〔武藤類子さん〕☆☆☆☆☆ このまま黙らされてたまるか/チェルノブイリ事故の年に姉が白血病となってその後亡くなり、原発に強い関心をもつように……/寺の境内、山林、町並みのあちらこちらに桜が枝を広げ、春になると梅や桃とともにピンク色に染まるこの美しい町にも、放射能が降り注いだ。 「原発に事故が起こったのを知って凍りつきました」 長年反原発運動に携わってきた武藤類子さんはその時、「間に合わなかった」という思いと無力感に襲われた……
「ふぇみん」25日 → http://www.jca.apc.org/femin/interview/20111205muto.html
……福島で生まれ育った武藤さんは、1986年のチェルノブイリ事故の年に姉が白血病となってその後亡くなり、原発に強い関心をもつようになる。
養護学校の教員をしながら、脱原発福島ネットワークの活動に参加し、東電交渉や「女たちのリレーハンスト」、青森県六ヶ所村での「核燃いらない女たちのキャンプ」、2010年のハイロアクション福島原発40年実行委員会の結成にも加わった。
原発事故が起きるまで、三春の町から少し離れた雑木林の中で、住まいも兼ねる喫茶店「燦」を8年間開いていた。
鍬一本で木の根を掘り出し、土をならして開墾した土地に建つ木造の小屋である。「自分にとっての脱原発は何かと考えた時、暮らしをもう一度見直してみたいと思ったのですね」。
林に落ちるクヌギやコナラの実のどんぐりを拾い、干して皮を剥、薪ストーブにかけた鍋で、水を替えあくを取りながらゆでる。豆のようにほくほくした実は、カレーに入れたり摺って和え物にする。
「どんぐりを拾っていると縄文人になったような気がするの。大きな戦争がなかった縄文時代の人の精神性が分かるかなと思って」。
春にはタラの芽、コゴミやカンゾウといった山菜を摘み、小さな畑で育てた野菜が食卓を賑わす。
できるだけ電気やガスを使わず、ソーラークッカーでご飯も炊けば、煮物も作る。冬の暖は薪ストーブでとり、夏、ソーラー温水器から引いた風呂の湯は水を足すほど熱くなる。
井戸水のくみ上げや照明、冷蔵庫などには電気を使うが、必要電力の半分はソーラーシステムでまかなっている。こうした生活の仕方を提案する「燦」は、原発に関心をもつ人たちの集いの場でもあった。……
Posted by 大沼安史 at 11:19 午前 | Permalink