フランスの元レジスタンスの闘士で、世界中のオキュパイ運動の精神的な支柱となっていたステファン・エセルさんが26日に亡くなった。
「夜に(dans la nuit)」! 夜明けを前に!
95歳だった。
2010年に書かれた最後の著作、Indignez-Vous! のタイトルは、単純明快な 『怒れ!』(邦題 『怒れ!憤れ!』(村井章子訳、日経BP社)だった。
亡くなる前の最後のメッセージは、以下の通り、怒りを超えよ、との呼びかけだった。(→
こちら)
Le dernier message
« Mon message aux Indignés de cette terre serait le suivant : n’en restez pas au stade de l’indignation, mais faites preuve de responsabilité en vous engageant. Changez ce monde, éprouvez de la compassion et soyez les citoyens d’une authentique société mondiale. Tu dois changer ta vie ! Pourquoi es-tu indigné ? Parce que tu n’as pas encore changé ta vie ! »
怒りを覚えているのは、まだ自分の(人)生を変えていないからだ――とも、エセルさんは言い遺していた!
フクシマで怒り、憤るわたしたちは、今こそ――ことしこそ、(人)生を、世界を変えよう!
ことしこそ、被爆地の人びとと共感し、「紫陽花」を咲かせ、脱原発へ道筋をつけよう!
集合の花、アジサイ。
(で、アジサイからブドウを連想して書くのだが……)
(唐突ながら)先日、500円DVDで「怒りの葡萄」を観た。
終わりの方で、母親に別れを告げ、運動家として出発しようとする主人公(ヘンリー・フォンダ)が、こんな意味のことを言っていた。
「人のいのちは大きいないのちのなかの一部、全部つながっている」と。
(ここで「葡萄」は旧約聖書の黙示録の、地上の不正に対する神の激しい怒りを指しているが、わたしには、わたしたちの「いのち」の形状のようにしか思えない……)
房になったブドウの粒のように、まとまり、つながりあった「いのち」。
フクシマのわたしたちの怒りの粒も、いのちの粒であり、大きな房のなかのひと粒。
怒りをいのちの集合として実らせる葡萄――。それを熟したまま腐らせてはならない……。
エセルさんはアンガージュマンが必要だと言い遺したが、サルトルのエンガージュマン哲学は、「世界が意識をつくり、意識が自我をつくる」(自我が意識をつくり意識が世界をつくる、を逆転)――を、出発点につくられたものだ(そうだ)。
この「意識」を「いのち」と言い換えれば、わたしたちひとりひとりがなすべきは、何のためか、誰もためか、ハッキリする。
最後にもういちど、エセルさんの遺言を、わたしたちは、かみしめよう。
「アンガージュマン(行動)で自分の責任を示すのだ! この世界を変えよ! 共感するのだ!」
◎ ルモンド 訃報 Mort de Stéphane Hessel à l'âge de 95 ans →
こちら
◎ ニューヨーク・タイムズ Stéphane Hessel, Author and Activist, Dies at 95