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2013-11-18

〔コラム 机の上の空〕 核の廃墟で、いのちを祈る

 フクイチ4号機プールからの核燃の取り出し作業が18日、始まった。

 初日の夜は、晴れ。

 満月が、廃墟のような核惨事の現場を、明るく照らし出したはずだ。

 現場に作業員が残っていたなら、月を見上げて、何を思ったことだろう。

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 日中、現場はどんな様子だったか、NHKの報道をネットで見てみた。
   ⇒ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131118/t10013129841000.html

 そこには、そこにいて実際に作業をした人のことが、何もふれられていなかった。

 新聞を見ても、何も。

 人だけではなく、フクイチの空も風も海も。

 何も書かれていなかった。

 人も自然も、そっくり、フクイチから、消えていた。

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 わたしは、ことし5月に訪れた屋久島のことを思った。

 農民詩人、山尾三省さん(1938~2001年))が暮らし、土に帰った、白川(しらこ)山の森を思った。

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 白川の森を流れる大川の水は、飲める水で、三省さんも飲んでいた。

 そんな清流を照らしながら、満月が、大川の谷の森かげから、昇ったことだろう。

 いまも残る、三省さんの「愚角庵」の上にも、昇ったことだろう。

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 三省さんが、東京から移住した屋久島の森。

 そこには、フクイチという核の廃墟にはない、全てがあった。

 汚れを知らない水が流れ、杉の巨木が立っていた。畑を耕す人がいて、山に遊ぶ子どもたちがいた。

 フクイチの対極、屋久島の森。

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 先日、屋久島を撮り続けている写真家の山下大明(ひろあき)さんに会って、お話をうかがった。
 ( 山下さんの写真集『月の森』は 
       ⇒ http://www.shinsensha.com/detail_html/11yasou/1184-2.html
 『樹よ』は ⇒ http://www.shinsensha.com/detail_html/11yasou/1283-2.html )

 屋久島の夜の森に入って、静かな気持ちでいると、すこしして、落ち葉や木の枝が光り始めるのだそうだ。

 森が、よく来てくれましたとでもいいように、微光でもって受け入れてくるのだ12832_2そうだ。

 森は、生きている……。

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 山下さんと仲良しだった三省さん自身、こんな自分の経験を詩に書いている。


   「法華経の森を歩く」(水書坊)という自著の冒頭に、自ら引用した「こおろぎ」という詩だ。

   不思議だ

   これまで どんなに耳を澄ませても

   夜の沈黙があるばかりで

   一匹のこおろぎの声も聞かれなかったのに

   幼なごころ
  
   と つぶやいたとたんに

   少なくとも五匹のこおろぎが

   五方で 静かにないているではないか

   地のものの鳴き声が

   帰ってきたではないか

 屋久島の森のいのちは、三省さんの、童心にかえったつぶやきに応えたのだった。

 そう、いのちの森は、わたしたちの呼びかけに、応えてくれる……。

     #

 フクイチから屋久島へ飛んだわたしの夢想は、三省さんの霊魂とともに、ふたたび、満月の4号機の建屋へ戻った。

 森の詩人は、文明の果ての悲惨を前にして、何を思うことだろう。

 どんなつぶやきをもらすことだろう。

 詩は、書いてくれるだろうか?

     #

 わたしは、三省さんならきっと、目を背けず、耳をふさぎもせず、満月に照らし出された核の廃墟にたたずんで、詩を書いてくれるの違いないと思う。

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 たぶん――ではなく、いや、きっと。

 三省さんが書いてくれるはずのフクイチの詩は、きっと、いのちの歌だ。

 そうに違いない。

 三省さんなら、それでも流れる水を、それでも波打つの海の調べを、それでも清らかな月の光を書いてくれるはずだ。

 フクイチでシジフォスのような保守作業にあたる人々の姿をも、また。

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 中性子線をあてられ、魔物と化した鉱物の怒りを鎮め、毒を浄める祈りの詩を書いてくれるはずだ。

 廃炉の困難さを切り拓く、希望と勇気を書いてくれるはずだ。

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 18日から始まった、4号機プールからの核燃取り出し。

 それはテレビや新聞のいうような、単なる「作業」ではない。

 「工程」でもない。

 それは、わたしたちのいのちにつながる、いのちを守る――もはや、これ以上のことはない、死活的に重要な、のるかそるかの、世界の人々の祈りが集まる、人類史的な事業である。

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 がんで亡くなった三省さんは、その「遺言」で、「原発」の廃絶を「これからの現実的な幸福の第一条件」と考える、と書き遺していた。

 そして、こうも記していた。

 「死が近づくに従って、どんどんはっきりしていることですが、ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています」と。

     #

 4号機核燃取り出しは、三省さんに言うとおり、いのちを愛し、世界を愛する、わたしたち日本人すべてによる、人類史的な営為でなければならない。 
      
 そこで続く、作業員のみなさんのお仕事は、歴史に記念されるべき大事なものである。

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 フクイチで、いま、祈りに変わった、わたしたちの、いのち。
 
 だから、わたしたちは、心静かに、成功を祈ることにしよう!

 三省さんも、わたしたちとともに、きっと、一緒に祈ってくれているのだから、成功を祈ることにしよう!

 自然は、カミは、わたしたちの祈りに、こたえてくれるかもしれないのだから。

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  南無瑠璃光

  山の薬師如来

  われらの 病んだ欲望を 癒したまえ

  その青の呼吸で 癒したまえ

  (山尾三省さん「祈り」より、詩集『祈り』〔野草社刊〕所収)

Posted by 大沼安史 at 09:26 午後 |

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