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2012-06-26

〔被曝受難〕 「フクシマの自殺犠牲者の夫は、法の正義を求める」/焼身自殺した渡辺はま子さん(58)の苦悩と、弔い合戦の裁判に立ちあがった夫の幹夫さん(61)の悲しみと怒りを、CNNが世界報道!

 Husband of Fukushima suicide victim demands justiceBy Kyung Lah, CNN
 June 21, 2012 → http://edition.cnn.com/2012/06/20/world/asia/japan-fukushima-suicides/index.html?hpt=ias_t2

 はま子さんの焼身自殺は昨年7月1日早朝の出来事。

 この悲劇をわたしは、以下の河北新報の記事で読んで知っていたが、映像で福島県川俣町山木屋の現場、及び、夫の幹夫さんの表情、お姿を見たのは、このCNNが初めて。
 日本のテレビが報じないことを、CNNは女性レポーターとクルーを現地に派遣して報じてくれた!

 「妻は(避難先で)いっぱい泣いて、家に連れていってくれと何度も頼んだ」

 幹夫さんははま子さんを連れて、昨年6月30日、1泊の一時帰宅をした。

 その夜、2人は自宅の食堂で食べ、庭を眺めた。そうでなければならない、くつろいだ時間をすごした。

 「2人でいっぱい話しました」と幹夫さん。「何をしゃべったかは、よく覚えててないけど、いろんなことを2人で話しました」

 2人で自宅の寝室のベッドで眠った。幹夫さんは幸せを感じた。気持ちも楽になった。

 午前1時、「私は目を覚まして、トイレに行き、戻ると、妻は私の腕をつかんで離そうとしませんでした。その時、妻はいっぱい泣きました」……

 それが、幹夫さんがはま子さんの声を聞いた最後だった。

 (幹夫さんは午前4時、雑草を刈るために、忍び足で庭に出た……そして午後6時ごろ――はま子さんの焼死体を発見! )

 遺体はまだくすぶっていた。幹夫さんは手を火を消し止めた。はま子さんは口を開いたまま、亡くなっていた。

 ハエ(蝿)が彼女の口のまわりに集まり出していた……。

◇ これは私(大沼)が言うまでもないことだが、はま子さんは幹夫さんととともに、幸せな時を過ごすことができたから、自死できたのだ。

 渡辺さん夫婦の「日常」を奪い去った、原発事故は――その責任者たちは、はま子さんにとりついたハエほどの価値もない。

 東電の勝俣氏、清水氏は、いまからでも弔問におもくむべきだ!

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 "She cried so much and repeatedly asked me to take her to our home," he says. He decided to plan an overnight trip to their house in Kawamata on June 30.

That night, the Watanabes enjoyed life as they expected to live it -- eating in their dining room and looking out at the garden. "We talked a lot then," recalls Watanabe. "I don't quite remember what we talked about, but we shared a lot."

Watanabe went to bed with his wife, feeling happier and more comfortable than he had in many weeks.

 At 1 a.m., I woke up to use the restroom and when I went back to bed, she grabbed my arm and wouldn't let go. She was crying so hard then." Watanabe pauses.

 That was the last time he would ever hear his wife's voice.

 "The next morning, I woke up early around 4 a.m. I snuck out quietly to start clearing the brush around the house again. When I got to the corner of the house, I saw a fire go up at about human height. I didn't think too much of it at the time."

 Watanabe continued to weed around his house and went inside to take a shower. When he couldn't find his wife after about an hour, he grew concerned. He started to wander around his yard and remembered the fire.

 "I went there to take a look. Then I found her, burned." Watanabe says it's strange what you remember in trauma. He recalls being shocked and standing frozen but he also remembers trying to put out the fire with his hands.

 But he will never forget the image of his wife's charred and stiff body, her legs and midriff still burning, and the flies beginning to gather around her open mouth.

 This wasn't supposed to happen, says Watanabe. He and his wife met in elementary school but fell in love in their early 20s. They raised three children and a grandchild in their home.

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◆ 2012-05-09
〔河北新報〕 避難続き自殺 東電提訴へ 川俣の遺族賠償請求/◇ 川俣町山木屋 渡辺はま子さん(当時58歳)昨年7月1日に避難先で焼身自殺

 → http://www.kahoku.co.jp/news/2012/05/20120509t63007.htm (◇は大沼)

 福島第1原発事故で避難し、自殺した福島県川俣町山木屋の養鶏場従業員渡辺はま子さん=当時(58)=の夫で無職幹夫さん(61)ら遺族4人が、東京電力に5190万円の損害賠償を求める訴えを18日に福島地裁に起こす。

 福島原発被害弁護団によると、原発事故関連の自殺者の遺族が東電に賠償請求訴訟を提起するのは初めて。

 訴えによると、はま子さんは昨年7月1日早朝、自宅近くのごみ焼き場でガソリンをかぶり、火を付けて自殺した。

 はま子さんは原発事故4日後の昨年3月15日、家族と共に福島市の親戚宅に身を寄せ、翌日から5日間、福島県磐梯町の町民体育館に避難した。その後、自宅に戻ったが、山木屋地区が計画的避難区域に指定され、6月12日に福島市のアパートに引っ越した。自宅には自殺前日に一時帰宅で戻っていた。

 避難生活は気詰まりがしてストレスがたまったという。長男(37)らと離れて暮らさざるを得ず、精神的に衰弱して睡眠障害に陥った。勤め先の養鶏場も閉鎖され、職を失った。遺書はなかったが、不自由な避難生活で心的負担が増してうつ病になり、自殺を選択したとしている。

 遺族側は損害賠償を求める通知書を東電に出した。東電は「自死に至った詳細な経緯が確認できない」として回答を留保したため、提訴に踏み切る。

 東電は「当社として承知しておらず、コメントは差し控える」と話している。

◆ 2012-05-09
〔河北新報〕 追い込まれた命-福島第1原発事故(上)明るかった妻の絶望/◇ 深夜、幹夫さんが目を覚ますと、隣の布団ではま子さんが泣きじゃくっていた。幹夫さんの手をつかんで離さなかったという。夫の手を握ることはめったになく、「思い返せばそれがサインだったのかもしれない」と幹夫さんは悔やんでいる/幹夫さんは訴訟を弔いの場と考えている

 → http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1090/20120509_05.htm (◇は大沼)

 福島第1原発事故で自殺者を生んだ東京電力の責任が初めて法廷で問われる。

 避難生活の果てに命を絶った福島県川俣町山木屋の渡辺はま子さん=当時(58)=の夫幹夫さん(61)ら遺族が東電を相手に訴訟を起こす。

 原発事故で自殺したのははま子さんだけではない。複数の人が暮らしを破壊されて絶望し、人生に終止符を打った。それぞれの遺族が語る故人の無念からは原発事故の理不尽さが浮かび上がる。

◎一時帰宅の夜、つぶやいた「戻りたくない」

 昨年7月1日早朝。幹夫さんは、はま子さんと一時帰宅し、1人で草刈りをしていた。山木屋地区は原発から約40キロ北西で計画的避難区域に指定されている。

 丈の長い草の向こうで火柱が上がった。「古い布団でも燃やしているのかな」と気に留めなかった。

 作業を終え、自宅に戻った。妻が見当たらない。嫌な予感がした。

 はま子さんは自宅近くのごみ焼き場に倒れていた。衣服は焼け焦げ、煙がゆらめいている。火はまだくすぶっていた。ガソリンの臭いが鼻につく。そばに携行缶とライターが転がっていた。自宅から持ち出したようだ。

 幹夫さんは言葉を失った。変わり果てた姿。119番して救急車を呼んだ。息絶えていたのは分かっていたが、そうしないと気が済まなかった。

 一時帰宅は前日からで、避難先の福島市のアパートから車で来ていた。夕食時、はま子さんは「アパートに戻りたくない」とつぶやいた。幹夫さんは「ばかなこと言うんでねえ」と取り合わなかった。

 深夜、幹夫さんが目を覚ますと、隣の布団ではま子さんが泣きじゃくっていた。幹夫さんの手をつかんで離さなかったという。夫の手を握ることはめったになく、「思い返せばそれがサインだったのかもしれない」と幹夫さんは悔やんでいる。

 2人は結婚39年目。長男(37)、次男(36)と4人で暮らしていた。勤め先は夫妻とも町内の養鶏場。定年退職がなく、このまま働く気だった。
 原発事故で避難し、福島市の親戚宅、福島県磐梯町の体育館を転々とした。福島市のアパートに落ち着いたのは事故3カ月後の昨年6月だった。

 息子たちは仕事の都合で離れ、アパートでは幹夫さんと2人で生活した。隣人に気を使い、声を潜めて話した。食欲が落ちて体重が5キロ減り、睡眠障害にも陥った。

 「家のローンがあと7年残っている」「子どもと離れて暮らさなければならず、近所との付き合いもなくなった」。繰り返し不安を口にし、ふさぎ込むようになった。このとき既にうつ病を発症していた可能性があるという。

 はま子さんは野菜作りが好きだった。家庭菜園で実ったキュウリやナスが毎日食卓に並んだ。旅行に行っても野菜の状態を気に掛け、「早く家に帰ろう」と言っていた。

 よくしゃべり、よく笑う。裏表のない性格で人の悪口が嫌い。社交的と評判で自殺とは無縁と思っていた。そんな妻が自ら命を絶った。

 「そこまで追い詰められていたのかと思うとたまらなくなる。泣き寝入りはしない。女房と同じように苦しむ避難者や他の自死遺族のためにも声を上げようと思った」

 幹夫さんは訴訟を弔いの場と考えている。(野内貴史記者)

Posted by 大沼安史 at 09:59 午前 |

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