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2012-05-29

〔国会事故調・菅直人前首相〕〔みんな楽しくHappy♡がいい♪〕☆☆☆☆☆ 国会事故調 5/28 菅直人元総理(動画・内容書き出し)前半

 → http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1942.html

 国会事故調の様子はニュースでも流れていますが、 菅さんの発言は一部分だけが取り上げられていて、その全てを知っておくほうが正確に判断できると思い、書き出しました。長いのでまだ3分の1です。

 この国会事故調に関しては、菅さんだけでなく他の人の時にも、NHKでノーカットで全て放送するべきだとずっと思っています。なぜテレビで国会中継のように報じないのか?

         #

 菅直人:
まず、昨年の東日本大震災、そしてそれに伴う福島第一原発事故に於いて
亡くなられたみなさん、また被災されたみなさん、そして全国のみなさんに対して、
心からお悔やみと、お見舞いを申し上げたいと思います。
特に原発事故は国策として続けられてきた原発によって引き起こされたものであり、
そういった意味では、「最大の責任は国にある」このように考えております。
この事故が発生した時の国の責任者でありました私として、
この事故を止められなかったこと、その事について、
あらためて心からお詫びを申し上げたいと思います。

今日は、こうした事故が二度と起きないように、起こさないためにどうするか。
そういう事に役に立つならと思って、
私が知り得る限りのことを、あるいは当時を含めわたくしが考えたことについて、
皆さまから忌憚のないご質問を頂ければ、出来る限り率直にお話しをしたい。
そういう思いで出席をいたしましたので、
どうか国会事故調のみなさんに於かれましても、よろしくお願いをいたします。

国会事故調 第16回委員会
参考人:菅直人(前 内閣総理大臣) 20120528

日時:5月28日(月)開会
場所:参議院議員会館 1階 講堂 (東京都千代田区永田町2-1-1)
参考人:菅直人(かん・なおと)氏衆議院議員 前 内閣総理大臣

◆国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 委員長・委員
【委員長】
・黒川 清   医学博士、東京大学名誉教授、元日本学術会議会長
【委員】
・石橋 克彦  理学博士、地震学者、神戸大学名誉教授
・大島 賢三  独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使
・崎山 比早子 医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官
・櫻井 正史  弁護士、元名古屋高等検察庁検事長、元防衛省防衛監察監
・田中 耕一  分析化学者、株式会社島津製作所フェロー
・田中 三彦  科学ジャーナリスト
・野村 修也  中央大学大学院法務研究科教授、弁護士
・蜂須賀 禮子 福島県大熊町商工会会長
・横山 禎徳  社会システム・デザイナー、東京大学エグゼクティブ・ マネジメント・プログラム企画・推進責任者
(敬称略・五十音順)

黒川委員長:
ご存じのように菅さんは2010年6月8日から2011年9月2日まで内閣総理大臣を務めておられ、
福島第一原発の事故当時も内閣総理大臣として事故対応にあたっておられました。
本日は事故当時の事を中心に質疑させていただきます。
それではまず菅総理の方からよろしく、もしご挨拶を頂ければと思います



今日の参考人である菅さんは本件の事故後
私どもは福島第一原発の事についてのみ調べていますが大変な時だったと思います。
内閣総理大臣の職にあり行政のトップであるという責任者として事故の対応にあたってこられました。
まず私どもの方では櫻井委員の方からいくつか質問をさせていただきます。

原発事故の認識(総理になる前)

7:00
櫻井正史委員
原子力発電所の事故というものについて総理になる前にはどのような認識を持っていたか?

菅直人:
スリーマイル、チェルノブイリそれぞれ関心を強く持っていた。
チェルノブイリの事故については私なりに調べたことがあります。
JCO事故の時、なぜ臨界事故が起きたのか当時理解ができなかったので、
いろんな関係者にあたって私なりに調査し、理解したという事があります。

櫻井:
原子力災害の危険、発生の可能性についてどのような認識を持っていましたか?

菅:
議員になる前にもいろんな市民運動をしていて、
当時の仲間の中には原発について強い疑念を持っていた人も多くいました。
当時議員になるかならないかの時にも地元の議員が浜岡原発について、
「活断層の存在があるから」とそれを止めるべきだと言ってきた人もいた。
わたしもできるだけこの原発のエネルギーは、
当時属していた社民連などでは、過渡的なエネルギーとの位置づけをして、
ある段階まで来たら脱却すると主張していた時期もある。
その中で民主党に結成から参加し、
政策を固める中で安全性の確認をしっかりとしそういう中で原子力をするという事もあってもいいのではないかと
私自身の考え方を、過去から比べればやや柔軟というか許容の方に変わりました。
3.11を経験してみて、私自身が考え方を緩めたというか、緩和したことが、
結果としては正しい事ではなかったと現在は思っています。

総理の権限と責務

櫻井:
総理の権限と責務の中の一つとして、
緊急事態宣言が発せられて原子力災害対策本部が設置された場合には、
そのトップとして対応しなければならないが、
総理は就任されてからこのような時にどのような権限と責務があるという事を事前に何らかの説明を受けていましたか?

菅:
内閣総理大臣として、どういう権限権能があるかという事は、
一般的にも従来から議論をしてきたし、私の中にも一定の考え方を持っています。
憲法にも内閣法にも規定されています。
原子力事故にどのような権限が総理大臣にあるのかということについて、
詳しい説明を総理になった行こう事故までの間に聞いたということはありません。

櫻井:
総理になってから平成22年に総合の防災訓練を行ったが、
それに何らかのかかわりをしましたか?

菅:
そういう機会があったことは覚えていますが深くその時に、
特に原子力の本部長としての権限をその時に認識を深くしたかといえば、私自身残念ながらなっていませんでした。

櫻井:
振り返ってみて、事前によく説明を受けて知っていた方が良かったというふうに思いましたか?

菅:
もちろんこの事故に遭遇して、もっと早くからしっかりした説明を受けていればよかったと思いました。

緊急事態宣言の発令

櫻井:
海江田大臣から緊急事態宣言について総理としての決裁を求められたことはありますね?
その際結果的に19時を過ぎてから緊急事態宣言を出しているという事で時間がかかっており、
その間に野党との党首会談が入っていましたが、
党首会談前に速やかに緊急事態宣言を発することはできなかったんですか?

菅:
東電から経産大臣に10条の報告があったのは15時42分と承知しています。
15条の方は16時45分と認識しています。
経産大臣の方から私に説明と上申があったのは17時42分です。
確かに野党との党首会談がすでにセットされていたので、
その説明の途中、確か5分間程度抜けだして党首会談に顔を出して、中座をして戻ってきて、
その後の説明を受けて宣言をするという事になっています。
結果として19時3分に緊急事態宣言をしました。
それ以前にすでに、地震津波については緊急対策本部が立ちあがり、
原発についても、すでに官邸には対策室が立ちあがって、実質的な動きは始めていました。
もっと早かった方が良かったというご指摘は皆さんの方で検証していただきますが、
それによって何か支障が合ったか?と問われれば、私の知る限り支障はなかったと認識しています。

櫻井:
私が聞いているのは現実の支障があったかどうかじゃなくて、
当時官邸にいた中で原子力災害に一番詳しかったのは菅さん自身ではなかったか、という評価もされているが、
そういう中で、15条通報がされて緊急事態宣言が経産大臣から求められることの意味というのは
ある意味一番分かっていたのではないかと思います。
その方が何故時間をかけてしまったのか?というとこを伺いたい。

菅:
率直に言って、私に何か理由があって延ばしたとか、何かを押しとどめたという、そういう気持ちは全くありません。
その意味で17時42分に報告が上がってきて上申が上がってきた中で、
私としては確かに野党の党首のみなさんだが約束をした以上は余り待たせるわけにもいかないという事で
中座をして5分間行って帰ってくると。
確かに1時間23分かかっていますが、もっと早かった方が良かったと言えばその通りだと思いますが、
意図的に引き延ばした、あるいは何か理由があって延ばしたという事では全くありません。

続きを読むにつづく

避難区域の設定・避難指示

櫻井:
避難区域の設定、避難指示についてうかがいます。
3kmの非難が当初決められているが、これはどういう根拠、どういう理由で決定したんですか?

菅:
避難については本来ならオフサイトセンターなどから現地からの状況を踏まえて何らかの方針が出されて、
それが本部長に対して承認を求めるという事が本来のルールであったと考えるが、
残念ながらオフサイトセンターはその時点を含めて機能していませんでした。
そこで、原子力保安院、原子力安全委員会委員長、東電の関係者に集まってもらって、状況把握をしていました。
特に避難については必ず原子力安全委員会、
当時斑目委員長が一緒にいてくれた時間が非常に長かったが、
その意見を聞きながら、最終的にその意見に沿って決めたところです。
21時23分に福島第一から半径3km圏内の避難を決定したのは
15条という状態になっていると。
今後どのように厳しい状況を迎えるのかが解らなかったので
予防的な処置としてまず3km県内を決めたと認識しています。

櫻井:
次に10kmの避難指示の決定を、5時44分ですが、
これはどのような情勢判断と、誰の意見で決まったんですか?

菅:
3月12日午前5時44分
福島第一から半径10kmの避難を決めた根拠は、
1号機の圧力上昇がみられるという報告を東電から、発見した方から話を聞き、
それを踏まえて原子力安全保安院、原子力特に委員会の意見を聞いて、
この圧力上昇は最悪の場合には格納容器を破壊することになる危険性もあるので、
そういった危険性を考えて10km圏ということに拡大しました。

櫻井:
この10kmとベントとは関係ありますか?

菅:
・・・・ベントについては12日の段階から・・・・本格的な話しは12日の未明に経産大臣から指示が出るわけですが、
12日の午前5時44分というのは・・・・ベントの指示が出るよりも後でありますので、
それも関係者の中で判断の一つの材料になっていたと思います。
私としては専門家のみなさんの助言を聞いて、
国際的なこれまでの経験を踏まえた意見を聞いて決めました。

櫻井:
続いて、20kmの指示については、判断等はどなたのご意見の元に決定したんですか?

菅:
これも基本的には同じですが、
3月12日18時25分ですが、すでにこの時点では15時36分に1号機の水素爆発が起きています。
さらに2号機3号機がそういう事態を迎える危険性もありましたので
そういう専門家の皆さんの意見を聞いて20km圏に拡大しました。

櫻井:
その際に30kmという検討はしましたか?

菅:
いろんな議論があったと認識しています。
と同時に避難区域を拡大するという事は、
避難先を含めて避難が迅速にできるという事も併せて準備をしなくてはなりません。
そういった議論もあったと認識しています。
この時点では1号機の水素爆発の後だったので、
2号3号も、もしそういう事になって放射性物質が外に広く出たことで
・・・・・・・場合によっては屋内にいた方が、ある時期屋内にいた方が安全ではないかと、
そういった議論も含めて最終的に専門家のみなさんの・・・・
・・・・少なくても私のところにいたみなさんは最終的には「20kmでよし」ということで、
その後20kmから30kmを屋内退避にしたわけです。

福島第一原発視察

櫻井:
福島第一に視察に行ったことについてうかがいます。
地震津波の現状を見に行ったことはみんなが知っているが、
福島第一原発に行ったというのは、いかなることからですか?

菅:
視察に行く目的は、今言われたように地震津波の現状を私自身が見て認識したい。
これは阪神淡路震災の時に当時の内閣、関係者が、
いつ行くか行かないかでいろいろと議論があったことを私も覚えています。
私はテレビでは見ていましたが、
やはり現場の状況を上空からでいいから見ておくことが、
その対策をとるうえで極めて重要だと思う認識を一方で持っていました。
一方で、原発については11日の発災直後から、
原子力安全保安院、原子力安全委員会、東電から派遣された武黒一郎フェロー、
そういうみなさんからいろいろと話を聞いていましたが、
そういうみなさんの話しの中で、たとえば第一原発のサイトがどうなっているとか、どうなりそうだとか、
こうなった時にはこういう対策を打つべきだとか、
そういう話は残念ながら一切ありませんでした。

たとえばあったのは、
東電から、「まず電源車を送る。そのために協力してほしい」
そういうことについてはいろいろやりました。
後にベントの話もありました。

しかしそういった根本的な状況についての説明は残念ながらありませんでした。

特にベントに関してはすでに経産大臣の方から、
「東電がベントしたいという事に対して了解する」と言っているにもかかわらず、
何時間経ってもそれが行われない。

私からも東電から派遣されていた方に
「なぜ進まないんですか?」とお聞きしました。
そしたら、「わからない」と言われるんですね。
「わからない」と言われるのには本当に困りました。
それが技術的な理由なのか、何か他に理由があるのか解れば、まだそれに対して判断ができますが、
そういった状況もありましたので私としては、
福島の第一原発に、その責任者と話をする事によって状況が把握できるんではないかと考えて、
地震津波の視察と合わせて福島第一サイトに視察に行くことを決めました。

櫻井:
福島第一で当時の吉田所長と会って、行った状況とその他の関係についてどのような成果、結論を得ましたか?

菅:
免震重要棟に入って、2階の部屋に入りました。
そこで吉田所長と武藤副社長が同席して、こちらも何人か同席していました。
その中で、炉の図面などを広げていまの状況の概略の説明がありました。
そのうえで私の方からベントについて、我々としてはもう了解しているので、
「ベントを行わないと圧力が上がって格納容器が破壊されるという危険があると聞いているので、
何とか早くベントして欲しい」と言ったら、
「分かりました。決死隊を作ってでもやります」と、そういう返事を頂きました。
それで私も「この所長ならしっかりやってくれる」という印象を持って、
免震棟にいた時間は40分程度ですが、それでそこを後にしました。
私としてはその後いろいろな判断をするうえで、
特に東電の”撤退問題”を判断するうえで、
必ずしも私が何回も話をした訳ではありませんが、
現場のみなさんの考え方、見方を知るという上では極めて大きな事であったと、
そこで顔と名前が一致したことはきわめて大きな事だったと考えています。

原災法での権限の委譲

櫻井:
原災法のたてつけではこういう事態が起こった時に、現地の、
俗にオフサイトセンターと呼ばれていますが、その本部の方に権限を委譲することができるようになっていまして、
ところが現実には委譲されていないようですが、
当時の本部長としてどのような権威からこれを権限委譲をしなかったのかという事について把握していますか?

菅:
当時原子力保安院からそうした説明があったという事はありません。
ですので、法律の在り方についてその後詳細に調べましたが、
その時点ではそういう説明もなかったし、
また、オフサイトセンターそのものが、確か副大臣が到着したのも12日の未明位だったと思っていますので、
そのうえでも関係者が集まれなかったと聞いていますので、
実際的にはそうした機能が果たせる状態になかったので、保安院が伝えなかったのか?
あるいは他の理由で伝えなかったのか?
そこは解りませんが、私はその時点ではきちんとした説明を受けていません。

櫻井:
第二回の災害対策本部が後に作成されて、
これを拝見すると、第二回については菅さんは欠席となっているんですが、
これによりますと、「権限委譲についての案」というものが配布資料の中に入っていまして、
ところがどこにもその案についてどう取り扱ったか?という事の議事の結果とか概要に書かれていませんが、
この辺の事情はご存知でしたか?

菅:存じ上げません。

海水注入

櫻井:
海水注入についてお伺いします。
海水注入の申し出が菅さんのところにあったのはどういう経緯からですか?

菅:
海水注入については、大変、私にとってもいろいろとご批判を頂いた件ですので、
少し整理して説明したほうがいいと思います。
まず、海水注入について、ま水がなくなった場合に冷却のために海水注入が必要であるという点は
私と海江田大臣をはじめ専門家のみなさん、関係者のみなさんは一致していました。
そういう認識のもと3月12日18時頃から20分程度、
私、海江田大臣、原子力安全委員長、保安院責任者、東電の派遣された方が話をして、
その時点では東電から来ていた技術担当の武黒一郎フェローから、
「準備に1時間半から2時間はかかる」と説明がありました。
そこでその時間を使って海水注入だけに限らず、いくつかの点について議論をしておこうと。
と言いますのも、この日の15時に1号機が水素爆発を起こしていますけれども、
この水素爆発についてもその前から「こういう事が起こることはないのか?」と私も聞いていましたが、
その時点では「格納容器内には窒素が充てんされているので起きない」という返事でしたが、現実には起きた訳で、
そういった事を含めて、いくつかの事象について、時間があるなら聞いていた方がいいという認識のもとで、
いくつかの事が議題になりました。

一つはもちろん塩水なので塩分による影響です。
それから問題になった再臨界については、
淡水を海水に変えたら再臨界が起きるという事ではありません。
それは私もよく分かっていました。

つまり、・・あまりじ技術的な事を私も専門家ではないので多くは言いませんが、
再臨界が起きる可能性というのは、制御棒が抜け落ちたとか、
あるいへ、メルトダウンした後の燃料が大きな塊になったとか、
そういう前に起き得る危険性がある訳で、
そういうい事についても聞きました。

斑目委員長からは、「可能性はゼロではない」という返事がありました。
まだ時間があるという前提で、それならそういう事も含めて検討しておいてほしいと。
ホウ酸を入れれば再臨界の危険性を押さえることができるという事は、その関係者はみんな知っているので、
その事も含めて検討して欲しいと申し上げた。

その後の事も申し上げますか?

櫻井:
国会でもこの事については何回も聞いていて、
総理は質問と答えをどうとるかという事が難しいことは色々とあろうかと思いますが
海水注入について聞かれている時に再臨界という課題も私にありましたし、その事を要約させていただくと、
「それをみなさんにお願いする」という答弁をされているが、
今の説明との関連ではどういう事ですか?

菅:
今申し上げた通りですけれども、何か矛盾があるでしょうか?
私が申し上げたのは、たとえば「海水注入が再臨界には関係ない」という表現で、
なんか報道された部分もありますが、これは間違っています。
「淡水を海水に変えたからといって、再臨界の可能性が増えるわけではない」と、こういう事を言ったんですが、
その前の部分が省略されていると全く意味が違います。
その意味で再臨界の事を申し上げたのは、その後海水の中にもホウ酸を入れるわけですが、
原子炉にはホウ酸が置いてある筈ですから、
それを念のために入れるという事を含めて検討をして欲しいという趣旨で言ったので、
国会の答弁と矛盾はしていません。

櫻井:
すでに総理もご存知だったと思いますが、現実に東電の本店から福島の方に
「海水注入が始まっているならそれを止めろ」という指示がだされ、
吉田所長はその指示に従わないで海水注入を続けたという事実関係はすでにご存じとおもいますが、
少なくても東電の方では当時の総理の言葉を重くみてそのような行動に出たと思いますが、
その点についてどのような見方をしていますか?

菅:
東電会長のこの委員会での発言を私も聞いていました。
しかし東電会長はこの問題について本当に技術的な事を関係者から聞かれて言っているとは思えないわけです。
まず、事実関係を正確に申し上げますと、
具体名を挙げて恐縮ですが、
直前まで副社長をしていた原子力の専門家である武黒一郎フェローが
6時から6時20分の会合では「準備に後1時間半から2時間は時間がある」という話が前提で話をし始めた訳です。
で、それを20分程度で切り上げて
「じゃあ後はその結果を含めて報告して下さい」と、
私のところにきたのは19時40分に「準備ができました」ということで、
「じゃあやってください」で、その後始まったと。
その時点ではそういうふうに理解していました。

その後いろいろなことが分かってきますと、
武黒一郎フェローフェローはその20分間の会合の後に、
直接吉田所長に電話してそこで「すでに海水が入っている」という事を聞いた訳です。

その事が私には連絡はありません。

わたしは二重の意味で大きな問題だと思います。
第一はすでに入っているならば、わたしは当然入れ続ければいいと思っています。
もし再臨界の危険性があるならばホウ酸を後から追加すればいいわけですから
現実にそうしています、その後には。

それを、武黒一郎フェローが判断をして吉田所長に「止めろと」言った。

よく官邸の意向という言葉が他の場面でも沢山出ますが、
官邸の意向には私自身の意向、
あるいは私を含む政府の担当者の意向と、
当時官邸に詰めていた東電関係者の発言とかが混在しています。

少なくても東電関係者の発言は、
これは官邸の意向と表現されることは間違っていると。
これはメディアのみなさんにもはっきりと申し上げておきたいと思います。

もう一つは、
武黒一郎フェローさんという方は、確か原子力部長も務められた
原子力のプロ中のプロです。
ですから、水を入れること、海水を入れることがいかに重要であるか
そしてその事は、淡水を海水と入れ替えたことは再臨界とは関係ないということは、
プロであればよく分かっておられる訳です、

その人が何故、
そういう技術的な事を解っている人が、吉田所長に対して「止めろ」と言ったのか?
私には率直に言って全く理解できません。
そして吉田所長はそれに対して、
わたしも後で聞いた話ですけれども、
「わたくしの意向だというふうに理解した」と、
そこで東電本店に聞いたら、「総理の意向なら仕方ないじゃないか」と言って説得されたけれども、
「それでは」と言って、ま、ひと芝居と言いましょうか
「今から止めろというけれども、止めるなよ」と現場の人に言って、
「止めろ」という事を言われたと。
それがテレビ会議の装置を使って東電本店にも伝わっていたので、
東電の大部分の人もその時点で「いったん止まった」と、このように認識をされたようです。

これらの事は全て、私が分かったのはずっと後のことです

これについて予算委員会等でも、あるいは政治家の中ででも、
私が止めたと。
それでメルトダウンが起きたと。
激しく批判をされました。

しかし重ねてもう一度だけ申し上げますが、
東電の中で官邸に派遣されていた人(武黒一郎フェロー)が、自分の判断で言ったことについて、
官邸の意向、まして私之、当時の総理の意向とは全く違うので、
そこだけはきちんと検証していただきたいと思っています。

櫻井:
いま、東電の方が海水注入を伝えていないというような御認識でおられたようだが、
東電の方から「海水注入した」という事を保安院の方に連絡が入っている。
それが当時の総理のところに届いていないという事はよく分かりましたが、
その辺は当時の最高指揮官としてどのように考えていますか?

菅:
これもですね、たとえば保安院の直接的な責任者は経産大臣です。
経産大臣に、たとえば同席していた武黒一郎フェローがですね、
「いやぁ、実は聞いてみればもう入っていました」という話があれば
間違いなく私にも大臣なりからきます。
また、武黒一郎フェロー自身がその事を認識したら、
私と一緒の階で話をされている事なんですから、わたしに直接言うのが当然でありまして、
そういう関係でなければ別ですよ、
ですから
わたしはその間の保安院にどう伝わったかという事も、少なくてもその当時は知りません。

それから、あえて申し上げると、
その後もしばらくは東電は、・・19時、確か3分でしたか分でしたかに開始をしたという事を
当初は認めていなかった筈です。、

そして19時40分に私のところに来て、
確か20時何分かに開始をしたという説明をしていたはずです。

ですから私はそこまでは申し上げませんが、
東電が伝えたという事と、東電がそのあと言っていることと、
またその後言っている事と、かなり、私から見ると矛盾していますので、

少なくとも私にちゃんと伝えるのであれば武黒一郎フェローと話をした直後ですから、
わたし直接なり経産大臣に伝えるなりが当然であったと考えています。

櫻井:
再臨界と海水注入は直接つながらないと
簡単に言うと説明があったんですが、

菅:変えたことです

櫻井:
変えたことですね、はいわかりました
当時総理のそばにいたいろんな方が、再臨界と海水が直接つながらないという事を説明するために
随分色々資料を集めたり検討しているようですが、その辺についてはどう考えていますか?

菅:
私はその事は知りません。
私が再臨界についていろいろと調べていたのは
かつてJCOでもありましたから、そういう事を含めて
原子力安全委員会や保安以外の原子力の専門家の意見もきいて、
「どういう場合にその危険性があるのか」と、
その時点で解っていたのは
制御棒が何らかの理由で落ちて、燃料棒が臨界に達してしまう、
あるいはメルトダウンしたものが底に大きく山のように溜まって、
その形状によっては臨界という事になり得ると、そういう事を聞いていました。
少なくても淡水を海水に変えることが臨界条件に何らかの変更を及ぼすという事は
私はそういうふうには全く思っておりません。
それにはホウ酸を入れて、中性子の動きを止めればいいのですからそれは別の事で、
何かそういう事を準備されていたという事は私は全く知りません。

東電の撤退問題

櫻井:
撤退問題と言われている東電の撤退についてうかがいます。
総理のところには東電げどのように申し出てきたか、誰から報告がありましたか?

菅:
15日の午前3時ごろだったと思います。
私は11日の発災後1週間は夜中も官邸に詰めていましたので、
奥の部屋で仮眠をしていたところ、
経産大臣から相談があるという事で、秘書官から起こされたというか連絡がありました、
そこで、海江田経産大臣が来られて、
「東電から撤退したいとそういう話がきている、どうしようか」と。
そういう話で撤退の話を聞きました。

櫻井:
それについてどのように思われれ、どのように受け止めましたか?

菅:
わたしはそれまでも、この原子力事故がどこまで拡大するのか、
どこで止まり、どこまで拡大するのか、私なりにも頭を巡らせていました。
そのなかで、
少なくてもチェルノブイリは1基の原子炉です。
スリーマイルも事故を起こしたのはひとつだけです。
しかし、福島第一サイトだけでも6基の原発と7つの使用済み燃料のプールがあります。
20km以内にある第二サイトにはさらに4基の原子炉と4基のプールがあります。

もしこれらがすべて何らかの状況で、メルトダウンなり、原子炉の破壊やプールの破壊が起きた時には、
チェルノブイリの何倍どころではなくて、
何十倍何百倍という放射性物質が大気中なり海水中に出て行くと、
その時に及ぼす影響というのがどれほどの事になるかという事は私なりに考えていました。
そういうふうに考えている中で私なりに思っていたのは
「これは見えない敵との戦いだ」と。
「やはり何としても押さえ込まなければならない」と。
「私自身は場合によっては命をかけてもこれはやらザリを得ない」そういう戦いなんだと、
こういう認識を私の中で持っていました。

ですから経産大臣からその話があった時に、
「撤退」という言葉を聞いて、
「いや、とんでもないことだ」と、まずそう感じました。

櫻井:
先ほど福島の原発の視察をした時の成果として、
吉田所長に対する信頼が大変高いという発言を受けましたが、
「責任感がある」と
その吉田所長が現場で指揮をとっている東電として、
全員が撤退するあるいは撤退するという事を申し出るという事についてどのように思われましたか?

菅:
吉田所長と私が直接電話で会話をしたのは
色々とご指摘がありましたので私なりにもう一度確認をしてみましたが、
確か2回です。

一度は14日の夕方から夜にかけて、
細野補佐官、当時の補佐官に、これは本人から聞きました細野補佐官から聞きましたが、
吉田所長から2度電話があったそうで、
一度目は「非常に厳しい」という話だったそうです
二度目には、注水が難しいと考えていたその理由が、何か燃料切れで、
「注水が可能になったのでやれる」という話だったそうで、
その二度目の時に細野補佐官がわたしに取り次いで、
「吉田所長がそう言っているから」、という事で私に取り次いでくれまして、
その時に話をしました。

その時は吉田所長は「まだやれる」という話でした。

もう一度は、私の方から秘書官に調べさせて電話をしたということなんですが、
どういう事を話たか、事こまかには覚えておりません。
一般的に言えば何らかの状況をお聞きしたことがもう一度あると認識しています。

それ以外には私が直接といいましょうか、誰かを通して電話で話をしたことはありません。
また私が携帯の電話を聞いていたという事を確か野村委員が言われたので、
私も全部調べてみました。
ん・・・記憶がよび戻ってきませんし、
同席していた秘書官、補佐官、審議官、3名にもきいてみましたが、
「そういう場面は見聞きしていない」と、言っていまして、
私の携帯電話にもその記録は登録はされておりません。

櫻井:
清水社長を呼ばれまして、
清水社長は撤退問題についてどのような返答をしていましたか?

菅:
私の方から清水社長に対して「撤退はありませんよ」という事を申し上げました。
それに対して清水社長は「はい、わかりました」そういうふうに答えられました。

櫻井:その回答を聞いて当時総理としてはどう思われましたか?

菅:
その回答について
勝俣会長が清水社長が「撤退しない」といったんだという事を言っていますが、
少なくても私の前で、自らが言われたことはありません。
私が「撤退はあり得ませんよ」といった時に「はい、わかりました」といわれただけであります。

国会での質疑も取り上げられておりますけれども、
基本的には私が撤退はありませんよと言った時に、
「そんなことは言っていない」だとか、「そんなことは私は申し上げたつもりはありません」とか
そういう反論は一切なくて、そのまま受け入れられたものですから、
「そのまま受け入れられた」という事を国会で申し上げたところ、
なんか、「清水社長の方から『撤退はない』と言った」というふうに、
すこし話が変わっていますが、そういう事ではありません。

私としては清水社長が「分かりました」と言ってくれたことには、
ひとつはホッとしました。
しかしそれでは十分ではないと思いました。
そこで合わせて私の方から
「統合対策本部を作りたい」
「そしてそれは東電の本店に置きたい」
「細野補佐官を常駐させる」
「あるいは海江田大臣にもできるだけ常駐してもらう」
そういう形で私が本部長で、海江田大臣と、その時は確か勝俣会長と申し上げたつもりですが、
会長か社長と、海江田大臣が副本部長。
事務局長に細野補佐官。
そういう形でやりたいという事を申し上げて、
清水社長が「分かりました」と了承していただきました。

さらに私が申し上げたのは
「それでは第一回の会議を今から開きたいから、東電の方で準備をして欲しい。どのくらいかかりますか?」
といいましたら、
確か最初は「2時間ぐらい」という事を言われたので
「もっと早くしてくれ」と1時間半ぐらい後に東電で私どもの方として第一回会議を開くために出かけました。

地下の緊急対策センターに常駐していなかったのは?

櫻井:
総理の方に情報が上がらない色々なことがあったと思います。
本来地下に緊急対策センターというものがあって、
そこに情報が集約されてくるという事は総理もご存じだったと思いますが、
なぜその近くに、ずっととは申しませんが発災されてからしばらくの間はその中、
オペレーションセンターというところにある訳ですから、
そこで情報の集約やそこの指揮にそれを使わなかったんでしょうか?

菅:
まず、地震津波という最大級の災害と、
これまた最大級の原発事故というものが事実上同時に起きている訳です。
地下のセンターに私ももちろん・・・まず行きまして、
先ほど言いました緊急対策本部をたちあげました。

同時に二つの極めて重要な事をやるという事が非常に難しかったことが一つと、
もう一つは総理そのものが、今申し上げられた緊急、なんと言いましたかそのチーム、
これはどちらかと言えば危機管理課がヘッドのチームでありまして、
総理がそこに常駐しているという事にはなっていないし、そういう組織ではありません。
必要があれば同じ官邸に私はおりますから、
そこに報告なり何らかの決済が送られてくることになっております。

くわえて、原子力災害については先ほどらいお話がありますように、私も申し上げたように、
本来はオフサイトについては、
つまり炉以外の問題ついてはですね、現地のオフサイトセンターがやっていることになっていた訳です。
しかしそれが動かなかった。

それから、炉の事については基本的には電気事業者がやる事になっておりました。
しかし、小さい事故ならそれで済んだかもしれません。
しかしベント一つをとっても、
ベントをするかどうかというのは炉の状態とともに、それによる影響が一般住民にどんどん出るわけですから、
それを事業者だけで判断することは、それはできないわけでありまして、

そういった意味では現在の原子力災害特別処置法が想定した事故というのは、
今回のような、まさにシビアアクシデントで
何十万、何百万の人に影響を及ぼすという事には対応出来ていなかった訳でありまして、
そういう点で、私が地下にいた、いないという事ではなくて、
もともと総理が地下にずっといるという仕組みになっておりませんし、
この災害対策特別措置法そのものが、
言えば沢山ありますが、たとえばオフサイトセンターも、地震と原発事故は別々に起きる事を前提にしている訳です。
地震で渋滞して副大臣が入れないなんていう事は、想定していない訳ですね。
それらの全ての想定が極めて不十分だったために、やらざるを得ないという意味でいろんな事をやりました。
それが本来の姿と思っているわけではありません。
しかしやらなければならない状況であったという事は、是非ご理解していただきたいと思っています。

櫻井:ありがとうございました 1:00:14

ーーーーー

海水注入を止めるよう指示したとされる武黒一郎フェローという人の事を私は知らなかったので
ー参考ー

武黒一郎フェロー
(たけくろ いちろう、1946年3月13日 - )
日本の実業家。東京電力副社長を経て、現在国際原子力開発株式会社代表取締役社長。
経歴
東京都出身
1969年5月 東京大学工学部舶用機械工学科卒業
1969年6月 東京電力株式会社入社
1987年7月 原子力発電部原子力発電課長
1990年10月 ロンドン事務所(副部長待遇)
1991年4月 ロンドン事務所副所長
1994年7月 原子力研究所軽水炉研究室長 兼 主席研究員
1996年7月 柏崎刈羽原子力建設所副所長
1997年6月 原子力管理部長
2000年6月 原子力計画部長
2001年6月 取締役柏崎刈羽原子力発電所長
2004年6月 常務取締役原子力・立地本部副本部長 兼 技術開発本部副本部長
2005年6月 常務取締役原子力・立地本部長
2008年6月 取締役副社長原子力・立地本部長
2010年6月 フェロー(副社長待遇)
2010年10月 国際原子力開発株式会社代表取締役社長

首相への説明優先で海水注入中止 国会の事故調査委で東電幹部
47Nwes 2012/03/28 16:55

福島第1原発事故調査委員会で、質問に答える東京電力の武黒一郎フェロー
=28日午後、参院議員会館

東京電力福島第1原発事故翌日の昨年3月12日、
1号機の原子炉冷却に向けて海水を注入したことをめぐり、東電の武黒一郎フェローは28日、
既に現場で始めた注入をやめるように指示した理由について
「菅直人首相(当時)への説明が終わっていない段階だったので、
いったん中止して了解を得てから再開すべきだと思った」と述べた。

国会が設置した福島第1原発事故調査委員会に参考人として出席して話した。

武黒氏は当時、官邸に詰めていた。
この日「非常に危機的状況で、海水注入は大事だと思っていた」と話す一方、
その後を考えて首相の了解を得るべきだと考えたと説明。
【共同通信】

Posted by 大沼安史 at 03:47 午後 |

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