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2012-04-24

〔河北新報〕 「神話の果てに 東北から問う原子力」第2部・迷走(4)原発から4キロ、双葉厚生病院の苦闘/災害弱者、置き去り(22日)/原発事故の脅威は、真っ先に災害弱者に襲いかかった

 → http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20120423_02.htm

 東京電力福島第1原発事故で、避難区域内に取り残されたのは、入院患者や老人ホームの入所者らがほとんどだった。

 原発の北西約4キロにある双葉厚生病院(福島県双葉町)は、全入院患者136人の避難を余儀なくされ、避難中に重症者4人が死亡した。

 原発事故の脅威は、真っ先に災害弱者に襲いかかった。

◎院長「病院ごと避難、想定外」

 「何をしている。事故は極めて深刻だ。速やかに避難してほしい」

 昨年3月12日午後2時すぎ、福島県庁の災害対策本部に詰めていた旧知の医師からの電話が偶然つながった。重富秀一院長(61)は相手の激しい口調に、ためらっていた全員避難を決断した。

 この日早朝、政府は避難指示区域を3キロ圏から10キロ圏に拡大。病院に来た警察官に避難を促されたが、「重症者や寝たきりの患者は無理に移動させると容体が悪化しかねない」(重富院長)と考えた。比較的症状の軽い患者だけを避難させ、重症者と職員らは病院にとどまっていた。

<追加 間に合わず>

 避難のための自衛隊ヘリは、近くの双葉高グラウンドから飛び立つことになった。車で病院と双葉高を往復したが、重症者は4人がかりでマットごと運ばなくてはならず、時間がかかっていた。そんな時、大きな爆発音が響き渡った。

 双葉高グラウンドにいた同病院の山岸一昭事務局次長(50)は南東方向の空に白い煙が上がるのを見た。

 午後3時36分、1号機原子炉建屋の水素爆発。

 間もなく、空から白いあられのようなものが降ってきた。

 「ヘリはまだか」。山岸さんは、おびえながら願うしかなかった。

 夕闇が広がったころ、県災害対策本部が手配したヘリ計7機が到着したが、全ての患者を乗せることはできなかった。

 双葉高には病院関係者のほか、近くの老人ホーム入所者や、避難が遅れた近所の住民も集まってきた。

 重富院長はヘリの追加派遣を要請したが、その日は間に合わず、患者16人と職員9人は、双葉高の茶道室で一晩を過ごした。この夜、患者1人が息を引き取った。

 ヘリに乗った医師・看護師は、人工呼吸器を使用していた患者に「アンビューバッグ」と呼ばれる袋状の器具で酸素を送り続けた。地上を見下ろすと、浜通りから避難する車のライトで光の帯ができていたという。

 避難場所は二本松市と聞かされていたが、3機のヘリは陸上自衛隊霞目駐屯地(仙台市)に着陸した。患者と職員は放射線のスクリーニングを受けた後、コンクリートの床の部屋で夜を明かした。この間、2人の患者が亡くなった。

<尊厳ある最期を>

 双葉高に残った患者・職員は翌13日午前に救出された。だが、先に出発した軽症者らは原発から約11キロ地点の老人ホームに降ろされ、病院側が数日間、所在を確認できなくなるなど、混乱は続いた。

 病院によると、避難中に亡くなった患者は計4人。重篤な患者たちだったが、重富院長は「尊厳ある最期を迎えさせられず、申し訳なかった」と悔やむ。転院先で亡くなった人も複数いるという。

 重富院長は避難を振り返って語る。

 「原発事故の際、被ばく傷病者を受け入れることは想定していたが、病院ごと避難するとは考えてもみなかった。事故が起きたときのことを考えると、原発のそばに大規模病院や福祉施設は置かない方がいい」

Posted by 大沼安史 at 07:50 午後 |

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