「日米両首脳の歩み寄りを演出したのは、ゴルフのパターだった」――そうだ。
TPPを議論する会場へ向かう途中の小部屋に、安倍首相の手土産のゴルフのパターが置いてあった(という)。
「首相は、祖父の岸信介元首相がアイゼンハワー元大統領とゴルフをしたエピソードをオバマ氏に披露。『どちらが勝ったのか』と聞くオバマ氏に、『国家機密だ』と応じた。オバマ氏の表情が緩んだのを見て取った首相はこう続けた。『Get in the Hole! Yes,we can! (カップに入れろ! 我々ならできる)。今回の会談で成果を得ようという呼びかけに、オバマ氏の目が輝いた……』(朝日新聞)――そうだ!
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「TPPへ、日米加速」――成果求めた首相「我々ならできる」(同紙の見出し)
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この「ヨイショ(?)記事」を読んで、怒りを覚えた農業者も多かったことだろう。
ゴルプのパターでは、芝生で球を転がすことができても、土を耕すことはできない。
日本の「農」を売り渡す「歩み寄り」を演出したパターの贈り主は、きっと「鍬」など手にしたことがないのだろう。
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それにしても、この3代目の祖父――「満州国」をつくり、東条内閣の閣僚として開戦詔書に署名をした岸信介が、鬼畜米英、連合国軍の将軍だったアイクと、ゴルフを楽しんでいたと知ったなら、鍬を投げ捨て、サンパチ銃をかつがされ、お国のために散った農村兵士たちは、いったい、どんな感慨を抱くことだろう?
そしてその孫が、TPPのラウンドに踏み出すことを知ったなら、どんな思いをすることだろう?
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そういえば、 ニューヨーク・タイムズ紙のティム・ワイナー記者(ピュリッツアー賞受賞記者)の『灰の遺産 CIAの歴史』という著書に、こんなことが書かれていた。
1957年6月、岸はアメリカを訪問、ヤンキースタジアムで始球式を行い、白人専用のゴルフ場でゴルフをした。岸は新しい日本大使に決まっていた、マッカーサー将軍の甥、ダグラス・マッカーサー2世に、もしアメリカが権力基盤強化の手助けをしてくれれば、日米安保条約は国会で成立するだろうし、高まる左翼の潮流も取り除くことができると語りかけた。岸は、一連の内密の支払いではなく、CIAによる財政的支援の恒久的な財源を求めた(Kishi wanted a permanent source of financial support from the CIA rather than a series of surreptitious payments.)。
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そして、こんなエピソードも。
日米開戦後の1942年、岸は軟禁中(送還前の)の米国大使、ジョセフ・グルーをゴルフに招いた。二人はそれ以来、友人になった。岸が戦後、巣鴨から釈放されたとき、グルーはCIAのフロント組織、「自由ヨーロッバ国民委員会」の初代委員長だった……。
3代目の祖父は「聖戦中」になんと、「鬼畜の大使」と「敵性スポーツ」のゴルフをしていた!
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「美しい国」にいま、必要なのは、球ころがしではない。フクイチで被曝した農地を「除染」(可能であるというならば……)し、再生することだ。
フクイチの放射能雲から逃れることができた「非・被曝地」の農地を耕し、作物を育て、「日本の農」を守り、この国を滅亡から守り抜くことだ。
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昭和天皇は、(岸信介が実権をふるった)「満州国」ができたあと、なぜか、ゴルフをおやめになったそうだ。(そんな記事をどこかで読んだことがある……)
満州には、日本から開拓民が鍬を持って渡っていった……。
ホワイトハウスの「パター談義」の記事を読んで、陛下のお気持ちがすこしわかったような気がした。