〔コラム あじさいの国へ〕 たましひはみどり
2011年の夏、避難先の郡山市のアパートで、高校1年生だった矢代悠(はるか)さんは、トイレにこもって声が漏れないように泣いた。
母親がなじったそうだ。「大丈夫じゃなかったじゃない」
父親は――東電社員のお父さんは、言い返さなかったそうだ。
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母親は知り合いから「どう責任を取るの」「被害者面して」と言われた。
父親は事故の収束作業に呼び出され、避難先に戻るのは月8日程度。細い体がさらに細くなり、ほおがこけた。
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テレビの「脱原発デモ」を見て、悠さんはこう思ったそうだ。
「東京の電気をつくる原発がどこにあるかも知らなかったくせに。お父さんが頑張っていることはだれも知ろうとしないのに、無責任じゃない」
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今月1日、いわき市の高校の卒業式に臨んだ悠さんの高校生活は、フクシマの被爆者として――と同時に、東電社員の家族として、事故の重みに耐えながら、生き抜いた3年間だったようだ。
15歳から18歳まで、フクシマの青春を生き抜いた悠さんのことを、朝日新聞(8日付け朝刊)で読んで、涙が流れた。
記事を読んで、お母さんも、お母さんの知り合いも――そして誰より、お父さんが泣いたのではないか!
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わたしは記事を読み終え、よくぞ言ってくれた(教えてくれた)、と悠さんに心の中で手を合わせた。
わたしは、フクシマの人たちのほんとうの気持ちが、悠さんの「言葉」で、ようやく分かった(分かりかけた)ような気がした。
わたしもまた、たしかに、何も、知らなかったのだ。
事故が起きるまでは。
そして事故のあとも、悠さんの「言葉」を聞くまでは。
現場で働く東電社員や、作業員の人たちとその家族のことなど。
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わたしは、悠さんの「言葉」をかみしめがら、先日、亡くなった詩人、吉野弘さんの、詩の一節を思い出していた。
―― 諸君
魂のはなしをしましょう
魂のはなしを!
なんという長い間
ぼくらは、魂のはなしをしなかったんだろう――
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そしてまた、「たましひはみどりなるべし」――
辺見じゅんさんの歌の、あの、美しい歌いだしを。
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いま、わたしたちが、なすべきは、――悠さんが教えてくれたように、「立場」や「建前」の「言葉」ではなく、「真情」の言葉を言うこと、聞くこと、交わすことではないか?
理解し合い、困難を見据え、一緒に立ち向かうことではないか?
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ふるさとはみどり。
そこに生まれた、悠さんのような、いのちもみどり。
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フクイチ核惨事・開始3年――。
東電本社の人も、霞が関の政府の人も、県庁の人も、医科大学の先生も…………そしてわたしたちも、「組織の言葉」を離脱し、いのちに向き合う「魂のはなし」を始めなければならない。
Posted by 大沼安史 at 11:30 午前 3.コラム机の上の空5.希望・連帯・創造 | Permalink