〔コラム 机の上の空〕 地を離れて人なし。人を離れて事なし。
「秘密保護法案」が26日夜、衆院本会議を「自公の採決強行」(朝日新聞・27日朝刊1面見出し)で通過し、参院に送られた。
「自公」の「公」といえば、もちろん公明党。
公明党といえば、創価学会……。
わたしは朝刊の記事を、風邪でふせった寝床で読んでいるうち、なぜか急に、牧口常三郎氏のことを思い出した。
そして書棚にある、氏の「全集」(4巻)を取り出し、付せんをつけていたところを拾い読みした。
牧口常三郎氏とは、言うまでもなく、創価(教育)学会の創始者である。
ウィキ ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E5%8F%A3%E5%B8%B8%E4%B8%89%E9%83%8E
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わたしはなぜ、牧口常三郎氏の「全集」を持っているか?
それはもちろん、わたしが牧口氏に関心を持っていたからである。
ひとつは、わたしがこどものころ、地理が大好きな「地理少年」だったこと(牧口常三郎氏氏は『人生地理学』という大著を書いた地理学者でもある)。
もうひとつは、かつて、わたしが北海道新聞の教育記者をしていたころ、牧口氏が北海道の札幌師範を出た教育者であったことを知ったこと(創価学会第二代会長の戸田城聖氏も、北海道の夕張で教師をしていた)。
わたしの氏に対する関心の由来は、この二つである。
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そんなわたしの過去に由来する関心が、なぜ、今朝、急に高まったかというと、それはいうまでもなく、牧口常三郎氏を戦時中、拘引し、ついには獄死に至らしめたものが――目下の焦点である「秘密保護法」との相似が取りざたされている――近代日本の悪法中の悪法、「治安維持法」だった、という歴史的な事実があるからである。
全集1巻・付録の「著者 牧口常三郎略伝」には、こうある。
社会学者田辺寿利(すけとし)は……「一小学校長たるファブルは、昆虫研究のため黙々としてその一生をささげた。学問の国フランスは……フランスの名において……感謝の意を表せしめた。一小学校長たる牧口常三郎は、あらゆる迫害あらゆる苦難と闘いつつ、その貴重なる全生涯を費やして、ついに画期的なる『創価教育学』を完成した。文化の国日本は、いかなる方法によって、国の誇りなるこの偉大なる教育者を遇せんとするか」とたたえているが、時の日本政府は牢獄における死をもって遇したのである。
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「治安維持法」の日本は、偉大な地理学者であり、偉大な教育者であり、日蓮大聖人の仏法に帰依した、牧口常三郎氏という、偉大なる宗教家を、東京拘置所において、死に至らしめたのである。
これはわたしたちが、忘れてはならない歴史的事実である。
わたしたちは、その事実に学ばなければならない。
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全集の付せんのついた箇所を見ているうち、こんな一文に行きあたった。
国法には違反しないからといって、自己の名誉や地位にのみこだわって、本来の使命を忘れている代議士や官僚も実は悪人である。(1巻・352頁)
これはもちろん、戦前の日本の権力者への警告ではあるが、「秘密保護法」を強行成立させようとする、いまの日本にもあてはまることではないか?
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牧口常三郎氏は、かの志賀重昂(『日本風景論』)を驚かせた、その『人生地理学』の最後に、吉田松陰の言葉を引用している。(4巻、614頁)
地を離れて人なし。人を離れて事なし。人事を論ぜんとせば、まず地理を究めよ。
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採決強行の前日、福島市で行なわれた地方公聴会の意見陳述者は、全員が「秘密保護法」に「反対」を表明していた。
いまの日本では、フクシマという「地と人」を離れて、「事」を論じることはできない。
牧口常三郎氏がいまの日本におられたら、今回のこのありさまを、どう思われることだろう?
Posted by 大沼安史 at 04:23 午後 | Permalink