〔フクシマ・ノート〕 紫陽花は微笑みを浮かべ
6月9日、ハナキン夕方のドサクサにマギレて、野田首相が言い放った「わたしの責任で再稼働する」が、ハナキン・プロテストの連鎖を生みだした。
6月15日 1万1000人
6月22日 4万人(4万5000人とも)
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ハナキン――花の金曜日、官邸前。
夕方から夜の8時まで、そこに集まり、警察官の指示にきちんと従いながら、抗議の声をあげる!
首相官邸前はついに「日本のタハリール(解放)広場」と化した!
梅雨の季節に始まった、フツーの日本人たちの、気持ちのこもったプロテスト!
22日には、日の丸の旗も登場した。
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紫陽花の花は、梅雨に打たれて開く、集合の花である。
「政府」という強大な「組織権力」に対して、「組織」で勝つことはできない。
勝つことができるのは――小田実さんが言ったように、「個人」である。
なぜ「個人」が――一人ひとりが、つながり集まることで、強大な「組織権力」を圧倒することができるか?
それは、「個人」とは「いのち」――であるからだ。
「いのち」は不思議なことに、必ず「個」として現れる。そして個人が「いのち」である限り(「いのち」につながる限り)、そこに、いのちを滅ぼす「統制の組織」はない。
あるのは、いのちをつなぐ集合の連帯!
集合の花、紫陽花は、そうした個人による、いのちのプロテスト――いのちがけの抗議の集合的なシンボルである。
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英語では、Hydrangea(ハイドレンジア)Revolution!
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カイロ・タハリール広場は「ジャスミン革命」と呼ばれた。
そして遂に、東京の首相官邸前でも!
腐敗した政治の、絶望の荒野に咲いた、日本の希望と勇気のシンボルの、なんというみずみずしさよ!
なんという清らかさよ!
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紫陽花革命が始まった「6月15日」は、あの樺美智子さんが亡くなった日だ。
彼女もきっと、静かに、見守っている! 見守っていないはずがない!
人知れず微笑まん!
紫陽花のように、微笑んでいる。
Posted by 大沼安史 at 08:23 午前 | Permalink