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2012-06-25

〔フクシマ・ノート〕 「橋」を渡りて 「いのちの夏」 へ

 「そうだ、船橋へ行こう。電車でGO! 野田退治デモ!!! 再稼働はダメなノダ!」  ――そんなネットの呼びかけで、24日、野田首相のおひざ元、千葉県船橋市に、2000人超が集まり、大飯再稼働に抗議するデモが行なわれた。

 呼びかけたのは、中央線沿線、中野や高円寺などの脱原発グループ。中央線から直結する総武線の電車で西船橋駅に乗り込み、地元の参加者と合流、DJカーを先頭に、デモ行進を行なった。
 (呼びかけ文 → http://uzomuzo.com/info/2056/

 東京新聞の早川由紀美記者は、「脱原発カラー」であり、総武線のカラーでもある「黄色」を身につけた参加者たちが、阿佐ケ谷や高円寺などの駅から、電車に乗り込むところから同行取材を始めた。
 → http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012062590070259.html

 「午後零時半すぎ、JR三鷹駅。スニーカーやアロハシャツなど何かの形で黄色を身に着けている一群がいた。黄色は総武線の車体に使われている色だ」

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 「そうだ、船橋へ行こう」――きっかけは、命の炎を燃やし尽くすように、最後まで今回のフクイチ事故を追い、日本政府・東電の欺瞞に抗議し続けて、今月12日に亡くなった、元新聞記者で弁護士の、日隅一雄さんの「遺言」だった。

   # yamebun 情報流通促進計画

   原発再稼働、国会事故調の東電・官僚への肩入れ、消費税の増税…。清志郎が生きていれば、若者がもっと関心を持ってくれたはずなのに…。正面突破してきた野田の地元で落選運動を、誰か展開してほしい。 ow.ly/btxVY ow.ly/bty0r

 8:15 PM Jun 9th ――つまり、今月9日午後8時15分のツイッター発信。
  → https://twitter.com/intent/user?screen_name=yamebun&tw_p=twt&source=twt

 日隅一雄さんの、この最後の「つぶやき」が、中央線沿線の若者たちの心に火をつけた。

 「われら有象無象、黄色い電車に乗り込み、隅田川も荒川も江戸川も越えて、野田総理のお膝元まで、この民の声、お届けにあがります!!」(呼びかけ文より)

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 日隅さんの最後のツイートには、最後まで「反原発」を歌い続け、同じように若くして死んだ、ロック歌手、忌野清志郎さんの「サマータイム・ブルース」の熱唱動画が埋め込まれていた。
  → https://twitter.com/yamebun/status/211657838043463681

 中央線沿線の若者たちは、日隈一雄さんのツイートと、忌野清志郎さんの叫びに応え、心に響かせながら電車に乗ったのだ。

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 東京新聞の早川由紀美記者によると、西荻窪駅からは翻訳家の池田香代子さん(63)が、若者たちに混じって乗り込んだ。

 池田さんは言った。

 「若い人たちの思い付きはすごい。脱帽する」
 「いわゆる左翼の人たちは論理で原発に反対してきたけど、今は一人一人が存在をかけて『もういやだ』と感情を吐露している」

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 「今は一人一人が存在をかけて『もういやだ』と感情を吐露している」――。
 ここで言う「存在をかけて」とは、大仰な言い方をすれば、「人生をかけて」とか「いのちをかけて」の意味だろう。

 がんと闘いながらフツーに活動を続けた日隅一雄さんや、がんに負けずにフツーに歌い続けた忌野清志郎さん同様、「われら有象無象」はフツーに「命がけ」で、黄色の電車に乗り、江戸川鉄橋を渡ったのだ。

 早川記者:「一目で参加者と分かるため、交流も自然と生まれる。一車両はほぼ満員となり、都県境を越えて千葉に入ると拍手が起きた」

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 江戸川鉄橋を渡り終えると、車内から拍手が湧き上がった――その時の、参加者たちの胸のうちを、(池田さんと同い年の)私も分かるような気がする。

 参加者たちは、フツーについに「橋」を越えたのだ。フツーに電車に乗って、ついに「橋」を渡ったのだ。

 これまで思いも寄らなかった、総武線で軽く、野田首相の選挙区に乗り込み、抗議デモをする……。

 早川記者によると、黄色いジャンパースカートを着ていた、デモに参加するのは初めての会社員人見沙操さん(25)=東京都国分寺市=は、言った。「電車で行くのが面白いと思った。この後、歩くのは怖いけど」

 沙操さんもまた、フツーに存在をかけて「黄色い電車」に乗り、とにかく「橋」を渡った!

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 「橋」を渡る――そう聞いた私としては、米国の民衆放送局「デモクラシーNOW」の女性キャスター、エイミー・グッドマンさんが最近書いた、'Across That Bridge, Again': Fighting to Vote in 2012 というエッセイを思い起こさないわけにはいかない。
  → http://www.commondreams.org/view/2012/06/14-2

 1965年3月 米国南部、アラマバ州セルマのペタス橋。

 州兵が立ちはだかるその「橋」を、「政治」を変えようとする公民権運動の人たちは、渡ろうとした……。

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 「橋を渡る」とは、「政治」を変える非暴力抵抗運動へ、そろって踏み出す、決断と勇気。

 2012年6月の東京・中央線沿線の若者たちにとっても、行動のかたちこそ違え、その意味は同じだったはずだ。

 だから、江戸川鉄橋を渡り終えた時、車内から拍手が湧いたのだ。自分たちの存在をかけた決断と勇気に、ちょっと感心しながら、「あれっ」という感慨の中で、拍手したのだ。

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 そして………私はまた、日隈一雄さんが最後のツイッターに忌野清志郎さんの「サマータイム・ブルース」を埋め込んだ意味についても考えないわけにはいかない。

 日隈さんはたぶん、日本の脱原発の天王山ともなるべき、ことしの夏を生きられないと知って、まさに今わの際の思いを、清志郎さんの「サマータイム・ブルース」に託し、今わの際の今日、しようよと、若者たちを励ましたのではなかったか。

 亡くなる3日前に。

 それは歌人、吉野秀雄が、今わの際の愛妻の最後の求めに応じて交わした――あの「炎(ほむら)立ち」に似た、「一期のいのち」の絶唱ツイート……つぶやき、というより、うめき、だったに違いない――そんな気がしてならない。
 (○ これやこの一期〔いちご〕のいのち炎〔ほむら〕立ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹)

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 「橋を渡る」――フクシマから大飯への道程の中、私たちは皆、誰もが、いま、「橋」を渡り始め、渡り終えようとしているのかも知れない。

 西鋭夫・米スタンフォード大学教授の言うように、「核の冬」に向かって「セシウム街道をゆく」しかない私たちは、「橋」を渡り終える、2年目の夏を迎えているのだ。
  「セシウム街道をゆく」 → http://akiomatsumura.com/wp-content/uploads/2012/05/japanese-translation-on-the-cesium-road.pdf

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 フクシマの夏、大飯の夏――。

 忌野清志郎さんは、私たちに、生きているうちは、最後の最後まで、「今日しようじゃないか」と歌って、こう呼びかける。 

  ♪ 暑い夏がそこまで来てる
    みんなが海へくり出していく
    人気のない所で泳いだら
    原子力発電所が建っていた
    さっぱりわかんねえ、何のため?
    狭い日本のサマータイム・ブルース

      …………

    寒い冬がそこまで来てる
    あんたもこのごろ抜け毛が多い (悪かったな、何だよ)
    それでもテレビは言っている
    「日本の原発は安全です」
    さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
    これが最後のサマータイム・ブルース
    (歌詞 英語歌詞も!→ http://protestsongs.michikusa.jp/japanese/summertime.htm

Posted by 大沼安史 at 04:44 午後 |

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