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2012-06-28

〔真相究明・責任追及はこれからだ!〕 《 杉本祐子さん・浪江町津島からの報告 》 「1月も3月も4月も高い日があったし。すると4号機がトラブルで。風はぐるぐる回っているよねぇ」/「12日に浪江で避難のバスを待ってた人達と若い自衛官は、何百ミリをその日だけで被曝したかは一切公表してません」/「私の借家に14日の午後に避難してきた、浪江の井手地区の御夫婦2組がどうなってるか心配。3号機の爆発も、8キロの所で体験してましたから」

 → http://twitter.com/#!/ikarostayuu

 〔4号機〕

 # 昨年の夏は線量が高くて当たり前かと諦めていたが、9月下旬からますます高くなっていた。風は北西に変わってるのに何故かと。それだけ、福一の放出物が増えたのではないかと疑うしか無いよねぇ。1月も3月も4月も高い日があったし。すると4号機がトラブルで。風はぐるぐる回っているよねぇ。(27日)

 # どんぐりから育てたクヌギの異常を撮してきた。昨年も枯れたように並んでいたが。手前と奥は葉が出たが、中央の数本は皆無。今日はやけにその周辺が目がしみるので、さっさと家に戻ってきたよ。4号機の解体のせいかなぁ。南東の風の時期だしなぁ。 http://pic.twitter.com/FvI6qDqz (同)

 〔事故当時を振り返る〕

 # 津島でも端っこの私達でさえも、真っ赤に顔が焼けていたんですから、4キロ先の避難所に入りきれずに車内にいた人や、もっと海寄りでガス欠になった人も多いし。12日に浪江で避難のバスを待ってた人達と若い自衛官は、何百ミリをその日だけで被曝したかは一切公表してません。(同)

 # そのバスを夜中に二本松と川俣に走らせていた人が、朝の測定で外部被曝が30ミリだったと言ってました。浪江の西側郊外の施設に400人も置き去りにされてたのです。双葉は隊列を組んで、タンクローリー数台も連なって逃げてたそうですが。浪江は放置され、職員もパニックで。(同)

 # 号機爆発時の風向きは西風に、現在のアメダスはなっているが、当時アメダスは地震で壊れて風向きを出せないと弁解したそうです。同日15時に三春で1153μsvを計測し、その風は何処に飛んでいったのかをずっと考えています。顔を焼かれた怨みは強いのですよ。真西でしょ(同)

 # あの時は2週間も風呂に入れぬ人も多くて、避難民は臭いからすぐ分かるって二本松の人が言ってました。それで、皆さん頭の痒いのや痛いのはそのせいだと思った人も多かったでしょうね。本当に色気も素っ気もない生活でしたよねぇ。顔は痒くなってポロポロに粉になってたし。(同)

 # 酵食品とミネラルをしっかりと食べて、排出して下さいね。私の借家に14日の午後に避難してきた、浪江の井手地区の御夫婦2組がどうなってるか心配です。60代でしょうが、3号機の爆発も、8キロの所で体験してましたから。小丸からあの辺が人家のあるところでは最大値で。(同)

Posted by 大沼安史 at 11:40 午前 |

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