〔コラム 机の上の空〕 生きるとは共生であり、知ることである
最近、ブログを再開し、すこしずつ、書いている。
わたし自身の情況に変わりはないが、フクシマの破局的事態や、秘密保護法案が「法」になりかねない状況にあるので、敢えて書き出したしだいである。
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今朝、「東海アマさん」のツイッターに、こんな言葉が出ていた。
# 私のニセモノに注意 @tokaiama 4時間
生きるために、自分の心を殺して行う辛い仕事 何一つ喜びのない仕事は奴隷であり苦役であって本当の仕事ではない
人が生きるための仕事の本当の意味は、人生の意味を学ぶものである
人の笑顔を見て、生きるエネルギーを補充するものである
人は人の悲しみをエネルギーに変えることはできない
⇒ https://twitter.com/tokaiama
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わたしはとくに、人は「人の笑顔を見て、生きるエネルギーを補充するものである」というところに心を動かされ、二度、三度と読み返した。
そして、思った。
「アマさん」はツイッターのタイトルの下に「もの凄い嫌がらせてを受けています」と書いているが、にもかかわらず、なおツイートを続けていられるのは、負けじ魂とともに、人の笑顔を見て、辛い心に補充した、「生きるための仕事」のエネルギーがあるからだろう……と。
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わたしはまた、「アマさん」のツイッターを読んでいて、「アマさん」という、わたしの同世代・同時代の人物の、いのちの流れ(プロセス)のようなものを、なんとなく感じる。
それは「アマさん」自身だけのものではなく、「アマさん」にツイートで合流する、いろんな人々の、いのちの流れでもあるような気がする。
それは匿名ではあるが、不特定でなく、いま、この日本に生きる、あくまでも、特定の人たちによる――つまり「特定多数」の人々による、いのちの流れである、とも。
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さらに、こうも思う。
わたしたちはいま、憎悪や対立を超え、支配や操作のない、「笑顔の世界」へ向かって、ともに進んで――ともに生きてゆかねばならないないのではないか、と。
そうしなければ、わたしたちは――この日本は、下手すると、滅びてしまうのではないか、と。
「共に生きる」――そう、この「共生(Symbiosis)」こそ、わたしたち人間を含む、生物進化の重要なファクターであったことは、米国の発生生物学者、リン・マルグリス女史の研究で、すでに示されたことではなかったか、と。
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生物学が出たところで付言すれば、南米チリのムトゥラーナさんとヴェレラさんは、「生きるとは、知ることである(To live is to know.)」と結論づけ、認知・認識こそ、生きることであり、進化の動因であると説いている。
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生きるとは知ること――である以上、「アマさん」のツイッターへの妨害は……あるいは、さまざまな人々への言論弾圧は、「知ること=生きること」に対する破壊活動以外のなにものでもない。
そういうところで(そういうところに)、わたしたちの、人としての進化はありえない。
人の笑顔を喜びとする「共生」には、「生きること=知ること」が欠かせないのである。
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どこまで続けられるわからないが(また、途中で筆を折ることになるかもしれないが)、わたしもまた、「東海アマさん」に見習い、自分が知らされ・知ったことをまた誰かに知らせる発信活動を、わたしなりの「流れとかたち」で、続けてゆきたいと思っている。
なので、よろしく!
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最後に、ある方から、苦しいときに、笑顔で、くりかえし唱えなさいと教わったことばを…………みなさんにも。
みな うれしうれし たのしたのし 変わる変わる変わる
大丈夫 すべては喜びに向かって進んでいる
ありがとう ありがとう
すべてに ありがとう
Posted by 大沼安史 at 04:15 午後 | Permalink