〔コラム 机の上の空〕 「前のめり総崩れ」の道を、驀進し続けてはならない
シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』*1が出版されたのは、いまから40年前、1973年のことだ。
最近、わたしは宇井純さんの著作をまとまって読む機会に恵まれ、そこで宇井さんがシューマッハーのこの本を、高く評価していたことを知り、あらためて手にとって読みだした。(以下に続く)
久しぶりに再読して、あまりにも教えられることが多いのに驚き、おのれの浅薄さを痛感させられた。
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教えられることが多いと思うひとつの理由は、シューマッハーの40年前の記述が、わたしが今、生きる、この日本の現実に、まさにぴったりと重なり合うからだ。
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シューマッハーはたとえば、「前のめり(前進的)総崩れ族(people of the forward stampede)」であり続けるか、それとも「自分の住まいに帰る人(home-comers)」になるのか、当時、早くも、選択を迫っていた。
それはもちろん、とりもなおさず、今――2013年の日本において、わたしたちが突き付けられている選択である。
「スーパーテクノロジー」を神と仰ぎ、このまま「成長至上主義」をとり続けるか、「人間の顔をしたテクノロジー」に立ち返り、地球環境を破壊しない「非暴力的な経済」を目指してゆくか?
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この本でシューマッハーは、早くも、「原子力」の危険性に警鐘を鳴らしていた。
「原発」は、彼の言う、「スーパーテクノロジー」の象徴。
それがフクシマで、ついに「連続核爆発&メルトダウン」という、あってはならない極大事故を引き起こした。
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にも、かかわらず、日本の政権は、懲りもせず、「原発再稼働」の道を、驀進し続けている。
これこそ、シューマッハーの言う、「前のめり総崩れ」の道ではないか!
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シューマッハーの言う「自分のすまい(ホーム)」とは、「自然」のことである。
その「自分のすまいに帰る」とは、自然の中で、身の丈にあった生き方をする――すなわち、「自然に還る」ことである。
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ビルマで仏教にふれたシューマッハーは、「仏教経済学」を提唱し、「Right Livelihood(正命・しょうみょう)」なる新しい生き方を、求めた人だ。
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シューマッハーは、「自然はいわば、どこで、いつ、止まるべきかを知っている(Nature always, so to speak, knows where and when to stop.)」と書いた。
わたしたちも、自然の節度に、(いまこそ、ここで)学ばなければならない。
Posted by 大沼安史 at 12:27 午後 | Permalink