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2012-04-23

〔フクシマ・ノート〕 タイタニック・フクシマ号

 英国の豪華客船「タイタニック」号がカナダ・ハリファックスの南東800キロの大西洋上で氷山と衝突、沈没したのは、1912年4月15日未明のことだ。

 それから、ことしで100年――。

 船名の「タイタニック」とは、ギリシャ神話に出てくる巨人の神々に由来する「Titanic」――「巨大さ」を意味する。

 世界最大の客船、タイタニック号で失われた人命は、1500人以上。当時、世界最悪の海難事故だった。

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 タイタニック100年を機に、世界最大・最悪の核惨事、フクシマを考える記事が、米国のネット誌に、このほど掲載された。

 ニューヨーク州立大学のカール・グロスマン(Karl Grossman)教授が書いた「核のタイタニック(Nuclear Titanics)」。

 「テクノロジーの傲慢さの危険(The Perils of Technological Hubris)」という副題がついた記事だ。
 → http://www.counterpunch.org/2012/04/16/nuclear-titanics/

 グロスマン教授は、タイタニック号の悲劇とフクシマの悲劇を比較してこう書いている。

 タイタニック号の沈没では1500の人命が失われたが、チェルノブイリでは100万人以上が被曝による死亡している。しかし、フクシマではそれをさらに超える死者数が予想される。

 タイタニックの海難では一隻の客船が海底の一点に沈んだが、フクシマではチェルノブイリ同様、「地球の一画(a part of the Earth)」が「犠牲地域(sacrifice zones)」として居住不能になる。

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 フクシマとの比較で、グロスマン教授の指摘にひとつ付け加えれば、タイタニック号の悲劇は「その時・その場・一回限り」のもので、犠牲は限定されていたが、「フクイチ」号機の悲劇はまだ幕が開いたばかりである、ということだ。

 1~3号機の原子炉核燃はメルトダウンして「核火山と化し、おまけに「4号機核燃プール」という、ハルマゲドン級の脅威は、今か今かと、時限爆弾の時を刻んでいる。

 かりに「4号機プール」が倒壊すれば、フクイチはコントロール不能となり、フクニの放棄を迫られ、東海第2からの要員総退避にもつながりかねない。

 そうなると、フクイチ発の放射能は(それだけで)地球環境全体を汚染し、人類は地球規模で生存の危機を迎える……。

 フクイチ(フクシマ)はつまり、地球環境、すなわち「宇宙船地球号」を轟沈させかねない、神話的想像力さえ超えた、超タイタニックな危険性を秘めているわけだ。

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 ところで、このグロスマン教授の記事は、実はジャパン・タイムズの15日の社説、「タイタニック号と核の大失敗(The Titanic and the nuclear fiasco)」に触発され、書かれたものだ。
 → http://www.japantimes.co.jp/text/ed20120415a1.html

 教授はジャパン・タイムズ社説の以下のくだりを引用している。

 「日本の原発はタイタニック号のように、現代科学の粋を集めた、絶対に安全なものと宣伝されていた。豪華客船を浮かべる技術であれ、エネルギーを供給する技術であれ、完全な安全は決してあり得ない」
 Japan’s nuclear power plants were, like the Titanic, advertised as marvels of modern science that were completely safe. Certain technologies, whether they promise to float a luxury liner or provide clean energy, can never be made entirely safe.

 たしかに、その通りである。

 「不沈」のタイタニック号は海の藻屑と化し、「絶対安全」なフクイチ(フクシマ)の原子炉は、1号・2号・3号と3連続爆発してしまったわけだから。

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 教授が引いたジャパン・タイムズ社説は、海洋小説で有名な、英国のジョセフ・コンラッドが、タイタニック号の海難について書いた文章の一節も引用している。

 コンラッドは、タイタニックの沈没に、「人類の思い上がりに対して課されるべき、気を引き締める影響(chastening influence it should have on the self-confidence of mankind)」を感じ取っていた――と。

 SOME REFLECTIONS ON THE LOSS OF THE TITANIC (1912) by Joseph Conrad from Notes on life and letters (1921)
 → http://gaslight.mtroyal.ca/contit01.htm

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 映画にもなった「タイタニック」は100周年のことし、ハリファックスなど各地で追悼の記念行事が行なわれたが、「フクシマ(フクイチ)」の100周年――2111年において世界の人びとは、21世紀初頭のこの核事故を、どのような意識で振り返ることだろう。

 100年後の日本人は――あるいは世界の人びとは、ジャパン・タイムズ社説子の言う「‘不沈’の事業(‘unsinkable’ undertakings )」を進めて失敗した「日本政府・東電」の傲慢を――そしてそれを「想定外(unthinkable)」といって恥じない無責任を、果たして許してくれるだろうか?

Posted by 大沼安史 at 12:51 午後 |

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