎ < あさみどり よにいずる あじさいのくに>
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2014/01/post-cb5a.html
Posted by 大沼安史 at 11:42 午前 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 〔あじさいの言葉〕 <法主さんは道を歩いて、ときどき何かの声をきくために立ち止ってしまう。石や木や風がよびかける。…………道がはじめてみえてくる> : (真木悠介さん 『気流の鳴る音』より):

















